昔の特番の定番だった「パチンコに車で行って赤ん坊を中に放置して殺した」話がある時期からぱったりと出なくなったように、報道される内容というのは事実だから報道されるのではなく、報道して問題ないと誰かが判断したからなのである。アメリカなんかは特にひどく、たとえばアメリカが牛肉の輸入を迫ってきた時、「我が国の肉は安全だ、食え」と言ってきたことに対して「いや、輸入云々よりもおたくの飼育方法だとまず国民が死ぬぞ?」と反応しても全く無意味であっただろう。というのもアメリカでは狂牛病関連の事が一切報道されていない。食肉業界の圧力が凄まじく強いという理由において、食ったら死ぬかもしれない造り方をしているのにそれが一切伝わらないのである(まぁピザが野菜に分類される国だからなぁ)。
そんな視点でスマホをいじっている人を眺めていると、果たして健康被害についてどこまで考えているのか疑問に思う。多分そろそろ出てくるんじゃなかなぁ……網膜剥離。電車やら歩きやら、あんな動く場所で動く液晶見つめていたら当然視力は悪くなる。で、視力が悪くなりすぎると目の部位である網膜が剥がれてきて放置すると失明するんだけど、そろそろそれ多発してきてもおかしくない年数経過していると思う。私の場合はガラケーで、しかも初代の子は今年成人式を迎えるという筋金入りだが(やっぱり正規品を買うと長くもつ。流石にバッテリーがないので携帯は出来ないけど目覚ましとしては今も現役。二代目もそろそろ10歳かな。新しいのを迎える気は全くない、というより理解できないなぁ)、それはもう一つの理由はともかくとすれば、一度網膜剥離をやっているから危ない橋を渡りたくないからである。
それにスマホが電話ということは、電波が自分のすぐそばに届くという事を意味している。この点は従来の携帯とあまり差異はないが、ラインだのなんだのであれだけ電波を飛ばし続けていても全く影響はないのだろうか。例えばモスキート音のように人間が聞こえにくいが確かにある音、それを聞き続けていると落ち着かないとか何とか、そういった被害があるような気がするし、何よりスマホが原因で病気になった人や死んだ人の数は結構多いんじゃないだろうか。スマホをいじって歩いていて交通事故、転落死等々……それについて今は本人のマナーで片づけられているけれど、本当にそれでいいのかねぇ。特に子供がスマホをやっているのを見ると、この子が事故で死んだら誰の責任になるんだ? と私はいつも疑問に思う。例えばスマホの機能として”ある程度振動を感知する(たとえば歩いている時など。万歩計は100円ショップにある事だってあるんだから、これは余裕で造れるはず)とアプリは強制停止する”というのはつけられると思うし、それをつけていなかったらそれは予期できる事故を防がなかったという過失になるのではないだろうか。
少なくとも全部自己責任か? まぁ、電車が静かになったのはいいんだけどさ。
これは別に隣国全体が狂っているという訳ではなく、そもそも歴史に対する捉え方が根本的に違うだけの話なのである。例えば朝鮮の建国神話であるところの檀君朝鮮は史実であって北京から上海まで支配していた、という話もあるが……これに対して”それ紀元前5000年頃の話っていうけれど歴史書に檀君の記載があるのは13世紀になってからだけど”……と反論をしても通じはしない。実際のところ反論して戻ってきた答えは”それまでずっと口伝していた”というのと”日本人が史料を焼いた”の二つで、後者も滅茶苦茶な話だが(日本や朝鮮半島の歴史書に載っていないならまだ分かるが、中国の歴史書に一切載っていない理由には全くならない。日本がわざわざ魏志倭人伝やら何やらを改ざんする為に中国に攻め込んだ、とでも?)、前者のような「そんな超人いるかよ!」といった答えさえもがまともなものとして向こうでは扱われる。その理由はただ一つ、隣国の歴史学というのは日本のやっている考証史学とは真逆の、よく言えばデカルト的歴史学、悪く言えば妄想だからである。
どういう事かを簡単に説明すると、まず日本で歴史学を研究しようと思った時にまずやるのは、当時の資料の収集である。古代史ならば現地調査もしくは発掘物の調査は必ずするし(先行研究の学習はいわずもがな)、中世史や近世史だって当時の史料にまずあたる。このように歴史を考えるにあたって証拠、つまり「証」を以って「考」察するのが日本の歴史学であり、このような歴史学が普通の一般的な歴史学だ。しかしこの考証史学には一つだけ大きな弱点があって、歴史書や遺跡や当時の文書等を以て歴史を研究するということは、それが存在しなければ歴史学としての考察は出来ないという事になる。日本の場合は古代からずっと天皇家があって、天皇家内部で血で血を洗う抗争を何度もやりはしたものの史書の破壊はしなかった為研究の余地は十分にあるのだが、これが弱った人間は殺してしまえ、それが正義だ痕跡も残すな、というような状況が続くと、結果現代には何の歴史書も残らないという事になる。この場合日本風の歴史学は殆ど使う余地がない。勿論それでも海外の史書を総動員してあくまで史実にこだわるという方法もなくはないのだが、しかしこうなってしまった時にならば別の歴史学でやろう、という考えが生まれてしまったのである。
それは何か。端的に言うなら「絶対的な真実である”現在”を基軸とし、それに繋がる歴史を構築する」という、”現在がこうであるのは絶対的な真理なのだから、歴史は当然その現代に帰結する内容ではならない、ならその内容は一体何かを考える”というものになる。デカルト的と言ったのは帰納法という意味でもあり、絶対的な命題に帰結させる姿勢の事を指している。つまり隣国にとっての歴史学は”歴史書を見たらこう書いてあったからこうだ”というものではなく、”現代がこう(もしくは絶対的な命題がこう)なのだから歴史はこうであるに決まっている”という、日本の歴史学とは根本的に異なる内容になっているだ(日本の歴史学の場合こういう予断をもって歴史に当たるのは禁忌)。
で……当然こうなってくると一番の肝は「ではその絶対的な真実である現代の要素って何?」という事になるのだが、これが「我が国は奇跡的発展を成し遂げた上に世界的に有数の強国となっており、それを担うわが民族は神のような立派な民族である」というのと、「日本国は野蛮であり、絶対的に悪である」という2点だからもうどうしようもない。後者は自分たちがそう思うならそれはそれで仕方がないが、前者についてはもう少し客観視できないのか? と思わず突っ込みたくなってしまう。だが実際のところ隣国の帰納法的歴史学の肝である絶対的真理、つまり全ての事象の結論、帰結先はこのようなちょっと信じがたい内容になっているのが現実である。
だからこそ、冒頭で言った「アメリカ大陸を見つけたのは韓国人」という言葉も史実の一つに成り得るのである。
隣国の歴史学は絶対的な命題に歴史的事象は帰結する、というものである以上、逆に言えば世界的な民族国家という命題につながるならばその歴史学的主張は「是」となるのである(それがどれだけ意味不明な内容であったとしても、歴史的主張と認められる条件は現代につながる内容であることのみだから)。更にたとえどれだけ証拠があっても、この命題に反するものは絶対的に否なのである。例えば日本が何かしら隣国に貢献した、という主張に関しては、たとえどのような証拠を重ねたとしても絶対的真理(日本は悪で野蛮な国)に繋がらないという点でこれからも永遠に否であろう。
そして、だからこそ隣国の史実は増える。証拠がほぼ要らず命題に帰結すればいいわけだから、「日本は絶対悪なんだろ。ということは……こういう事だってしたんじゃないか?」と夢想してそれを主張すれば、命題に帰結する内容だから歴史的主張に成り得るのである。慰安婦しかり、強制連行しかり、それらが一挙に出てくるならともかく「後から後から積み重ねられる理由」というのはまさにここにある。日本はあくまで証拠が第一の歴史学だから、あとから史実が創作される(新しい史料が出た場合はともかく)、というような事はまずないし、それを真実だと考える人間の頭の中が分からない。しかし隣国は絶対的命題につながる内容が第一の歴史学だから、「そういえばこれも」「あ、そうだ。これも」という事が普通に出来てしまうし、逆に日本人の考えている証拠を常に求める姿勢が隣国には理解が出来ない。それはそもそも隣国が証拠を基に歴史学をやっていないからで、そしてそれが通常だと思っているからいちいち証拠というあまり効力のないものを求める理由が分からないからで、だからこそ今まで言わなかったことを臆面もなく主張もするし、その主張に疑問を投げかけるとキレる。何故ならその主張は隣国がそれを主張した時点で、既に絶対的な史実(向こうの国にとっても)になるからだ。
だから隣国と歴史問題について和解をするのは不可能である。たとえ目先の問題、たとえば慰安婦問題を解決したとしても、それは「日本は野蛮で絶対悪」という真理につながる歴史的事象って何かなぁ……と夢想して出てきた枝葉の一つを刈ったに過ぎない。それを刈ってもすぐ次の主張、「日本は野蛮で絶対悪だから……こういう事もしたはずだ」というのが出てくるだけなのである。実際隣国の歴史学会ではおよそ歴史学会とは思えないような言葉が普通に飛び交っている。他人の主張に「愛国心はないのかっ!!」と糾弾する方も方だが(愛国心とかそういった感情を歴史研究に込めるのは完全なご法度。もし愛国心をもって歴史研究をしたとなれば、それは愛国心という色眼鏡で史実を見ていた=つまりそれは偏った解釈、という事になる。なので日本の学会でこんな言葉はまず出ない)、それで皆が押し黙るのだから救いようがない。押し黙るというのは、つまり愛国心のない歴史学はダメと考えているという事……つまり、色眼鏡をつけなければそもそもダメな国なのだ。
ただし、この明らかに間違った命題自身が、実は隣国そのものを苦しめてもいる。この歴史学で育った人間は当然歴史的にも世界的にも強国で尊敬される国だと信じる事になるのだが、実際の現実は必ずしもそうではない。あれだけ学校では素晴らしい国と言われていたのに、信じていたのに……しかし現実はかけなられている。勿論ここでならば教わっている事が間違っていたんだとなればまだ救われるが、現実が間違っているという方向になるともうあとはドツボである。現実が間違っている、といってもその現実は物理的世界なので妄想で変える事は出来ない。日本が最悪の国家であっても、北・中・露に囲まれた状態で日を敵に回すことは絶対に出来ない。世界一とうそぶいたところで、それを信じさせるに足る歴史的事実はどこを探しても出てこない。この妄想と現実の乖離こそがこの隣国の病理の根源であって、だからこそやり場のない思いや怒りを常に抱える事になるのだ。
勿論同情出来る点もある。日本の朝鮮出兵の時は日本由来の被害も大きかったが、援軍として居残った明がやらかした行為も凄まじかった。元に侵攻されたときは……これは高麗が最悪だったからというのもあるが、確かに朝鮮半島全土が皆殺しに憂き目にはあった(理由は高麗が自分達だけは助かりたい、あとは知らねぇ、とばかりに孤島に逃げ込んで籠城したから。確かに元の強みは陸軍だから孤島に籠る作戦は成功なのだが、当然ながらその間に半島本土はやられたい放題。普通そのやられたい放題されているのを見たらすぐ和睦するかと思いきやまぁ粘る粘る。当然粘れば粘るほど死者は増えていくのだが……)。史書が焼かれまくったというのも、弱った奴は皆殺し、前時代の人間の痕跡を残すなという事だけでは必ずしもない、というもある意味それはあり得る事かもしれない。しかし今のような歴史学で物を考える限り、永遠に苦しみは終わらない。現実認識をまずしっかりもって、屈辱の多い歴史になるかもしれないけれどもそれはどの民族でもあそこに住んでたらそうなる、という割り切った気持ちで歴史に直面する事が必要なのだと考えている。
でも、多分隣国はそんな事しない。だから問題は永遠に解決出来ない。永遠? 北は?
いやそもそも治療せず放置すべきだ、って言ってる時点で治療じゃないのでは……と私なんかは思ってしまうが、この放置療法(?)は医学としては箸にも棒にもかからないし無責任極まりない暴論である一方、日本人の思考や社会学・哲学的にはある程度一石を投じているとは思う。「無駄だ、諦めろ」が認められない。しっかりした宗教観がないから、日本人はなかなかその結論を受け入れられない。ただその無駄な治療をして苦しい事実は認めざるを得ないという現実もあるから諦めずにいるのもつらくて、結局その二つの折衷案、要するに”「無駄だ、諦めろ」をそのまま受け入れる事は出来ないが「医学というオブラート」に包まれていればギリギリ受容出来るので放置療法を行う”という部分に落ち着くーーーそういった人の救いなっている面はあるのではないかと思う。
ただしそれを医学と言われるとそれは流石に……と思えてならない。このがん放置療法をとてもシンプルに説明すると、まずがんには@普通に生活していれば悪化しない、もしくは消失するがん、Aたとえごくごく小さな姿であっても発症してたらもうアウト。絶対に助からないがん、の2種類があるそうで、@の場合は普通に生活をしていれば悪化しないので放置が正解、Aの場合は何をやっても絶対に助からないので治療をしても無駄、つまり放置が正解、という結論になる。要するに前段で話した「無駄だ、諦めろ」を明確に認めているわけでその意味では画期的とも言えるが(医者が匙を投げる場合と似ているように見えるものの、医者が匙を投げるばあいは”療法の失敗”であり、その両方から投げ出された患者は次の療法を探さなければならない。しかし放置療法の場合は放置することが療法、つまり医療であるのだから放置していても”医療受給中”であり、何もしていないわけではないという意識を患者が持つことが出来るので、医者の匙投げとは全く別のものだと思う)、この療法の最大の問題は「ではこのがんは@かAか」が分からないうえ、「@からAへ移行することはないのか?」という問いにも正解を持っていないのだ。いや、一応正解は持っているらしいのだが……「悪化したというのは、実はそのがんは@からAへ移行したのではなく、もともと@ではなくAだったんですよ。治療しなくて正解でしたね。Aのがんですから副作用分つらいだけですよ」がそうだといわれても正直とても納得できないし、これなら医学の知識のまるでない私でも言えるような気がしたりもする。
いや、ほんと。だってこれって資料をみてがんですね、って話して放置させて快癒したら「@のがんでした。治療しなくてよかったですね」といえばよくて、悪くなったら「Aのがんでした。治療しても絶対死ぬので、副作用分治療しなくてよかったですね」といえばそれで済む。だったら医学の知識はそもそもいらないというか、がんは治らないし中身の分析も出来ない、というのが大前提ならそもそも医学の知識はいらんのでは? となってしまうし、そうすると最初の暴言っぽい言葉である「これって医学?」という疑問にどうしてもつながっていってしまう。治療を放棄するという事が道徳的に宗教的(無宗教に近い状況であるがゆえに)に社会学的に難しい人にとっては確かに「無駄だ、諦めろ」を受容する為のクッション、要するに宗教か啓発系の論理にはなるから無駄、というわけではない。ないが……これは「宗教」であって「医学ではない」という事は明言すべきだと思う。
というのも最悪のケースが普通に治るがんだったのに検索エンジン使ったらこれにぶち当たって放置した挙句本当に死んでしまう、という事態が起こる可能性が極めて高いからだ。これは”もう助からない”という人が死を受容する為に、その人が前向きを装った現実逃避が叶う為に”医学”という看板を一応掲げているだけの宗教。だからこそ意味があるもので、本当の医学として考えればとてもじゃないがまともではない。だからこそ宗教としての認知が必須……まだ普通に医者の手術を受ければ助かる人間がこれをまともに信じたら、その命を無駄に散らすことになる。確かに本当にどうやっても駄目だろう、というがんはあるにはある。だがそれだけが全てではないし、またそれが全て@のように自然に治癒するがんでもない。がんにはB医療行為をすれば治るが、しなければ死ぬがん、が必ずある。だからこそこれを宗教ではなく医学というのは止めてほしいと思うのだ。別に宗教や啓発系の考え方であるというのなら、この放置に関してもそれほど悪いものではない。日本人は特に「無駄だ、諦めろ」がなかなか選択できないし、怖い。だから医学という(本当は偽物の看板)があればその恐怖を和らげることが出来る……ただこれをまともに医学と信じる人がいるというのは、流石にまずいと思うのだ。 ただ……じゃあ「治療した方が寿命は延びるか」というと、ねぇ……。とある理由で完全放置されて余命3か月と言われていたのに数年生きた人を私は知ってたりするんで(そこはすごいところで「腫瘍マーカー? そんなもん測定してないよ。治療しないんだし。転移? してんじゃない? でも調べたって意味ないでしょ、もう何やっても手遅れなんだから」とか主治医が平気で言ってたからなぁ……)そこは実は微妙だったりする。でも今までそういう形で治療している人を見てきた経験からして、副作用とかの問題が大きいのはやっぱり進行した人が多くて、そうでない場合はすんなりと終わる場合の方が多いと思う。まぁ……日本のがん治療の発想が「焦土作戦」というのだからなぁ……。抗がん剤は全ての細胞を殺していく、その中でがん細胞が先に死ぬか真っ当な細胞が先に死ぬかの運試しっ! という側面もあるし……。
ただ……あの人はかなり長く生きたんだよなぁ……。結局治らなかったけど。
進学の方法として最近はAOだとか一芸入試だとか色々種類が増えてきているが、その一方で昔からありかつ今でも一般的で強いのは推薦入試という制度である。特に指定校推薦は「今年は○○大学に2人、うちの学校の生徒が入れます。枠として貰っているので、学校で推薦すれば確実に大学に合格します」という”推薦もらったら即受験終了”という凄まじい破壊力があるため、まぁ当然ながら揉め事のタネになる。誰がその枠を奪い取るか……そういう生徒間の争い、例えば”立候補するんじゃねぇぞ。あそこの大学は俺がとるんだ!”といった他の生徒への生徒同士の根回しは勿論のこと、いやそれよりも実態としては教員同士の争いが本当に熾烈になる。推薦が定員オーバーならば勿論、逆に推薦の定員がオーバーでなくても”教員同士の争いによっては”「今年は推薦枠返上しよう」という話が出てくるなど、まぁ私が経験した職務の中でもかなり泥臭い部類の仕事だった。なんといっても、その教員同士の争いの理由がまぁ「それお前個人的に嫌いなだけだろ」レベルだったしね。
まぁそもそも私が被推薦者決定会議のメンバーになった時点でどうかしてると思うんだけど、実際の被推薦者決定会議はそれを上回ってどうかしていた。指定校推薦は基本大学から示された評定平均の数字と生徒の評定平均の数字を比較し、かつ、”推薦に値する評定平均外の行為”を踏まえてその合否が判断される……んだけど、当然問題になるのはこの”評定平均外の行為”。評定平均は数字の合計、つまり客観的な評価基準だからいいんだけどこの”評定平均外の行為”というのは完全に主観的な評価になる。そしてこの、”その行為が推薦の判断材料になるか否か”が……完全に会議に出席した教員の価値観で決まるため、必然的に会議は毎日もめてばっかりだった。
まず鉄板は「運動部」。「この子は運動部で3年頑張ったから!」と、まぁ評定平均が低いのにも関わらずこの一点で押してくる事の多いこと。しかも厄介な事にこの運動部というのは決して全ての運動部ではなく、”推薦会議に出席している先生が担当している運動部、もしくはその先生と友好的な先生の運動部”のみなのである。運動部だから評価しろ、というのならまだ理屈は通るが、しかし実際は出席している先生の息のかかった運動部のみで、別の運動部所属の子が対象となると一切擁護の発言は出ない。これでは到底従えない……というより元々運動部だからという推薦理由を絶対認めないという姿勢を崩さない奴が一人いたが(勿論私。まぁ勿論その後報復は受けました、ほんと、体育会系敵にまわすと真面目にキツイです。はい)、そんな状況はその主張に大義名分を与えるようなものである。それでも「実力のある先生がバックについている運動部」の生徒は強い……私は評定平均を最重要視すべきでその主観的なものを混ぜるべきではない、といつも言っていたのだが、まぁそれでも総数としては運動部のかっさらう数は多かった。まぁ運動部といっても……推薦会議の先生と仲が悪い先生が顧問している運動部の生徒は惨敗だったんですけど……。
そして次、というよりこっちが一番対立したのが「労働運動」。もうこれ本当に出すのはキツイ話ですが、まぁ当時から教員が生徒に向けて動員をかけることかけること山の如し。政治運動にせよ労働組合の運動にせよそれは大人である教員が勝手にやってることで、それに生徒を動員するのは間違っているし、「これに参加しないなんて……もうお前は俺たちの仲間じゃない」といってレギュラーを外すという行為が横行していて、もうその話からずっと本当に酷いと強く思っていた。そして推薦会議で「まだ若いにも関わらず平和運動に身を投じて非常に意識が高い」とぬかす……ウソこけお前それレギュラー剥奪するぞっていって生徒脅して強引に動員しただけじゃねぇか! 大体お前のクラス○○さんがいじめ被害にあった時はすっごく対処が早かったのに××さんがいじめられた時は<はい、流石に強制削除です>。それに平和運動って何だ? 労働組合系の動きが平和運動って誰が決めた? 他国に侮られず戦争を誘引するような悪意ある非武装ををやめ、平和共存に繋がる健全な武力を、という主張だって十分平和運動じゃねぇか! 勝手に平和運動の定義を決めるな! それと、そういう争いを推薦会議に持ち込むんじゃねぇ! ……とまぁここまで読んで分かると思いますが、完全に推薦する教員同士の思想の争い。そして立場の争い。本当に推薦とるのって学力じゃなくて政治力、というより誰が政治力を一番持っているのかを悟ってどれだけ媚を売れるのかが勝負なんだなぁ、とつくづく嫌になる程思ってた。
ただどうしてここまで揉めたのか……それは大きく分けて理由は2つ。1つは「生徒指導の原動力になるから」で、例えば運動部の顧問の話に生徒が大体従う理由はこの先生についていくと推薦が貰い放題だからだし、逆に先生の側も推薦というアメがあるからこそ厳しい運動部の練習や規則に生徒を従わせることが出来る、という側面もある。労働運動の方も同じで、レギュラー剥奪というムチの一方、そういうものに参加すれば推薦で有利になるよ、というアメをどれだけ示せるかもかなり動員の成果に絡んでくる。だから運動部・労働運動のどちらも必ず推薦は通したい……それは次年度の自分の影響力に直結するから……というある意味利権にも似た状況になっていて、会議も終盤になるとこれ一体誰の為の会議なんだろう、と疑問に思うほど酷かったほどだ。
そしてもう1つの理由は「武勇伝」。一体なんでそうなるのか全く理解出来ないが、教員というのは特にこの武勇伝というのが好きらしい。徴兵を食らって動員された場でも「あの発言は間違ってる。だから俺は<ここも強制削除です>」と、まぁ本当かよそれ、と思うような武勇伝を語る奴の多かったこと多かったこと。そしてその中にだいたい紛れる、「あの生徒の思想や発想は認められないから<強制削除ですが察してください>」という話。でもそれって要するにお前の見栄じゃないかと思うんだけれど、この仕事はどうしてもこの手の武勇伝が欲しくてたまらないようで、だからこそそれを造るためにここで暴れてるんじゃないかなぁという人が私の目からみていっぱいいた。十代の身空、他人に迷惑をかけてないならそれでいいじゃないか……そう思っていた私にしてみれば到底納得の出来る話ではない……そんな思い出があったりするのだ。
ただ……。ひとつ救い、かつええかっこしいと思われたくないというエゴの為に続けるとするなら、だからといってそういう先生に従っていれば安泰かというと必ずしもそうは言えない。というのも……学生時代ずっと文化部で運動部だからと優遇される同級生を見て苦い思いをずっとしてきて、労働組合が骨の髄まで大嫌いな先生が混じると、会議は恐ろしいくらいに荒れる。とにかく全部突っぱねる。評定平均で決めるべきだ、主観が混じるような要素でその数値を逆転させるべきではない……相手が大御所だろうが力のある先生だろうが、会議に参加できて決定権があるのであればそんな事は知ったことではない。運動部だから?……認められるか! 労働組合の運動が平和運動? 頭の○○しい事言ってんじゃねぇ! とまぁ空気も読めずに、というより読まずに暴れる先生がもし入ると、しかも妥協しない場合だと、結果は事前予測を完全に裏切ります。あの時は嵐のような予想外の結果になったとよく生徒から聞いていたけど、そういう事になります。はい。
本当に私を含めて主観の話なんだよなぁ。生徒思いをどう表現するか、こういうところで代弁してあげるのが生徒思いなのか、それとも自分が担任であるかどうか関わらず皆生徒なのだから、特別自分のクラスの生徒を推薦しないことが道なのか。平和運動(どの国にとって?)を勧めることが幸せな人生を担保するものなのか、むしろそれに投じる動機を減らしてしまうことは人生の幸を薄くするのかもしれないし、少なくともそこは判断の分かれるところだろうし(私は勿論勧めませんが)。やっぱり客観的なもののみで判断した方がいいんじゃないかな、と思う今日この頃です。あ、それと暴れる奴がいると会議はその年こそ荒れますが、翌年は平穏です。
”暴れた奴はその後ボコボコにされ、それが見せしめになって翌年はむしろ静かになりますよ”
……あんまりに酷い話なんで何されたかは墓までもっていきますが、まさか生徒を生贄にしてくるとは……。まさかグラウンド<強制終了>
まとまりかけていた交渉が潰れた無念と、それ以上に当然のように怒り狂う相手を見て、私が最後に出せた言葉はこれだけだった。派遣業者の親玉から”訴えてやる!”と、私自分が島流しの刑を受けて服役中の島へ持ちかけられた交渉はこれにて終了=決裂し、あとは訴訟をするなら受けて立つだけという事になった。最後の最後のぎりぎりまでは上手く話が進んでいたーー実際どう訴えられても裁判にならない、敗訴決定の事実を相手に見せつつ、かつ、過度な刺激しないで話を進めるという年中戦ばっかりやっている私にとって一番不得手な交渉だったけど、本当に嘘でなくまとまりかけていた。相手の要求は認めないけれど、互いに穏便に済ます……訴訟合戦なんぞやろうものなら双方共に血を見るのが明白、だからこそ丁寧に丁寧に話をまとめていたのだ。
そもそもの発端は派遣会社からの”仕事量増えすぎ。増額しろ”という要求。確かに仕事量は最初の契約の倍位には増えており、その為契約は契約といってもいくらなんでも同額でというのは筋が通らないーー相手の主張はそんなところだった。対する交渉に出た私としては、私個人の本音としては確かに仕事が倍になっているので少しは、とも思ったものだが、上からの命令は「門前払い」。絶対に認めるべきではない、びた一文払うべきではない、その線で交渉するように、というかなり厳しいものだった。確かに契約ではそうなっている、なっているけれど幾らなんでもそれは……と思ったが、私とて今は流人の身で、ここで再び反乱を起こすというのは文字通り処刑を意味していたから、そのラインを死守するという方向で交渉に今まで挑んでいたのだ。その為否が応でも色々な法規を学んだ。正直教育基本法を改めて覚えるのに妨げになるからすぐにでも忘れたいのだが、弁護士の方にも相談に行ってどのようにすれば相手を退けられるか、またこの時の相手を訴訟をさせずに退けるにはどうすればいいのか、なんてことまで聞いたりもした。その甲斐あってか、もしくは簡単にかっぱぐことが出来ないと相手側が悟ったのか、仕事量はそのままで増額もしない、というところに話が落ち着き始めた。私とて自分が結構ひどいことを言っているのを分かっているが、一方で相手側は相手側で仕事量が増えているといっておきながら派遣人数を減員しているという事実があったので、それに主眼をおいて退ける形で交渉をずっとしていたのだ。
「何とかなりそうです」ーーだから私は上に対してそういう報告をした。いや、”してしまった”。このままだと鎮められる、ただしそれは相手との話し合いと信頼関係に基づく和解のようなものですよ、という意味で伝えた筈だったのだが……しかし園報告から数日してその鎮められると思った相手側から連絡があった。それまでの雰囲気とはまるで違う、怒りというか殺気に近い、およそビジネスの世界では聞かないような怒声で受話器越しに怒鳴られた。
「貴方達はふざけてるのか! 仕事量を増やせだと! よくそんなことが言えるよなアンタ達は! どうなってるんだ! この嘘つき野郎!」
「……は?」
最初電話口では相手が余りにも怒っているので何があったのか分からなかったが、聞くところによると私が報告した直後、上が直接相手側に「今回の結果を踏まえ、これからはこれとこれとこの業務もやるように」と直接命令を出したというのだ。勿論そんな話は聞いてない……そんな事をまだ正式に解決していない今言ったら合戦しろというようなものではないか……しかしいきなり相手がこんな調べたら即分かる嘘をつくはずもない……その為慌てて私が上に直接連絡を取ると、上はあっさりとその通告をしたのを認めた上で、
「訴えようとしたのを退けられたんだろう? だったら相手はペナルティだよ。折れたのに乗じて要求を重ねて、呑ませないでどうするんだ」
との話だった。要するに相手が退いたのを”降伏”と判断して、赦免の条件としてより有利なものをもぎ取って来い、という考えらしい。しかし状況は全然違う、私が穏便丁寧を心がけたのは合戦に及べばこっちも無事では済まない状況だったからだ。こっちに何も瑕疵がなければそもそも交渉などしていない……平たく言えば交渉に応じたのはこっちにも弱みが実際あったからだ。それなのに、しかもまだまとまっていないのにペナルティと称して追加の負担をかける……もうこれはどうやっても無理だと私は落胆すると共に、戦争が始まる時よく上が何も分からないから発生したといわれるけれどもそれが一体どういうことなのか、肌身にしみて理解も出来た。こんな事を言われてはもう何も打つ手はない……相手がならば勝負、と出てきても当然だし、はっきりいって私が逆の立場だったら戦う。こんな馬鹿にした話なんてないし、いくら発注元とはいえ傲慢にもほどがある。自分が傷を負うとしてでもこいつらとは戦うーーー私だったらそう決断すると思っていただけに、最早その後もたれた交渉で私は何も言う気は起きなかった。
すでに此方の要求は提示されてしまった。信頼関係は崩壊している。最早この期に及んで何を言っても相手は信じないだろう……だからもう、多弁はいらない。ことここに及んだ以上最早何もいうことはありません、戦うならば応じるだけです……そういった冒頭の言葉に繋がるのだ。挑発ではない、静かな落胆。静謐といっていいのだろうか。運命の受諾といった感じか、相手に正当性があるのは理解している、しかし私は相手側には立っていない、だから正当性の有無に関わらず攻め込んできたら戦うまで。もう交渉の席を作る意味もない、攻めて来るなら仕方ありません……私はそういって最後の交渉を終え、上には最早あの無理な要求をせめても意味がないので「もうどうしようもありません。訴えられたら応じるだけです」とだけ報告してその仕事を終えた。今後どうなるか分からない、けれどロクな結果にはならない……なるほどこれが敗北必至の戦争に至った国の歴史なのか、などと勝手にかみ締めている今日この頃でした。
さて、賽は投げられた。あとは相手が兵を起こすかどうか、そして起こすなら戦うのみ。もう私の一念は戦いのみにある、交渉や正当性は最意味がない……はてさて、どういう展開になりますかねぇ。私の戦い方は「大規模殲滅戦」、まずは中立のところに勝手に逃げ込んで強引に関係者にし、その中立のところを相手に攻めさせることで無理矢理に中立者を味方に引き入れるという迷惑極まりない代物。さて、戦いを強制された以上前線には立ちますが……戦いになった以上「被害を最小限に食い止める」という発想はなくなり、「全てを燃やし尽くすがごとく、戦火の及ばない箇所が寸土たりとも出ないように全員・全体を争いに巻き込む」という事が主眼になりますのでねぇ。今回は一体どれだけの集団を戦火の巻き添えに引き入れられるか……まぁ、いっちょやってみますか!
穏便に済まそうと交渉したのを潰したのは私じゃないんだしね!
まずマイナンバー制度についてごくごく簡単に、特に国民の側からまとめてしまうと、「今後様々な行政手続きをする際にマイナンバーを提示しなければならなくなる」という事である。就職する時を始め、確定申告をする時、児童手当の手続きをする時、生活保護を申請する時、銀行を開設する時等など、とにかく様々な場面でこのナンバーを提示しなければならなくなる。勿論この事だけであれば国民側のロスはいちいちマイナンバーを提示しなければならない、という事だけなのだが、実際に行われることは国民側の個人情報隠匿権の剥奪である。数字による一元管理、つまり数字をパソコンに入れれば全てが白日の元にさらされる……現住所・前住所はどこでどこに勤めていて収入はいくらで銀行口座はどれくらい持っていて(国民健康保険とのリンクが本当に実現するなら)月々の医療費はいくらくらいで、年金とのリンクが実現すれば現在の年金支払いの状況はどのようなものか、それが全て一つのページに、まるでRPGキャラのステータス画面のようにびっしりと表示されるようになってしまうのだ。
これが一体今までとどう違い、そして何が起こるかを生活保護の申請の場面を例に出して書いてみる。例えば今まで生活保護の相談・申請を受けた場合、その相手の資産状況を知るには基本的には自己申告しかなく、それ以外の情報は生活保護を受けていた場所で収集しなければならなかった。しかもその情報は散財している……資産があるかもしれない、と思った場合はまず銀行全てに調査依頼をかけ、税務署に連絡をし、年金納付状況を確認しなければならなかったが、これらの手続きは全て”個別”である。一つ一つ全く別な手続きをして照会をしなければならないし、何より「照会した事実以上の事を得ることは決してできない」状況だった。要するに税務やら銀行やらのみがもっている情報をこれが欲しいと指定して個別に取り寄せるという作業をしているから、面倒という事も当然あるが得られる情報もそれのみだった。銀行の口座状況を聞けば戻ってくるのはそれだけで、その人の銀行での金の詳細な動きについてまでは分からない、つまり余計な情報が入ってくることはない……まぁだからこそ申請から成立まで時間がかかっていたのだが、その一方で余計な情報を得るということがまずできないような状況だった。
これがマイナンバー制度が導入されるとどうなるか。個人情報が一つの場所で一元的に管理されるから、今までのようにあちこちに個別に問い合わせる必要がなくなる。パソコンに数字を叩き込めばその人の全てのデータがぱっと一瞬で明らかになる……勿論この点に限れば確かに行政手続は簡略化出来るが、問題は「手続きに必要のない個人情報まで簡単に取れてしまう点」と、「その情報を元に今後ますます行政手続きがむつかしくなる」という点である。例えば税金納付状況を確認してその人が結構最近まで税金を納付している事が調べる気がなかったのにわかった場合、「これだけ税金が払い込めたその原資はどこ?」と言えるし、健康保険の利用が少なければ「病気は一切してないよね。ということは普通に働けますよね?」とも言えるし、更にその人の過去の生活保護受給歴が掲載されるのであれば、例えば申請を受けた場所が東京都港区だったとして、その人が過去鹿児島県日置市で受給している過去があるなら、その情報を取り寄せるとともに「昔ここで受給してましたよね。それを一旦やめて自立していますけど、それだけの方法をお持ちなんですよね」と話をすることもできるのだ。……つまり、最初から丸裸。今後申請に行けば痛感する事になると思うが、自分の言っていない事を全て相手からずけずけと言われる、という事になってしまうのだ。
更に。これだけだと生活保護を申請した人の責任でごく一部の問題だよ、という事になりがちかもしれないが、もしも扶養照会にマイナンバーが使われるようになれば以前この日記で触れた「対身内自爆テロ」が本当に出来るようになるかもしれない。扶養照会というのは生活保護を申請した人の身内に送る「貴方の血族が生活保護を申請しましたが、貴方には扶養義務があります。果たしてくれますか?」という調査の事で、統計的にだいたいこれには「出来ません」という回答が来ていた。しかしもしマイナンバーを使う事ができたなら、今後はそれが通らなくなる可能性が高い。扶養義務者のマイナンバーをパソコンに入力すればその人の全てが明らかになる……例えば自動車税を払っているなら自家用車をもっている生活をしているということだし、固定資産税を払っているならそれだけの敷地を有している事になる。敷地の面積は固定資産税から逆算すればだいたいわかるし、銀行口座の状況がわかれば現在の資産も明らかになる。つまり「出来ません」と言ってきた相手に「嘘でしょう」ということが出来る。しかも証拠をがっつりもって。「貴方車持ってて家も持ってるでしょう。収入も実際はもっとあって現金もあるでしょう。何故出来ないのですか、というより、絶対できますよね」と。これが実際にやられるかどうかは分からないが、もしやられたら扶養義務をかわすのはかなり困難な話になる。その上・・・・・・この扶養すべき人が自分の知っている人間ならばまだいいが、一度もあったことのない親戚だった場合はもう泣いても泣ききれない。でも情報を全て握られている状況の中にあっては、もうそれをかわすことさえできなくなるのだ。
そしてこのような情報群というのは、言うまでもなく民間企業によって宝の山である。昨今の言い方で言えばビッグデータ、とでも呼べばいいのか、どこの地域のどのような人がどういう金銭状況でどういう行動をし、どういう病気にかかりどう対処しているのか―この膨大な情報が使えればどれほどビジネスが大きくなるか分からない。ダイレクトメールは正にピンポイントに送ることが出来るだろうし、高所得者を狙った活動もどんどん出来るようになるだろう。消費者金融に渡ろうものならもう悲惨、しかもそれが借金をした本人ではなく身内のものが手の内に入れば、その身内の返済能力も全てわかってしまうから逃げようがなく、結果として「丸裸にされた状況の中で攻撃を加えられたらどうしようと日々怯える状況が続くようになる」という結論に到ると思っている。
情報は必ず漏れる。これはどのような機構であっても必ず言える事であって(国家機密であってもだだもれしている現世にあって、各地の行政機関で検索出来る情報が漏れないなんて有り得ない)、実際に<自主規制>すればいくらでも<自主規制>。そしていつの間にか自分の知らないところで自分のデータが他人に渡り、他人がそれを見て仕掛けてくるようになってしまうのだ。企業がマイナンバーに基づく個人情報を裏で収集するようになって、それを採用試験や昇任等で使用し始めたらきついだろうけど・・・・・・企業は特に採用にかんしてこのテの情報は喉から手が出るほど欲しいだろうし、リストラしたい人間の情報なんてもっと欲しいだろうし・・・・・・。あの人リストラしたいなぁ、でも攻撃材料がないなぁ、そうだ、<自主規制>して情報を得よう・・・・・・なんてことも普通に起こるんだろうなぁと思う。
少なくとも、他人事ではない。また国民にとってもメリットはまるでない……証明書を取り寄せる手間がなくなります、と言われていはいるが、私はそれについてこう思う。
「個人情報を晒す事が代償なら、どれだけ面倒でもいくらでも証明書を用意するわ!」と。
国民年金は呪いである。……まるでオカルトのような書き出しから始まる拙著ではまず国民年金という制度がどれ程日本人の一生を苦しめ続けるものかを、65歳以上になった時の実例を挙げて出来る限り詳細に解説した。国民年金は20歳から65歳まで支払いその分を65歳から受け取る仕組みだが、受け取れる額は国民年金一つだと一月6万そこらである。これが65歳になって降ってくるお金ならまだいいが、20歳から65歳まで必死になって働いて納めて、その結果の末が月6万である。当然これでは暮らしていけない……その上「何があっても払った分を取り返すことはほぼ不可能」というのだから、一体若い頃に必死に納めた理由は何なんだという事になる。ここ最近平均寿命が延びた延びたと度々報道されてはいるが、それが続くのはここ10年から20年まで。それ以後は急速に平均寿命が短くなり絶対元は取れなくなるーーーそれは今の高齢者の食生活及び行動様式と今の青年・壮年層のそれが全く異なるものであることに由来しているが、実際のところは今現在も90歳のご老人の多くが100歳まで生きるから平均寿命が延びているのであって、現在働き盛りの世代の平均寿命が延びる保障にはならないのだ。
しかしだからといって”呪い”という表現というのは……という事で第一章では国民年金需給の老後と生活保護の需給の老後の凄まじい貧富の格差を説明し、かつ国民年金受給権は生活保護を受ける際の最大にして決して自分から消えてくれない悪意の権化のような権利であるという事を詳述した。一般的に国民年金に厚生年金を加えて月13万ある生活をしている人の場合、家賃が月5万として残りは8万となるが、そこから医療費と病院に通うための費用を差し引くと、例えば医療費がなんだかんだで月1万、病院に通うために5000円かかるとしたとき、生活に使える金銭は6万5千円まで下がる。しかし生活保護によって月13万円貰っている場合、家賃が5万円として残り8万になるが、ここから医療費と通院費は引かれない。生活保護受給者の医療費は「診療科さえ1病院一つならどれだけかかっても全てタダ」であり、通院費も医者が認めればだがその分も「全てタダ」になるのだ。
更にこれは「医療費が1万円になっても3万円になっても5万円になっても全部タダ」という青天井の話なので、このレベルになってくると、65歳以上で年金生活を送る老後と生活保護で送る老後でどれ程違ってくるかが恐ろしいほど鮮明になる。65歳以上になってくると人間どこかしら悪くなってくるもので、病院に全然通院しません、という人の方が珍しくなる。しかし月13万円の年金生活者の場合、医療費に注げる金額というのはどうしても限られてきてしまう。例えば身体が悪くなって月3万円位の医療費が必要になった場合、家賃を差し引くと通院費を据え置いたとしても使える残り額が4万5千円まで下がる。当然これでは生活が苦しくなってしまうから年金生活者は節約生活を強いられるか通院を諦めることになるが、生活保護による老後の場合、医療費がどれだけ上がったとしても使える額は月8万円と変わらない。平たく言えば「内科・外科・整形外科・胃腸科・心療内科・皮膚科」等に毎月通ったとしても自分が使える額は月8万円で固定されるから、生活保護の老後であれば”行きたいなぁ”と思っただけで気兼ねなく自由に通院できるのだ。
これだけでももう、理不尽に基づく地獄だが、年金受給権という悪魔の呪いは更に年をとり介護が必要になった時、更に年金を納めた国民を苦しめる。月13万円の年金生活者で家賃5万という生活をしていたとき、医療費が月1万で通院費が月5千円、それに介護が1万円かかったとする(介護保険は入っていれば介護受け放題という訳ではなく、かかった費用の1割を負担する制度なので)。するともうこの時点で生活に使えるお金が6万5千円まで下がってしまうが、一方生活保護による老後の場合は「介護費用も全部タダ。いくら受けても受け放題」なので、同じ条件でも月8万円使うことが出来るのである。これは要介護度が進んで介護費用に月3万必要になった時、世の中の理不尽に対する怒りと共に、この凄まじき格差が明らかになる。この状態で介護が月3万になれば生活に使える費用は4万5千円まで下がりもう生活は厳しくなるが、一方生活保護の老後だと介護がいくらかかっても8万。送迎からヘルパーからデイケアからもうありったけの上げ膳据え膳をオーダーしてもタダなのだ。……年金受給者があまりの介護費用の高さにそれを諦めてしまった頃、横で生活保護で老後を送る人間はとても快適に楽しく老後を過ごしていける……望む介護は望みのまま。老後で一番多い支出になる医療介護について何の不安もなく、穏やかに生きていけるのだ。
これだけでも年金生活を送るということがいかに理不尽で自分を苦しめるだけかという話なるが、これが悪魔の呪いといわれるゆえんは、年金受給権があると生活保護者になることが格段に難しくなるからである。これについては第二章で生活保護の受給システムについて同じく実例でまとめた。生活保護のシステムというのはあらくれ漁師の料理だってもうちょっと丁寧に作るだろ、と思える位の雑なもので、要するに「一月に入るお金が13万以下なら対象。それ以外なら駄目」とい一言で終わるものである(これが幾らなのかは場所によるけど)。本当にこれだけで終わるものであるため、例えば浪費しまくって年金無視しまくって無収入、犯罪に走って無収入、ギャンブル好きで家を追い出された、というそれは自業自得なのでは? という理由でも収入がなければ受けられる。逆に収入があると受けられないので、たとえ借金があっても月13万以上の収入があると受けることができないのだ。生活が苦しいことは受給条件では「ない」。あくまで月の収入額が条件だから、先程前述した年金13万円の苦しい生活の人間も生活保護を受けられない。医療費がかさんで月本当にわずかな生活を強いられる明らかな貧困生活者になっていても受けられない。それはただ一つのシンプルな答え、借金や生活なんて知らない、ただ収入があるという理由だけなのだ。
だがここでようやく年金という悪魔の制度に気づいたとしても、実は手遅れ。年金の受給権は「返上することが出来ない」。つまり月13万円の年金はあるけれどこれだと生活できないので生保に、という選択は「生きている限り絶対出来ない」のだ。つまり年金を貰う権利を得てしまったら最後永遠に生活保護者になることは出来ず、加齢にしたがって貧しくなる生活と通院や介護を諦めることによってボロボロになっていく身体で暮らしながら、”勝ち組”たる通院も介護も想いのままという穏やかな老後を過ごす生活保護受給者を眺めるしかもう道はないのだ。更に13万円までいかなかったとしても、年金受給権があると「上乗せされる」という悪夢が待っている。例えば年金は月11万円です、という場合役所の方は「あと2万円誰か身内が仕送りするといえば終結する」という判断になるので、身内への扶養照会が一段と厳しくなっていく。そして身内が、月13万は無理でも2万は扶養します、と役所に返答したらそれまで。自分自身がどれだけ求めても、生活が苦しくても、生活保護は受けられない。更にこの身内の仕送りの返事が必ず履行されるかどうかについては誰も責任を負わない……もしも年金が全くなければ仕送りは月13万必要だから扶養照会でどうにかなることはないが、年金があるばっかりに上乗せで何とかなるということになり、先の展望は闇しかない生活が続くことになるのだ。
ただ一方で「でも生活保護を受けるというのは問題ではないのか」という声もあるため、それが違うという事について第三章では所得の再分配を中心に詳述し、貧困は政府の失敗でありそれを補填することを求めるのは権利であることをまとめた。そして第四章では、では生活保護を申請するにはどうすればいいのか・生活保護を申請し受理されると生活がどう変化するのかを65歳以上を想定してまとめていく。65歳以上は就労指導対象から外れるため他の年齢層に行われる厳しい就労指導が行われることはほぼ稀で、また自立を求める指導についても余程悪質なところでなければ行われるという事はまずない(65歳以上で自活出来る程収入が回復する術がないため)。訪問もかなり頻度はまれで、生活費は自分の通帳に振り込んでくれる……そういった生活についてまとめてみた。
そして最後の第五章では「国民年金の未来と生活保護の未来」を比較し、この生き方の最大の問題点である将来も今のまま続くのか、という事について解説を加えた。年金制度が今のまま続かないのは数学的にもほぼ明らかで(平均寿命が大幅に下がるためそれほどすぐに破綻しないとは思うが)、一方、生活保護の制限を加えると相手は即死の状態になるため、此方の規制はずっと難しい。また国民年金で暮らせない層よりも生活保護受給者の層のほうが政治的団結が容易なため政治勢力になることが出来、自身に不利な法案は力で潰すことも出来る……そしてそれに基づく未来予想図を描いてみたのがこの第五章だ。
騙されてはいけない。年金を払ってはいけないのだ!それは払って元が取れないという単純な理由ではない。払ってしまったが最後、生き地獄の老後が始まってしまうのだ……。だからもう一度いう。「年金は払うな!」、と。
以上の内容を記した 『年金払うな、生保へ行こう <老後を安寧に送るために、たったひとつだけ必要なこと>』、2099年2月30日に発売になります。どうかこれを読み、年金の支払いを胸を張ってNOといえる、自らの老後を自らの力で守る生活を送ってください。
……さて。
最近こういう煽り的な本が多いので私も一つ煽ってみましたが、これはどれだけ信じられたのでしょうか? 言っている内容は全部本当です。これは間違いないのですが、確かにそうだと思われたでしょうか。……だとするならば、その方は”ちょっとあおられやすいのかな”と思います。何故なら私が書いた今までの文章は嘘ではないものの、実は書いていない別側面のことが多数存在するからです。医療の質、コミュニティの固定化、地域の監視の目、施設入所地獄(自分の意思で入所施設を選ぶことがほぼ出来ないので(入れてくれるところがない)入れるところに強引に入れさせられることになりますが、そこはだいたい、ねぇ……)などなど。また年金に関しても障害年金(年金を払い続けていた状態であれば障害を受けたときもらえるようになる年金。払ってないと貰えない=老後を気にするあまりに若いうちに障害を負う怪我を受けて年金が貰えない、というハメになる)の話には触れていませんし、マイナンバー導入に伴う国民年金の強制徴収(年金がマイナンバーを使えるようになって源泉徴収から強引に国民年金を吸い取り始めたら……)の可能性もあります。……医療・介護の不平等は本当ですが。年金月20万円までは生活保護準拠で医療はともかく(限度額制度があるので)介護は扱えないかなぁ……。
なのでこういう文章、特に「題名が扇情的なもの」はほぼデタラメ、もしくは片手落ちだと思ったほうがいいです。で、何でそんな事を思って文章を書いたのか……それは多分次の日記で明らかになるかと思います。医者を死神なんて目で見たら本当にさっくり殺されますがな……気負いも躊躇もなくさらっと殺ってくるんですからあの神々(お医者様のこと。決して怒りを面に出さず、神として敬いましょう。カルテに暴れた所業を一旦書き込まれると最期です)は。看護師もまた神です、敬わないとえらいことになります。これについてはまた今度と言う事で、でもやっぱりタイトルが扇情的なものは一歩引いて考えた方が無難です。
それと、ダメ押し。私は年金関係で何度か痛い目にあっているので、正直恨みがあります(文書を送ったことも一度だけあります。滅茶苦茶怒鳴られました)。勿論本当に本を書くとしたらそんな事どこにも書きません。書きませんがこの恨みは必ずバイアスとなって文章に影響してきます。扇情的な本はいっぱいありますが、「その人がある特定の制度を個人的に恨んでる」なんて説明はしてくれないですよね。だからそういう本を読むときは「単にコイツ恨みでもあるんじゃねぇか?」と思って読むと、より真実が見えてくるかもしれないです。
騙されるな、と言い出す奴が一番怪しい。これ、定説です。
逆ギレっていう位だからいくらそれが「身から出た錆」であっても、一旦キレたら関係ない。謝り続けて溜まった鬱憤、謝り続ければたとえどのような理由であっても人間必ず鬱憤が溜まるが、それが逆ギレによって一気に爆発し、時に凄まじい事件に発展してしまう。日常でも経験があるとは思うし振り返ってみれば思い出にあると思うが、喧嘩や惨事といったものの中で一番規模が大きかったものは恐らく普段から腕っ節の強い奴の喧嘩よりも、逆に虐げられ続けていた奴の逆ギレだったのではないかと思う。爆発した奴には手がつけられない……そういう惨劇については説明するまでもなく経験で理解できるのではないだろうか。
だからこそ、もし戦後70年経過したということそんなにも価値のある節目だというのであれば、謝罪をやめるという決断こそが平和に繋がると強く思う。平和を志すからこそ謝罪を止める……世の中に沢山ある自称平和団体からしてみれば卒倒しそうな言葉だろうが、私からすれば謝罪を強要し続け日本人に鬱憤を嫌という程蓄積させたが故に、逆に日本がそういう平和団体の求める姿に向かわなくなったし、これからはよりその傾向が強くなっていく気がする。最近ようやく日本がまともな国になりつつあるが、これは単に中国がみえみえの侵略を(恐ろしいのがこれを中国人は侵略と思ってないことだよなぁ……)したからでも、政権を担当している人間が極右だから(この人が右翼だとは全然私は思いませんが……戦前の日本の再評価をするなら、戦争指導でしくじって天皇家を存亡の危機においやった軍人を改めて処罰すべきだと思うけど、しないだろうなぁ……)でもなく、やはり日本人の心の中に鬱憤が強く溜まっていたからだ。
勿論それに対して自称平和団体は「つ、つ、罪の意識が足りないわっ! 私達は罪人、そう、生まれながらの咎人なのよっ!!! さぁ懺悔なさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」とでも言うのかもしれないが、そんな事言ったってやはり日本人も人間である。それがどれだけ論理的に正しいことであったとしても、やっぱり人間=動物的感性において鬱憤というのは溜まっていってしまう。総じて左派と呼ばれる方々はこういう人間の、「やっぱり人間も動物だもの。嫌な事は嫌だわなぁ」というぞろっぺな部分を全く理解せず、机上の論にて相手を従わせる、従うのが当然という態度をとって、人間の生命としての狡さや本能といったものに本当に目を向けていない。だから今でも同じように謝罪を年がら年中求め、その為鬱憤が溜まって逆に俗に右派と呼ばれる政権が支持されるという自爆状態を作っているのだ。
……などと書くとどういう訳か必ずドイツが引き合いに出され、ドイツは今でも謝罪している、だから私達も謝罪するのよっ! と、単にお前が謝罪マニアなだけじゃないのか? と疑いたくなるような話が出る。しかし(多分こういう奴に限って本当は真実を知っているとは思うが)ドイツの謝罪の根本にあるのは、”あれはナチスがやったことじゃ。俺らは直接関係ねーよ”である。実際ドイツでナチスの犯罪の謝罪があるという事は聞いているが、では現在のドイツ人がそのナチスの罪を自分の罪として考えているか、という観点だとまるで「NO」である。先祖の不出来を詫びる、ただし罪の相続はしない。ここが日本で知識人が求める謝罪とドイツの謝罪の根本的な相違であり、ドイツの本当の姿勢、つまり過去は過去として完全に割り切り他者の起こした問題として処分する、という姿勢が分かるのである。だいたいもしドイツが本気で賠償云々を思っているなら、ユダヤ人以外の周辺国にもそれはそれは甚大な被害を出したがあれはどうしてくれるのか、という事が当然提起されるはずである。この点ドイツは周辺国に謝罪をしてなかったように思うが、何故かこの点が報道されることはなく、だからこそドイツの首相が日本に来た時、アジアでドイツが模範的といわれている一方実際は全然違うことを自分自身で分かっていたから、歴史的な事について何一つ触れることをしなかったのだ。あそこで日本を批判したら最後、自国がユダヤ人以外に賠償していないことを逆に指摘されるだけ……それが重々分かっていたから、結局何も言わずに帰ったのだろう。
とはいえ私はこのドイツの姿勢は謝罪を継承しない=国民に鬱憤を蓄積させない、というやり方はとても正しいと思う。逆に目の前の利益につられて謝罪謝罪と続けて、その後溜まった鬱憤が爆発したら誰が責任をとってくれるのか……何より日本もドイツも鬱憤爆発の前科を持っている国である。ドイツは第一次世界大戦の非常識な賠償請求で鬱憤が爆発し、日本はじわじわとアメリカに追い詰められて鬱憤が爆発し、それがひいては第二次世界大戦に繋がったのだと思っている。
だからこそ、もう鬱憤をためるようなことはすべきではない。
そしてそれこそが平和の為である。図々しいといわれようが日本人も人間である、過去がどうであろうが謝っていれば必ず鬱憤が溜まる。そして鬱憤が極限まで行けば必ずいつか爆発する。既に日本はこの70年間鬱憤を溜めに溜め続けていて、深層心理的にはもう限界のところまで来ているのではないかと思う。もしここで鬱憤を溜めさせるような行為から手を洗わずにずっと進めば……その先に待っているのは結局あの爆発だと思うのだ。
人間はやはり人間でしかなく、動物の一種である。そういう論理だけで行動することが出来ない、生命としての本能、ぞろっぺな部分があることを認め、正々堂々謝罪を止めるべきだと思う。特にアジアと日本が実力伯仲になってきた今、鬱憤はすぐに蓄積される。平和を求めるから謝罪はしない……私はこの道にこそ正義があるように思えてならないのだ。
一応書くだけ書いておくと、私は日本があの時代正しいことをしたとはほんの欠片も思っていない。単に戦略が拙かっただけで、態々東南アジアを解放する為に欧米列強に挑む、という話はまずあり得ないと思っている。その後東南アジアの諸国は確かに独立したがそれは結果論であり、言うなれば”泥棒が家に入ってきてそれまで家に居座った泥棒を殺した姿を見、「あ、白人でも刺せば死ぬんだ」と東南アジアの人が再認識した”というだけのことで、そのきっかけは与えたかもしれないが泥棒は所詮泥棒である。そうではない、欧米の支配から解放するために……というのであれば当然その前から植民地支配、特に東南アジアの状況について声高に異議を唱えているはずで、更にそういった世論が強く巻き起こっているはずなのだが、それがない。大体満州事変が起こった時に世論は軍部を大歓迎していたわけで……それで東南アジアにたまたま行ったから解放のためと言われてもなぁ……。と、私は思っているし、一方で生きるか死ぬかの世界で行きぬくために手段を選ばないのは当然のことだとも思っているので、謝罪の必要がそこまであるのかという結論に行きやすいのかもしれない。
平和を目指す、だからもう、二度と貴方達には謝りません。
これが正々堂々やれる世の中になってくれたらなぁ……。
勿論この話は現在基地問題でゆれる沖縄を想定しているもので、例えば第二次世界大戦時、沖縄が地上戦の舞台になった理由は(その内情やそこに到る経緯は別としても)まさにこの一つに尽きるのである。日本軍が潤沢な兵力や火力を持っていればそもそも上陸はさせなかっただろうし(上陸させるより水際で叩いたほうがずっと戦闘が有利だから)、米軍だってそんな状態の島に襲い掛かることはなかっただろう。また逆に日本軍が殆どいない状態であったなら、これまた地上戦にはならなかった。戦う必要がないからである。勿論狂っている米軍が現地の人間を皆殺しにする懸念はあるがそれは単なる虐殺であり、そもそも戦争以前の品性の話になる。つまり戦争に限定するなら、”相手が上陸しようと思わないほどの兵力を持っているか、それとも抵抗できる兵力が一兵もないか”という状況であれば、その後の虐殺を抜きにするなら地上戦は発生しないのである。
その視点で現在の沖縄の世論を聞いていると、なんと言うか中途半端というか、自ら地上戦がしたくてしたくて仕方ないとしか思えなくなってくる。米軍基地削減の要求、それ自体は沖縄の人たちの生存権の問題だから必要なのかもしれないが、だとするならば同時に自衛隊の全面撤兵も訴えるべきである。米軍基地が全てなくなる……そんな事まず発生しないと思ってはいるが、もし沖縄の要求が通ってそんな事が発生した日には、自衛隊を即時撤兵させない限り即座に沖縄は地上戦だろう。米兵が完全にいなくなって自衛隊のみになった沖縄……こんなもの周辺諸国の格好の餌食であると同時に、更にまずいことに前述した「中途半端な兵力が残っている」状態でもある。もしこの状態で沖縄に攻め込まれたら自衛隊は必ず地上戦を選択する……というよりも逃げ場がない以上それしか選択の道がないのだ。勿論”自衛隊だけ集団で死ね。沖縄人はちゅら海で生きる”と自衛隊員を殺す選択をするならそれは別だが、そこまで残虐になれないのなら、米軍撤退の要求を出すなら同時に自衛隊撤兵の要求もしなければ、単に地上戦を招くだけの行為にしかならないのだ。
またこのような事を書いていると沖縄が攻められるはずがない、という反論が予想されはするのだが、その場合はまず「沖縄は自国の領土だと憲法に明記している上国交がない国が傍にある」ことを思い出すべきだと思う。これはもうぶっちゃけ台湾のことだけれども、台湾は元々の領土が狭い為か実は結構これに真剣で、尖閣諸島をめぐる争いの中で唯一軍艦で出張って大砲で襲撃したのはこの台湾だけであったりする。あの中国でさえやらなかった軍艦での大砲攻撃、これを米兵がいるのに平気で行う台湾が既に傍にいるのに米兵がいなくなれば安心、というのは意味が分からない。米兵がいなくなって一体どうやって台湾と交渉するのか。「自分達はこの沖縄で平和に生きていく」と言ったところで、「ふざけるな、沖縄は台湾固有の領土だ」と反論されて終わりである。実際中国の場合今更沖縄はわが固有の領土だと主張して攻め込んだところで周囲からは単なる侵略としか見られないが、台湾の場合は建国当時からそんな事を言っているのだ。その台湾が攻め込んでも果たして侵略と判断されるかどうか、そして中国にしてみれば沖縄は自国の領土でなくても台湾は中国の領土という主張はしているので、一時的に台湾に沖縄を占領させるという手段そのものは算段として成立しえるのである。
……話がそれた。私は別に沖縄がどのような選択をしようがそれは沖縄の自由であろうと考えているが、一方でそれにしては何がしたいのか良く分からない、という印象なのだ。辺野古やら普天間やらを返還させて平和な沖縄を目指す、というなら、同時に自衛隊の撤兵も求めなければ駄目なのである。前述したように沖縄にとって最悪のケースは米軍が全面撤退する上に自衛隊が残るというパターンで、こうなってしまうともういつ地上戦が再発するか分からなくなる。だから米軍の撤退を本気で要求し、かつ、地上戦でみんなで死にたいと思っていないのであるならば、同時に自衛隊も撤兵するよう要求しなければ駄目なのだろうと思うのだ。
問題の全ては歴史に由来する。……そもそも話がここまでこじれた最大の理由は米兵の占領でも琉球処分でもなく、「尚氏政権があんまりにも愚劣過ぎて、沖縄としてのアイデンティティのよりどころが存在しない」というところにあると考えている。過去沖縄が独立国であった頃の政権がとてもまともで模範的で、それこそ後世に受け継がれるほど素晴らしいものであったのであれば、そこにアイデンティティを求めて一つになって動けたであろう。”新しい独立国として独立を目指す”より”古きよき昔の独立状態に戻す”というスローガンのほうがずっと動員は楽だし、皆の納得は得やすい。ただこの昔の独立状態というのがあんまりに酷すぎるというか……琉球処分があった時抵抗したのは琉球王朝の官吏のみで、民衆は尚氏が引き立てられるのを大歓迎。なんといっても「尚氏滅亡大歓迎、死んじまえ祭り」が沖縄各地で開かれるほど嫌悪されていたというのだから、これではアイデンティティになりようがない。むしろ逆、尚氏時代に戻りたいのかといわれれば、歴史を知っていれば知っているほど、冗談じゃないとなるはずだ。
それでも米軍のみの基地撤退を求めるというのであれば、再びこの世の地獄が舞い降りることになるような気がする。別にこの動きを批判するつもりはない、けど、その事態は想定しておかなくていいのかな、と思う今日この頃でした。
安保法案が相変わらず党利党略しか考えない民主と、若手は選挙区で勝てるからいいものの、代表や幹部連中は次の総選挙による比例議席減少により絶対に落選する為、民主党の情けにすがるしかなかった維新のせいで遅れはしたが、ようやく衆議院を通過した。あとは六十日待てば成立する……どのみち民主は日本の事など考えておらず、要するに自分たちが政権を取るために相手をいかに殺せるかしか頭にないのだから(内閣の支持率がここまで下がっているのに、野党第一党の支持率も下がるというのははっきり言って異様であり、国民が政権に反対する存在は肯定していても民主党のやり方は全く肯定していないのがはっきり見えている。というより、この状況でも支持率下げるとかどれだけ嫌われているんだこの党は)、六十日を耐え忍んで成立させればそれでいい。どうせ審議を重ねたところで本当の理由、「中国が狂っているので防衛策を講じる」という真実は誰も口にはできないのだから。
今回の安保法制の狙いはほぼ100%中国である。中国という国は基本恥という概念が全くなく、その上正義は全て力で決める、はっきりいって滅茶苦茶な国である。東シナ海の日中中間線を認めないという発想も意味不明だが(互いに重なっているところを調整しましょう、という提案の答えが「中国の領域は全部中国のもの。重なっていようが関係ない」だからなぁ)、南シナ海の領有権主張の地図を見たとき、中国人はこれ見て全く恥を覚えないのか、と思う。周辺国には領海以外の全てを認めないってあのねぇ……その上これに抗議したフィリピンだったかベトナムだったかに対する中国の答えは「小国が大国の外交に口を出すべきではない」である。つまり小国相手には話し合いすらする気はない、という返答を中国はするのである。最早こうなってくると、というよりも山野の獣同様力を示さないとわからないなら、松明を盛大に焚いて追い払うより術はない。滅茶苦茶な要求に加え、小国相手には話し合いをしない、と明言しているのだから。こんな相手にどうやったら平和的交渉ができるのか。安保法制の反対意見が全国的な運動にならない最大の理由はここで、じゃああの暴虐な中国をどうやって抑えるんだ話し合いしないって言ってるのに、という言葉への返答がなにもないからだ。
更に言えば今後20年で中国はまず崩壊する。これは別に経済だの予言だのといった話ではなく、理性も道徳も何もないのに工業化ばかり進めた結果環境破壊は壊滅的で、恐らく永遠に復活することはないだろう。人口爆発を防ぐつもりだったのだろうが一人っ子政策による人口の歪みは今後凄まじい高齢社会を生み出すことが確実で、移民をどれほど受け入れたとしてもその穴は決して埋められないだろう。この政策はそもそも中国の政権の基本的性格であるところの「定期的に国民を大虐殺する」 という前提があるから成立する性質のもので、確かに大躍進政策だ数千万人死んじまえ、文化大革命だまた数千万死んじまえ、というあのペースで国民殺しを続けていたなら、高齢社会を憂うことなく(政権によって殺されているので)国家運営を続けられただろう。しかし中国がお家芸の大虐殺を自分の民族にしなくなった結果、最早立ち行かないところまで崩壊が迫ってきてしまったのだ。
だとすると次に何が起こるか。当然「まだ力のあるうちに最大限奪える領地は奪う」という発想である。武田信玄の晩年がまさにそれで、貧しい甲斐・信濃の支えだった金山銀山が枯れ始めたことを知り、信玄は病気であったにも関わらず遠江・三河を侵略に出た。枯れ始めならばまだ勝負できる、その間にこの二つを奪っておけば本国が衰えても奴隷的支配でやっていける……多分そう考えていたのではないだろうか。一応説によると晩年の信玄の出兵は上洛目的と言われているが、私はどうしてもそう思えない。駿河から上洛をしようと思ったら遠江・三河・尾張・美濃・近江を全部抜かないといけなくなる。しかも武田は兵農分離が進んでなかったから戦が出来るのは春までで、大体そんな延々と敵国を通過するのに兵站はどうするんだ、という問題を信玄が考えなかったはずはない。だから上洛と見せかけて織田の動きを封じ、その間に遠江と三河を占領したかっただけなんじゃないかな、というのが実は私の考えだったりする(逆に上洛出来るとすると、織田徳川と何回戦をやってどれだけ勝てばいいのか? まさか平坦は全部徴発で賄うわけでもあるまいに)。
話がそれた。そういうわけで崩壊前に動く、というのが常識的な考えである。となると動き始める前に対応できるよう法整備しておくのは当たり前の事である。日本が戦争に巻き込まれるかもしれない、という懸念があるが、戦争を仕掛けてくるんだから巻き込まれるのは当たり前である。根本的な誤解がここにあると私は思っていて、今回の安保法制は米軍と共にどこかを「攻める」というのんきなものではなく、攻められた時に「守る」為のものである。戦争を仕掛けられているのだから巻き込まれるのは当然、というより巻き込まれているのではなく文字通り戦争をせざるを得ない状況なのである。外交的手段は通じない、その上一度侵略を許すと止まらない……だからこそ安保法制を作り、万が一の時でも確実に援軍が期待できるような体制を作っておく必要があるのだ。
……ここまで書くとまた極右だとか何だとか言われるかもしれないが、特に中国に対しては「占領してもいいから戦争だけには巻き込まないでぇ」が通じない。つまり戦争を仕掛けられたら無条件降伏をすればいい、そうすれば少なくとも殺されることはない、という意見が全然通らないのだ。中国は占領地の人間を容赦なく虐殺する、勿論チベットのように女性に断種手術をさせるか、ウイグルのように核実験場を作りまくって殺し続けるかの違いはあっても、占領地の人間の生命を保証するという概念自体があそこにはない。特にチベットは攻められた時に戦争はいけないと言って無条件降伏をした国である、その国に対する中国の答えは民族虐殺、つまりジェノサイドである。こんな国に占領してもいいから、なんて通じない。殺すんだから。そして何よりも恐ろしいのは、それを中国国民が支持しているという事だ。中国政府はやれ大躍進だやれ文化大革命だやれ懲罰戦争だ民族浄化だとかいってあちこちで殺人をしまくっているが、国民がこれに反対だと言っているところを見たことがない。これはつまり中国がどんな滅茶苦茶な理由で日本や東南アジアに攻め込んだとしても、中国国民は大歓迎するということを意味している。
こんな国が相手なのだ。だから・・・・・・と言えたら、こんなに揉めはしなかったと思うんだけどなぁ。
教育の世界、特に教壇から生徒に発せられる言葉は殆どが理想論の延長線上で、現実では全く通用しない。祝福されない命はない……そんな事は絶対に有り得ない。可愛さ余っての虐待ではなく本当に鬱陶しいだけの存在としてしか子どもを見ずに、周囲からも「近づくとうちの子どもに影響が出るから社会に出すな」と言われている子ども達を沢山知ってる。子どもはお金……虐待通告がされたので児童相談所の保護措置になったと伝えたら激怒した親の言い分は、「子どもがいなくなったら手当てが減るから」というとんでもないものだった。実際子どもを保護した時にその母親は子どもの前で「お金ー、お金ぇぇぇ」と叫び、それを目の当たりにして心が冷えた。子どもの前でそれを言うのか……そして手当てが減らされない処置になったと知るや「じゃあそのままずっと保護してください」……。
少なくとも今の私には、全ての命が無条件で祝福されているなど到底言えないし、誰からも生存を望まれていない命も確かに存在すると知ってしまった。死んだらダメ、誰かが必ず悲しむ……残念ながらそれ程社会は甘くない。むしろ喜び……鬱陶しいと思っている人が死んだら後悔して悲しむ人がいる……本当にそれはお笑い種だ。無関心か、ああ良かったと思う人の方が本当の社会ではずっと多い……少なくとも今の私の本心には、自殺を止めるだけの言葉はない(一応ゲートキーパーなる資格?は持っているのですが……)。社会で必要とされていないと思うのならそれはそうなのだろうし、皆がその死に安堵し喜ぶ、そういう命も普通にある。ただそれを誰も言わないのは言って本当に死んだら面倒だから……カウンセラーに通っている人の調査の為にそのカウンセラーと話をした事もあったが、「あの人ほんと嫌ですね。○○○いいのに」とか普通に言ってた。
親子……親が亡くなって嬉々としている子どもを結構見てるよなぁ。親が亡くなったと知って初めて此方の呼びかけに応じて来てくれた子ども曰く、「有難うございました。これでお金がもらえます」。親の死に目にも会いに来なかったその子は、実はいつの間にか親に死亡保険をかけており(受け取りは自分)、それがもらえるのが嬉しくてたまらず感謝を述べにきたのだそうだ。「あ、遺骨は無縁でお願いします」、ついでのようにそう言った表情は喜びに満ち溢れており、本当は心で悲しんでいる、なんてファンタジーは欠片もなかった。親に何度も膝蹴り入れて年金使いこんだ奴もいたし。
有り得ない考えをする奴もいる。「高梨さん、○○轢いたことあります?楽しいですよ、ゴムマリみたいにぼーん、と跳ねるから」……最初この人が何を言っているか分からなかったが話の末に、○○を車で轢くのが好きだという事が最後に分かった。一体何故? と思ってみても、そもそもそういう事が好きな人ってそれを疑問にも思わないわけで。その人曰く○○は証拠証言能力が低いので裁判になっても好き勝手歪められるとの事で、実際その後また同じ事をしてそれから二度と会ってない。でも被害者の事なんて何も思っていない、というよりそれは一体何、食べ物? という人だったのは確かだ。
そしていじめ。犯罪だとは勿論思うが、実際のところ巷間言われているようなたいそうな理由はまるでない。春だから、今日は雨だから殴り飛ばした。相手の気持ちを知る気はないし、知ってもだから何だと殴る。死にたいならば死ねばいい、それが何か?……いじめる側にしてみると道端の石ころを蹴っているようなもので、いちいちそんな事覚えてもいないし、石ころが死のうが生きようが知ったことではない。学校ではいじめは許されず、皆が人権尊重できるような暖かなクラスを作れと話されるが、そんなもんが話で出来たら生きる苦労はまるでない。というより、多分それをまともに信じて社会に出たらその子は絶対に大変になる。いじめているから社会悪で世間から制裁される? そんな事があるワケがない。会社で陰湿ないじめをうけて辞めた、と言う話を何度も聞いたが、会社はそもそも営利目的だから儲けが大きければそもそも排除されるなんてことは有り得ない。だから今の私はいじめはダメで絶対に加担してはならない、と空言を本当に述べられるのか正直自身が持てないでいる。そうやってええかっこしいに走って潰れていった人を何人も見てきた、世間はやっぱり……甘くはないのだ。
教員採用まであと二ヶ月を切った今、全然懲りない私は現在臨戦態勢の真っ最中。多分私も私でかなりアレだから、こんな事今は書いているけれど、いざ面接試験ともなればそれはそれは素晴らしい空語を言うのだろう。私は自身の真については全く自信はもってないけれど、空語に関してだけは自信がある。何を言えば相手が喜ぶか、何が理想でどう構築して話せば評価が高くなるのか……それに関する”知識”は豊富で多分またそれを使うのだろうが……それが現実では全然通じないと知りながらやるのだから、やっぱり私はアレな人間なのだろう。
教員は世間知らずであるべき。
久々に論文対策とか面接対策の本を読んで爆笑してそう痛感した。本当に大の大人でこんな事思ってたら<自主規制>。でも勿論勝負するときはこの路線で私も戦う、けれど……事実ではないこれらを語ることは無責任ではないのか、生徒の未来を考えるなら生徒に率直に「日本は学歴で殆ど決まるから大学受験は手を抜くな。それと学校がどれだけ嫌いでも高卒資格だけは取っておけ。一切仕事は出来なくなるぞ。あと、不義に怒って燃えて動いても自爆するだけだから周囲の空気を読んで適当に流せ」と言った方がいいのではないか。
教員自身はいい。自分のナルシズムに酔って「いじめのないーー幸せなーーララララーーー世の中をーーーめざしーーー手を取り合ってーーーー」とアホなことを歌うだけで食っていけるんだから。そしてそれはきっと楽しい人生、充実した知識人的な人生になるに違いない。しかし、その教員のナルシズム酔いで騙された生徒の未来は一体どうなるのだ?夢がないと言われようとも現実の理不尽さ厳しさを教えることこそが教育ではないのか?
そしてそんな滅茶苦茶大きな疑問を持っているにも関わらず、結局そんなんおくびにも出さずに面接で綺麗な言葉を無抵抗に並べる……一番腐っているのは自分だという、そんなオチの日記でございました。あと万が一の為に付け加えておくと、死にたい、という気持は「病気」です。病です。それが深いならまず相談すべきは”専門家”なんです。頭が痛い、熱がある、胃が痛い、それで家族や友人に診てもらいに行く人がいないのと同じ。病院にいくのが普通なのです。ですので、悩んでいるのなら病院へ。そして、他人から自殺したいとか相談を受けている人がいたら、迷わず保健所に相談です。そんな冷たいことは出来ない……ですか? いいえ全然的外れです。一見美しい友情にも見えまずが、実際やっていることは「胃の痛みを訴えている友人を素人の自分が診察している」のと同じなんです。医者じゃないんだから……いくら診察したって治るわけないんです。
えーっと……あー、今日の日記は過激なこと書きすぎたかも……ふぉ、フォローが大変……もとい、いじめですが……いじめてくる相手はそれ程強く思ってませんし更正する可能性もほぼないです。それに相手の更正を待ってあげる義理も筋合いもありません。やられたらとっとと逃げましょう。なーに、小学校や中学校に通わなくても全然問題はありゃしません。「いじめられて辛いので別の学校に行きます(もしくは別の施設を利用します)。なので単位認定してください」と言ってやればそれでいいのです。高校は通信で十分、そして大学だといじめで拘束されるなんてことはほぼありませんので、あえて学校に拘る必要はないです。え? それだと何か自分に問題があるのかもと不安になる? 全く違います。そもそも40人も同じ部屋に幽閉して8時間も過ごさせる事自体がアホなのです。いじめをするのは人間だけ? 違います。それは自然界では人間社会のようなストレスを受けないからの話で、一つの水槽に40匹のザリガニをぶち込んで御覧なさい。連中速攻で共食いしますから。共食いしない種もいる? でも、ストレスで多分皆やられます。あんな狭いところに40人……俺らは養豚場の家畜じゃねぇ、っていう話ですよ! 少なくとも学校集団の為に死ぬなんてあまりにも勿体ないです。そして、親が理解しないのならもうレッツ役所。受付窓口でそれをぶちまけたら必ずそれ専門の相談員なり職員が、駆けつけて対処してくれます。
あと何をフォローすればいいんだ……えーっと、親子関係ですか。残念ながらどうしようもない親というのはいます。これは変えられません。親だから愛情をいつか持ってくれて云々というのは非常に危険です(それまで持たないこともあるので)。そういう時もまた上記手段。日本には里親制度というのものがありますから、そういうものを活用すればいいのです。加えて里親の場合は虐待出来ないように監視されてますので、普通の親よりはむしろ安心です。
というわけで、「危ないことを書いて後で後悔して、といって折角書いたから消すのもなぁ、と思った結果フォローに走るはめになった」しょーもない日記でありました。あ、フォローと書きましたけれどこれは全部本当です。自殺のくだりはゲートキーパーの研修のときに聞いた話しだし、学校制度が各国でばらばらで今あるものが絶対じゃないです。里親もあれ登録するにはすごい研修が必要なので。
救いはいっぱいあります。救いがない、と思ったときは、単に救われるための手段が知識としてない、というだけのことです(かといって宗教に走るのだけは……いや、そんな事書くとまたフォローしなければならなくなる……いや、それでも宗教に走るのだけは絶対に……)。幸いなことに世の中にはお節介や世話焼きが本当に多いです。だから、結構全部まとめて大丈夫です。はい。
マイナンバーについて調べて分かった主なことは、「就職及び在職に必要」・「雇用保険を受けるのに必要」・「労災認定を受けるのに必要」・「住民登録地に住んでいないと絶対に届かない」というこの四つだった。マイナンバーの発送方法は全国一律で簡易書留の「転送不要」方式、つまりその住所登録した場所に実際に住んでいなければ絶対に手に入らないやり方だ(どう手に入らないかは前回日記を参照)。つまりマイナンバーが本格的に使用される前に住処を確保して住民票を写しておかないと手には入らず、そして手に入らなければ人間として最低限必要な社会保障すら受けられなくなる。
勤労の権利、剥奪されますね。源泉徴収手続きできない社員だけ別枠で抱えて雇用を続ける? そんな会社はないでしょう。制度的にも無理でしょうしね。出せないなら解雇、そう考えるのが自然でしょうね。
それを理由に解雇されても、社会保障は一切使えないよね。雇用保険を使うについてもマイナンバーは必要だから。いくら前の会社で長年勤めていて雇用保険でしのげるほど出る予定であっても、そもそも手続きが出来ないんだから。
そうやって失業した人の仕事って、安全なものとは思えないんだ。マイナンバーがないから真っ当な企業では働けない、だってアルバイトですらマイナンバーがなければ出来ないんだから。そういう人を雇ってくれるところの仕事……要するに源泉徴収をやらないようなところ、だよね。でもそこでたとえ怪我しても、労災が出ることもないんだ……。だって手続きが出来ないんだから。手続きをするには、このマイナンバーがなければ何も出来ないんだから。
そう、この番号を得られない人間は、社会保障を全て剥奪される。仕事を追われ真っ当な保護も受けられず、怪しい仕事しか出来なくなるんだ。
多分こんな話をしたら「だったら住民票を移して普通に住めばいいだろう」という話になるだろうけど、それが出来る人ばかりではないのは絶対分かっていると思う。住民票を動かすということは、それが借金取りであれ、昔自分を虐待した親族であれ、探偵であれ、ほぼ全ての人に自分の居場所を知らせるという事。「普通に生きてきた人なら知られても何も困らないだろ」、……普通に生きてきた人ばかりなら日本に警察なんぞいりません。統計によるとホームレスの総数は二千人? という一体どういう数え方したらそうなるんだよ、という数字を政府は本物と認識しているようだけど、……とんでもない。住民票を移せずにいる人は沢山いる、そして家を失っている例えばネットカフェ難民といわれるような人も沢山いる、その人たちがようやく何とか得ていた仕事さえ、住民票の住所に住んでいないという理由で奪われ、最後には全ての社会保障を剥奪され裏社会へと突き落とされるのだ。
決してこれは……脅しでやっているようなことじゃない。実際住民票どおりの住所に住んでいない人についての特例、として政府が考えているのは、どうやらDVと震災被害者だけ。自業自得、に見えるんだろうなぁ……借金こさえて逃げ回ってる人への対策は一切記載がない。人間関係が色々あって住所を誰にも知られたくない人、そして、派遣切りやその他の事情でネットカフェ難民になった人、そういう住民票住所に住みたくても住めない人への配慮もまるでない。
たとえそこにいたる理由がどうであれ、ここまでナンバーがなければ社会保障を受けられない、というのなら、最低でも政府は国民全員に番号を届ける義務があるのではないか? 住んでください、ではなく、届けろ。そこまで番号がなければ基本的人権も満たされない程社会保障を奪うなら、届ける義務を課すべきだし、住んでくれとか何その態度。住みたくても住めない、経済的事情・人間関係的事情・就業的事情をもった人間はわんさかいるんだよ! その人たちの明日の糧を奪うような真似を何でするのだ。源泉徴収できない人間を会社が雇い続けるわけないだろう……。
しかしそうは言っても制度は粛々と実行されるだろう。受け取る為にはネットカフェでもどこでも住民登録が出来る場所を見つけてそこに住民票を移しておくか、激安のシェアハウスに一ヶ月だけ身を寄せるか、それぐらいしか手がないだろう。だがそれだけの資金がもしも用意できなかったら? 規定が厳しくて住民登録できるネットカフェがそれ程なかったら(特に田舎)。どうしても自分の今いる場所を誰にも知られたくない、という人がいたなら? その人が自分で役所に行って手に入るようにどうしてしない? 何故住民登録とその通りに住んでいることを強制するのだ?
……別にこの法案があの小沢氏を潰した菅とやらが作った法案だから許せない、という訳では決して今回はない。せめて前々回の総選挙で国民の生活だ第一のままで戦っていればこんな事には、未来の党が民主党を散々痛めつけたから漁夫の利で勝っている分際で何なんだあいつらは……という腹いせみたいなこともない。やはり私自身も結構危ない橋を渡りまくっているという事が体験として大きくて、ギリギリの走行の中でもし別の道を曲がっていたらと思うとやはり他人事とは思えない。最近見るマイナンバーの論評は全て受け取った後のことについてばかり。
でもそれ以前に受け取れなくて社会保障を剥奪される国民が多いことに気づいてくれや。それで仕事を失って裏世界にしか場所がなくなる人が増えたら、困るのは政府のはず。
やはり、国民の生活が第一、なのだ。”ゆかいななかまたち”では決してない!!
今年の10月から配布が始まり来年の1月から制度の活用が始まるマイナンバーというのがあるが、聞くたびそして調べるたびに題名のような印象を受ける。この制度、ごくごく簡単に表現してしまうと「今年の10月の上旬に、貴方の住民票の登録地に向けてマイナンバーの通知の手紙を送るよ♪ それで、来年の一月から勤め先が源泉徴収の手続きするときとかにその数字が必要になるから、その時は企業に提出してね♪♪」というものなのだが……裏を返すとまずこのナンバー、住民票登録地に正しく住んでいなければほぼ絶対に受け取ることが出来ないと思う。通常様々な理由で住民票登録地に住んでいない人の場合、転送届という届を郵便局に出して自分が受け取れる場所を指定し、「この住所(=住民登録地)に私宛に郵便物が届いたら、ここ(自分が指定した場所)に転送してね」という手続きをしてしのいでいるのだが……今回はこれが通じない。というのも転送届で対処できるのは通常の郵便のみで、文字通り「転送不要」の指定で相手側から発送されると不在票さえ指定した場所に届くことなく、機械的に送り先、つまりこの場合は役所に戻ってしまうのだ。
勿論10月の段階ですぐに困るという事はない。ないが、来年の1月から企業が源泉徴収をするときその従業員のマイナンバーを添付することになっているから、「源泉徴収をするようなまともな企業に勤めていると、必ず番号の提出を求められる」ことになる。つまり転送届でしのいでいた人の場合、居住地には住んでいなくともまともな仕事についていた人は、源泉徴収の手続きが出来ないと企業に言われ、恐らくその職を追われることになってしまうのだ。
これで困るのは例えばDVを受けていて別の場所に避難している人、借金をして逃げている人、そして住居を失っている状態、所謂ネットカフェ難民等の人々になる。何せ10月になっても自分の手元にはそういう届けが来たけど戻しましたからねー、という通知すら届かず、それでいて1月にはマイナンバーを提出しろと迫られる。しかし提出しろといわれても手に入れられない事情があるわけで、役所に直接取りに向かったところで「え? そこに住んでいないの? なら住民票消さないと」という事になるのが関の山だ。DV被害者にはそれなりの対応がある、という話は聞くが、逆に借金で逃げてる人やネットカフェ難民の方についての特別措置を私はまだ見つけられずにいる。
いや勿論住民票を正しい場所に置くのが正解なんだろうけど……借金で逃げている人の場合、住民票を異動させると借金の督促をしている人にその住所を捕捉されるから出せないだろうし、ネットカフェ難民にしても、そもそもそこが住所地と認められなければ「ここに住んでいるので登録させて」と交渉しても相手にされない。でもナンバーを手に入れることが出来なければ源泉徴収をするまともな職は失うことになるんだが……これって、よりこういう立場の人達を追い詰めるのが目的なのか、ひょっとして。
借金があると金を貸している人はいつでも借りている人の住民票を見れるので(勿論色々手続きはあるけど)、異動したとなればすぐに居場所が判明し、そこに借金取りが取り立てに向かうことになるだろう。だから、友人や知人に住居地登録をさせてくれ、とも安易には言えない。言えばそこに借金取りが行くことになってしまい、凄まじい迷惑をかけてしまう……といって、転送不要の郵便物を合法的に受け取ることはほぼ不可能なので、それをしなければまともな職場には要られなくなる……。そして、そう考えていくとこの法案でそういう人が多く失職する、それも目的の一つか、と勘繰ってしまう。
それが即ち、人返しの法。
要するに「住民登録のない人間は田舎に帰れ」という江戸時代の法律なのだが(正確には江戸生まれでない奴は、だけど)、それの平成版ともいえる事態が起きるのではないだろうか。仮にネットカフェに住民登録をおいてしのいだとしても、あのナンバーは「住所が明記される」上に「転居転入するたびにその住所を下に羅列する」ことになるから、マイナンバー提出のときに自分の住まいと状況が相手に発覚してしまう(いやネットカフェが家っぽい名前で、場所が駅前じゃなくて郊外だったらいいんだけどさ……)。それを元々相手が知っているならば対応は出来るがもしも知らなかったら、昔の住所で仕事をしていたら……その時相手側は「この人雇ってて大丈夫だろうか」と必ず思うのではないだろうか。
現世は夢、夜の夢こそ真。
「住民登録地にマイナンバー送るから”そこ以外には届かない”からね。だから住民登録地に絶対に住んでなきゃ駄目だよ、”住んでない人の事情は加味しないけど(除くDV)ね”。あ、そうそう、それで来年からマイナンバーの書いてない源泉徴収の書類を企業から提出されても受理しないから、マイナンバーをもらえてない人は企業から首になってまともな職を失うかもね。あはは」
……この裏の部分こそ真実なのかもしれない、そういえば在留資格がバカみたいに増えて、外国人労働者も増えるんだよなぁ……なんて思う今日この頃でした。出頭受け取りを全面的に認めないととんでもないことになる気がする……。それにこれって……。
”雇用保険の被保険者の資格を得るためにも必須”なんだよね……。
ナンバーが受け取れない、勤め先が源泉徴収を作れない、辞めさせられた、ハローワークに行ってはみたけど失業給付も受けられない……おいおい、ほんとこれ大丈夫か? やはり今こそ生活の党が頑張らねば(以下削除)、沖縄○立を最初に認めた国政政党という立場を得られれば次の参院選、ギリギリで大甘予測で現状維持が可能か……。東北を諦め、沖縄と九州の比例で……更に柔道王様が党にお残り下さると激甘判断を加えて……嗚呼……。何故にわざわざ参議院辞めて県知事になろうとするんだ……(以下強制削除)
現状の理解、といってもそれはイスラム国云々の話ではなく、「戦後70年の節目」という名前の危機的状況である。勿論日本から被害をこうむった国が恨み続ける事を否定はしないが、今回の節目では日本の周辺国がそれぞれの国内事情を由来として、団結する可能性がかなりある。韓国・中国・ロシア……本来なら事情が全然違うため団結なんてそもそも出来ないはずだが(中国はいいとしてもロシアが参戦したのは本当にギリギリの段階だったし、韓国に到っては日本人として各地で戦ってないか……?)、それぞれの国がまずい状況を抱えそれを解決できない中、この昔の事を言い出して不平不満の目を外に向け、かつ権益拡大の為にこの節目を利用する可能性は本当にあると思っている。不動産バブルなんて甘いことを言うまでもなく、歪な年齢層と公害の深刻化と富の偏在でこのまま行ったら自滅しそうな中国(だから”今”、出来る限り勢力を広げておくしかないと考えているような気がする)、クリミアで失敗して非難されまくっているロシア、そして北朝鮮に攻め込まれた本当の理由をすっかり忘れている韓国、この三つが何かやらかすという事はほぼ確実な情勢に見える。
しかもこの三カ国が第二次世界大戦の事をネタにする限り、欧米諸国も反論は出来ない。アメリカは日本によって大量の死者を出しているし、欧州が植民地の大半を失ったのは日本が現地で荒らしまくったからである。日本が植民地の独立を促した、などと書く気は毛頭ないが、もしあの戦前の時に日本がハル・ノートで屈服して東南アジアを乱していなければ、今でもあそこは植民地のままで、それによって欧州は莫大な利益を得続けられたはずである(日本は独立を促したわけでもなんでもないが、欧州人を蹴散らしたことで「あいつら無敵じゃねぇ」という事が東南アジアの人々にバレてしまって、「じゃあ戦うわ」という発想につながり、それによって独立が相次いだ。別に日本が独立を画策していたわけではなく、もしも日本が勝っていたなら普通に東南アジアを植民地にしていただけの話)。日本は昔のこと、として忘れているかもしれないが、欧州、特に今もう経済ぐちゃぐちゃの諸国にしてみればふざけんじゃねぇぞ!、と思ってこそいて、間違っても日本の肩を持つ心境にはなれないだろう。
つまりこのような敵の団結と味方勢力の中立化の同時発生、という危機が今年にはあるのである。日本が直面している本当の危機は将にこれであり、決して中東情勢という訳ではないのだ。何としてでもこの状況は回避したい……しかし今更昔の事を変えることは出来ない……となると、最早「上書き」しかあり得ない。70年前のことについて連合国軍側に入れないのなら、今現在の戦争において連合国軍に入るしかない。そして「昔はそうだったけれども今は立派に連合軍の一員」と言い張って、周囲に認めてもらうしかない。ではその為はどうするか、今連合国軍に入ったと評価される行動は何なのか。きっとこの点について政府は一番懸念していたはずである。そしてそんな時に目に入ったのが……各国が交渉さえ拒むイスラム国という存在である。このイスラム国と戦っているという事を世界中に認知させられれば、そしてイスラム国はとても脅威の強い国で昔の事を言っている場合ではない、と反論できれば、そして何より、そのイスラム国との戦いで日本が戦死者を出していたなら……。だからこそ日本人が捕まっていると知りながらあえて現地で相手勢力を挑発して見せたと思っているし、だからこそ人質解放交渉については「あえて何もしなかった」のだと私は密かに考えている。
中東のあんなとこで挑発をすれば必ずイスラム国は食いついてくる。そして人質が取られた、残忍な扱いを受けた、それでも日本政府は屈しない、そして人質が殺された……このように話が流れるとすれば、「戦後70年目の節目」という危機を抱えている日本にとっては人質の命はともかくとして非常にプラスが大きいのである。この一件がいつまで持つかは分からないが、すくなくともこの「戦後70年の節目」という危機を突破する糸口にはこの事件は絶対になるはずである。何時まで過去の事を言っているのか、こっちは既に人死にが出ている、テロとの対策こそ今やるべきことでこっちはそれで頑張っている……その主張が出来る機会が今回の事件であったのだ。
だから日本は当然、交渉に応じるはずがない。それは交渉に応じて下手に評判を下げられるほど余裕のある局面ではないからである。その上この事態は、日本が日本の目的を達成するためにイスラム国を挑発してあえて起こさせたものなのだから、それを日本がどうして自ら鎮めるというのだろう。つまり日本は今回日本の国益を増大させるためあえてイスラム国を挑発して世界で名を上げ、自業自得の戦後70年の節目問題を切り開く突破口を造ったというだけのことなのである。相変わらず報道では日本の弱腰とか交渉力ゼロとか色々言われているが、弱腰も何もこの事態を一番臨んでいたのは日本の上、今回の一件を仕掛けたのは日本の側なのだ。掌の上で踊ったのは日本ではない、挑発にのってビデオを流して人質を殺し、悪戯に日本の名を上げるだけに終わってしまったイスラム国の側なのだ。そしてイスラム国がこのようなことになってしまったのは、日本の報道や世論の中に危機感がまるでなかったため、政府もまた同じように考えているのではと誤解したことが原因なのか、と思っている。今年は危ない、もしそんな世論が大半を占めていたらイスラム国も手を出さなかっただろうし、あえて日本の利益になるような真似を見え透いた挑発を受けてまでやることはなかったに違いないのだ。
つまり今回の一件は、日本が戦後70年の節目を上手く言い逃れるため、日本人の命が奪われる状況を望み、その為にあえてイスラム国を挑発、要するに贄にして名を上げたというだけのことだと思っている。だからこのような方法を選択したことについては大いに批判されるべきだし、テロとの戦いがどうのこうのの前に日本人の命を何だと思っているんだ、という批判は普通にあるべきである。「テロには屈しない。でもお前のやり方は間違っている」、これをはっきり明言する、それが許される雰囲気をまず作ることが今後必要になるのではないか、なんて思う。もっと話を拡大していけば、「自民党政権は仕方ない。でも安倍首相は駄目だ」というアピールを続けることによってしか、今の野党は展望を開けないのではないかと思う。
二人の人命が失われたことは本当に痛ましいことだと思う。しかしただ一点違うとすれば、殺したのはイスラム国ではなく、人命の犠牲を求めた日本の現政権である。わざわざ現地にいって演説し、決起せざるを得ない状況を作り、かつそれを無視した総理である。このことだけはしっかりと理解していかなければならないと思うし、「そうは言っても結局テロした方が悪いじゃないか」という論理に、「じゃああえて挑発して人殺しをさせることは正義なの? 少なくとも、為政者として上手いやり方なの?」と対抗していくことこそが重要になると思う。……でも、これをしたとしてももう「生活」の浮上はないだろうなぁ……、いくら何でもあの頭の痛くなる党名というのではどうしようもない。勿論全然方策がないわけではなく、「沖縄独立を認める」と言い出せば多少の党勢は拡大出来るかも知れないが(沖縄独立論というのは昔からある一方で、確か国政政党で沖縄独立を容認している勢力はなかったと記憶している。社会大衆党も検討レベルだった気がするので……その中で国政政党である生活の党が「沖縄独立容認」の方針を打ち出せば、絶対にマスコミの好意的報道姿勢が戻ってくる。というより、打つならこの手しかないし、やるなら今しかない。沖縄にしてみればたとえ生活の党であったとしても(山なんとかとか死んでも書かんわ!)国政政党が認める、となればそれは大きな事なので)、それでも政党要件が何とか満たせる程度かなぁ。
……誰でもいいから生活に入って、あの○○叩き出せないかなぁ。あの晩節を汚してでも、という決意は立派だとは思うけど、見ていて本当に忍びないので……。
勿論そんなことを言う資格が無いのはわかっているけれど、数多くの選択肢があるなかで私のプレゼンを認めてくれて、更に必ずしも履歴が綺麗ではない我が身にも関わらず採用を決めてくれた先方には、本当に感謝しか言葉がない。実際私もその話が来たとき今度こそは内通を完遂するつもりで、またこれからの人生設計を建設的に考えていくならこの話を受けるしかないとも思っていたし、私が次どんな仕事をすることになるのかも大凡示されていたので、逆にその仕事を私に任せてくれるという決断をしてくれたことにも本当にありがたいと思ってる。こんなことを言う資格が無いのは百も承知だけれど、でも、それだけは本当に動かしがたい事実だった。
ただ、教員から完全に身を引く、という圧倒的事実に耐えることができなかったというだけの話で。
採用決めてから今更そんなこと言うな、新卒の子供じゃあるまいし何言ってんだ、と何を言われても甘受する。私自身もここまで未練がましいというか、自分でも制御できないほどの思いが心の中にあるなんて全く知らなかったのだし・・・・・・そして運命は常に残酷で、そういう自分でも普段認識でない部分に気づくのは大抵、圧倒的な才能や成功を見せつけられて塗炭の苦しみを味わったとき。更にその苦しみを全く心の中で整理できないまま退却の手続きだけを力ずくでやるから、今現在に到っても尚話の決着がつかない、一体どうしてくれる責任とれ、お前のところの所属員教育は一体どうなってるんだ、この落とし前はどう付けるつもりだ、という談判が既に私ではなく私の”上”で進められている。やはり特殊な形での戦いだったから採用するにしても普通より試験は多かったし、だからこそそれを経たのにいきなり撤退なぞやられてしまっては向こうも収まりがつかないのだろう。
「なんで貴方のためだけに、この忙しい時期に何度も苦労しなきゃならんのだ!」
今の所属の人事の怒りもだからこそ至極当然。なんといっても同じようなことをやってからまだ2年も経過していないのに、また同じようなことを今度は全く違うところから言われている。人事にとってこの時期は採用者を決定して雇用保険だの年金だのといった手続き調整をするための時期で、非常に忙しいらしい。にも関わらず2年前、その一番のピーク時に余所から何度も抗議をされて時間を割かれ、また今度も同じように時間を割かれているという。だからこそその怒りはもう収めようもなく、一体次はどこに島流しにされるのか、それとも島流しをされた罪人がその島で罪を犯すと死刑だからとうとう死刑か、とも思うけれども、私の側からのアプローチはもう特に何もできずにいる。私は……来年度の教採のためにもう準備を始めているところだから。
・・・・・・多分もう、私は死ぬまで止められないんだろうなぁ、と今はただただ思うだけだ。そこに何があっても、いや、何もなくても私はブレーキの壊れたダンプのように突っ込んでは破壊し、また突っ込んでは破壊するのだろう。まぁ、それは翌年に話があればというところだが・・・・・・・多分話はつかむことができて、そしてそこでまた揉める。普通は反省するなり諦めるなり出来るのだろうけれど、私はこの諦めるという力がとにかくないらしい。だから無責任といえば余りにも無責任だけれど、感謝するとともに謝罪を心に秘めるしかない。突っ込んで突っ込んで、自分と周囲が傷つくだけだと分かっていても勝負を挑んで決戦に挑む。
その先に何があるかわからなくても、どれほど不安定でも、心の中に残る教育への未練や後悔といったものがこれほど燃え盛った今となっては、もう他に進む道などないから・・・・・・・。あんなたんある偶然で目の前が真っ暗になるという事は、断念するという事は絶対に不可能だと思うから‥・・・。
最早単なる戦中毒。だが、もうそれでも構わない。もう止まらない、そう決めた。
師走に突然降って沸いた解散総選挙という乱は、自由民主党の大勝利という結果を示して幕を閉じた。
このことは最早認めざるを得ない。大義なき不意打ち解散、野党の選挙区調整の失敗、立候補者の激減による選択肢の減少など、今回の結果をもたらした要因を列挙していけばきりがないが、それでも圧倒的な議席数を選挙で得たのは自民党である。前例のない低投票率ではあったものの、これも参政権をもつ有権者のある意味においての選択であり、その末に出た今回の結果はやはり民意の表れと言うより外はない。故に、この先四年間どのようなことがあろうとも、日本人はこの民意と共に生活していく外はないのだ。
しかし、国民が示した民意はあくまで自由民主党への支持である。
民主党が12年の総選挙で大敗した要因の一つに、決め切れない政治、誰も責任を取らない政治に対する強い不信感があった。即ち民主党には政権担当能力がなく、一方の自由民主党にはその内容の是非はさておき、政治的な意思決定能力も、民主党には全くなかった信賞必罰の過去があったならばこそ、12年の総選挙そして今回14年の総選挙において国民は自由民主党という政党を支持したのである。それは、街中で「入れるところがないから自由民主党」という言葉は沢山聴いても、一方で「入れるところがないから安倍政権」という言葉を一言も聴かなかったことに如実に現れている。国民が信を投じたのはあくまで、組織として、政党として機能しうる集団としての自由民主党に対してなのだ。
そしてその自由民主党は、来年総裁選を行う。本来は党内の私的な行動だが、間接民主制、国民は総理を選ぶのではなく総理を決定する会議の場で投票する議員だけを決める、そのような制度を採用しているわが国にとって、こここそがリーダーを決める場所なのだ。自由民主党は圧倒的な数を誇るに到ったが、反面それは多様な考え方が混在していることを意味している。党内には未だ増税推進派は少なくないし、総理の強引な中韓外交に不快感を示してはばからない議員も決して少ない数ではない。原発再稼動に反対する議員もいればTPPに反対する議員もおり、決して現在の安倍総裁の思想や行動が無条件に肯定されているわけではないのだ。
この師走の酷寒の選挙で、議員は皆地元に帰り、民意に直接触れたであろう。日本国民が何を考え、何を望み、どのような行動を願っているか、骨身にしみて分かっているはずだ。だから今度は議員の側が、しっかりと民意を示して欲しい。我々一般国民は総理を選ぶ直接的な権利を付与されているわけではない。だから将に断腸の思いで、現行認められている総理選出の投票を行う人物の選定を行い、その人に全てを託したのである。自分は総理を選ぶ投票権を持たないから、せめて良識ある議員を選ぶ。ただ、その議員にとって欲しい行動はおのずから定まっているのであって、今回総裁選に臨む議員には特にこの国民から託された思いに真剣に耳を傾け、総理に直接民意をぶつけられる機会を絶対に無にするべきではない。総理への信任はまだ完結してないのである。議員の選挙、そして議員による総理の選出、この二つの過程を共に進んで総理になるという事を思えば、今はまだ半分終わっただけなのである。この残り半分を託された方々には、どうかその一票を正しい道に使って欲しいと、ただただ願うばかりなのだ。
民主党は自浄作用を持たず、責任の所在を常に不明瞭にしたからその信用を失墜した。
もしそれを示すことが出来なければ、自由民主党の未来もおのずから定まろうというものである。
……という、妄想があったりなかったり(笑)。
許せないのは分かっているけど、何でわざわざ人事部に通報したりするかな……。こっちは既に前科で所払い食らって島流し中だっていうのに、二度目はねぇよ二度目は……。あーもうどうやって説明しようか……。
なんとしても。なんとしてでも生き残って、来年の教員採用で再起を目指すつもりだけれど、その前にやられてしまいそう……。あの……私が悪いのは重々承知してるんですけど……朝7時台に何度も電話してくるの本当にやめてくれませんか。どこの消費者金融ですか、貴方たちは。いや、闇金か。
「この野郎! 五体無事で済むと思うんじゃねぇぞ!」
こんなこと電話で叫ぶなや。私が録音していたらどないすんねん。
だって私は生きているから。動こうと思えば自発的に幾らでも動けるし、もっと努力が必要だというなら限界一杯までやり切れる。どれだけ悪評が渦巻こうと、年齢制限にひっかかろうと、それでも可能性は決してゼロにはならない。死んでないから、動いているから。奇跡のようなものだと分かっていても、逆に言えば奇跡が起きれば願いはかなうわけで、そして生きているという点で奇跡を狙うべく動けもする。だから私は本当の道に立ち戻ることに決めた。どれだけ悪条件でも厭わない。月曜日に狂ったように心をかき乱されたのが嘘のように静かに、それでいて多分狂気によって鎮静を保っているんだと思う。
今年一年、棒に振った。
色々あれから考えてみたけれど、最後の電話で地獄のように苦しみ悶えたという事は、とどのつまりその道に自分自身が納得していなかったということ。最後の最後で一番負けたくない人に格差を思い知らされて発狂した……面がないわけじゃないけど、それでも達観できなかったのは私自身の心にまだ戦う意思が残っていたからだと想う。そして意思が残っている限り、勝利に向けた戦いを進めることは出来ると想っている。いや、出来るのではなくやるのだ。いつも私は肝心なところで打算に走る悪い癖があるが、それが為にこのような惨めな有様に成り果ててしまったのだ。内定先からは逃亡し、かつ、自分の今済んでいる巣にも火を放った。ここの居心地がそれ程悪くないからいけない……この巣が大火事でぼーぼーで、いたら死ぬという状況になれば、私も新たな能力の覚醒が期せるというものだ。
次謀反したら斬首、といわれながら、再謀反の疑義を自らまいた。もうこれで今の巣には長居出来ない。そして、一年かけて苦労して調べて得た内定を蹴ったことで私のブラックリスト度は更に広がり、教職復帰しかもう道は残っていないような状況になった。
それでいい。
あんな惨めな思いをして夜通し苦しむ位なら、炎の中で死んでくれる。
内定先がどれ程キレようが、自分の巣がどのような状況になろうが、もう知らん。戦う。絶対にこんな現実認めることなど出来はしない。何度でも、何度でも、命尽きるその日まで戦う。その為に私が持っている逃げ道、安定は全て火をかけて燃やしてしまうのが一番だ。燃えろ、燃えろ、燃え尽きてしまえ。自分の巣だといいように火を放ち放題に出来るなぁ……うん。生命がけってのはこういうもの。本当に社会的な死をバックにして初めてその本質に近づける。
静かに、そして狂気を宿し、元の戦列に復帰する。二度とあんな惨めな夜を私は絶対味あわない。
気持ちの整理が全然つかないまま、現職の交流会兼研修会に参加した。でも他所の内定をガメている上にそれに向かう心が粉みじんに粉砕されている私が、そんなものに興味を持てるはずがない。しかし出席が義務だったため、もう肉体だけそこに置いてきたような形で参加だけはしてきた。でも正直、全然頭に入ってこない。
私だって、私だって……好きでこんな事、したわけじゃ……あああああああ!!!現実を見て、将来を見据えれば、これが最善手。でも、でも……くそぉぉぉぉぉ!!
全てを手仕舞いにしして都と教員の双方を捨てるか、と思っていた時に、よりにもよって電話の相手が…………の最中だとは(いやそれ自体が悪いとかそういコトは全くないんだけれども)……そんなのありかよ……。今迄心の中で組み立てていた要するに言い訳のロジックが一気に脱力感と共に崩れていく。それは分かったけどさぁ……そうか、そういう星のめぐりか……よりにもよってこんな時にここを引くのかよ……。
勝手に嫉妬に燃え狂い一度も勝つことの出来なかった相手、じゃあいい加減に諦めろと思うが諦めきれずにまだ都包囲網を続けてる。その嫉妬で自滅したことは一度や二度では足りなかった。しかしどうして当時の私がそうと知りながその激情に身を任せて滅んで行ったかが、今なら分かる気がする。負けられん、捨てられん、逃げられん。たとえここで今舞台から降りたところで、前回のように田舎で悶々と嫉妬と憤怒に燃え狂って自滅してしまうのがオチ。しかしなんという星のめぐりか……実家に帰るべくものすごい努力をして調べまくって、なんとかこの年齢で普通に正規採用を手に入れて、(新企画のプレゼンなんてはじめてやったよ……)現実を見るべし・最早是非もなし、そこまで進めて最後の最後にこれが来るのか……。ひどい、本当天を呪うよ…。
ほんと、正直泣きたいわ。いくら覚悟をそれなりに固めたところで、あれの最中だといわれたら、捨てきれるわけがないじゃないですか。ここで辞退するとえーっと、通算成績っていくつになるの? 16勝66敗? 一体どういう人間なんだよ私はさぁ(笑)。もう嗤うしかないよ、一体何をやっているんだ私の人生。でも、でもここでこの星のめぐり、……引けないよ。やっぱり、もう一度何度でもその世界に復帰するために勝負しなきゃ。「お前ここまでやっといて今更辞退とか絶対許さない」とか恐喝されても…知るか! やはり私にはこの道しかねぇんだよ。適性とか知るか、今年の苦労はソープofウォーター、あーもうなんてこった、こんな星の巡りってありか! くそぉぉぉぉ……うぉぉぉぉぉ、うがーーー!!(相当荒れ狂っております。熊と自撮りにいけるレベルです)
撤退じゃ! 教員以外に降る事なし! ブラックリストに載っている現状を証拠と共に思い知らされても、それでも死ぬまでこの道じゃ!
でも……辞退で許してくれるかなぁ……あそこ。話をまとめるために相当いろいろやったしなぁ。それに特別枠だから、特別枠使って今更星のめぐりがどうとか、天の配剤がどうとか言ったら殺される……。
仕事柄やたらめたら不動産広告、特に新築マンションの広告を見るようになってこのかた、本当に自分でその力を養わないととんでもないことになるんだなぁ、という世知辛さを痛感している。勿論広告が嘘まみれだ、というつもりは全くない。駅から徒歩一分、閑静な住宅街、激安な費用……広告にでかでかと踊る文字自体に嘘はないのだが、しかし同時に誠意もないと思えるものが沢山あった。”不利になることはあえて書かない”、それは当然だろうけれども、それにしても”いくらなんでもここの物件をそう表現することはないだろ……”というものが本当に多く、”あー、これ買ったらあときついだろなぁ”と思うのが今迄沢山あったのだ。
例えば、私が見た「駅から徒歩一分」の物件について。とあるマンションで駅から徒歩一分のところに新築します、というものがあった。そこは確かに駅から徒歩一分の好立地で、書いてある通り歩いて五分のところにスーパーマーケットも確かにある。閑静な住宅街、とまではいかないけれど周辺に騒音を撒き散らすような工場や風俗街があるわけではなく、確かにそれだけ見れば新築分譲マンションでこの値段は驚き、という広告の文句も嘘ではない。駅も別に駅はあるけど一時間に1本、という滅茶苦茶な駅ではないし、その駅前に大きなマンションが建ってそこに住めるのなら、成る程他地域から見れば実に素晴らしい掘り出し物に見えると思った。
ただ、それはあくまでも他地域から見る、もしくは数日間だけ滞在する、といった形でのみこの場所に接したときだけの話……というよりも実は既にこの情報だけでも真相は出ているのだが、この話、そもそも「じゃあなんでその駅前の一等地が今迄空いていたのか」ということと、「駅前なのに歩いて5分のところにスーパーがある(=駅周辺にはない)」ということ、そして「寂れている駅でもないのに一体何故他の産業が栄えていないのか」という矛盾が実は存在していて、しかもそういった疑問には大抵誰しもが納得できる真相が隠れていたりする。そしてこの場合の真相……それは、この場所、一年に2回ほど派手に冠水するため、店やら何やら建てようものならその度に後始末に追われなければならず、だからスーパーも工場も全くなかったし、駅前の土地も空いているのだ。
冠水。既に有名になったとおり、別に水害は川が近いとか降雨量が大きいという事だけでは起こらず、むしろ排水設備がしっかりしていれば川が近かろうが雨がひどかろうが特に変化はない一方、設備が出来ていないと少しの雨でもすぐに床下・床上浸水してしまう。私が見た徒歩一分の物件の場所は将にこの排水設備が全くないので大雨が来たら即冠水、という滅茶苦茶な場所なのである。また更に厄介なことにこの地域、冠水したあとの水の引きも異常に悪く、雨はとっくの昔に止んでいるのにぷかぷかお船が浮かんでる、そんな事さえある場所なのだ。
このようなことについては、いくら情報検索しようが体験居住を繰り返そうが、中々分かる話ではない。そりゃ体験居住のときにたまたまその場所で大雨が降ったら分かるかもしれないが、そんな偶然で何とか救われるのは本当にごく少数で、大抵がそういう一番気にしなければならないところの情報が不足して後で苦しむ。冠水は……要するにあれ、地上の汚物とか全部溶かした水が家の中に流れ込むって事だから悪臭と不衛生が凄まじい上、電気系統も壊れてしまうから復旧するにも費用がかかる。それがほぼ毎年起こってるんだからそりゃ誰も家なんて建てないし、店自体も殆ど出ない。いや、正確には時折店は出店するが……今迄それが大規模になったところを私は見たことがない。そりゃそうだろうなぁ……と思うが、そこらへんのことが広告にはまず出てこない。それもまぁ当然、「駅前徒歩一分ですけど冠水がひどくってもぉ」、なんて広告を打とうものなら広報担当は首である。それはそれで分かるのだが……しかし、だからといってここに家建てて人入れるのはなしだろう、私は、というよりも事情を知っている人なら皆そう思うはずの場所だったのだ。
一方、このような物件を掴まないための方法、というのはいくつか存在することはする。中でも私が確実だと思うのは、昔からの人が沢山住んでいる場所、という基準である。しょっちゅう冠水するところに昔からの人がいるわけがなく、そういった人たちが住んでいるのは大抵住みやすい場所である。その土地に住んで十年、二十年ならどこが危ないかはだいたいわかって来るので、そういった人たちのいる場所の物件を探すことが、結局は失敗しない不動産選びに欠かせないだろうと思うのだ。
まぁ……そうは言っても閑静な住宅街でも一発アウト、という物件はあるからなぁ……。やはり不動産は自分の知っている地元の近くで買った方がいいだろうなぁ、と仕事をしながら思うのでした。
今回の沈没事故はそもそも、誰が異議を挟むことなく韓国一国ではどうしようもないことが明白であった事件であった。そうである以上、もし日本と韓国の国交が普通の状態であったとしたら、韓国は速やかに日本に援助を頼むことが出来たし、日本の海上活動能力、特に潜水系の能力の高さは世界レベルだから、きっと今冷たい海水の恐怖と戦っている人たちの何人かは、とっくの昔に救助されていただろう。そして家族と抱擁し、自分の命があった事を皆で喜ぶ……そんな当たり前の、まだまだ当然続く家族同士の物語を強制的に消したものこそが、日本の安倍政権そのものなのだ。
更に安倍政権の援助を断らざるを得なかったばっかりに、中国やアメリカといった国々の援助も断らざるを得なくなってしまった。それはもう当然の話、日本の援助は断って中国・アメリカの援助を受けるようなことをしてしまえば、世間から「韓国は国民の命がかかっていても友好国か否かで動きを決めるのか!」と罵倒されるのが確実だからだ。この罵倒、要するに”人権軽視国というレッテルを貼られる”のを逃れるためにはもう二つしかない。日本の援助も受け入れて中国・アメリカの援助も受け入れる道を選ぶか、そもそも援助なんて必要のある状態じゃないですよー、といって本当は援助がなければどうしようもないのにしらばっくれるか、の二つだけだ。
勿論そのうち後者を選んだのは韓国自身の選択である。しかし実際は安倍政権の行動が、前者を間接的に選べないように強いていたのではないだろうか。韓国政府が後者を選ばざるを得なかった理由、……それはやはり、昨年12月にあった弾薬供給事件に関する日本政府の行動だろう。安倍政権は、援助を黙らない。相手の国内事情など知ったことではなく、日本はこれだけの援助をした、と堂々と世間に話してしまう。これが普通の国ならばともかく、未だ親日が罪である国にとっては恥辱以外の何者でもない。勿論この時、韓国は日本のこのような相手を思い遣らない行動に強い抗議の意を示した、しかし、日本はそれに対して理解するどころか反論してくる有様で、どう考えても友好的な態度とは程遠いものだったのだ。
このような事をする安倍政権に、どうして援助を求められようか。
援助をすると言っている、いや援助自体はするだろう、しかし、そのあと何をしてくるか全く読むことが出来ないのだ。しかもこれに対して、安倍政権は”前科者”である。弾薬供給の時に黙っていればいいものを大声でそれを主張し、黙ってくれと頼んでも黙らなかった。今回もきっとあれこれ、本当にあれこれ言って内政干渉をするだろう、政治カードにするだろう……不信”感”ではない、本当にこういうカード化を安倍政権が普通にするので、もう隣国の友誼を求めることすら出来なくなり、韓国は断腸の思いでこの援助を断らざるを得なかったのだ。
そしてその為自動的に他国の援助も断る羽目となり、結果多くの若い命を散らせてしまう惨事となった。他国が援助していれば結果は全く違っていた、それは勿論韓国も分かっていたしかし、安倍政権の非友好的な態度、前回の弾薬の際の援助された側の事を一切考えない傍若無人な振る舞い、それがある限り、どうしても援助を求めることが出来なかったのだ。即ち、韓国が他国の援助を受けない、という選択をしたのは断じて自国の判断によるものではない。日本の現在の態度、正確には安倍政権の韓国に対する圧迫的な振る舞いこそが、韓国をして適切な救助活動を諦めざるを得ない状況に追い込み、そして多くの若者が冷たい海の中で死んでいくのを座視する結果を招いたのだ。
そう考えれば、今回の犠牲者は事故の犠牲者と同時に安倍政権、未だ第二次世界大戦を継続している者によって○害されたも同義である。そしてまた、日本国の政権がどうであるかという事について、韓国は決して他人事ではいられないという事も浮き彫りになった。現にもしもこの時安倍政権ではなく、日韓関係がここまでずたずたになっていなければ、少なくともあともう少しは助けることが出来ていた。安倍政権であったから、そして何よりも、安倍政権を打倒することが1年以上過ぎた今になっても叶わなかったからこそ、今、このような状態になったのだ。それを思えば、韓国の内政を適切に行う為に常に真っ先にしなければならないのは、日本の政権の矯正であることは言うを待たずに自明である。現政権はこれに対して積極的な攻勢はした、しかし結果はどうだっただろう? 指導により教化することも出来ず、良心的市民と一体となって安倍政権を潰すことも出来ず、結局実利を取った安倍政権だけが好き勝手に生き残り、それによって韓国の国民が無慈悲にも死んでいくことになってしまったのだ。
ではこの若い命を海に沈めた子ども達の為に、一体何が出来るだろうか。
まず安倍政権の矯正は最早不可能であることを悟るべきである。そして速やかに良心的市民と共に自民党内の良心的な存在と心を一つにして、一日も早くこの悪鬼の政権を打倒すべきである。その為に躊躇は禁物である。日本は平和憲法を掲げている分、○○に対して非常に臆病な面を持つ。ならば<えーっとこれ単なるネタなんでどうしようかな、と思ったんですが、ここから先は外患誘致になるのでやめておきます>。それまでの経緯はどうでもいい、結局貴方が総理になったことで自国が○○に晒された、という糾弾の空気。そこまでのハード・アクション、完全に安倍政権を見限った上のアクションを今こそ起こさなければ、韓国は同じようなことが起こったとき、同じように自国民の死を目の当たりにしなければならないのだ。
もしも、韓国を愛する気持ちがあるなら(以下略)。
……上の話は完全にネタなのではありますが、それにしても命の軽さについてそら恐ろしいものをアジアに感じる。このネタ話の中で中国の援助が、と少し触れたけれども、中国は電車事故が起こるとその電車そのまま埋めちゃうんだから……。韓国自身の振る舞いにしても、そりゃ人間なんだから最期までいろとは言わないが、「安全だから乗客は部屋に残ってて(その間に逃げるから。いや、そうやってお前達の行動封じておかないと、俺達が逃げようとするときに人ごみが出来て邪魔じゃん?)」というのは一体いかがなものか。伝え聞いた情報によると、韓国の船長のその明らかにおかしい放送に対してもパニックは起こっていなかった、要するに統制が取れなくなる事態にはならなかったと聞いている。つまりそれだけ韓国の若者は船長を信頼していたわけで(そうでなければ飛び込んで逃げるでしょう)、その信頼を裏切った船長はあまりにも酷いと思うのだ。
一人でも多くの命が助かることを祈っております……。それとネタの部分については……、何と言うか、生活の党を無視しているのが許せない、もとい、「援助ですか? はいなんでもしますよ。でも公開ね♪」と普段から言ってる奴が、「ねぇ、援助いらないの、要らないのぉ? 待ってるよ、ボク。何でもしてあげる。ただし、あとで政治カードにはするからね♪ 友好友好、え、だって援助が出来たんだもん。これで友好が成立したよね♪」とか言ってきて、これを断ったら自国の判断と言われるというのは幾らなんでも……嗚呼、小沢氏が自分の人望を信じて変な人間を担ぐことなく堂々と選挙に出ていれば、こんな事には……。少なくとも江田だか何だかに軽く足蹴にされるような目にあうことだけはなかったはずなのに……くそぉ……。
生活保護法改正によって親族への扶養義務及び調査権限が拡大されたが、そもそも親族の定義が「血統」というものである事が悲劇の始まりだと思っている。多分この法案の改正の根本にあるのは、親族は皆ある程度繋がっているもので、それでいてある程度互いに信頼しあい頼りあうもので、共に生きていく一番身近な存在という実に広辞苑的なものなのだろうと思う。そうでなければ……この扶養義務強化という発想はまず出てこない。というのも、扶養義務を果たす気のある親族が沢山いるなら生活保護にそもそもお世話にならないし、また仮に親族がいたとしても、扶養できないから制度申請になっているからである。なので扶養義務調査を強化する、といっても全く意味がないと思う。むしろ逆に無駄に脅威というか……保護を求める人間が必ずしも人間としての業から逸脱しているわけではない、弱者も強者も等しく人間の業からは逃れられない以上、ひたすら頑張ってきて財を築いた親族には自爆テロ同然の場合のほうが多い気がどうしてもしてしまうのだ。
例えばこの法律の解釈によると、面識もなくふらふらとどこかへ行って借金だけは自宅送付、といった親も親族の一人に含まれる。いや、面識がないというだけならばまだいい、例えば家庭内暴力を振るって離婚してどこかへ消えた親族、またある日気が付いてみると自宅からごっそりお金が無くなっていて、そのお金がなくなったと同時に消えた親族。更には<自主規制>を勝手に持ち出して二束三文で売り払ったため、一家を一夜で家なしに追い込んだ親族、というのもやはり親族である。この場合、特に親子関係であると、例外なく子のほうは親を恨んでいる。現実はファンタジーではない、ここまでされても親子だから、懐かしいから会いたい、などと思う人間は実際皆無だ。恐らくこの法律を改正する人間の周りにはこういう自爆テロみたいな親族は一人もいないのだろう……もしいたとするなら、戸籍片手に「アンタは親族。扶養しろ」といわれることがどれ程理不尽で腹立たしいか、自分の事として理解できるはずである。小さい頃から親に殴られ、その親が借金を押し付けて蒸発し、そのくせ生活保護の申請をしたもんだから職場にも調査の連絡が入ってしまい……この部分でもしも親子の再会がどうとかまだ言える人がいるとするなら、多分その人の現実世界はここじゃない、に違いない。
そして、この生活保護の扶養義務だけならば金銭的に、それ程問題ではないかもしれない。だが問題になってくるのはこの生活保護申請に到った場合、その人が抱えていた借金のこと。というのも生活保護受給者が借金を返すことは法律で認められていないため(それやっちゃうと国の税金で借金払う事になるから)、基本的には破産手続きをするようにという話になる。まぁ収入がないのは明らかなのでこの破産手続きはまず普通は通る、またこういう話を持っている方は親族との連絡は没交渉だから身内の状況も把握できない。というのが今迄だったのだけれど……これからは一体どうなるだろうか。「親族が生活保護を申請したら、その人に対して仕送りをしろ」という命令じみたものが発行される、それを受ける、そうしたら消○者金融の人は必ずこう思うのでは?
「貴方その人に金送ってんでしょ? だったら借金も何とかしなさいよ?」
勿論法律的な義務があるわけではないが、破産宣告食らって債権がなくなる側にとってはそんな事構っていられないのである。必要な事実は、親族がいて、その親族が金額は無関係で、とりあえず扶養を行っている。それだけで全く問題なく、消費者○融の方々はその親族から借金の分を取り返せないかと必ず動いてくるだろう。そしてこの情報は恐らく消費者金○の人に漏れる、何故なら、……もう人間の業としか書けないけれども、仕送りを受けている側自らがそれを漏らしてしまうからである。多分コレを読んだとき、何故? どうしてそんな事を? 仕送りまで受けているのに? という疑問が真っ先にくるのだろうが、人間は悲しいもので、そういう風に出来てしまっているのである。だから実際仕送りすること自体はそれ程問題がない、という親族が多いものの、絶対にそれをしないのは、こういった後の惨事が分かっているからという事情がある。決して生活費の一部まで出さない、という訳ではないのだ。一部だけで済むのなら出してもいいという親族が大半、しかし「その後に来るそれ以上の惨事」が分かっているから、皆手控えてきているだけなのだ。
それがだんだん、出来なくなっていく。
真面目に生きて築いた財産が一気に崩壊させられる……『家族の絆』の美名の元に。その人物がどれだけ家族に不義理を働き、また家族がどれだけ苦労させられたかも一切考慮はなされない……「だってあんた達家族なんだろ?」。そして泣く泣く一部扶養を申し出ると、今度はその人物の借金元から借金の肩代わりを求める連絡が…「だってあんた達その人の面倒見て、金まで送ってるんだろ? その金はあるんだろ? その一部でもこっちに流すのが仁義じゃないの?」。そしてそのような連絡が親族に行った事を聞いて、果たして保護を受けた人は悲しむのか。
それとも……ほくそ笑むのか……。
人間は理想ではない。昼ドラであんなにどろどろしたもの流してるのに、どうしてこういうときだけ理想論が強いのかねぇ……。
これは私自身の経験からも、本当に強く思うところである。私は大学院を卒業した後、とても不純な動機で英語の勉強を始めたことがある。まぁ目的は英語科教員免許の取得、というものだったのだけれど、講義を前にテキストが配られ、それを見て本気で私は絶句。これから英語を学ぼうというのに、その英語の解説が「全部英文」だったのだ。英語の起源や成り立ちに関するテキストも、言語学としての英語の解説のテキストも全て英文……それを見たとき私は(他人から見ると実に愚かしいことらしいのだが)本気で怒り、あやうく大学に正式に抗議をするところだった。
”英語が分からないから勉強しようとしてるのに、その解説書が英文って、それが読めたら勉強してないわっ!”
……他人から見るとこの抗議は何か大爆笑の種らしいのだが、しかし私は今でもこれはかたくなに正しかったと思う。そもそも英語をこれから理解しようという人間、要するに理解しようとするという事は今現在全く分からないというわけで、その人間が英語を学習するのに何故英語をぶつけるのか、意図がさっぱり分からない。勿論それが学習過程の終盤である程度英語の実力も付いたかな、というときならば分かるが、いきなり一年目からテキスト全部英語とかされれば、もうその時点で全面的にお手上げになるしかないじゃないか。そりゃ、意図としては辞書を引きながら学習しろってことなんだろうけど、でも英語のテキストに書いてある中身は英語のすっごく難しい部分を解説している文章な訳で、そんな難解な文章読めたらそもそも入学なんてしてないよ! 元々英語は現在完了進行形とか「現在で、完了してて、進行形? え、完了してるんだよな。何で完了してるのに進行形があるの?」とか過去分詞「分詞って何? edつければそれでいいの?」とか、ただでさえ意味の分からない要素ばかりである。これを自力で理解し、かつ英語の起源を理解しろ……本当にあの時は地獄だった。今思い出してみても本当に辛かったと心の底から思うのだ。
んでもって実際……まぁ、散々な結果に終わってました(笑)。結局目的だった教員免許は取得出来たはできたのだが、同じ試験で5回落ちる(3回目からは過去問を手に入れての挑戦でした。はい、それでも惨敗です)という”快挙”を成し遂げ、6回目に62点で合格するという出来栄えで、レポートもレポートで「ふざけんじゃねぇ!」といった評価を何度返されてきたことか……。最近国語科の免許を取ろうかなと思って過去のレポート群を読んでいるけど、よくこんな評価受けてへこまなかったな過去の私……それに今に始まったことではないけど内容が……ちょっとあれ。どうして米文学の感想が、”神に死を宣告したものの無の恐怖に打ちひしがれ、慌てて模造の神を作ったものの模造の神は模造でしかなく、嘘であると皆が知りつつも尚惨めにそれに縋っている。永遠に続く神殺しの罰に怯え模造の神を掲げて震える哀れな子羊の挽歌”、になるのか。単にアメリカが嫌いなだけだろと突っ込みを入れたくなるし、レポートの返答も「……そんな感想初めて読んだ。オリジナリティ……なんだろうけど……どこをどー読んだらそう読めるの?」という、明らかに相手も戸惑っていた。当時は意味が分からなかったけれど、今読み返すと、その理由は良く分かる。でも、あれって本当に必死になってその本一冊読み終わっての感想だから仕方ないんだよなぁ……。
で、そんな経験がある私にしてみれば、英語で英語の授業をする等英語嫌いを加速させるだけの話でしかない。断言できる、もし高校時代、もうアメリカが嫌いで嫌いで、敵性語なんて勉強してたまるか! と公言していた私がもしそんな授業に遭遇したら……まず絶対に聞かない。分からないから。それに分かるかもしれないという最後の希望を、それで絶たれる気がするから。ただでさえ学級崩壊や学力格差が叫ばれている中で、最後の希望に縋って何とか授業についてきている生徒を切るような真似は絶対にしてはならないと思うし、そもそも英語の説明を英語で受けて分かるのならば勉強の必要はない。国語のように文章の中身を読み解くわけじゃないんだから。それに、英語の授業を英語でするって、その英語の先生の発音が……だったらどうするつもりなんだ? 一体。
英語は時間感覚を視覚的に理解するしかない、と思ってる。紙の上の勉強だけで過去分詞だの現在完了だの理解するのは不可能である。発音についても発声学をきちんとやって、生徒の質問を封殺するような授業をやめるべきだと思ってる(例えば三人称単数現在形・短縮形・分詞の例外の存在理由。あれは「だって語学だから」という理由で説明するのではなく、きちんと由来を説明して欲しかったなぁ……)。ただそれには、「米国の現地では絶対に使わない、というよりもアメリカ人自身知らないだろうとしか思えない例外ばかりを聞いてくる」英語の入試を何とかしないといけないと思う。was eating、eat、having eat、このどれかを選べとか、多分心底どーでもいいはず。アメリカ人はそんな事気にしないだろうし、そんな細かいことを気にするよりも「よーするに何が言いたいんじゃお前は」に答えられるようにするほうがずっと重要だ。例えば日本でホームスティを受け入れたとして食事の時間、黙っていたら何も分からないが、”塩・塩”といってくれればああこの人は食卓塩を取って欲しいんだな、と分かる。その言い方が多少違ってて、「塩です」「塩なのか?」「塩さんお元気ですか」とか言われたって対応は出来る。問題なのは間違ってもいいから発話出来るかどうかであり、そんなwasだか何だか細かいことを聞くようなことを連発するから、その発話に臆病になってしまうのだ。
ちなみに……中学校の頃外国人と会話してみよう、という英語の授業があった時、キリスト教の○○について聞こうとしてその文章を作ったが先生に即没収され、代わりに造った原爆の文章を提出したところ「もうお前は何もしなくていい!」といわれたのは良い思い出です。だって聞きたいことを文章にしろって先生言うから……アメリカ人に聞きたいことなんて当時はそれしかなかったし……、ま、昔からそういうやさぐれだったという事です。
東日本大震災からこの方この「脱原発」のスローガンをやたら聞くが、そういうスローガンを掲げる人々ほど左派的な人が多いのに驚くと共に呆れてしまう。というのも日本が「脱原発」をやって一番やがて迷惑をするのは”化石燃料の奪い合いに敗れて電気がなくなる途上国”で、日本が貿易立国でなくなって滅ぶより先に、もっと多くの途上国の人々が電気が無くて死んでいくからだ。日本が火力発電しか出来ません、というのならばともかく、自己満足・自己陶酔の為に原発を手放した挙句、”あ、ウチも化石燃料使うからよろしくね。え、値段? ウチだって必要だからありったけ金だすよ?”とやられたら、原発を導入できない途上国人々は一体どのように思うだろう。途上国のとある病院の近未来、電気がない、だから治療が出来ない、その為死んでいく小さな子供の枕辺に親が泣きながら寄り添い、そして呟く。「ごめんね。日本人が化石燃料を買い占めたせいで、私達の国では発電することが出来ないの。ごめんね、ごめんね……、日本人の自己満足のために、貴方を”殺して”ごめんね」と。だったら世界の為に危なかろうと何だろうと日本は原発と生きていく、それで日本人は死ぬかもしれないが世界の人たちを守るため、だから原発を勧めるべき……これこそが自称「世界市民」たる左派の主張するところなのではと思う。
そう考えると一見自己犠牲的にも思える脱原発の主張が、世界目線では如何に我侭で迷惑なものかが良く分かる。何よりも脱原発をやったところで何一つ脅威は変わらない……脱原発をすれば放射線被害がこれ以上でない、というのなら分かるが、原発にはそれぞれ使用済燃料がうずたかく積みあがっている。今はプールの中で冷却されているそうだが、いくら原発を止めようともこれが地震で壊れればそれで終わり。原発を動かしている時と同じように放射線の被害は出る上、原発を稼動させていない分エネルギーを生産することもない。要するに得なし損ばかり、だから本当に脱原発を言うのであれば、原発を辞める方法と、その原発の周辺にある核廃棄物を除去する方法の二つを同時に言わなければ、実は安全など全く確立できない。原発を辞めた、だから安全だ……そんなのは明らかに法螺である(廃棄物を他国に押し付けるというのなら別だが)。廃棄物はそのまま残る上、原発を辞めればそれに関する技術も凍結されるから、永遠に廃棄物除去の技術は日本で生まれない。また他国で仮に生まれたとしても、絶対にその他国はその技術を流出させない。そりゃ数十年数百年経てば可能性はゼロではないが、それでも莫大な対価を請求するに決まっている。いや、それでも本当に稀な可能性で、結局は廃棄物プールが壊れて日本が散々他国が使うべき石油燃料を消費した挙句滅亡することになる、と思ってる。
クリーンエネルギー……それが実用化される目処があるなら、世界中でそれやってるって(笑)。原発の危険性は世界中が知るところなのに、世界中が原発の技術・建築を望んではばからない。原発は危険で、クリーンエネルギーに移行した方がいい……というのなら、一体この現象はどうして発生するのだろう。太陽光・地熱・風力、全て私が幼い頃からずっと聞かされていたエネルギーだが、これがメインになっている国を私は聞いたことがない。そもそも火力発電所は国連か何かで新設が禁止されていて、今のって本当は廃棄すべきボロボロのものを使っているという危険な状態で、むしろこれを停める必要があるという話しすら聞いたことがある。その中で各国の選択は”原子力”、クリーンエネルギーの導入を決意した国はなし……この事実をどう見るのだろう。ドイツがどうのという話は聞くが……隣のフランスが原発を建てまくり、そこから電気を輸入しているのだから世話はない。要するにあれは自分の国に原発を置きたくない、というだけのことで、脱原発とかクリーンエネルギーとか、そういう発想では全くないのだ。
それでも……都知事選では何かこの脱原発が争点になる、といった話を耳にする。都政で脱原発が争点なのはおかしい……だがその話の前に、脱原発をやるのであれば三年前、東日本大震災のときのような計画停電の例外は絶対に許されない、計画停電の必要があったら真っ先に東京だけが被る、そう宣言してくれなければならないと思うの私だけだろうか。脱原発、耳障りのいい言葉かもしれない、でも、それを宣言するのであればコストも必ず負担して欲しい。あの三年前の夜、東京周辺(とあと東京の一部)は皆酷寒の中計画停電を食らって暗い夜を過ごした。しかし東京だけは「例外」として一度たりとも計画停電が為されなかった……その東京が脱原発とか、ちゃんちゃらおかしいにも程がある。いや、おかしくはない。おかしくはないが……やるのならきちんと「計画停電の時は真っ先に東京がその影響を被る。例外なんて絶対に申請しない」と宣言してからやって欲しいと本気で思う。今のまま仮に東京都が脱原発をやった場合、最悪のケースは東京以外の県の電力供給が不安定になるけれど、東京だけは例外として電気を強引に引っ張っていく……そんな形になる気が凄くする。だから争点に相応しくないという話の前に、東京がそれをするならその負担についても明確にして欲しい、と私はどうしても思うのだ。
耳障りのいいこと、カッコいいことを述べるならばその負担も当然負うべきである。私は今に始まったことではないにしろ、左派にはこのカッコいいことを言った以上当然背負うべき負担からは逃げ回る姿が露骨過ぎてイヤになる。脱原発をするのであれば、化石燃料でしか発電が出来ない国に対して「自己陶酔の為に貴方の国の電力を奪います。そして近い将来、発展を妨げ国民を殺します。でも私達はクリーンでエコで平和なのです♪ ああ素晴らしい! 私達サイコーッ!」といわなければならないし、またそれで電力が足りなくなったら真っ先に停電の処置を喜んで受けなければならない。それがカッコイイ事を言った報い、報いというか責任である。それもなく脱原発とスローガンばかりが先行するから……多分自民党はずーっと与党だろうなぁ……。
勿論それは右派がそもそも何を指しているのかに左右されるのだろうけれども、少なくともそれが日本という国体を愛して護持したいと思う人であるなら、参拝自体が選択肢しない。というのも理由は……A級戦犯。ただ別に私はこの人物達が外国で何をやったのかは本当にどうでも良くて、問題にしたいのはこの人達の結果責任。”政策の拙さで皇室を危機に晒した件”は絶対に裁かれるべきだと思うし、また勝ち目のない戦争を行うことで国富を悪戯に流出させて同じく皇室を危機に晒した件も同様に裁かれるべきだと思う。しかし今のA級戦犯の方々はどうでもいい外国に対する罪のみを裁かれかつその点のみ注目されていて、この肝心の”皇室”に対する背任の罪は問われていない。その人達が祭られているところへ行くことのどこが右派なのか、私はいつもそう思えてならなかったりする。
少しでも歴史を紐解けば分ると思うが、このA級戦犯の連中は決して”皇室”のためを思って戦争だの政策だのをしていたわけではない。ある者は軍隊という組織防衛の為、またある者は自らの支持基盤の維持のため、即ちそういった私利私欲で動いていたに過ぎず、将に昔風の表現をするなら獅子身中の虫・君側の奸とも言うべき輩でしかない。日米開戦前の御前会議に関しても、やれ”このまま成果なしで終わると国民が納得しない”だの”半年は持つだろうけど後は知らない”だの、ではその勝ち目のない戦争をせざるを得ない状況まで国の舵取りを間違えた責任は誰がとるんだ? と突っ込みたくなるような言葉がわんさか残っている。外国人は関係ない、あの当時陸軍の規律がしっかりとしていて、かつニューディールだか何だかが失敗していたアメリカが何をもくろんでいたかきちんと読みきれていれば、あの当時の日本人は一体何人死なずに済んだか。空襲を受けるくらいにボロボロになるような政策を決断したのは誰で、その日本人に対する責任はどうとるのか、何よりも皇室に対する危機に晒した罪はどうとるのか、それを全てほっかむりして神様とはどういうつもりか……などとやっぱり思ってしまう。
だから首相が靖国に参拝して心が傷つくのは外国人とは限らない。というよりも、国内の宗教行事で外国人がどう思うかは考慮すべき話でないと思う。考慮すべきは日本人、しかも、純粋に日本の事を考えている日本人。「あんなアホな政策を続けて国土を焦土にした挙句、肝心の天皇家まで危機に晒した奴が英霊か!」、そういう意味で傷つく人間もいるのだろうと私は思う。そしてこの問題の根幹はやはり……日本人が自らの手でA級戦犯を裁いていないという点に立脚するのだと思う。繰り返すけれども、別に外国人に何をした、とか、外国で何をやったか、ではない。日本に対して、日本人に対して背信行為はなかったのか、空襲やら兵役やらで国土がボロボロになった責任は誰にあるのか、その人間を祀っていいのか、という日本に対する行為についての判断がされなかったことが問題なのだろうと思う。
そりゃ勿論A級戦犯の中には純粋に外国人の因縁で殺害された人もいるかもしれない。でも大半は……「戦争を企てた」事が罪なのではなく「成算のない戦争をして皇室を危機に晒した」事が罪なのだとしたら……罪人の部類に入るのではないだろうか。この観点で私は今こそA級戦犯を再び裁く必要があるのだろうと思っていて、外国のことは真正、ほんっとにどうでもいい。日本に対して、日本人に対して一体何をやってくれたのか。その責任を追及して詰め腹……は切れないにしても、責任を明確にすることこそが真の保守だと私は思う。
皇室を省みず私利私欲を貪った君側の奸が、死んだことをいい事に神様としてのさばっている。そこに行くのは右派ではない、単にそこに行けば国を愛したことになると思い、それをアピールしたい人達だけだ。日本人によって裁かれるべき人達がいるあの場所が正常だとは思えないし、本当に右派であるのであればむしろ靖国神社こそ参拝出来ない場所のはずなのだ。外国で虐殺行為をして、(それ自体が問題ではなく)結果的に日本のイメージに泥を塗ることになった罪。外交的失敗をして、空襲の雨を招いた罪。空襲自体は罪ではない、そもそも戦争している以上手段を問わないのは当たり前で、この時本当に罪になるのは空襲を招いた方なのだ。
もしも今の首相が本当に保守というのであれば。
過去の罪を外国人に殺されたことをいい事に逃れ、神様の座に座っている人間の日本人に対する責任を追及して欲しい。それこそが本当の保守であり、そして初めて”外国人から押し付けられた戦後”ではない”日本人の戦後”が始まると思うのだ。私はどうしても……「その政策、その発言、絶対皇室のためじゃねーだろ。どう考えても自己保身だろ?」という人達を拝めない。自分で詰め腹切ったならまだしも、外国人に首吊られて、というのでは……。
……そういう人もいる、という事を察してくれたらなぁ……。靖国=右派じゃないんだよ……。
そこは私の、好きであるわけではないけれども本命な為、二次試験をやるなら必ず一発でとひそかに期する場所だったりする。一次試験失敗はそれ程大きなダメージにはならなくても、二次試験の失敗は多分累積するだろうしなぁ……そんな考えが根底にあって、だから機が熟すまでひたすら外堀だけを、埋めてこのまま城内に突入しても勝ち目に自信が持てないときは逃げてきた。もしくは……突入した途端、私が出陣してきた本陣に「なんじゃこいつは!」と使者を出してきた場合に、今年は対応できそうにもない、という思いがあったりしたから(笑)。いや笑い事じゃなくて昨年度は本当に地獄の目にあったからなぁ……今考えてみるとよく首が繋がったもんだと思うし、しかも例の教員免許状更新講習がようやく終わったんで申請をかけたんだけどそれもバレるしなぁ……。いや、居住地の教育委員会に申請しろって言われた時点で嫌な予感はしてたけど……どんだけ札付きのワルなんだろうなぁ……と思ってしまう。
ただ今年の3回目の受験で確信したことは、私が新卒のときに受験した頃より、全ての問題が大幅に簡単になっているということだったりする。ゆとり教育の弊害か? と思えるくらいに簡単で、実際今年の受験時期は仕事があまりに忙しすぎて3日間しか勉強できなかったが、それでも何故かスコアが良かった。私が何度も受験するんでコツを覚えたという事もある、あるかなぁとは思ったけれど、それでも色々法律は変わっているわけで……とすると単に昔の知識が残っているからという訳でもなさそうで、そうだとするなら試験自体が簡単になっているという結論しか残らない。特にこの時は試験前日も問題が起きて手に負えない状況だったから、論文書いたあと本気で寝てたし。自分が昔より優秀になったとは思えないから……やっぱり試験が簡単になったんだろうとつくづく思う。
その思いを日記に書くまでに強く持ったのは、とある場所の平均点。300点満点で計算します、と書いてあったそこの平均点が……いや、ひやかし・からかい・一発芸の類が沢山いるのは知っているが……30点っていうのは何? 専門教養が10%しか取れないのが平均点って、そんなの選考続行ではなくて無効試合じゃねぇのか? ただ実際通知を見る限り数字に間違いはなかったようで、じゃあそれだけ問題が鬼畜かって言うと全然そんな事はなくて……昔の教員採用試験から生き抜いている私にしてみると本当に簡単だった。あれが1割というのが平均点……そう考えると、あぁ、やっぱり時代はゆとりなんだなぁ、ってしみじみ思ってしまったりする。
昔。そう、私が新卒の時の試験は鬼畜のように酷かった。今でも忘れない。解答用紙がA4の白紙5枚で、回答時間は3時間、問題は全部文章題ヨーイ、スタート! 穴埋めのときも100点満点で問題は100問、穴埋め全部漢字限定50分、とか、お前これは知識の検査じゃなくて単なる拷問だろ? とどれだけ思ったことか。その上情報公開もまだまだだったから過去問なんてわかりゃしない、どの自治体がどの出題形式をしているのかもろくすっぽ掴めないから、ホント、いきなり白紙渡されて回答しろ、といわれた時は頭が真っ白になったよ。全部文章題なんて思ってもみないから、でもあれは本当に辛かっただろうなぁみんな、と今でも思う。いや、勿論今の試験も辛いといえば辛いのかもしれないけど、そういう昔に比べると、やっぱり楽な気がしてしまうんだよなぁ……難問じゃなくて”珍問”の山だったからなぁ、昔は。一題丸々日本の海運業のことについてのみ聞かれるとか、”こんなん運送業者の息子でもない限り分るわけないだろ! 佐川急便のマスコットじゃねぇんだ!”とどれだけ思ったか。なんと言っても縄文時代から平成までずっと日本の海運業の歴史のみで一題作ってあったからなぁ。今考えると造った人の方が見事だけど、しかしやらされるこっちにしてみればたまったもんじゃないよ。
それと比較すると、最近の試験はどれも素直になっているように感じる。時代の流れなのかな、それとも情報公開が進み、かつ、この問題おかしいだろ、という批判を無視できない世の中の流れがあるのか。勿論それは試験を受ける側にとっては別にマイナスではないけれど、でも一抹の寂しさはどうしても残ってしまう。駅弁と同じ、昔は地方地方でそれぞれ独特のイカれた問題が必ずあった。イカれてるのは同じなんだけど壊れ方が本当に違って、その地方地方の色と性格がにじみ出るような違いだった。でも今は何というか、平均だよなぁ……と、やっぱり少し寂しいのだ。
が。
その代わり増えたのは受験者層の”個性派”の面々。昔は絶対にいなかった、というか今もあの一回だけだろうと考えている「ゴシックロリータで試験を受けにきてた人」をはじめ(試験は夏なのですごく暑かったはず。ちなみにあの衣装、私はカンペを隠すためなんじゃねぇかなぁ、と思ってました)、「シルクハット男子」等々(試験中もずっと下部ってたから何か頭に傷があって見せたくないのかと思っていたんだけど、昼食のときに帽子脱いだら普通だった。何故にじゃあかぶっていたんだ、試験中?)、問題が平坦化して無味無臭になる一方、受験生は本当に多士済々。色々な地方に行っても色々な有志が必ずいて、決して飽きることがない。……まぁ、日本の教育はこれでいいのかとも思いはするが、これもまた、よし。免許状の更新も何とか終わったし、来年こそ本丸を潰して宿願を遂げるとしますか。
……逆に言うと、今年はちょっと……。もう時間が割ける割けないの話じゃないからなぁ。頼むから書類をそこらへんのゴミ箱の捨てんでくれよ……。紙だから燃えると思って、って、そりゃ紙だから燃えるけれども個人情報の山じゃねぇか! 大丈夫ですよ、みんなやってますけど問題になってませんし……そりゃそーだろーさ! アンタらがそういう仕事するから、外部委託止めて自分でやってんだから。趣味でゴミ箱なんて漁らねぇよ! そういうものが出てこないなら今日から即刻辞めるよそんな事! でもいつも大量に出て来るんだよ……はぁ……、遠いなぁ…ホント。
何というかつくづく最近は、弱者の無敵最強っぷりを痛感させられる。パワハラだ、セクハラだ、契約違反だ……と叫ばれると面倒だから黙っているけど、『風邪が悪化したんで休暇を延長します。3ヶ月。合計3人です』はねぇよなぁ……。要するに派遣会社にしてみると「定員はきちんと送っています。が、3人が病欠で休んでいるから実質的には人数が不足しているだけです。何も契約違反ではないので毎月の賃金は全員分ください」と言いたいようで、3人ほど風邪で欠勤が続いているのに満額の支給になっている。当然こっちは「何で3ヶ月も風邪で休む奴が3人も出るんだ。うちは隔離病棟じゃねぇぞ」という話になるのだが、相手は相手でパワハラという武器を持っているからか知らんが、「風邪は誰だって引くし長引く事だってある! 3人が同時に長期間の風邪を引くことだってあるはずだ。それを認めないのか」と、”だったらそれ風邪じゃねぇから精密検査受けさせたほうがいいって絶対”と思わず突っ込みたくなるような返事を返してくる。私も病欠に関してあれこれ言いたくはないけれど…3ヶ月も風邪で休みます、人数の補充はしませんが何か、では話のもっていきようもない。
いや、話はしてるんだけど…「職場の御祓いを要求する」とか「消毒を要求する」とか、上司が聞いたら速攻でキレるような事しか言ってこないから、とても上にもつなげない。それでもあんまりにも欠勤が酷いから職場の御払いはともかく、”消毒は実行した”。いくら仮初の巣であったとしても自分の職場を病原菌のたまり場のように言われてなんで動くんだろう、と思ったが、実際「顎が溶ける」とか言い始めたんで仕方ないから実行した。したけど……でも風邪を引いた人間は一切戻ってこない。いや、戻ってこなくても別に構わないんだけど、その分仕事廻らないから増員を送るかこっちから出す賃金を減らさせて欲しいんだけれど、それが認められないからなぁ……。
まぁそんなこんなで最近は地歴の勉強もままなりませんが……それで黙っているならそもそも毎年謀反なんてやらないわけで。ねぇ。契約不履行の証拠はもうすぐ揃うから、それまでは従順にいてあげましょうか。しかし文書にして出せ、といって本当に風邪で3ヶ月休みます、3人というもんを「医者の診断書なしで」出してくるとは思わなかったなぁ。
このご時勢に一体何を思い立ったかは知らないが、今度北海道の博物館が「日本の開拓の歴史」、という視点を捨て、「先住民アイヌ民族への侵略と加害の歴史」という視点に展示が変わるという。その視点の是非は百歩譲ってさておくとしてもどうしてそういう歴史認識を博物館に持ち込むのかな……と本当にこういう動きが起こるたびに思うのだが、事実として中央の博物館の展示視点がそのように変われば、恐らく他の博物館・展示物も同じようになっていくと思った。……はっきり言えば、そんなものは見たくない。見たくないので、せめてそうやって変わり果てて閑古鳥状態になる前に、本来の北海道の博物館の有様を見ておきたい、ついでに『激安宿と高級宿でどれ程施設が違うのか=この違いが日常生活で残酷に具現化されるのがTPP』も感じてみたい(というか温泉に入りたい)、そんな気持ちが総合した結果、ちょっと北海道に旅行に行って来た。ルートは函館から洞爺湖に向かい、そこから札幌に入るという、北海道にしては随分とこじんまりしたもの……まぁ、そんなに休みも取れないしお金も潤沢にあるわけじゃないので、今回はこれでやってみようという妥協はあったんだけど。とにかくそんなわけで、北海道に行って来たわけです。
一日目はまず羽田から函館。この羽田から函館は格安航空便を使っていないためそれ程窮屈でもなく、席についているラジオで落語を聞きながら夏を凝縮したかのような真っ濃い青空と、その下に広がる雲海を楽しみつつ、まずは函館空港に降り立った。ここは羽田や新千歳と違ってそれ程大きな規模ではないけれど、といってシャトルバスがないほど小規模なところではなかった。中規模位、と言えばいいのかな。特に可も不可もないといった感じで、バスに乗ってまずは宿に向かって荷物を預け、そして当初の目的である博物館・展示館めぐりへと足を踏み出した。……函館の不便なところは市電が通っているのはいいんだけど結構色々遠回りするので時間がかかる、っていうところなんだよなぁ……あと揺れが結構酷いんで酔う可能性が……。ま、それはまた別の話なので今はおいておくとしますけど。まぁそれでも市電を使って、函館○市で、あまり○○がいいところではないのでさっと定食屋に入ってさっと食べるものだけ食べて、いざ博物館めぐりを始めました。(基本この文章はやさぐれなので、あまりほめ言葉は出てきません。函○朝市はなぁ…ゆっくり見ることが出来るならいい場所なんだろうけど……キャッチの強引さ執拗さだけ比べたら歌舞伎町以上にタチが普通に悪……)
・パート1:北海道北方民族○料館
……いきなり本丸というのもどうかと思ったが、やはり真っ先に見ておきたいのがここだった。ここは函館にあるアイヌ民族に関する資料を集めたもので、学術的とはいえないまでも、様々な展示物が飾られ、結構良い博物館だった。のだが……以前きた時と同様、全くといっていいほど人は入っていない。意外なことに、修学旅行生が結構いるにもかかわらず、その生徒さえも誰も入っていない。他の博物館やスポットはむしろ込んでいて、修学旅行生等必ずいるのに、ここは客一人であとは従業員以外無人。結局のところそれがげんじ……もとい、まぁ見る側にしてみればそっちの方がありがたいので、何度か訪れてはいるけれど展示物を改めて拝見。そしてその時思ったのが……
(まぁ当然なんだろうけど……日本人とアイヌ人って完全に別の存在だよなぁ)
ということだった。そう感じた最大の理由が、私が人生の中で唯一”祟られた”と信じて止まないアイヌ一番の神聖な儀式”イオマンテ”。この儀式を簡単に歪曲なしで説明すると、「この世にある全ての動植物には精霊が宿っていて、それらの精霊たちが動物の姿となってアイヌに毛皮や肉を届けてくれる。その精霊たちの中でも熊とフクロウは神聖なものとされ、その中でも熊から毛皮や肉をいただき、その精霊を神様達の世界へと送り届ける儀式は最も重要とされた。この儀式をイオマンテと呼ぶ」、という事になる。ここまでは別に違和感なく分かったし事実の歪曲も一切ないのだが、この儀式……まず展示物の説明をそのまま引用すると
『それまで大事に育ててきた小熊をまず外に出し、そして飾り矢でたくさん遊ばせた後、丸太を枕にして小熊を寝かせる。その小熊の上に同じように太い丸太を載せてみんなでそれに乗り、小熊の肉と皮を譲ってもらう。そしてその後小熊の頭を飾りつけてあがめることで、小熊が魂になって神様の国に戻ったとき、”この村ではとても厚くもてなされた。だからまたこの村に行きたい”と話してくれるように祈りを込める』
というものらしい(ここに作為的な間違いはないです。だいたいこんな内容だと思っています)。が。これって確かにアイヌ側の表現としてはそうなんだろうが…展示物とイオマンテの儀式を記した絵を見る限り…目の前で起こった事実は恐らく全く想像と異なる。先にその客観的事実から書いてしまうと
『育てた小熊の首に荒縄縛って広場に引っ立て、鏃を外した矢を四方八方から50本程射かけまくる。そうしておいて小熊の首を丸太の上に置き、その首の上に丸太を置いて大の大人が何人も乗っかることで小熊を”絞殺”。そしてそのしゃれこうべを飾り立て、もう一度その小熊が来ることを祈祷する』
というものである。……何故一思いに殺してあげないのか。生きていくためには肉も毛皮も必要だった、それはわかる。ただだからといってもっと別の殺し方はなかったのか。毒でもいい、矢でもいい、いくらなんでも丸太で絞殺というのはあまりにも無残・残酷だと私は思う。四方八方から矢を打ちまくるというのも何故に? と思うし、ああこれはやっぱり違う民族だと思った最大の点は、「そこまでなぶり殺しにしながら、”あそこは楽しいところだからまた行きたいと神に言え”」と最後を締めくくる点である。○○しいにも程が……。勿論、民族文化を否定するつもりはない、ないが……いくら民族・文化が違っても、人間は同じ人間、限りある生命を持った生き物であることは違いない。ならば、熊が死の恐怖に怯えて吼える様を聞いて、何も感じないとは到底思えない。わざわざ丸太で絞め殺す、なんて手間がかかる上に相手を苦しめるだけの殺害方法を選択して、それに疑問を抱かないということ自体が信じられない。ただ多分そういうと、動植物は熊等の”仮の姿”を持って人間にその肉と皮と届けに来た存在だから、その仮の姿、わざわざもって来てくれた”荷物”を仮にどう受け取っても、その運び人=精霊、魂、への苦痛には全く結びつかず、これをあがめていれば問題はないのだ、という解釈があるとでもいわれるのだろうと思う。しかし……それでもしかし、だ。人間として、血の通った生物として、それでも、そういったアニミズム、シャーマニズムに頭の中の価値観が系統付けられていたとしても、異論を抱く人はいなかったのだろうか。神聖な儀式がこれでは……私にはこれは単に「生物を血祭りに上げることによって、狩猟民族に不可欠な闘争心を再確認する祭り」としか見えない。明治政府に禁止されたという話だけれど、そりゃするわ、としか思えない。だってこれ、文化の違いの前に残酷だって……。
しかし資料館のすごいところは、そういう残酷な描写、文言が一切入っていないことである。このイオマンテの解説文にしても秀逸で、どこにも熊を殺した、という一文が入っていない。だからこの解説文だけ読むと、熊が喜びながら肉と皮を残して去っていき、そして神の国で楽しげに……とも読めてしまうが、勿論本当のところは違う。違うのに、それが一切かかれていないのは本当にすごいと感心した。
ただ一方で、「差別的発現は一度たりともしてはならない。それは特に学童世代に対しては尚更である」という事も痛感した。というのも……。
イオマンテ。それで思い浮かぶのがどうしても、もうこれは私が馬鹿だからとしか言いようがないけれど、どうしても思い浮かぶのが「金粉」だから。股間にケースをはめた以外は全裸で身体は金粉まみれ。そんな男達の中央に立つ梅垣氏がイオマンテーと叫びながら鼻から豆を飛ばす…勿論分かってます放送禁止です知ってます、でも……。どうしてもあれが、あれが頭の中にちらつくんですよどういう訳か。あれ自体は恐らくイオマンテの儀式をパロディしたのではなく金なんちゃらのイオマンテの夜の歌をパロディしたんだと思うけれど、あのインパクトは本当に甚大だった。ほぼ全裸で金粉まみれで”イオマンテー”と叫びながら鼻から豆を飛ばす梅垣氏。放映直後に謝罪テロップが流れるもそりゃ無理からぬ事と思うけれど、あれ以来どうしてもイオマンテというと真っ先にこのイメージが来る。勿論消してる、直ぐに頭から飛ばしているけど、でもどうしてもあれが出てしまう……本当に、差別的な表現というのものの問題というのを正直感じる。イオマンテ、金粉、違うっ! イオマンテっていうのは神聖な……イオマンテー、フッハッ!……。
何のことはない。結局自分が馬鹿だったことを再認識しただけだった。うん。
あと少し真面目なことを書くと……アイヌ文化は好意互酬制というか、そういう発想をしているんだなと思った。言葉にしなくても約束にしなくても、一方が好意を見せたら、もう一方も好意的に対処しなくてはならない。そしてその好意はその場限りのものではなくて、場所を変え時間が過ぎても別に変わるものではない……東南アジアによく見られた民族文化というか発想というか。だからいちいち相手に対価を求めたり正確性を調べたりとかはしないけれど、それは相手をある意味信じているからで、決して相手に寛容であるとか自分が裕福すぎるということではない。農耕民族と違い計算や計画では食べていけない(悪い意味ではないです。農耕民族は気候の状況を調べて作付けを計画的に頑張れば必ず食べていけるので、生活は出来る反面、計算高くもなるしいつか万が一のときのために”見知らぬ人に恩を”という発想にはそもそもならない。特に見知らぬ人に対しては、農耕民族の場合農業がほぼ全てなので、見知らぬ通りすがりの人に恩を見せても殆ど生活に意味はない。だからない、とまでは言わないが、狩猟民族のように”いつか助けてくれるかもしれない”という非常に不確定な要素にしかも多大に賭ける必要がないから、相対的に冷たくなる。しかしこれが農耕民族の普通の態度)。だから出会ったときに互いに精一杯もてなしをすることで、万が一のときに頼れるよすがを作っておく、共に生きていこうという思いがその精神の根底にある(=自然は克服するものではなく、絶対的なもので、それに従いながら生きていく。従っていて克服できないのだから自然の脅威にはそもそも無力で、だからより共生していくしかない、という想いが強くなる)のだと思う。
この発想で日本人と交易すれば、そりゃ搾取もされるわなぁ……。農耕民族の日本人にとってはその場限りで終わる話で、しかも相手は農耕の成否に関係のない見知らぬ人である。日本人がそういう発想で交易に臨んでいるのに、一方のアイヌ側は相手は共生すべき人、ずっと付き合っていくべき人で、その上好意を示せば相手も必ず好意を返してくれるという発想の前提そのままでやってきた。この二つの発想が交渉の場でぶつかれば、日本人は「あれ、これも飲んでくれるの? じゃ、これも飲んで」となって、アイヌ側は「それでも相手は必ず好意を示してくれる。いずれ必ず好意を示す」と信じ、やがてそれが示されないと「どうしてだ。此方はこれだけ好意を示しているのに」となって、不満が蓄積する頃にはもう反乱してもどうにもならない状況になっている。一方の日本人は取引は当然その場限りの事であり、相手が納得して交易に応じた以上その後の好意なんて知ったことではないから、「でもあの人達はその条件でずっと応じてるんだよな?」となって、アイヌ側の苦痛には気づけない。勿論時間が経てばアイヌの考え方も分かるようになるのだが、その頃にはもう支配・被支配の関係が構築されているから配慮の必要がない。かくして交易はいつの間にか隷従になってしまった……といったところだろう。
これを侵略とするのかどうか。行為としては略奪に近くなっている以上そうなるのかもしれないが、基点は多分そうではなかった。最初にあった文化の食い違い、これがアイヌ側に悲劇をもたらしてしまったのだ。そして相手が一方的に弱くなっていった事によって日本側も暴走が始まり……という流れなのだろうと思うが、これをどう判断するかは意見が分かれるところだと思う。少なくとも、始めから武器を持ち込んで先住民を殺す気満々で、更に「フロンティア・スピリッツ」とか抜かしてインディアンを全く害意すらなく殺戮しまくってた存在よりはマシだと思う。何というか、西洋人の先住民に対する態度ってどの時代でも容赦ないからなぁ……。最初から殺す気まんまんで、殺しても罪とも全く思わないし。
ま、脱線したけれど、これが一番最初の訪問地の感想。ちょっと長くなったので、次の訪問地のことはまたいずれとします。……ちなみに、イオマンテに関しては私も実際に怪我をしたという過去があるので、最後の方を真面目な話でくくったというのは内緒です。でも、あの梅垣氏のインパクトは生涯消えることはないよなぁ。金粉ほぼ全裸豆飛ばし、一体何の儀式かと思ったよ。ほんとね。
暗黙の了解、とでも言えばいいのだろうか。”わざわざ条文にはしないし注意事項にはしないよ、でも日本人なら守ってね、つーか守るでしょ? 普通”といった無言のある意味圧力によって、良くも悪くも日本の秩序は保たれてきたように思う。勿論このような暗黙の了解が圧力的に作用しているのは日本の村社会性によるものなのかも知れないし、そのような暗黙の了解の中で明示されないまま差別されたり蔑視されたりする人が出るかもしれないので、それ自身は再考が必ずいらないとまではいえないことではあったと思う。
ただ、果たしてそれは全否定されるべきものだったのだろうか?
個人には権利があって、他人がそれを侵害することは許されない。一人ひとりは自由である、何者にも束縛されない…暗黙の了解などは旧体制の残滓であり、そのようなものに従わない若い力が求められる…、そんな教育と言うより共同体の解体作業が行われて久しい今、とうとうその効果が出ているのではないかと思っている。老害、こんな言葉普通だったら差別用語で即言った奴クビのはずなのだが、この言葉が頻繁にいわれるようになってからも、これが非難を浴びたことはなかった。それは多分老人に旧体制を重ね、攻撃対象とある意味していたからなのではないかと思うけれども、そうやって古きよきもの、暗黙の了解を敵として崩しに崩してきたら…そりゃ、ああいった食品汚染問題も普通に起こる。
不自然でも何でもない、暗黙の了解を旧体制の残滓として目の敵にして解体しよう潰してしまおうとやっきになっていたのだから、その見返りとしてこのような事件は普通に想定され得るのである。例えば昔、昭和時代の商店街を思い浮かべて欲しい。昔ながらの商店街の魚屋で魚を並べているショーケース、そこにねっころがったりあえて汚したりといったようなことをする人がいただろうか。当然ながら日本は広いのでゼロという可能性はないが、といってその事実が注目されたと言うことも決してなかっただろう。何故なら…こういう事をやった人物は例外なく集団暴行を食らい、闇に葬られてしまうからである。
人権も刑法も知ったことではない。恐らく商店街ぐるみでボコボコにされ、二度と街には戻れなくされていただろう。その時行われる暴力は暴力としてみれば確かに犯罪だが、それを犯罪だといって訴える人はいなかったし、仮に訴えてもそれを取り合う人もいなかった。当たり前だろ、そんな事をしたら……そういう雰囲気が確かにあって、それが法がない分野の秩序も確かに守っていたと思う。今このような行為に損害賠償云々という話が出ていると言うけれども、昔ならばボコボコにされて終わりである。誰も口を挟まない、それが当然と理解するからである。しかし極左教育がそういった暗黙の了解を村社会のなんちゃら、旧体制のなんちゃらといって徹底的に否定してコミュニティを解体させたがために、その「秩序を守るための最低限の制裁」すら”刑法違反! 刑法違反! 暴行罪! 暴行罪!”と騒がれるような世の中になってしまったのだ。だからこそこういう問題が起こっているのであって、今気にするべきはゆとり教育というよりも、古き良きものをないがしろにしすぎた、共同体の秩序を極左の言うがままに貶めすぎたことを後悔すべきではないだろうか。
……それと。
これはそのような行為をやった人間の末路も同時に示している。恐らくこのような行為は当分は続くものの、ある日突然ぴったりとなくなるだろう。報道されなくなる、行為自体がなくなる、どちらなのかは分からないが、そろそろ終止符が打たれてもおかしくない。というのも……極左が何といおうが気にもかけずに存在している勢力がやっぱり日本にはあるからである。犯罪を犯しても、なかなか処分されない。いたずらをしてもきっちりと犯罪であると立証されなければ、それこそ人権違反にならないように六法全書を細かくチェックして相手が立証されなければ、自分は何も被害を受けない。……しかしそれは、幻、というか…表社会だけの話なのだろう。今の若者にもしも哀れを感じるのなら、人権というものが絶対的にあって、それが絶対不可侵で、他人から何言われてもある程度自分は守られる、と本気で信じている点である。
だが、現実はそうじゃない。
「人権、人権!!」と叫んでも全く通じない社会も確固としてあり、「学校で習ったことと違うじゃねぇか、俺らには人権が」と叫んだところで、全く無視して制裁を加えるというところも必ずあるのである。資本家は、やはり強い。今はどこの店も謝罪の連続を続けているが、しかしどこかで必ずこの路線は終わる。もうどうしようもない、やることはやった、というかうちの企業を舐めてもらっちゃ困る…やれ。今までこういった事件が表ざたにならなかったのは、今までは実際の世の中がこんなんであるという事をなんとなく教えられて知っていたからで、今このような事件が起こるのは、学校教育で「人権万歳! 全ては人権で解決されるっ!」という教育を受け、それが本当だと信じ込んだ人間が多くなったからだ。
あなおそろしや、おそろしや。一定程度まで謝罪が続いたら、その後は本物の現実が襲い掛かってくる。本当に怖いのは訴訟じゃない、もっと違う別のものなのに…それを学んでこなかったのかな…。人権で全てが解決できるわけがない、そんなもんで秩序が保たれてきたわけではないのは当たり前のことじゃないのかなぁ。
ただこれを今まで使ってこなかったのは、使ってしまうと今の巣を即刻・完全に爆破することになってしまうから。にもかかわらず今回はそれを使おうかどうか迷っているのは、本当に私自身が追い詰められたから…かもしれない。
人生は長くない。
6年前の決断を後悔するわけではないけれど、あの時とは違い、もう十分楽な生活は堪能した。10年前と違い、もう都恋しさに地獄の思いを味わうことはない。一度位、自分の強い面と、それに弱い面も含めて、正面からぶつかってみるのも悪くないかな、と思った。弱みを晒すのは本当に苦手だけれど、だからといってこのまま人生を終えてしまうのはあまりにも空しい。
出来れば、もう少し”……”なところだったら良かったんだけど。
この際贅沢は言ってられないか。もう私もいい年だ、ここで本道に戻すか人生。何だかんだ言って、ここの生活は楽だったから、結構長くいてしまったよ。都を取り戻すことも出来たし。でも、それじゃいけないんだよね。約束と負債を踏み倒したままで人生を終えるわけにはいかない。私はあの世を信じているわけじゃないけど、せめて最後に正面から向き合いました、と閻魔様の前で言い訳の一つもしたいから。
というわけで、禁じ手を使って本道に戻ります。ある意味、コネよりも悪質な禁じ手だからどうしようかずっと迷ってたけど、使います。はい。
先に弁明しておくと、私の中での外国人イメージと言うのは、”紫色に着色された明らかに体の悪そうなポテトチップスを食べながら「ケーッケッケッケ!!」と意味なく高笑いしている赤肉臭くて少し馬鹿っぽいマッチョマン”なので、どう書いたとしても偏見が混じる。混じるが…しかし、アヘン密貿易との最大の違いは、毛唐自身も毒牛を普通に食べていると言う点にある。アヘン貿易に関しては「お前ら毒を輸出してんじゃねーよ」と抗議することも出来るが、今度解禁になるであろうTPPに関して言えば、「これは毒じゃなくてアメリカン・ビーフだよ。OH! やっぱり赤身肉は血の滴りが全てだYO!」といってしかも毛唐は本当に食っているので(あいつら頭大丈夫か、と本当に思う。少しはアメリカのマスコミも報道したらどうなのだろう…)、毒だと突っぱねることが出来ない。結果何が起こるかと言うと…アメリカ人基準の衛生観念による毒まみれの農作物のみを食わされる羽目になる、という事だ。
日本という国も良く分からないのだが、狂牛病の時はあれだけ騒いでおきながら、アメリカ人がそれについて何ら対策を打っていない事に全く着目をしていない。注目すべき点は、あの連中、他国に売りつけるために毒を生産しているのではなく、自分達でも食っているという事。肉骨粉で育てた上、もう発病してもおかしくないんじゃないか? という老齢の牛でさえ普通に食っているのだ。これが何を意味するか…勿論、お前ら肉なら毒でも何でもいいんかさすがインディアン皆殺ししただけあるわ、という事と共に、相手はこれを普通の食料と思っていることである。その為、誰でもそうだがその食料を売ろうとしたとき、よりにもよって「お前それ毒じゃねーか」と指摘をされたらまずキレる。「なんだこの野郎」と。「俺達が食べているものが毒ってどういうこっちゃ!」と思われてしまい、結果「そんな毒物なんて食えるか。こっちは肉なら何でも食う文化じゃねーんだよ」といっても全く通じず、むしろ相手に反感を与えてしまう結末になるのだ。
別に私は、安い農作物が入ってくるからどうの、という事で考えているのではない。連中はそもそも食い物ではなく汚物、正確に言えば「そりゃ生産効率を考えたらそれが一番なんでしょーけど、知らねーぞ後で体壊しても」といったモノしか売りつけてこない、という点である。安い”農作物”が入ってくるのならまだ商業としても考えられるが、もしもTPPを始めてしまうと、入ってくるのは安い”汚物”である。しかも厄介なことに、相手はこれを汚物であると認識できない、「こんなもん食えるか! 毒だ毒」といったところで、相手は「何を言う。私達は素で食べてるぞ!」といって本当に食べているから、突っぱねることが出来ないのだ。
しかしTPPが始まれば、この毛唐だから食っている汚物がそのままスーパーに並ぶことになる。産地表示は出来ないということだが、あいつらは基本的に衛生管理とか頭にないので、コストがかからず値段は激安。その為日本製と比べれば一発で見抜くことが出来るが、その一方でスーパーでさえ「富裕層・貧困層と階級制度別に分かれた店」が乱立するようになる気がする。100g50円の肉(という名の汚物)と100g300円の肉を並べられたとき、前者しか買う人がいない地域ならば、まず後者を仕入れることはない。勿論後者に関しても同じで、この値段の差で後者を選ぶような人間ばかりであったとすれば、前者をいくら仕入れても無駄なので、前者を仕入れることはない。この傾向は他の農作物にも言うことが出来、結果スーパーの二極化が始まるのではないかと思う。要するに、ショップ○9”外国産限定農産ショップ”と、吉田屋”日本産限定農産ショップ”、こういった完全な分化が起こるような気がする。両者の値段がそれ程違わないのなら、安全性が違わないのならこういう分化も起こらないが、今回のことはこれがあからさまに違いすぎる。そして違いが大きすぎる……となれば、低所得者層が多い地域で日本産を扱うのは店を潰すようなものである。当然安い、けど毒、という外国産専門の店が出来るだろう。一方金持ちはアメ○カ人の触った農作物なんて絶対に食わないだろうから(というか、アメリカはアメリカ国内として大丈夫なんか?)、高所得者層が多い地域では日本産しか扱わない…つまりとうとうスーパーに関しても、所得による階級制度が導入されるということなのだ。
害虫が一切つかない、ということは害虫が一切食わない農作物はどう考えても危険である。除草剤をまいても大丈夫さOH!…除草剤に耐えられる農作物って本当に安全なのだろうか。勿論これは杞憂なのだろうけれども、しかしあそこは安全基準がそもそも効率よりも下に価値が置かれている気配があって、「100人飲んだら50人死んだ。でも50人その治療薬で生きていけるなら問題なし」とかいう発想をするから、だから余計不安になる。
そしてそんな赤身肉を舐めるように食う毛唐の文化に合わせる必要などはないのである。
これで信州の勢力図は完全に塗り換わってしまうだろう……。元々才教学園は小中一貫教育ではなく小中高を狙っていて、それを資金不足(と、土地の面積不足)で断念しただけで、はじめから「あんなところにもう未来はない」と言われていた。それでもあそこがある程度人気があったのは、ワンマン校長が多い中で校長がわりかしまともだった、という事だったのだが……それが今回の一件で潰れたとなると、もう高校設置の目処が立たない才教学園はやっていけない。ただでさえ信州はそれ宗教? と思える位の公立至上主義領域で、基本的に深志高校にいければそれでよいという親がかなり多い。その中での私立という立ち位置であるとすれば、もう立ち直ることは出来ないだろう……。
人件費削減による教員不足、これはどこも抱えている問題で、何も才教に限ったことじゃない。ないのだが……これには実は抜け道もあって、人件費削減で人を沢山雇えないなら、雇った人に複数教科の免許状を取らせるという方法がある。人数が少ないのに回せてる学校の秘密は実はここにあって、万が一のときに他教科に移れる人員がいるから大胆な人事も出来るのだ。才教の場合は基本給が安すぎたのと、小中の掛け持ちはどちらが極端に軽くなることが多いという教育課程上の問題を軽視したことにも問題があったが、一貫教育をさせている間に無理強いしてでも通信で免許状だけ取ってくるよう指導は出来なかったのか……なんて私は思ってしまう。死ぬ気でやれば、1年で取れる。もしくは複数保持してて万が一のときは移動できる人材をしっかり雇っておけばこんなことにはならなかったのに……。
こうなってくると信州は再び公立が盛り返していく一方、佐久長聖の一人勝ち局面になっていくという事になるのか。甲府○稜はいくら何でも山奥過ぎて遠すぎる。基本信州の父母はいくら金かかってもいいから教育はいいものを受けさせて(そいでもってどういうわけか医学部に入れたがる)という方針だから通学圏内にあるようなもので、松本から私学が消えれば基本は佐久の一本になるのか。いや、深志高校に入れさえすれば何してもいい、一方で公立がどっぷり腐ってるから、中学で終わる才教はちょうどいいのかもしれないが……。
でもなぁ…うーん、実際は佐久の一人勝ちにはならないだろうなぁあそこそもそも特殊だから。ということは…あーもう、思案が乱れるっ! なんちゅーこっちゃっ! よりによって、もう……。
一身上の都合から才教は狙っていたんだけどあまりに広告がブラック過ぎて手を出せずにいて、この有様か。まずいことになった……。あーもう、でも書類出した後なんだよなぁ……。き、きっつ……。
最近立て続けに起こっている”飲食店でのバイトの汚濁行為”。この究極の本質は、”現代の日本においては「労働者一人の力で資本家をつぶせるようになった」という事実の暴露”なのである。過去の世界でなかなか労働者がその権利を認められることがなかったのは、相当な数団結をしない限りたとえ争議を起こそうがロックアウトをかけようが、資本家側の足元を揺さぶることが出来なかったからだ。20世紀の日本などその典型で、地元住民が資本家の足元を揺らすことが出来たのは、公害と死者というどう見ても言い逃れの出来ない事実があったからである。逆に言うとそこまで可視的なものがなければ相手にされない、20世紀までの日本は確実に資本家側が圧倒的に強く、逆に労働者側が圧倒的に弱かったのである。
しかし、ネットが普及した今、その強弱の関係は崩れた。今こそジャスミン革命ならぬ、派遣により不当に責任を負わされた労働者達が一斉に動き出す、たった数人でも資本家を崩壊に追いやれる「土足革命」の時なのだ。
<注:以下、ものすっごい危ない内容なので丸ごと強制削除しました。基本私はライトですけど、定期的にすっごい左になるときもありますんで……>
<強制削除終了>…すんません、最近ストレスたまってるんですよ、わたしゃ……。
……にも関わらず限定正社員の話とか雇用の流動化とかいう話が出てきて、正直今回はげんなりした。いや、責任をもって仕事をしてくれるなら別に限定正社員であろうが非正規でも問題ないのかもしれないけれど……でも、日本でこの制度を導入しても、絶対に成功しないと思うんだよなぁ。どうしても成功させたいという話であれば、労働基準法か憲法を改正して、基本的人権を制限するしか多分術がない。自分はここにしか関わらないから知らないよ、という人が増えると、しかも善意のない人間が増えると、いくら非正規を大量に雇っても全く意味がないと思うのだ。
実際、この一か月半は本当に地獄のような毎日だった。お客様から毎日のようにクレームが来る、しかし窓口の御方々は反応しない・報告しない・基本放置を貫く為、常時窓口の近くにいなければならない。それじゃあ委託の意味がないんだけどそうでもしないと話にならず、というよりも委託が入ってからというもの、私は普通の仕事と委託したはずの仕事を2人分こなす羽目になった。理由は至極簡単、「2人辞めちゃいました♪ 補充はぁぁ……えーっと、そのうちです」と突然言われ、「辞めるのはいいんですけど、…穴埋めは?」と聞くと、「え、出来ないですよ♪」とあっさり返答。こういう時に甘やかしてはいけない、というか契約書違反だから出てはいけない、と最初先輩に言われて私は手を貸さなかったのだけれど、まー非正規の怖さと言うか、”本当に窓口崩壊になっちゃった”んだよねそれやったら。焦土作戦が完全に平気、結局こっちが折れざるを得なくなって二人分の仕事を今肩代わりしてるけど……本当に派遣とか請負とかってなんなんだ、と心の底から思ってしまう(いや、そうじゃない人が沢山いるのは分かるんだけど……)。
「お昼ごはんがパスタだからって、昼休みの無断延長の理由にはならないですよ?」
「でもでも、本当に美味しいんですよ、あそこのパスタ」
「…………(なら休日にたらふく食えや)」
お昼休みを勝手に延長する人がいるので(はい、当然それであいたシフトは私が入ります)事情を聴けば、何か麺類は茹で上がるのに時間がかかるとのことで、それは仕方がないとの御主張。
「身体の調子が悪い時でも、遅刻や早退をした時は必ず言ってね。特に早退は教えてくれないと、何かトラブルに巻き込まれたんじゃないかって心配になりますから」
「大丈夫ですって。元気だけが取り柄ですから(←本当にこれを言った)」
「……(じゃああの無断早退はなんやねん!)」
突然窓口から職員がいなくなった為慌てて事情を尋ねると、帰ってきたのはこんな回答。体調が悪くてとても無理、何が無理と言っても報告する事も無理らしい。仕方がないので掲示板に表を作って、いつでも書き込めるようにした。
「機械が壊れたらきちんと報告してね。修理の方法とかこっちであるから」
「えー、でも、何か頑張ったら動きそうな感じだったんですけどー」
「……修理を始めてからもう2時間経ってるよね? 窓口の向こうでお客様が全員起こっているの見える? で、お客様にはどう説明したの?」
「説明? 何言ってるんですか、私達の仕草で何やってるか絶対分かってますって」
「……ふーん。それでお客様は納得してくれてる状態なの?」
「あ、さっき怒って3人程帰りました。どうするんでしょうね」
……もー一事が万事こんな有様である。勿論全ての非正規の方がこうではないと思いたいが、いくら日本社会の労働構造が変化したとはいえ、責任感を無くすような雇用体系をやってしまうと、本当にもう機能し得ない。いや、こういうドライというか無責任な態度というのが実は世界だと標準で、アメリカの場合はどれ程目の前でトラブルがあっても皆定時で帰るのが普通だが、それでも成り立つのは「指導・解雇・罰金」等の対抗策があるからである。日本の強固な労働基準法でそれをやるのは至難の業で、にも関わらず責任のない立場で働かせてアメリカナイズさせるというのは、かえって日本企業に大きなダメージを与えるようにしか思えないのだ。
とはいいつつも、今回の選挙は生活の候補者がいなかったので、普通に自民を選択した。本当は新党大地がもう”貴方達はサイコーです”をやらかしたのでそっちに何とかなって欲しかったが、今回結局ゼロ議席。更にそのサイコーの理由、鈴木宗男(偽)が比例一位で、それなりに仕事をした松木氏が比例二位だったのには人生の悲哀を感じましたよ。誰だってこの鈴木宗男が偽物だって分かっているのに、それにすら議員経験豊富で様々な修羅場をくぐってきた人間が及ばないとは……いや、騙される人もいるかと思いましたけど、まさか松木氏を抜いてトップとは……。何というか、こんなやるせないというのか恵まれない事はない、と本当にそう思っていた。
比例で言うと、あんだけアントニオ猪木が票を獲得するとは思わなかった。やっぱり歳なのか、私はアントニオ猪木の政治家姿というと、路上で黒タイツ履いて「消費税」と書かれた人形にドロップキックしている姿しか浮かばない。それに今回も何か老若男女を殴打し続けてたって聞いたけど、まさかそれであんだけの票が入るとは思えなかった。維新というとどの報道を見ても「従軍慰安婦発言により評判を落とし」という形容詞が必ずつくけど、あれって事実じゃないよなぁ……。ただ単に「従軍慰安婦の発言をした人間だぞ、忘れるなよ!」って国民に擦り付けると同時に、「従軍慰安婦に否定的な発言をすると社会からはじき出されるぞ、つまはじきだぞ」って言いたいだけな気がする。維新が凋落したのはだって単に能力がないからで……。自弁というか、金出せコラなら誰だって応募しないってそんなん。
ま、これで選挙は当分ない……いや、民主党が勝てそうになるまでは当分ないだろう、なんて思う。一票の格差判決が9月に出るらしいけれど、この時民主党に勝機があれば必ず裁判所は無効の判断を下す(実際はそうなると野田氏が全部悪いんだけど)。だからこれで仮免卒業というのは甘い誘惑、嘘の類で、本当に自由になれるのは9月。そしてその9月を過ぎたら、何が起こるんだろうねぇ……。
ただ……忙しいというよりも、「不祥事の尻拭いで精一杯」といったところが事実と言える。派遣の方に仕事を頼む事になったはいいものの、連日連夜苦情の連続。しかも派遣法というものがあるから改善の為の指示が出せず、何というか「お客様が怒り狂うのは分かっているのに放置せざるを得ず、そして責任者として自分が怒られる」という非常に不毛な事態ばかりだ。流石に私も溜まりかねて相手の責任者に指示を出すけれど、その内容、”お客様にタメ口で話す人を貴方は経験したことがあるか?”とか、”公式な書類を作る時に鉛筆で数字を書き込まれると対応できないんだけれどもそれも難しい?”とか、こんな事すらも無視され続ける。結果夜遅くなっても完成品は出て来なくなり…だいたい最近はずっと夜遅くまで残業してる。これが自分の仕事の結果なら何も文句はないんだけど、間違ってるって分かっていながら口が出せず、その末の後処理でこれだからねぇ…。
ただ私が一方で思うのは、「これも仕方ないかな」という事だ。だからこそ周囲からは”お前は派遣に甘すぎる。もっと積極的に指示しないからこういう事になるのだ”と責められるのだけれど、私はどうしてもその意見に対し同意できない。相手は不安定な労働条件をのまされた上で働いているのだから、その相手に対して指示を強く出すという事はどうしても納得できないし、もしそれをやりたいのなら、私は正規で雇うべきだと思っている。労働条件は悪いですよ、でもその金の分しっかりと成果は出しなさい……等言えるものでは到底ない。ボロボロになっているのは私のセクションのみでもう一つのセクションは派遣を使い始めてもそれほど崩れていないのはそうだが……それは凄まじい教育を相手に課しているからである。それこそ派遣の人にそこまで求めるのは酷じゃないのか、というところまで。時給で働く方にそんな事は許されないだろう、と感じるところまでやっているから、一応の成果は出ているのだ。
しかし、それは許されない行為だと思う。ただこの許されない行為をしない限り、多分私のセクションは崩壊してしまうだろうと思っている。「書類なくなっちゃいました、てへっ♪」、「あ、あの人ものすごく怒って帰っちゃいましたよ、短気ですねぇ……」こんな言葉が乱れ飛ぶ上、「お金がどっかにいったんですけど、見逃してくれませんか」という実務的な被害も出ている。書類は何があっても探し、怒って帰ったんだったらフォローするから報告して欲しいし、金足りないって犯罪だぞそれ、と言いたい、言いたいのだが……でもそれは派遣の概念から外れていると思うから言えない。でもその為に…このままでは決戦の為の準備時間が取れそうにない状況までに追い込まれている。
そしてこうして考えていくと、私の場合「決戦の為の準備時間が取れない」事が最大の焦りで、今の巣が崩壊する事が最大の焦りの理由になっていないことに気づく。前述の別セクションの方は、派遣法がどうであろうが自分のところを壊したくないから、徹底的に教育をやった。一方私は自分の信念もあるけれど、派遣法を踏みにじってまで巣を守るという意思がないから、法律を遵守した結果後手後手に回り、抗議の謝罪を繰り返しても動かないのに(別にこれ自体はかまわない)、それが「決戦の為の準備時間が取れなく」なると焦り出す。このままじゃまずい、と思い始める。それでも、いつもの流れのように聖戦の為だから私も直接指導をする、という事にならないのは、やっぱり前の巣でそういう職場の悲惨さを知っているから、と思う。前の職場でそういうところに勤めて上からすごい嫌な事を言われ続けた、という話をさんざん聞いただけに、その同じ人間にはなりたくないと思うのだ。
でも、それでも、現実は厳しくて……一線を越えなければならないんだろうねぇ…。
まぁざっと調べただけだから数字は確かではないけれど、何か『従軍慰安婦』の総計は70万人もいるらしい。70万人……そんなに慰安に食料と金をかけていた、なんてばれたら、中国の日本陸軍は本土に帰ったらフクロだろうな。牟田口のジンギスカンとか玉砕とか南方では食料も弾薬もないって苦しんでいた日本陸軍なのに、中国大陸では慰安にそれだけの金を費やせる……相変わらず無茶苦茶言うなぁと思うと共に、どうしてこういうバカな数字を出して結果的に、そういう可能性を全否定させる動きをするのかが分からない。70万は絶対に嘘である、しかしそのことで慰安婦の存在自体をどうこう出来る訳ではない、が……「数字が嘘なら内容もウソだろ」という風に話は往々にしていくのになぁ。
こういう数字の水増しというか、非常識な捏造は特にアジアはひどすぎる。南京事件に関しても確か最初は10万だったのが今は50万だったか? に被害者が増えている。50万となるともう殺害する事自体が拷問そのもので、そもそもが皇族が占領下の南京に来るからという動機らしいのに、下手をすると殺害途中で死屍累々の南京を見せる羽目になる。虐殺をするということは殺す道具があって埋める場所がある(野ざらしにすると疫病が蔓延するのでやりません。しかも50万が本当だとすれば間違いなく兵士は病気で死にます)事だが、いくら何でも都市の周辺にしかもあの短期間に50万人の亡骸を葬れる場所は造れない。それこそ、いくら狂気に取りつかれても物理的に不可能である。
ただ、この事は南京事件自体がでっち上げだったという事にはつながらない。思うに南京事件というのは、「南京攻略部隊が上陸してから南京占領まで」という幅広いタイムテーブルで、「道々で略奪しまくって南京で最後一番派手にやったから、シンボリックな意味的に南京事件と呼ばれているのではないか」と私は思っている。上陸して以来道々で略奪を繰り広げ、そして南京での処刑と言うシンボリックな事が起きた。勿論都市の規模や人口、後始末から考えれば10万でも論外な数字だが、それでも比較第一位は揺るがないだろう。だから……道々で起こった事件を南京につなげた。即ち「南京という都市で短期間に何十万も殺された」というのではなく、「南京占領の過程で多くの人が犠牲になった。その象徴が南京である」というのが実際のところではないか、と思っている。
しかしどういう訳か……慰安婦といい南京事件と言い、有り得ない数字を並べ立てて、結果「真っ赤なウソ」という批判を自ら好んで作り上げている現実がある。どうして数字をそんな有り得ない数に変えてしまうのか、そう変えれば史実にあったかもしれない事まで否定されかねないのに……でもそれが、罪悪感という洗脳によって教育をしよう、とした歴史教育の限界なのだろうと私は思う。最初の数が少なかったのは、戦後すぐ=沢山の人死にを皆が見ていた、時代だったから1万でも十分罪悪感を与えるに足る数字だったからなのではないか。死を間近に見ていたのなら、1万死んだといっても罪悪感は相当なものだが、当然それは世代交代、時間経過によって日に日に薄れていき、やがて1万程度の死者であれば「戦争だから仕方ないよね」という一言で終わってしまう。では、それに対する対抗策は何か、それが数の水増しである。1万では罪悪感を惹起するに足りなくなった、だから10万だ、20万だ……そういう事をやり続けて今50万人になっているのだろう。そしてその副作用で、50万人が嘘だと明白になり、結果事件自体も嘘だったのだろうという話になってしまうのだ。
数の水増しをする限り、逆に史実かもしれないことを闇に葬ってしまう。私は今でもそのように強く思っている。成程、数を多くすれば罪悪感はより惹起できるが、しかし反論されたら説明が出来ない。「どうやるの?」と聞かれたら説明が出来ないから、”疑問を持つんじゃありません! それとも貴方は、戦争賛美者なの? そうなの、そうなのね! キィィィィィ!!”となるのであり、そしてそんな歴史認識なんて絶対に定着はしないのである。数の水増しはしない、ただし何があったであろう、という事は確実に教える、その方が逆にすんなり史実が定着する……ま、そー思っても「30万人確実に死んだんだ! お前何デタラメ教えてやがる!」とキレる人もいるわけさ(遠い目)。
さて、と。久々に歴史ネタで日記書いて、スイッチは切り変わったかな(笑)。今私の巣は崩壊寸前で恐らく滅ぶが、私は私の本願を貫くまでの事だし、私で打てる手は全て打ったからこれで堂々と戦いが出来る(絶対恨まれると思うけど、他部署に援軍要請を出した。外部に恥を晒す事になるって言われるのは目に見えているけど、破綻するよりずっとましなはず)。都もどっぷり体感した。もう大丈夫。どれ程遠い地方でも今年は全て逃さず狙って、そして五度目の奇跡を起こすだけやっ!
一つは自分が努力して優勢になって、そのまま勝負して勝つ道である。これが一般的な勝負への臨み方で理想、というかカッコいい姿として世間では認知されている。だが、これは方法の半分でしかなく、もう一つ、大抵の場合むしろこっちの方がやりやすい場合の方が多いのだが……「相手を弱体化させることで楽に勝利する」という方法もある。今何かいきなり『従軍慰安婦』なるものが取り上げられているけれど、要するに”参議院で20議席を得ました、でも自公過半数なので相手にされません”より、”参議院での議席は10議席しか取れませんでした。しかし自民を”維新と同じ穴のムジナ”と判断した有権者が民主党に入れてくれたので、自公は過半数を握れませんでした。キャスティングボードはもってます!”を選択したに過ぎない。恐らく発言した当の本人は、この問題について何一つ考えておらず、ただ単に民主に議席を多くとらせて自公の過半数獲得を阻止、それでキャスティングボードを握りたい、という打算しかないんだろうなぁ、なんて感じだ。
実際この発言によって、みんなだか何だかが選挙協力を辞めるという。ただでさえ少数政党である維新とみんなが敵対すれば議席を更に失うだけだが、問題はその失った議席が誰に行くか、という事である。1人区は元々自民か民主しか勝ち目がない(除く沖縄)からいいものの、問題は2人区である。もしも自民、民主、維新、みんなと四つの政党が出てくれば、2位は必ず民主になる。こう書くと一見損に見えるが、しかし自公の過半数を防ぎ、かつキャスティングボードを握る為には、民主党に勝ってもらわなければ仕方ない。いくら10・20の議席を稼いだところで、過半数を与党に取られたらそこでもう完全におしまいなのだ。それに対して維新が自力で勝てると思えば自力で戦えばいい、それこそみんなだろうが何だろうが同盟を結んで戦えばいい。しかし戦っても無意味であるなら、これはもう民主を上に立たせ、自民を引きずりおろしてしまうしかない。事実、『従軍慰安婦』問題を提起して自分が批判の矢面に立っているように見えるが、実際は「どうだ、俺、危ないだろ? でも今の総理だっておんなじこと言ってるんだぜ」と国民にアピールしているだけにしかどうしても見えない。要するに維新の共同代表が発言をして徹底的に泥をかぶり続けているのは、”あいつも同じだ爆弾”でその泥を全部自民におっかぶせるために過ぎないのだ。
だから維新は発言を辞めないし、これからも益々ヒートアップすると思う。何といっても維新が発言をすればするほど「あいつらあぶねぇよ……あれ、でも自民も同じこと言ってない?」という層が増え、同時に「……危ないから、民主にする?」という層が増えてくる。そしてそうすると参議院選挙は恐らく自公過半数まで届かなくなり、民主党議員がどんどん増えるという結果になるが、それが為に維新としては最大の利益を得る事になる。要するに維新の発言はそういった類のもので、この『従軍慰安婦』問題についてはどうでもいいとしか考えてないんだろう、と思う。あくまで私の感想だけど、ここで潮目が変わったように感じている。多分次の参議院比例、民主は結構健闘するのではないか(維新と自民が「急進派」のレッテルを貼られるから)なんて思ってもいるのだ。
ただこの『従軍慰安婦』問題については、いい加減別個解決すべきだと思っている。そしてそのカギは、「中国残留孤児はいるのに朝鮮残留孤児はいない。朝鮮で慰安婦になったと言う人はいるけれど、中国で同様の事があったとは聞いたことがない」という厳然とした事実だと思う。中国残留孤児、戦争で敗れた後日本人が中国から撤退する際残された日本人の子どもなのだが、”撤退する時に残された”とするのであれば、朝鮮半島に残った日本人の方がよほど多かったはずである。そうであるのであれば、普通は朝鮮残留孤児の方が圧倒的に多いはずだ。しかし、そんな話を聞いたことはない。ただし、中国も挑戦も、戦争終了後に置かれた状況、即ち「日本人の子どもが置き去りにされた」という事は同じだったはず。ということはその状況に対して取り得る行動がそもそも中国人と半島の人では全く違うという事だ。
また、(元々声高にいう事でもないけれど)、今の『従軍慰安婦』の外国イメージが本当であれば(軍がトラックで乗り込んで行って、村に入って人間を刈り取るイメージ)、慰安婦の数は圧倒的に中国人の方が多いはずである。理由は簡単、中国戦線で戦っているのだから、調達するならそっちの方がずっと便利でやりやすいからである。よく「点と線」等と言われるが、日中戦争において日本はかなりの領域を占領していた。その日本が、またそのようなイメージの『残忍な』日本軍であったなら、わざわざ朝鮮半島に行かず、近いところでやっていたに違いがない。要するに今のイメージは”徴発”のようなものだが、それをわざわざ占領地ではなく遠隔地に求めるような事はしない、にも関わらず、中国でそんな事があった、とか、経験者がいるという話を全く聞かない。どういう訳か、あれだけ「凶暴」な日本軍にも関わらず、現地の人間にそういう事を全くしなかったという訳だ。
強制連行であるのであれば、わざわざ遠隔地から組織するような理由はない。そういう発想を持っている軍なら、現地でやる方が現実的だ。また、慰安婦を本当に求めるのであったとしても、わざわざ軍隊がそれに向けて動く必要はどこにもない。当時はまだ貧しく、そういった行為にお金を受け取って生活している人はかなりいた。慰安婦を強制連行した、という事は「進んでそういう仕事を引き受ける人達全てを動員しても全く足りなかったから」ということになるが、あの当時のアジアの人口と貧困を考えると、そんな全ての「その行為でお金を得る人」を使っても尚足りないというのは有り得ないと思う。それに実際問題、仮に慰安婦がどーしても必要という事になったとしても、そもそも軍が力で持って出来る話ではないのである。そりゃ武力はあるから誰かを引っ張ってくることは出来ただろうとは思う。ただ誰でも引っ張ってくればオッケーかというとそれは全く逆で、軍隊で一番困るのは性病の蔓延による軍事力の低下なのだ。
もし仮に今の外国イメージの通り日本軍が慰安婦を強制連行・動員していたとするならば、軍のトップは真正のバカである。向こうの言う史実に従うと、何かトラックか何かに詰め込まれて現地に送り込まれて行為を強制された、という事になるんだろうけど、そうなったら軍は性病まみれで壊滅してしまう。連れてきた当初からという事もあるが、慰安婦の体調管理が出来なければ人間だんだん身体が弱り、結局は病気を持ってしまう。強制連行した軍に慰安婦の体調管理なんていう細かな仕事は出来ないから、結局強制連行・動員で対処すると、軍隊という軍隊が性病まみれになるのは火を見るよりも明らかだ。また強制連行・動員の類であったとするならば、恐らくその体調管理は杜撰で、かなりの数の方が亡くなっている筈である。しかし、そうだとするならその亡骸はどこにどのような形で葬られたのだろう? 強制連行・動員なんて乱暴なやり方をしていたなら、間違いなくどんどん亡くなっていっただろう。ではその亡骸は? また朝鮮半島から軍を使って現地に送り込もうとすると否が応でも中国と満州国を通る事になるが、その帰り道に行き倒れたら、流石に記録に残るのではないだろうか?
といった事から私の考えはおのずから定まってくるところだけど……この問題が厄介なのは@そりゃ強制じゃなかったにせよ、貧しい暮らしをずっとしていて、そんな時に広告が出て「行け、お前行け!」と半ば追い出されるように商人に身売りをさせられたら、まぁ恨む相手は国家だよなぁ。当人からしてみれば、そりゃ買いに来たのは民間の会社ではあったけど、そもそもこんなん必要になったのお前等のせいだろ! と思ったって不思議じゃない、ということ、A某稲川氏と同じように「だって見たんですから!」といって聞かない相手は何を言っても否定できない、それとBいくら強制連行がでっち上げと言う証拠をつきつけたところで、相手はそれを認めると”国家権力の被害者”という一種のヒロイン的な立場から、一気に”売春婦”へと失墜する事になってしまう。だから認める訳がない、というこの3つがあるからである。簡単に言うと、強制連行がなかったという事実を突きつけたところで、ふざけんな!という思いまでは消せないという事と、今更認める訳にもいかない、引っ込みがつかないという事なのだ。
その為無理に説得しよう、などとやっても無意味である。史実をきっちり揃えて今は反論出来る状態だけつくり、冷静になったところでじっくり話をした方がいい。世の中、正論だから通るわけではない。とおしたら都合のいい話こそが正論になるのだ。だから都合のいい話に周辺がとらえるまで待つ、これが一番だと思う。……でも、また騒ぎ立てて自民の票が減り、民主が増えて国会のねじれは継続、維新はキャスティングボードを握り続ける……代表は笑いが止まらないだろうなぁ。みんなの党も騙されたのか策に乗ったのか知らないが、民主党を利する行動を取ってるし。まぁ……正直言うと自民も民主もどうでもいいんだけど。この流れる票を生活がどれだけ取れるかだよなぁ……。新潟、広島、岩手、それに比例も出来れば2とか3とか……うーん、厳しいなぁ……。減税を引き込めれば比例東海で……でも、ダメだろうなぁ。
……そういう内容で募集をかけていることが判明したもんだから、来月は無休の勤務を決めた。事の発端は「事業委託の相手を変更しよう」、という上層部の強い意志(=というか遺恨だなぁ、あれは)によって、現在の委託契約先がたたっ切られた事による。元々この”ぶった切り”についても何故に?という思いが多少はあったが、一番の問題は次の事業の受注先。「いやっ、お金はほんと少額でいいです。でも仕事は絶対にきっちりやります。ええ、まかせてください! 経験者をそろえて、それに責任者も必ず用意して、正確に仕事させますから」……どうしてそんな口上に騙されたのかはしらないが、その「本当にお金は少額でいい」といったところに契約先を変え、そこの業者がいつになっても業務打ち合わせに応じないから”どうしたの?”と思ってたところ、「まだ従業員がいない」という事実が発覚した、という訳だ。
未経験者大歓迎、ね……。
何といえばいいのか……私自身が裏で履歴書を方々に送りまくっている状態だから、経験者じゃないとダメ、という制限に関しての敵意は真から理解出来る。だから私は何とかして対応しようと考えてるけど、でも、実際未経験の人だとダメな仕事にこの求人って、問題あるんじゃないかと思う。今回の仕事は別に命のやりとりをするような場所ではないから未経験者でも死にはしないが、それでも多分委託をする事によってこっちの仕事は倍以上になる。別に差別でもなんでもなく、初めて仕事にかかれば必ず失敗する。これが普通なのだが、その失敗に対して此方は”それが起こらないように”なんて配慮は無理だから(初めての事を失敗なくやる人たちがいたら、そっちの方が怖い)、”起こった時にサポート出来るように”体制を構築するしかない。が、実際に仕事をする人間だけでなく、「責任者までが未経験歓迎」で募集をされている現状となると、流石のそのサポート体制の構築事態にも限界がある。
またこの委託というのが……派遣法の関係から指導する事が認められない(指導すると「雇用関係にない契約なのに、実際は雇用関係にある」という状況になってしまい、好意でやっても違法になる)もんだから、どれだけ先方が間違いを重ねても、その修正方法の指導は出来ない。「この数字は違ってますよ」という話を責任者にさせて、差し戻しさせることは出来る。しかし「違ってるのはここで多分間違えていて、それでこっちの数字を当て嵌めて云々……」とやると指導になって、これは完全な違法行為だ。そこで想定される最悪の事態は、「間違える」→「差し戻す」→「また間違える」→「また差し戻す」→「また間違えて修正の出来ないことになってしまう」、というものだが、一番の手段である「一度間違えた時に自分で修正をしてしまう」というものが、この派遣法に基づく委託では出来ない。間違えてその後、ごちゃごちゃになるのが分かっていながら、それでも放置しなければならないのだ。
未経験者歓迎。その派遣業者がそう謳った以上(立派な契約違反ですが!)、歓迎できるように何とかするしかない。でも、多分上手くはいかないだろうと思う。提示している時給がほぼ最低賃金レベルでは……しかも全員それで責任者も同じような雇用とは……。多分これで働きに来る方も”条件が違う!なんだこりゃ”というだろうけど、それはこっちも同じなんだよ……。はぁ……。
ここに来る人間はひそかに脛に傷を持つ、ではなく、周囲から見ても明らかな程大きな脛を持つ人間ばかりであるらしい。というのも……もう一人の正規職員については私でさえも良く知っている、確か昨年”破産”の罪を問われて流された人だった(予算が途中で尽きてまぁ……年度末はもう他へ夜盗同然に備品を奪いに行ったっけ……)。かやた私は内通の罪を問われて流されている訳だから、何というかここは完全にこの巣の”島流し場所”なんだなぁと痛感した。何よりも机に残された仕事の量……というよりも督促状の山。「……なにこれ?」といきなりの最終通告に頭を悩ませていると
「あ、電気代払ってくれる? 多分あと5日で停まると思うんだ」
という素晴らしいお言葉が上司から降ってきた。は? 前任者が支払い責任者だったけれども何もしないからこうなった? いや、そりゃ前任者も悪いでしょうけどこれ放置したらまずいんじゃない? っていうか本気で危ないだろ!
「まぁ、そん時はそん時。なんとかなるでしょ」
……いや、何とかなんて絶対にならんて……。というか、その場合って盗電するってことか……それって戦後すぐじゃねぇか! そこらの電線に銅線巻きつけてパクれとでも言うつもりかよ! で、その危ないのは電気代だけですか、と尋ねれば、まぁ当然電気代だけではないわけで。リミットが5日なのが電気代だけで、他のものも全て最終通告状態で、いつ停まってもおかしくないとのこと。なのでとりあえず一日目はこの支払いをすることに費やしたのだが……どうした訳か前任者が抱えていたはずの仕事の資料がない。ただ……空の机の割にはどうも最下段の底が浅すぎる気が最初からしていて、ひょっとして、いや、そんな馬鹿な事は流石にしてないだろう、でもなぁ……と思い軽く拳でぶっ叩くと。
出てきましたよ大豊作♪ 全ての仕事が期限切れというおまけつきで♪
期限が切れてるからもう正式には手の打ちようがない。情にすがるしか手はないからひたすら相手に謝罪の連発。こっちだって流刑一日目でそんなに謝りたくはないが、何しろすべてこっちの責任なのだ。謝って謝ってなんとか許してもらうしか術がない。というよりも……よくこんな状況で放置しておいたな。大体既に襲撃で腹を固めている私がいきなり奮闘するという時点で狂ってるって。
いや、……ここはそう言った発狂者の収容所か。
どうやらここの職場は、どれだけ狂っているかによって優劣が決まるところらしい……。私は「次内応先が完成したら即日寝返り、後の事は知らない」を腹に抱え、他の人間も恨みやら訳の分からない個人的観念やら抱え……まぁ、早い話がやっぱり島流しの場所なんだなぁという事。ただやりにくいなぁという想いはあって、それは正規以外の方も含めて全員が「この仕事場がどうなっても俺には関係ない」と思っている事で、だから破綻に気づくと気づいた分だけ仕事を背負う羽目になる。協力は一切求められない……だって相手は「別に破たんしたっていーじゃんか」と思ってるんだから。だから仕事をする奴と言うのは物好きと分類される、ここは本当にそんな場所だった。
……ま、それでもいいですけど。
取り敢えず本年度分の橋頭堡が確保できたのだ、これにて上等とするべきだろう。とっとと寝返ってとっとと本陣に殺到して殲滅するだけ。最早裏切りに一点の迷いもない。そして裏切りの時はなるべく派手に、全ての巣を巻き込む形で全面戦争にしたいものだ。
その為にも、まず総復習から始めないとなぁ……ただ、流石にもう新しい事が覚えられるか自信がなぁ……。
主文
被告人は既に雇用を受けている身でありながら他所に内通を繰り返し、再三の指導にも関わらず、とうとう今年になって正式に通報と抗議が来るという多大な迷惑を当方に与える事態を起こした。その行為自体に違法性はない、という被告人の主張はその通りであるが、その行為の引き起こした事態への責任の取り方は杜撰以外の何者でもない。そもそも私事であるはずの被告人の行為に当方が追われる必要はなく、また私事で違法性もないと主張するのであれば、何故私事でとどまるような処置をすることが出来なかったのか。これは私事が違法性こそないものの悪意に立脚している以上、結果責任を問われるべきもので、抑え切る事が出来なかったという結果について責任は発生すると判断した。
また発覚から1か月が過ぎた2月に到っても尚収まらず、それによって提出した誓約が正式に履行されなかったどころか、更に苛烈になった事にも責任は発生すると判断される。絶対に話をここで終わらせると誓約をして相手先に出向いたにも関わらず、その直後から相手先の問い合わせが更に苛烈になったのは、交渉能力の著しい不足と言わざるを得ない。「個人情報保護に関する法律」の解釈論にまで話が及んだが、この対応をこなすために多大な人的・時間的損失を当方は余儀なくされている。しかもこれは被告人が黙秘した為に始まった話であり、そのため被告人には素直に全てを開示するように求めたが拒絶し、結果その問い合わせが当方に押し寄せる事となり、事務の停滞は避けられない状況となってしまっていた。
送付されてきた資料を読む限り、被告人には2つの心が同時に存在するようである。違法ではないまでも悪質な虚偽であり、また交渉に足を運んで更に激化するというのは、むしろ被告に悪意があったからとしか思えない。総じて被告人が与えた被害は甚大であり、かつ内容は極めて悪意的で、再三のほぼ明示的であった警告を無視しての今回の行為である以上、当然その責任は一身に帰すべきである。その為再三にわたり被告人に自ら進退を明らかにせよと迫ったが、今日に到るまでその返事がなかった。その為、今回の判断となったものである。
この判決は被告人の前途を完全に遮断するものである。被告人が不服であることは容易に想像されるが、被告人よりももっとずっと多くの人間がこの判決に不服であることを理解してもらいたい。被告人には直接関係のない事とは言え、本年度は大規模改修の年であり、元々その準備によって時間は足りない状況であった。その上被告人の問題が浮上し、更に被告人が自身でそれを納められなかった為当方が対処した結果、編成の改変がとうとう本当に間に合わなくなってしまい、案件を遅らせざるを得なくなった。その為管理職や長にその旨説明しているが、当方自体強い叱責を受け、本日ようやく新しい組織案の素案を10日遅れで完成させたばかりである。先方の要求は全て前例のない事であり、先方の要求によって被告人を斬首することは出来ない為に斬首ではないが、事態の説明を受けた管理職の中には、切腹を促しても駄目と言うなら斬首すべきではないか、という意見が少なからずあったことは是非とも胸に留め置いてほしい。出るところに出る、という話も多少漏れ聞いているが、出て損をするのは被告人である。むしろ出てもらった方がこちらとしては大助かりである、というのが本心である。
この決定に不服ならば、如何なる手段をとっても良い。尚この判決は来年度開始時から有効とする。
……致命傷は2月、か……。あの時土下座謝罪に行って火に油注いだのは自覚していたが、まさかあの連中本当に開示請求までかけていたとは……。そこまでするか、勿論二度目の内定辞退だから絶対に許さない、というのは分かる。しかし、そこまでするとは…。
首がつながった、といって感触的には1年・2年が限度でしょうなぁ。
……別にいいんですけど。
既に準備は出来てますから。はい。いよいよ10年目、メモリアルイヤーです!
普通に考えれば保護費でパチンコなんてふざけるな、という話になるが、実際のところはこういう目撃証言は本当に後を絶たない。日本人ってあんまり他人に興味ないんだろうなぁ、と思っていたが丸っきり嘘で、実はしっかりと周囲の人を確認しているという事がこの一件でよく分かる。まぁ目撃証言の多い事多い事、で、実際にガサ入れをやるといるわいるわ……一体何をしてくれてくれるんや、と思うし、大体私はうるさい音とタバコが大嫌いなので、そもそも行きたくなかったりする。それでも行かなければいけない程やっぱり証言は多かったし、ほっかむりも出来ないような状況だったのを覚えている。
ただし、…保護費でパチンコを打つことをいくら禁止しても、憲法違反は間違いない。
根拠は「相続」の場合の扱いにある。制度を利用して生きていた人が亡くなった場合、大抵素寒貧ということはまずなく(借金が禁止されているので借金もなく)、いくらかのお金を残している場合が殆どである。その金額が些少であるなら…葬祭費充当(亡骸を荼毘にふす為のお金、これに充ててしまう)で方はつくが、問題はそれで残った場合。有り得ないと思うかもしれないけれど、10年、20年貰ってる人の場合は結構腰を抜かす程持ってたりしてて、しかも大抵出てくるのが荷物を撤去したその時(大抵は箪笥の奥底で、誰もそこに隠しているとは知らないから。一度雉のはく製の中、なんて”マルサの女じゃねーんだぞ”ってところに金があった事もあるし)だから本当に始末に負えない。葬祭費充当も全て終わった後では出来ないし、そういう形で出てくるのは大抵かなりの額の金である。ではこのお金はどうなるのか……実は、「遺産相続」の対象になるのである。
遺産かよ!、と思われるかもしれないが、実際そうなっているのだから仕方ない。そりゃそのお金がいつ収入として入ったかが明確で(収入として認定するには期限がある為)かつ最近であれば、強引に遡及できなくもないが、大抵はこつこつためた金なので、遡及範囲分をかっぱいだところで殆ど原資が減る事はない。そしてそのお金は遺産として相続の対象となる、つまり「私的に使える金、本人の財産」という扱いをされる訳であり、即ち貰ったお金は貰う過程においては公的な側面が強くても、貰ったら最後私的な財産になるという解釈をしているのだ。そうである以上、私的な財産となった金の運用について国家に束縛されるいわれはない。私的財産の自由は憲法の基本原理であり、貰った過程が犯罪でない限り、その自由は制限出来ないのだ。
ただ……パチンコしても本人の利益には本当はならない。
というのも、勝った分保護費を引くから。制度における収入の概念って実は広くて、例えば今書いているパチンコの勝ち分についても収入、と考えてしまう。しかもこれは働いて得た所得ではないので、控除も何もあったもんじゃない。例えば4万円勝った、となれば翌月の保護費から4万円そのまま差し引かれる。20万だったら単身なら2か月弱の保護停止だ。勿論パチンコで勝ちましたので申告します、なんて人がいるわけはないが、もしも申告せずにごまかしていたならそれは不正受給である。10万勝って黙っていました、それがばれたら翌月分から10万円引くだけの話。だから本来パチンコをする意味がそもそもないのである、勝ったところでお金になるわけではないので、ゲームをしたいならゲーセンにでも行った方がずっと安上がりなのだ。
しかし実際はパチンコ行って、そこで遊んでいる人が多い。しかしこれは財産使用について文句をつけるより、「やってもいいけど、それで負けても保護費の追加はないからね。勝ったらその分で生活してね」という、昔からあるこれを強化すればいいだけだと思う。市民に通報義務が、という話だが、そもそも義務化されなくてもそんな話は嫌になる程届いてくるし、残酷だなぁと思う程すぐに噂になってしまう(特にその人がバカ勝ちをすると集中的に通報が来る。さもしいなぁ……)。ただ問題は”そこまでやっていいのか”という雰囲気があることなので、それは撤廃して欲しいと思う。それが出来ればいくらでも動きようはあるし、パチンコ屋の新装開店日なんてすぐにわかるから、いくらでも動きようがあるのだ。
ただ本来は、こんな法令がどうこうって話じゃなくて、暗黙の了解として税金でギャンブルすんな、というだけの話なんだろう。で、昔はこれが暗黙の了解で法律として明文化する必要がなかったからしなかった、たったそれだけだと思う。だけどそれじゃダメなんだよなぁ、とつくづく思ったエピソードでした。でもまぁ、その前提は今もあるように思うんだけど……。
あ、ちなみに。憩いがなくなるだの人生の楽しみがなくなるだのアホな事をほざいている方がいるようなのですが……どう考えても働けない方の場合、文化サークルや簡単なボランティアサークルの紹介もしますし、公共施設主催の行事も積極的に案内します。公園の散歩も薦めるしね。またどーしても電子音がないと不安だ、ピカピカしてないと楽しめないというのなら、50円で2ゲーム出来るゲームセンターがあるのでそこ行ってください。多分安価で長時間いられると思うので。こっちも人生の憩いについては一応配慮してんだよね、ゲームセンターまで譲歩して。
博打は全て胴元だけが儲かるように出来ているもの。博打をするということは、札束に自分で火をつけて「アハハハハハハ、アハハハハハハハ」とヒーヒー笑ってるのと同じ。博打、良くない。ダメ、絶対。…最近あんまり報道されないけど、それ原因でどれだけの人が首つって死んだと思ってるんだ……全く。
何でも生活の党との連携を色々な甘言を蒔いておきながら結局踏みにじった(←ここ重要)党の議員が国会で話したらしいが、はっきり言って噴飯ものである。何というか…ひょっとして相手は本気でそれが事実であると思っているから主張してる、と考えてる?相手が主張しているのは、それが自分の利益になるからで、事実を突きつけたところで何も変わるわけがない、アンタそれは事実と違うよと言ったって、鼻で笑われるだけでしかない。何故なら相手は、そもそも事実に基づいてないのは百も承知だし、根本からして主張が事実に基づいていなければならない、なんて考えを持っていないのだ。だから「それは嘘だろう」といったところで全く意味がない、というか笑われる、「当たり前だろう、そんなことシラネェヨ」で終わりなのだ。
だいたい少し考えてみればわかると思うが、自分が日本軍に狩られたと証言している人が証言を覆す可能性は零である。本人にしてみれば「戦争の被害者」というヒロイックな立場、金銭をせびり取れる立場から「性を売り物にした存在」になってしまう発言を、そもそも認める訳がない。そりゃ今まで「そんなことには一切かかわってないです」と言っていれば知らないが、慰安婦だろうが何だろうがそういう事を過去にしました、とオープンにしている以上、「戦争の被害者」という立場を手放すはずがない。むしろ「エヒヒ、待ってました」とばかりに”反省してない! 私達は、私達は!”と言い続けるだけである。言えば金がとれる、だから言う。事実、ソンナの知らん。そういう世界に対して「事実はこうだよ」という発言ははっきり言っておろかであり、みっともないと思うのだ。
何故そうなるのか。それはこの日記で何度か触れているので簡単に話すと、要するに物証で積み立てる考証史学は日本のようにある程度過去の事物が残っている国でないと成立しないため、全ての国がとり得る訳ではない。そして取り得ない国は想像で造るしかない、そして創造のやり方は、現在起点。「今の自分たちはこんなに素晴らしい。こんなに素晴らしい自分達が最終結論なのだから、その過程は素晴らしいに決まってる。そうだ、うん、だからこれはこうなんだ、こうなんだ」と妄想をたくましくするより歴史を作る術がない。これがもう一つの歴史学であり、この歴史学で最も重要なのは物証ではなく「愛」である。これが誹謗中傷じゃないのは、その国の学会誌を読むと嫌と言う程分かると思う。愛・夢・偉大といった、考証史学だとそれだけで論文として×(感情をさしはさむのは余程でないと御法度。論文扱いされなくなる)な言葉が本当に一杯あるんで。
では一体どうすればいいのか。他国がファンタジーを史実だと言って、証拠は?、と聞いたら”民族愛”と答えるような連中だったら(これが本当にあるからやってられないんだよなぁ)どうするのか。証拠を言い立ててもそもそも「しょうこ? なにそれ美味しいの?」なので、此方側が言っていない真実を言い立てるという別の切り口があると思う。例えば高麗のくだり。元々高麗王朝というのは非人道的極まる王朝だったが(離れ小島に籠城して数十年。元軍は騎馬民族中心だったので島にはそりゃたしかに来ないが、陸地は当然占領され、高麗国民は地獄の目に遭わされていた。それでも放置して数十年)、特に日本に対する非人道的な扱いは筆舌に尽くしがたいものがあった。例えば対馬島皆殺し事件、これは蒙古襲来の前哨戦とも言える戦争で、高麗はここで女子供構わず皆殺しを働いている。また皆殺しをやっただけでなく、捕虜の手首に穴をあけてロープにつるして船で輸送、という鬼畜な事もやっていた。勿論、そんなの教科書に載らない。その国の教科書には「日本を征伐すべきです」と高麗が言ったので元が力を貸してくれたという、「じゃ、蒙古襲来は貴様らのせいか!」という記載が普通に載っている。元々征伐という言葉自体問題なのだが、それには一切日本側は触れていない。まずそこに触れるべきだと、私はひそかに思っていたりする(いや、実際私が授業をしたときはモロに触れましたが)。
あとは、朝鮮出兵前後のくだり。朝鮮出兵の教科書記述って、相手側は日本が再び朝貢を求めて来たので応じた、って書いたって、日本側は単に国交回復としか書いて無いけど、実は陰惨にひどかった。というよりも朝鮮出兵の頃から一番加害やらかしていたのは明軍だったような気がするが…現地調達を朝鮮で平気でやるわ、要害に居座って出て行かないわ……朝鮮出兵について調べれば調べる程、「明軍ってあれ援軍じゃねーよな」と思える程だ。だから朝鮮出兵の恨みの根本は日本ではなく、日本以上に暴れまわった明軍と、明の後継者を名乗ったばかりに清にズタボロにされた為政者の失敗に本当はある。しかしそこをつけていない、というのは確かにあるので、今後はそこをつけたらいいのでは、なんて思うのだ。
ただ…今の歴史教育でこれをやると『乱れる』んだよなぁ。要するに歴史の流れ(日本が悪いですすべて悪いです、生まれてすんません)から外れるから、歴史の理解が落ちるんだよ……。あと、余計な対立。韓国の歴史教科書を使って授業して、軍国主義的とか嘘つきとか訳分からん。あの時余計な対立をしなければ…と言う思いは正直あって、今更ぽっと慰安婦の問題だけガタガタ言われても迷惑だ、としか思わない。切り込むなら歴史学全体、いずれ書くけれどあの真っ暗一辺倒の江戸時代をまず何とかしろや! 徳川家だけだったぞ二百数十年も争いのない時代造れたのは!(平安・鎌倉・室町も戦乱が絶えなかったわけで……そんな中二百数十年争いなく統治できたのは奇跡)
ま、その前に私は来年度の準備をするんだけどね…。
その老婆はほんの少しだけ知的に障害を持っていましたが、それでも彼女なりに真面目に生きて、結婚もし、子どもを授かり育てる事も出来る生活を営んでおりました。特に旦那さんは優しく、自分にもしものことがあってはと、基礎年金は勿論厚生年金・生命保険など、ありとあらゆる対策を老婆の為に打っていました。本当はそのような対策、いい意味で無駄に終わるのが理想です、でも、この旦那さんはどういう神様のおぼしめしでしょう、若くしてこの世を去ってしまいます。それでも、老婆が生活に困る事はありませんでした。何故なら旦那さんの死亡により、保険に加え、遺族厚生年金が下りるようになったからです。お金で全てが片付くわけではない、でも、やはり生活していくのにはどうしてもお金は必要です。それに、軽度とはいえ彼女には障害があったのです。そういう意味で、この年金は彼女にとって、大切な大切な命綱でした。
……そしてそれと同時に、彼女をいびり殺すとても残忍な罠でした。
年金が入り始めてから、疎遠になっていた子供が急に「仕事を辞めて」帰ってきました。障害のある老婆は何が起こったか全然分からず、しかも自分に入るはずのお金を全部取り上げられ、時にはお腹を蹴られていました。これが普通の人だったら抗議のしようもあったのですが、障害のあった老婆には、それを訴える術はありません。保険金は消え、年金は消え、やがて自宅は借金のカタとなり、とうとう家を失う事になったのです。
しかし家を失っても、年金収入がある、という事は全く変わりません。引っ越したのちも子どもによる収奪と虐待は続き、それがやっと救われた時、老婆は滅茶苦茶に散らかった部屋の片隅で何故かびしょ濡れでした。借金を整理し、法定代理人を立てて年金の収奪を辞めさせる。しかしそれをしても尚、老婆の不幸はなくなりません。お金を取れなくなった子どもがあっけなく蒸発した一方で、今度は老婆が一人で生活をしなければならなくなったのです。
しかし、そのような事がどれ程大変か。そして無理な事か。
老婆は結局…介護施設に送られることになったのです。
…介護施設というところ。そこは一見、やさしさと善意に満ち溢れているように見えますが、一方でしっかりと区切りを持った、ある意味厳しい場所なのです。「ウチは軽度の認知の方までしか扱えません。暴れたら出て行ってもらう事になります」、そういうところばかりなので、暴れたりして扱えないと判断されたら最後、どんな状況でも即刻叩きだされてしまいます。勿論こういう時にも基準はあって、”家族のケアがある。というか家族が五月蠅い”場合は面倒を見てくれたりしますが、そういう人がいない場合、すぐに叩き出されてしまいます。このお話の主役の老婆も、元々の障害と環境の激変が一気に襲ってきたことで錯乱し、不安で暴れてしまったのです。基より庇ってくる、もしくは暴れてくれる身内もいません。こういう人は、その人の幸不幸など関係なく、すぐに出されてしまうのです。
では、そういう人はどこに行くのでしょう?
…そういう人を扱う専門の場所に行かされるのです。
「部屋の中に遺骨がある。扱えないから何とかしてくれ」。そんな実に身勝手な話を子どもから電話されたとある人は、渋々ながらも家に向かい、既に主のいなくなった部屋の中に入りました。ゴミ、ゴミ、ゴミ。真夏のコンクリートに水を打った際に出来る陽炎のように、一歩一歩歩くたびに小さな羽虫が足に絡みます。しかしそんな事を気にしていては目的を達することは出来ませんから、その人は心を無にして仏壇の部屋に向かいます。そして…濃い茶色の凄まじい臭いを放つ液体が溜まる、沢山のゴミ袋を全てかき分け、目的のものを見つけました。
腐敗した生ごみの汁で茶色くなった、元、白木の箱をです。
警察にいって手続きをして、丁寧に遺骨を葬りました。そしてその時、その人はどうして部屋の中に遺骨があったのか、その理由を思い出したのです。「ずっと一緒に、いたいから」。それはその人が老婆から聞けた、数少ない言葉の一つでした。しかしそれは叶いません。介護施設がそれを引き取る事を当然のように拒否したからです。せめて一緒に、その願いは結局叶えられず、その老婆は結局、平均寿命から数十年も早く、生涯を閉じる事になったのです……。
もしも年金がなかったら。もしも保険がなかったら。もしも子どもがいなかったら。
その人はふと、そんな事を考えます。年金があったから子どもが寄ってきた、そもそも子どもをつくらなければ、こんな事態にはならなかった。自分の面倒を見てもらうには子どもが必要、等と言われますが、それが必ずしも真実ではない。子どもの胸先三寸で全て決まる老後なんぞ危なくてとても出来やしねぇ、と、そのように思うようになりました。
人は残酷で、冷酷で、残忍なのです。
もしも何も持ってなかったら、むしろ誰にも狙われず、幸せに余生を過ごせただろうな。最近はそんな風に思っているそうです。旦那さんが残した老後の備えは完ぺきでした、しかし完璧だったあまりに子どもが寄ってきて、そして全てを奪い去り、最後は施設に押し込み消えたのです。その子どもにも同情の余地は、あるいはあるかもしれません。そのような子育てをした彼女にも罪はあるかもしれません。しかし、十分な備えがありながら、子どもというどう育つか分からない不確定要素があるばかりにこのような事になった、それは、誰も反論できない事実だとその人は思っているそうです。
子どもは、本当に天使でしょうか?
自分が満足に自分の意志を伝えられなくなった時、全てを目の前の子どもに預けるのです。
不安は、ありませんか?
子どもに虐待をされない自信、ありますか?
貴方が今育てている子どもは、将来貴方をどう扱うか、それに安心が持てますか?
性善説が全てハッピーエンドで終わるわけではない。最近その人はそのように思っているそうです。
……えーっと、まずこれはフィクションであるという事と、ノンフィクションの部分もあるということを注釈します。何というか最近「お前そんな育て方して…相手は老後で自由に動けなくなった自分の命運握る奴だぞ」というシーンを良くみかけるので、ちょっと物語を造ってみました。ええ、これは物語です。ただ、誰かが体験している話ではない、と断言する事も出来ません。断言できるのは神様だけですからね。でもやっぱりこれは物語なのです。何故なら……。
……これでも相当救いのある話に修正しているからです……。
見渡す限り赤茶けた大地。ああ、空がこんなに広いなんて知らなかったよ。んー、っ はぁ……青いなぁ…。ほんと、絶望を通り越して笑いが出ちゃうくらい、濃くて青い。もし寝転がった姿勢のまま、殆ど溶けたお雑煮のおもちみたいに僅かに漂う雲を、ぎゅっとこの手で掴めたら…また昔からやり直せるかな? やり直したとしても、また同じような荒野になるんだろうけど。でもなんていうか、広いなぁ……広かったんだなぁ…、何もないとずっと思ってたけど、こうして周囲を見渡してみると案外色々持ってたんだなぁ。ま、もう何も生えないけど、さ。
なんというかさ、甘かった。相手の怒りを引き込んでどーのこーのなんて全く無意味、だってこっちが何かする前に相手が攻めかかってきたんだから。ひっでーもんだぜ、人事部だけじゃなくて私の現在の勤務先の上司、それと転部前の上司にまで直接電話しやがるんだから。人事部は最初人事部だけで事を納めようとしてたのが、相手が私の配属部署全てに電話かけやがるからそれが出来なくなって、でもって人事が「仕事の邪魔だ! かけてくんな!」って抗議したら…「お前等の従業員教育が悪いからこうなったんじゃねぇか! 出るとこ出たっていいんだぞ! いいからさっさと高梨のバカをこっちによこせっ!」とまぁ、派手に逆抗議を喰らったそうで。「このままだと収まりがつかない、高梨、行け、殺されて来い」とリアルに言われ、実際「8年前の予告を全部現実にしてやる!」と相手は息巻いてるし、今度は本当に殺る気なんだなぁ……。○○の施設で書かされた誓約書の内容を実行させる、か……。でも流石にそんな予告してるところの本拠地になんぞ行けないわな。ただここで行かなかったせいでなぁ……。
まさか、職場の私に直電を連発してくるとはなぁ。
俺に職場まで毎日電話かけてくる知人や友人なんていねぇよ! 金銭トラブル? 生憎私は借金ゼロだよ車にも家にも興味がないから。じゃあなんで街金みたいな電話が来るんだってそんなん知らねぇよ! 「高梨てめぇ」「いい加減にしろぉ! 仕事中じゃぁあ」、毎日こんなんばっかりだよ。信じられるか? 家の電話にもやってくるんだぜ「非通知」で。お前等街金じゃなくて闇金、いやそれ以上に外道過ぎだろ。勿論悪いのは私だけど、これが教育○員会のやることか! こんなんヤ◎ザの”追い込み”とどこが違うんじゃボケが。「電話に出ねぇのが不誠実だ」だと? 貴様らが職場と言わず家と言わず電話かけまくるから対応してねぇだけじゃねぇか! それで対応しないでいたら、今度は職場の同僚相手に「高梨さんに出てもらうように説得してもらえるかなぁ」とか俺の周りに電話しやがるし。「何かあったんですか?」、そりゃ聞いてくるわな、「いや別に」、相手は納得しないわな。「借金だったら早めに相談した方がいいよ、職務に響くし」、だから違うって、8年前の事をすっかり忘れてうっかり私と関わって逆上してる相手が攻めてきてるだけだって。え、何で責められてるかって? もう私にもわからんよ、もう。
……とまぁ、そんなTHE・修羅場な日々が続いて、結局私は出向いたんですが(どうせ鮮血に染まるならあの日に行ったれ、などとアホな事を考えてましたねぇ……)…まぁ、こっから先は放送禁止、としておきましょう。「死ね、クソが」、と散々○を○で○まれた後に言われたことは死んでも忘れませんが。というより、今の職場を失ったら即座に私は動きますが。あそこまでやってただで済むとでも思っているのでしょうか。恐らく相手は、人事部が擁護に出たから私が現職を続けられる、だから私は無茶をしないだろうと思っていたようですが……。
続けられるわけねーだろ、そこまでボロカスにやられてしもーて。
一番迷惑を食ったのが私の直属の上司で、その上の上司もえらいことになってしもーた。電話による多方面爆撃、要するに東京大空襲で事実なんぞダダ漏れ。ただ本当に上司には何の責任もないから、「どうしてこんなことするんだよっ!」と泣くかのように怒られた。「俺が一体キミに何か悪い事でもしたか? 何か気に入らないことをしたか?」、何もございません。ございませんが…最早取り返しはつきません。指導監督責任…この場合にこれが該当するとは思ってもみなかったわけだけど(就活自体は職業選択の自由の行使のはずで、今の事態は相手が怒りに猛り狂ってるから(無論私のせい)ってだけじゃないのか?)、ねぇ。一体何人の経歴に傷をつける羽目になるやら……死刑囚と同じでね。これが全部定まるまで、私の処分は決まらないの。ただ、かなり重くなるだろうなぁというのは予想している。裏切った罪じゃないんだよね、「”私事”を私事で抑えきれず思いっきり仕事場を巻き込んだ罪」、これなんだよ。私は先方がアホみたいな絨毯爆撃を始めてから何とか手を打とうとしたけど、全部遅かった……。もうほんと、しっちゃかめっちゃかで、手の打ちようがなかったよ……。
ああ、それにしても空は青いなぁ……。
続く、続く、焼け野原。ああ、もう何もなくなっちゃったよ。今まで色々積み重ねてきたのになぁ……ははは。まぁ、守り通したものは一つだけあるんだけどね(誓約の証として差し出せ、と言われて拒否したもんがある。これを差し出していればあるいは命だけは助かったかも…ま、絶対、死んでも、何があっても渡しませんけど!)。そうさな……これある限り、来年もまぁ、頑張ろう。どうせ今の巣はもうすぐ放逐、もしくは死刑・執行猶予1年で放逐だから、その時に全力を尽くそう。
もう焼け野原だ、なくすものはないっ!
裸一貫、最期の挑戦! 門前払いがどうした、コネがどうしたそんなの知るかっ!
戦って、戦って、戦って。最後の最後まで醜くあがいてみせるわっ!
……でもその前に、本年度は迷惑をかけまくった上司への謝罪だな……。私の処分がどうあれ、上司には全く関係ないわけだから。しっかし、指導監督責任で何人しょっぴくつもりなのかねぇ……。もし私が部署チェンジになったら、これ以降上司の方々にとって私は完全なババ、キ○ガイ爆弾そのものだろうな。しかもこの爆弾、完全放置で触れなければ爆発しないんじゃなくて、今年みたいに放置してても勝手に大爆発してくれる。それを停めないと責任を問われる……。うーん、なんつーか、まさか私が人間爆弾になるとはねぇ……。
しかし、半端ねぇわ……。でもま、これも報い。命は取り留めたんだから、あと一年、今度こそ最高のフィナーレを迎えてみせるぞいっ! さーて、英語英語。歴史ばっかりだともう勝負にならん。二刀流で倍チャレンジだ。
……勿論、勝てねぇだろうけどさ……。でも、修羅の病にかかっちゃうと、もう戦いがやめられないのよ……、ははは……はぁ。
アジアの為を思うなら、日本は即刻尖閣諸島の領有を放棄しなければならない。
国家同士の関係として正義であるとか悪であるとか、そういう話はどうでもいい。もっと大きな観点、アジアの中の一つの国としてアジア人全体の幸せを思うなら、今譲るべきは当然において日本である。その由縁は、この一件に関する敗北被害の違いにこそある。日本の場合その後の防衛ラインとかナショナリズムとか確かに問題は抱える事になるが、別に今日明日に死ぬ事はない。しかし中国の場合、もしもこの一件で敗北すれば、それは即滅亡につながる。「反日であり、それを実行できる力を持った唯一の存在」が最大の存在意義である共産党政権にとって、国内問題を複雑に抱えた今その意義さえ失ってしまえば、その打撃は確実に致命傷となるからだ。
中国という国は不思議な国で、12億人もの国民がいるのに政党は実質一つしかなくて、あれだけ貧富の差が大きいのに掲げているのは共産主義である。これはもう徹頭徹尾矛盾、本来ならとても普通では存率していけない程、両立の出来ない事実である。しかし中国が共産党政権をまがりなりにも続けていられるのは、唯一反日に成功した上、実際に国内に政党が分立した時は日本に付け込まれて地獄を見たからだ。要するに「日本に勝った」という成功経験と、「政党を幾つも作ったら介入されて地獄を見た」という失敗経験が合わさり、結果として「一党独裁でやるべき。そして日本に勝った共産党こそが唯一の合法政権である」という論理になっている、つまり日本に戦争で勝てる、という事が最大の存在意義と言えるのだ。
勿論、だからといってそれが日本に直接は関係しない。もし関係する、などと言い始めたら、日本国民は中国の為に皆死ねと言われかねなくなる。しかし
「この今、2013年に中国共産党が力を失い、中国がバラバラになったらアジアがどれだけ地獄になるか」
という事に、少しは想いを馳せるべきだと私は強く考えている。今の中国は違法建築を積み重ねてついに東京タワーまで来てしまった、究極に危ない政権である。今年やらなければならない国内問題は山積している。明らかにバブルとしか思えない不動産をどうやって鎮めるか、毒霧地帯となった国内の環境をどうやって整えていくか、貧富の差をどうやって縮めていくか……本当にどれ一つとっても待ったなしの状況である。その為中国としては国を挙げてこの問題に取り組まなければならないのだが…それが、中国共産党がバラバラになれば出来なくなる。はっきり書こう。今共産党が崩壊すれば、手を打たなければならない問題が全て放置される状態になるため、中国は地獄になってしまう。今の中国に易姓革命なんぞやっている暇はない。今すぐに手を打たなければ死ぬようなことがいっぱいある、しかしもしも日本が尖閣で突っ張れば、中国からその余裕をなくし、結果としてアジアから大きな繁栄を失わせる事となってしまうのだ。
…次回に続く、か?
日本の悪意が、とうとう牙をむき出しにした。
公海上で起こったと言われる中国からのレーダー照射事件、これは発端こそ中国だが、実際の挑発主が日本であるのは疑いない。理由は至極簡単、「ずっと前からちょくちょくあった状態の中で、”あえてこの時を選んで”世間に訴えて来たから」である。起こった一番最初の時に言うのであればともかく、今回は何度もやられた状態の中での訴えだと話に聞いている。とすると真っ先に思うのは、「じゃあ何故今まで言わなかったのか?」という事であり、次に思うのは「これをネタとして温存しておいて、いざ攻撃しようという悪意が芽生えた時に使おうと相手をさせるがまま、あえてそのままにしておいたのでは」、という事である。即ち現場で起こった事は中国の挑発であっても、それを事件として立件した日本の側にこそ今回の挑発の意図があり、中国を断崖絶壁に追い込んだ上退路を断つという卑劣な行いをした張本人であるのだ。
例えば、自分が自宅から駅まで通勤していると考えてほしい。
駅から自宅までは距離があるので自転車を使っている、そして本来はそれを駐輪場に止めなければいけないのも分かっている。ただ…駐輪場は金がかかるし、駅の入り口から遠い。だから他人の家の前と分かっていても、その他人が嫌がっていると分かっていても、ついついその他人の家に止めてしまう。最初は勿論、罪悪感にさいなまれる。しかし1年経っても2年経っても、相手は何も言ってこない。そうすると自然に”別に構わないのかなぁ”と思うようになり、いつしか行為にも抵抗がなくなり、普通に他人の家の前に自転車を停めるようになった。
そして数年経ったある日、もしも会社に「今までの違法駐輪の証拠を全て揃えたうえで」通報されたらどう思うだろう?
数年間ずっと相手は何も言わなかったのに。にも関わらず突然、完全に証拠を固めて訴えてきた、しかも会社という自分にとっては非常に重要なところを巻き込むような形での訴えだ。…もしこれをされたら、どう思うだろう。なるほど、行為自体は確実に非がある。他人の家の前に数年間も自転車停め続けたらそりゃ怒るだろうし、常識的に悪い事だとは理解する。相手がそれに耐えかねて、という判断も出来なくもない…出来なくもないが……本当にそう思うだろうか。実生活においてそのような事をされて、そのように本当に思うだろうか。むしろ……
『どうして今まで何も言わなかったのに今突然このタイミングで言ってくるんだ? それって…相手も自分を油断させて、こっちを潰そうと狙っていたって事じゃないのか?』
という風に思うのではないだろうか。此方の行為は悪い、しかし度重なる行為があったにも関わらずそれまでは黙っていて、いきなり会社に通報されれば、じゃあ何故今まで黙っていたのか、というよりもこっちに一番被害が出るような状況を相手も待っていたのではないか、と思うのではないだろうか。そうやって思いを馳せれば、当然相手側の悪意に気づく。しかも証拠を固めていたとしたら猶更、相手は虎視眈々と自分の事を狙っていた、自分に打撃を与えようと機会を狙っていたのでは、と思うのではないだろうか。何より、では今まで何故放置をしてきたのか、という事である。放置をしてきたことを突然、自分にとって何故最悪のタイミングで会社に訴えるのか。放置して来ればこそ、ずっと自転車を停め続けたのではないか、にも関わらず証拠を固めて訴えてくるなんて、わざわざ狙っていたとしか思えない、つまり事の発端、違法行為である違法駐輪は確かに自分であるが、事件とした動機即ち悪意は相手側にあるのではないか。そう思うのが世の常、なのではないだろうか。
そう考えれば、今回のレーダーの一件の悪意の主は、まごうことなく日本である。日本が中国を挑発する為にあえて増長させていたネタを、このタイミングで使うのが一番だと思って放った。要するにたったそれだけ、日本の中国に対する先制攻撃なのである。実際このタイミングというのは米国の国防長官が変わったり大統領2期目になったりと、政策が変わるかもしれない、変える事の出来る状況に米国はあった。実際今度の国防長官は中国に重点を置いていた、政策を変える可能性はかなりある、だから…今この時点でオープンにした。米国を繋ぎとめて中国を圧迫する為に、中国を攻撃する為に。即ちこれは中国の攻撃ではなく、日本の挑発行為なのである。単に発端が中国というだけであり、今回の挑発主は紛れもなく日本側なのだ。
そもそも東シナ海の中間線、という発想自体が決定的に間違っている。東シナ海に面した場所の人口比を比べてみると、中国はその人口の相当数が東シナ海に面して生活しているのに対し、日本の場合は小島が少しあるだけで、人口のほとんどは太平洋側に集中している。つまり中間線という主張は、「中国は数億人、日本は数百万人しか使っていません。でも両国が重なるから半分ね」という、あまりにも他人を馬鹿にしている発想なのである。数億人が使っている生活の海を、ちらほらしか人が住まない対岸の島から突然人が来て、「これから折半ね」という主張されたらどう思うか。半分こなどという綺麗な言葉で騙されているが、中間線にはこの観点がきれいさっぱり消えているのだ。
更に言えば、中国にとってアジアは全て自国である。要するに中国は大地主であり、朝鮮半島や日本というのはその地主の土地を貸してやっている小作人に過ぎないのである。そして大地主としては、小作地と直営地をいちいち細かく線引きし、その線引きを小作人に伝える義務を全く持っていない。だって大地主と小作人の関係なのだから。その関係の中で小作人に預けた土地について領土主張があったかなかったかと言われても、そもそも領土なのは当たり前で、預けた土地の細かいところまでは知らない、というだけの事である。尖閣にしても、単に預けていた小作地を取り戻そうとしただけに過ぎない。それに対して、与えられた小作地を自分のものだと勘違いした相手が「それでは約束が違う」とごねているだけなのである。しかし大地主にしてみれば、そもそも全部自分の土地であり、それを自分の恣意で小作地と直営地に分けていただけに過ぎず、その線引きについて介入されるいわれは全く存在しないのだ。
……いやー、火達磨になるとあることない事沢山書けるよ。盛大に燃えてるからね、イェーイ、スピンスピンっ! 「こちらも無処分では納得が出来ない。介入は許さないというのなら、そちらで首をはね、その旨を文書で通知して欲しい。それが出来ないのなら、此方にも考えがあるぞ!」、「高梨! 貴様いい加減にしろ! 何で貴様の蒔いた種で俺らがここまで巻き込まれなければならんのじゃ! お前が現地に行って切腹してこい」、「私は貴方達に降伏し、その配下になる事を誓っています。私が働きかけをするのは、貴方達だけです。今の私は貴方の陣営で働くことだけを考えています。私から相手にいう事は何もありません」「ふざけるなっ!!!」(←イマココ)。
最近昔の音楽とか聞くようになったわー。子どもの頃見たテレビの曲とかね。
懐かしいねぇ。あー、もうこりゃ本格的に駄目だわ。つーか、相手のしつこさ見誤った……。そりゃ普通考えれば、二度目はないよなぁ……あーあ。
私の選択は、内通の全てを掴んだ現在の仕官先に対する全面降伏だった。とにかくすべてを洗いざらい吐いて土下座し、許しを請う。嘆願に近い。というよりも正しく嘆願だった。実際後ろには、8年前の内定逃亡の罪を問う為の追撃の軍が迫ってきている。時間はない、リアルに時間はない。ここで両面砲撃を受けたら完全に全てが終わってしまう、だからここは全面降伏しかない……というのが私の判断だったが…。
私の降伏を受け入れれば、私を追撃している相手側の軍勢と戦わなければいけなくなるんだけどね……。
相手側がどれだけしつこく、かつ当事者関係者区別なく襲ってくるかは、8年前に襲われた実体験があるから実は誰よりも熟知している。だから、というかそういう性質を私が知っているから、今全面降伏をして許されれば、その矛先は必ず、「絶対に必ず100%」降伏した相手側に向いてくる。そうすると内通先と現仕官先の全面戦争が始まる…ははは、私はただ単に降伏したわけではないってことだ。降伏先が絶対にそれを受け入れなければならない状況と口上を考え、また内通先が現仕官先を直接攻撃せざるを得ない工作を既に終えている。……全面戦争が始まるのだ。嫌でもこれから先、内通先は現仕官先を攻撃せざるを得なくなる、といって現仕官先としても下手な対応をすると前例になる上、何とか降伏を許された私が虎視眈々と反撃の機会を狙っているから、あまり軽率な手も打てやしない。
一番長く仕えた先と、一番大好きな場所が、私の手によって互いに憎悪し争うのだ! この狂い酒に酔わぬ人間などおりはせぬわっ!!!
憎悪は理由ではない。争いさえも理由ではないのだ。ただ発生し、ただそれを受け入れるしか術はない! そしてだからこそ、悲劇であり、滑稽であり、また喜劇であるのよ! この先私はどうやったって身を立てる術などありはしない。長年にわたって二股を繰り返した件を正式に掴まれた以上、内通先の攻撃をかわしたところでその先に待つのは地獄しかない。といってここまでやってきた内通先に今更仕える気などない! どのみち終わりが待っているなら、命の限り舞い狂ってくれるわ! これが私の最期の宴じゃ、舞い狂え、憎め、猛り戦えっ! 互いに目的を失う程、理由が分からず惰性で戦う事になるほど、ただひたすらに殺り合えばよいわっ! そしてその狂乱を見ながら、今迄の責任を背負って見事に詰め腹切ってくれるっ! 私の最期の渾身の外術だ、必ず内通先の刃は私の仕官先に向く。下手な前例を作れない仕官先は必ずこれに抵抗する、しかしそれぐらいでは到底振りきれないことを、私は8年前の悪夢で知り抜いている。何と言っても相手は「確たる証拠を得られない限り」そもそも引くことが許されておらんのよ。確たる証拠を得られなければ、その件を最高責任者に上申する事が出来んのじゃ! 私が逃亡に逃亡を重ねれば、当然その矛先はかくまっている現仕官先に向く。といって私が全てに不同意している以上、現仕官先も私に相手先への働きかけを命じる事は出来ん。そしてそう言っている間に両者で不和が、争いが起きる。そして戦え、猛り狂え! 目的も分からなくなるほど、互いに争って崩れるがよいわっ!
松尾山は終わりじゃっ! そして同時に、私がこれまで積み重ねてきた全ての物も消滅じゃっ! 猛り狂え、私の全てが燃えるさまを見て心躍らせ奮起し戦え! ハハハハハ、人生は本当にすごろくのようなものよっ! 昔の大河ではないが、思いもよらない上がりになるから、人生は面白いわっ! さぁさぁ戦えっ! 私の本心と故郷への慕情を全く理解せず踏みにじってきた者どもよ、互いに血を流し争うのじゃっ! そして私も責任を取って消えてくれるっ! もとより全ての内通が明らかになったとなれば、事が終わった時点での処罰について逃れる事など出来はせぬ! ハハハハハ、回る、回る、回る、人生はまるで突風の中に置き去りにされた風車の様じゃ! ラーン、ラーン、ラーン、廻れよ廻れ、狂おしく、そして究極に無意味なままで。贄は裏切を重ね続けた私の人生そのものだ! 廻れよ廻れ風車。相手も、現仕官先も、私もまとめて切り刻むのじゃっ! 逃亡と裏切りを積み重ねざるをえなかった、ちっぽけで情けない私の人生への憐みを込めて! どうあっても努力で才能を上回れず、蝶の夢を見て捨てられなかったみすぼらしい蛾の最期の舞じゃ!
全てが終わりじゃ! 哀れなままに人生は終わるっ! その人生へのせめてもの手向けよっ! 争え、憎め、猛り戦え! これが私の生きていた最後の証じゃっ!
さぁ見せてもらおう! 私の最期の宴の末路をっ!
潰し合えっ!
一週間前、先方から突然電話がかかってきて、採用条件の変更を一方的に告げられた。そして今日、私のところの人事部へ照会の電話をかけてきた。しかも聞いてきていることが私の給料・勤務成績・そして、「あの人の意向はこうだけれども貴方達は知っているか?」、というもの。人事部に直接呼び出された私は最後の質問に愕然とした。人事部も愕然としていた。こんなことを聞いてくる相手は初めてだ、あまりにも無礼だ、そして当然「一体お前は何をやったんだ。先方はそもそも何を考えている?」という質問もやってきた。
先方は…そりゃ、8年前にやられた内定辞退の一件の復讐がしたいんでしょうなぁ。
3月中旬(の初めごろ)だった上、上申書の中身が滅茶苦茶(嘘は一切書いてないけれど、事情を全く知らない人が読めば必ず意味を誤解する文面=誤解して相手が勘違いして、仮にそれを後で責められても、「そんなもん文章のどこに書いてある、貴方が勝手に主語を妄想で補ったんだろ」と逃げられる文章。本当に最低)で、しかも蝋封して直接それを上司に提出しようとした為、嫌な予感がした上司がその封筒を破壊して中身を読んで内容発覚するという有様。「今まで言ってきたことと違うじゃねえか」「いや違わない。文章をよく読んでください、そんな事は一言も書いていないでしょう」「ペテンじゃねぇか!」(当時のやり取りを穏当な言葉で再現。ちなみに”お前俺をハメる気だったんだな!”と机を蹴り始めたのをよく覚えています)、というやり取りで大もめ。結局事態が落ち着いたのは四月上旬という大参事。それでものうのうと受けた私も私だが…採る方も採る方だと思っていたが……成程、これが目的だったのか。
人事は言う。「いくら採用予定とはいえ、相手にあまりにも不利益な質問はそもそも直接やってこない。こんな、こんな質問やられたら相手が窮するのが分かりきっている問い合わせを、人事たるものはまずやらない。貴方の所業を許す気はないが、こんな横暴を認める気もない」。その為人事は何とか拒絶してくれたが、先方は「じゃあ明日に電話する。明日回答せよ」との反応で、全く譲る気はないとの事。人事は個人情報保護法を使って先方の質問をかわしていたが、流石にここまでくどいともう対応できない、との話。
最早今の巣は、ズタズタである。
ここまで人事にやられてしまっては、もうこの巣には残れない。しかし悪意丸出しで私の巣を破壊した相手に仕える等論外、一年で殺されるのがオチである。なるほど……「性懲りもなくのこのこ出てきた私を今度こそ破滅させる為、あえてここまで話を引いた」か。採用まで話が進めばこっちも当然、個人情報を放出する。相手は捕捉しやすかったろうなぁ……、部署名まで書けっていうから書いてたし。虫の巣を特定するまで我慢して、一気に殲滅ですか。いやぁ、すごい! 8年前の事を絶対に許せない、忘れない、素晴らしい執念ですね。そして私もうかつでした、うかうかと飛び込む場所ではなかった……。
人事は明日には必ず返事を出せという。
今の巣からの処罰は、その後に出るとの話。人事としては、渉外事項としてこんな前例は絶対に造れないので、最後の最後まで渉外については味方してくれるとの事だった。なので私が明確に意思表示をして拒絶の意志を示したのちは、何とかまとめるとの話だった。その後に今回の一連の騒動(先方が電話した相手が人事部だけではない為。私の部署にも直接お電話、そんなん答えられるはずがないと知っているだろうにお電話。いやぁ部署内はプチパニックですわ。だって最初はイタ電だと思ってたらしいし(笑))の道義的責任を問うという。もう今回は仕方ない。確かに責任は私にある。寝た子を起こすべきではなかった…というか、あんな真似して逃げた先にのこのこ出向くのではなかったわ……。
二股者が蟠踞していた松尾山は今、屍の山と化している。
先方からの容赦ない攻撃で、最早こっちも後がない。うちの巣はうちの巣で、今この時点では援軍を出してくれているが、事態の収拾がつけば責を問うという意向は揺るがない。正直、斬首まではいかないと思う。ただし完全に自由はない。もしこの後また同じ騒動を起こせば必ず殺される以上、「もう一度松尾山」という去年・一昨年・一昨々年の所業は二度と出来ないのだ(万が一やって発覚したら即死になる為、下手に手が打てない)。
燃える、燃える、巣が燃える。
8年前の恨みの炎が巣全体に燃え広がった。巣が崩れる、崩壊していく。4年にわたって続けられた松尾山は、今こうして因果応報の究極を受けて燃え崩れて消えていく定めだ。先方の攻撃をかわし、人事からの処罰を生き延びられても、最早松尾山に城は築けない。城を築く=即斬首になって、完全に身動きが取れなくなる。
終わった……。
ただし。
因果応報の次のターンは……?
8年待った相手の繰り出した渾身の一撃のターンは終了。
さてさて、次はどうなることやらね。…まぁもう二度と関わらんけどさ。下手につついてまた火を放たれてもかなわないしねっ。
さて、と。……落ち武者狩りがいっぱいいるけど、まずはここを生き残る事から始めるか。もう先方はどうでもいい、キレたければ勝手にキレろ。私は自分の巣で生き残る事で精一杯だ!
……ま、それはともかくとして。部活動に絡む体罰自殺が問題になっているが、運動部に関する一番の問題は『チート』学校の存在だと私は常々思っていた。実際私が運動部の顧問をしていた時に一番つらかったのは、一生懸命努力している生徒を見ている一方、「何があっても絶対3回戦で負けるんだよな……」という事が頭によぎった事。だって相手は、いやそりゃ偶然なんでしょーよたまたま留学したい人がいて、たまたまそれがすっごく運動神経がよくて、たまたま部活をやりたかった、そういう人が入ってるとこだもん。中間期末も関係なし、学園生活部活ばっかりの連中と戦って、そもそも勝てる訳がない。だから必然的に今の運動部は「挫折を味わう為に入る」ようなものとなってしまう。どれだけ努力しても無駄、信じても叶わない。ルールを守って部活動している限り絶対に無理なんだよ…と私自身も思ったし、現実はいつもそうだった。だから運動部の顧問はやりたくなかったし、負けると分かりきっているのに努力しろ、とも言いたくなかった。
そんな中でもし部活動を強くするとするなら、それはそれは凄まじい力が入用だったはずである。何せ今運動部は強いところは全部チート。その出身地の構成は一体何? 失礼ですが国籍は? おい待てその審判絶対おかしいだろ、はぁ? <放送禁止>。だから出て行っても必ず負ける、挫折と劣敗が明らかなところに生徒を連れて行かなければならない、その無念は本当に察して余りあるところである。だからといって暴力を認めるつもりはない。私は体罰は絶対にやってはいけないと思うし、今回の行為に認められるべき点は全くないけれど、でも、必ず負ける場所に毎年生徒を引き連れなければならなかった無念と、それを覆そうと思った意志そのものは評価されてしかるべきだと思う。
思うに今の運動部の部活動は本末転倒が過ぎると思う。何というかせめて普通に学園生活を送りながらでも、頑張れば大会でいいところまで行ける環境にしようよ、ホント。全国から生徒集めたりとかしないでさ、思い出づくりを全部の高校で共有すればえーやんけ。高校の部活は野球の三軍でもサッカーの予備軍でもなく、教育活動なんだから。思い出づくりの場所なんだから。卑怯な真似をしたりするのは本当に辞めてほしいと思うし、今に運動部から撤退する学校が本当に出ると私は思うよ。出ても意味がないんだから。相手がチートを辞めないのに戦ったって意味がない。チートをやりたい奴はやりたい奴同士でつぶし合ってればいいわけで、それとは別に”楽しむ運動部”を作ろうよ、とは思わないかなぁ。野球やサッカーは、ただ楽しむためにやるだけでは駄目なの? 陸上は、必ずスコアと戦わなければいけないの? 水泳は泳いで楽しむだけでは不足なの?。部活動は教育活動で楽しむもの、だからそこを重点的にすべきだと思うけど、それは駄目なの?だとしたら何故? たとえ今やらかしている松尾山で「今度こそ寝返りじゃーー!!」と決断して現場戻っても、私は勝つための部活動の指導はしないよ、無駄だしそんなの嫌だから。
それと体罰について加えると、体罰が絶対いけない理由は教育効果が出ない場合は単なる暴力な上、仮に出た場合でもそれが「無限ループ」するからどっちもダメ、というもの。殴られて仮に良い効果が出る人間がいたとする、その経験を積んだ人間が社会に出て、誰かを本気で何とかしようと思ったら、一体どういう行為に出る? そしてその行為を受けた人間は、家庭でどのように振る舞うと思ってる? そしてそれを見て育った子供は一体どういう振る舞いをするのだろうね。そして子供が学校で暴力を振るって暴れれば、体罰を振るう人間がまた出る。するとそれで教育効果が出たとしても……と無限ループが続くんだから。「たたたたた、体罰っ! だ、ダメ、ダメよ、ダメダメ…日帝残滓だキィィィィ!!!!」といった反応はしないけど、やっぱりこれはこれで問題がある方法と思うのだ。
ただ、暴力で学園生活を謳歌した犯罪者に言われたくはない。
母校に帰る、でしたっけ。母校に帰るほど学園生活は楽しかったんでしょう。その母校での生活の時…一体何人殴ったのでしょう? 沢山の人の高校生活を台無しにしていますけど、それについてはチャラなんでしょうか? 暴力を否定する資格はないよ。その暴力で楽しい学校生活を送ったんだから。それで他人の人生台無しにしたんだから。それを今更何を血迷ったか……「あれは体罰ではない、暴力だ」ですか。
ちゃんちゃらおかしい。
私が今マクドナルドがやっている「60秒以内にメニューを用意できなかったら無料券プレゼント」サービスを知ったのは実際に店に入ってからだが、正直意味が分からなかった。何故マクドナルドがそのようなサービスをするのか、というのもこれがモスバーガーであれば客の求める改善点が「もう少し早く出来ない?」であろうからサービスの意味も分かるのだが、マクドナルドに関してはそれが求められていない気がしてならない。客がマクドナルドに求める改善点、即ち改良すべき点は「ハンバーガーが致命的に○○○」点のような気がするし、よってサービスをするなら「より美味しくなりました」という宣伝だろうと思う。少なくとも「もう少し早く出来ない?」という不満をマクドナルドに持っている人はそれほど多くはないはずである(他のバーガーフランチャイズに比べてもここは○○○分早いので)。
とすると何故マクドナルドはこのようなサービスをしたのだろうか? 私は最初の頃はそれが疑問だったのだが、何度か利用し店員の姿を見るにつけ、だんだんその理由が分かってきた気がする。それが一番最初に書いた「食ったら早く帰れ」という暗黙のメッセージを発したいから、という推論だ。
推論、と書いたけれど、私は間違いなくこれが狙いなのではと思っている。というのも根拠が幾つかあって、まず過去に店頭のメニューを撤廃して全部天井に貼った事がある。あまり視力の良くない私にとっては迷惑以外の何者でもないし、あんなことをすれば視力に余裕のない高齢者などは利用しづらくて仕方ないだろう。それにも関わらずあれをしたのは何故か、公式な答えだとあれだと客がスムーズに動くからという事らしいが、とするのであれば、マクドナルド側としては客がスムーズに動く=要するに回転率が上がるという事を切に望み、高齢者等利用できない人間が出ても構わない、と踏んだのである。あのメニューでは客が明らかに離れる、でもそれでもあの配置にしたそしてその理由が客をスムーズにさばくため、となれば、目的はほぼ7割位回転率であるのだろう。
二つ目は今回のサービス。元々企業というのは金儲け至上主義であり、いくら○○○ものであってもタダで配るということは有り得ず、そこにはそれをすることによっておいおい利益が出る、という確信が存在するのである。では今回のサービスの未来の利益は何か、と考えると、「これをきっかけに利用して欲しい」というよりも「収益の為に回転率を何としても上げたい。といって客に”食ったらとっとと出てけ!”とは言えないから、忙しいボディランゲージをして客に居辛くさせてくれる。食ったらとっとと出てけ!」のような気がしてならない。というのも前者であるのならば、その60秒サービスは大々的に前もって宣伝されるはずだからである。原価がいくらか知らないが失敗したらバーガーだし、最近知ったのだが間に合ってもコーヒー券をくれるという。こんな丸損を企業がするはずがない、つまり裏を返すと「バーガーやらコーヒーやらを無料配布してもおつりがくる何か」が確実に存在するという事になる。しかしそのコストを補って余りあるものは一体何か……と考えると、やはり「食ったらとっとと出てけ」になるのだ。
マクドナルドの利用者側の利点は、味はともかく他の店に比べて安価という事である。その為客が入りはするが、ただ一方で客単価はどうやっても低くなってしまう。その上安価であるが故に若年層でも気軽に入る事が出来、勿論それは利益なのだが一方でそこで長話をする傾向がある以上、客の回転率という点からすると問題がある。具体的に言えば、一つの席に1時間で4人、それぞれ250円分の利益になるものを買って食ったという事があったとする。しかしこれは、例えば別の店の場合、客が1時間で2人であっても、それぞれ500円分の利益が出るものを買って食ったら同じ。更に前者はそこから売り上げを500円伸ばすには2人客を入れなければならないが、後者は客は1人で良くなる。即ち客単価が安い中で利益を上げるには、何としてでも”回転率”を上げるしかないのだ。
この回転率という点で、マクドナルドは致命的な弱点を持っている。それは先程言ったメニューが安価という事もあるが、『マクドナルド難民』という言葉が存在する事からも明らかだろう。マクドナルド難民という言葉は聞いたことがあるが、ロッテリア難民、モスバーガー難民など聞いたためしがない。ということはどういう事か、安価で長い時間を占拠出来るのがマクドナルドという事で、一方店側としては回転率という点で最低であるという事。マクドナルドがこれから収益を上げようとする場合の一番の改善点は、この回転率を何とかしてあげるという点に尽きるのだ。
しかしかといって、客に対して「お前等食ったら早く帰れ」などと口が裂けても言えない。その為一体どうするか……それが日本古来の文化、ぶぶ漬けである。要するに「察しろ」、言葉で言えないから何も言わないけれど「察しろ」というやつ。実際あんだけせわしないカウンターの向こうを見ていると、なんだか長居したら悪いような気になってしまう。勿論こっちだって長居したい訳ではないが、やはり無意識のうちに早く撤退しようと思うし、またそう思わせる事がマクドナルド側の一連の動きなのだろうと思う。メニューを天井に貼ったりとか、大々的な告知もせずにタダサービスをやったりとか、あまりにもコストの大きなサービスをする理由即ちメリットは恐らくここに尽きると思う。逆にこれ以外に理由が思いつかないというのが正直なところだ(集客を狙っているならもっと大々的にやるだろうし、正直○○○ものをもう一つ、と言われてもあんまり嬉しくはない。そのくせコストはかなり大きく、それに従った見返りはかなり大きくないとつり合いがとれないような気がする)。
「早く帰れ、忙しいんじゃ、見りゃわかるやろ!」。そんな事を言われているような気がして、食事をするたびに不愉快になる。あと食べ物を粗末に扱うのは本当に辞めてほしいと思う。それ今から食うんだけど、私の飯なんだけど、考えたことある? とあの粗雑な扱いを見て思うのだ。…別に速さを求めてはいない。とにかく多少値段が上がってもいいからもう少しだけ美味しくしてくれ。贅沢は言わない、ただあの味は、あの粉食ってんのかと思う程の汁気のなさは……。
北海道は民主が全滅。そりゃ新党大地を全面的に敵に回したうえ候補者まで立てられりゃ、鉄板の1区も負けるに決まってる。民意の選択的には北海道一区は、普通に豚が采配を振るっていれば民主だろ……、北海道はそういう選挙区が多すぎる。そりゃ、中川氏の妻が弔い合戦に出てきたところは負けても仕方がないと思うが、でも、イエスマンの息子よりも本当に劣るのか他の候補は? ただこの選挙で民主に楯突いた主犯の一人、松木氏を滅亡させることが出来たから豚的には勝利なのか。なのか? 普通に大地と同盟していれば全部制覇は無理でもかなりの数の選挙区は取れたはずだった。なのにどうしてわざわざそれを破棄して全員に地獄の選挙を強いた? 豚はマゾなのか? それとも、松木氏を滅ぼすためだけにそんな事をしていたのか?
東北は将に地獄だった。岩手の惨劇の最大の原因は絶対に担いだ神輿にある、と思う。人が少ない、ではなく、誰もいない場所で最初の演説とか意味不明だし、なんでわざわざ鉛筆持ったら云々カンヌン、とか挑発するような事を言うんだ? 私はやっぱりこの結果を見て思うのだが、小沢氏がどうして別の人間を立てようと思ったのかが納得できない。票は集まるんだから実際のところ。自分が看板になれない、と判断したのかもしれないけれど、小沢氏だから入れるという人は元々小沢氏が正義だなんてまるっきり思ってないんだから、どれだけ悪い事したって票は普通に入るんだから。小沢氏が生活を率いて正々堂々戦えば、腸腐れの裏切者が勝つなんてことは有り得なかった。比例だってあんな惨めな状況になりはしなかったに違いない…だって本当に今回ばかりは嫌だったもの。小沢氏ならば比例も小選挙区も普通に入れられるが、だれがあんなカル○臭い極左に票を入れられるか。いや結局入れたけど、でも本当に本当に今回ばかりは嫌だった。なんでこんな琵琶湖の為に脱原発とか<放送禁止>な人に入れなきゃならないのって。
関東はまぁ、内ゲバスキーが本当に全財産を投げ捨てる形で内ゲバやって、普通に戦っていた人間が「あれ、何かいつの間にか敵が勝手に死んでるけど…誰がやったの? え、試合終了? いや、俺何もやってないけど、俺の勝ち? え、なんで?」といった形で勝っていくという選挙だった。何というか突っ込みどころがあるとすれば、民主の敵は自民じゃねぇのか! その刺客擁立は議席獲得の為じゃなくて抱き合い心中だろうが! といったところだろう。別に第三極を取り込まなくても民主+未来で自民党を上回る選挙区が一体どれだけあったことか……。それと、中村喜四郎様は今回も順当に勝ち上がってまいりました。この人無所属をずっと貫いている、という報道されていたけど、確か改革クラブに入ってなかった? ま、でも勝てて何よりです。
東海は…ここまで世間は冷たいのかと同情せざるをえない程、減税日本がボロボロになっていた…。あんな琵琶湖ババァ(妖怪:なにもわからないのに、えらそうなことだけを、いう。役立たず)に騙されなければ確実に小選挙区でも勝っていたものを、元々減税日本は今回の選挙本当に散々だった。珍走老人に騙され、命乞いのようにみっともなく大阪の詐欺師にすがりついて袖にされ、誰も頼る人間がいなくなって必死にしがみついた命綱が琵琶湖ババァという体たらく。独立独歩でやっていればまだ小選挙区はいくつかとれたはずなのに…ある程度のムーブメントはあったんだから、東海でも減税は。あ、それでも小林氏は確実に駄目だったと思いますけどね。あの人確か東京十区で、維新から出るとか何とか言ってたのに、東海で名前を見つけてびっくりした。勝てる訳がないと思っていたら、本当に勝てなかったね。
近畿はやはり、新党日本の滅亡を追悼すべきだろう。相手が弔い合戦で来たというのがそもそもきつかった…仏の道云々とただでさえ<放送禁止>なのに弔い合戦となってしまっては、流石に元祖ペログリも駄目だったか。これで新党日本は消滅、なのだろうか。社民党がまだ何故か生きている(しかも小選挙区で勝っている。すげー!)というのに滅亡というのは如何にも悔しい。次の参議院選挙では知名度は抜群なのだから、是非長野でやって欲しいと思う。というよりも今回の選挙、自治体の長がやたら他の自治体から立候補してたけど、何故に? 元杉並区長は杉並区から出れば何も問題はないのでは?
まぁ……他にもいろいろ書きたいことはあるけれど、昔の事を書いても仕方ない。次は将に参議院選挙。ここで何とかして勝たなければ未来の道は消えてしまう。流石にここまでボロボロに負ければ内ゲバのアホさ加減をいい加減に知るでしょう。となれば必ず統一候補を立てようという話になってくるはずで、そしてそうなると…未来が、というよりも「未来」は大嫌いなので小沢氏があっちこっちに抱き合い心中刺客を立てまくった事が幸いしてくる。この選挙、未来が刺客を送って民主党の接戦候補を地獄に落とした場面がかなりあった。その実績がある以上、絶対に無視はされないだろう。同じことをされないためには、その為に必要なものは……安倍氏側のスキャンダルが来年の6月に必ず「事実かどうかは全く関係なく」起こるので、そこで再起を願っています。
それにしても、あの琵琶湖ババァ…!!代表代行が山口に出てザコ扱いとか何やってたんだ……。
このタイミングで解散した以上あっと驚く秘策でもあるのか、と思ったけれど、今日現在では何も出て来ない。まぁそれが一番いい手なのかもしれないけれど、肝心の幹事長は選挙がないにも関わらず私怨一筋で動かないし、無視されるという嫌われるよりも最悪な反応は全く変わらない。一体どういう事なんだろうなぁ…と思っていたけれど、よくよく考えてみると何ということはない。首相、党代表は仲間を救うものだと考えていたから訳が分からなかっただけで……今のところ民主党は圧勝一色のムードじゃないか!
豚派に限っての話だけれど……。
民主党が解散する前はやれ中間派だの小沢氏派だのいろいろ聞こえたけれど、今苦戦しているのはこの豚の股をくぐるぐらいなら死ぬ、といった人たちばかり。肝心の、豚の股を舐めてでも生き残るという連中は軒並み善戦、大物は来るわ組織は動くわ、まるで味方を見殺しにするというよりは殺しに来ているかのように、中間派や小沢氏派の議員をめった切りにしている。そういう視点、要するに20人しかいない野田派が党内を制圧する為に他の派閥を殺しに向かっている、という視点で政党内を見ると…なんということでしょう。民主党は圧倒的な大勝利ではありませんか!この選挙で勝ち抜いた人間はみな豚の股を舐められる男、少なくとも家畜を引きずりおろして自分が立つという野心のない、というよりも持てない人間ばっかりだ。当然党内は「ハイ○豚! ハ○ル豚!」一色で、恐らく選挙で負けても辞職はない。
だって勝ちだもん。「野田派の3倍増」に加えて「反逆者の粛清」が出来たんだから、この選挙は圧勝、負けるなんて事がない。野田にとっては圧勝だから。
実際その目線で見てると、野田派の3倍増に加え、反逆者が自分の過去をがたがた言うとうっとうしいので死人に口なしと殺害する、という人殺しを豚は懸命にやっている。刺客というのは昔からあった話ではあるが、自民の刺客は「相手を倒して自分が勝つ」という、議席奪還のための刺客である。しかし民主の刺客は正式には刺客ではなく、「抱き合い心中」でしかない。その上、「抱き合い心中の為に自民に議席を取られても一向に構わない」というおまけつきだ。実際今回の選挙において、一番自民党の議席数増に貢献しているのは民主党である。勝ち目があるならばともかく、全く勝ち目がないにもかかわらず刺客と称して議員をだし、未来の議員を殲滅している。その結果数の利を得るのは自民党、あんたらの宿敵だろそれでもかまわないのか、というと、全然かまわないらしい。こういうところを見ると、ああやっぱり民主党は左翼なんだなぁ、左翼は永遠にこんなことばっかりしてんのか……と本当に本当に嫌になる。宿敵との戦いよりも味方亜型の殲滅を優先するって、共産○義か? しかもそれで宿敵が利益を得ても構わないって、それよりも味方殺しを優先するって、一体どこの独裁正当か?中国共○党か?
だから今回の選挙で自民党が票を伸ばす最大の理由は、民主党が左翼独裁政党の特徴、結局身内で争って味方殺しを優先して、本来宿敵であるはずの勢力と手を結ぶ、という行動に出た、その一言に尽きるのである。元々維珍の力など、大阪以外ではたかが知れている。ここがどう動こうと小選挙区での変動はなかった、民主が味方殺しに走ったからこそ、自民党がまるで勝っているかのように見えるのである。世間では多党乱立になったから票が割れて云々と言われているが、実際は民主のみの咎である。民主がもっと大局的に、相手に議席を取らせない事を最優先にして動けば相当情勢は変わったはずで、自民が300超え、などという事にはならなかったはずだ(単独でここまでは来ると思う。逆風の上殺し合いを始めた民主に負ける程弱くはないと思うが…)。
ただそれに負けず劣らずソ連の指導者っぽいあの人物は、やはりというか冷酷である。維珍の比例名簿が最近少し話題になっているが、あれは一握りの上流幹部だけを当選させたい、というよりも「フランチャイズ詐欺に騙された地方店長に一円も利益を流したくない」という悪意がより強いものだと思う。というのも上流幹部だけを当選させたい、というだけであれば、あの名簿の中に「比例重複で出ろよ!」という人間が何人もいた。高順位の比例でありさえすれば負けても議員になれるんだから、やってみるだけ得である。特に珍走老人は東京一区で出れば相当な票が取れたはずである。当選できる程選挙区に貼り付けるかは知らないが、それにしても可能性としては低くないのだから、比例重複で出ても全く問題はなかったはずだ。資金力もばっちり、与謝野氏が祖先の顔に汚泥を塗る形で老醜を晒し(自民復党とか祖先になんて言い訳するつもりか…といっても、もともと与謝野の祖先もろくなもんではなかった(君、死に給うことなかれ、の詩には後日談というものがありまして…はい、私はそこら辺授業できっちり教えましたが、フルボッコにされました。平塚らいてふの後日談もやりましたが、まぁ評判は最悪でした)けど)、海江田が泣いて謝っているのに実際は謝罪行動に全く出ていない、という状態の中だ。いくら我欲煩悩の虚ろな人生を送った男でも、勝てないことはないだろう。
それをしなかった理由は一つ。「橋下ベイビーズ」への対応を、堕胎と決めたからだろう。
小泉チルドレン、小沢ガールズ…当選第一回生はこのように最近称され、悪意的な好奇心の的とされてきた。今回は橋本ベイビーズ、もうあからさまに悪意丸出しの(被選挙権を持つ人間にチルドレンもまずいがベイビーズは侮辱だろ)好奇心の持たれ方をしており、その対処法には幹部も心を痛めたはずだ。しかし、それも大将の一言で終わる。「簡単だ、堕胎しろ全部」。恐らく幹部も最初は「何を言っているんだコイツは」という思いとあまりにも残虐な言葉に、顔を真っ青にしてスターリンを振り返ったはずだ。しかしスターリンは何を驚いているんだこれが当たり前だろう、といった感じで知らん顔。そして念を押すように「堕胎だ、堕胎」といってしれっと次の話題へ。……そうでもなければ、あの名簿の説明がつかない。単に上級幹部だけを生き残らせる、という理由だけでは、比例上位の理由にはなっても重複なし、の理由にはならない。比例重複で上級幹部が軒並み一位というのなら、まだ意図について納得できる。上級幹部を生き残らせる、で納得できる。しかし勝てそうな人間まで重複させないのは……やはり堕胎の意志があったからだろうと思っている。
そうやってこの選挙を見ていくと、自民も民主も維珍も負けない。全員花丸、大勝利である。負けるのは…味方殺しが最優先、過去の俺の犯罪を知ってる奴は皆殺しだぜハ○ル油豚ー!、という粛清をもろに受けている未来と、フランチャイズ詐欺も知らんのかお前らは自己責任だ堕胎してやる、という形で踏みにじられる落下傘候補、それとおまけにこの争いの中でぐちゃぐちゃになる元祖少数政党たちだけだ。
…そう言えば、この油豚とスターリンの一方で、今回お亡くなりになる政党がまず一つ、ひょっとすると二つある。新党日本は…何としてでも踏ん張って欲しいが、今の勢いではまず滅亡だ。党首自体がロクな人間ではないが何とか選挙前にどこかに合流して踏みとどまって欲しかったが、今はそれもかなわぬ夢か。そしてもう一つ、かつては栄耀栄華を誇って拉致被害者をいじめ続けた社民党が全滅し、政党要件を失う可能性が出てきている。大分で立てられなかったのは痛かった、これだけぐちゃぐちゃになると比例も厳しい。土井たか子氏の「比例名簿最下位でもいいから当選させたい」、という売国○最後の良心を、まぁいとも簡単に踏みにじったクズが逃げて、これで小選挙区はほとんど絶望的な状況になった。国民新党は…沖縄の考えていることは良くわかりません…綿貫氏の神道と亀井氏の郵政、この二つが抜けてもまだ勝てるようなものなのか? おそらくここも0なのではないだろうか…。前回の参議院選挙で亀井氏がやっても比例は駄目だったんだから…。
あと、何というかここまで無視されるといっそすがすがしいですな幸福実現党。立候補者数からすると結構出しているからそれなりに注目されてもいいはずなんですが、まるで存在など無きが如きの扱い。一つ二つの選挙区に固めてどん、では駄目なのか?それと、いくらエルカ○ターレとはいえ、いい加減党名を変えようと誰か言いださないか? 言ってることは狂○とは言え右派的狂○なのだから、本気でやれば狂気的右○から票が取れる気がするんだけどなぁ……。
次の参議院選挙…民主党はここで滅亡するだろう(1人区総取りでもやらない限りは過半数を抑えるのは不可能だから)。もし民主党が野田派ではなく党として勝つというなら、徹底的に安倍氏を潰して(安倍氏の右部分を徹底的に攻撃して公明党と、それがないと生きていけない人間をひっぺがす。外患誘致をやりまくり、尖閣を実際に中国軍に占領させ、日本人に反感よりも恐怖を植え付け、安倍氏の強硬姿勢を何とかしないと自分たちが殺されるのでは、という発想にさせる)、その参議院選挙の時にダブルに持ち込むしかすべがない。勿論そんな事できるはずはないが、もしも解散をしないままこの時を迎えていたら政権の禊として必ず負けた、しかしこうやって選挙をして後の解散であれば政権の禊を問われることがないから、今度は参議院選挙の同日に解散を打たれれば、民主が必ず勝利する。ああもう、そんな可能性がゼロなのは分かっていますよ。でも次の参議院選挙が終わったら民主党はその他扱いに成り下がるぞ(衆院80人で参議院第三党…誰が相手にするんだ?)……小沢氏一人いないとこんなにザコばっかりなのか……。民主に残されたタイムリミットは来年7月。ここまでに手を打たないと、ホント終わるよ?
反自民共同戦線、とでも言って維珍+共産+社民+国民新党と手を組んで参議院選挙を戦えば影響力を残せるけれど…そんな芸当の出来る人間はもういないからね。至宝の人材を失った愚かさを呪いなら、自分の身体から流れる血の色のどす黒さを見ながら○んでいけ。連敗続き、勝った経験の全くない民主党が選挙に勝てたのは誰のおかげか。誰が前回の選挙で地方にちまちまと散在する社民票・共産票を小選挙区の候補にぶっこめるように画策したと持っているんだ。それも分からずまたこうして内ゲバの中に沈んでいく…救いようのない…。
…まさか沈没船において、艦長が脱出の案内をするのではなく、自分の命を最優先とする為に他の船員を海に落とすとは…。前も書いたけれど、どう考えても梅干しが脳味噌というのの意味が分からない。世襲批判をどうしてもかわしたいというのなら、世代交代を含めて宮城の暴走族を幹事長にして戦った方がまだやりやすいのではないか…。それに第三極の分裂に成功させた、等と言う評価もあるが、分裂させるのに意味があるのではなく、「民主党寄りの第三極=要するに自民党票をかっさらうような第三極」を作る事にこそ意味があったような気がするのだが…。確かに第三極とやらは分裂して完全に勢力を失った、しかし、全てが民主から票を奪うという姿勢になっている。これでは…そりゃやらないよりもましだけれども、防げるのは第三極が小選挙区で勝つことのみで(これ自体どれ程団結してても無理だと思うが)、民主が票を食われて死ぬのは全く変わらない気がすごくする。
一番有効だったのは、「尖閣に公務員置きます。日米一体となって、正義と力によってアジアに規律的秩序を構築します」といった、選挙で出たら自民の票を食いそうな第三極を放つことだった気がする。それが当初は珍走老人のはずだったのだが、この珍走老人が本当に珍走を続けた為、何か最近だと右なんだか左なんだかわけが分からなくなってしまった。(単なる○○、だと思うが)。未来・維珍・こっちみんな・新党キ<以下強制削除>、これらは全て民主の票をむしろ奪っていくのではないだろうか。脱原発を主張する人間は恐らく民主側に多いはずで、こんな事言う政党ばかりを残してしまっては、そっちに票が分散するに決まっている。これに対抗するにはこういう民主から票を奪う第三極を極力つぶし、むしろ平均的に自民から票を奪う第三極を作るしかなかった。もしそれが出来ていたなら、投票がどれだけ減っても選挙には勝てた。だから民主は支持率が低くても、それでも選挙術次第で議席はどうとでもなったはずなのに…。
公明党ひっぺがして選挙やったら、何が争点でも絶対勝ったのにねぇ…。安倍氏がやたら右っぽい発言をしている上、「外国人参政権は今の国会勢力図でなければ絶対に成立しない」事を主張すれば交渉の余地はあったはずなのに…。
それもしないで、というよりも選挙に対して手も打たずに挙句自分は比例重複。これではもう、どうやったって勝てませんわな。まぁ別に千葉に屠畜場が出来てもいいんだけどさ、でも未来にしてみれば本当にいい迷惑としか表現できない。滅びたいなら自分で屠畜場に出頭すればいいものを…。
そもそも今第三極とやらがしきりに持ち上げられているが、小選挙区制度において第三極が勝てる可能性は零である。極端な話、民主と自民以外を全部一つにまとめたところで、小選挙区で戦えば誰がリーダーでも負ける。そりゃ勿論民主や自民以外で当選している人間もいるが、その人物は大抵「どっから出ても絶対に負けない」、元からそういう人だからである。今の小選挙区で言えば、改革クラブに入ろうが有罪になろうがお構いなしにぶっちぎる中村氏、雨の中で演歌を歌えば必ず勝てる亀井氏、癌になっても完全圧勝の平沼氏等、そういった特殊事情を抱えた人間ばかりなのだ。
実際私は今回の選挙、旧国民の生活が第一は選挙区で1しか取れないだろうと思っていた。岩手四区のみ、あとは全部もっていかれる、そう思っていた。というのもやはり、「民主か自民、どちらかを負かす」ことは出来ても、「同時に倒す」のは無理なのである。元々二大政党制ということは、民主と自民は対を為す存在であるという訳であり、即ち民主殺しの立場に立つとそれは自民に似てきてしまい、逆に自民殺しに動いてしまうと民主の立場と似てしまうのだ。AでもないBでもない、そしてなおかつ、「AとB双方を滅ぼせるC」など早々見つける事は出来ない。何故ならそこまで有効なCがあるのなら、AかBのどちらかが先に奪ってしまうからである。即ち第三極とやらが戦ってかつ「1位」になるということは、二大政党が「そんな立場、いらね」といって捨て立場で戦うしかないという事だ。これでじゃあ二大政党を倒せるか……絶対に無理である。片方ならば倒せるが、残りの片方にまで手が回らない。だから維新政党新風の分派だかオマージュだかパクリだか知らないが、大阪の集団がどれだけ暴れまわったところで、小選挙区は(元々地盤を持っている裏切者以外)全滅だと思う。
しかし、比例と中選挙区である参議院選挙は全く違う。比例は言うまでもなく、中選挙区も別にトップになる必要はない。定数3であれば3位以内に、定数5であれば5位以内に入ればそれで議席は手に入るのである。例えば小選挙区で第三極が勝利する、などとても想像が出来ないが、次の参議院選挙で定数2・3のところで「2位・3位になる」というのならば、これは可能性が高い気がする。要するにこの場合どちらか一方を集中的に叩けばいいのだから、小選挙区よりもやり方はずっと楽だし、何よりも薄く広い支持でも当選する事が可能となる。その上、例えばA県の参議院議員3人が民主・自民・未来だとした場合、得票数に雲泥の差が仮にあったとしても、議席の価値に換算すると全く同じになってくるのだ。そうすると選挙結果、得票数の議席化率は格段に上昇する。それがあるから、つまり小選挙区制度である衆議院で戦っても勝ち目がないから、参議院で全力を尽くすための布石として今回の合併をしたのだろうと考えている。…保守票を切り捨ててでも。
未来は衆議院で敗北する。元々民主の水ぶくれ議員ばかりの上、明らかに勝ちに向かっていない候補者擁立を見れば明らかだと思う(いくら豚が脂ぎってても、アイキャンフライには負けないでしょう……かの神政党「改革クラブ」を裏切ったぶって姫が転身したって効果なんぞ全くない。勝てそうなのは汚い名古屋弁をあえて使う愛知の土豪、を味方にした東海選挙区と、どの選挙区から出ても勝てそうな人々の選挙区、それに岩手一・四(二区はもともと弱かったし、三区は相手が悪すぎる)位。比例も伸びない。被災地の人たちは脱原発よりも現在の生活の困窮=ユートピアより目前の生活、といった考えの方が強そうだし、北海道は未だに民主がどういう訳だか強いしまだまだ健在大地がいる。原発騒ぎで迷惑をこうむった近畿でも票は入らないだろうし、そもそも原発被害が殆どない九州四国では旗にもならない。脱原発は争点になっていないのではなく、皆があっさり却下しているだけなのだ。唯一可能性があるとすれば通常の生活を送りながらも、実は放射能が来てる?…うわっ、という関東北陸の二つだが、私怨のみで動く珍走老人が掻き乱すので容易ではないと見ている(まぁ私がこの珍走私怨老人が死ぬほど嫌いになった理由も、私怨と言えば私怨なのですが。いや、悪いのが私なのは分かってるよそりゃ、でもひでぇよ…やり方が…)。
しかし、次の参議院選挙で、勝つ。衆議院選挙の勝利条件は「自民党が過半数を超えない」状況の中で「キャスティングボードを握れる唯一の勢力」になる事だけれど、もう前半がほぼ無理である。今回の選挙は、自民が確実に単独で勝つ。しかし参議院は全く違う、参議院選挙の勝利条件は「(豚の置き土産である定数削減で民主がごねて)確実に勢いが衰え、かといって信頼も回復しない民主党の間にあって、2位を目指して選挙を戦い、キャスティングボードを握るだけの数を確保する」という事である。その数が一体どれくらいになるのかまでは分からない、分からないが…47都道府県で考えて比例も入れて…20はとれるか? 選挙までに維珍の会が全員馬脚を現すから、それを期待すれば25…そして、それだけ取れれば何とか握れる。ここが目標だから、多分新党になったんだろうと思う。実際少なくともこれで愛知は何とかなりそうだし、亀井氏の力も加わっていく。だから何とかなるかもしれない、けど…正直言ってあの知事は無理筋。
あれを支持しろって言われてもなぁ…。
あなたじゃないの、あなたじゃないの、貴方をまっていたんじゃない。将にそんな気持ちだよ…。『いじめ事件より琵琶湖が大事。環境ゴロの○田でーす』が代表って。そりゃ入れるけど、入れるけど……あれが大将っていうのはやめて。小沢氏が代表ならば喜んで入れる。躊躇なく入れる。でもあのあれが、あれが、よりにもよってアレが将というのなら…本当のところ、すんごいキツイ。何というかなぁ…こと比例に限っては、小沢氏は自分の人気の絶対性を疑うべきではなかった、そんな気がすごくするんだけど…。世間が何と言おうと、いや悪く言われれば言われるほど票は必ず入るんですって。数百万単位で。しかも小沢氏にわざわざ入れよう、なんて思う奴はほぼ100%投票に行くから、世論調査がどうなろうとも全く関係ないんですって。でもあれが将なら今回は…と思う人は結構いる、そんな気がするよホント。なんでわざわざあんな<自主規制>と……。小沢氏が代表で何が悪い。代表として出てくれば普通に票は入るよ。
しかし…それにしてもまさかあれが将になるとは…。まぁ、現代の真田昌幸こと荒井氏がひょっこり比例で出て来ない限りは、比例も選挙区も未来だけどさ…。
あ、票を入れる気は全くないけど追伸。そう言えば尖閣問題が起こってから尖閣諸島に上陸した日本の唯一の政党って「幸福実現党」なんだけど、ここってまた沢山出すのかな?うーん、本当に政界に出たいなら票を固めた方がいい気がするんだけどなぁ…。あそこに戦略という要素が加われば、実に香ばしい(私にとっては。自由連合は本当に良かった、改革クラブは神がかっていた。その後継よ早く出てこい…)集団になるのになぁ…。
……何と言うか、これで戦えというのは党員にとってあまりといえばあまりにも酷い気がするなぁ……。内閣改造の布陣、というよりも幹事長の布陣を見る限り総理は元々解散をする気がなかったか、それとも自分の意にそぐわない奴皆殺しの意志を固めたかどっちかだっただろうし、それに実際問題たとえどちらであったとしても、仲間殺しの犯罪は同じ。梅干しが軍勢の指揮を執るなら誰が相手でもまず勝てるだろうし、宮城の暴走族も自分が被災地で増税するぜ! と訴えて勝たなければならないという下心見え見えで、どうしても自分救済の為に露出してるとしか思えんしなぁ。
そして逃げる逃げると思っていたが、本当に恥も外聞もなく逃げる議員の多い事多い事。つーか、日本国にはもう恥も外聞もないのか? 「解散します」「じゃ、私はこれで」って、こんな無法がまかり通るというのは一体どうしてか?…まぁその理由は、原発詐欺師が議席泥棒を大臣にしたからなのだが(これで比例→議席泥棒を責められなくなった。これが地味に痛いんだよなぁ…)、それにしても節操がなさすぎる。確かに次の民主党では「どこの政党であっても絶対に勝てる」人間しか生き残ることは出来ない。せめて共産と社民だけは説得しておかなければならなかったのに…あんな大政党優位の国会をやろうものなら、それぞれ双方の援軍は得られず、結果民主票が分散する事になるのは分かりきっていたはずなのに…。でも誰も、そんな泥をかぶるつもりはなかったんだろうな。前回選挙で勝ったのは、地味に小選挙区で票を取ってくるこの二集団を抑えたからなんだけど、それも純化路線では「堕落」と取られるんだろうなぁ、全く。
そして、息子をいじめられて激怒したあの珍走老人は、人を人とも思わない本性を丸出しにして、大阪の<放送禁止>とつるんだ。あれ、一体、何? いや、あの珍走が代表って事は自称右翼のバカ集団って事でいいの? でも確か大阪カジノ連合って左翼というか売国じゃなかったか? カジノ連合って、そりゃ自民と民主が駄目だからという理由は分かるけど、一体何がやりたくて立つの? 具体的な政策は何? 弱い者いじめ? 老人虐待? 意味が分からんし訳が分からん。というよりも何故二大政党制にならざるを得ない小選挙区制度で14も政党が乱立する訳? 政党が乱立すればするほど死票が出る、にも関わらず、何故減税日本とかみどりの党とか出来る訳? 意味不明だし、不合理すぎる。一体何が起こっているのか、もうさっぱり分からないというのが本当のところ、一体あのカジノは何をしたいのか(珍走は単に迫りくる寿命に恐れおののき、死の恐怖を少しでも忘れたくて怯えているだけなのだろうが。何かに熱中していれば死の恐怖を忘れられるからね)全く分からないというのが正直なところだ。
次の選挙は、つまるところ「政権交代させてみたらとんでもない連中が出てきた。さぁどうする」ということである。つまり世論が求めるのは畢竟安心であり保障であり、要するに前回あれだけ懲りている以上未知の可能性に賭けるということはほぼ有り得ないと思っていい。その中で未知の可能性を主張するというのは大変な事で、絶対に世論の中に、「未知の可能性に賭けたら地獄を見た。誰がそんなものに賭けるか!」という保身の意見が出ているはずである。だからカジノは小選挙区で適当に票を取るだろうけれど、主に民主と生活の票を食ってくる。別に食うのはそりゃ戦いだから構わないが、擁立したところで勝ち目がないのに何をするのかと本気で思う。乱すだけ乱して、結局利益を得るのは自民党で、カジノが出てくるおかげで一番楽になるのは自民党だけな気がとてもするのだ。
落下傘で勝てる新人はいない。そりゃ票はいくらか食うだろうが、殆ど落選するだろうし、比例重複でも比例票はそれほど入らない。だって、何がしたいのか分からないんだから。関西だって正直怪しい。カジノがそのままやっていれば近畿では安泰だったのかもしれないが、ここに珍走老人が加わった事で一気に暗雲が立ち込めてきた。メディア対策とか、全く考えていないのか? 自民の左翼党首でさえあれだけボコカスにやられているのに、あんな太陽の季節を地で行く男を党首にしたら、今迄自分の虚飾の力を支えてきたメディアが一斉に離れると思わなかったか? そりゃ、海部氏に敗れて泣きながら逃げたあの男が比例に出れば、関東でも議席はとれるだろうさ。しかし、肝心の近畿がズタボロになる。だってもう訳が分からないから。結局珍走の意見が通ったのかカジノの意見が通ったのか分からないし、で、カジノ連合がどこに向かうかも分からなくなった。これではもう、選挙にならないよ。ふわっとした民意、だったっけ。そんなもんつかめん。意味不明、分からないもんこれじゃあ。
……社民党の九州撤退、民主党の沖縄擁立(まーあれだけ鳩山政権でやられればこーなるわな)で、社民党滅亡の歴史的選挙になる可能性が今回はある。それは別に構わないんだけど、カジノみたいな考えなしの為に、生活が被害をこうむるというのがどうしても納得できないでいる。勝てるならいい、勝算があるならいい。しかしやってることは暴○団とどう違うのだ? 相手に屈服のみを強制し、失敗すれば相手の咎で、今だって適当に票数を取って後々売り払う算段な気がするぞ。それはそれで勿論やりたきゃ勝手にしろなのだが、しかしそれで生活が迷惑をこうむる図式が納得できない、というよりもしたくない。どうしてあの<放送禁止>にこうも掻き乱されるのか、全く理解できないのだ。
思えばそもそも小選挙区制は、二大政党制の樹立の為に造られた。政権交代を出来る日本を作る為、それが可能になるよう造られた。その結果政権交代は出来た、出来たが…結末が14政党乱立という野放図阿呆な結果である。ああ無情、本当に無情。努力の成果がどうしてこういう方向になってしまったのか……本当に無情で、腹立たしくもある。というよりも小選挙区で政党乱立とか意味不明。訳が分からん…。
投開票は12月16日と聞く。12月16日って…どうしてよりにもよってこの日を選ぶ。ひょっとしてあの豚、死ぬ気か?屠畜場に特攻する気か?というより前の原発詐欺師といい今回の酒乱豚といい、民主党は選挙を無用に不利にする公約を立てて戦うというルールでもあるのか? 12月16日といえば、その直前は企業のボーナスの支給日。しかも今年の冬のボーナスは例年より減額されるというから、不景気が自分の痛みとして身に沁みるそんな日ではないか。そんなボーナスでの不景気経験の直後に選挙なんぞやったら、腹いせとばかりに現政権に死を、という話が出るのが分からないのか……。民主党はいわば、風に頼るしか能のないハングライダー集団である。なるほど、風が順風であれば、そのダイブはレジャー、もしくは飛行行為と呼べるだろう。しかし逆風の時に崖からハングライダーで飛び降りるのは…。
単なる自殺だ、臆病者め。
自分の地位が奪われるのが怖くて、皆を巻き添えにして死のうとするか。争点を定数削減にぼかして今迄のミスを帳消しにして臨む…それをするにしても、16日ではボーナス直撃があるから全く話にならない。次の選挙では自民が圧勝するだろう、維新とやらは候補者がろくでもない連中ばっかり+全員落下傘という迷妄状態なので(もし骨のある人物がいたらとっくの昔に出している)、小選挙区で勝てるところは限られる。限られるのに頭が悪いからやたら多くの選挙区に候補者を出し、結果反自民票を食い合って自滅する。「とにかく一本化しないと勝ち目がないというのがどうして理解が出来ないのか」、維新の功績は大阪に公明党の議席を沢山与える事のみ。比例でとるって言ったって、候補者誰よ? 確か松野氏って成年被後見人と滅茶苦茶近い関係にあったよな。それが出て票が集まるか? 維新とやらが近畿は知らんが、東北・九州で票を取れるとは到底思えん。そのくせ他の小勢力の比例票・小選挙区票は適当に食い荒らすので、結局自民が大勝するだけに終わる気がすごくする。
やんぬるかな。
もうすこし時があれば、まだ策謀の余地もあっただろうに…。社民党は滅亡の危機であり(小選挙区は沖縄も危ない(成年被後見人がぐちゃぐちゃにしたからなぁ……))、共産党も全国全てに候補を立てても意味がない。しかし地味に力はあるから、ここと手を結んで大同団結という事も目としてあったはずだ。みんなの党は地方組織が全くないから役に立たない、社民・共産の直接的・間接的な支援を受けて地方票を固め、決して第三極同士で争わない。社民の小選挙区に誰も出さなくて他が全面支援、とかやればいくらか手段はあったはずである(社民は小選挙区で勝てないんだけど票は結構とるんだよ…)。死票を増やさず、着実に戦い、勝つ方法があったはずなのだ。
それが、あの酒乱豚の人間不信で全部消えるか…。
裁判も終わってようやくといったところでこの有様とは…最早策士の復活はあるまい。策士の最大の失敗は、民主党に知能のある人間がいると誤解した事。知能なんて全くない、あるのは我欲のみ、木の洞に木の実を仕掛けておいたらそれ掴んで腕が抜けなくなって、死ぬまで気にしがみつく猿のようなバカばかりである。それを見誤って多少の良識はある、などとやったからこのざまだ。知らんぞ、「ボーナスすくねぇ! なんだこりゃ! あの豚ども許せん!」などとなっても。不景気を実感できた直後に選挙とは、もう自分で殺してくれ、と言っているとしか思えんわ…。
滅びるがいい。…未来の自民党を責める口実を造っておいて解散とは、最期まで汚い豚であったことよ。ま、太陽の党の党首が滅亡するからそれはそれでいいんですけど。いや、人間的にどうこうというより、個人的にそのうし……。
今の国会の状況を与野党という概念で見ると、確かに与党は非常に危ない状態にある。特に、あれだけ衆議院議員を抱えながら与党転落の危機とか経営者は余程のバカかと強く思うが、一方で外国人参政権に関する賛成勢力は衆議院・参議院共に過半数を超えているのである。ここで参政権法案を出せば、自民党から公明党を引っぺがす事も可能になる。何故なら……自民党の党首がどう考えてもこれに賛成するような事はしないことと、次もし選挙をやれば、外国人参政権に両院賛成者が過半数、という事態は恐らく数十年発生しないからだ。
次に選挙をやったどうなるか、それについて明確には言えないが、恐らく自民党が300よりは下回るも260は超えてくるだろう。そうするとたとえ参議院選挙で民主側が盛り返したとしても、外国人参政権にとってみると、衆議院に反対勢力があってにっちもさっちもいかなくなる。更に中国大陸の占領勢力、及び朝鮮南部の軍事勢力の後継者も頭が少々アレである事を考えれば、世論の支持をどうやっても得る事は出来なくなってくる。つまり今この時を除けば、選挙の結果で議案が通らなくなる・中国と朝鮮が暴れまわって世論の支持が得られなくなる、という2点において、決して外国人参政権は通らなくなってしまうのだ。
その点を強烈に主張して今国会での採決を公明党に持ちかける。公明党にしてみても、口約束が如何に頼りないかは今までの政局で知り抜いているだろうし、まさか今の自民党党首が外国人参政権に賛成するとも思っていないに違いない。最初は苦戦するだろうが、最期の段階になれば公明党は賛成し、一方の自民党はまず反対に回るだろう。ここで一発、大きなくさびを自民党と公明党に打ち込むことが可能になる。それだけでも大きな利益であるし、それが出来ただけでも小選挙区の今、議席の変動はものすごい事になるはずである。
そしてなにより、それをやった上での解散なし、越年であるなら民主の逆転も可能なのである。理由は一つ、マスメディアの力によって世論が確実に民主に傾くからである。国会と言うよりも地方を何とかしたい公明党と、他国の議会侵略を切望していた勢力の双方が味方に付くということは、マスメディアを完全に味方につける事が出来るということで、それは世論を民主寄りに出来るという事でもある。想像してみるととても面白い、11月下旬が12月上旬に外国人参政権法案を通過させれば、恐らく12月下旬までば売国奴とひたすら罵られるだろう。しかし時間が過ぎて1月になれば、今度は逆に自民側の不祥事がもう次から次へと暴露されていく。そして森羅万象の全てが自民党党首のせいになり、自民党の支持率は確実に落ち、民主党の勢力が回復していくに違いないのだ。……等と断言できるのは、まぁ最初の安倍政権の時のバッシングが滅茶苦茶だったからに他ならない。「美しい国」を作る、とキャッチフレーズを作れば「にくいしくつう」と逆から読んだ言葉で嘲笑されて報道される。こんなもんがありだったのだ、直後はまず無理だろうけれど、その後は必ずマスメディアが安倍殺しを再開する。それこそ、どんな口実を使ってもだ。
そうやって民主党の支持率が回復した時を見計らい、自民党に致命的なダメージがあった段階で解散にもつれ込む。この時民主党は支持率が回復し、それまで連立を組みながら一度も参政権に賛成しなかった自民・賛成した民主という天秤の中で、更に公明党の支援も得られるかもしれない。そして時期が立てばたつほど、地方の足腰として、民主及び公明側に味方する議員が続出する。勿論公明党には配慮しなければならないからダブル選挙は駄目だろうが、それでも2月・3月に選挙をすれば、民主もかなりの数が残れるはずである。公明党を完全に引っぺがす事が出来れば、参政権が通過していれば、現状に近い数字も残せるかもしれない。そう考えれば今TPPという絶対に割れるものを争点にして解散するなど下策も下策、どうしようもない策略という事になってしまうのだ。
今解散しても、民主党にとって何も得るものはない。この期に及んでマニフェストを信じる奴なんていないだろうし、労働組合にしたってここまで円高続けられて尚真剣に支援するとは思えない。元々民主党は自民の批判の受け皿として風にのってやってきた政党なのに、その風を全部取られて選挙をやってどうするのか。せめて左向きの風を取り戻してから戦うべきだが、原発政策や消費税でその風を得る事も出来ない。ここで打って出るのはさながら籠城戦が長期に亘ったから自暴自棄で、といったものであり、到底戦略というものではあり得ない。だって、恐らく衆参ダブルでやったらミゼラブルだからと思っているのだろうけれど、今の視点は「自民党が駄目だからと変えてみたら滅茶苦茶になった」だから、衆議院と参議院の二つを分けても意味はないだろうしね。
今は耐えに耐え、逆転の日を待つしかない。猪突猛進は誰にでも出来る、ここで耐えてこそ、踏ん張ってこその名将と言えるのではないだろうか。方策だけならいくらでもある、民主党は元々左向きの風を受ける事を得意としていた、だったらまずその姿に戻す。代表を別の人物にかえ、原発なしを打ち出し、左丸出しで選挙に臨むのだ。幸いにして、そういう左勢力を着々と取り込んでいる勢力がある。その勢力と手を結んだ上で選挙をする、という選択肢だってきっとあるのだ。城を打って出たら終わり、そこで運命は決してしまう。ただし城を出なければ、無限の選択肢がある。
猪突をすること勿れ、万策必ずしも尽きしにあらず。
……石原某が醜態をさらしてドヤ顔の維新が第三極を結果的に掻き乱して、団結しなければ到底勝てないのに勝手に第四極・第五極と連続で造って滅茶苦茶である。一本化しないと絶対に負けるという事は分かっているはずなのだが……勿論、石原某も維新もプレハブだから、数か月じっと見れば地金がボロボロであることは周知の事になる。せめてその時まで解散総選挙は待ってください……。今動かれると大敗の恐れが……。
そうでもなければどうしてこの時期になるまで新党結成を言わなかったのか、本当に実在するかどうかは知らないが「第三極」を潰す真似をするのか、双方に意味が分からない。現在「第三極」に関しては小沢氏が既に結構なところまでまとめ上げており、大阪の人がどういう動きをするか知らないが、既存勢力に働きかけを終えている小沢氏を中心に戦う形が出来ていた。しかしこの老人は出てくるなり自分が第三極となると言い、ようやく出来た第三極を認めない、と話し出した。もしここでこの親父が新たに自分中心の第三極を造ったとすればそれは第四極となり、結局それによって第三極が競合し合ってつぶれるから何の意味もないのだ(自民・民主に対して生活連合がぶつかる、というだけでも正直厳しいが、そこに別に極を造った連中が候補を立てたら絶対に自民が勝利して終わるだけ)。もしあるとすれば……調停役として息子の地位が高まる、ということか? 現在の総裁が息子を無視できなくなる(のちの連立を見据えれば)ということか? というと何とも迷惑な家族ぐるみの恐喝、マッチポンプとしか思えない。
またこの人は良く極右であるとか国粋主義者という言われ方をするが、それについては冗談じゃないとあまりの誤認に呆れてしまう。本当に右であるとするなら、まず日本国憲法の全否定にはいかない。あの憲法を造ったのが占領軍である事は確かに自明の理であるのだが、一方で天皇無答責を完全に達成したのもそれなのだ。大日本国憲法に戻す、等と言っているが、あの憲法だと天皇に権力が集中してしまうが、権力が集中するという事は責任の矢面に立たされるという事になってしまう。そりゃ、10年20年を見るだけならそれでもそこで栄光を、と考える事も出来よう。しかし100年後、200年後、滅びない国がないように必ず日本も滅び、そして滅ぶときには頂点にいた人物が抹殺されてしまう。毛利元就公が言ったように、家を残そうと思ったら矢面に、頂点に立ってはいけないのだ。だからそういう意味において日本国憲法は良く出来ており、民主制=責任を取るのは国民であり、死ぬのも国民、天皇家は一切責任を負わない、という制度も本当に右ならば絶対的に歓迎すべきものなのだ。
あと靖国神社を参拝するから極右だ、という話も本当に辞めてほしいと思う。あそこの神は戦没者、それだけならばいいのだが、A級戦犯も神になっている。このA級戦犯だけれども……別に外国によって殺された悲劇の人ではなくて、「天皇の輔弼に失敗し、天皇陛下をして外国の制限下に置かせるような状態にせしめた」国賊である。大臣、総理、といった地位にありながら国家を適正に運営できず、天皇に迷惑をかけた賊こそがA級戦犯なのだ。祭祀のルール上出来ないだろうが分祀は当然の話だし、広田はともかく東条を神として奉るのは言語道断である。だから本当に右であるのなら、やはり今の靖国神社には疑問をどうしても持ってしまうのだ。戦犯が裁かれていない、将にその通りで、天皇家に仇なした賊徒をいつまで神としているのだ、と思ってしまうのだ。
そう考えてみると……果たしてこの人右なのか? 単なる○○じゃないのか? と思う。「これは正義で正しい事だから、これを僕は実行するんだ!」と愚直にものを動かす人間を、外交の世界では○○と呼ぶ。アジアの歴史を見ても、侵略のきっかけとなった責められた国の行為がどれ程正当であっても、その行為は攻める側にとっては見向きもされないことは自明の理である。毛唐が持ち込んだ麻薬(アヘン)を没収したら攻めてくる、とか完全に相手に非のある鬼畜行為だが、それでも攻める側は自分たちが麻薬を持ち込んだことなど見向きもせずに、全く躊躇なく戦争をしかけてくるのだ。アヘンを没収したという行為さえ仕掛けたい相手にとっては絶好の口実になるし、良心なにそれ美味しいの、という事になる。それを島の領有権って……少し考えればどうなるか分からなかったのか? また仮にどうなるか分かっていたとするなら、どうして他の対策を打っておかなかったのか? 誇りを忘れず謹厳実直、まっすぐに正義を堂々と主張し続ける人間を、外交の場ではア○と言うんだよ……。
しかし、折角出来かけたオリーブがこんな欲深強欲老人(息子大好き)に伐採される羽目になるとは……。まぁ、でも三男は相手が松原氏だから絶対勝てないと思うけどね。何をしに出てくるんだ、折角一つに整いかけた、っちゅーのに。単に息子いじめられてキレて、それで憎い奴が裏で着実に勢力広げてるのが妬ましいだけだろ。次の選挙で議席を取ったって多くても10か20.何も出来ないのは分かってるじゃないか、それともそれをネタに自民を揺すって連立やって、その連立の条件として子どもの待遇をあげるつもりか?
いい加減にしてくれよ、もう……。
いや、小沢氏のオリーブ構想に乗ってくれるのならもう大歓迎なんですが、閣下。小沢氏のオリーブ構想だと右側の票が取れないので困っていたところなんでございますよ。ここはひとつ、現実を踏まえて妥協を……。
大樹といえども当然芽でしかなかった時代はあって、如何に将来大きくなる予定とはいえ、大概は大樹の芽といえどすぐ枯れてしまう。実際この大樹は本当にどうしてここまで大きくなったのか信じられない程のもので、しかもその理由は奇跡ではなく、必死になって肥料を仕込み風から守り、丹念に水を与えて育てた人がいるからだ。だからその木が大きくなって、大きくなったことによって様々なプラスの変化があったなら、それを一番愛でる資格があるのはその大樹を植えて育てた人だ。だから私はずっと、ここに一番いる資格があって、そして一番「自分の行いの末の未来を寿ぐべき人」がいないことが寂しかった。
あの時必死になって頑張っていたのは、私ではなかったわけで。
その相手がいなかったので話はしなかったが、この芽を植えた当初は本当に今の姿が想像が出来なかった。まだ覚えてる、新歓といって20人分予約したものの参加者が0人だったため、キャンセル出来ない分を残りのメンバーで食べたこと。ただしサークルとしての権利はもっていたため、人数がいないのにやたら広い部屋を独占していた事。入る人は結構いたのだが、だいたいが逃げてしまって本当に袋小路に嵌った事。その打開策として他校との連携に動いたものの、その他校の側からも振られ、もう打つ手がなくなってしまったこと。それで一度は……もう駄目か、という話し合いをしたこと等々。
結成メンバーの思惑もバラバラで、本当に目線が滅茶苦茶だった。私は私で当時別の集団を主催していたし、他の人も全く違う目的を持っていた。それでも何故か、本当に何故か最初のメンバーは減る事がなく、そしてこうして10年経って、立派な大樹になったのである。理由を挙げるとすれば代表の後継者がきわめて穏当で優秀だったことと、初代の最終期に集まった人が飛びきり優秀だったことかな、と思う。あとあんまりこれは書きたくないけれど、結成当初のアクの強さを騒動を起こしつつも解消した、というのが大きな要因だったと思う。代表の直系が放逐されたこと、それ自体はあまり……だけれど、そこから危なっかしい新緑ではなく大樹に生まれ変わったんだなぁと思っている。
もう私がその大樹を宿木にすることはないけれど、その大樹を植えてやりきった代表を、すっごく羨ましく感じていた。結局この人は何だかんだ言いながら大学時代に結果を残し、その後に到る今に到るまで多くの他人にプラスの人間関係を与え続けた。要するに巣立ちながらも宿木を残し、そして今それを多くの人が利用している。つまり自分のやりたい、と思った事が今この10年を経た時間を超えてもずっと代々にプラスの影響をあえて続けている……ああ、この人はこんな凄い事が出来たんだなぁ、と私は本当にうらやましく思った。歴史に名が残っている、勿論何かの文献に乗るようなことはないけれど、その人が存在したことで確実に未来は変わっている。それだけの事が出来たんだなぁ、とずっとしみじみ思っていた。
……そしてもう一つ。それは私にも出来るのではないか? とも。
私が再び裏切りを働いて教壇に戻り、そこで本当の歴史学の元楽しい集団を作ることが出来たなら。現在のマゾによる現在進行形の気持ち悪いリストカット、気持ち悪いマゾが「ああぁー私は悪い、私は悪いのよぉぉぉ、責めて、責めて、責めてぇぇ」とにじり寄ってくるような嘔吐を催す歴史ではなくて。やっていて心がしゃんとしてすっきりするような、楽しい歴史学が出来たなら。そしてこの数年得た労働と幸せについての体験を踏まえて、混沌とする社会の中で一歩自分で踏み出す力と決断力を与える事が出来たなら。そうしたら私もあの大樹のような宿木にはなれなくとも、風除けくらいにはなれるかもしれない。
私は生徒に謝罪しなければいけない、とか、原罪がある、とか純粋にただ言いたくない。勿論反省すべきところは反省しなければいけないけれど、だからといって今のような卑屈人間製造器のような歴史学には与しない、というか出来ない。現職時代に修学旅行先でもめたのは、歴史学に対する考え方というよりも、単純にどうして直接的な責任のない生徒に土下座をさせなければいけないのか、という怒りが大きかったと思う。またこういう事を言うと未熟だの軍国主義だの言われるだろうが、それは素朴な感想として普通の人間が持つことだろう。何故、10代の子供に土下座をさせなければならない? しかもそれを教員が薦めなければならない? どうしてこれが人の道に反するという議論にならない? と私は思うし、やはり周辺国の歴史学の卑怯さもそれに燃料を注ぐ。近世史の授業で使えるかなと思って韓国の歴史教科書読んだけど……韓国は何かベトナムに恨みでもあるのか? それはともかくこれはねぇだろ(家康が関ヶ原で勝った後真っ先に朝鮮に使者を送り、謝罪の上朝貢を許されたそうです。となると1620年代後半から日本側からの呼びかけがなくなり、慌てふためいた朝鮮の歴史は一体どこに……)、というものばっかりだった。まぁでも実際ひどいのは日本の歴史学の方で、何もかもをリスカの材料にしたくてたまらないのか、元寇をして「三別抄の乱において朝鮮側より蒙古の危険性が伝えられていたにも関わらず、日本はこれを無視して、連携して戦おうとはしなかった。その日本の責任により蒙古は肥大化し、日本征伐(=これ重要)という事態を迎えざるを得なかった。結局、この戦いは朝鮮からの有難い警告を生かせなかったが為に起きてしまった戦いなのである」とする位なので、まぁ他人の事は言っていられませんけどね。まぁカウンターでその時じゃあ高麗は一体どういう国家経営をしていたのか、をリアルにやったら……とんでもない事になりましたけど。しかし今考えてみても、高麗の籠城って鬼畜過ぎて何も言えないわ。あんな籠城されて良く国民が黙っていたよなあの国。
社会保障についても、私はせめて他国が一体何を考えて何をしているのか、位は伝えなければ不平等だと思ってる。最近外国籍の人間が生活保護を受けている事が問題になっているけれど、一方外国で同じような状態になると外国は何をするかというと、容赦なく国外追放である。景気が悪くなった、雇用が減った、外国人労働者をどうする=国外追放、これが全く問題なくやられているのが世界である。「え、普通でしょ」といった感じで。実際外国で働こうとする時のビザ要件を見ると、例えば某国だと税金を納める事・何人以上雇用する事、という自国の利益が一番の要件になってくる。当然生活が出来なくなれば国外追放、これは当たり前の事であり、そしてこれをせずに移民をバカバカ受け入れた国が一体どうなったのかについても、私は語りたいなぁと思う。日本のように手厚く遇することはしなくとも、そういった人たちを受け入れ続けた国の末路が何なのか、私はこれも是非語りたいと思っている。
そしてここで明らかになる病理の根幹、「他人に優しく、他人の嫌がる事はしない。だって私達は犯罪者なんだから。黙ってなさい、私達はいい、犯罪者なの」という教育を何とかしなければ、たとえ社会保障で外国が鬼畜もしくは寛容だった為に地獄、という事を話しても全く通用しないだろう。この根幹を一体どうすれば直すことが出来るのか、それが私は今後の大きな課題だと思う。どMによるリスカ実演講座で何とかなったのは、日本がしっかりしていたから。今の情勢でそんな事をやられたら日本が死ぬ。そして国が亡びるという事が一体どういう事なのか、大陸国家ではなく島国だった日本は全く分かっていない。この点をしっかり教え、そして当たり前の事として毅然と出来る子供たちを育てたい、なんて思っていたのだ。
……なんか久しぶりにこういう論調になっちゃったけど、あの場では危ないから黙っていて、ちょっと鬱憤が溜まってたというのがあったりして。不用意な発言はかなり控えたつもりですが……ま、根っこはこんなもんです。
憂い多い最近ですが、久々に楽しい一日でした。
和を信義を重んじる日本文化とは違い、英語圏の人間は常にニューカマーと相対し、その度にもめごとを起こして世間を乱す。共通の文化を持っていないから、相手が何を言っているのか分からないし、どういう発想をするのかも分からない。だから話している時も戦々恐々で相手の真意を見抜くのに必死、その一方で自分も相手をだまそうとする。だから英文法は主語と動詞をまず最初に持ってくる。形容詞とか助詞とかはどうでもいい、要するに誰が何をするというのか、それをまず示せと迫らないと、英語圏の人間は安心する事が出来ないからである。互いに信用があればそんな事にはならないが、そういう文化圏、地域もあるということだ。
ただ一方、そういう言語である為に、日本語と違い相手の真意を見抜きやすい。例えば面接試験にA君とB君が来て、それぞれこう語ったとする。
A君:まぁ、頑張ってやっていきます。
B君:御社の方針を心に刻み、精一杯全力全身で、やっていきたいと思っています。
さてどちらがより採用されるだろうか……日本語的に考えると、やはりやる気の伝わるB君である。そっけなさもないし、何より熱血ぶりが伝わる、恐らく人事の人間もB君の方を大体が選ぶのではないだろうか。しかし、そういう判断になるのは、日本人同士だから相手を欺くようなまねはしないだろう、という信義則があるからである。簡単に説明すると、「今日の天気は良いね」と誰かが言ったとして、それを聞いた側は大体晴れか曇りを想像する。しかしこれは本来間違いで、相手は相手の基準で今日の天気は良いねといったのだから、アラスカに住んでて酷寒の暮らしをしていれば、土砂降りでも良い天気、と表現する事があるし、それをしても許されるのである。ただ日本人は、相手がアラスカ基準を持ち出して嘘をつくとは思わない。良い天気、と他人に言ったからには、それなりに過ごしやすい天気だと判断してしまう、何故なら相手もそんなひどい事をするとは思わないから……だから、簡単に騙されるのだ。
しかし、中東の人間を舌べらで殺し、先住民を皆殺しにする毛唐の言語は違う。そもそも相手を信じるという概念が持てないから、相手がそういうなら相手も配慮してくれるだろうなんて思わない。そしてその概念で考える、つまりA君とB君の言葉をThat節で言い換えるという発想をすると……
A君:I do that
B君:I think that
となるのである。つまりここで分かるのはA君はDo、実行する、するんだ、という事を言っている一方、B君はThink、つまりそう考えているんだよという自分の心の中の状態を表現しているだけでしかない。この意味の違いは天地ほど大きく、A君の場合はするんだ、という意思表示であるのに対して、B君の場合は考えているという状態の陳述である。「するかどうかを明言していない=つまり行動に対して留保している」という意思表示をしているのだ。意味がぱっと伝わらなければThinkの訳語を考える、夢想する、妄想する、白昼夢を見る、と変えていけばいい。Doの場合はする、という事を否定する事は出来ないが、THINKにする、という意味は存在しないのだ。
だから英語に直してみると、意欲をより示しているのはA君である。英語は人間不信の言語である為、一切の装飾に意味がない。勿論形容詞だの副詞だのごてごてつける事は出来るが、こうして形を変えてしまうと肝心の動詞がすぐ分かってしまうのだ。B君は要するに考えているだけ、実行するとは言ってないのか、というこのB君の真意が英語であると丸裸になってしまう。B君の発言を見る限り、そこそこ語彙の多い人間だということは想像がつく、そしてそのB君がわざわざ最後を思います、で閉めたということは、それは裏を返せば=やる気はないよ、というアピールとも言える。
「心にたぎる思いを胸に、これから一生懸命頑張って、そして辛い事があってもこうやって働いていく事がとびきりの幸せと感じられるような、そんな自分になっていきたいと思います」。……この発言に全く意味がないのは、というよりもDOが混じってないのは、もうお分かりだろう。この発言は日本語にするから意味があるのであって、要するに”未来の自分はこうなりたいなぁ、なんて思ったりしてね、てへっ♪”という事でしかない。やるやらないは、完全に留保している。しかし日本人は信義則を発動させ、言葉の中にする、というニュアンスはなかったがよもやここまで言う以上する、という事を否定しないだろう、と勝手に考えてしまう。しかし今の言葉の中に、するという行為の意志は本来ゼロだ。言い方を変えればこの言葉、「働くことを喜びと感じられる人間になれる自分を妄想してます」という意味にはなっても、「だから一生懸命働きます」には変換できない。何故なら行為の意思表示が全くもってないからだ。
むしろここまでゴテゴテに言葉を飾ったということは、何かを隠していることの表れである。「で、仕事するのしないの、二択」と返せば、きっと相手は窮するだろう。というのも、最初の「心にたぎる……」という発言で相手が「やる気があるな、頑張れるな」と受け取った場合は、単に相手が勘違いしただけであってその落ち度は相手の責任である。一切の嘘偽りを自分は述べていないことになる。しかし「します」「やります」と言ったが最後、自分はやるんだ、という意思表示を述べたことになり、それを反故にすれば今度は自分に非が出てしまう。ここが約束破りかそうではないかの瀬戸際であって、このラインというのは本当のペテン人間にとってはとっても重要な事なのだ。
……そういう意味で、私は本当に言葉に修飾語が多く、かつ、Think系の言葉を多用する。というより、余程の事でない限りDoの言葉は使わない。私の中にある良心の呵責が少しだけ弱いのも、私は一度もDOの言葉を使った覚えがない、約束を破った事がない、という滅茶苦茶ペテンな論理があるからだ。ただ一方で私はこのペテンを通すために、かなりの不利益をこうむってきた。DOを出さないということは余程装飾をしないとThinkに隠された意味を見抜かれる、ということだから、本当に様々な言葉を紡いでここまで来た。「そうなるといいですね」「応援出来れば、と思っています」。この言葉に自分の参戦の意図は全くない。参戦の意図があるなら、はっきりと「俺も戦う」と明言する……そっちの方がどれ程相手に信用されるか……。そして、それをしないということは、その意志がないということだ。
何で突然こんな事を書き始めたか、まぁ、前後の文脈からしてみればお分かりだろうと思う。私は今回の決戦でも、絶対にDoは使わずにと思ってずっとやってきた。その分かなり回りくどくなったが、一方で一度も言質を与えなかったと思っている。しかしそれも相手には丸わかりだったんだろうなぁ……一回それやって逃げて逃げ切れずに追撃されて恐ろしい目に遭わされているし。内通猶予願も出したが、果たして一体どうなる事か。「私の胸の内は既に語った通りです」……まぁ確かに語ったとおり、相手がそれをどう理解しているかまでは知らないけど。「私の思いは全く変わっておりません」、そりゃそうだ。ただ思いはいつ変わるか分からないし、変わったからと言って相手に責任があるわけでもないし、何よりも私の思いを正確に理解はしてないでしょう間違いなく。「最後の半年を精一杯過ごしたいと思い、何よりそれがひいては相手の為になると思います」、そしてシメにはThink言語。相手の為になると夢想する、妄想する、でも実際は知らんよ私の頭の中の幻想世界の話だから。もし”実際”も担保するなら、「その実りを相手の為に生かせるように、来年から全力で働きます」と書きます。そっちの方が信頼されるの、分かりきっている訳だから。
……まぁ、嘆願文を書いていたら全部Think語ばっかりで、流石に自分自身でもあまりの卑怯さに嫌になったから、こういうやさぐれた事を書いただけ。いや、この以前逃げた内定先の当時の人事をして「こんな悪意に満ちた文章生まれて初めて読んだ。お前、人間を馬鹿にしてるのか!!」と言わしめただけはある、というか、それが絶対にパワーアップしてるよな……。
こりゃ、絶対揉めるわ……。
期限は10月15日、この日までに全てを揃えなければ二度目の謀反とみなす、とのお話だった。しかしこれ……印判申請を出したら即刻アウトだろうなぁ……すっげーデカデカと学校名が書いてあるもん表紙から。しかもこの用紙じゃないとダメで、部長印(これでも貰うのは大変ですよ、本当に)でもダメだっていうんだろ。トップっていうんだろ。トップに印判もらうのって一体どれ程大変か……というより、「申請書類をトップに向けて出した場合、一体何人が稟議」すると思ってるんだ……。犯行声明回覧するのと一体どこが違うってんだ……。
勿論相手の言い分も分かる。建前上今回の採用は特殊な形になる為、どうしてもトップの印判がなければ駄目だ、という話は理解した。しかし、こんなん上程した時点で話は一つに決まるじゃねえか! いや決まらないって貴様また謀反する気か、と言われればそりゃ従うしかないですよ。ただトップが印判をついて書類を完成させない限り信用できない、って、流石にそれはないでしょうよ。私これから最低でも半年はこの巣にいる訳ですよ。肩身が狭い、というよりも完全に絞め殺されるじゃないですか(怒)。これを上程するという事は、今迄の全部ウソでしたー、というのを巣の中に言うという事。でも、そんな事いきなり決断しろと言われても……。
「あのー、なんだか霧が出てきましたので、とりあえずもう少し模様眺めをして……いやいや、裏切る約束は変わりません。必ず裏切りますから……ただ今すぐというのは……」
「問答無用! 用意できないっていうんなら殺す! こっちは有り得ねぇ二度目を出してるんだ! 四の五の言ってると砲撃すっぞ!」
交渉したもののこんな感じで……まぁけんもほろろ。使者出しただけなのに威嚇射撃されたよ……。そして私も、なんだか本当に小早川秀秋のようになってきた……ああ、ここで決断しろって事か……。猶予なしで、やれるもんならやってみろって話か……。しかもこれ、書類を全て揃えて『健康診断』でAを取らないとアウトっていう滅茶苦茶なものだからなぁ。
健康診断、私は小学校の頃から運動会も体育祭も何一つ苦しみではなかった、ただもう小学校1年生の頃から健康診断だけが死ぬ程嫌いで、勉強が出来ないとか学校行事が嫌だとだだをこねたことはなかったが、健康診断の日になると「やだ、ボク絶対に行かない!」と幼い頃から自発的には家を出なかったらしい。また教員の側も、クラスにいじめがあるとか学校行事が苦手とかそういう理由ならばまだ理解できるものの、採血するわけではない小学校の健康診断がヒステリックに怖かった自分を理解できなかったらしい。医者が怖いの→全然怖くない、看護師が怖いの→ううん、注射痛いのが嫌なの→そんな痛さ平気、じゃあ何が嫌なの→怖いの、僕がどこか収容所に入れられる気がして……やだやだやだ、とまぁとんでもない男であったとのことだった。
そしてそれは薄れるどころか激化の一途をたどり、ついには健康診断を理由に内定を辞退し、相手から「お前ふざけたこと書くんじゃねぇ」と言われて逆切れ「健康診断が死ぬほど恐ろしい人間の気持ちなんて誰にも分かりゃしねぇんだよ!!!」と叫ぶなどという一面もあった。しかも今回の健康診断は突然で何の打つ手もない。もしこれでに数か月の猶予があったとするならば、どのような項目であろうと巧みに操る自信がある。健康診断の3か月前からほぼ絶食+マラソン、ふらついたら水かぶり、とかやって側溝の中で死にかけたこともある。当然数値は滅茶苦茶になるが(そういう関係から、実はハーフ・マラソンの大会に出たこともある)それくらい私は大嫌いないのだ、本当に嫌い、大嫌い。アメリカ人より嫌い。それが条件か! と本当に思う。
……トップの印判な。いいよ、覚悟して取ってきてやるよ。今までの勤務先から土下座行脚、いいよやったる。ただお願い、健康診断だけは勘弁して……職場の健康診断がもうすあるけど、あの時だって前々日から眠れず、緊張で吐きまくってたんだからずっと……。でもって当日はもう廃人同然で心の中は「死にたくなーい」だけだった。せめてあと2か月伸ばすことが出来れば話は違うんだろうけど、でもそう簡単には伸ばせない。でも嫌なんだよ本当に、もう中国以上に嫌、韓国以上に嫌。もう本当に勘弁して、誰か助けて……お願いだから。いや、やろうと思えばやれると思うが、多分その前に私は精神ショックで死ぬぞ。それでもやらせるんか、これ、恐怖症の人間にしてみれば「死ね」といっているのと同じやぞ!そこのところ考えたことあるか? なぁ、健康は最大のプライバシーとか考えたことねぇやろ! ふざけんなっ!
医者は病気を見つけると病院に通わしたがるねん、そこで処方される薬が日本だと殆ど意味ないねん。つまり健康診断というのは人生を壊す最大の地獄なのだぞ、それを採用前の人間に出せと? ふざけるな! 俺がこれでどれほど、どれほど、どれほどいつもこころを痛めていると思っているんだ! 会社の健康診断だった嫌で、今年も人事に抗議して、じゃあ退職しろとまで言われたんだ。それを何故軽はずみに聞く! これが人種差別だっていうのなら、人権擁護法案にだって賛成してもいいんだぞ!
ただこれが「乗り越えられるべき壁」ということだろうと思う。乗り越えられるかねぇ。……これは意志とか関係なく病気だから……でも、相手は私の裏切りを忘れてなかった。やっぱりとは思ったけど、世の中は甘くはないわ。
松尾山で日和って両方から大打撃を食った今年の3月、もう自分は二度と教員世界には帰れないんだろうなぁ、と覚悟していた。それから今日まで、ものすごく時間が早く流れた気がする。勿論それは楽しかったからではなくて、それだけ無味乾燥で辛かったから。終わった、全ては終わったんだ……あの決断が正しかったか間違っていたか、それを悩む権利すらもうない。決断の時は終わってしまった、何よりもうこれで松尾山も三回目、運気的にもう四度目はないだろう、と思っていた。そうすると急に寂しくもなったりして、”ここまでか……”なんて自業自得なのにひたすら澱んだ時間を過ごしていた。
それだけに、今回奇跡的に再占拠に成功した松尾山からの光景、……これの何と美しいことか。
採用世界の常識、「一度内定を辞退したところは二度と合格しない」をぶち破った事に対する感慨もあるが、それよりも何よりも、歴史学だけを考えて生きていっていいんだ、という”安堵感”がまず先に来た。勿論生徒指導の事も真剣にやるし、こんな落ち武者同然の自分を拾ってくれた以上、直面している問題には全力を尽くす。でもそれよりも何よりも、歴史学が仕事になる、それを追及していく事が仕事として認められるという環境の嬉しさでもういっぱいだ。自分の最も好きな分野で、自分の最も得意な分野で、それをずっと追求しながら教育現場、というよりも学校(ここにまた”あれ”が絡んでいる訳で……というかまだ戦っていたのは”あれ”が心にすっごく重かったからで……夢というのは呪いと同義、というのは本当ですな)に戻れる。これでまた、自分が自分として生きていく道を歩む可能性を具現化する事が出来た。勿論辛い事もあるだろう、でもその道を歩く権利を今ようやく、というか絶対に有り得んだろ運気的に、と思っていたが、半年の苦闘の末ようやく手の中に取り戻したのだ。
それが出来たのは……私自身が様々な経験を積み、実体験を通じて社会そのものを少しだけ知った事にあるのかな、と思ってる。無縁仏の遺骨を抱いて泣いたこと、部屋いっぱいの生ごみをかき分けてその一番下にある家主の身内の遺骨を一生懸命発掘した事、首を絞められて殺されかけたこと、劇薬を口に放り込まれそうになって一目散に逃げたこと。そういった様々な超現実の経験が私の中で生きていて、それに対するアンチテーゼ、「人の生き方やその末路は人それぞれだと分かってる。でも私はそういう人生を望んでいない人に、そういう道を歩んでほしいとは思わない。だから社会人になった時に自力で勝負が出来るように、徹底的に鍛えてあげたい。自分の足で立って、社会に訴えかける生徒を育てる教育をしたい」、その言葉に魂がこもったのだろうと思ってる。
私は、働いたら負けという言葉が嘘である、と知っている。そういう家にも何度も言ったが、働いたら負けでそうであるなら今は勝っているはずなのに、一度も幸せそうだなと思った事がない。ここで終わるのか、という忸怩たる思いがやっぱり相手にもあって、特にそれが無意識だと見ていてやるせなくなっていく。どうして、どうしてこんな終わり方になってしまったのか。どうしてこんな結末になってしまうのか。それに対する悲しみと怒り、その蓄積の爆発が完全に擦り切れたはずの私の運気に”最期の大爆発”を促しだのだと思ってる。
松尾山に登る事四度、ここからまた私はどちらに味方するのかをまた半年かけて決めなければならない。ただ一つだけ分かっているのは、今度こそ最後であるということ。というのも、今回もし私が裏切りを決心しないなら、それはもう教職を諦めたことと同義だからだ。……簡単に言えば、誰にも、自分にさえももう言い訳が出来ない。そもそも相手は内定辞退を過去に食らってまでもGOサインを出したのだ。それで「我、裏切らず」というのなら、そこは勿論教育界全体から追放されるのは必至だし、私自身も今回ばかりはその覚悟がなければ絶対に内応を反故にしてはいけないと思っている。教育の旗を完全におろす、無条件降伏をする……それに私が耐えきれるとは正直いって思えない。しかしジリ貧を恐れてドカ貧になるなかれという言葉もある、でも、でも……ずっと定年まで歴史学を追って行っても構わないというお墨付き、その中で仕事が出来る、活動出来るという一点が私にとって今回は大きい。逆に言えば、ここを逃せばもうそんな生活は出来ない、自分の好きで得意な分野を全部捨てて生涯を過ごすってことだからね。それでも求める安定……それは果たして安定なのか、単なる怠惰じゃないのか? と思うし、私はその中で我慢して生きられるタイプではないと悟った。本当に、もう二度と歴史学で仕事は出来ないんだ、と思ったこの半年間、一体どれ程辛かったことか……。
最期の日和見。これ以降はもう日和見をする状態には絶対にならない。それはここを蹴って次のより良いところ、など見つけられるはずもないからだ。そして何よりも、私は「ここそのものから」一度内定逃亡を図ったという、すっごい重い前科がある。幼君の寝首をかいて殺そうとした謀反人を赦免するようなもんだよ、今回の採用は。それに今回は前年度の松尾山同様、最初から正規でやっていけるという条件を既に貰っている。そんな条件で取る方も取る方だと思うが、これを裏切るといのうのは流石にもう出来ない。一度目の辞退の時もすっごい不義理をして逃げているからね、もし二度目となったら……間違いなく本当にリアルに、あの時「こっちが本気になればお前なんぞ社会的に殺せるんやぞ!」と言われた通り、きれいに社会的に抹殺される。一度目は若気の至りということで許してもらえたようだけど、流石にもう許されんでしょう、一度ならず二度までも、となれば。
正直、もう人生の分かれ道は消えたと思っていた。そんなところに今まで好き勝手使っていた豪運が最後の大爆発をし、強引にもう一つの道を私の前に提示した。私は半年後、一体どちらに味方をするのか……でもとりあえず今日はいい。とにかく疲れた!
狂乱者の織り成す最後の宴じゃ、ただ嗤うのみ!
自民党で総裁選が行われたばかりだが、一回目の投票で石破氏が地方票をかなりとった。それは知ってる、知ってるが……それだけ地方票を持っていて、かつその話が事前に流れているにもかかわらず議員からあれほど人気がないとは……普通に考えれば、”普段の素行は余程悪いんだろうなぁ”としか思えない。要するにあまり接する時間の長くない人は絶対的な支持を寄せるが、長い時間接する人間はたとえ自分が負け馬に乗って冷や飯食いになったとしても絶対に石破氏は支持しない、という事である。それ程嫌われているということは、相当な問題人物である、という事の証だと私はあれをみて受け取った。
歪過ぎる。普通に面接とかだったら間違いなく不採用になるケースではないかと、あの得票数の差を見て思った。そして次の決選投票で石破氏は負けるが、それは当然だと思うし、というよりもあれほどの地方票を持ちながら、そしてそれを示しながら尚決選投票では負けるとは、どれ程の問題人物なのかと正直感心したほどだった。何か無派閥というかそういう立場という理由付けがされているけれど、流石にそれだけであんなに嫌われたりはしないと思う。過去の裏切りがあったから、という理由付けがされているが……そんな事を言い始めたら主殺しの石原氏に票が集まった理由が分からない。元々あそこは小池氏を始めそういう裏切者が沢山立候補する世界なわけで、石破氏だけが裏切りで足を引っ張られたはずはない、と思う。そう考えると、やはり相当な問題人物だろうなぁというのが普通の感想だと思えてくるのだ。
総じて今回の総裁選は、裏切者が地獄を見た戦いだったように思う。やはり石破氏は小沢氏を裏切り、与党転落の時には逃げ、安倍政権に人気がなくなると後ろから鉄砲を放つという卑劣な行いを沢山してきて、それが見事に因果を結んだ。石原氏にしても、何もあそこまで露骨な主殺しをしてまで今立候補する事もなかったろうに……もっとも、次の総裁選を待っていては都知事が変わってしまう為、何も力を発揮できなくなるという誰にも言えない焦りが心の中にあったのはないか、という心中は何となくわかる。ただそもそもこの戦い、石原氏がアホな事を言わなければ普通に勝つことが出来たはずであり、そもそも8月に総裁が出馬するなら支える、という事さえ言わなければ多分今頃総裁になっていたのは主殺しだったはずだ。
そう考えると、皆それぞれ報いを受けたのが今回の総裁選だったのかなぁ、なんて思った。因果集約の場所、という感じで。そしてそうなると……一番因果の集約を食らう人物は、他の人たちが矢面から去った一方、ずっと矢面に立たざるを得なくなったあの人。今回正直顔見せだけで、勝つ気はなかったんじゃないかな、と思う。元々あの人が勝負に食い込んだのは、@石原氏が何かバグってた、A町村氏が倒れた、B相手の石破氏の嫌われ方が神だった、という滅茶苦茶な偶然があったからこそで、それがなければ決選投票にも残れなかったに違いない。だから今一番後悔してるのは、まさか勝つとは、と思っている総裁自身なような気がする。他党にしてみればこの総裁は大歓迎、これで自民復活の目は潰えた、といった感じである。幸いにして小沢氏の裁判も一発で結審したようだし、ここからが勝負師の見せ所。悪党の粘りはこの世の中で一番強いという事を是非見せてほしい、善人面している人たちに悪の力を見せつけてほしい、と強く思った。
……あと、今回の総裁は運が強すぎる。運じゃなくて実力? というとAを仕掛けたのは一体……。
それまで倹約家だった祖父が、突然、病院で金のばらまきを始めたのだ。戦後に事業を起こしてある程度成功し、かつ倹約家だった為に祖父は金をたんまり持ってた。一体何に使うのだろう、というのは家族の皆が思っていたが……その金を祖父は病院につぎ込んだ。しかも、ケタ違い。何かあるごとに看護師に万単位の金を、入院してから死ぬまで配り続けたのだ(看護師がそれを貰ったかどうかは、一応明言しないでおきます)。その金配りは介護士にもおよび、一体今までの倹約はなんだったのかと思うくらいに散財を続けた。家族としては元々祖父の金であること、そして祖父がそれを望むなら思うようにさせてあげたいという結論となり、皆が祖父の金配りに協力をした。ただやはり家族の中では、どうして家族に配らず病院にばかり配るのか、一体何を考えているのかという不満は確かにあって、それが狂い始めたという噂に繋がっていたのも事実だった。
私もその時は、どうしてそんな事をするのかが分からなかった。というのも祖父は、それだけ金を配るようになっても尚、自分の贅沢には全く金を使わなかったのだ。高級品を愛するわけでもなく、無駄に買い物をすることもない。私も何度か祖父には会ったけれど、痴呆の兆しは全く見えず、私が幼い頃から見ていた祖父そのものの、他人を圧倒するような恐怖をずっとその身にまとっていたのを覚えている。祖父は、威厳の塊のような人間だった。幼い私、そして長じた以後も畏怖の対象だった。その威厳が、金配りを始めるようになっても全く衰える事はなかった、それが私にとって不可解で、だからこそ狂い始めたという噂に乗れなかった理由でもある。
しかし祖父が他界して数年、最近になって分かったことがある。祖父は最後まで聡明だった、祖父は我を忘れたのではなくて、我を確実に持っていたからこそ、それを失う事さえ出来なかったからこそ病院に金をばらまいたのだ。祖父はたたき上げの人間だった、戦後から事業を起こして成功してきた、所謂開拓者側の人間だった。だから知っていたんだ、と今になって思う。人間は信用できないということを。どのような法律があろうとどのような決まりがあろうと、「最終的には全て人間の気分で決まる」ということを。
だから、医者と看護師に呆れる程金を配ったのだ。築いた財を全部つぎ込んで。
人間不信の究極、と言われるかもしれない。しかし祖父はその点に関して、全くぶれる事はなかった。相手の良心に信用して、等というのは戯言である、と。弱い立場になったら殺される、そしてそれを防ぐ術は、金を使った籠絡と憐憫を誘う態度であると。実際、私が祖父の他界後に見た医者と看護師の本当の姿は、恐怖以外の何物でもなかった。医者も看護師も死に慣れきっていて、「もう一生か○わでしょう、あはは」とか平気で言う。看護師は看護師で、入院後あまりにも早い死であった為「このままでは葬祭費の支出が出来ない。詳細を教えてほしい」と頼むと、朝行ったら死んでいたとだけ答えてくる。本当か? その前にナースコールはなかったか? というよりも、お前らナースコールで電光掲示板が光った時、きちんと本当に行っているのか? 法律がどうなっていても、それは最終的には貴方達の良心にかかってるもんね。主張もその通り、「三つのナースコールが同時に鳴った時、どれに向かうかの判断は私達看護師の裁量で決める」、確かにそうだろうしそうなるだろう。でもその裁量の源はどこに? いくら法律が定まっていても、深夜の病棟に法律の目は届かない。まして複数が一度に鳴った時、どこに行くかは看護師の裁量で決まる。その裁量が良心に基づいたものであるかなんて、誰にも分からないではないか。
はっきり言って、私は医者と看護師が恐ろしい。やっぱり祖父にはかなわない、自分は未熟者だと思っているのは、そういう職業経験を経てようやく、この人種がどれ程<自主規制>なのかが分かったという点だ。その背景にあるのはここにはとても書けないような、というよりもこれは<強制削除>な施設があり、そこで「介護施設に入るという事は<強制削除>だ」と痛感したからだ。そして祖父はそれを知っていた、誰の目にも届かないところでは人間どんな残虐も平気でやると骨身にしみて知っていたからこそ、残りの金を病院に配ったのだ。そのお蔭で父が病院に行くと何故かすごく待遇がいい、と笑い話のように聞くが、翻って考えればそれ程の大金を配ったのだろう。そしてそれは人間不信の表れ、この世の定理を知り尽くした開拓者ならではの恐怖だったと思うのだ。
だから私は、医者と看護師と介護士が恐ろしい(裁いた葬祭費のやつ、あれ普通に見たら不審死が半分くらいあったぞ……。入った途端死にました、という件数が何件あると思ってんだ……<強制削除>)。死んでも施設には入りたくないと願う。施設に入るなら、もう痴呆が進み過ぎて何も分からないときのみ、と考えているし、太く短くと思っている。この人たちは活殺自在なんだ、と、施設への訪問仕事の時に思った。そして実行している様をつぶさに見てきた。あんまりひどいんで報告書書いたら、飛ばされてそして今に到る。私は、とにかく太く短く生きていきたいと思う。それは自分の人生の前途に絶望しているからではない、病院の実態に凄まじく絶望しているからだ。あんな末路を辿るくらいなら私は、と思う程にひどかったからだ。
介護士の方々……不審<以下強制削除>。
ただ桁違いに悲惨だったのは心の病院の方。絶対にそういうお世話にはならない、措置入院とか絶対にならない、と誓ったあの日の夜でした。私は素人だけどさ、あのレセプトどう考えても異常。どんだけ薬を使ってんだよ……。
今思い返してみれば、被災地についての報道は信じられない程”綺麗”だった。あれほど沢山の人が亡くなり、様々な天変地異が起こったにも関わらず、亡骸が一体も映らない。多分撮影の時に余程苦労をしたのだろう、今手元にある映像を見返してみても、あれだけ死者が出たにもかかわらず亡骸が映っているシーンは今のところないのだ。確かに死者への冒涜になるからやたらめたら出すべきではない、というのは分かる。家族にしてみても放映されて嬉しいものではないだろうし、撮影側にしてみても、いつ訴えられても全くおかしくないのだからそうそう流せないのは分かる。
ただだからこそ、被災者のトラウマ、心の苦しみが理解できないのではないだろうか。
身内の死は人間が感じるストレスの中でも群を抜いて高いと言われる。ただでさえストレスが高いその死が、突然で無残で、そして亡骸が身内にもかかわらず目を背けたくなるような状態で見つかってくる。死後すぐに見つかればいい方、何日も経っていれば人間の亡骸はたちまち尊厳を失ったひどい姿になっていく。被災者は、あれを、見ている。テレビだけを見ている人間は、それを、見ては、いない。事実も、知らない。テレビに映るのは災害のシーンのみで、そこに人の亡骸はない。だから一体どれ程の強いショックを受けているのかも分からない。当然だ、だって見えないんだから。更に言えば、人間普通に生きていれば、そういう形での亡骸を見る機会なんてめったにない。葬儀屋さんがしっかりと綺麗にしてくれた身体位しか見ない、という人が大半であろう。
そういう人たちが、どれ程被災者の受けたトラウマを理解できるのだろう。
衝撃の強い画像に対するバッシングは強くなっているが、それでもこういった事は報道すべきだと思っている。まぁ抗議が殺到すると思うが……それで初めて、被災者の心が理解できるのではないだろうか。世の中は綺麗事ではない。そういう世界があるという事を知らせる事もまた、厳しいながらも世の中の役割だと思う今日この頃でした。
必ず民主的な選挙があり、その選挙の場では国民の意見を聞かないと落とされるから、だから国民の意志で政治は動く。尖閣諸島の領有もまた、それが突き動かされているのは、国民がそれを望み、その望みを排除する事は出来ないからである。それこそが民主主義であり、もし日本が尖閣諸島を保てるとしたら、それは民主主義の勝利である。
……とでも言えばあっという間に解決する(ただし相手は本気でキレる)と思うんだけどなぁ……。
今は維新とやらが人気になっているけれど……恐らく次の選挙、維新は殆ど取らないと思う。何故かというと、維新の支持率が高いのが嘘だというわけではなく、維新の支持者の投票行動率は限りなく低いだろう、という予測がある為だ。世論調査の政党支持率と実際の得票率は全く違う値になっており、それを非常に単純に算数化するなら、世論調査×投票行動実行率×正直率こそが得票率。故に世論調査でいくら高くても、維新の勢力は得票率において圧倒的に劣ると考えている。
この話をする時一番分かりやすいのは、政党支持率が四捨五入クラスにまで激減している社民党・共産党の類の政党である。この政党、普通に世論調査の数字を見ていると間違いなく次は滅亡である。いや実際社民党は次滅亡と思われてる選挙を何度も何度も経験して、その実今も生き残っている。それは何故かを考えると、確かに拉致を称賛した社民党の政党支持率は滅茶苦茶低いが、それに乗算される支持者の投票行動実行率、要するに投票率がかなり高い。社民党を支持すると臆面もなく言える人間は、まず間違いなく投票行動を起こすだろう、ということだ。そして最後の正直率、これは「事前に言っていた通りに投票するかどうか」だが、社民党支持者と恥をさらした人間が、今更投票所で寝返るはずもない。その為社民党は最初の数こそ小数点だが、その後の乗算がかなり高いので、結果として得票率はそれほど低くならないのだ。
逆に維新の場合、まず支持していると答える人間の投票行動実行率がかなり低いと予想される。理由はあくまで支持は雰囲気だから、共産党やら信心やらの義務感や、働いている現場での圧力と言った強制力、即ち投票行動実行を促す者を持っていないからである。つまりインタビューという形でなら維新という人間はいても、それをわざわざ投票所まで言って話をする人間はいるのか、という話。維新を支持します、そういうのはたやすい、だがその人たちが投票所に行くというコストを払うかどうかは別問題で、更にそのコストを払わせるものを維新はまだ持っていない。強制力の源となる組織もなく、また人々を駆り立てるような真の意味での期待感はない……次の選挙でどう頑張っても維新が政権を取ることはない。つまり死票と分かっていながら投票しなければならない……それがある状態でどれ程の人間が自ら投票に、コストを払っていくのかというのが疑問なのだ。
そして最大のネック。それは正直率、つまり維新が好きだと言って投票所に行って、その時に維新と書けるかどうか、ここが劇的に低いと考えている。維新を支持している、それで投票所に行ってみた……仮にここまで来ることが出来ても、投票所に書いてある名前は殆ど無名か絶句クラスの逆の意味での逸材ばかり。「おい、こんな連中かよ……」、投票所に行けば間違いないそう思うメンツしか、全国にというなら揃えられない。というよりも、全国落下傘という話だが、そんな事したところで「なんだこのよそ者は」ということで終わってしまうのが関の山だ。だから投票所で一番躊躇し、アンケートと別行動を取りやすい、正直率が低いのが維新なのだ。
そう考えると、維新の場合政党支持率がいくら高くても、乗算する二つの要素が壊滅的であるため、実際の得票率はかなり悪いだろうと考える。それに維新は躍進しそうだ、という噂が投票行動実行率を下げる。勢いがあるのは悪くないが、これが先行したというのは完全なマイナスであるだろうと思う、ただでさえ投票行動を強制するちからがないっていうのに……。で、この計算で行くと自民党と民主党は結構議席をとると思う。何といってもこの逆風の中でそれでも民主を信じてる、という<自主規制>な人間は、もうボロボロになっても選挙行って、民主大好きと書くだろう。だから政党支持率が壊滅的な割に、実際はそれほど崩れないのではないか、と考えている。一方自民党の場合は地方組織の回復があるから、強制力を強く持っている。だから次の選挙ではかなり票を伸ばすだろうし、というよりも前回が負けすぎたという考えに立てば、過半数はまず超えるだろうと思っている。公明党は……政党支持率がどうであろうと、ねぇ。
にも関わらず、最近は口を開けば維新・維新となっている。私は維新について全く知らないが、いきなりマニフェストが嘘ってどうよ、とは思う(憲法改正は参議院も勝たなければならないのですが……それもかなりの数)。まさか刺青をしている人間が公的機関にいるとは思っていなかったが、それにしても自分のどこに刺青しているか提出しろ、というには流石にどうかと考えてしまう。別に刺青を肯定するつもりはないのだが……しかし、人間の絵が描いてあって該当箇所を濡れと言われると、流石に私も嫌だと思うよ。まぁ元々運動部優遇の方針を取っている時点で、本気で嫌いというのがやっぱりあるんだろうとは思うけど。
だから維新の予想外の苦戦がどうなるのか、実は密かに楽しみにしている。候補者として具現化した時、投票出来る? 今回の選挙は前回の選挙で嘘の本をばらまいたアホ達のせいで、過大な公約には皆が警戒する。なんて言ったって前回それを本当に出来るんだ、政権交代したら出来るんだ、と信じて今ズタズタの目にあっているわけですから。そんな時に過大な公約なんぞやったら、そりゃ皆心底では警戒しますよ。それが選挙では、必ず現れる。というよりも現れないのであれば、もう自分で滅亡を望んだとしか考えられなけどなぁ……と思う今日この頃でした。
上司が採用内定の電話をかけている時、私は強烈にそう念じていた。その採用は次に私が行う事になる仕事の補佐役、ということらしいのだが、私は元々この仕事、一人でやると決めていた。補佐役はいらないから採用するのはやめてほしい、と最初からずっと言っていた。履歴書を見た時も、この人は絶対にまずいと強く思った。今この仕事を受ければ……ゴキブリが数十匹いる上、トンボのように数匹が舞飛ぶ家とか連れていかれることになる。そして私は私自身に関しては何とかなると思っているが、他人の責任まで負えない。だから、絶対に逃げてくれと心の中で思っていた。
そもそも今回の採用は、私にも意見を言う機会があった。まぁどれ程参考にするつもりだったか知らないが、その時の私の答えは「礼儀作法とカウンセリング・マインドがあれば年齢・学歴・職歴不問。ただし感染症の恐れがあるので、妊婦もしくは高齢者・子どものいる家庭は避けてほしい」だった。学歴や職歴などどうでもいい、そんなものが害虫や汚物の海に突っ込んでいく後押しになるとは到底思えない。私が求めたのは、家の扉を開けたら害虫パラダイスだったとしても、その時に「汚ねぇ!!」と顔をそむけるのではなく、(汚い……けど、それをいきなり言われたら相手も傷つくかなぁ)という思考回路を持ち、それを実行できる精神力を持った人だったのだ。
人間誰しも、汚いとか攻撃されるのを嫌がる。扉を開けていきなり汚い、とか<自主規制>とか言われたら気分を害するに決まっている。勿論ゴキブリだの何だのがいっぱいいる環境は絶対衛生上悪いから直さなければならないが、そのような部屋の状態の人にいきなり強く出てゴキブリ駆除しろ、といったところで治るはずがない。またそこまでゴキブリが出るという事は当然別の問題があるわけで、その問題を探る為にはゆっくり話をしないといけない。生ごみを捨てるのが面倒臭いから→ならば何故面倒なのか、精神的におっくうだから・分別が面倒だから・近所で目の敵にする奴がいるからゴミ捨て場に行くのが辛い、とか、自然に寄ってくる(50匹クラスだと絶対ないですが)というのなら→大家が管理していない?、近隣にゴキブリがもっと大発生している家がある?、どこかで大規模な工事をしているから一過性?(有機溶剤で工事をすると害虫は逃げ散ります)、本人があんまり気づかない→白内障か緑内障?・それとも痴呆?・ケアプランはどうなってるの? ひょっとして来てないの介護士、といった事をしなければならない。むしろこれが仕事の中身、核となる部分なので、ただ入り口で「汚ねぇ、何とかしろ!」では仕事をしたことにならないのだ。
ただ……これに他人を連れて行きたくはないよ(笑)。特に私のやり方は他人を傷つけない、というのが根本にあるから、だいたい結論まで10分は必ずかかる。それまでここにいろ、というのも惨い話だし、多分それまでに吐くかキレるかしてしまうだろう。それが普通の人間の反応だと思うし、何よりもこの仕事を一過性の雇用でやる必然性はどこにもない。よく採用を自分で受けた時、「貴方にはもっと向いている仕事がある」などと言われて、そんな事ないとキレるものだが、今回は違う。本当に、この仕事に来るのはやめた方がいいよ。それに害虫・汚物は殺してこないけど、刃物・鈍器は死ぬからね、扱いを間違うと。絶対に逆上したり驚いたりしたらダメ(出口が確保できていれば可)なんだけど、それをこの雇用形態では言えないよ……と思っていた。
だから「お断りします」といって破談になった時、私はよかった、と心底思った。まぁ周囲からは、私が「なるべく年長者・肝っ玉母ちゃん系なら即採用してください」と言った為「あの人年増が好きなのか?」等と言われてはいるけど……この世のどこに命を左右するかもしれない採用を自分の嗜好で決める奴がいるんだ、と自分の中では割り切れているからこれはいい。候補の人について説明を受けた時、若すぎる、まだこの現場を見るべきじゃない、といったのも災いしたのか……でも、本当に辞めた方がいいと思っていたよ、心から。
採用は需要によって決まる。今回はそれを、心底思い知らされた。普通だと重宝される、新卒・学歴・職歴の三つが、今回は全く要素じゃなかったしね。むしろ新卒は勘弁してくれと、そんな若いうちからここは駄目だよ、とマイナス要因にさえなっていた。そう考えると、まだまだ私を採用してくれるところもあるのかなぁ……なんてね。
……2年前のような、履歴書を放り投げるアホそのものの相手ではない。私が長い年月を過ごし、地図もなく歩ける、それでいて私が一番住みたいと思っている場所。どうしてそのような言い方をするのだろう……。
「貴方がここにいるってことは、その格の違いを乗り越えるって行為だけど、その覚悟は十分出来てる?」
頼むからそういう言い方をしないでほしい。頭の中でそう考えていても、軽々しく口には出さないでほしい。格の違い、それを第三者ではなく自分から相手に主張する事がどれ程滑稽で情けない事なのか、貴方達には分からないのか。そして貴方達とではないにしろ、この土地で生き、すごし、生涯を賭けようという人間にとって、そんな人間が大事な根幹産業のボスをやっているという事実が、どれだけ心をずたずたにするか予想できないのか。
「たとえば私達と貴方では使命の崇高さも違うし、それに伴って義務も変わるの。貴方が本気で格の違いを乗り越えようと思うなら、互いの義務の違いについては把握している?」
……ただ、ただ、ただ……悲しい。
職業に貴賤はない。何かをすることに関する情熱に対して、崇高だとか違うだとかが一体どれ程関係するの? 普通の仕事は崇高じゃないの? この仕事だけが崇高なの? 崇高ならどうして土地の出身者が心を痛める事件ばっかり地元で起こすの? 全部伝わってきてるんだよ。その度に嫌な思いをするんだよ。何やってんだって、どうしてそういう事になっちゃったんだって。今その問題が止まらなくて止められなくて、どうしようもない状態なんでしょう。それで私達と貴方達では格がまず違うとか言わないで。私個人の採用というだけじゃない。その土地の出身者として、こんなにひどい人たちなのかと心の底から悲しくなるから……。
せかされた私の答えは、もう受験生ではなく、単なる地元の一市民の嘆願に変わっていた。
「全く違いません。どのような職にあっても、信頼は職場だけではなく、常日頃の立ち振る舞いによっても大きく左右されるからです。修養と研鑽についても、確かに制度として確立しているか否かの違いはありますが、皆自分の仕事を達成しようと日常の中で努力しています。その努力の表れが、手作業になるのか学問になるのか、その違いだけだと思っています。崇高な使命は自覚します、しかし、皆が皆、自らの仕事、生き方に全力になって働いています。そこに、格などありません。皆様が望む答えではないことは重々承知しておりますが、今の私にはこのような返答しか出来ません。申し訳ないです」
勉強して覚えた義務の違いを並べたてる……そんなつもりにもなれなかった。格とか、崇高とか、そう考えている限り先は見えないよ。口に出している時点で、もう駄目。人間としての品性を疑われるし、ああこの人たち誰か他の人間の忠告受けても聞かないだろうなぁ、そりゃ問題も起き続けるわ……としか思えなかった。
でも、寂しいな。悲しいな。私の愛すべき地元の根幹産業の人間は、こんな心しか持ってないんだ……。2年前の履歴書スローは別に私の地元じゃないからどうってことなかったけど、ここでだけはそういう話を聞きたくなかった。
職業に、貴賤はないよ。ね。頼むからそんな心で地元を壊さないで……。
何度かこの日記で書いているが、これは私が大学院時代に実際にかけられた言葉の中で、一番忘れられないものである。あの時のテーマは檀君神話の実在についてで、私が日本側の研究状況を調査・報告し、相手側の南朝鮮からの留学生が朝鮮半島側の研究状況を報告する、というものだった。私はこの時真面目、というよりも既に別の大学院に逃亡する事を決めていたから、正直波風は立てたくなかった。それに正直に言えば、相手の女性も苦手だった。とにかく、怒りのツボが分からない。その前から一体どうしてここでキレるのか、全然分からないような存在だったから、はっきりいって関わり合いたくなかったのである。
で、このテーマに関して私が主張したのはこんな感じ。「日本における檀君神話研究はかなり乏しく、朝鮮開国以来断続してあることはあるのだが、研究の主流になっていない。また植民地支配が始まった前後を比較しても論調に大きな変化はなく、特段植民地支配に左右されたような形跡はない。よって日本による作為があったとは考えにくく、また檀君神話自体に関する最古の記録が13世紀であり、実際に檀君朝鮮があった時代とはかけ離れている。勿論その間は文章に記されなくとも口伝があった可能性を否定はしないが、だとするならば日本や中国の文献に一切それに関する記述がないのは不自然である。結論として、流行した時期がいずれも国難の時期であることも考えれば、檀君神話は国難に対する精神的な拠り所としてあるのであり、民俗学で扱うのが妥当である」。
この私がこんな事を書く時点で、もうどれほどこの女性と関わり合いたくなかったか察して欲しいのだが……要するに、”相手をするほどまともな話じゃないから、研究も何も消されてないよ。証拠は全て秀吉が焼いた? 秀吉は中国の文献まで焼き尽くすような事はしてないし、それに数千年もブランクがあって正確な話は伝わらないって。で、開国神話は多かれ少なかれどこの国にもあるから、それはそこで議論すべき話だし、別にその扱いが普通で貶めるとかそういう事じゃないでしょ”、という事なのだが……まぁ相手の女性のキレたことキレたこと。しかもキレた内容が
「天照大神なんて大嘘を認めるのに、どうして檀君は認めないのよっ! 檀君は本当にいたんだからっ!」
と、要するに”檀君の史実的存在を認めろ”というものだったから手におえない。私は、別に熊の子孫と言いたければ勝手に言っていればいいんじゃないすか、という立場だったのだが、史実ではないという発言が「私達全体に対する侮辱だ」という解釈になったらしい。いや侮辱と言われても……檀君朝鮮と13世紀との間を埋めるパーツがなさすぎるんだが……数千年をどうやってクリアしたのか、また何故他国の書籍にすら存在がないのか、そこら辺を説明してもらいたいんだが……私が侮辱をやった、というのなら。
「それは貴方が敵意を持っているからよ! 天皇制に縛られず、中立的に史料を見れば、見えない証拠が行間の中に見えてくるのよ! どうしてそれが分かんないの?」
……超能力者じゃないんだから、そんなもん分かるか。まぁ彼女の発言を要約すると、私がこういう結論に達したのは、私の頭が天皇制でいっぱいだかららしい。そしてもし私に中立的な視点があって、その目できちんと分析をやり直したなら、史料の行間に檀君神話の息遣いを感じる事が出来るという。一体どこの宗教だよ……だから私は嫌だったんだよこの人の相手をするのは……と思っていると、それが表情に出たのか更に女性はヒートアップ。
「檀君を認めないっていう立場そのものが、帝国主義の残滓なのよ。自分達よりもずっと大きな立派な国を造っていたって事を認めたら、日王よりもずっと上の存在がいたって認める事になるものね。だから貴方には見えない、この神話はね、私達民族が心の支柱で、民族愛に目覚めて初めて見えるものなのよっ!」
と、何か民族愛がなければ見えない、これが史実によって導かれる事実を超えた”真実”である、という話を延々と始めた。しかも話の筋からして、どうやらあの中国が見たら絶対キレる檀君朝鮮の支配領域(北京から上海まで。あれを史実だ、と突き付けられてその説得が通じないんだからもうあのゼミは本当に嫌だった。じゃあ中国の歴史は丸っきり嘘って事になるじゃねぇか……)も史実と思っているようだった。しかも、証拠はない。というよりも証拠を求める立場を考える事自体が、日帝残滓であるという。自分達よりも優れた存在があること、天皇制が虚妄であることを真摯に受け止めて初めて、檀君神話という真実が見えてくるという事だった。
……この過去エピソードで言いたいことはただ一つ。隣国の歴史学は「ドラえもん」である、ということだ。「あんな歴史いいな、あったらいいな」を「みんなみんなみんな、叶えてくれる 愛国無罪が叶えてくれる」のであって、「証拠が足りない、どうしよう ”はい、秀吉が焼いたー”」なのだ。現代を起点にして、自分たちがここまで栄えているのだから過去も当然に置いて輝かし歴史だったに違いない、だから神話も何もかも輝かしいものなのだ、と考える。そしてそこに、証拠はいらない。考えたいから考えているのであって、しかもそれが国内で通じるのだ。実際隣国の歴史学会の討論の文章を見ると本当に驚く。大学教授クラスが討論してるのに、会話の中に「民族に対する思い、愛国心はないのか!」とか平気で出てくるしね。いや、愛国心とか関係ないだろ、と思っても、大抵この言葉が出ると相手が負ける。つまり隣国の歴史学とは愛国心による、現代の自分たちを飾るご都合主義的な幻想であり、そもそも史実とは関わりはない。自分達にとって都合のいい妄想が史実、証拠はいらない、愛国心さえあればもうそれで証明は終わるのだ。
その幻想と史実で勝負しよう、というは到底無理がある。たとえ今後日本が一億だろうと一兆だろうと、証拠を突きつけても屁でもない。理由は簡単、相手側は物証をなんとも思わないから。そもそも歴史は自分にとって都合よく造る妄想絵日記帳であるのだから、証拠自体を求めるという発想自体がどうかしている……そんな相手に、証拠を突きつけたところで納得が得られるわけがない。だから史実の調査で決着をつけるという事自体がナンセンスであり、相手に歴史学があると考える事自体がおかしいのだ。
ちなみに……そういう相手側が出してくる証拠は、もう相手にするのも嫌な物しか出て来ない。”誤差数十万年”出る検査法を史跡に使って「これが檀君の墓よ。動かぬ証拠じゃない!」とやられたときはもうね……。
隣国の大統領があそこまで精神錯乱したのだ。しかもレームダック状態にも関わらず、積極的に外交している。更に断頭台行き決定済となれば失うものがなにもなく、即ち、これをとどめる事は出来ないというわけだ。そんな時に、どうして国会を解散出来よう。しかもその狂人がしばらく大統領でい続けるというのならば兎も角、来年の2月になったら必ず死ぬ人で、その上その2月までの間に何をしてくるか全く分からない(狂っているから)。だとするならば国会は解散せず、その来年2月が過ぎるまで、万一の事態がないよう見張るのが必要なのではないか。
勿論近いうちに解散、という公約があるのは周知である。しかしだからといって、どんな行動を取るか分からない精神錯乱者が指導者にいる状態で、一か月以上も政治空白を果たして作って良いのだろうか。私は解散の約束を守るべきだ、という人にこれを問いかけたい。隣にあんな狂人がいるのに、その狂人の横で一か月も国家的にはぼーっとしている期間を造るということが、果たして正しい道なのか、と。確かに逃げ口上と聞こえるかもしれないが、だったら放置しても構わないのか、という反論を確実に覚悟すべきだと思っている。自分はあと数か月で死ぬ、そんな時に敵国の脇腹がらあきという段階で、どうして統合○○○が自分を抑えていられるだろうか。そう考えるなら、少なくとも来年2月までは解散をするべきではなく、隣国の大統領が変わり、ある程度安全が保障されてから解散をするべきではないだろうか。
……と言って国会閉じて代表選をやらせれば、逃げ切る事は出来るだろうか。解散=無職、レッツゴーハローワーク状態である以上、民主党の代表が再選されることはないし、自民にしても民主と隣国の連携プレーに見事解散を阻止されました、では総裁の再選はないとみていい。そして二人の代表が変われば当然約束は反故にされるわけで、そのまま任期満了までずるずる行くと見てもいいい。民主党にとって一番危ないのは、代表選の前に敗北する事。代表選までもつれ込むほど持久の戦法を見せれば、解散の約束も反故にさせる事が出来るし、そして今ならばそれが出来る。隣国のレームダックが国際慣習も分からず狂っている、将にキ○ガイに刃物状態なのに、それが死ぬまであと数か月なのに、その間にわざわざ無防備になるのか、その一か月に何かあったらどうするか。しかもそれが普通に避けられるのに、どうして国内事情で決めた公約でそれにぶつかる必要があるのか。解散公約はあくまでも国内政治によるものであり、国際状況がここまで変わった以上、それに縛られること自体がナンセンスである。家の中の内輪もめ決着の為の約定を重視し、放火された火を放置するなど、それこそが無責任の極みであろう。
それに今解散すれば、維新だか何だかが無意味に議席を積んでくる。これは既成政党全てが望まないことであるだろうし、また維新は代表の人生が波乱なので、スキャンダルを多分ごろごろ持ってる。今解散をすれば維新に議席を持って行かれるが、来年2月まで待てば、勿論維新が強くなるかもしれないが、逆にスキャンダルで殺されるかもしれない。少なくとも今戦っても負けるなら様子見をして、相手の自爆を待った方が得策であり、また戦わないでいた方が利益という状況も加わるなら、ここは何としてでも待った方がいい。小選挙区で皆殺し決定の民主党にとって、最期の逃げ場だったのは比例代表。あそこなら労組の力で何とかなる……その最期の命綱を維新にごっそり持っていかれそう、という現実が明らかになってる。どうしても解散するなら即刻だった(この時点なら命綱はまだ残っていた。代表が市長選をやった後、もしくは体制を整える前に戦っておけば、自民党に負ける数は変わらないにしてもこの比例という救済ロープはまだ残っていたのに……)が、もはや時既に遅し。維新の失策を待ち、かつ、議席を保つうま味を味わい続けるしかない。なーに、次の選挙はどのみち「何があっても鉄板」の人しか小選挙区で勝利は出来ない。参議院も似たようなもの、ダブル選挙だろうが何だろうが、もう無職になるなら無関係なのだ。
だから今、解散する事は絶対に避けなければならないし、そして隣国の大統領の狂乱演技によって、その言い訳も可能になった。キ○ガイが刃物を持ってハァハァ言っている状況の中で、家の中で決めた約束の為に一か月無防備になれとでも? という話が出来るようになったのだ。何という友情か、何という民族の紐帯か。私はこの友情の涙橋に、本当に心から感動する。何世代経っても、どれだけ血が変わっても、違う民族として独立し、本国の同胞との連携を絶対決して忘れない。時間が経つと多民族と混血し帰化する民族が多い中で、この民族は決して周囲に同化せず、独立と尊厳を保ち、民族と民族の本国の栄華と繁栄の為、全力をもって尽くすのだ。自分の今いる場所の地面がどれ程焼かれても構わない、絶対に周囲と同化することなく民族としての自立を保ち、本国の利益の為なら何でもするの精神は、国際社会の流れの中で本当に貴重だと思うのだ。
……とまぁ、色々言っておりますが、要するに「今選挙すると『国民の生活が第一』が死んでしまうからやめてくれ……」というのが言いたいことだったりする。勿論これから先上昇があるのかと言われれば苦しいが、それでもせめて来年の政党助成金は受け取って欲しいと思う。加えて維新が生き残っている状況では、『国民の生活が第一』が勝てる見込みもより薄くなる。だから来年2月、政党助成金という収入が決定し、維新が死ぬかもしれないその時まで、どうか解散しないでくれと願う。状況は好転しないだろうが、それでも、一夜の夢を積み重ねる時間を与えて欲しいと切に願う。どうやっても民主と票を食い合いだけだと思うが、それでも、それでも、どうせ死ぬにしてももう少しだけ時間を、と本当に切に願うのだ。
『国民の生活が第一』の代表に個人票がやたら多い理由は、政策がどうとかリーダーシップがどうとか、そういう事を期待しているからではそもそもない。ああいう人に生き残って欲しい、正義面する連中に是非とも一矢報いてほしい。人間は全員が強く生きられるわけではない、その中で、他人を裏切り続け政界を掌の上で恣に動かしてきた人間のその暗黒面を、世間にどうか認めてもらいたいと切に願う。個人票が多いのはこういう世間に対する小悪党の切なる願い、裏切り過ぎて孤独になっても、70歳になって同僚もおらず一人で新党作っても、なお戦う。その悪党を生き切る姿に心から尊敬し、感動するからだと思う。70過ぎて同年代の人間が周りに誰もない、という時点で善悪は分かってる。でもそれでも、それでもなお、世間に一矢報いてほしい、と願うのだ。
私もまた、4度岐路に立ち、そして戦う道を選んだ。今回は8年前に3月辞退をやらかした場所と、6年前に追放された場所に対する再戦。上司の上司の上司による「ちょろちょろ動くと死ぬぞ」という忠告も振り切り、悪を承知で勝負あるのみ。そういう人生になってしまった、けれどその人生生き切ってやる。そして……頼む。今解散するのだけはやめてくれ、来年まで、出来れば任期満了まで、頼むからそれまで待ってくれ……。
言葉を知らない人でも、蟹座というだけでいじめられ、獅子座というだけで周囲から喝さいを浴びる現象、と書けば理解してもらえると思う。今の訳のわからない方ではなく原作の方、更に恐らく物語としても一番面白かった12宮編のところで、それぞれの星座に対応した非常に個性あふれる12人の戦士がキャラクターとして登場した事がある。そしてそれによって、元々子供に人気のあった漫画だった上に、12星座は自分自身も必ず持っているものだから、その星座を関するキャラクターの特徴や立ち位置を自分や現実に当てはめようという動きが起こった。それが前述した聖闘士星矢ヒエラルキー、という言葉のなす意味である。
まぁ、要するに「蟹座だからってどうしてやられ役ばっかりなんだこの野郎!」というだけの話だが。
当時を現役で過ごしていた私にしてみれば、本当に蟹座とうお座に生まれなくて良かったと痛切に思う。まぁ当時から一番好きだったのが蟹座で、”綺麗事ばっかりほざくな、○ね紫龍!”と思っていたのが私の個人的な感想だが(当時から火垂るの墓を学校で見させられ、「どうしてアメリカ人はここまでひどい事をして、その上日本で笑えるのか! 大きくなったら絶対にアメリカ人を……」などと感想文に書いて、職員室に呼び出されるような子どもだったのです、はい)、勿論口になどできはしない。私のところは牡羊座・獅子座・乙女座のヒエラルキーが非常に高く、牡牛座は別に負けたわけではないのだが扱いが微妙、で最悪なのがオカマ呼ばわりされたうお座と、完全な悪役となった蟹座だ。当然ながら、蟹座になった人間も好きでそうなった訳ではない。たまたま生まれた時期がそうだったから、たまたまその時にこの世に生を受けたからという事に他ならないのだ。にも関わらず、この聖闘士星矢ヒエラルキーが全盛の頃は、いわれなき中傷を受け続けてきたはずである。
にもかかわらず、その年代が親になっている今、どうしてキラキラネームが流行るのだろうか。
学校の中で、クラスの中で、蟹座であるという理由でいじめられていた友達の事を全く覚えていないのか? 今のアニメ事情がどんなもんだか知らないが、今親になっている層は絶対にそういった影響での侮蔑、いじめがあったことを見ているはずである。それにも関わらず、子どもが自分自身の意志でどうにもならないような狂った名前を平気で付ける……そりゃ貴方達はいいかもしれんが、子ども自身は相当ハンデだぞ。どうしてそんな名前を付けるのか、本当に理解できないのだ。
ではどんな不利益があるか。私の身近な範囲内で書かせてもらうと、まず真っ先に言えるのは悪目立ちが過ぎる、という点である。名前の読み方の入力を間違える訳にはいかないからそこはすっごく慎重にやるけど、やっぱり漢字が滅茶苦茶な場合は一発でそれを覚えてしまう。エクセルで表にしてチェックするとなおさらだ。まるで蛍光ペンでマークしたみたいに、ぱっとそこに目が行ってしまう。そして問題なのはそこでプラスイメージがわくのではなく、マイナスイメージが湧く上、「キャッチセールスなどの勧誘業者もすぐにその名を覚えるだろうな」という点。恐らくキャッチセールスの人間が名簿を渡されて流し見した場合、他の凡百の名前は忘れてもその名前だけは確実に覚え、狙いを定める事が多々あるのではと思う(不動産等の高級物件は逆に逃げていくと思われるが)。
それに名前があまりにもアレだと、親は大丈夫か、とやっぱりどうしても思ってしまう。これはもう差別とかではなくて仕方ない、と思ってほしい。実名は当然あげられないが、例えば土手にスプレーで落書きされた如く「夜露死苦」(=元は”夜の闇の如き暗い心のロ○ア人共よ、死ぬまで永遠に苦み続けろ!”という呪詛の言葉。日清戦争後の三国干渉以来ずっと書かれている言葉で、現代になっても暴○族が良く使う。未だ全国各地に存在しており、今においても尚日本は三国干渉をしてきたロ○ア人を許さず、国を挙げて呪っているのが現実である)、という名前が出てきた場合、差別する気は毛頭ないが、親の神経やいかん、とは思わざるを得なくなる。そしてそうなると、報道されているようにひょっとすると何か家族的に危ないのでは……と本当に思ってしまう。勿論積極的に差別につながるほどの要因ではない、ないが……しかしどちらかを選ぶような状況では一つの要因になり得てしまう、そういった消極的材料ではあるのだ。
だから私は今すぐ、名前変更に関する法整備を進めるべきだと思ってる。というのは何故かというと、名前を変えるためには現行法だと家庭裁判所で審判を受ける必要があるからだ。しかしこれ、時間はかかるわ金はかかるわ手間はひどいわで、とても使えない。戸籍の名前をそうそう変えられないという事情は本当に分かるのだが(一応まともな理由を書いておくと、名前をころころ変える事を認めると、別人に成りすます事が出来るというのがある。例えば山田一郎で生きて来た人間がある日山田次郎に変わったとしても、その日から山田一郎時代に作った銀行口座が突然使えなくなる、なんてことはないわけで(官報を皆がじっくり読んでいるはずもないので)、極端な話例えば山田一郎の名義で口座作って借金しまくった後に別の名前で口座作って「借金知らねー」が出来るから)、しかしあと数年で本当に深刻な事態になるだろう。
その為にも、今はこれに関する簡素化の手続きの準備が求められていると思う。いや、実際作業してて可哀想になるときが本当にあるから、何とかしてくれないかなぁ。「真言密教の呪文かこれ!」とか普通にあるから、今はさぁ……。あれで生涯送るの絶対辛いって、ねぇ……。
あ、ちなみにところどころ嘘が混じる事があるんで、それだけ書いておきます。あのビデオを見させられた時の感想と蟹座を幼い頃から尊敬していた、この二つは鉄板なんですが。
理由は何か。些末な話は多々あろうけれど、根本的には「政府が自分のものだから」という意識があるのだと思う。国は一応政府と名乗っているものの、”あれは俺たちが造り上げた俺たちの政府だ”、という観念が本能的にあって、だから”対等な立場に決まってんだろ”、という思いがあるのではないだろうか。だからこそ、払った対価に見合う報酬を受けるのは、当然の権利として主張される。対等なんだから。例えばどこかの銀行に毎月10万円ずつ振り込んでいたと仮定した時、そこから1万円月に誰かが持っていく事になったとしても、一体どこに問題があるだろう。その人は10万円きっちり納入していたのである、ならば身内がその一部を引き抜こうと何も文句はないはずだ。俺が納めた金なんだ、身内が多少そっから引き抜いて何が悪い……政府を対等な立場と思い、金を納める事を自発的意思でやっていればこそ辿り着く、きわめて欧米的な結論と思う。
一方、日本はというと逆である。日本はまだ江戸時代の封建制のままであり、税というのは生存を許してもらう為の貢納、平たく言ってしまえば祖・庸・調の延長である。国の権力者に税を払うのは当たり前の行為で、全ての事はその当たり前をやり終えてからなされる。たとえその時納税額が他人よりかなり多かったとしても、それが考慮される余地はない。生存の為の、当たり前の貢納なのだから。日本国民はこの生存税を貢納して初めて生きていける存在であり、生存税を貢納しているという点でその額は既にチャラ、税を納めきっていればあとは皆が対等というのだ。
ここら辺が、欧米の獲得的民主主義と決定的に異なる。欧米の民主主義は自分たちの血によって勝ち取ったものである。当然そこにおいて国民は参加者であり、言うなれば民主主義政府という株式会社の出資者なのだ。文句があれば当然言うし、出資分の見返りも求める。これは当たり前の事であり、何一つ疑問が思い浮かばない。自分たちで立ち上げた、株式会社のようなものだから。そしてその株式会社の中で格差がある事について、疑問がないのも当然である。その民主制成立にかけた費用の額が違うのだから。だから欧米のデモというのは、現状待遇維持ということはあっても、格差を皆なくせ、とはならない。また欧米の民主主義勢力が共産勢力を恐れたのは、本能的に当然である。「どうして政府設立貢献度が全く違うのに、他の人と同じ扱いを受ける? それが認められる?」、と。現在はまるで特権階級が特権を維持したいが為に、という文脈で受け止められているが、そもそも払った対価が違うのに受け取るものが同じという事そのものが明確におかしい、という意識があったのではないだろうか。
しかしこの考え方は、日本で絶対に通用しない。例えばもしもどこかの金持ちが「俺は政府に余計税金を払っているんだ、だから特別扱いしろ」などと言われたら、間違いなく袋叩きに遭う。恐らく格好のネタとされて、人格まで否定されるだろう。しかし政府に対する貢献度がまるで違うのに、それが全く反映されないのは果たして平等と言えるのだろうか。勿論、扱いは平等である。しかしだとするならば、納税額もまた平等にしなければならないのではないか? 納税額は不平等、しかし扱いは平等。これは平等とは言えない。いうなれば自分が必死になって株式会社立ち上げたのに、いざ株式会社が出来ると有象無象がやってきて「人間なんだから同じ権利だ」と言い始めたのと同じ。勿論人間には生まれながらの権利とやらがあるだろうからゼロとまではいかなくても、それでもある程度の差別はあってしかるべきだろう。
翻って、日本の扶養義務制度について考える。日本の場合まず税金ありきで、その上「お前の身内なんだから身内で抱えろ!」という話になっているらしい。勿論そこにも話の理はある、あるが……ならは多く払った税金返せ、という議論に当然なるはずである。税金は日本国に生存しているから当然に支払わなければならない貢納では、民主主義政治上ないはずである。国民が民主主義政府に税金を払うのはいわば投資であり、それによって全体を何とかするようにと命じる、ようするに株式会社と出資者の関係である。必然的に立場は対等であり、また会社が何もしてくれないというのなら、とっとと出資金を最低限度まで落とすのは当たり前である。政府は支配者でもなんでもない、対等なのだ、何もしないというのなら出資金は回収する。しかしこの当たり前が通じないのが日本、そして即ちそれは日本国がまだ民主政治にはなっていないこと、政治的に体制は変わっても権力者が変わっただけで、まだ封建制が残っているという事だ。
与えられた民主主義は、所詮ここが限界なのだろう。身内の問題なんだから身内で抱えろ、税金?、全額払うのは当然だろ、多く払うのも当然だろ、ああ、それとも日本国内で生きていくのやめるか? というのは、封建政府の言う話である。少なくとも税金を当然のものとして受け止める、貴族政治での世界でしかない。そういった意味で民主政治が日本では全く成り立っていないなぁと思うと同時に、同じ轍をまた踏むのか、とも思う。昔日本が介護の分野でこれやって(要介護者を家族の問題だ、として家族内での解決に押し付けた)大失敗したのを覚えていないのか、介護保険制度が出来たのはそれじゃねぇのか、と本当に意図的だかよくわからないが、その健忘にはあきれ返る。
年収が1000万円ある、税金も納める、でも身内の事だから身内で何とかしろ扶養しやがれ……これが通じるのであれば、「分かった。ただし税金も引き上げる」が当然の答えである。何もしないというのなら。他の人よりも多い税金を納めているのに、その税金は引き続き取るのに対価をまるで政府が出さない、むしろ命令で『自力でやれ』と迫るなら、承諾しましょうただし税金は払わない。だって対価を出さないんだから。そしてこういう発想で動いているのがフランスであり、そしてこれが過剰になり過ぎたのがギリシャとスペインではないだろうか。しかしこれが民主主義の正しい姿であり、身内だからと扶養を迫る、それでいて税金の軽減もしないというのは、江戸時代の町奉行時代と何も変わらないということなのだ。
何というか、高収入だからって新たに身内の扶養をしろ、でも税金は全額払えって、おかしなことだと思うんだけどなぁ。
大津で起こった殺人事件、いくらなんでもそろそろ組織の防衛機能が働きそうなものなのだが、警察が動いても市長が目薬を注しても全くと言っていいほど動じない。裁判は和解の可能性もある、となっているが、和解とは「はいこれで手打ち。もう手打ちになったから、この件であれこれ二度と言わないでね」という意味だから、要するにもう真相解明はしないぞ、という証である(だからこそ和解に意味がある。金払うから黙ってろ、ということだし)。ただ……確かに初期段階であれば強硬姿勢で突っ張れるかもしれないが、ここまできてここまで何故突っ張るのだろう。こういう組織というものは強い者には酷薄な一方、勝ち目のなさをすぐ悟る。だから相手が強いと分かれば、必ず尻尾切りの用意を始めるはずなのだが……。
となると考えられるのは二つ、尻尾切りすら出来ない程組織がグダグダなのか、それとも、そうでもしなければ守れないものでもあるのか、のどちらかである。そして私は……多分後者だろうなぁと思うし、そして守らなきゃいけないものって……多分組合だろうなぁ……と自分の痛みを思い出し、そして感じる。基本的にああいった組織というものは、善の心は失っても生存本能は絶対に消えない。このまま事態が推移していって、報道や裁判だけならば恐らくびくともしないだろうが、議員が責めてきたら滅茶苦茶な事になる。議員は議員で下手に責めると返り討ちに会うのを知っているからそう簡単には動かないが、勝てると見るや一気に集団で襲い掛かってくる存在で、普通ならこれ以上事を長引かせるのを嫌うはずだ。
議員に動かれる前に、教育委員会を切る。例えば、いや本当に例えばというか私のところならやりかねないな、と思うのは、事務局の誰かに因果を含めてフライ・ハイをさせること。いくら教育長が罷免できないといっても、その管轄する事務局の職員が”責任を感じて”フライ・ハイすれば大騒ぎがもう止められなくなり、教育長とても辞任するしか手がなくなる。事務局の職員にしたって同僚がフライ・ハイすれば何でそうなったのかすぐに理解するから、全員が強制的に教育長から去っていく。つまり、いくら教育長が教育の中立を宣言して粘ろうがこれをやれば一発なのだが、そういう様子も全くない。いや、あったらあったで問題なんだと思うけど……そういった一撃必殺回避不能の罷免技も見られないし、逆に庇う動きすら露骨にある。
何故だ、一体、何故なんだ……。
雑音、というのはそれ。明らかに普通のいじめじゃない何かがあるような気がしてならない。組織防衛本能を凌駕するもの、本当にそんなもの少ししかない。組織がここまで個人を庇うなんてことは絶対ないはずで、必ずどこかで手打ちをするし、出来なければフライ・ハイを職員にさせて人事管轄責任で個人攻撃で粉砕、という展開のはずなのだが……。うーん、謎だ。
ちなみにこの究極奥義、「絶対必滅フライ・ハイ」は昔からある古典的な技で、私のところでは部下鬱病発症→人事監督責任追及→滅亡、というケースがよくあ……げふんげふん。よくこういう職の鬱病が多いという話を聞くけど、それは別に仕事がきついからではなく営業成績とかがない以上他人を蹴落とすにはこれしかな……げほぶはっ。あー、喉きつい。鬱病の原因を造る奴って、基本的に同じ課の奴じゃなくて他の課から来るから……ん? こんな時間に呼び鈴? どれどれ……。
詳細は3月16日付「真・やさぐれいじめ道徳論」によるんだけど、そこでの定義通り、周辺の傍観者たちの一斉寝返りが始まった。「可哀想だと思った」「辛いと思った」「教師は信じられないと思った」等々、あれだけ露骨ないじめがあったのに黙っていた=黙認していた分際で、自分たちに被害が及ぶかもしれないと分かるや寝返りですか。腐ってますねぇ。自分も傍で見ていてにやにや笑っていただろうに、被害が来そうだと思うと寝返りですか。今もしも追悼式とか葬式のやり直しをやったら、はっきりいって爆笑ですよ。こういういじめの傍観者が、自己防衛の為に泣きまくるから。散々傍観しておいて、こういう時にだけ白々しく泣く。はらわた腐っていすぎて爆笑ですよ、第一加害者の方はもう色んな意味ではらわたが煮えくり返っているでしょう。「お、お前らだって俺らの事見て笑ってたじゃねえか! なんだよその目は! どうして俺らだけが攻められるんだよっ!」、そう思っているであろうし、またその抗議は必ずしも間違っていない。誰にも気づかれずにやっていたのならともかく、あそこまで目撃証言が露骨にでるやり方して黙っててくれたんですからねぇ……。蜂の死体を食べさせられた、でしたっけ。そこまで見ておいて黙っていながら、今更被害者顔とは……村社会のいじめの恐ろしさの真骨頂は、むしろここから。皆が皆、自己防衛の為に一斉に寝返りを始めますよぉ……。もう醜い位に。
実際警察はいきなり転び、強制捜査という名前の寝返り行為に踏み切った。学校も、まだ校長は頑張っているが、恐らく現場の教員は「校長を後ろからさしても生き残れる」と判断したのでしょう。だんだん矛を転じつつある。土台、いじめの存在を感知せずに普段の授業をやるのは無理なのである。断言してもいい、自殺クラスのひどいいじめなら、授業をしていれば必ず気づく。そしてそれが起こった時、その先生が「組合に所属していなければ」通報すればうまく行くが、「組合一筋数十年」だと告発しても全く無意味。逆にこちらが攻撃されるだけに終わる、今回のいじめがずっともみ消されていたのは、恐らく組合か体育教師のつながり(これがまた強いんだ)でかなり守られていたからでしょう。これに守られた人間を攻撃すると、死ぬ。本当にえらい目に遭うのだ。
さて、その時の告発→逆襲→右傾化にて対抗→組合除名の話はとりあえずおいておくとして。授業をしていていじめが分かるか、という点について書いておく。今までの経験上、まずいじめがあるクラスというのはどこかしら、汚い。秩序が崩壊しているから、掃除があまり行き届いていない。授業を始めると言っても机の上はぐちゃぐちゃだし、どことなく授業に来ているのに不審者のような目でも見られる。勿論これは勘なのだけれど、そういう感じを受けて精密検査チックに机間巡視をすると、更に何かあるのか?という事が見えてくる。そして授業の中で、例えば指名式で「ここはどうやってやればいい?」と連続で指名すれば、まず一発。普通の子に指名しても何も起こらないが、いじめられている子に指名をすると、クラスは笑いに包まれ、別に難しい問題でもないのに周囲が囃し立てる。そして大半がニヤニヤみている。ここで当人が反論していれば喧嘩か? とも思うが、何も言っていなければいじめだと思って間違いない。だから授業をやっているだけでもいじめには気づく、というよりも気づかずに授業をやる方が実は難しいのだ。
ただ問題は、告発をかけた相手が有力者のお気に入りであった場合、砲撃を食らうのは自分であるという事だ。いやー、本当にひどかった。いつだったか部活動の顧問の先生が風邪で休んで、それで代わりに私がやることになって会場だったその先生の教室に行ったんだけど……ひどかったねぇ、机の上の「死ね」落書き。ミーティングが終わった後に教室の片づけをしていて見つけたんだけど、一瞬机の上が真っ黒になっていると思ったよ。そして成程、と。この先生ミーティングとか会議で自分の教室を提供するのをかなり嫌がる上、ミーティングは自分一人で行う、って聞かなかった。一体何でと思っていたが、成程、こういう状況ならそりゃ隠しておきたいだろうと思った。ただいくらなんでもここまで行ってしまうと……と思って告発したのが、最初の運の尽きだった。思えばそこまで強硬に主張する人間相手に告発なんてしたら、反撃を食うのは分かりきってたんだよね……。
「別にいいんだよ、あの机は。あいつは不登校になってるから、お見舞いみたいなもんだ」
は? いいの? え? 不登校になっているからお見舞いって、見舞いの寄せ書きに死ねとかくたばれとか書くやつ見たことないんだけど、それに不意に登校してきたら最後、その机見る事になるわけでしょ。絶対まずいでしょそれは……と善人ぶると、はい、死にます。元々私は組合が大嫌いだったからねぇ、周囲にはいじめの告発ではなく熱心な組合員への攻撃と受け止められた。だからいじめが起こって気づかない、なんてことはないけど、告発が出来るかどうかは別なんよ。いや、勇気をもってそれでも告発、というのはありかもしれないけれど、やると叩き出されるからねぇ、いじめはまるで解決しないまま。
はてさて。今回の事件はどうなることやら。生徒や一部の教員は続々寝返っているみたいだけれども、元締めはなかなか寝返らない。組織的に強いとこうなるんだよなぁ……しかし最早時間の問題と言わんばかりに相手が全面屈服する……とはあんまり思ってなくて、逆に被害者側にスキャンダルが出てきて滅亡、という展開も十分考えられる。組合は本当にしたたかでしつこくて強いからねぇ……ま、どうなるか見守らせていただくわ。
その経緯が被害届を受理しなかった警察を吊し上げる・それを黙殺しようとした学校を吊し上げる、というもので「いじめに対する問題意識では全くない(それならもっと報道は早かったはず)」あるのはあまりいい気がしないものの、流石にあれがそのまままかり通ってしまうのはどうかと思う。勿論今これが報道されているのはショーとして美味だからというだけであり、モニター越しに義憤するだけで勇者気分になれるという「お得感」があるからこそ叫ばれる事は分かっている。「凄惨な事実を見て憤慨するだけで勇者になれます」、ああ、なんと手軽な娯楽であろう。別に私は好き好んでいじめを肯定する気はないが、ただ今の受け止められ方もそれはそれでどうかと思うから、ちょっとそんな事をまず書いてみたというところ。
しかし……まぁそういう娯楽と分かっていても尚、被害届を受理しなかったくだりについては、私はかなり違和感を覚える。だって受理したって……上が反対したらもみ消されるだけだもん(笑)。私はこういう時に周囲がどんな意見であっても強引に受理するタイプで、つい二週間前に私は全員の反対を押し切って受理した一件が本当にあった。だけれど……結局それは元の木阿弥。上司と同僚から挟み撃ちにされ、更に甘言に惑わされず絶対に手放さないでください、といって渡した受理の証文まで奪回されてしまっては、もうどうすることも出来ません。本当に受理って難しいんですよ、上が反対してるとねぇ……。
あれはそう、かなり雨の強い日の事だった。一人の女性がやってきて相談を持ちかけてきて、私はその話を20分程聞いた。そしてその上で、その話を承った証拠を残そうと決意した。なんでそんなまどろっこしい事をやったのかと言えば、組織として受理する事が出来なかったから(上の反対が目に見えていたし、実際に反対された)。更に私がその気になったのを悟ったのか、話し合いの途中から上司の上司がやってきて、絶対に受理してはいけない、それを私達は認めない、と相談の途中で呼び出されて注意をされた。ようするに何があっても受理するな、という話なのだが……。
ただこの男は本当に懲りない……隠岐の島からやってきている流刑人であるわけで……。
更に生来の反骨気質。上司の上司が対応を代わった(というより、無理に変わらされた)隙に私は自作の文章を造り、署名捺印の末に相手にさっと渡してしまった。上司の上司はその時説得に夢中だった為か、そっと近づいた私が書類を手渡すのに気付くのが遅れ、その書類授受を止める事が出来ずに終わった。相手もまた帰っていったが、それは私が受理を出したから。ただし上司の上司はそれはそれはもう怒り狂い、そしてその怒りの頂点の発露だぞ、と言わんばかりの顔で、こう続けた。
「この事は、上司の上司の上司に報告するからな」
(……だから、そういう権威系の脅迫が通じるんだったら、そもそも隠岐の島に流罪にはならないってば……)
この社会で生涯生きていこうとする人間にとって、その言葉は死刑宣告にも似ているのかもしれない。ただしそうではない、完全に見限っている側としては、だからなんだ、というだけである。こちとら、未だに3月の裏切りの追討に逃げ回ってるんだぞ(笑)、◎◎系の粘着のすさまじさ、後援会の恐ろしさなんて知らんだろう!といった感じで、それを重ねて言われる度に辟易してきた。言いたきゃ言えばいいだろう、それがどうした一体何だ。私はそう思ってそしてその事をすっぱり忘れ、その日は一日仕事を終えた。別に悪いとは思わなかったし、すべきことをした、という思いがあったからだ。
ところが、翌日。
その上司の上司が、まだ開店時間にもなってないのに、必死に机にかじりついている。一体何があったのか?、と思っていると、どうやら上司の上司の上司に朝早く得意げになって報告したところ、逆に「お前がいながら何してやられてんだ! 死んでもその紙取り戻せ!」と凄まじく怒られたらしい。その為自ら電話をかけ周囲からじわじわと攻め、その書類を奪還しようとしたらしい。いや、したらしい、というより、せざるを得なくなったといった方が正しいのか。
もう開店時間になろうがなるまいが、知ったことかの上司の上司。そして3時間後……怒りに震えた上司の上司から呼びされて一言、「取り戻したぞ」との話。もう突っ込みどころ満載というか、どうやって住所を知ったんだどうやって相手を納得させたんだ、ということもあるけれど、何よりも「そんなことしていて楽しいか?」という思いである。
「お前、一体これからどうなるか分かっているんだろうな」
はいはい、もう何度も聞いたそのセリフ。リアルに二けた超えてるから、マジで。ただ一方で流石とも考えていて、あの状況から覆したのは余程上に媚びたいのか、もとい、自分の幸せを壊されたくないのか、もとい、自分の拠って立っている価値観が汚泥同然と認めたくないのか、もとい、その上司の上司の面目躍如とも言える。まぁだったら私が近づいてきたときに何をする気だったのか察しろよ、とも思うが、それでも結局上司の上司はこの難題をクリアしたというわけだ。
そういう訳で、受理は本当に難しい。特に現場の人間が相談を受けて是と認め、更に上がどう言おうが知った事か私は私だ、といって強行しても、こうしてそれは取り消される。だから受理しなかった事に関する批判を聞いていると、それはちょっと勘弁してくれ、と思ってしまう。受理しようと現場が思ったって、上の一存で決まるんだからそんなもんは。強行したって、死人が増えるだけなんだから。あーもう、そりゃ上司の上司の上司も上司の上司もキレとりますがな(笑)。まぁ今更そんな事実掴まれたところで、内通毎年連続、という事実の前には塵ですしね。
そう簡単にはいかない、力技でも無理。そんな事が往々にしてあるものです。
裏切りも戦いも、やり続けると中毒になる。やらずにはもういられない、本来は目的を叶えるための手段だったにも関わらず、戦う事それ自体が目的となってしまうのだ。平和は困る、戦いを起こすことが出来なくなるから。じゃあ何故戦うのか、それは戦いと裏切りの快楽に一旦脳味噌が焼かれ切ると、その快感を忘れる事が出来なくなるという点と、裏切って寝返って戦いまくって得た自分の地位に対する後ろめたさが強すぎて、黙っていられなくなるという点だ。
私も、もう何年戦い続けているだろう……その中で既に戦う事、裏切ることが目的になっているという面はもう否定しきれない。一番緊迫感のあるストラテジー、頭脳戦、背中をちりちりと焼け焦がす背徳感、足元から忍びよる破滅と死の予感。私が打った手で相手が動く、そしてその相手を倒していくその過程。そしてそれらを全て混沌の鍋にぶち込んだ末に生まれる緊張感……これが自分の手先から頭の先までしみわたり、そして細胞が活性化していく。高揚感、とでも言えばいいのか、生きている自覚、とでも言えばいいのか。なんだかんだ言っても、戦いの中で戦略をやり合う事の快楽・愉悦。それに溺れた者は、そこからもう、逃げられない。
ただし、戦いが終わった後に、どんな結果が来ても、幸せになる事はないけどね。
汚い事をした張本人程、その策略の内容が分かっているから、どれだけ自分が卑劣な手を使ったかという事を自覚して忘れる事が出来ない。卑劣、極悪、勝利そのものに快楽はあっても、その結果には快楽はない。待っているのは恐怖でまた戦いに立ち上がらなければならない程の怨念と罪悪感。やった本人が一番分かってるから、その自分が幸せになっていいのか、振り返ればそこに怨念の塊が鎌を持って現れるのではないか……。償いなぞ、無意味。償ったところでそれが自己満足でしかないことを、仕掛けた側は良く知っている。よしんばここで心を私が改めたとして、では私がやらかしてきたこと、それによって被害をこうむってきた側に何かメリットがあるだろうか。ない。メリットがあるのは私だけ、つまり策略を使って勝つということは、贖罪の機会の永遠に訪れない状況を作り出してしまうという事なのだ。
消費税だか何だか知らないが、御年70歳でまた分裂をするとの話がある。もう、誰もついて行かない。裏切るたびに人は離れていった。黙って口を塞いでいれば、余生を普通に送ることだってできるのに、それでも戦う。勿論裏には様々な事情があるのだろうけど……心の中にたまった澱、魔を払いきれなかったんだなぁと、罪悪感に勝てなかったんだなぁと私は思う。まぁ元々私は選挙権を得てこの方、小沢氏の勢力にしか投票したことがないので(除く荒井・片山参議院議員)投票行動が変わるわけじゃないんだけど、それでも心のどこかで応援したいと思う。
修羅に嵌ると、こうなる。やっぱ違うね、実際の戦いは。体中の細胞が活性化したよ、今日は。ははは、ははは、はは……は……。
さては木食上人か、と思いつつ、私は精一杯職場をきれいにしてその詰腹強要の使者を待った。しかしかの織田常真公でさえ流謫は数年に及び、それでも自害をしなかったのだ。たった一か月弱で誰が腹なぞ切るか、それに万が一に備えて訴訟の準備も万端じゃ、という相も変わらない戦闘態勢で配所に来る使者を待っていた。予定の時刻より少し遅れて、「うわ、本当にいるよ」と滅茶苦茶失礼な事を言いながら入ってきた所属上は上司の上司の上司は、何の挨拶もなく勝手に引っ張り出してきたソファーに座ると、
「こんな目に遭わされて、まだ辞表を出さないの?」
ととてもありがたい言葉を言って下さった。私はそれに対して笑顔で流しつつ、これでまた訴訟のネタが増えたと心の中ではほくそえみつつ、先日仕入れたばかりの茶葉で微笑みながらお茶を入れた。
「それにしてもこりねぇ男だな、残るなら残るで、少しはじっとしてられねぇのか」
それ程熱くはなかったけれど、その上司はそれを含むように少しだけ飲むと、うんざりとした感じでそう話す。まぁ……届いたんでしょう、妙な噂が。というよりも住宅地のど真ん中で満面笑顔で背広姿で日中歩き回ってる、って時点で「何それ」って事になるのに、私はスーパーに言ってずっと同じところに立ってたりとかしてたからなぁ(笑)。実際は茶葉と予算がかみ合わなくてどうしようかなと思ったけれど、やっぱりそういうところが不審に思われたらしい。というか、せいぜいの嫌がらせでそういう事をあえてしてたんだけど。
「……過去を話しても仕方ありません。私は今ある仕事に全力を尽くします」
そう言って、微笑を絶やさない。本音は労働基準監督署に通告かけてから全部話してくれるわ、と裏でどす黒く思っていても、それを発散させたら意味がない。むしろここは丁寧に接して相手の暴走を待つのが一番、と思っていると……なんだか上司の様子がおかしい。私に切腹の気持ちがない、と知るや大きくため息をついて、
「仕方ねぇ、なら出るぞ。出獄だ、すぐに戻るぞ」
ととんでもない事を言い出した。え? 出獄って本当に獄として扱ってたのこの職場、じゃなくて、私は確か3年連続内通して内定蹴ったところのうち3つから抗議が来て、人事が対応できなくなって追放された気がするんだけど……あれだけ派手に仰々しくやった人事の死刑宣告はじゃあなんだったっていうことになるの?
「人が足りない。パートが逃げた、補充も出来ねぇ。すぐ戻って今日から受付に立て。もしくは今辞めろ。お前が辞めない限り新人の補充ができねぇからお前を使うしかねぇんだよ。くそっ、どうしてこんな厄介な奴を……」
そういうと上司は忌々しそうにとっとと私の配所を後にした。……あとから聞いたところによると、その配属先は今年廃止が決まっているところで、その為にその上司はその配属先の人員を大きく削った、という。しかし今年廃止が決まっているところにパートの人が長くいようと思うはずもなく(そのままいたら切られてしまうわけだから)、次から次にパートが逃げる。通常だとその分募集をかけるのだが、いかんせん今年で廃止となってしまう為、1から研修を重ねてもそれが結実する頃には業務が終わってしまうという状態になる事からかけられないという。となるともう新規採用をするしかないのだが(新規採用であれば研修も次の職場で生かせるから問題なし)、それには枠を一つ消さなければならない。実際上司は人事にスペアを求めた時、私が生きている限り私を配置転換するしかないと話したそうで、上司としては「だったらあいつに詰め腹切らせる」つもりだったらしい。
ただ何というかこの上司、かなり短気で、私の意志が強い事を知ったのかそれをすぐに諦めたらしい。もともとそこまで短慮だから人員配置に失敗するんだろ、と思いながらも……私はにこやかに
「それは命令ですか?」
と尋ねた。こうなったら言質はいっぱいとっておきたい。だからとりあえず念押ししておくと、便利な事にこの上司はあっさりと
「命令だ。お前の意志はどうでもいい」
と言ってくれた。ここまで脇が甘いなら……と思い、私は結局島抜けをするという運びとなった。しかしまぁ、そりゃパートも逃げるわ、と思う程そこは忙しくて、しかしとうとう堂々と反旗を翻して上司は激怒し、結構色々あったりする。ま、それはそれとしてまたいつか。というわけで流謫生活は1か月で終了。結局本属の別部署へ復帰です。
最近すっごい金持ちの身内が保護を受けていたとか何とかで問題になっていたりする。曰く、どうして身内が扶養しないのか、何故それが義務ではないのか、ということがどうも注目らしい。何故扶養義務者の扶養が義務ではないのか……でもそれはこの世界が「現世ではない」という事が分からないから出てくる疑問で、まがりなりにそこに過去いた自分にしてみれば、扶養義務者の扶養の義務化程鬼畜外道な政策はない、と思ってる。
例えば。本人から話を聞いたところ、どうも田舎が大きな農家であらしく、それなりに土地があるとの事。その為それどうしたんですか? と聞いたら売った、と答え、じゃあそれ貴方が相続してたんですか、と尋ねると、「いや兄貴。でもま、兄弟なんだから別にかまわんっしょ。それに昔の事だし」とあっさり。ちょっと待ってください、今のお話だとお兄さんはその家継いでたんですよね、権利書とかどうしたんですか、と尋ねると、そりゃ自分の家だもんある場所位は知ってるよ、とまたあっさり。この時本当に本人は明るく屈託なく話していたが、それを筋道立てて要約すると『兄の住んでいた家を勝手にうっぱらって逃げた』という事になる。そして「それで音信不通になるなんて、兄貴もこころがせめぇよなぁ」との事があった。
……別にいつもの事なのでそれでも一通り扶養調査を開始。扶養調査をやった場合兄というのはかなり順位が上なので、私はこの兄にも手紙を送ったことがある。その返事は……まぁ、文字と内容で殺意が見えるとんでもないものでございました。しかも全て納得、そりゃキレるわなぁ……ある日いきなり競売にかけられて家追い出されて老親連れて狭いアパート生活、その上連帯保証人に勝手にされた為にヤ◎ザが毎日やってくる。手紙にはそう書いてなかったが、もう行間から『死んでも扶養するか!』というものがにじみ出ていた。しかもこれは、まだもマシ。例えば別の例だと子どもの場合、幼い頃からその保護を求める親から近親<以下強制削除>。あとまぁ本人が「暴力じゃねぇんだ、親ってのは子どもを殴るもんなんだよ。それは権利なんだよ」と公言していたから予想していたが、子どもの返事は何か殺人予告みたいなものだった。
基本的にこういう世界だから、義務なんてむごすぎで出来た話ではない。1歳の頃に離婚した父親の面倒、3親等だとこれも義務になるが、それはかまわないのだろうか。あともう一つ、義務化してしまえば逆パターン、「扶養しているんだから保護なんぞいらんだろ!」という老人虐待がより防げなくなる。たくさん年金をもらっている寝たきりの親を虐待している息子、で、その息子は親の年金を使って放蕩三昧をしているが、親はまるでほったらかし。仕方がないので近所の人が相談して介護に連絡、強引に介護をとってヘルパーにつなぎ、ヘルパー経由からの話となった。この時息子の言い分は、自分は扶養義務者で扶養要件を果たしている、だから保護なんぞ無用だということだった。しかし毎日卵1つという生活はどう考えてもアウトで、しかも年金で借金している有様だった。この時はもう法律の裏というか間隙をぬって何とか保護にして救い出したが、もし義務化してしまえば、もう同じ真似は出来ないだろう。要するに「蚊帳の外でもよい」というものがあるから、このような手が使えたのだ。
すべからく、この世界は現世とはまるで違うものである。だから扶養は義務化出来なかったし、すべきではなかった。あまりにも、惨い。暴力振るいまくった親の面倒を死ぬまで見ろとか、流石にそんな事は言えないし、そういう人しか基本的に来ないのだ。もしそれ義務化したら、一体どれだけきついことになるだろう……特に近親<以下強制削除>の場合は手紙があったんだけど、あれ読んで尚って無理だよ。うん。
まぁ以前のリーマン直後爆発的に相談が増えた事があったから、今回も相談は激増すると思う。ただ真のすっからかんになるのって実は容易ではないから殆ど要件を満たさないと思うけど、相談に乗らなければならないからそれはそれで辛くなるんだろうな、と一人思う(年金受給権は65歳まで関係ないからいいとしても、保険に一切入ってないって人はそういないだろうしねぇ(=保険がダメ、というわけではなく、解約返戻金があると解約してそれ使ってくれという話になる。当然解約返戻金は積立金より少ないので、大損となる))。
しかしそれも浮世の話、配所にて月を眺めるしか無きわが身には無縁の話よ……。
昔は医者が絶対の存在で、その方針に逆らうなんて許されず、ただ医者の言われるがままに治療してきた。治療した方がよいに決まっていて、医者のいう事が正しいに決まっている、そしてそれを否定すれば追放されて死んでしまう(病院は「二度とこの病院にはかかりません。それに対して文句も一切言いません」という念書を持っていて、患者にこれを書かせることがかなりあります。これを(無責任に)書いた人間が多くて多くて、あとどれ程苦労をしたか……)。しかし、その医者の絶対性が教育の崩壊による権威崩壊で崩れ、それによって改めて医療を見直すことが出来るようになった。まぁ、本当に皮肉で退廃的な結果では、あるけれど。
そんな中。私は遠流になる前に結構な癌患者とその医者に接したことがある。癌といっても早期発見や中盤でも治るものもあれば、見つかったらまずアウトというのがあって一口に言えるものではないとのことで、レセプトを見ても良く状況が良くわからない事が多かった。で、医者に話を聞くことになるんだけど、やっぱり医者にとって患者はOneOfThemのようで、「助からないです、死にます」とすっごくシンプル。中には絶対に死にます、貴方だって死にます。だって不老不死なんて人間はいませんから、というすごい理由を話してくれた医師もいた。この時私が医師に話を聞いたのは、「入院して運ばれてきたが、多分死ぬと思う。葬儀屋の手配をしてくれ」と言われた一方、「今すぐという話は間違いないのか」と尋ねると、「今は元気だ」と答えたから。だから病状がどういう状態で本当に葬儀屋がいるのかを聞きたくて言ったのだが……まぁ、権威が衰えても医者はやっぱり医者なのだろう。
少し話がそれた。で、がん患者に対する医師のスタンスも結構色々あって、訴訟が怖いから最後まで手を尽くすタイプから完全放置(医薬品不使用の報告書が返って来たんでなんじゃこりゃと思って病院行ったら、治らないから何もしてない、という返答だった)まで色々ある。こうやってただ書くだけだと前者の医者の方がまだましで、後者の医者はひどい人に思えるかもしれないが……実際はどうだったのか、実は今は定かではない。というのも。
末期肝臓癌で完全放置、という人は結局3年生きていたし。
一方全ての医療を尽くした肝臓癌ステージVの人は、たった4か月で亡くなった。
特にこの肝臓癌ステージVの人の、その最期の姿はひどかった……。抗がん剤を打つ前まではけっこく矍鑠としていたのだけれど、抗がん剤治療を始めた途端に体中から生気が消えてねぇ……。で、この方、自分が死ぬのが分かっていたみたいで、抗がん剤を打ち始めてから「四か月は生きる」が口癖になってた。何故四か月かというと、医者からあと三か月の命だ、と言われたからだという。だからそれは乗り切ってみせると、頑張ってそれだけはとずっと言っていて、それで口癖になったというわけだ。最後の方はもうモルヒネも駄目になっちゃって、腹部ぱんぱんで、私は10秒でいいって言ったのに日常が出来なくなるのはいやだって普通に話になって、また四か月の話になって。私はもう何も言えなくて、ただバスケットボールを服の下に隠したとした思えない程膨れたお腹にだけは目が行って、本当にどうしてこんな事があるのか、とただそれだけを思うしかなかった。
こんな事、それは癌だけではない。私が悲しみ憤っていたのは癌の事だけではなく、医者の言っていた余命三か月が実は嘘だと知っていたからだ。医者は私の調査に対して、三か月の命とは実は言っていなかった。医者の本当の見立ては、「三か月から半年」なのだ。私はその時既に当人から何度もあと三か月の命と聞かされていたのでどういう事が訪ねたのだが、医師曰く、「そんな事言って三か月前に死なれちゃったら訴えられるでしょー」と半笑い。「三か月って言っておけば、まず死ぬであろう四か月目・五か月目に死んでも”先生の御陰で延命出来ました”って感謝されるでしょ? ま、これが正しい嘘ってもんですよハハハ……治療? ああ、本人が望んでるからしてますけど、効果はないですよ。ここまで大きくなって今更抗がん剤って……でもま、これしかやることないし、本人的にも抗がん剤を打っているって事実に安心するんでしょうね。どのみち医学的には問題ないですよ、何やったって、もう助かる見込みないですから」
そしてその人は、三か月を超えた時点で急速に弱くなって、四か月目に亡くなった。
家族は、医者の見立てを超えて生きられたのはその人の頑張りと治療によるもの、と深く感謝している。その一か月が大切だった、とも話してくれた。なるほど医者の見立て通り、訴えるなんて話は全く出ず、静かにその人は天に帰った。
……医者が、心の中で大爆笑していることも知らずに。
隠岐の島に流されてもう二週間。次は遠流直前に打ち上げた最後の大花火、というかうっぷん晴らしというか、最期の復讐というか、病院とのガチバトルの話でも書こうか。本気でキレている私と、そこであったやりとり。ああ、最早全てが懐かしく、そして全てが過去の記憶へと消えていく……。
日本史で、専任で、給料が今の倍。そして、私が生涯追い求めた都への復帰が叶う場所。私にしてみればドンピシャ、これ以上ない最高の場所だったのに、どうして私は踏み切れなかったんだろうねぇ。あの時私は確かに全ての流浪を帳消しにして余りある成功を手にしたのに、どうして踏み切れなかったんだろうねぇ。
たまらん、ほんとうに、たまらん。
勿論理由はある。私は自分の努力は自分の成果として生徒に自信として持ってほしかった、断じて虚構に過ぎない神仏の賜物と思ってほしくなかった。でも、そこは妥協すべきだったんだよなぁ……。それが出来なかったのは、やっぱり私の弱さであり、間違いだったんだろうなぁ。
しかもまだ35歳(新卒限界年齢)までは猶予があるという生殺し。しかし運気を完全に捨てた私に未来はない。でも耐えきれない。
……生殺しだねぇ。苦しいねぇ。隠岐の島の遠流はきっついねぇ……。
この言葉自体は確か高橋名人だったかが話したもので、背景にはPTAがゲームに熱中する子どもを見て抗議してきた、という事があるらしい。それでも私はその言葉自体は間違っていないと思うし、ゲームを否定するというよりは電子画面をじっと眺めている時間を減らすという事はやっぱり必要だと思っている。ゲームを否定する気はないが、やっぱりずっとやっていると疲れる。だから節度は守るべきだと思うし、こういう事は報道されてしかるべきだと思っている。
ただ最近は、こういう言葉が言われなくなりつつあるような気がしている。聞いたことがあるだろうか、ニンテンドーDSは一日一時間、とか。PSPは一日一時間、とか。ゲームのやり過ぎ、時間が長い事が社会問題になったりとか、そういう事があるだろうが。言っておくが昔のゲームはテレビ画面だから相当対象が大きく、ブラウン管である事を差し引いても携帯ゲーム機よりもずっと目には優しかった。ところが、今の主流ゲーム機は兎に角画面が小さい。で、すごくちょこまか動く。こっちの方がずっと目に厳しいと思うのだが、どういうわけだかかつてあったような「ゲームは一日一時間」とか、そういう声は出て来ない。私なんかだと電車の中でDSをやっている人間を見ると、うるさいとかマナーとかその前に「目は大丈夫?」とどうしても考えてしまう。特に幼い子供がやっているとなおさら、というよりどうして親は注意しないのだろう、とそればかりだ。
更にこれは、携帯電話にも言えることである。最近は何か液晶携帯でモバゲーなるものが流行っているという話だが、揺れる車内でよくそんな目を酷使するのもをやるよな、と私はどうしても思ってしまう。まぁそれは自分自身が網膜剥離で手術した事があるからなのだが、どういう訳だか「目に悪いからやめれ」という忠告が今回は出て来ない。出てくるのはせいぜい課金コンテンツで大被害とかそういうマクロなもので、身近ではないため消費行動に影響しない問題しか表ざたにはならないのだ。
これを象徴するのが、携帯電話の障害として語られているのが脳腫瘍である、という点だ。これは何度かテレビで特集を組まれているが、どうやら携帯電話の電波が脳腫瘍を引き起こすらしいという事である。これを見た時、私はどれ程報道は巧みなのだろうと舌を巻いた。携帯に対して警告はする、しかし、身近な問題(目に悪い・ストレスたまる・寝不足になる・イラつく)を取り上げると収益に影響が出るから出さない。その代わりトンデモ説か、脳腫瘍という身近ではない話を取り上げる……この徹底した姿勢には、正直脱帽するばかりだ。携帯メールとかあるが、あれはどう考えても目に悪い。スマホだか簀巻きだか知らないが、あんな液晶画面見てたら目がやられる……なのでこれが本来は大々的に問題にならなければならないのだが、そんな話を聞いたことがないのがどういう訳か実情だ。
放射能の話を電車でしながら、携帯を弄っている姿を見ると結構滑稽。網膜剥離の手術って、「麻酔注射が一番痛い」から覚悟しといてね。手術自体は痛くないけど、麻酔がすっげー痛いから。どれくらい痛いかというと、親知らずを破壊した時(抜けなかったので砕いた。ちなみに地元の歯医者では砕けず、そのまま総合病院送り。しかも麻酔が効かなかったのでもう地獄でした)の何万倍。何か時が止まる痛さだった。
ま、でもアメリカ人がフライドポテト食べながら「野菜喰ってるから俺ヘルシー」とか言っているようなもの(実話。恐るべしアメリカ人)だから、昔からあるって言えばあるのか。こういう人たちは。
選択を誤ったと思ってる。勝負すべきだったと思ってる。本気で間違ったと思ってる。すべきではなかった。戦うべきだった。ジリ貧を恐れてドカ貧になるなかれ、じゃなかった。ここで見切りをつけて教壇に戻るべきだった。問題があるなら、自分で何とかするべきだった。
まー、そんな事を思っている訳ですよ四六時中。所謂、生きながら煉獄にて焼かれるバカですな。3年目の成績は4勝10敗、しかしこれは4勝できたという事実よりも4つも得られた、即ち”これが最期の運気である”という事に注目しなければならなかったのに、それが出来なかったわけです。
配所から抜け出す気力も今はなく、ただただ月を見ています。この3年目を振り返ることが出来るのはいつなのかねぇ……巣の中の仕事でも「黒猫の話」とか凄まじいのがあるんですが、果たしていつになるのやら。癌治療についても興味深い話があったのですが、それも触れられるかなぁ、そっちの方の整理もついてないから、もうどうしようもない。
しばらくは、遠流先の隠岐でじっとしています。
馬鹿ですな、バカ。
目当てはお茶っ葉。部屋にあったのはみんな賞味期限切れだったから、自分のお金で補充しようと思って、近所のスーパーに行ってみた。ただあんまり普段からお茶飲まないからどんなものがいいのか、っていうのが分からなくて、結構苦戦。玉露入りって言っても甘いお茶出されたら嫌だろうし、甘さを求めるなら紅茶かな。でも、そんなにお茶出しに時間をかけることなんて出来ないから、紅茶は無理か。茶葉は生き物だから丁寧に扱わないと壊れちゃう。予算も限られてるしね……さて、どれにしようかなぁ……。
まぁ周囲の目は憐憫、噂は耳まで届くわな。昼間っから背広来て笑いながら茶葉を選んでいれば。うん、大いに構わない……悪評よ広まれ。評判よさがれ。私がニコニコ満足しながら働けば働くほど、人事に惨い事すんな、という話が伝わるのだ。思わせぶりな話、途中で切る打ち明け話、じっくり、ねっとり、包囲殲滅させて頂きましょう。ふふふ、だから今日は一生懸命茶葉を選んだ。怒らないよ、私自身に不利だから。同情を誘うそぶりもしない、わざとらしいしばれるから。だけど一生懸命誰にも言わずに黙々と働けば、自然に噂は醸成されて相手を攻撃するもの。時間だけはたっぷりあるわけだから、茶葉をゆっくりと選びましょうか。
……1年目の3月。人事計画の明示を求めて拒絶され、話を蹴った私は、その後最初の苦境に立たされる羽目となった。まぁ考えてみれば当然なのだけれど、先方が私の橋頭堡に全ての話を持ち込んで抗議してきたからだ。今考えてみればそんな事をしても無意味、私がそれで仮に転んだとしてもそんな人間役に立たないのに何で、とは思うけれど、まぁ怒りに震えていたというのがあったんだろうと思う。他人をあれだけないがしろにして反撃を受けないとでも思っていたのか、とも思うが、とにかくそれで私は4月、一度目の弁明をする羽目になった。弁明といっても、「分からない、知らない、小麦粉か何かだ(笑)」という言葉を形容詞でごてごてに装飾しただけなので、はっきり言って何の意味もなかったと思う。ただその結果、厳重観察処分(すでにこの時に食らっていたから、3年目の時にあーなったんですね、はい)で済んだのは多分、私が橋頭堡にしている仕事が地獄と呼ばれる場所だったからだと思う。
2年目は、その地獄が1年目よりも最初は辛かった。というのも1年目は目の前の仕事がどれだけ辛くても、一年で退職する事が決まっていた訳だから、その分希望が持てた。しかし2年目に入った時に私に内通先はなく、また2年目というのは「一つの仕事は最低3年続けろ」という訳のわからない風潮の中でかなり戦いにくい年である。だからどうやったってこの時に身動きできるはずもない。そうやって初めて、私はこの地獄について痛感する事が出来た。というか、痛感した。
どういう風に地獄かと言えば……なんと表現すればいいのだろう、一応私の巣も普通の仕事場なんだけど、3月になって転属が決まると、その人は大抵「誰かに肩を借りる形」であいさつにやってくる。一人で来るって人を、私は一度も見たことがない。で、その人は「え、ここ保健室じゃないけど?」といった感じで顔真っ青。まぁ目は死んだ魚のそれだし、顔には”THE、絶望”、といった表情が張り付いている。声なんてとてもかけられない、もし声をかけたら……気絶するか、泣くか、逆上するか、とにかく碌な事にならないだろうとしか思えない状態で来るのだ。オーラ、というやつだろうか。触れたら殺される、これは駄目だ殺される、といった感じがビンビンする。一度あまりにもひどいので、そんなにここが嫌か!、といった事が7月にあったが、「死のうと思った」とか「友人に勧められて退職しようと思った」とか、本当にそれ程嫌らしい。
離職率と精神破滅率と身体破壊率(結核など。多いんだよ意外と)は確かに、それ程恐れられているだけに全ての巣の中で全て2位とかなり高い(1位は断トツで○○○○。あそこの離職率と精神破壊率は異常に高く、若い職員は死ぬので殆どいない。最近は若い職員が全員滅亡したので管理職クラスが一般職をやっている状態)。それだけにそこで生き残れる人間はかなり貴重であるらしく、それが私が生き残れた原因だと思っている。実際金だけは本当に高くて、○○処理手当を始めとした手当もあったし、いついってもお菓子がいっぱいある場所があって、冷蔵庫の飲み物飲み放題というサービスもついていた。仕事中に行っても可、当日年休可。待遇面では本当に恵まれていたと思うけれども、やはり死体が上がるたびに「今日の当番誰だー」という声が出るのは嫌らしい。「ビニール、それとも桶?」というのもやっぱり嫌だったとの話。ただこれは冗談で言っているのではなく、身体の腐乱状態によって棺桶でやるのかビニールでやるのかが変わり、それによって金も変わるので重要な話なのだが、それを普通にやった時に新規さんがまた青ざめていたのを覚えている。……こういう職場だから、”実はそこが嫌ではなかった”という人材は残れたんだと思う。
そんなところでの2年目、私はそれでも教員採用を得ていたんだけれど、それでもここで学べることに重点を置こうと思っていた。お金とは何か、幸福とは何か、家族とは何か、死とは何か、病とは何か。自分が経験し得ないそれらをここでしっかり学習する事が出来れば、それを元にもっと素晴らしい授業が出来ると思ったからだ。勿論、2年目に得た採用先が結構筆舌に尽くしがたい状況だったという事も否定しない。2年目は確か1勝7敗だったか、特に「僕ね、君のところの近くに住んでるの。君みたいな人がいるなんて本当に腹が立つよ。よくここに来れたね?」と言われたのをよく覚えているが、それでも勝利を掴んだところよりはましだったと言わざるを得ない。採用となった場所は滅茶苦茶だったからなぁ……この日記に書かず、裏日記にしか書いてないのは、多分そのせい。あの受付はないだろう、と今でも思うよ、ほんと。
あ、あと。某自治体に抑えきれない怒りを抱いたのもこの歳だった。履歴書を投げられたのは初めてだったし、それで不合格だった時は圧迫ではなくて単に人格がクソなだけじゃないか、とも思った。この時当然このアホは「恨みはらさでおくべきかぁぁぁぁ!!」、と翌年の再受験を決意して、その結果合格した上にそこをぎりぎりで蹴って、そこからの「死ねやクソガキ」という反撃弾で地獄を見る事になるんだけど、それはまた別の話で。この時は本当に腹立ったよなぁ、今でも面接官の顔を覚えているよ。ここですんなり別の人にあたっていれば、3年目の惨劇も少しは和らいだかもしれないけどね。
そんなこんなで、2年目は特に波乱もなく終わった。2年目は3年目への充電時間、というの意味合いの方が強かったのかな。1年目で相当疲労していたから、その休養も兼ねて。それがあったもんだから、3年目は荒れに荒れた。4勝6敗したものの全て蹴り、そのうち3つから問い合わせが人事に入り、人事が逆上、「お前とんでもねぇ奴だな」と言わしめた惨状になるわけだけど。
それでも、生きている。……死んでないだけ、だけど。
何度絞ったか分からない雑巾で窓をもう一度拭いたあと、ふぅっと、自分の息を吹きかけた。すると白いもやが生まれ、怜悧な月光を隠す薄雲のようになってくれる。でも窓を開けっぱなしにしているからか、外とそれ程寒さは変わらず、その薄雲はすぐに霧消する。そして露わになる月、極寒の光槍を無数に放ち続ける、容赦のない月光。……墜ちるところまで、落ちた。諸行無常、とはいえ、流れ流れて配所の月とは……。しかしそんな泣きそうな目で見上げて見ても、月は一向に加減をしてこない。ああ、そう言えば知ってるんだったよなぁ、月は私の所業を全部。確か3年弱前もこんな月の夜に、城跡近くの公園に真夜中に行って、凍てつく寒さの中で月光浴をしてたっけなぁ。
……あそこは今、どうなっているんだろう?
私がその地に降り立って初めて話を聞いたとき、本当の感想は義憤だった。そしてここまで軽薄であれば、約束を守ることもあるまい、とも思っていた。英語をメインに据えることで募集をかける学校が、一度も英語をやったことのない人間をその中心に据えたいと、しかも無試験でと言ってきた時点で、私にある教育馬鹿ではないもう一つの側面、現実的な部分がそう判断してしまっていた。この人たちは教育を真面目に考えていない、無試験で入れるということは、辞めさせるときも簡単にやってくる。とても信用に値しない、というのが私の現実的な心の判断だった。しかしそれでも最初に承諾の返事を出したのは、そちらを選んでもまだ私の現実は成立し得たから。そちらを得る事で現実が苦しくなる、悪影響を及ぼす事がないと判断したからだ。
案の定、その学校を造るとかいうプロジェクトからは、ビジネスライクな印象しか受けなかった。言っているお題目は確かに立派だったが、管理職はかなり狡猾なイメージを私は受けていた。多分この人たちは自分たちが必要なときは義理人情や情熱に訴えて労働者から労力を引出し、逆にいらなくなれば法律の条文、細かな契約の条項を抉り出してたたき出すだろう。夢で釣って情熱で労力を供出させ、契約上のルールを出して最後は相手を切り捨てる。一緒にやっていこう、という輪の中で、私はずっとそういうイメージを管理職側に持っていた。多分あそこは……まだ正規従業員は一人もいないはず、なんだよね。教育用語で書くとあんまり理解されないから露骨に書くと、確か運営側というか資本供出側以外は全員契約社員だったはず。いや、開校1年目の時は確か、ではなく事実だった。それを知った時は本当に驚いた、今でもそれに関しては、相手の見識を疑っている。
この人たちは人材を使い捨てる、人の心が分かってない……結構そう判断したのは早くて、私は私もまたビジネスライクに接していたような気がする。ただそれでも、ある程度の忠告はしたつもりでいる。オープニングスタッフを新人で固めるな、どう考えても年齢構成がいびつすぎる、タチの悪いチェーンの居酒屋かよ、とか、結構色々言ってはいた。でも通じないだろうなぁと思っていたし、実際通じなかった。最後決別をするときにもう一度この事、契約社員だけで学校をスタートさせるな、経験者を入れて若い人間を指導できる体制=恒常的な人事の望める体制、を造ってから動け、と書いたが、さっき調べたところその様子はどうもなかったみたい。
成果は……ま、予想通り上がってるみたいだった。それが一部の生徒によるものか、それとも監獄によるものかは分からないが、あれだけびっしりかつ羞恥的にやられれば、一時的はそうなるだろうと予測はついた。順位を張り出して競争心をあおり、出来が悪いと一日7時間授業……中学生相手にする事かよ、それ(しかも週6)。もっと中学生ならやるべきことがあるはずで、そんな勉強ばかりの日々は果たして学校なのか? と今でも思うし、私の決断の理由にもなっている。
それに何ていうかな……生徒はバカじゃないから、中学校時代にそういう事してると高校進学の時にしっぺ返しを受けるよ、と私は思っていたんだけどねぇ。中高一貫経営の最大の恐ろしさは、中学から高校に上がるとき、生徒側に選択権が与えられるということ。つまり中学時代の不満に対して、他校受験という形で返礼が出来るのだ。特に出来のいい生徒の場合、何の実績もない高等部へ進学するよりは、つめこみで得られた教育成果を生かして他校受験をやった方がよっぽどプラスになるのではないか。例えば本命の学校があって失敗し、滑り止めで入ったような場合。それから3年間滑り止めの学校で頑張って学力をつけたら、次の高校受験では伝統と実績のある学校に鞍替えするのではないか? そしてその鞍替えの是非は、全面的に決定権が生徒側にある。成績はあげられた、しかし学校ではなく塾だった……この時に地元の文武両道の伝統校から粉かけられたら、大量にそっちに流れる可能性もあるんじゃないかなぁ、なんて思う。地方によっては出身高校がその後の人生を決める場合もあると聞く、だったらまだまっさらで未来不確定な進学よりは、伝統校に行った方がいい……そう流れるのが多分普通で、だからこそ私は行事の充実による団結心を、と言ってたんだけど……ねぇ。
草刈り場だって。私も高校受験失敗してひどい高校でつめこみ教育ばっかりされていたから良くわかるけど、それで成績が上がって別の学校に勝負できるようになったら、するもん。愛校心なんてないから。それに実績が白紙なんだから危なくて行きたくない、という潜在的恐怖はあるわけだから、周辺が引き抜きかければ十数人は引っこ抜けるのではないかな。で、その抜ける十数人が上位層となると……大学進学は地獄だねぇ。だから今までは成績が試される状況だったけれど、今年は人間的な魅力をどれだけ与えられていたか、生徒の心にある愛校心が試される一年になる。それをあの管理職が作ることが出来たか? 私は結構厳しいと思う。ただ救いなのは、周辺にそれ程危機感をもった学校がないから、引き抜いて潰す、という発想を持ってこないだろうなぁという事。成績がいいのは分かった、ではあと、外部受験者をどれだけ食い止められるか。それまでの人間的な接し方が試される一年というわけだ。
ここからは私個人の面接官としての感想になるけど、受験者はやっぱり大まかには3、正確には5段階に成績がわけられるように思えた。ただ上位層であればあるほど、感受性豊かで、あ、ここには残らないな、という印象があったのも事実だった。思考の土台がしっかりしている、というかね。その、面接やる前に筆記の点数は出てるから実力自体は分かるんだけど、実際面接してみるとそれがどの水田から出て来たものかが分かってしまう。要するに今年は同じく20俵の収穫がありました、と2人の農民から申告があっても、その20俵が一二年で急増した田畑から出来た奇跡なのか、それとも100年以上耕作していて、ずっしりと土に重みのあるいい水田からとれたものなのか、それが全部見えてしまう、ということ。この点数がその人の持っているどの水田から出てきたのかが分かったてしまうという事だ。そして、良い水田を持っていた人たちは沢山いた。裏切り行為をしているつもりはなかったので、勿論私もそれに従った点数をつけた。しかし、同時に外部流出は避けられないだろうなぁ、とも思ってた。
今年が正念場だろうなぁ……。でもだったら、あの偽求人はやめた方がいいと思うんだけど……。
ふっと気づくと、怜悧な月光が私の薄汚れた顔をガラスに反射させ、強制的に回想から引き戻した。あの時はあの時で輝いていた、しかし今は違う、とでも言いたいのだろう。そしてそれは事実。訪れる事のない相談者を待ち続ける流刑者、今の私はそれ以上でもそれ以下でもない。頭を巡るのは回想ばかり、未来はない(いや、勿論「もうヤケじゃ! 相手が知っているんだったら更新講習決行じゃ! は? 別にいいだろ誰も来ないんだから」とか「全方位爆撃」とか、相変わらず裏でやってんですけど)。
どうしてこんな風にしか生きられないのかなぁ……。
最近の流れだとそういう事は勤務時間外にやれ、と言われるようだけれど、そもそも部屋の印象が「白」という時点で、このような中での勤務は書類を痛めるだけである。持ってきたタオルを口に巻いて、そして徹底的に掃除にかかる。拭くとすぐに雑巾が汚れるため、何度も何度も雑巾を洗い、力を込めて拭いていった。窓は全開、当然寒いんだけど、空気がとにかく埃臭い。これアスベストがあったら死ぬぜ、というまでのひどさで、結局午前中は掃除で終わってしまったのだった。
んで、午後。まず、パソコンがない、電話がない、前任者がいないから引き継ぎもない。というよりも私の今回の役どころは相談員ということらしいが(あくまで役どころ、階級ではない)、”ここに相談に来る職員は誰もいない。というか元々配置されていない”ので、相談もクソもあったものじゃない。相談員として目を通しておけと言われた要領は15年前のものだし、大体誰もいないのに知識蓄えてどーすんねん、しかも全部手書きとか一体どうしろというのだろうか。
いや、必ず役に立つときがくる。そう思ったのは、コンクリートの無機質な屋内に茜色の夕陽が差し込んできた頃だった。
誰もいない分庁舎、でも本当に誰もいないのだろうか。そうだ、ここまで古いなら人間はいなくても妖怪の類、座敷童とかはいるような気がする。あーでも、座敷童が相談に来ても私の心は腐っているから見えないか、でも、そうじゃなくても喪黒福造が来る気がする。しかも何もアイテムもくれず、「貴方は約束を破りましたね、ホーッホッホッホ」といきなり「ドーン」をやるような感じで。それはそれでもう仕方ないと思うし、誰もいない部署の相談役としてずっと閉居しているよりは、そうやって誰かが面会に来た方が気がまぎれる。茜色に照らされ、何とか作業できる場所になった分庁舎の一室の片隅で、一日ずっと入口を見ている。この扉は決して開かれることはない(だって職員いないんだから)、でももし開かれたら……そこからは夢の始まりだ。
御相談、お受けします。妖怪でも幽霊でも可です。お茶の類はみんな賞味期限が切れていたので、私が自腹で仕入れます。それまでお待ちくだされば、出せますので、是非一度。
島流し……。
まぁ私の場合は異動ではなく左遷だから違うのかもしれないが、通常異動となると、ボスが紹介し、本人が挨拶し、周囲が拍手、あとは記念品贈呈という経緯をこの巣は取っている。実際今回この巣から出る人は当然このような餞別を受けているのだが……はい、ボスは私を呼びもしませんでしたし、記念品は勿論、周囲が私を見る事すらありませんでした。将に夜逃げ、遁走そのもので帰ってきた。事の次第と処分の話を皆が知っているから見向きもしないし、それに抗議する動きもない。いや、正確にはあった。そんな事をすればボスが将来どこかに出た時必ずそれをネタに責める奴がいる、だから形だけはやっておけ、と、年配の非常勤の人が言っていたのだ。
しかし、当然私に散々な目に合わされているボスは、これを拒絶。
手牌をばらしたことが、やっぱりボスにとっては致命傷になったようだった。どうもボスは私が単にバカだから(いやバカなのは認めますが)奇行に走ったと思っていた節があり、その為庇える部分は庇おうとしてくれていた側面がある。人事に責められるのは今年が初めてではないけれど、それまではボスが前面に立って庇ってくれたし、何だかんだ言いながらも守ってくれていた部分はあった。その当事者たる私がその庇護に隠れ、あろうことが内通し、更にその無防備な背中に襲い掛かる算段を延々と続けていたと知れたのだ。そりゃボスだって怒り狂う。特に2月に私が仕掛けた被追放作戦(=巣から自力で逃げるとどう考えても絶望なので、叩き出されるように仕向けた)の時は、私が何故人事に”自分は万死に値する人物”というのと同然の報告をするのか分からず、かなり苦しんでいたようだった。ボスは何とかしてその報告を翻意させようとしてくれたが、でも私はそれを飲まなかった。2月の時点では腹をくくっていたから、そんな勧告飲むはずもない。それでもボスはその説得を辞めなかった。
そこまでやっていたのに、実は真相は別にあって私は故意犯でしたとなれば、もう普通は怒り心頭、よく殴られなかったなぁとすら思えてくるのが正直なところだ。
だから別に文句はないが、それでも帰りの電車の中で花束を持っている人を多く見かけた時、去来した感情には嘘をつけなかった、かな。しかし、これは私がまいた種。受けるしかないし、結局ボロボロになりながらも、戦闘継続の為の橋頭堡は確保できたのだ。あの3月のずたずたの状況から考えれば、ここはそれで良しとすべき。うん。よくやった。犬畜生みたいなことやりまくったけど、結局生き残ったしね。今まではこれで死んでたんだから、進歩と言えば進歩ともなれるし。
さて、これで本年度はおしまい。もうこの惨劇は過去の事だ。未来に向かって、来年度の先頭に向かって再び態勢を整える。資格剥奪で若干不利にはなったが、そんな事はかまっていられない。目指すは2年連続の満点通過、ベテランの底力みせちゃるわいっ!
どうしてそんな心境になったのか、どうしてそんな事をしたのか分からない。でも、教職への道をなんだかんだ言って断ってしまった自分が許せなくて、それで私がやっていた内通話を、事細かに全てばらしたんだと思う。何故巣の中で私があんな不自然な態度でいたのか、そして何故私がいきなり左遷という立場になったのか、私の話はその理由を説明するのに十分すぎるほどだった。巣の中の人々は、私が一見非合理に見える行動を取っていたのが実はすごく合理的であったと納得したようで、私の謎の行動についてようやく理解したようだった。
当然、巣の中の人たちは怒り狂う。実は私の行動の全てが計算づくで、騙されていた事に気づいて猛り狂う。
でもそれも構わない、と思った。私はもう、隠れて裏切ったりしない。宣言をして裏切る。こんな宣言をかけてもフクロにされるだけで何の利益もないけど、でも、どうしてもそれをしたいと思った。教員を諦めた自分が憎くて、直前に辞めた自分にどうしても鉄槌を加えたくて。だから今年あった全ての事を、間接的に全部ばらした。噂話の好きな職場だ、今頃は全てに広まっているだろう。当然、私の居場所はなくなる。針のむしろになる、でも、それでもいいと思った。それだけ教員を裏切った心の傷は深くて、それに見合った罰を私自身が求めている、というのが真実だった。いっそ殺してほしい、殺してくれれば、私は否応なしに教員一本で戦う事になるのだから。攻めてほしい、潰してほしい、私が裏切らざるを得ない状況に追い込まれる位に。
潰せ、潰せ、猛り、殺せ。
贄にかけろ、私を。憎め、叩け、徹底的に攻めてこい。私はそれだけの悪い事を教員界にした、それだけの責め苦を受ける筋合いはある。攻めて、せめて、攻めてこい。私にとってはそれは禊、それらを全て受け入れ、自分の愚かな決断を覆す為の準備を今から始める。公開だ、来年度は全て公開してこの準備を行う。文句があるなら攻めればいい、私がやったことはそれだけの悪い事なのだから。悪い事……私にとって悪いというのは、教員世界に悪い事をした、ただそれだけ。それに文句があるのでも責めていい、ただただ私は、今の自分が許せない、それだけだ。
悶死しそうだよ。辛すぎて。
荷物を引き取りに行く為に警備員室に行き、まず警備の人から承認を受ける。そして警備の人が私の旧デスクにまでついてきて、そこで私は警備の人同伴で荷物の撤退を始める。これは前の言い渡しで言われていた荷物撤退の方法で、警備の人同伴での荷物撤去のみ認める、撤去はいいが新設は認めない、というのが先日の判決だった。だから私はそれに従い、粛々と荷物の整理に入った。ただ警備員は流石に今までそこまでのA級戦犯を扱った事はないようで、一体私が何をしたのか知りたそうにする一方、気の毒そうに私を見ていた。
なーに、ちょいと7つ程内通先をみつくろって裏切ろうとして失敗、キレた先方から追撃を3回食らっただけですよ、旦那。
それと、こういう荷物の撤退も3回目だし、私はプレッシャーを感じてないよ。だって、近くでもっと偉い人が2人、しかも宅急便を車ごと呼んで段ボールに詰めて追放、っていう話だってあったんだから。あの時実質的に手切れ金になるのか? 扱いは知らないが、札束渡されたからなぁ。あのときは相手側にも明確に非があったからだろうけど、それに比べれば全然マシ。前後を警備の専門職に囲まれて作業したこともあるんだよ?
だからそんな気の毒そうな、可哀想な顔をしなくても大丈夫。
もの悲しさがないとは言わないけど、撤退そのものを否定してないから。
……結局荷物は持ち切れず捨てきれず、作業はまた後日へと持越し。というよりも警備員さんが日曜日で交代の人がいないとかで、ずっと一人でいたもんだから気の毒になって、私から辞めたというのが真相かな。作業も慣れてるし、持って行ったバッグもかなりの数。だからやれなくはなかったんだけど、でも、それは結局止めてみた。あと一仕事残ってるから。特別休暇をもらってはいるけど、ただ、どうしても私でけりをつけたい仕事があるから。
せめて、最後のご奉公。上司に対してじゃない、私が迷惑をかけた、私の担当した人たちへの贖罪。先日の会議もその為に必死になって裏工作をしたけれど、あと一つだけ残ってしまった。それを、私の最後の印判で片付ける。後任がやれば、多分相手をずたずたにしてしまうだろうから……そうはさせない。私はね、こうして裏切って攻め滅ぼされて追放されること4回、だからかな、結構相手の悲しみが分かるタイプだと思ってる。だから健常にね、お日様の元を普通に歩ける人間には絶対に分からないことが、私には分かると思ってる。一緒の職場にいた人達に対して一番不満だったのは、瞳が汚れて”なかった”ことかな。上から目線に心底腹立った。年齢が自分の倍の相手にしかりつける同僚を見ていて、心の底から怒ってた。大嫌いだったよ、だから。
全てはケ・セラ・セラ。めぐりあわせで決まるのに、たまたま自分が安定した立場にいるからって、そうならなかった年配者を叱る姿、大嫌いだった。年齢をわきまえろ無礼者、と何度も怒鳴ってやろうと思った(同僚側を)。他人をだまそうが苦しめようが、本人には本人の人生がある。その歩みの長さを否定する事は許されない、私はそう思ってるし、否定するつもりもない。
そういう意味で守りたかった2人のうち、1人はとりあえず守りきった。私は口と本心が必ずしも対応してなくて、こういう型破りな人嫌いじゃなかったんだもんでね。殺されかけたことが2度あったけど、それもまたご愛嬌さな。他人に滅茶苦茶やってる分、そこら辺が薄いのかもね。そして、あと1人。かなり状況は厳しいが、これが最期の私の奉公。
私の印判に効力のあるあと5日、この5日で決着をつけます。その後は、子指一本動かすのもお断りです。最後の演武、華麗にやらせて頂きます。
正しく生きられない人もいるの、でも、それを叱責するのではなく、そのまま温かく包むことが社会という事じゃないのかな?
通された部屋も、それを通告する人も、私には見覚えがなかった。多分私の階級ではとてもお目にかかれない人なのだろう。しかし、その言い渡しはまるで裁判の判決のようだった。抑揚もなく、淡々と。それでいて事実をぼかすことなくはっきりと。
「貴方の資格を剥奪します。また、これ以後貴方がここに入る事を許しません。貴方には分庁の方に行っていただきます。そこは今まで一度も正規採用の職員を置いたことのない場所です。行くのはあなた一人ですが、貴方に特別な権限を与えることはありません。貴方以外にも別の分庁の方に行っていただく方はいますが、その方々は単なる異動で、貴方とは違います。貴方は左遷です」
多分こういう事を言いなれている人なんだろうなぁ、と漠然と思った。資格剥奪と追放と村八分、まぁ妥当なところだと思う。しかし貴方は左遷です、などとよく断言出来るものだ。
「貴方の給与・および昇任は無期限停止とします。ここでいう無期限は長いという意味ではありません。余程特別な事がない限り永遠に続くという意味です。これは年齢に左右されることはありません。会議の承認を経ない限り、解除の有り得ないものです」
昇給昇任の無期限停止、まぁこれ以上の事をするには法的根拠が必要だけれど、今回はそれがないから、これしか方法がないってことなんだよなぁ。
「今後もし誰か削減しなければならない時が来たら、その時は貴方を真っ先に対象者とします。それは将来において、貴方のような人が別に出ても変わりません。その人と貴方を同時に処分するだけです」
しかし、よくここまで淡々とひどい事を言えるよなぁ、この人は。それにしても、一体誰何だろう?
「貴方を分庁から異動させる事はありません。ここに置いてある荷物も速やかに撤去して頂きます。今後は許可なく私物を置くことを禁止します」
そして、私を呼び出すなり高台で延々と判決文のように決定を読み上げていたその人物は、私が座らされている机に一枚の紙とボールペンをそっと置いた。
「これは決定事項で、覆ることはありません。もし自分自身を恥じ、前途を憂うなら、その紙に一筆書いて、潔く去るべきではありませんか?」
そうやって出されたものは……そう、退職届。要するに”法的根拠の必要のない事は全部やる。で、それに文句があったらやめやがれ”という事なのだ。……確かに、この条件はキツイ。というより、朗読人1人に見守り人4人というシチュエイションがまず辛い。どう考えてもパソナルームじゃねぇか……まぁここまでの言い渡しをするならこうなる事は分かっていたけどさ。
「強制はしません。ただ、5分待ちます。差し出がましい話ですが……貴方も自分のやったことに罪の自覚があるのなら、最後に誇りを見せるべきではないですか?」
……成程。
この人は恐らく、法的正当性がない場合の退職勧奨のプロなのだろう。一切法的に間違ったことを述べずに、それでいて完全な心理的圧迫で退職届を無理強いしている。いや、無理強いと言われるのを避けたいから、4人の見守り人をつけたのだろう。そして退職届が白紙なのは、名前から理由から、全部私に書いてほしいからに違いない。
流石はプロ。やることなすことそつがない。もしも私が素人だったら、多分ここで陥落していただろう、いや、間違いなく普通は陥落する。元々こんなに冷静に判決文を聞けるはずはないし、第一、このプレッシャーだけで死にそうになる。
ただ。……私には全く通じない。相手の手筋も見え見えだし、圧迫感も全く受けない。
何故か?
だって、こういう面接受けるの生涯4回目だからだもんねー(笑)
退職届突き付けられたのって多分過去に3回位あったし、書かないと会社都合にして一生の傷にするぞ、とか言われたこともあったしなぁ。身内に連絡されて家族ぐちゃぐちゃにされた事もあったぞ(本当に辞めさせたい場合はこれくらい平気でやってくる)。こういう見守り人がいての宣告も3回目。あんまり気持ちいいもんじゃないけど、慣れっこなんだよなぁ。ああ、こうだったこうだった、確かあの時もここから論が曲がるんだよなぁ、って感じで。だから相手は逆に、私が全く戸惑ってない事に、少し戸惑っているようだった。まぁいくら専門家でも、まさか相手が「既に同様の勧告を3回受けた経験があるので、このテの話は大ベテラン」とは思うまい(というか、退職勧告を3回受けている人生って滅茶苦茶な気が……)。
だから私は全く圧迫感を感じず、穏やかに笑みを浮かべて返答をした。勿論、書類には何も書かない。書かせようとするのは、法的根拠がないからだ。もし法的根拠があったなら、多分問答無用で相手が書いてる。ということは、ここは無視を決め込むのが一番だ。
私は、答える。
「御厚情に深く感謝申し上げます。私が周囲に迷惑をかけることがないよう、新たな場所を想定して頂いたこと、心より御礼を申し上げます。ついては勧告に従いつつ、前述した私の夢に向けて、より一層励みたいと思います。御判断が間違っているとは思いません。異議申し立ても致しません。お望みならば今日にでも、荷物を回収して分庁先へと向かいます。もう二度と会う事はないと思いますが、最後に一言、重ねの言葉になりますが、ご配慮いただき本当に有難うございました」
そう言って、あとはただ黙った。沈黙は金、こういう時、また書類を書くのは絶対にダメ。自分の守りたいものが何なのか、それが守られたならあとはただ黙るのみ。こういのは自発的に書いたら負けなのだ。
私が守りたいもの、それは履歴書がきれいである事だ。きれいというか、これ以上汚れないことというべきか。だから一番キツイのは資格の剥奪だが、別にならばこっちは上級資格を取ればよい。ただ絶対に避けなければならないのは、ここが3年で滅亡した、と履歴書に書かなければならなくなるという現実。これだけは何としてもでも避ける、あとは知らん。昇給がないとか昇進がないとか、そもそも来年度試験受けまくって絶対辞めると腹くくってる人間に対しては、全く意味がない。たった一人の分庁? 上等。今更周囲の目線を気にするような私ではないし、そもそも今の場所を自分の所属コミュニティと思っていないから、本気でそれはどうでもいいのだ。だから私の守りたいものは守られている、この状況で十分。私の意向も”もう二度と会う事はない”という言葉で示した。それは。
たとえ何があっても、貴方達の為にもう二度と小指一本動かさない、ということ。
たとえ貴方達がどれだけ正義であっても、私は貴方達の味方にはならない、ということ。
かなり消化不良気味の相手を残して、私への言い渡しは終了した。行動制限はかかったが、結局何とか生き残ることは出来た。というよりも根本的に多分この人は、この職にずっとい続けることに価値を見出しているし、この職を誇りに思っているんだろうなぁと思った。だからこういう攻め方になっているわけで、だからそうでない私にはまったく通じないわけで。私が一番困るのは「教員免許状の原本差し出せ、燃やす」、これである。原本の再発行は出来ないから、それが一番困る。実はもしも反省しているのであれば二度と同じことをしないはずだよな、だから出せ、というのが一番嫌だった。しかしそれはない……何故なら、相手側に私を残すつもりがないから、だ。
ただ昇給・昇進が永遠にない、という通告をした以上、私は当然の権利として謀反する。当たり前である。これでは年齢を重ねていけばいく程辛くなる、ということではないか。それを無理強いするということは、今後私が如何に謀反を繰り返しても、その責任は相手にあるのだ。大体昇給停止なんぞ法的に無根拠にやってよかったのかなぁ? 私にも後ろめたいことはあるから裁判にはしないけど、これは争ったら負けるぞ、多分。
そして。私がその言い渡しを終えてとりあえず元の席に戻ると、さぁ昨日ばっくれたボスがニヤニヤして登場。「どうだった?」……相手が虫けらだと軽蔑できると、結構話は楽になる。虫が相手だから怒ることはないし、むしろ哀れにさえ思えてくる。で、この南京虫だかシデムシは何笑ってるの? あ、私の不幸が見たい。そう……。
「今までありがとうございました。もう二度と会うことはないと思いますが、ご多幸をお祈りしています」
にっこりと、ただし、きっぱりと。二度と会うことはない。視界の穢れだ、消えて、生ゴミ♪ 勿論そんな本音を全く出さずに、でも相手には伝わるように、過度な微笑で。そして相手はそれを理解し、また怒りに戻って帰っていった。しょげていた私が見たかった? ふふ、こと退職するか否かに関しては、経験の場数が違うんだよね(はい、全く威張れませんが)。身代を全部かけて勝負したことなんて、南京虫にはないでしょう。私は慣れっこだから、これくらいで死んだりしないの。でも、そうやって怒って帰る背中、いかにも虫っぽくて小物で似合ってる。ゴミみたい、ですよ♪
さー、これでとりあえず橋頭堡の失陥は食い止めた。あとは来年度の勝負で勝つのみ。この話の筋だと、もう来年度私がどう暴れてもとめないでしょう、相手側も私が新しい職を得ることを求めているのだから。内通もらえば即退職。退職金も転居+引越し代まで出るようになるから、もう気にすることはないわけで(今年は3月末まで勤務しないとこれに届かなかったので苦労した)。さて、と。今年はいっちょやってみますか「全国キャラバン」。公立でそれをやっている人はよく聞くけど、私は実はやったことがない。北海道から東北ブロック、関東ブロック、中部ブロックと降りていくみたいだけど、いっちょ九州までやってみますか。
ちなみに私が一番困ったのは「今回は許す。ただし、教員免許状の原本を全部差し出せ」だったんだけど、今回はそれがなかった(これは退職よりまずい)。さて、これで半公認の謀反内通が出来るようになった。いくぜ、全国キャラバン! ただし出禁県が関東・甲信越・中部に散らばっているから、受験地は限定されるとも思うけどね。
これが私の、生きる道♪しゅらどー、じょうとうー。戦いこそがー、正義ー
いきなり直球から始まった最終弁論の場だったが、それも無理ならぬことだった。通常配下の人間がなんらかの事で人事に呼び出される時、必ずその直属のボスが弁護士のような役割で来て、弁護をしてくれる。実際私が前に同じ案件で呼び出された時はそうだったし、ボスが管理責任を問われながら、私が間接的に説諭を受けるというのが普通の形式だった。
しかし、そのボスが何と欠席。何のことはない、私は昨日の復讐をきっちりここで受けたわけだ。
「キミを弁護すべき○○は来ないし、抗議の書類はたくさん来てる。そのくせキミは退職届を出す気配が一向にない。これだけあっちこっちから内定辞退してるってことは、てっきりどっかに決めたのかと思ったけど、どうもそうじゃない。……一体キミは何がしたいの?」
……そんなん俺も分からんわ(笑)。
という本音は勿論言えない。ただ恐れ入って聞くしかないが、一つだけ引っかかる話があった。「たくさん」という言葉。私が3月に内通を蹴ってもめたのは1件のはず。どうして抗議の書類が「たくさん」来ているという表現になる?二年前の話も持ち出しての事か。それとも、まさか……。
「随分と思い切った事を言ったみたいじゃない。何? この職に来て得られたのは経験と後悔? 誰も得られない経験は出来たけれど、教壇を離れたことに死ぬほど後悔をしてる? だったらどうしてここいかないの? 正採用だったんでしょ?」
……○○県かぁぁぁ!!!
おのれあの腐れ自治体め。いつもいつも圧迫面接ばっかりする上、履歴書を放り投げたり唾吐いたりするからいの一番に辞退届を出していたのに、よりにもよってそこが既に書類を送りつけてやがったんかい! それにその言葉、私が最終面接で言った言葉そのまんま……まさかあの自治体、面接記録も全部送りつけたんじゃあるまいな!
「キミの考えなんて知ったこっちゃないけど、正直迷惑なんだよ、これだけ抗議の書類が来ると。しかもこれ分かるでしょ、印判付きで来てるから、それなりに手続きして正式に返さないといけない。それにこの個人情報がうるさい時期にこんな詳細なデータを送りつけるなんて、先方はとても勇気いったと思うよ? 一体何をやったら、そこまで相手に火をつけられんの? それも複数も」
最早返す言葉もない。元々私は沈黙は金、で対抗するつもりでいたから同じなんだけど、まさか複数であったとは。基本的に私は法律的に一切違反した行動をとっていないので、先方は切り出す大義名分を持っていないと踏んでいた。だから必ず先方は私が自ら退職を切り出すように話をもっていくはずだし、それには乗らないと決めていて、またもしそれを無理強いするなら、普段職場がどのようになっているか全部赤裸々にばらしてやる、と思っていた。しかし、まさか複数から書状がきてたとは……。
「それなりに重い話になるって、○○には前もって言っておいたんだよ? それなのに○○は弁護するどころか、ここにすら来やしない。キミはこの事態をどう思ってるわけ? 今迄いろんな人見てたけど、その若さでここまで徹底的に嫌われている人、見たの初めてだよ。第一キミがこの時期に消えれば人数補充なんて出来ないから、キミのところがずっと求めていた人数増員の件は消滅するけど、○○はそれでもいいって思ったわけだ。これ、尋常の判断じゃないよ? だって4年がかりでの要望を捨てる、ってことなんだから。分かってる? この決断の重さ」
人事にしてみれば、私のボスが現れなかったことに相当驚いていると同時に、そこまで嫌われるって一体お前は何をした、というのが純粋に疑問であるらしかった。それと、書類が正式な形で来た為、正式に答えなければならず、それが複数になっているので正直手間がかかり過ぎる、とも思っていたらしい。……ボスが来ないのは当然だ。ボスの意向を知りながら、昨日思いっきり反旗を翻してつぶしたのは私なんだから。更に。
「で、さっきからキミは何も話さないみたいだけど、これじゃ話は進まないんだよ。どうすんのこれから? どうせここまでいろんなところ摘まんでるんだから、もう一つくらい隠し玉持ってるんじゃないの? ここでの話が不調だったら、最悪そこに行くつもりなんじゃないの?」
人事はエスパーか!
そ、それともまさか、いや、でもあそこは私の故郷。よもやまさか、通告なんぞするはずが……。もしそんな事されていたら、もう助かりようがないが……。
「正直、ここまでくればおのずから話は定まってくると思ってる。キミもここまで派手にやらかしたってことは、ある程度覚悟があるんだろ? で、どうすんの? 時間もったいないから、とっとと話してくれない?」
……これは作戦でもなんでもなく、本当に人事はうっとうしい、と思っているようだった。しかし私はここに、唯一の好機を確信した。放逐する法的根拠を、人事は持っていないからこういう回りくどい言い方になるのだ。そりゃそうだ、こっちは引っかかりそうな法律は全てチェックして行動してたし、受験勉強は有給によるもの。有給とって競馬やるアホと勉強やる馬鹿の違いに過ぎないし、私は交通費等の謝礼は一切貰っていない。第一こっちには切り札がある……実はここに来る前の説明会で、上司を複数捕まえてこのような方法は法律に違反するのか聞いていたのだ。そして答えは、厳密に言うとNO。勿論、私が誰に話したかはきちんと覚えている。いざとなれば、そこに火矢を放っても良い。一人では死なん、神君松永弾正公のように、その上司全員巻き込んで爆死してくれるっ!
「私が常に考えているのは、最大多数の最大幸福です」
そっから始まる私の最終弁論は、流石に滅茶苦茶なのでとてもここには書けませんが。
結果は近日中に、下される。人事が見抜いた通り私には隠し玉が一つ残っていて、万が一の時はそれを使う(まぁこの時期だから使えるかは不明だけれど)。しかし出来るなら松尾山を堅持して、このまま巣での生活を継続したい。橋頭堡を保持して、来年こそ完全なる内通勝利を飾る。それが一番ベストなのは変わらない、法的根拠は何もないはずだ。正当な判断、とは言えないが、どうかこの隠し玉を使わないで済む判断を下してほしい。
そしてもう一度、私に挑戦者という立場を……。ここを乗り切れれば、私の逃亡成功は決定するのだ。再び松尾山が出来るのだ。あとここだけ、この軍勢だけをしのげれば落ち延びることが出来る……再起を図ることも、きっと……。
週末に面接を控える私としては、今日が事実上最後、最終となる戦場だった。その戦場となる会議、その議題の事前回覧の結果は、20対1の大差。勿論荒らしみたいな私の案に通常、これだけの賛成が得られることはない。しかし私としてもやることはやったし、何よりも賛成せざるを得ないような書き方をして資料をまとめた。その為に賛成がここまで多かったのだが……実はこの話、当然ながら裏がある。反対の一票を投じたのは誰だったのか、実はこれがすっごく重要だったのだが、私はそれを最後まで明らかにせず、会議本番でいきなり皆の賛否表(賛成・反対を書いて理由を書いた表)を資料に添付して臨んだのだ。反対者が誰なのか、それを私は……予測していた。案の定、その資料を配ると
一瞬で、和やかムードが吹っ飛んだ。
交差する視線、ざわめく周囲……実は唯一の反対票を入れたのが我が巣の一番偉い”ボス”だった為、会議が「ボス一人を部下20人が敵対勢力として囲む」、即ちボスの包囲殲滅戦のような形になったのだ。
そして、明らかに機嫌の悪くなっていくボス。そして周囲。
”聞いてねぇぞ! 高梨っ!”
周囲の視線は本当に痛かったが、もしもボスが反対であるという事を告げれば、そもそも味方なんて生まれるはずはないではないか。勿論周囲にしてみれば、「近隣で土一揆がおこったので鎮圧軍を出してみれば、いつの間にか謀反の一味にされていたでござる」状態。ボスの意向が分かっていれば貴様なんかに味方しなかった、お前なんつーことをしてくれるんや! と思うのも当然。しかし既に賛否表を資料として添付していて、各々の向背、どちらに味方をするかは文書で明白になっているのだ。今更降伏など出来まい。ボスはもうそれはそれは滅茶苦茶怒ってて(流石に自分の巣で他の部下悉くが敵に回って、会議で責められるのは面白くないらしい)、会議の雰囲気ぐちゃぐちゃだけど、とにかく数はそろえた。こっちの味方は20、相手は1。何としてもこの議案、私の方向性で通す! と一気に提案をやり始めたのだ。
その時考えていたことは、とにかく本題から議論を外す事、それと早く終わらせる事、そして自分の叶えたい議案をそっと混ぜておいてしまうこと。こっちは烏合の衆、というよりも本来私の味方ではなく、単に私が謀っているに過ぎない。本題をごり押しされては持たないし、早く終わらせないと「意見変わった」とやられかねない。1対20だからこそ意見変わったが出にくい(あんまりにも媚が露骨だから)のであって、その数の均衡が破れれば死ぬ。故に速戦即決あるのみ。
明らかにむっとした、というか完全にイラついたボスからの質問を全部”ありがとうございました”でかわし、それ以上に怒っていた周囲(通常会議をする場合、こんな状況にならないように提案者は周囲の雰囲気を感じて工夫する。……ものらしいですが、一切それをしなかったからでしょう)からの、”おめぇ会議ぐちゃぐちゃにして責任とれんのかよ”との怒りまみれの罵声も受け、元々妥協できる部分をどんどん妥協して、そして即決で決めにかかり、成功。雰囲気はもう最悪もいいとこで、阿修羅のようになっているボスに、気まずそうに、そして”こいつ殺す!”と怒り狂ってにらむ周囲。それでも私の議案はそのまま通った。一番修正されたくない部分、そこがどこだったのかはボスと私しか知らないが、そこに一切触れさせることなしで。
なんとか、なった……。
これでしばらくは大丈夫だろう。もう思い残すことは何もない。この決定を覆すには会議をもってしなければならないが、次開かれるのはずっと先だ。失敗ばかりの詐術だったけど、今回は普通に成功を遂げた。ここで成功するんだったら別のところで成功してくれよ、とも思うが、それはやっぱり贅沢なのだろう。ただこれが私からの精一杯の贈りもの。正しいかどうかは分からんが、私に出来るのはここまでだ。私は可能性を信じる。猶予は造った、だからもう……その間に何とか立ち直ってくれ、とあとは願うばかりだ。
最後の最後での謀略の成功は、嬉しいと同時に、何やら虚しさも覚える。ただ週末の面接の結果がどうであれ、私の教員への道の妨げになったのは今の巣の居心地が悪くない事だから、それを消すためにも今回の謀略は良かったと思う。明日から絶対、周囲の猛反発を食らう。いつの間にか謀反の一味にされた周囲が黙っているとは思えない。でも、そうなって初めて、私の残り滓のような力に大きな火が付く。もう一度、立ち上がれる。多分すっかり忘れているであろう学習指導要領も教育基本法も学校教育法も全部、覚えるだけの努力が出来る。居心地が悪くなるから、出ざるを得なくなるから、だから本気を出さざるを得なくなるから。
ま、それもこれも週末を乗り切れれば、だけどね。しっかし、敵ばかりだね私の人生。どれだけ倒しても終わりゃしない。はぁ……。
3月中旬に入っての内通黙殺でボコボコにされ、挙句私の形式上の主に私が内通していたという証拠書類を郵送され、しかもそれが2回目という状況で。そんな泥沼の中必死で松尾山から撤退していた私に、ふと、そんな声が空から聞こえた。
「後悔しているに決まっている。そんな事今更何故聞くのか?」
血みどろになりながら、正直少しイラつきながら答える。元々内通を黙殺したのはそれでも現状を維持できる、という目算があったからだ。それが完全に狂っているというのに、どうして後悔せずにいられようか。
ーー欲を張った結果がこれだ。くくく、相も変わらず馬鹿な男だ。キジも鳴かずば撃たれまい……そんな事も分からないのか。
確かに、それはそうである。私が変な動きさえしなければ、そもそもこんな事態にはならなかったのだ。一度内通は発覚しているんだから、次がない事位は分かっていた。いやもっと紐解けば、今の巣に入った時、すっぱり前の職の事を諦めればそれで何も問題なく人生はやっていけたのだ。違う、もっともっと紐解けば……右翼とか左翼とか正義とかそういう事にこだわらずに黙々と授業だけに熱を入れていれば、こんな都奪還戦とかやらずに済んだのだ。
ーーもしも内通がまた出来たなら、その時は教員に戻るか?
当たり前である。特に今全てを失う中で、はっきりとわかったことがある。前々から指摘されていた事ではあるけれど、やっぱり私は、貧困云々よりも今の状況が耐えられない。このまま教員戦線でドロップアウトしていくことが耐えられない、貧困に陥って身を崩すよりもそっちの方が早い、と私は思っている。バカな決断をしたものだ、と、しみじみ思う。管理職の頭が悪かろうと、そんなものは定年になるまで待てばいい話だ。相手が定年になったって、まだ私は三十代。いくらでもやれることはあるし、それまで経験を積むという一点に絞ればなんてことはないのだから。
ーーでは、どうする? 三回も追放された履歴をもって、教員を目指せるという結論か?
それは違う。いくらなんでも三回は私も説明出来ない。この三回目が下された時点で、私の全ては水泡に帰する。だから、次の面接で何とか踏みとどまるしかない。なんか小沢氏の裁判のようだけど、やってることや雰囲気的にはどう考えても黒なんだけど、実際法的に私が咎められる由縁は何もない。内通を断ったのは14日よりも前の事だし、仕事時間中に、というよりも仕事場にただの一度も教材道具を持って行ったことはない。教員採用試験の為に休みを取ったが、有給休暇をどう使おうがそれは個人の勝手であり、土日をひたすら勉強に費やすのも私の勝手だ。また万が一に備えて、たまにもらえる交通費も全て相手に返上してある。交通費をもらった時点で副業だ、と言われる可能性はほぼゼロだが、その目も怖いから詰んである。だから私は法的に何も悪い事はしていない、咎められるような隙はそもそもないんだ。
おりしも、西から有利な風が吹いてきた。勤務時間中ずっと野球で遊んでいたのにおとがめなし(注意指導は処分ではなく、単なる口頭注意)、という裁定が下ったという。職場で遊びほうけている人間が無罪なのに、余暇の全てを教員採用試験につぎ込んだとはいえ、有給などを駆使して一度も仕事に影響を出さなかった私が罪を受ける謂れはない。私から辞表を出す気はない。私はあくまでここで居残り、来年に賭けるのだ。
ここは、忍の一字。なんとしてもこの逆風を耐えきって、生き残る。
万分の一の可能性、残っている天運の量に全てを賭ける。
で、今日まず書くのはいじめ教育についてなのですが、それは「社会に出たらバリバリにいじめがあるのに、その対処法を学校教育で教えないってどうよ」、というところから行ってみようと思う。
そもそも学校教育という世界においては、いじめというものは絶対悪であり、かつ、そのいじめを超越的な立場から粉砕できる人間が確実に存在している。いじめに関してはもう完全に魔女裁判化しており、その動機にかかわらずいじめとその傍観者は問答無用でギロチン行きで、また担任・校長・PTAという絶対者が申し立てをきちんとやれば確実にそれを裁いてくれる。そりゃ何もしてくれない絶対者もいるかもしれないが、そっちの方が今は少数派だし、少なくとも教育時代にはこのような絶対者が存在していることは事実だ。そしていじめに関して訴えれば、いじめられた側が必ず勝つ。いじめた側として訴えられた人間は、それこそ「水の中に1時間漬かって生き残ったらいじめっ子だ。え? その過程で死んだらどうなるか? 知らんねぇ」という無理な裁判を強いられるという現実もあるのだ。
だが社会、特に会社の中ではどうだろう。いじめというものを推奨する会社を見たことはないが、必ずしもいじめが絶対悪ではないし、それにそれを裁ける超越的な立場の人間も存在しない。存在しないというより、超越者はそんなことにかまけないといったほうが正しいか。会社においての至上目的はまず「利益を上げる」こと。これが最重要目的であり、これを上回るものは根本的に存在しえない。「いじめのない集団を作る」ことではないし、第一そんなことを標榜していたら資本主義社会でやっていけるはずがない。これは考えてみれば自明の事で、どの会社だって稼ぎ頭には甘いし、稼いでいるけどいじめをしているから魔女裁判、なんてやるはずがない。会社にしてみれば利益さえ上がっていればいじめがあるかどうかなんてどうでもよく、また超越者の仕事はなんとしてでも会社を拡大すること維持することで、いじめを何とかすることではない。
即ちここにおいて、いじめにかんして学校教育現場と社会において完全なる隔絶があるのである。いじめ=絶対悪の原理とそれを裁く超越者がいる学校社会と、まず利益だろという原理といちいちそんなこと気にかけない超越者の現代社会。この二つの世界の隔絶があまりにひどいからこそ、私は最近の離職理由が強いのではないかと思っている。勿論一番の理由は、ゆとり教育のせいで誰しもが「ドラえもんが何とかしてくれると思った」と考えるようになったから、だと思っているけど。3年で離職してあとどうやって食べていくつもりなのか、転職はすればするほど普通は金下がるか無職だというのに、それをする気が知れない……まぁ、私に言う資格なんてないけど。あ、でもあるか。私は一度たりとも、”自発的に”転職したことないもん(笑)。ガハハハハハ。
話を戻す。この隔絶という現実の前にでは教育としてどう対処すべきか、それはいじめのない社会を理想として話しながらも、いじめの構造を社会学的に分析し、その標的にならないようにする方法を教えることではないだろうかと考える。勿論、後者を全面的に出せば集中砲火を浴びるだろう。しかしでは問いたい、いじめが厳然として存在する世の中に、「いじめなんてないよ、いじめなんてわるいよ、いじめてるひとがわるいんだよ、だからみんな、なかよくね」などと教え続け、そのまま会社に就職させていいのか、と。そんな無防備な状況で会社に入れていいのかと、私は教育者ですからいじめは全否定です、だからいじめの対処法なんてそもそも教えません、という原理主義者でいいのか、と。
だから私はいじめを社会学の観点から分析して、それを話すつもりだった。まず話したかったのは、いじめられた側がいつかいじめがなくなると信じて耐えているのは無駄であること、とっとと転校したほうがいいということだったりする。何故無駄か、それはいじめというものが実は対人的に行われているのではなく、社会的立場に対して行われているものだからである。簡単に書くと、要するにいじめは「社会的弱者というポジションに座った有機体」に対して行われているものであり、そのいじめられている人間に対して直接行われているものではないからだ。
ここに、いじめられている側の心を斟酌しないことが当然である、という事実が見えてくる。いじめている側はあくまでも立場、そういう立場に立った有機体をいじめているのであって、その人間を人間としていじめているわけではないのである。だからこそ、いじめをしている側は自分のいじめの所業を覚えていない。それは無責任とかそういう問題じゃなくて、そもそも「その人だからいじめた」わけではないからである。だからいじめた側がいじめられた側の心を斟酌するということは、はなから相手を人間としてみていない以上、絶対にありえないことなのである。
更に書く。私は社会人でもある(もうすぐこれが過去形になるんだよなぁ……)から分かるが、別に中学をどう出たかなど履歴書で見る企業はない。中学でいじめられて転校しました、ということが仮にあったとしても、将来には絶対響かないのだ。高校に行っていじめをうけて転校しました、としたところで、それを正直に話す必要はないし、そんな高校どこ出たかを重点的に見る企業など地元企業かとある県(県によっては大学を見ずに、高校を見る県がある)しかない。何より、それほどデメリットの少ない行為であるのに、それを躊躇していじめで青春をつぶすなどもったいないにも程がある。だからこそ私は耐えるなと言いたいし、期待するなとも言いたい。いやならやめてしまえばよい、転校など何の問題があるものか。生きていれば何やってもええんじゃ、といった軽い気持ちを持ってほしいと思うのだ。
そしていじめが社会的立場に対する、即ち立場に対する攻撃ということは、当然そこに座る人物の入れ替え、いじめの逆転現象も起こりえるということである。要するにいじめがあるクラスというのはそういう立場のいすがあるということだから、当然何かの拍子でフルーツバスケットが起こりえる。しかもこのフルーツバスケット、日本人は特に陰湿かつ残忍で、それまでどれほど周囲から信頼を勝ち得ていても、いつやられるかわからない恐怖そのものなのである。
で、ここで私がためていたビデオを見せる予定で(授業案にはそう書いてあるんですよ……)……いじめ自殺報道というのを見て、一体何を感じるだろうか。私は正直、恐怖である。人間の酷薄さに戦慄する、あの露骨な手のひら返しに寒気を覚える、中学にしてそんな処世術を身に着けているとは恐怖以外の何者でもない、と思ってしまう。というのもたとえばクラスでいじめがあってその子のお葬式があったとき、クラスの大半が泣く。大半が、である。しかしこんなことってあるか? いじめで自殺というところまでいったということは、クラスの大半がそれを知っていて、なおかつ黙っていたということである。つまりいじめ側に回っていたというのに、葬式となるや否や我先にと泣き出す。お前泣く力があるなら今まで何やってたんだという意見など全て無視、「いじめ側に残ると糾弾されるのを知っているから」、それまで無視だの何だの平気でやっているのに寝返るのだ。しかも、クラスの大半が。
……こんな向背常ならざる集団ないぞ、と私は思う。そしてそれを感じても欲しいし、この事実から「周囲はいじめを傍観しているように見えて、実は自分の利益を最大限にして動いている。事態が変われば、あなたが好意的中立だと思っていた人間、ごっそり寝返るよ」ということを、いじめている側にも知って欲しいと思った。傍観に廻った連中は実はかなり冷静であくどく、旗色次第ではどう転ぶか全く分かったものではない、自殺という究極の手段を用いずとも立場が逆転することなど往々にしてある、だからそういう立場が存在する集団を作らないほうがいい。私はそういう形で、いじめ授業をするつもりだったのだ。
これが正しいのかどうか、正直私にも分からない。しかしひとつだけ分かっているのは、悪いことを「悪いことだから駄目っ! 全否定! それについて分析することも許さないっ! 」という戦前日本を教えるような教育は絶対に駄目だということだ。悪いことだからこそ、やってはいけないことだからこそ、中立的に分析を深くしなければならない。何故駄目なのかを考える姿勢も許さない……こんなもん宗教と同じではないか。特にいじめは生徒にとって喫緊の問題である上、当事者にはその構造が分かりにくいことこの上ない。だから私はその構造を明らかにした上で、いじめの対処をやりたかったのだ。
ま、何を書いても繰言になってしまうのだけれどもねぇ。ただ、教員経験+社会人経験の人間の教育って、普通の先生と違って当たり前だと思うし、より現実的でなければ駄目だろうと思うわけですよ。そりゃ学校の中から生涯出ないっていうなら「いじめはいけない、ああ、ボクはいじめを全否定している・・・・・・すごい、きれいだ、ああ、あああ」と自分に耽溺してもいい。しかし授業を受ける生徒側はそうではない、社会に出るのだ。教員の善悪のポリシーでそんなことやられたらたまらない、だからもっと実践的にやらなければならないと思ったのだ。
あと年金と社会保険と国民健康保険と派遣法と相続税と介護の現場、これらの授業もやりたかったなぁ。将来を生きていくうえで、いくら金がいるのか。いくら金を払う必要があって、それはどうやって、誰が、本来どういった形で払っていくのか。それをやっぱり知らないと、正しい判断できないでしょう。医療はいつでもかかれると思ってる、絶対。親が要介護状態になると何が起こるのかも多分、綺麗ごとばかりで実態は知らない。どうして年金を納めなければならないのか、その本当の理由も多分ピンと来てないと思ってる(ちなみに私の答えは、”障害者になった時に滅茶苦茶困るから”。障害者になった時に障害年金がもらえなかったらどうやっても詰む。将来年金がもらえる? んなわけあるか!(笑)。いや、むしろ貰えるか? 厚生労働省は日本人の20年後の平均寿命をおそらく計算しているだろうから)。そこらへんも教えられたらなぁ、と思った。
ただまぁそれも夢物語。また、知りすぎてしまったが為に転職に強烈な躊躇が出たのも事実。しかしこんな結末になるんだったら、いっそ……はぁ。
次は介護の現場でも書いてみますか。はい、勿論裏話の方です。認知症状になった人間の人権ってどうやって守っていくんですかね? あと介護老人保健施設の、被介護者同士でもいじめは厳然とありますので(涙)。介護ヘルパーの虐待もひどいけど、被介護者同士のいじめもなかなか地獄で、しかもいじめ側に認知があるともう2時間でも3時間でも飽きることなくいじめ続けるからなぁ……。地獄の沙汰も金次第、ではありません、病院と介護施設が金次第なのです。特に病院は選んだほうがいい、稀にものすごく汚いところもあるし、ああもう書いてしまえ、「網走刑務所の独居房のような木造監獄である」と書かざるを得ないような場所もあるしね。え、その報告書、勿論没です。しこたま怒られました……ま、それも過去の話ということで。
さて、と。引越し会社の手配をするか……都落ちはもう、避けられないし。
ああ、まるで空を泳ぐ大きな鯉のぼりのような、手の付けられない死亡フラグが立ったなぁ……。
まぁ、志望理由書を送りつけられたらこうなる、ということは理解するけどね。あれは要するにどうして私が教員になりたいか=今の職から離れたいか、という事が緻密に書いてあるわけで、それを受け取ったら人事としても放置する事は出来んだろう。しかも、この手の話がバレるの初めてじゃないんだよ……、この手の話が発覚して火消しに走ったの2年前だから、累犯と判断されても言い訳のしようがない。しかしまさかそこまでされるとは……書類送付がなければ、私にもまだ生き残りの目があったんだけどなぁ。
ただ、社会人である以上、最低限の最後は人間としてこなすことにした。まず困難事案の解決の為に保健所に行って会議をし、その後警察へ。刑事課の方と話をし、証拠を見、そして実態調査を開始。私は元々こうなるだろうと思っていたから反対だったんだけど、でも、もう一度自分も頑張りたいと言っていた相手を止められなかった。やっぱり言うべきだったのかなぁ、”<自主規制>は一生の病で、苦しくなれば絶対に再発する。無理だからやめた方がいい”って。そこのところの厳しさがなければならなかったのかなぁ、と思いながら報告を作っていた。
続いて病院へ。誓約書や医師の説明を受け、それを翻訳。分かっているのかいないのか、多分分かっているとは思うけど、その後日用品を買うために近くのスーパーへ。自転車でいろいろ回ってそれらを揃えて病院に預け、そのまま帰ってきた。そして私が抱えていた最大の問題に関しては、現時点での強攻策に利点はない、という結論を添えて会議に送付した。これだけは本当に利点がないと思うから根回しして、とりあえずその結論で会議で承認されるように手は打った。実際の会議に参加できるかどうかは不明だが、まぁおそらく大丈夫だとは思う。
まぁ、これで全部かな。もともと3月は手空きにしていたから、それほど仕事がたまっているわけじゃないし、あとは他の人でも普通に出来るでしょ。憎悪も怨念も普通にあるけど、でも、逆の立場だったらどう思うかを考えて、しかもそんなこと2回もされたら、どうしようもないことも理解する。人事案の組みようがないからね、こんなのがいたら。何よりも、もしここで私を取り逃がして私に3回目をやられたとしたら、「何であのとき対処しなかったんだ」と人事が責められるのが目に見えている。だからそもそもそんなことはなかった、としたかったんだけど、志望理由書が手元にあるんじゃあ否定も出来まい。
ただで撲殺される気はないので、来週は生き残りをかけ、そして来年度こそ松尾山を決行するために戦います。が、散るなら散るでかまいません。祟りませんよ、さすがに。ここまで周辺の人たちに迷惑をかけたわけですから。
……どうしてこんなことで、討ち死にの憂き目に遭わなければならないんだろうねぇ……。あと、ここまで手間のかかることをやるほど好しに付け悪しきに付け、私を思っていてくれると知っていたなら、内通蹴る事もなかったんだけどねぇ。いろいろ作ってたんだよ、授業案を10個ほど。
ま、それも未練か。腹をくくって、ここは泥をなめてでも生き延びて、来年こそ本懐を遂げる。生き残って生き残って生き延びて、溜め込んだ授業案を絶対に生かしてみせるぜっ!
はぁ……。
……最早、これまで。
志望理由書の人事送付は完全に致命傷になった。巣の状況も最悪、とてもじゃないが生き延びられるような戦況じゃない。このまま逃亡を続けても待つのは敗走……そんな絶望的な状況の中、ついに私は逃亡を辞めた。最後の力を相手に本気で向けてやる、そこまでやるというのなら、一度は軍門に下ると約束した身ではあるけれど、そこまでやるというのなら。……そこまでやる、というのなら!
いいでしょう……試験後に行われた面接で言われた全てを筆耕して、上層部に送りつけてくれるわっ!
試験後に行われた面会で言われたこと。元々一体どういう人生歩んだらこんな拙い会話力で大人まで生きられるの? というものだったが、攻撃だけはひどかった。とにかく相手は会話の随所で、今年は一番悩みの多い年だ、といっていた。理由については、来年度の布陣を考えなければいけない、けれどどうしてもそれが決められないから、とのこと。私は相手の事情なんか知らないし、その時は新しい教科でも作る気か? と思ったが、どうしてそんなに悩むんですか? と気軽に聞いたときの相手の答え。
”あなたに渡す仕事が一つもないからだよ”
教員の嫌味臭い部分が沈殿し、更に凝縮された、臭いすらする言葉だった。一体この人は何を言いに来たのか、と怒る前に呆れていると、”だから新しいポストを造るけど、これ、毎年不要だ、役に立たないって言われているやつなんだよねぇ。それでもいいかなぁ”と相手側。……なんなんだ、コイツ。あの時の私は怒るよりもこの人馬鹿か? と実はあきれ返っていた。こんな事をやって寸前で寝返られたら誰に責任が来るか分からないのだろうか、そもそも一対一で重要事項を話すなんて愚かしいにも程がある。一対一なんだから、相手がその後どう話したってそれの真偽は主張出来ないんだぞ、それなのにそんな爆弾を放って何がしたいのか。
んで、結局私は寸前で内通を辞め、相手は激怒した。しかし内通を辞める大義名分を出したのは相手側であって、実際、私が相手側に降らない事を決めた大きな要因はこの言葉なのだ。こんな事を言われて、全部放り投げて降る、とでも? そりゃ私が素寒貧だったら知らないが、そうじゃないんだから、むしろ一番危ない存在なんだから、そんな事言うのは絶対に駄目なのに……。まぁ何としてでも私をたたき出したかったんでしょうが、私はこの話を実は誰にもしなかった。嫌味な人間と会ったのが初めてというわけでもないし、それを公にしたところで誰も得をしないし。
でも、考えが変わった。あの日の裏日記を全部赤裸々に綴って、送りつけてくれるわっ!
そんな事をしたって、私の崩壊は止まらない。志望理由書を前に人事面接なんて無理だって……でも、もうこれくらいしか出来ることがない。戦いは泥沼、平身低頭して何とか逃げ延びようと考えていても、算段は全く付かない。しかしもう、相手側をどれだけ怒らせても変わらないのだ。だったら、やられた分はきっちり返す。言葉の刃で傷つけた分、しっかり報いを受けてもらうぞ!
こうなったらやけっぱちだ。あいつらを死出の道連れにしてくれるっ!放てぇぇぇ!
……まぁ当然だとは思うが、この時期に内通撤回をされた相手側は怒り狂い、私が内通を誓った誓書をよりにもよって巣の大将と人事に送るという。一方巣の中は巣の中で
「あの野郎自分はこの巣でずっと暮らすとかぬかしやがって、こんな汚い事裏でやって逃げようとしてたのかよ! 許せねぇ!」
と庇うどころか攻撃の姿勢。更に巣の大将に内通の事実が告げられるのは初めてではないので、今回こそは総攻撃を食らうかもしれない。まだある、その一方で私はもう一つの故郷から来た採用話に、悪いけれどももうこの時期だから一年程待ってほしい、そしてもう一度試験を受けてその時に晴れて参陣したいと、内通の予約を出した。そこまでは良かったのだがこの内通先、7年前に一度辞退した事があるので、それが露見すると即座に滅んでしまう危険なところ。というよりも今の情勢では……万が一この内通先が動けば完全に滅ぶというのが問題だ。履歴書やら志望理由書やらを人事に送られても法的に問題が出る訳ではないし(まぁ昇給はなくなるでしょうが、別に今の巣をクソミソに言ったわけではないし、仕事はきちんとしてるので。)、巣の中からの逃亡策に関しては各々が工夫しているところで、気が触れた真似をして怪文書をあちこちの壁に貼り付けるよりはずっとましだと叫びたい、マジで。ただこの二つを躱すことは出来ても、そこに内通予約のところに攻め込まれると死ぬ。じゃあお前はどちらに味方するんじゃ、と責められ、抗弁出来ないからだ。
今回の一連の一件。まだ攻撃されている状態だから過去形には出来ないけれど、これで分かったのは「結局教員に戻らないと精神的にいずれ死ぬ」ということと、「といっておいそれと今の巣からは出られない。今の巣は最後のカードであり、これを切ったが最後、相手と心中する羽目になるし首切られたら再仕官不可。ホームレスまっしぐら」という二つの思いが私の中に強くある、ということ。前者は、聖書を手に触れただけであれだけ狂った上、それから数日仕事が手につかなくなるという状態であることから明らか。後者は、もう骨身にしみてその辛さが分かってる。高齢での転職がどれ程現在不可能か、金がないという事がどういう事なのか分かりきっているから、だからそこに陥ったら死ぬしかないので絶対にそこにはならないようにしたい、という思いもあるのだ。
その為翌年度は今年の様に「全方位内通作戦」をやるのではなく、前者も後者も共に満たすところだけに集中する事にした。そんな事をしていたらいずれ教員に戻れなくなるのでは、という懸念は確かにある。しかしだからといってむやみに突撃して結果数年後にホームレス、というのでは話にならないし、そこら辺はシビアにならなければならないと思う。また後悔や煩悶は衣食住が足りているからこそ出来る話であって、今の状況が続いて十年経った後の煩悶は相当苦しいものが予想できるが、実際は煩悶できるだけ生活に余裕がある事の裏返しなのだ。本当に失敗していれば、煩悶すら出来はしない。ただ日々を食いつなぐために虚ろな目をして働くしかない、そういう状態になるのだ。
だから要するに、「教員として身を立て、聖書に基づく不思議教育を成立させる」>「とにかく生きる。衣食住を確保して自分のもう一つの趣味、絵本と小説にも力を入れる。あとで煩悶してもよい」>「教員に突撃して討死する」、という数式が出来たという事かな。ま、そんな事が出来るのは来年度の六月くらいから……ひっ、火矢が、火矢がぁぁぁ!!! 早く消せっ、はぁ? それは私の筆跡じゃないっ! 証拠不足! 私の忠誠は言葉にできない心のものですって、ちょ、おまっ、やめっ……ひぃぃぃぃ、に、逃げろっ! あいつら本気だ、目が血走ってやがる! とにかく逃げろっ! 逃げて逃げて、徹底的に知らぬ存ぜぬを決め込んでしまえっ! 沈黙は金、涙はプラチナ、人権はオリハルコン、とにかく、どんな手段を使ってでも守りきれっ、ひぇぇぇぇ……!!
……さて。来年度も継続して現役を決めた私ですが、その前に果たして来年度を迎えられるのか。誓約書はともかく志望理由書まで人事に送りつけるとは……なんともエグい仕打ちよ。法的には逃げられても、果たして切りぬけられるか? 巣の人々に「未遂だ! 実際は逃げてねぇじゃねぇか」と頭下げた上で、「私が首になったら結局脱出できる人間が減るぞ、いいのか?」とやるしかないか……いや、通じないだろうなぁ。でもそこに賭けるしかない、生きて生きて生き抜いて、そして来年度は内通先が確保できたら即座に宣言だ! 諸悪の根源はこんな時期まで日和見したから。だから内通先が見つかったら即宣言して裏切り決行っ! ただ、その前に何としても生き抜かねば……。
まぁ結局今年はなんだかんだ言っても4勝、通算14勝60敗という結果に終わったんですけどね……ひ、た、大砲まで打ち込んできやがった……に、逃げるぞぉぉぉ!! そして必ず、本懐を遂げる! 不忠者は総じてしぶといのじゃぁぁぁ!!
私が放った専門の忍びがもたらしてくれた情報が、松尾山に今届いた。もともとこんな因果な商売をしている関係から、私は色々な経歴をもった知り合いが出来る事が多く、探偵というある種特殊な職業に対しても知り合いが出来、その人に調査を依頼していたのだ。調査を依頼したきっかけは、「どうしてこれだけ高い教育水準を誇りながら、ここまで偏差値が低いのか。というよりも給料が高すぎる、一体これは何なんだ」である。偏差値が低い事を問題にする気はないが、明らかに教育水準との差が大きすぎる。だから私は直接の知り合いこそ死んでしまったが、そのツテで探偵関係に知り合いが出来たので、その人に敵情視察を依頼したのだ。
戻ってきた答えは、はっきり言って散々だった。非常勤が全員交代する事は日常茶飯事で、専任も1年から2年で退職してしまう。残るのは覇気のない人物ばかりとのことで、最近偏差値が10以上下がった事も明らかになった。また、偏差値のからくりも教えてもらった。中学校入試偏差値の出し方に実はからくりがあり、まずここは7回試験を行っている。で、7回目の試験はもう他が試験をしていない時期なので優秀な人が集まり、しかも狭き門の為に激戦区になるという。で、そうなるとその7回目の試験の偏差値は否応なく高くなる。その7回目と別の試験の偏差値を平均しているのが、一般に出ている偏差値であるという。で、じゃあ実際はどうかというと……本番の試験は定員すれすれの状態で、そもそも不合格者がいないから、偏差値もクソもない。7回ある試験殆ど全て不合格者がゼロ(公表している数値には不合格者の名前はあるが、実際は救済措置をとっているらしい)で、更に今年はとうとう定員割れを起こしたという。
また教員人事を巡ってかなり滅茶苦茶な事件が横行している話も聞いた。6年ほど前にとあるクラスでいじめ問題があったのだが、幸いその担当した先生が優秀であったため、いじめはボヤで消し止められた。しかし経営側はそれが公になったのを問題視し、結果その先生に退職を強いた、というのだ。当時の事件のあらましは大体聞いたが、いじめが自然発生物であることを考えると、むしろこの先生はよくやった方だと思う。しかしそのような評価がなされることは最後までなく、結局いじめが露呈した一点をもって退職となってしまったのだ。これら一連の流れの責任はどうも上層部にあるらしく、一体どういう縁で採用になったのかは知らないが、破廉恥系の前科をもった人間が今その任についているという。そうなってから急激におかしくなっているとのことで、この流れは止まらないだろう、という話だ。
しかしここまでくると不思議なのは、どうしてこのテの情報が全然私に手に入らなかったのか、ということだ。確かにHPで公表している情報はやたら少ないが、しかしここまで滅茶苦茶やってたら漏れ出ていてもいいはずなのに……その理由は、うーん、お祈り? これしか書けないけれど、こっち方面が必死になって隠ぺいをやっているとの話も取れた。実際ここまで詳しくやってくれたのは、学校に対して調査をしたからというよりも、こっちのお祈りに関する調査依頼が元々多かったために基礎資料が多かったからだ、とも 言っていた。情けは人の為ならず、私はその人の話す探偵業だった過去の話しが好きで、相手も話すのが好きだったから勢い話が盛り上がり、それがこういう業種との縁の発生につながった。その人は他界したけれど、その縁によって今回情報を得、判断をすることが出来た。しかし、それ程変なお祈りじゃない気がするんだけど、と思ったが、それはうわべのこと。どうもやっぱりきな臭いとの話で、改めてお祈りの強さを思い知った感じだ。
そしてここで、一体何がそんなにいいのか分からないが、別のところから再び採用の話が飛び込んできた。ここは条件はさほど高くないが、私が長くを過ごした場所だ。じゃあそっちに寝返り先を変えるか? と思っていた矢先、今度は私の動きを察知した巣の人間が露骨に脅しをかけてくる。元々この巣は皆が出たいと思っており、その出られる定員2を巡っていつも激しく争っている。人事にこびる人間もいれば、発狂免訴をやる人もおり、不当人事と訴える人間さえいる。もう徴兵逃れそのものといった感じで、皆必死。そこでの私のスタンスは、巣から異動を望んではおりません、というものだが、これははっきり言ってペテン。はなから裏切るつもりの私が異動を望むはずもなく、他人がどうしようが知ったことではない、私は実力で勝手に逃げる、というのが私のスタンスだったのだ。
そしてこれが、ここで発覚。当然火の海まっしぐらで、いきなり味方陣営から鉄砲ぶちかけられた感じで、といって寝返りをやろうにも専任の首をそうポンポン切るところにおいそれと逃げ込むわけにはいかない。じゃあ降ってわいた地元の採用の話を取るか、とも思ったが、いかんせん情報が足りな過ぎる。その為私の陣営は大混乱に陥り、もうどっちに味方をして頭をこすり付けて許しを請うのか全然分からなくなってしまった。ただ一つだけいえることは、専任の首を簡単に切るところには与さないという事だけだ。そして最初から大いに謎だった、どう考えても高すぎる給料、これが皆がすぐ辞めるからという事も分かり、私としては到底ここに生涯をかける気はなくなってしまったのだ。
捲土重来。専任の首を切りまくる上変な人事が横行し、ついに今年定員割れを起こした場所に味方する事は到底出来ない。だからといって今さら地元の採用話を取るかと言われればそれはNOである。情報が少なすぎるし、だいたいこの時期に話が来る時点で何かがあったに違いない。ここは火消しに徹して、次の機会を待つしかない。来るかどうか分からないが、といって自殺をするようなダイブで数年間の満足をして死ぬ、という事は出来ないのだ。
かの上杉謙信は、自分が生きているからこそ毘沙門天は皆から恐れられてその天意を振るえるのであって、毘沙門天の為に死んでしまえばそこには何も残らない、と言っていた。私は当然そんな偉人ではないが、死んでしまえば夢もクソもない。ここは命を大事にする選択を取るしかあるまい。それと、来年度は内応先が決まったらもう即座に宣言する。今年それをしないでずっと陰でぐちゃぐちゃやってたけど、本当にきつかった。それらの教訓を残して、今年の既に火がついて陣営ボロボロの松尾山は終わるのでした。
しかしあそこまで手の内偽るとは……定員割れとは無縁って嘘じゃねぇか! 非常勤が全員辞めるって普通ありえんぞ! その上人事権があの2月に会って露骨に私を嫌がった相手となれば……最早考慮の余地はなし。うーん、こうなってくると、公立を1月に蹴ったのは早計だったかなぁ……はぁ。半年かがりの松尾山は炎に包まれ、陥落。果たして来年、捲土重来が叶うかどうか……。というより、まだやるか、私? いいや、やる。家宝を見て、教員に戻ること自体はもう決めたから。
就職活動に必要なたった一つのこと、それは切り替え! 来年度の試験に向けて、また頑張るぞー!!……って、その前に今年の炎を消さないとだけど。確か内定破りで告訴されるのは14日以内……今から動いてもぎりぎりじゃねーか! まずい、来年のプランを立てるより、まずはこっちを静めなければ……。
ひどいもんだ。カウンターで仕事してても放課後のベランダとか頭に浮かぶからな、それが今日一体何回あったか。机で作業していてそこが職員室でない事に違和感を覚えたり、グラウンドなんかないのに窓を見たり。はっきり言ってキ○ガイそのものだった。何をやっても、聖書の物語ラインと、私の教員経験が重なる。聖書自体は100回は優に超える程読んでいるからどこに何があるか全部分かってる。……でも違う、教員を2回やってそれを辞めようという考えで開いたとき、全然その構図は違った。実際に見た風景が頭の中に蘇るんだよ、それを参考にして。最初手に取って悶絶したのはいい方、別に3D立体視でもないのに一つ一つに引き込まれていく……。私が何のために生きて来たのか、なんでここまで恥を晒しながら10歳下の若造と採用を競い合ったのか、要するに見栄とか自尊心とかじゃなくて、好きなんだ。どうしようもなく。病的に。フラッシュバッグの連続で、何一つ仕事が出来ずに速攻で帰宅する程。
全てのシーンが重なるんだよ。私は短いながらも実物を見ている、その実物が一つ一つめくるたびに頭によぎるんだよ。ああ、夜の放課後はこんなだったな、とか、あいつは本当にタチ悪かったけどリーダーシップはすごかったな、とか。ページをめくるたびに自分のそういった経験が思い出されて辛いんだよ。そしてそれと二度と関われない思うと耐えられないんだよ! 泣いても壁を殴っても全然晴れない。惨めとかじゃなく、ただ辛い。他人が俺をどう思うとかそんな事は関係ねぇんだよ。ただ、その世界に二度と関われないと思うと頭が破裂しそうになるんだよ。理由なんて知らねぇよ! 意味分かんねぇよ! お前自分が前に教壇に立って何があったか自分で知ってるくせに、何なんだよこの対応は。キチ○イか、もしくはラリってんのか俺は! ハロワで見てんだろ、末路。人生の選択を誤った奴の雇用状況。内部事情知ってんだから分かってんだろ、現実。でもどうして、どうしてこんなに辛いんだよ。何で何度もこんな目にあわなきゃならないんだよ、俺が一体何かしたか? こんな苦しい思いをしなければならない程ひどい事したか?あるんだったら言ってみろ、言ってみろ! どうして俺はこんなに苦しまなければならん、それに該当する何かをしたのか、だったら言ってみろっ!!!
そう、夜のテラス。夜空を見上げる姿。あんな学校生活がこの世に本当に生まれたらいいな、って思ったんだよ。マジだよ、本気なんだよ、あれが私の理想なんだよ。だって、夢見られるのって学生時代だけじゃん。そんな時位、めいっぱい幸せな夢を見てほしいよ。進学なんてどうでもいいからさ、二十歳になっても三十路になっても、四十五十になってもバカ騒ぎ出来る友達が作れればそれでいいんだよ。夢の時間でいいんだよ、中学校とか高校とか。受験? そんなん半年でどうとでもなる。どうとでもしたる。少なくとも社会科にかけてはそれに関して絶対に揺るがない自信がある。東大だろうがどこだろうが、やる気があるなら導いてやる。そして、それぞれの教科にそれだけの自信がある人間が集まって教員集団が構成されるんじゃないの? だからそんな細かい事はいいんだよ。あとで何とでもしてやる、バカやってりゃあそれでいいんだよ! それが許される時間なんだから! 唯一の時間なんだから。かけがえのない時間なんだから、今この瞬間しかない時間なんだから。
こんなに、好きなんだ。変態だな。でも、野人だなんだ言ってた本性を更にむき出したら、こんなにまっすぐど正直で、手の付けられないピーターパンシンドロームでしかなかったなんて。どうした自称やさぐれ毒舌男(笑)。お前三十路で、格差社会の最前線を生きてるんじゃなかったんかい。でも、純粋に、好きだ。理由は、知らん。独りよがりなのかもしれんし、私の妄想かもしれん。未練なのかもしれん。でも、私が純粋に好きだと言えるのは、多分これだけだ。だから、学校を諦めることは……絶対出来ない。今日仕事中何度溜息をついて、何度キーボードをたたいたか(完全に狂っとります。『聖書』は私にとって本当に聖書で、読むとこうなるから金庫に入れてあるんだよなぁ……。ちなみにこの狂いっぷりでも”最後までは読んでません”。読んだら更に手が付けられなくなるのが分かっていたから)。テラスで目をつぶって空を見る姿、ああもう思い出しただけで駄目だ……頭が、壊れる。あんなクラスが作りたくて、あんな学校が作りたくて、それで焦って空回りしてたんだろうなぁ……私は。
嗚呼……どうして権利を捨てられよう。
専任として、定年まで学校に居てもいいですよ、と言われて、どうしてこれを断れよう。全員じゃなくてもいい、ほんの一部でもいいから……夢の時間を過ごしてほしい。終わらない放課後の時間を感じてほしい。そしてこのたった一度の時間の素晴らしさを知って欲しい。自分は本当に人間的に非力で、そこまで引っ張る事は出来ないかもしれないけど、精一杯頑張るから。だからもう一度だけ、もう一度だけ私に、もう一度だけ機会を与えて欲しい。罠でもいから、幻でもいいから、もう一度だけ私にチャンスをくれ。そして私の手の中には、奇跡のような三度目のチャンスがしっかりと握られている。
誰が……手放すか!!
誰のせいにもしない。他人が自分をどう思うとか、もう完全にどうでもいい。私は私で、私の望む人生を生きる。私の望みは、本当の幸せを求められる人間を育てる事。そしてそれは科学の果てにあるのではなく、人間としての心の中に、民俗学の果てにあるということ。全国の散らばる人間たちがあったらいいな、という思いで想像し、作り上げた不思議達との遭遇にある(はい、でました例の病気です)。肩に力を入れる必要はない、普通に日常を過ごしていれば、それでいい。そうしたら必ず見えるから。そう、私は日常を作りたいんだよね。特別な何かじゃなくて。それが一番大変なんだけど、でも、私は頑張りたい。
鉄壁で絶対安泰な立場なんぞ、いくらでもくれてやる!
その代わり夢を育める立場を俺にくれっ!
……全ての屈辱を受け入れる。自分が野人であることを認める。自分が敗北者であることを認める。だから、ジリ貧は覚悟するからドカ貧だけは回避させてくれ。
下駄をはいて才人と渡り合うのは疲れた、むしろ、今迄よくやれたと思ってる。嘘つけ劣敗者、というならば……勝手に言えばいい。否定する気はないもしも私に力があれば、確実に裏切っていたはずなんだから。
未練はある。ないわけがない。狂いだしそうなほど未練に燃え狂ってる。ただそれでも、もう社会的に、年齢的に、戦えるだけの力はないんだ。というよりも、もうこれ以上、実力以上の振る舞いを続けるのに疲れた。私は所詮、野人なんだよ。今までずっとずっと、大学入ってからずっとずっと演じて来たけど、もう限界。5つの学校の教壇にたって、もう十分夢も見させてもらった。もう二度と見ることは出来ないけど、放課後、夕陽に照らされた学校は本当にきれいだった。あの時は、ここに来てよかった、と本当に思った。私はね、辛いと思った事も多かったけど、楽しい事はそれ以上に多かったんだよ実際は。
それでも、夢に決着をつけなければならないと思った。何でだろ、こうやって書いている時にも納得できない自分がいる。きっと学校は美しい、でも、その夢が、今の安全な場所を覆す程強くない。二度の追放という前歴がある中で、二度とも復帰に成功してるけど、潜在的な恐怖心というのはやっぱり強い。また追放されるんじゃないか、そしてもう二度と復帰できないという厳然とした事実。ここまで履歴が汚れれば、もう誰も採用をしてはくれないだろう。
そうなった時に待っているもの。それを私は、誰よりも深く知っている。金のない生活、仕事のない生活、それは生活にゆとりと、人から誇りを奪い去っていく。人間は簡単に奈落に堕ちる……墜ちて墜ちて、どんな惨めになってもいいから他人の袖にすがろうとする。私は建前上様々な事情があるのだから心を込めて対応しなければ、と動いているが、本心は……夢を諦めるほど身震いして嫌っていて軽蔑していて、あれらと同列になることを恐れている。夢の為の討死ならば怖くない、というその言葉を撤回してしまう程。あの腐った眼を見ていると、人間はここまで墜ちてしまうのか、と思ってとても嫌になる。私はそんな人にはならにように、という事を伝えたいと思ったけれど、失敗したら今度は私がその立場になるわけで、その脅迫的恐怖を抱えたまま戦うなんて出来ない。ビビってる、震えてるよ、無職の恐怖に。就労支援やってるから良くわかる、まともな求人なんてないし今後もそんなもの出てくるはずがない。まして教育系は公立でない限り少子化によって確実に斜陽化する職業……公立の充実が図られる一方で長引く不況に歯止めがかからず、今年の受験者数の減少は予想をはるかに上回った。そんな中、失職の恐怖におびえながら戦う、なんて到底できるとは思えない。
……勿論、今更無条件降伏なんぞやったって、相手が受け入れるとは限らない。裏切らないと言ったところで、既に私は今の場所で他人への退職教唆をかなりやってる。最近はどういうわけかやたらすごい資格を持っている人が来るから、そういう人を狙って毒牙にかけようと様々な謀略をやっていたんだ。純粋にもったいないと思うからしただけだが、そういう有能な人間を拾ってきた側にしてみれば、こんなもんただの迷惑でしかない。人事が気づいているかどうかまでは知らないが。
そして、今更内通しません、と言われた相手側。当然激怒するだろうし、私の今の立場を知っているから、そこに攻め込んでくる可能性もある。というか、それがかなり高い。私はそれも甘んじて受ける、というよりもその対応が私が私である最後の戦いになるだろうから、そこはしっかりやるつもり。
あとは……死んだあとどうやってこの体たらくをあの人に詫びるか、だな。折角授けてくれた人生だったのに、結局失敗を繰り返して、最後は小金確保の為に逃亡しました、と話すのか。気が重いが、それが私の決断なんだから仕方ない。私にはもう、何もないんだよ……。
高校時代、私は中退を決意したことが一度だけある。
それを止めたのが一冊の本で、それがなかったら退学してたらだろうし、大学受験もまともにやらなかっただろうし、大学院という選択もしなかった。人生の岐路で常に読み、そして糧にしてきた『聖書』。この『聖書』の判断で、あとは決まる。これを読んでも何もなければ、もうハル・ノートでもなんでも受け入れるよ。
もう、疲れた……私には、もう何もない……。ただ小金を守ることが精一杯、努力しても才能には勝てん、私はそこまでの人間だったってこと。これ以上レースには参加出来ない、身代は賭けられない、冒険には出られない……。
明日、金庫の中から当時そのまんまの『聖書』を久しぶりに取り出す。書籍自体は3冊持ってるから(購入数は6冊だった気が……)いつでも見られるんだけど、この原本だけは私の唯一絶対の宝物というか、空き巣に入られて他何を盗まれても仕方ないけどこれに手をかけていたら無慈悲に殺す、という大切な物。
それで、決着だ。
学校の昼休みに近くの野山に行って、木の実を皆で食う野人。それが私の本当の姿であって、それ以上のものは全部単なる虚飾。精一杯努力したけど、本性は結局変わらなかった。自尊心が強いと旅の途中で言われたけれど、そんなの全くの嘘っぱち。本当は本性をさらして自分が所詮、単なる野人であるという本性を知られたくなかっただけだ。幼い頃から英才教育を受けてきた連中とはとても比べ物にならない、私はどこまでいっても、どれだけ頑張っても品格だけは身に付けることが出来なかった。でもそんな自分が嫌で、それを他人に見られるのが物凄く嫌で、可能な限りの装飾をつけてきた。一体どれだけの学校を出て、どれだけの資格を取っただろう、どれだけの経験をしただろう。でも、それだけ積んでも、……野人の本性は変わらなかった。
私は、本性を他人にさらして戦う事は出来ない。怖いし、みっともないし、これっぽっちしかない自分が嫌、そんなもんじゃない、あんまりにも本性がカス過ぎて可哀想になってしまう。でも、戦うということは、虚飾なしで本性真っ裸にして相手にのぞむということなのは分かってる。教育の基本中の基本、教育は人と人とのつながりであるというのは、要するに本性と本性のぶつかり合いということ。それまでの経験も資格も一切関係なし、私の最大の武器である舌先三寸も全く通じない。私は私の本性を真っ裸にして戦わなければいけない。そして……そんな無防備なこと、私には……。
膨らんだ自尊心が敵前逃亡を強烈に拒絶し、本性がそれを悲鳴のように求める。私が今ここで裏切りをしなければ、少なくとも今の場所には踏みとどまれる。自分の本性をむき出しにして戦う必要はない、普通にやっていれば、普通に生きていけるのだ。自分はペテン師でした、野人でした、戦いたくないので夢から逃亡します、罵りたければ罵ってくださいああもう同窓会で話の魚にでもしてください。それと関係なく、私は平凡な生活を生きていきます。野人にふさわしい人生を送ります。凡人暗愚で結構です、ただそう言われても何と言われても、私は……ホームレスや生○にだけはなりたくないです。転職に失敗して親の年金で食ったら親が死にました申請します……そんな人たちにだけはなりたくない。あんなみっともない姿を他人に晒すなんて冗談じゃない。家庭訪問だといって赤の他人である私が家の中に入っていく、それを私よりも倍以上年齢のある高齢夫婦が笑顔で迎えてくれる……あんなみっともない姿なんて晒せるか!!貴方達も人間だろう? 孫のような年齢の人間に家踏み込まれて恥とは思わないのか! 人間は失敗すると、あんな醜悪な存在になるのか……でも、私は絶対に嫌だ。だから何を言われても今の地位を守り抜く、それのどこが悪い。私は単なる野人なんだから、それには似合いの人生じゃないか。他人がどう思おうと知らん、私は私として生きていくんだから……。
ただ、それでは私の人生が、あまりにも惨めすぎる。
何の為に若い頃の私は頑張ってきた? バイトして本買いあさったのは何のためだ? 教育実習で流した涙は何だった? 大学院でリンチされてまで仮面浪人をやり通したのは何の為だ? 教壇に立った後も授業の傍らで英語を学び続け、免許状取得に成功したのは何の為だ? いろんなことを、沢山のものを見せたかったからじゃないのか。科学だけじゃない、不思議を不思議のまま受け取って心のつながりを大切にする生徒を育てたかったからじゃないのか? それがたとえ虚飾の為のものとしても、私の経験と実力に反映されてる。三十路を過ぎた逃亡癖2犯の人物を、それでも三つの主体が教員として採用したい、と言ってくれたのは、この部分があるからじゃないのか。それを全部捨てるのか? 今の私の部屋には歴史に関する書籍がいっぱいある。これを全部……放棄するのか? 教育書もいっぱいある、教育基本法が改正されたから最近のものもかなりある。それも捨てるのか?怖いから、本性丸出しで生きて来たことがなかったから、怠惰腐敗の場所に自分の生活基盤があって、すっごく仕事的に楽だから。
今の仕事は確かに楽……でも私は、一つだけ確信的な予感がある。
今の巣にずっといるのなら大丈夫だが、学校給食に廻されたら多分悶死する。それだけは絶対に耐えられない、賭けてもいい、私はあっという間に壊れる。いくら野人でも、そんな惨めなこと耐えられるか! あれだけ教員として頑張って、その末に結果が炊事場って、そんなの絶対に耐えきれない。嫌だ、嫌だ、ダメだ、それだけは、それだけは絶対駄目だ。野人であっても、そんな屈辱には耐えきれない……でも、耐えきれるようになるのかな、この腐った場所にずっといたら。死んだ目をして、黙って人参をピールで剥くようになるのかな。それでこそこそと、別に視線なんて気にしなくてもいいのに、教員の目から隠れて毎日学校の裏手から入って給食を入れるんだ。惨めだよね、滑稽だよね。私の人生には、こんな未来が待ってるんだ。ははは、それでも食べていけるもんね。いいんだよね、話の筋からいけば。
その巣に行ってる頃、私はもう40歳を多分過ぎてる。教員復帰の可能性を全部失って、自分の求めていた、活躍したかった建物の一階からこそこそ入って給食のバケツを運び込むんだ。それで目を伏せて、一瞬だけ悲しげに校舎を見て、黙々と働くんだ。ははは、素晴らしいね。クソみたいな私のこと、その時に「俺も昔はこうだったんだよなぁ」なんて、また自分をだますような回想するだろうね。裏切り者に素晴らしい末路だよね。でも、それでも食べていけるんだから、いいんだよね。40代になったら幾らもらえるのかな? そして、それを黙ってポケットにねじこんで、何となく家で酒飲んで寝るのか。楽だよね、楽しいよね。大丈夫、そっちなら自分のちっぽけな本性を露わにすることなく生きていけるよ。心を必要としない道具に、そんな事は求められないから。定年まで勤められるよ、誰も本性にまで攻撃なんてしてこないから。いいんだよね、だって今裏切らないってことは、そういうことなんだもんね。望んだ全ての条件を満たした相手に帰属しないんだから。
それなら今……死んだ方がいい。
父なる人が言っていた。人間が人間として生きていく最低条件は、「見栄を突っ張って生きていく力」だと。それを失なったなら、そんな人間は保護する必要はない、死んだ方がいい、と。そして、見栄を失った時点で社会的意味で人間は死ぬ、と。やっぱり親子なんだなぁと書いていて思う、そう、私も同じように思う。流石に死ねとは思わないけど、やっぱり人間には適度に名誉を求める生きる力がいると思う。今の巣の仕事に、未来に待ち受けている最悪の人事、学校給食の可能性も含めて誇りが持てるか、もしくは今の仕事を単なる金銭供給地として別のコミュニティに生きがいを求めるか、それとも本願を達成するか。この三つのどれかを能動的に選べなければ……生きている甲斐はない。
あと、2日。
もっと違う場所で、違う形態で内通の話を得たことがあった。正確には内通というよりも、今の巣に入った時に既に所属者だったから(雇用契約は危なかったのでなくしたが)、埋伏の毒のような感じか。でもそこの条件はあんまり良くなくて、というよりも私に教科替えを迫るような状況だった。そして確定的な雇用条件ではなかった……あの時、私はそんな状況にも関わらずその話を受けたんだ。しかも条件闘争をやった上、である。
その私の出した条件、それはお金でも待遇でもなかった。ただ……『私が顧問となって全部やる。だから赴任したら合唱部を作らせてほしい』、というものだった。
これが満たされるのならば全てを捨てても良い、と当時の私は決断し、そして相手に承諾させた。あとは副業を必死に探した。そこだけで食べていけないことに備えて、その後の事に備えて。今考えればそんな危ない状況に、今の立場から合唱部の為に行くの、バカなの? と思うが、私は本気だった。私が2年前最後の最後で裏切りを止めた本当の理由は、この条件が反故になりそうな状況だったから、だしね。学校として成立していく為に必要とはいえ、カリキュラムが知識押し込みになっているのがすごくわかった。だからこんなところで歌は歌えない、こんな功利主義のまかり通る現場で生まれる者は何もない、商売だというのは分かるが(入試の基準などが)あまりにもひどすぎる……そう思った。
何だろう。合唱っていいよね、ってことなのだろうか。それとも気力の衰え、ということなのだろうか。あの時は速攻で副業探しに入った訳で、それなりに現状を受け入れる覚悟が出来ていた訳で。今それが出来ないのは……怠惰堕落の甘い蜜を3年間どっぷり吸い続けたのが原因だけど、やっぱり私自身のいろいろな衰えがあるような気がしてならない。言い訳のような、言い訳でもないような。別に他人に言い訳するようなことではないし、そもそも黙っていれば済むことなわけだしねぇ。
最近やってるのは、職場の若手に、『まだ若くて能力も可能性もあるんだから、こんなところ退職して勝負をかけろ』という、人事にしてみれば”貴様、先輩として後進の指導、となってやるのが退職勧誘か。殺すぞ!”としか言えない扇動行為。結構無分別に扇動してるし、まぁ多分乗らないだろうけど、でもそれは私の計略というより本心。飛び立て、怠惰堕落の甘い世界から、若いんだから。そう思うからそういう事をやり、まぁ危険人物だと思われる(笑)。それはいいんだけど、やっぱりそれで一人でも自分の人生を生き切れる人が生まれればいいなと思ってる。
勿論、私だってまだ現役。でも現役はもう最後。
あと、3日。焦点は、大学時代の自分を維持して、身の丈に合わない背伸びをして同じ目線に立とうとするか、中学時代の柔らかい関係の中に自分の幸せを見出すか。
Call,or,drop。背伸びを続けるか、自分が単なるバカ野郎だということを認めてみすぼらしく死んでいく、その代わり食べるに困らない生活を得るか、それだけ。
親の反応は、「まだそんな事をグダグダ言ってるのか。だったらもうどっちに転んでもお前の人生、満足なんて得られはせん。だったらいっそここで死ね」というものだった。「本当に死んだらどうする?」と聞けば、豪傑なる我が父は「葬式は出してやる」と言い、そして「お前がどう頑張っても、どんな神業とどんな知識を持っていても、誰もお前の話に耳を傾けることはない。ぱっと見た誰もがお前に嫌悪感を抱き、お前の話なんか聞いてやるもんかという気持ちになる。理由は分からん、ただ厳然とその事実があるだけで……それと、そんな風にこの世に生まれさせて済まなかった」と本当に初めて頭を下げた。我が父は結構軽々しく放送禁止用語を口にするタイプ(おもに宗教・政治系)だが、それは息子でも例外ではないということらしい。そして重い言葉もリアルにそう思うから発している……頭を下げたのは、本当にこの世に生まれさせて済まなかったと心から思い、もう死ぬしか幸せはない、と親として思ったということだろう。
その後、昔馴染みの連中と会ってきたが、責められるばかりで何の反論も出来なかった。あそこまで責められ続けたのは初めてで、何もこちらから発信する事さえ出来なかった。やっぱりこんなことで相談されたくなかったんだろうなぁ、というのが、容赦のない言葉の槍の連続でよくわかった。流石に「いまここで死ね」とは言わなかったが……趣旨としては、どちらにも満足は得られないだろうし、どちらの結末も結局悲惨。二股膏薬を世の中は許さないし、欲望を張りつめたお前は必ず自滅する。どっちをとっても早いか遅いかの違いに過ぎない、というものだった。というよりも、「お前自分より強い奴とか、尊敬しているやつの話しか耳傾けないだろ」という性質が私にあるようで、あんまり乗り気ではなかったみたいだが。
……これで、材料は全部そろった。
今迄育った巣にぶち込む火牛も目いっぱい揃えてある。これ全部突っ込ませたら間違いなく巣は炎上するだろう。一方で無条件降伏する準備もある。私は……自分が無力であること、だからこそ才能に胡坐をかいている、天に愛されている奴が嫌いで、そういうやつを自分の努力でねじ伏せるという思いを持ってる。大抵それで勝手に勝負を挑んで、勝手に負けていくのだけれど……要するにそれは、憧れ。人間の身、雲はつかめない。でも雲上人の地位に上りたくて必死になって雲をつかもうとして、それまで持っていたものを全て失ってしまう。今までの人生が全てそうだった気がする。背伸びをし過ぎた、ずっとずっと背伸びをし過ぎてきた。その結果分をはるかに超える話が舞い込んでくるようになって、それも複数入ってくるようになって、最終的に破滅した。背伸びはしてるけど、それを抱え込める人間になっているわけじゃないから。
憧れの人たちと同じ地平に立つ。努力で雲にも立ってみせる。無理なのは自分が一番知ってる、どうにもならない事実があるのは良くわかってる。それでも、私は才能に一矢報いたい。ただ、報いることが出来るのは一矢で、それ以上の攻撃は出来ないだろうと思ってる。でも人生は続く……死ぬまで。それまでどうやって食べていくというのか……絶対に負けたくない相手がいる、その相手に勝つためだったらなんでもやる、それやって大学院仮面浪人とか都復帰戦とかアホな事態になった過去をどう考えているのか。あの時あれだけ巨人に対して蟷螂の斧で戦い挑んで負けて、結果地獄の事態に陥り、そこから再起不能になるまで陥ってようやく復帰に成功したのに、またやるのか。もういいのではないか、負けを認めても。認めさえすれば、努力の上に才能という概念があって、努力人は決して才能家には勝てないという事実を認めればそれでいいのだ。放棄すれば、今の時間が永遠に続く。嫌だけど、路頭に迷う事はない。そこで新たな趣味を見つければいいのだ。
でも私は、生きる意味を放棄できない。倒さない限り、一生劣等感が付きまとってしまう。……勝てないだろうけど、でも、試合放棄はしたくない。
……木曜の朝に決める。裏切る時の火牛計は来週の水曜日に発動させるし、内通を蹴る場合は木曜の朝に全書状を突っ返して、理由書を送る。人生最後の松尾山、どちらに転ぶかもう分からん。ただ一つ決めているのは、父の「死ねぇ」には応じない、それだけだ。
放課後が好きだった。
人がまばらになって、夕日が差し込む廊下が好きだった。
そこから覗くグラウンド、そこで部活をやっている生徒を見るのが好きだった。
無人の教室。
そこが茜色に染まり始めて、やがて闇夜に包まれるその空間が好きだった。
好きだった。好きだった。……好きだった。
好きが、こんなにある場所なのに。自分の意志で、それを選べる立場になったのに。
こんなに頑張っても、届かない。どれだけ勝ち星を挙げても届かない。一体私はどうすればいいのか。諦めるのか? あんな給料泥棒・有給泥棒と結託して安穏に人生を終えるのか? 『それが自分の同僚でいいのか?』。では失敗したらどうやって食っていくのか? そもそも万が一を考えている時点で駄目なのではないのか? 本当に突っ込んで戦うのであれば、今の算段は前回の反省と今回の授業の内容の精査のはず。そこに到ってないというのが、既に答えなのではないか。では私に教室を捨てろというのか。この歳になっても頑張って得た、得ることのできたものを全部捨てろというのか。実力がないから、才能がないから、捨ててしまえというのか。
我執と欲望が私を焼き殺す。最大の敵は自分自身。自分は月見草……ふざけんな、俺は努力で向日葵にでもなんでもなったるわ!……でも、月見草。
でも向日葵を諦めきれない。
……というか。
自民党より何より、『新党大地・真民主』の党首討論が見たいのにっ!!
自由連合、改革クラブ……ミニ政党は多々あれど、新党大地・真民主こそ、混沌とした政治情勢が生み出した究極の政治芸術、所謂アートの類である。メンバーは後ろ指さされる人ばかり、おまけに代表が仮釈放(笑)。私はあんまり法律詳しくないけど、公判中の人間は推定無罪があるからそりゃ人権は尊重しなければならないし(これの該当者もいるからすごいよな、この党)、前科者とはいえ罪を償っているならそれはもう批判すべきではない、というのは分かるけど、仮釈放ってどうなの? いや個人的には面白いからいいんだけど、でもその法的地位って一体どうなのか、とは一応思っていることは書いておく。
ただ、流石に代表が仮釈放だけに引き連れるメンツも凄まじい。第一審有罪から賭けゴルフから天皇シャメ、もう何というか吹っ切れたというか完全に居直っているというか、「胡散臭い? そうだよ、だからなんじゃい」という集団になっている。しかもこれが、全然面白くない(だから誰が出てきて何を吐くかが聞きたかった)新党きづなと違い、ある程度成算があるから素晴らしい。新党きづなは次の選挙で全滅するのはほぼ確定として(冷静に考えても、郵政票を持つ国民新党でも前回の参議院選挙はゼロ議席だった。それを考えれば、どういう流れでもこの党では勝てないでしょう)、一方この党の場合は現有議席保有の目すらある。だからこそ素晴らしい、悪党万歳な私にとっては、この沈殿物の集合体みたいな党が魅力的過ぎて仕方ないのだ。
実際今の衆議院の現有議席は3であるが、いずれもこれ、北海道で取っている。小選挙区が2つあるが、いずれも代表の影響力の強いとこばかり。またこの党は最初から野党の立場を取っていた訳ではなかった為(その後民主党に断られたけど)、それ程民主とのやりとりにはならないだろう。となると味方勢力が代表、中立勢力が民主、敵対が自民という事になるが、自民は兎に角北海道が弱い。中川氏の弔い合戦だが、奥方が旗頭では厳しい展開になるような気がする。とすると小選挙区で2を取って、うまく行けば次も比例は1とれる。何といっても代表の根釧地方の票は凄まじい、少なくとも松木氏はこれがなければ勝てないと踏んだからきづなの親分やめたわけだし。
北海道で3とれたなら、あとは戦って勝てば増えるというだけの展開だ。松山千春氏を北海道で擁立出来ればあと1つ取れる気がするし、それにこの党、多分衆議院選挙で負けても数は減らないと思う。いや、恐らく間違いなく無所属を取り込むに違いない……世の中にはこれほど小選挙区制度になっても、どれだけ汚職であげられようとも、絶対に負けない人がいる(改革クラブにも在籍してました)。またみんなの党はある程度議席は取れるだろうが、とてもじゃないがキャスティングボードを握るまでにはいかないだろう。それを考えると、最早妖怪と表現しても良い程の力を持つ代表の事、そんな中途半端な存在を放ってはおくまいて……。
だから、党首討論が見たかった。一体何を話すのか、どう突いていくのか見たかった。多分そうなった時に代表として出るのは松木氏だが、既に野党としての質問の時に、小沢氏の捜査の適法性について問いただしている。是非ともそのまま、そしておまけに新党きづなが誰を出してくるのかも見たかったし、すっかり陸の孤島となった(というよりも政界一の寝業師にぼんぼんがいいように扱われた)新党改革も、参議院しか議席がなくとも是非とも登場させてほしかった。別に政治的に価値があるから、という訳ではない、これらは全て、日本の政治の混沌が生み出したアートなのだ。そのアートは、皆で共有する価値が絶対にある。改革クラブなど政党要件を満たすためにいかなる手段も使い続け、ついには幸福実現党に議席を与えるという驚天動地の結果を生み出した。将にこの動きはアートも呼ぶべき政治芸術であり、このような議席と立場をかけたロマンこそ、今の日本に欠けている文化なのだと思うのだ。
だから次の党首討論が、有力政党だけというのは如何にも寂しい。特に絶滅危惧種となった社民党の生きている姿を最後に見るのは、決して無益ではないと思っている(あれだけの少数政党で内ゲバやってるんじゃ話にならないし、今はもう与党ではない上、野党に転じるときの理由が批判されまくってるからなぁ……次の衆議院選挙、議席とれる?)。だからもっと政治開放を、いや、現代アートの解放を強く望む。それがなければ……全く注目は集めないだろう。野田内閣最大の支援者、谷垣氏の討論を誰が見たがる? あの人が大将だから民主党は安泰なのに、そんな人の討論聞いても面白くもなんともない。むしろ手垢のついた老巧の将、鬼謀の将、謀略の将の討論が聞きたい。立ち上がれ日本の片山氏の質問なんか将に的確に痛いところをついているのに……。そう言えば片山氏は、次是非とも衆議院選挙に鞍替え出馬して欲しいところ。マゾ女との決戦ならば絶対に負けないし、そうすると比例で議席が増える。まさか横浜某の監督が議員になるはずもないから、政治家が一人増える。ぜひそうして欲しい、と思うのだ。
新党大地・真民主。これは錯綜する現代政治が生み出した鬼子であり、立派な政治アートである。これを堪能する権利を政府は奪ってはならないし、これを共有する文化を尊重する姿勢を世間は持たなければいけないと思う。というよりも、仮釈放の身でありながら政党を立ち上げようと考え、改革クラブのように5人目をひっぺがされることなく立党、しかも政党助成金を取れる状況にして党所属の議員を潤した代表に、男気を感じる社会であって欲しい。普通は出来ないよこんな事、それをやっちゃうんだから……そういう事を受け入れられる柔らかな雰囲気の社会をもう一度、と思う今日この頃でした。
嗚呼、八代氏を手放したりしていなければ今頃は……。
教壇から離れ、かっこうの巣と考えていた現在の場所にもう3年。そんな私を奮起させたのは……実は大学時代の知人からの文章だった。内容は”不遜な自分に恐縮している”というもので、どうしてなのか理由が分からずに文を読み進めていくと、”大学時代にあれだけ頑張った貴方が教壇を失っているのに、自分は教壇に立って普通に授業をしている。劣っている自分が、失った貴方を差し置いて教壇に立っている……それが恐縮で仕方ないです”というものだった。
……人間、心の底から怒ると逆に冷静になるんだね(笑)。
「この野郎!」とか「ふざけるな!」とかじゃなくて、「へぇー、そーなんだ」といった感じ。頭の中は色で言うと白。怒りで燃え上がる赤でも、更に純度の強い青でもなく、白。「この野郎!」なんて罵声を使って自分のテンションを上げるまでもない、いたって普通の事として、「じゃ、倒すね」といってまるで新聞を取りに郵便ポストにいくかの如く、自然に無感情に攻撃が出来る。実際怒り過ぎて完全にブレーカーが飛んだ私は、「じゃ、戦ろうか。貴方が劣っているとは思わないけど、本気で戦るね」と教採無双に突入。一番勝率の良かった最盛期程ではないにしろ、公立2、私立1という結果をたたき出すことが出来た。三十路を過ぎても、現役を離れても、戦おうと思えば戦える。いつでも出来るんだよ、ということをアホな基準ながらもやって満足していた。
でも今私が思うのは、教壇に戻ってそんな人に対しても同じ立場で、同じ苦楽を共にする存在でありたいということだ。私にとって大学は特別で、無力な私にとって全てが憧れの対象だった。その世界に似合う力を持っていないことは私が一番分かっていたから、才能がない事を知っていたから、必死に努力で補ってきた。そうしてやって結構頑張ることも出来たし、最終的にその大学関連でたった一年でも教壇に立てたことは、成果は別にしても本当に上出来だったと思う。でも上出来だったという過去形で終わらせたくない自分もいて、どれだけその道が辛くとも採算が合わなくとも、それでも同じ世界で価値観や苦楽を共有したい、という気持ちがどこかにあったんだと思う。見栄とはまた違う、この憧れの象徴達と同じ目線で立てる自分でいたい、という憧憬、かな。
今の巣でこのような仲間意識というか、憧憬を感じることは全くない。仕事は楽だけど一緒に思われたくないという思いがとっても強くて、実際飲み会とかは一度も行ってなかったりする。いや一度だけ行ったのか……で、職場から歩いて3分のところで宴会やらかして、宴会の途中で貸切でもないのに(当然他の客もいる)半裸になる馬鹿がいて、参加者は参加者で職場から滅茶苦茶近いのに機密事項話しまくって、挙句エスパー伊○の真似をしだす奴まで出た。この時の寂寥感は未だに忘れない……こんな連中と一緒の存在なのか、私は、と。別に酒を飲んで羽目を外すなとは言わない、でも、仕事の内容上職場にお近くでやるべきではないし、貸切ではないのだから半裸になる奴が「複数」いてもいけない。クラッカーを鳴らすなんて当然いけないし、口説くのはかまわないが行為に及ぶのは社会人としてどうかと思う。そう、これは学生の飲み会ではない。社会人の、ある程度の責任ある立場の人たちの飲み会なのだ。だから私はあれ以来一切交流はしてないし、今後も関わるつもりはない。私がもし今の巣を離れるときに理由はなんだ、この巣に不満でもあるのか、と言われたら答えるのは多分これ。これがあったから、私はこの巣になじめない。生真面目と思われるかもしれないが、私にとっては、妥協できる点を超えていたのだ。
向上心。頑張る心。ひたむきにやり抜く姿勢。そういった前向きなものがどうも私の好みらしく、それがかけらもなく「もうこれで人生安泰やー」と考えているのが丸わかりの連中の顔を見て、私は心の底から侮蔑した。確かにこの先、努力はいらない、努力しなくてもそのまま生きていけるし、バカになったって問題はない。でも、人としてそれでいいのか? と私は思う。勿論そんなこと言ったって食べていかなければ人間死んでしまう訳だから、最後の最後で絶対鉄板の仕事にありつけたことを感謝して、それを幸運と思って拝んで死んでいかなければならないのか、とも思った。でも私は、同じ目線に立ちたい、出来るならばその立っている同じ高みに立ちたい、という思いをどうしても止められない。
偏差値で劣っていても、環境が違っても、教壇に立って授業をするなら皆同じだ。私は今までの人生で積んだ様々な苦い体験と経験をもとに授業をする……授業をする限り、場所は関係ない。どうせ悩みは似たようなもの、実際に教えた経験があるから骨身にしみるが、偏差値が高い学校がやりやすいかというと決してそうではないし、極端に低くない限りは別に中堅でも問題はない。いや、多分偏差値なんてそれほど関係ない気がする。どれだけ学校の方針が変わっていても、教壇に立てば自分自身の力量が全ての世界になる。なんだかんだいっても皆がそういう立場で奮戦している、だったら……私もその立場に立ちたい。待っているのが破滅でもなんでも、同じ立場に立ってもう一度誇りを取り戻したいと思うのだ。
処理した数多くの腐乱死体に私は一体何を見ていたのか。
孤独死の遺骨処理をしたときに私が思ったのはなんだったのか。
神の存在など信じない。もしもいたら……何発か殴ってやりたい気持ちを持ってる。その上で人為としての絆を大切にしたい、私はそう強く思っている。孤独死の枕辺、終末医療の選択、そういった場面に遭遇するたび、絆とは自分の力で保持していくものだと痛感する。そしてそれを失った人生の末に待っているものが何であるかも、この3年でよくよく身に染みた。だから私は、絆を重んじる生徒を育てたい。そしてもしそれが達成できれば、その時初めて孤独死に「意味」が出てくるのだと思ってる。私のやり方で絆の大切さを学び孤独死から逃れられる生徒がもしいたとするなら、それは私の手柄ではなく、私にその能力や気づきを与えてくれた孤独死の死に様の賜物だ。そしてその時初めて、私はその死には意味がありましたよ、と話をすることが出来ると思う。虫に喰われ原型をとどめない姿をさらしながら、私を媒介にして他人を救う渾身の菩薩行。私が教壇に戻って授業をするという事は、実はこういう内容も含まれていたりするのだ。
こういった面が私の今年の教採戦に色濃く影響した、というのはあると思う。ただ私は神の存在を信じない。あくまで絆は人為によるもので、逆に言えば人為でなければ為し得ないものだと考えている。その点で喋る事は似ていても神仏を想定する人間と主張は全く異なっていて、そのようなものを信じるな、信じられるのは自分の力と努力と、行いのみ。祈ったところで何も変わらない、神なんていないと思い知れ、といのが私の主張なのだ。
若い頃の憧れの気持ちを取り戻し、堂々とした気持ちで裏切りが出来る状態になった気がする。勿論今の想いは思いとして現実、貧富の差貧困の現状を見てきたという経験もあるわけだから、その側の人とも今後話をしてその人の意見を聞くつもりではいる(ちなみにその側、というわけではないけれど、その人は「アホか貴様は! 踏みとどまれ! 一体お前今何歳だと思ってるんだ? 今の職から転職する? 馬鹿言ってんじゃねぇよ、貴様の常識なんか通用しねぇよ。何仕事場とか同僚が腐ってる? 今度そんな事言ってみろ絞め殺すぞ!」と言っております……)。それらを聞いて総合的に判断するけど、今回ばかりは裏切るかなぁ。
一生安泰の巣、都も確保できる巣。
これを捨てて再び死闘の日々へ、若き頃の蛮勇よもう一度。
自分が憧れていたのはなんだったのか。
……と、某雑誌のレビューちっくに書いてみましたが、結構やった感想を注ぎ込んだつもりです。まずこのゲームのストーリーを簡単に略述すると、『気が付くと、主人公は廃墟となったビルの中にいた。「ここはどこだろう、というよりも、どうしてここにいるんだ?」、起き上がって周囲を見渡してみても、場所はおろかどうして自分がここにいるのかさえわからない始末。最後の頼みの綱とばかりに携帯を開くと、そこには通常有り得ない宛先「mailer-deamon(だったか? つづり不明)」から一通のメールが届いていた。その内容は……”これから14人で人狼ゲームをシテモライマス”というもの。「なんだこれ? 手の込んだいたずらか?」と最初は思っていたものの、やがて自分と同じようにさらわれた人間と出会い、その人間も同じようにこのメールを受け取ったことが分かって……』(説明がめんどい部分は多少私の方で表現を変えています)
んで、絶対出られない高層ビルの中でリアル人狼をやる、というのがこのゲーム。そして登場キャラは14人いて、第一巻(つまり一本目のPSP)と第二巻、第三巻と主人公が異なり、それによって違った視点で物語を見ることが出来るという仕組みになっている。この仕組み自体は確かに面白くて、同様のシチュエイションですっごく面白かったものを私はいくつか知っているが……しかしそれには絶対条件、即ち”一巻やったけど謎が全く意味不明。いったいなんぞ? 知りたい知りたい!”という思いがあったから。だから第一巻を買った後、あれでは分からない、第二巻が欲しいという思いにつながるのだが……しかし、第一巻が直線ルートであまりにもつまらなかった為に謎が残っても気にならない(興味がわかない)上、その謎も一巻の時点でかなり解明されてしまっていて、続けて読む意志がすっとんでしまった。二巻から三巻への購入に到っては……もう、テキストアドベンチャーの死に水は取る、と考えているから買ったようなもの。私はかの有名な四十八(仮)も定価で買うような人間で、購入動機はこれと似たようなものだったのだ(ただ擁護するわけではないが、四十八(仮)は外部ライターが書いた都道府県+長崎県だけを選び(除く長野県)、バグに気を付ければ遊べるような気がするんだけど……)。
では、何故つまらなかったのか。そもそも人狼というのは相手の疑心暗鬼を誘って投票行動を誘導させる、というある意味策略を巡らせるところにその面白みがあると思ってる。しかしこのゲームでは正義の名の元、疑心暗鬼は出ていても策略そのものが全く出て来なかった。特に嫌だったのはぺらぺらで全く現実味がなかったところ……相手を疑って投票行動を変えた人間はいても、命惜しさに投票行動を変えた人間がいなかったことだ。確かに仲間が死んでいれば興奮状態になる人間もいる、硬直する人間もいる、しかし命乞いをする人間も必ずいて、それがいて初めてリアリティが出るのでは、とやっていて思った。そしてその臆病に漬け込む豺狼のような人間がいる、だから人狼は面白い……だが皆様何かの宗教に入っているのかそれとも危機感が全くないのか……人間的道徳から全く外れた行為に出ようともしない(除く連続殺人犯)。予定調和から外れることがなく、最後の方のパニックもない。あくまで正義対悪の戦い、という人狼の面白さであるところの「正義とか悪とか、そういう通常世界の道徳をうっぱらって、猜疑と策略に身をゆだねて暗部もろとも人間を楽しもう」、という部分を完全に潰しているのが最悪なのだ。
それでいてルートが一辺倒な上、投票行動が終わるたびに作業を強いられるから嫌になる。そしてその作業も単調で全く面白くない。13人から話聞いて、聞き終わるまで次に進めず、で13人も選んでいるから誰を選び忘れたか覚えてないとまた作業。しかもこの作業で聞いた内容の有無はゲーム本筋に全く作用しないから、一体自分は何をやっているのだろうと思ってしまう。更に……まぁそういうゲームだから仕方ないとしても、バッドエンドの理由が色恋沙汰ってそれはあまりにも……いや、確かに人間らしいというかそれはそれでいいんだけど、それが理由でダメでした、と言われても、もうね。
そしてクライマックスになってくると、生き残り組の総崩れよりも早く、犯人の自白が始まってしまう。サスペンスドラマかっ! もう少ししたたかに生き残る手はず考えろよ、と言いたくなるような潔さ。まぁ言い逃れが出来ない上このゲーム、自分が勝っても仲間を救えるとは限らない、という点があるからやけになるのは分かるんだけど……だったら、それこそ一巻の主人公の片割れがやったようにゲームそのものを破壊するしかない。ゲームをやりきったら救われる、しかしそれが自分にとって救いじゃないならゲームを壊すしか道はない……どうしてそう思わなかったのか、と疑問を覚えるばかりだ。
ただこのゲーム、やった私自身にも結構問題があったというか……実は第一巻のかなり早い時点で黒幕が分かってしまったという点があって、レビューも面白みに関しては偏っている実感がある。理由はとても単純、「この中で一番残酷な事が出来るのはこの職業の人間だ!」、という殆ど直観のようなものだ。いや、私この職業の人嫌なんですよ本当に……、死を何度も見ていると人間の心も死んでいくなぁと私は常々思っているけれど、あれだけの死を目の前にして冷酷に動けるのはこの職業だけと思ってしまった。冷酷非道・残虐無比、もうこの仕事の人しかいません(笑)。よくゲーム感覚で人殺しをした、なんて小説やゲームで語られますが、実際の死体を見るとそう簡単に出来るもんじゃありません(バーチャルの世界と実際の世界の最大の違いは、匂いです。一人くらいは殺せても、ゲーム感覚の人間が死臭が立ち込めてそれに耐えられるとは思えません……)。だから主人公の片割れが死体損壊やらかした時は”前科持ちか?”と疑った。でもそれは違うようで、となるともう私の頭の中ではあの人物しかなかったのだ。
作中でも、その黒幕はまぁ本当に職種を忠実に再現した<自主規制>っぷり。実際のあの職業もあんなですからね、特に第一巻最後の「その人が死ねばいいんですよ!」という、誰がと特定しないことで自分の責任は免れつつ、それでいて知識はあるからそれが自殺につながると完全に自覚しながら無自覚のつもりでしれっとやれる……まさにあの人種です。あの人種はそういう手合いがいっぱいいますから。実際、ああいう行動や振る舞いを見せるところを私は何度も実際見てます。ナースステーションの給湯室にぶち込まれて「あの患者、今すぐおぶって帰れ。死ぬかもしれない? そんなのお前の背負い方の問題だろ、ああ?」とすごまれてた事は一生忘れません。あと、私は結構本人のいないところでこの職業の人と話しますが、当事者がいないからってよくこんなに人を無茶苦茶言えるな、アンタ鬼畜か? という印象しかありません。どこに行っても「この病院から出してください、転院先? 知りません。家で死ねば本望じゃないですか」とかそんなんばっかしだからなぁ……。
というリアルな体験があったもんで、第一巻終了後、何の違和感もなく、何の興味もわきませんでした。システムも物語も全然ダメ、というのもあるんですが、どうしてあんな優しそうな人が…という疑問が全く浮かびませんもん。優しいはずがないだろうだってあの人の職業ってあれじゃないか、え、最後豹変した? 違うってあれが素なんだってあの職業の連中は! 理由? 金でも快楽でも、なんでも当てはまるよ。春だからとか天気がいいとか、そういう意味で簡単に、現実でもナースコールが聞<はいすんません自主規制です。入院した時は絶対にこの職種の人に丁寧にしましょう。何やっても笑顔だから根に持ってない、とか大嘘です。連中は陰で、かつ土壇場で一気に反撃をかけてきます(気が付いたときにはもう……え、ホントウニキガツイタノハテオクレニナッタトキナノ?……うん、それはダレモワカラナイよね、でも、ドウシテミウチガイナイヒトダケソウイウコトガオオイノカナァ? 偶然なんですよぅぅ、ですか。へぇぇ……その悲しそうな顔、……いい仕事してますねぇ)。だからこの職種の人には少しでも仲良くしておきましょう。そうでないと……死にますぇ>。
……少し脱線しましたが。
面白くない最大の理由はルートが一本道だったこと。また、「正義」対「悪」の図式にして、「正義とか悪とか関係なく生き残りたいよぉ」という人間の本心を否定したため、現実に即せずぺらっぺらの内容になってしまったこと。それが理由だと考えている。たとえば政治家がいるんだったらあんなステレオタイプ出さずに、したたかに自分の生き残りだけを考えて投票行動を操るとかさ、殺人犯がいるんだったらそれで威嚇して黒幕暴きの邪魔してくるとかさ、そういう行動があったら絶対に面白かったと思う。というよりも人狼の面白さはそこであって、正義と悪の戦いじゃないんだよ……それがやりたかったら、別のゲームをモチーフとして使えばいいのに……。シークレットゲームを少しは見習ってください……。
といいつつも、それでいて善人シボウデスに大きな期待をかけている私。裏切りまくって一人生還あと地獄、とか出来ないかなぁ。正義の大義を掲げている人間を策略で足元からひっくり返してつぶす、これが一番楽しいというのに(って、結局私が曲がっているだけか)。このゲームも、私が最初に居たら間違いなくいきなり裏切ってただろうしなぁ……
その話は少し脇を固めてからするとして、……その講義で強く印象に残っているのは、どうして生き続けなければならないのかについて、未だ誰も答えを出していない、と言われたことだ。確かにそれはそうだが、面と向かってそんな事を言われるとこっちも「そんな事言っていいのか?」と思ったりする。しかし講義の先生曰く、自殺を防ぐ上で必要だから覚えてもらうとのことで、更に自殺したいと言っている人に対して”何故死んではいけないか”、等と説教をたれるのが一番まずいんだ、という話もあった。しかしそうなると、では何故自殺を停めなければならないのかについて疑問になる。その答えは「誰も満足して自殺していったりはしない」というところに行きつくらしい。要するに「自殺が何故悪いか」は立証できないが、「自殺しようとする人の顔は全員不幸」という結論があるから、自殺を停めるべきだという話になるのだ。
どこだったのかは書けないけれど、過去に自殺の名所に監視カメラを置いたことがあったらしい。で、自殺の名所だからもう何人も何人も飛んでいくんだけど、意外な事にそこにきてアイキャンフライをやるまでには数時間くらいある、という。私のイメージだとだいたい10分位で覚悟を決めてえいやっ、といくのかなぁと思っていたが随分と違っていて、実際の映像を見ていると飛び降りる地点をうろうろしてみたり携帯をいじったり、実際に自殺の場所に行っては見たものの積極的に「死にたい、死にたい、あぁぁ」という人はいない、という。講義の先生は言う、自殺という結論に行きつく人のほとんどが、自分に満たされないものがあるから自殺するのであり、裏を返せば『満たされないものがある程度補完されるなら、死にたくない』ということであるらしいのだ。
で、最初にあった自殺を防ぐことには素人には無理、という話。要するにこれは自殺してはいけないという哲学で訴えても、血縁の情で訴えても、友情で訴えても、こと自殺に関しては役に立たないという話である。勿論相手の立ち直りを補助することは出来る、出来るが……自殺に向かった根本を断ち切る事までは出来ないという。雑草むしりのように、一時的に葉の部分をむしることは出来ても、根っこは断てないからまた生えてくる。そして自殺を思い至った度に同じ人間にまた相談してくれるとは限らない……だから自分に一度相談した時は思いとどまってくれたけれど、その後復活し、自分の知らないところで自殺した、ということがよくあるパターンなのだという。なのでゲートキーパーというのは所謂気づき、あれ、この人ひょっとして自殺を……といった人に、適切な支援への道をつないであげる事がその役割になるのだ。
要するに自殺のサインを見つけたら自分で何とかしようとせず、専門家の支援ルートに必ずつなげる、というのが役割で、決して自殺防止の行動をするわけではない(いや普通に出来る範囲はするが)。心療内科につなげるなり保健所につなげるなり、とにかくその人が命を絶たないように出来る専門家に話をつなげるのがその役目なのだ。また、誰が自殺を考えているか気づくのも役目とされている。自殺希望者は自殺のサインを必ず出しているのだが、それに気づくのは容易ではない。なのでそれを見つけるための基礎知識を得ておいて、どこにどう相談すれば専門家ルートにつなげるかを知っておくこと、それがゲートキーパーの役割なのだ。
なのであんなふざけた名称で語られるべきものでは、断じてない。遺族も、そりゃ怒るだろうと思う。自分の身内が死んだとき、隣に、職場にゲートキーパーがいたならば。自殺の兆候をすぐに見抜いてくれて、専門家につなぐところまでは出来る人がそばにいたならば。そしてそれが出来れば結構な割合で自殺は防げるので(発症から時間が経ってなければの話。自殺について達観したらもうアウトらしい)、もしそのような人間が身近にいたならばと思いもする。だからそういう制度があるのに、相変わらず素晴らしい政党がこの役割を茶化すような名前をつけてくださった。これじゃあ誰もやりたがらないよなぁ、と思うし、重要性も理解できないだろうと思う。本当、一日も早く選挙が起こって欲しいものだ。
……ちなみに。実はこのゲートキーパーについて私は軽く一悶着あった。私の立場だと別に年休を取らなくても参加できるのだが、私はあえて休みを取って、別の場所でその講義を受けた。そしてその別の場所からのビラ依頼を、なんと自分の職場で受け、それを堂々と配るという暴挙をやらかしたことがある。「お前、人舐めんのもええ加減にせぇよ」と言われたのも今は昔。いや、多分上司にしてみれば永遠に風化しないことな気もするけどね…。
東軍の勝ちを見越して大津城に戻ったはいいものの、家康はなかなか出て来ないわ立花宗茂を派遣されるわで、結局後々勝利側に回るものの一旦は落城となった京極高次。……私も、今回ばかりはと思って早々に裏切り準備を始めたものの、まさかここまで相手側に器量がないとは思いもよらず、裏切るべきではなかったのではないかと日々悶絶している。そして、「今カラデモ遅クナイカラ原隊ヘカエレ」が出来ないかどうかも天秤にかけてる。甘かった、というか、あまりにもひどすぎた。元々結構問題あるんじゃないか、と思っていたが、まさかあそこまで器量がないなんて……。
私がこんな状態になったのは、ひとえに私の勝利に最後まで反対した人物との再面接に由来する。確かに知識と教養はすごいものがあったし、別に友好的でなくてもそれは関係ないんだけど……あまりにも人間としての器量がなさ過ぎた。なんというか、これで教員を束ねられるというのでは、余程そこの教員の器量が悪いとしか思えない。別に私が嫌いで反対運動を繰り広げようがそれはそれで構わない、逆にそれで教員を一致団結させることが出来るのであれば、間違いなくその人物は一番の器量人なんだから、味方にできればかなり頼れるという見方だってあるのだ。だから今は反対であっても、その人に器量が見えれば私も安心できる。全幅の信頼をおいて、それこそ全面敵に回してでも籠城する覚悟でいた。それがまさか、ああだとは……。
……他人と話す、ということはすべからくコミュニケーションである。会話のキャッチボール、という言い方があるように、会話は投げる側と取る側が交互に入れ替わってこそ成立するのだ。だから私が普通の仕事の時に必ずやっているのは、面接導入部の”まくら”の構築。私の場合相手から一定の事を聞きとらなければならないからキャッチボールには徹せられないけど、それでも最初は相手がボールを返せる話題から必ず入る。そして、それがどれだけ変であろうが、聞く、聞く、聞く。そして聞いているうちに相手の今日の心理が分かってくるから、ああ暇だからしゃべりたいんだなと思えばまくらを続行するし、気が立っているからとっとと済ませた方がいいなと思えばすぐに本題に入ってしまう。このまくらの話題は、勿論相手がボールを投げられることが絶対条件。間違っても私が本当に話したいこと、得意な事、例えば「新党大地・真民主(笑)」が如何に素晴らしく、次の選挙でも議員数が減らないというより、石川・松木氏両名が生き残る唯一の道であるか、なんて話はしない。それは相手がボールを返せない、もしくは興味がないからボールを返そうとしないのが分かりきっているからだ。
ただあの面接、このまくらの部分が何もなかった。2時間だか3時間だかしゃべっていたと思うが、相手は最初の三十分如何に自分たちが素晴らしい組織であるかを熱弁していた。これだけでも品位的にどうよとも思うが、これではこちらは相手の話を聞くしかない。会話のキャッチボールというより、ブルペンキャッチャーにでもなった気分だ。そしてその後は本人の趣味の話に変わったが、その内容が自分の専門分野の第一人者の話。当然、専門分野が違う人間にそんなものは分かるはずもなく、またもや私はブルペンキャッチャー、ひたすら相手の言葉を捕りまくるだけの状態になった。だから私は最後の方、この人年年齢幾つだよ、よくこの歳でこんな非常識な会話出来るよなぁ、と逆に態度に感心していた。そしてこの人に集まる教員陣ってどれ程器量がないんだ、とも同時に思っていた。
何というか教員世界から離れていたから、ある種ハイブリッドになっているのかもなぁ。本人は身振り手振り、自分がどれ程楽しい事をしゃべているかを伝えようと必死だったけど、それは会話ではなくて演説。妥当な話題から入り、必ず相手に話を振る。そして相手の話を聞いて、どこで次のボールを投げ返すかを慎重に見極める。それが社会人の会話なんじゃないの? 一方的に自分の好きな事話すって、まぁ純粋と言えなくもないけど、子どもじゃないだから勘弁してほしいと本当に思った。それが3時間、自慢話と自分のコアな趣味の話をして終わり。社会人の、というより20歳過ぎた人間の会話じゃねぇよこんなん、一般社会に出たら一か月で破滅だぞお前、という感想が私の中に強く残ったのだ。
これが大将では話にならん、というのが今の本音だ。私を嫌っていても、憎んでいてもいい。ただ大将の器量がここまで悪いというのでは、到底裏切ってまで駆けつける気にはならない。だって社会人じゃないんだもんいい歳こいて。いや、教員である以上童心は必要だと思うよ私も、でも、小学生じゃないんだから目をキラキラさせて自分の趣味の話ばかり立て続けにするって大丈夫か? それなりの地位を持っているなら、それなりの話し方が普通じゃないのか? まずまくらを持っていって場を和ませ、相手の状態を見極め、そしてボールを投げたくなるようにしむける。何を以てボールを投げたくなるか分からなければ、もう相手に聞いてしまう。少なくとも私はそれくらいするし(というか面接に失敗して刃物でも持ち出された日には、命が幾つあっても足りないからなぁ。それに、あばたもえくぼ。後に何か処置をするにしても、それまでの感情の蓄積で苦情がくるか来ないかが決まるから、毎日ここ正念場なのよ……。手抜きして相手の感情を悪化させまくれば、必ず巡り巡ってそれが苦情の山で爆発するから……)、それが常識な気がすっごくするぞ……。
大将の質が悪すぎる。知識と教養は認めるが、ガ○か己は(笑)。あーもう、といって裏切りの準備はかなり進めてしまったから、今更戻るっていうのものなぁ……でもあの大将魯鈍すぎる……教員という特殊空間だから生きて来れただけで、社会に出たら即死だぞあれ……。
決戦の最終局面、一旦は私の勝利という事でまとまった話を「ふざけんじゃねぇ!」と数の力で押し返し、”最終面接のやり直し”までやらせて私を阻もうとした教員がいたことを。そんな、経営陣の決定を覆す程強く私を拒んでいる相手が、今日の面接相手だとおいう事を。……一方相手はまさかそんな内部情報が私に流れているとは知らないようで、というよりも実際知らなかった。一方私は目の前にいる人物が、教員全員をまとめて反対の流れを作り、一旦は経営陣さえ黙らせた張本人であることを実は経営陣から聞かされていたのだ。
当然、話し合いがうまくいくはずもない。
私はこの面接が設定された時、逆転敗走になったのか、と覚悟していた。実際はそうではなくて今後の事についての話だったのだが……いくらなんでもそこまで大々的に嫌悪されてしまっていては、私も相手の話に乗れない。相手の繰り出す話は全て空々しく聞こえるし、こっちを思い遣っているであろう言葉も嫌味にしか聞こえない。ただ一方、成程これは人物の真贋を見抜く目を持っているな、という感想も持っていて、面接陣営の中でこの人だけが私の繰り出す”言葉の弾幕”に、一切誤解を持たなかった理由もうなづけた。重厚な教養とあくなき好奇心が、自然と人を見る目を身に付けさせているのだろう……だから、言葉の弾幕の中にある私の真の姿に気づいたんだな、と思った。
こういうタイプには、一切のごまかしが通じない。
武将で言うと丹羽長秀や羽柴秀長タイプ。華麗な戦術や強烈な策は用いないが、現状に合わせてどっしりと腰を据えて、着実に物事を進めていく。下手に奇襲をしかけたってそもそも突撃とかしてこないんだからスキなんてないし、着実にやっていこうと考えている人間に策なんて通じない。突出力や即断力はないが、じりじり追い詰めて確実に勝ちに来る。こういうタイプが相手では、私が地獄の現実を語ろうが幻想を語ろうが、その語りの内容はまるで無視して私自身を見られるのが関の山。奇術によって相手の心を蕩かせる、という十八番もこのタイプには絶対に通らない。もう攻略は不可能、ならば私の打つ手は……”戦わない”。全面防御で一切相手と戦わない、という手段だ。
徹頭徹尾、手の内は見せない。突出させたら最後、そこから殲滅させられるに決まっている。だとすれば何も語らず、相手に付け入るすきを与えない。沈黙は金。攻め勝てないなら守ればいい。守りきれば勝てるが、攻撃時間が長かった……延々と攻撃されて、陣が崩される寸前までいった。幻想爆弾とか言葉弾幕とか一切出来ないから、ただただ守りに徹して手の内だけは見せまいとする私と、何とかしてそれを引きずり出してやろうとする相手側。そんな不毛なやりとりが続いて……結局私はなんとか手の内を守りきったまま、しかし「守りに入った」という事実を相手に与えるという失点を演じつつ、この面接を終わらせた。
重厚な知識が織り成す教養を武器に着実に歩みを進めてきた人、これが私が一番叶わない相手で、だからこそ最後まで私に反対していたのだと確信した。今にして思うと何で私に会いたかったのか……私から逃亡の言質でも取りたかったのか……そこは良くわからないが、とにかく疲れたというのが本音だ。相手は表面上、すごく景気のいいことを言ってくれた。しかし私は、貴方が全教員を巻き込んで経営陣の決めた決定を覆した事実を知っている。その後の真・最終面接で再び私が勝った理由が、その真・最終面接の面接官は経営陣しかなれなかったから、という事も分かっている。もし貴方が机の向こうにいたら私はつぶされていた……それを知っているから、何を言われても”白々しい”、という感想しかなかった。
で、その面接会場で食べた飯。まずかったねぇ……今まで食べた中で一番まずかった。何あれ。味なかったやん、もう。
軍配、やっぱり返すのやめよっかな……。まだ完全に松尾山を下りたわけじゃないし……。窓際を覚悟すれば、何も裏切って攻めかからなくても今の陣営に残れるんだし……。まぁとりあえず、模様眺めに徹するか。
とある週末の夕方。すっごい上の人に呼び出されてまず言われたのがこの言葉だった。そりゃ真っ先にそう言うだろうなぁ……と自分でも思う。バカも度が過ぎると、怒りよりも不思議さの方がより勝る。前回行われた人事評価で私が「自分は何もやっていない、最低の評価にしてほしい。というか、する」と、一応ある程度の点数が付いていたこれを最低点にまで叩き落とした事に続いての今回。私はとある会議の報告書を、ど正直に、真っ正直に書いて出した。まぁこのひねくれ男が真っ正直に文章を書いて穏当になるわけがない。見たらぶち切れ確実の内容になっているのを知りながら提出し、案の定こうして呼ばれたわけで。
「おまえのこれが本心なんだろうけどさ、こう、本音をもっと包むって技っていうか、そういうものはないわけ?もういい歳なんだろ、お前」
……比較的そっち系の技は弱いが、勿論ないわけではない。というよりもここに留まると腹をくくったならそんな危ない文章は絶対書かない。無意味、だの、悪しき行為だの、こんな文章を羅列して報告したら当然相手は怒るし、また余計な波風を立ててしまうのは分かりきっている。しかし今私が一番望んでいるのは「大乱」。裏切るに足る、というよりも裏切って逆に感謝される(でもあのバカがいなくなってせいせいしたわ、と思われる環境)状況を何としても作らなければならず、その為には何としてでも裏切りの大義名分を作らなければならないのだ。
「どうしてお前はこう、自分でここに居辛くなるようなことばっかりするんだ? 自分のいられる場所の範囲を狭めて、何がしたいんだ?」
相手のこの質問は当然で、最近の私は自分の評判を徹底的に落としていたりする。だいたい人事評価を最低にしろと上司に迫り、上司が「何故それを望む。というか、俺がパワハラやってるように見えるからやめやがれ」と反論しても、無視して最低評価の報告書を勝手に人事に提出しているのだ。これが最初から滅茶苦茶低くて頭にきて、なら分かるが、今回の人事評価は私にとっても意外に高く、だからこそそれが発表された時に滅茶苦茶狼狽した。こんなもん人事にあげられたら、裏切った時に追撃くらうじゃねえか、と。
要するに一番の望みは、争いなくこの場を去る事だ。勿論争っても別に構わないんだけど、無駄な事はしたくないし、それに今までの場所と違って自爆を仕掛けたい相手がいない。ただその為には”いなくなってせいせいした。追撃? んなめんどーなことすっか!”の状態に置かなければならない。上の人間が「裏切った? ふざけんな、今年の人事管理者は何やっとんじゃ!」とキレるようでは駄目で、「裏切ったのってあいつ? じゃ、いいや、好きにさせろ」とならなければ駄目なのだ。
特に今私のいる巣は、まるで徴兵のような場所である。皆ここから逃れるために、本当に徴兵逃れそのものだが発狂を偽ったり、本当に発狂したり、病気になったり、人事を訴えたり、とにかくありとあらゆる手段を使っている。その中で私が裏切るということはどういう事かと言えば、合法的に逃亡出来る人数枠の一つを私がつぶすということで、あれやこれやと手を打っている人たちにしてみれば殺意の対象そのものになるのだ。だから私は何とか殺意<消えたことの喜び、という状態にしようと今必死で、もしくは殺意<同情に出来るかと思い、それを並列でやっているのだ。
その為には一応普通に務めている私が最低評価を連発で食らって死亡、というシチュエイションが一番いい。最低評価による死亡ならば誰も文句は言えないし(自分から裏切る、という文脈にはならないから)、そこに理不尽を絡めれば私が逃げる間位は時間が稼げる。実際は理不尽等何もなく、むしろやってるのはこっちの方なのだが、要するに問題は事実ではなく相手にどう見えるか。だからこそ評価を最低にしてクソミソに私を罵る評価文を作って強引に人事に送り、かつ、絶対に相手がキレる(まぁ実際は本音をそのまま書いただけだけど。無駄だと思うのは本当だしなぁ……)報告書を上げたのだ。
「これ、いいの? これ出したら最後、人事にずっと残るよ? いい歳した大人がこんな本音ずらずら並べた文章提出したら、勇気があるとかじゃなくて単なるバカだと思われるよ? お前に何もいいことはないけど、本当にいいか?」
「……構いません。私は私、そしてこれは本音です。人事に提出してください」
私は一切嘘はついていない。私はどこまで行っても私だし、書いてあることも実際本音だ。ただそれを出す理由が邪であるだけで、提出していいか、という仏心も実際は逆で、私はこれを人事に見せておいて、その後の裏切りの正当性を何としてでも確保したいだけなのだ。これを人事に突き付ければどうなるか、この年齢にして知らないはずがない。ただ今回の裏切りはこうでもしないと成功しない。こっちも結構きついんだけど……ま、仕方ないか。流石にこの巣であれっだけ逃げよう逃げようとしている人が多い中で、更に雛鳥増員に成功した成果を粉微塵に破壊する形で裏切れば、まず殺される。
次々布石は打っていく。そして3月中旬(!)、松尾山は動く。私が決断したのは、3月中旬まで態度を明確にしない、という事だけだから。いや、態度を明確にして味方しない、と内通承諾の書を破ったところが既に二つあるんだけど……ま、それは過去の話で。
さぁ、3月の大乱をどこまで醸造し、どこまで無傷で逃げ切れるか。私の人生最後の裏切り劇、佳境です。
幸い大学院まで通わせてもらったから、それなりに広い選択肢を持つことも出来た。知識も教養も、それなりにある。でも何より自分は死んでない、生きているのだから、だからこそ、やろうと思えば何でも出来る。病気になっている訳でもない、その上自分が夢と思っているものを現実化させる機会に巡り合ったのだから、だったらそっちに行って、自分の生涯や伝えたいことを、人間としての全てをぶつけて表現していくべきだと思う。
実際、それが出来る人はそうそう多くないんだから。世の中には親の方針で高校もろくにいけない人たちがかなりいる。夢も何も、そういうものをすら抱けない環境にぶち込まれた人もいる、夢に向かって走りながらも病気で他界せざるを得なかった人も沢山いる。その中での今、そして自分。躊躇する要素はどこにもない、戦い続けて8年、ようやく念願の首都陥落に成功したんだから。自分の持っている能力の全てを評価してくれる相手に出会う事が叶ったんだから。……若干数珠の音がするのが嫌な気がするんだけど。
それでも……私はまだ裏切りの軍配を振れない……。用の終わったはずの橋頭堡から出ることが出来ないのだ。甘すぎるよ、ここ。怠惰すぎるよ、ここ。こんなんで給料って絶対世の中狂ってるよ。人格を壊すよ、この世界。そりゃ上昇志向も真面目さも消えるよ、養分が多すぎるのにやる事軽いから、勢い根腐れするだけだもん……。
この怠惰堕落の世界に来る前……まだまともだった3年前の私の作戦はこうだった。
『とりあえず都の近辺で絶対に崩壊しない橋頭堡を奪取する。今後はそこの兵糧を使って首都決戦を継続、もしそれで陥落させられたならそれで良し。たとえ万が一失敗したとしても、橋頭堡で永住するから生涯流浪という最悪のシナリオは避けられる』
現実と妥協しつつも、首都決戦を継続する。そして万が一決戦の敗北が決定しても、食べるに困らない状況も構築しておく。このいいとこどりの計画は奇跡的にうまくいき、橋頭堡の確保も出来、そしてそこの兵糧を使って首都決戦を継続出来た。本当に、橋頭堡としてはここはとても良質だった。贅沢こそ出来ないけれど金銭は普通に入ってくるし、何よりも自分が望めばいつでも休むことが出来た。教員として暮らしていた私にはとても信じられない事、もしあの時休みを取るなら何週間前から調整がいるだろう、そしてどれ程それが難しいだろう……しかし、ここは違う。前日に言えばそれで済むのだ。その制度を聞いたとき、正直アホか、と思った。でもこの真面目に働いている人間を馬鹿にするような制度が、首都決戦に大いに役立った。休みの数も多い……土日祝日、それに27日の有給休暇。世の中舐めくさってんだろ貴様ら、とあの時は本当に思った。でもこれが、どれだけ救いになったかは正直分からないくらいだ。
事なかれ主義の、腐敗臭漂う腐った目をした周囲もとても幸いだった。私の休暇の取り方は明らかに怪しいのだが、それについて追及する人は誰もいなかった。理由は簡単、逆ギレした私がプライバシーの侵害だの労働権の侵害だの言い張ったら、聞いた本人が傷つくだけだからだ。明らかに怪しい、だから絶対に関わらないでおこう……そう思われている雰囲気は肌で感じているし、だから私も極力周囲とは関わらないようにしていた。でも、だからこそやりたい放題。普通の職場だったらあんな不自然な休暇を取った時点でアウトだったと思う。それだけ私のやり方は滅茶苦茶だったし、そんな滅茶苦茶でさえもまかり通るような橋頭堡だった。
凄く、住みやすいぬるま湯。腐っていくぬるま湯。
入って、「ここはヤバイ。慣れたら速攻で私の精神も腐敗させられてしまう」と直感したけど、本当にその通りの場所だった。だから何とか距離を保ってきたつもりだったけど、そして保ったままようやく本懐を遂げるところまで来たわけだけど……既に私も、この腐界の毒に感染していた。ここ以上の公休制度はまずもって絶対に有り得ない。徹底的な不干渉も有り得ない。ここ以上の身分保障も有り得ない。いや、勿論橋頭堡としてしか見て来なかった私、もしも整理解雇となればまず間違いなく滅亡するが(内通しようとして失敗、先方から通報され、弁明をしたという汚点も既にあるので)、その頃には実家に戻ればいい。とりあえずあと10年くらいは大丈夫だろうから、それなら十分、という計算がある。10年もいられれば御の字、あんな態度とって内通を何度もやってそこまで残れれば上出来、普通なら有り得ない厚遇だと思ってる。
だから、苦しい。
でも、それで苦しみを感じる自分が悔しくて憎くてたまらない。
お前は教員になりたいから勉強して、首都奪取を捨てきれなかったから内定を辞退しまくったのに、それで結局橋頭堡がぬるま湯の温泉だからやっぱりそこで生涯暮らすって、一体どれだけクズなのか、と。度重なる内定辞退と橋頭堡としての現職の扱い、これがもし僅かでも許容される可能性があるなら、それは私が本願を遂げた時のみ。それをきちんと計画通り首都決戦に勝ったのにやれ将来が不安、だの、冒険する理由がない、だの、アホか、バカか、お前はそんな有象無象だったのか。何のために教育学部に入った、何のために必死になって大嫌いな英語に手を出した。一体それは何のためだ! 死ね! 夢の為に死ね! お前はそういう男じゃなかったのか。アイキャンフライだ、飛び降りろ。今の場所より相当辛くて、休みも取りにくくなるのは明白で、何よりどれだけやれるか全く未知数。あーそりゃ社会人としての予想余命は格段に少なくなるだろうよ。でも、死ねよ。それが目的で生きて来たんだろ? まさかあんだけ不遜な態度をとって橋頭堡にしがみつこう、とでも? やるんだろ、毎度恒例の抱きつき自爆退職、通称神風特攻隊。なんだかんだで虎視眈々と狙ってるじゃねぇか。それまで反故にする気か?ええ?
……かつて松尾山で日和見をやった小早川秀秋のように。
どちらに味方したとしても卑怯者のそしりを免れないこの時期まで話を引っ張り。
しかも内通の書状を送った陣営が二つ。
現在の所属陣営を合わせれば三つ、この三つから旗幟を鮮明にするように迫られて、それでもまだ私の旗は動かせない。といって私が生涯の宝物として今も大切にしていて、何を盗まれてもこれを盗んだら法律がどうであろうと許さない、と強く思う私にとっての『聖書』には手を出せない。今読んだら、本当に物理的にアイキャンフライをやりかねない。でも……もしそれを手に取った時は、夢に向かって飛び降り自殺をする覚悟が出来た時だろうな。私はどんな約束を反故にすることも、前言を翻すことも出来るけど、『聖書』だけは裏切れない。夢半ばで散った命が再び転生してこの世界に戻ってきたとき、とびっきりの学園生活を用意したい、私の学生時代から今に至るまでの生の根本動機ってこれだからなぁ、本当にマジで。
さて、3月まで悶々と悩みますか、自業自得だけど。
でも、書いてて思った。『聖書』は絶対裏切れない。私の地獄の高校時代を支えてくれて、その後も人生の指針であり続けたあの本を裏切る位なら、……私は死ぬわ。高校中退の決断をひっくり返して、その後の逆転劇が出来たのもこの本の御蔭だからね。いい大学を目指そうと思ったのも、一日3時間の睡眠で必死に受験勉強してそれを続けられたのも、この本があったからだもんね。私の努力は、この『聖書』の具現の為に必要な知識と方策を身に付ける為だった。この本に書かれている内容が夢物語だという事は分かってた、だからこそ、それを具現化する為には沢山の知識がいる、他人に自分の言葉に耳を傾けてもらえるだけの肩書がいる、そう思ったから大学院を仮面浪人で二つ行って、更に本当に骨の髄まで嫌いな英語にまで手を出したんだから。
うん。先方の胡散臭さはきついんだけど、夢の学園生活の具現の為に死のうか。たとえ大学を卒業しても定年になっても、死の床に就いても絶対に忘れられない学園祭を作ってみるか。その過程で私は社会的に死んじゃうかもしれないけど、たった一度でもそれが出来て、少数であっても生徒の心に楽しい思い出として残る学園生活を提供できたら、散っても『聖書』は許してくれる……よね。誰に裏切られて、見捨てられても構わないけど、『聖書』にだけは裏切られたくない。他は全然平気だけど、あれに裏切られたら生き続けられる自信がないわ。それにもし社会的に死んじゃったら、今度は地元に帰って塾の先生と公立の先生を目指せばいいい。たとえ次のところで死んでも、『聖書』に沿った生き方はいくらでも出来る。夢は終わらない、終わらせない、終わらせてたまるかっていうのが私の言葉だったんだし。
『聖書』の為に、夢を掲げて現実と戦う。
……何が無神論者だ。単に信じてるものが普通の人と違ってるだけで、しかも狂信っぷりは急進派以上じゃねえか(笑)。天動説が正しいとか正気かよ、と思う一方、『聖書』否定されたら本気でキレる勢いだぞ自分(笑)。うん、『約束を思い出したよ』。散った命が再びこの世に戻ってきた時に備えて、楽しくて夢のような学園生活を提供して待っている。それが私の約束だった。それを糧に頑張ってきた、そして夢がかなった、そして自分は、まだ生きている。夢を叶えられる肉体と力を持っている。幽霊になっていない、二本の足がある。まだ頑張れる体力がある。こんな状況で夢諦めたら絶対に死後叱られる。それだけは絶対に嫌だ、だから、戦う。最後まで! 現実が何だ、待遇がなんだ! 聖戦の前にそんなのものは無意味! 夢に猪突、それこそが自分なんだっ!
思い出した。アイキャンフライ。やりましょう、私の信じる世界、私にとって唯一絶対の理想郷、神様の為に。
そして、私の人生の為に。
……別に信者でもなんでもないです、あーもう、軽蔑されてもいいです私はガチガチの無神論者なので、宗教にはまるで興味ないです。それに、その団体が起こした事件を肯定する気にもなりません。あれだけの死者を出した以上幹部の全員死刑は当然で即刻執行すべきだとは思いますが、その罪状を全く切り離して本人だけを見た時、その業績や能力の高さは目を見張るものがあるし、その手法から学ぶことは多いのではないかと常々思う。裸一貫のペテン師から始まり、この銃刀法厳しい日本で、化学兵器のサ○ンを精製するまでに到り、それを東京でぶちまけるというところまでやってみせた。これほどの能力というのはやはりまれなのだろう、とつくづく思う。だってもしもまともな参謀がいたら、十分天下を盗れる状態にあったんだから。
それと同じで、この前亡くなった北の首領様もまた、名将だったと思う。はい、私はものすごく偏っている人なので、全くこの人を支持しないです。しかし共産主義で世襲という、レーニンがいたらウォッカ吹いて卒倒しそうな事を受け継いだ挙句アメリカに喧嘩を売りまくり、かつ人民をあれだけ飢えさせておきながら二十年弱体制を維持した。これはもう、並の人間に出来る事ではない。だいたいアメリカといえば毛唐の中でも最も厄介な、「来年は選挙がある戦争するぞー、いくさいくさ起こすぞー、人を殺すぞー」という もっとも厄介な相手である。この万年脳内カウボーイの手によって、アフガニスタンは滅び、フセインは殺され、また他にもカダフィ大佐が敗北して死んだ。にも関わらず、北は生き残った。これだけでも凄い話である、と私は罪状と切り離して、どうしても感心してしまうのだ。
勿論中国とロシアと直に国境を接したくない、という思いがある上、周辺国の全てが「絶対に領土としてもいらない。領民はもっといらない」と考えているという幸運はあった。しかしそれでも中国・ロシア・アメリカを向こうに回して国を守りきった手腕は、正直評価されなければならないだろう。実際今の北の生活は苦しいが、韓国国内の差別意識の異常さを考えると、統一韓国成立後北の国民がどういう差別的待遇を国内で受ける羽目になるか、考えただけでもぞっとする。恐らく今の北の統治よりも物質的には豊かになるかもしれないが、精神的には地に墜ちるだろう。韓国の差別意識が強いのはあれは儒教のせいか? それとも元々の発想か、過去の歴史からくる反動<以下強制削除>。
そう考えていくと、やはりなんだかんだ言っても、北の首領様はそれなりの名将であったような気がする。人民を飢えさせて、という批判は当然あるが、核を作っていなければ今頃アフガニスタンかイラクになっているのが関の山だ。また人民が飢えているからこそ、周辺諸国は北を大事にする。韓国も絶対に攻め込まない。もしも北の人民が豊かだったら、生活水準がだんだんと韓国に近づいて行ったらどうなる? そうなれば韓国としたって今統一すれば利益があるだろう、と判断して攻めてくるかもしれない。中国やロシアだって、今北の味方をする最大の理由は大量に出る脱北者の受け入れだけは御免こうむるという事だが、豊かになって逃げないだろう、となればそれもなくなってくる。いや、逃げたとしてもある程度富を持って逃げてくれるなら、周辺諸国だって受け入れられないことはないのだ。即ち、飢えているからこそ侵略価値もなく、また流民が入ってくることを諸外国が怖がるから守ってくれる、つまり飢えている状態こそが北の最大の国防なのだ。
「訳が分からない独裁国家」で「人民が飢えてい」て「侵略する価値がまるでない」からこそ、国内の反乱分子をあおってとかそういう事もせず、周辺国も存在を認めてくれる。ある程度秩序立っている相手ならば、まさか持ってる核をとりあえず使おうとかしないだろうし、戦争となってもきちんと降伏→占領→次代政府、といった段取りを取ることが出来る。しかし今北が戦争になっても、果たしてこの過程をとるのだろうか。少なくともこういうプロセスが出来ると、周辺国は思うだろうか……恐らく、思わない。それはもう、この国がわけのわからない独裁国家だからこそだ。人民が飢えていてどこが火種になるか分からないからだ。資源も何もないから、侵略価値がないからだ。その状態であったからこそ、北は攻められることなく核を持ち、今も存続し続けていられるのではないだろうか。
語られない真実がある。やった行為が悪過ぎて、純粋に本人の能力を見よう、という冷静さを持てない未熟さがある。この先、北の首領様はともかく、空中浮遊を評価するような人間は出て来ないと思う(除く信者)。しかし無からサ○ンプラント取得までこぎつけた手腕と、共産主義で世襲という矛盾そのものをやってのけた二人の力は、確かなものだったと私は思うのだ。
勿論、どっちも人間としては全く支持はしていませんが。
これが好成績だったのかどうかについては、最難関の教科でここまでやれたから結構すごい、という判断もあれば、やはり敗北数が多すぎるという判断もあるだろうと思う。ただこの数が、この数値が、高梨雄介として頑張って来たその最終結果なのだ。悔いがないか、と言われれば真っ赤なウソ。あの時こう振る舞っておけば、と思う戦いはいくつもあるし、実際それが出来ていれば結果は全く違っただろうな、と思える戦いも多かった。あの時、あの場所で、あの時に……考え出せばきりがない。私が日記の更新を少し止めていたのも、ここらへんの整理に少しだけ時間がかかったからかもしれない(ネタが全部危険すぎた、というのもあるんだけど)。
8年越しで攻略していた、都をとうとう陥落させた。
地方の専任として都から引っ越しをしたその日の夜、夜行バスの出発を待ちながらタワー越しに見る夜景が急ににじんだ。高給にものを言わせて月1、月2のペースで都に戻ってアホみたいに豪遊してたけど、地方にある自宅に帰ると膝から崩れた。虚無、停滞、沈殿、ああ、自分はこの田舎の片隅であとは死ぬだけなんだなぁ、という思いが私の涙腺と行動規範を崩壊させる。何が足りなかったのか……勿論努力。人間は運不運とか才能とかで決まらない、努力で全てが決定するんだ……絶対不変の定理として一切の改変を許さないその定理を思い出した私は、多分この時から本気で都の奪還を目指して戦うようになったんだと思う。
でも、戦いはうまくは行かなかった。一度都を放棄した人間に、都は本当に冷たかった。それに冷酷でもあった。……都の周辺は取れるから。その気になれば都に住むことも出来るしそれだけの給料もある、でも勤務先は都の外だよ……。得られるのはこんなんばっかりで、それでも都を忘れられない私は都付近に勤務先を確保しながら戦いをつづけた。でも得られるのは、常勤、司書、英語といったものばかりで、自分の好きな教科でずっと勤められるような場所はずっと手に入らずにいた。
そして忍び寄る、年齢制限という物理的な壁。
それを覆すほどの努力をすればいいだけの話、そう思っても、相手が履歴書を捨てるようでは話にならない。この8年、私は沢山の経験をしてきた。教科のカリキュラムをゼロから作ってみたり、英会話の指導をやってみたり、今の職場も経験という意味では本当にすごいと思ってる。でもそれらを凝縮させても尚、迫りくる壁の前では殆ど意味を為さなかった。自分がもっと若ければ……とは思わない。だって自分にも若い頃はあって、その時高齢受験者に同じように思わせていたんだから。輪廻は回る糸車、それに不満ならば努力すればいいんだから。御託や履歴を一切合財吹き飛ばす努力。成果。経験。若返りの薬か戸籍の改竄か、それが出来ないなら年齢制限はどうしようもない。だったら他で攻めるしかない、そうやってひたすら耐えながら今年ようやく……都を落とした。
現役を引退しようと思ったのは、都を落とした事と、最早これ以上がないという事があったから。私は今まで自分の望みのものを、望みのものをと思い、戦ってきた。しかし今回は、既にそれを二つ手にしてる。公立で様々な学校を経験したければ、公立の方を選択すればよい。都が忘れられず、私立で頑張りたいというのなら、私立で頑張ればいい。もうどちらの道も、何一つ遮るものはない。私の決断一つで、話は決まるのだ。この上更に私立を重ねても無意味だし、それに今年もし私がどちらも選ばない、即ち今の職にとどまるという選択をしたら、もう二度と復帰する事は出来ない。確信してる、今年が、これが最後のチャンスだと。もし私が今年どちらも選ばなければ、それは今の職を死ぬまで続けるという選択をしたということ。教壇を手放しても良い、という決定をした事になる。
だって、「……自分の望む条件じゃないから」、なんて言い訳、逃げ手はもうないんだし。公立も、私立も、都も、今全部自分の手の中にある。自分はこれを選べる状態にある……厄介な事に、選ばないというのも今回は選択肢。保留なんて有り得んもん。この状態でも尚保留して来年も戦うって、それはもう単なる逃げでしょう。趣味として戦いを続けるか? 多分、それも無理。流石に趣味でこのモチベーションは保てない。だからこの結果が出た時点で、高梨雄介の試験遍歴は終わり、という事だ。
あとは、選択。……はっきり書く。今の職務は確かに嫌だし辛いし死にかけることも多々あるけど、巷間の噂通りそれでも楽、だ。休日と残業代の完全補償、倒産のない世界、成果を求められない(というか成果を求めてはいけない世界。福祉で成果主義を導入するとしたら……何したらOKなの、て話になるし)世界。仕事をしていて思うよ、先輩も後輩も、よく遊びに行くよなぁ、って。クラブだか何だか知らないけどそういう仕事後の集まりに熱心な人もいれば、毎日飲んでる人もいるし。基本的に仕事を持ち帰ることが出来ないから仕方ないんだろうけど、でもこんなの今までの世界じゃ有り得ないし、それが、先に謝っておくけど、……怠惰な時間の中で腐敗していく有機物にしか見えなかった。
楽しいんだろうさ、安心なんだろうさ、あんまり残業してるとブレーカー落としてくるから”仕方なく”帰れるから時間も沢山あるんだろうさ。楽だよ、楽しいよ。家帰って必死に勉強している、そんな教材全部捨ててその世界にどっぷり浸かれば、そりゃ楽しいでしょうよ。見てりゃ分かるよ、でも……それが生きてるって言えるの? 自由時間がたっぷりあって、ある程度給料もあって、でも、そんだけ。そんだけって、それがなくて苦しんでいる人が多いのも良く知ってるけど、でも、その生活のどこに「生」があるの? 得るべき知識、積み重ねる努力はどこにあるの? それとも皆がよく話してる競馬とかパチンコとか風俗の話とか、そういう会話に意味があるとでも?暇な時間が多い生活をこれから1年、2年、3年、ずっと、続けて、積み重ねて、その先に死があるとしたら、その生に何の意味があるの?
だから私は、同期の名前を1人しか覚えてない。飲み会は絶対出ない。……交わったら自分の大切なものが消えて、多分その怠惰で沈殿的な楽の世界にどっぷり嵌って、もう二度と這い上がれないような気がしたから。要するに”黄泉戸喫”。私が他人と杯を交わしたがらなかったり、なるべく交わらないようにしているのはこの一言に尽きる。ただだからこそ、3年の長きにわたってこの怠惰な楽という穢れの中で、何とか成果を出すことが出来たと思ってる。今手にしているものは、私が必死になって穢れの誘惑に耐えて黄泉戸喫を避け続けたから得られたものだと思ってる。だいたい有給休暇の取得理由が”試験”か”試験勉強”しかないなんて、流石に自分でもちょっとおかしいんじゃないかと思えるよ。私が休暇を本当の意味で取ったのは3日間だけだからなぁ。でもそのお蔭で今がある。だから選択が出来る。
ただ……老いの迫ったこの身に、この安定で確定的な「楽」の毒はきつい。
無理しなくたっていいんだから。この楽な世界の中でいつも通りに働いていれば、年金の支給が遅れようが何しようが定年はその分確実に上がるし、何一つ不安に思う事なんてないんだから。それ全部捨ててそもそも残業という概念がない(いつまでも残るのが常識)教職に戻るってアホ? と自分でも思う。今の生活に幸せがない? そんなのは幸せだから思える事で、苦しかったらそんな事自問自答する余裕もねぇんだ、という事も分かってる。また厄介なことに、この場所は都から近い。住環境・通勤環境もいい。マイナスの要素が殆どないというか、もー駄目だ正直に書く、こんな仕事・管理体制で金貰うって間違ってるだろ、というのが本音。「これで金出るの? 何それ」、これが本音だよ。
楽すぎる、安定すぎる、その怠惰の毒が私の大半を支配している。しかも、客観的に見てそれを抜いたとしても、待っているのは安定性と休暇のない仕事だ。世間の人間が見れば、この選択をしたら単なるバカとしか思わない。うん、私もバカだと思う。でもじゃあ恋焦がれていた8年、教職を目指した自分の人生すべてを捨てる気か? とも思う。無料の塾講師とか、やっぱり信用されないからやりようがない。この楽の道を選ぶなら、私は必死に手に入れた教職に関する知識を全て捨て、らくーに生きていくだけでよい人生、という事になる。それが空虚である、じゃあ無職の博打をこの年齢で打つ気か?……そんな自問自答が続いていたから、日記も結構止まっていたんだと思う。
ただ一つだけ分かっているのは、これでもう私の戦いは終わりということ。13勝は……うーん、なかなかの勝ち星だったんじゃないかな。英語だったらもっといけたのかな、なんて思うけど、逆に英語それ程好きじゃないからダメだったかも。ただ分かるのは、もう、私がリクルートスーツに袖を通すことはない、ということ。
……といいつつ、来年も「戦いは新たな次元に入った」とかいってどこかに受験していたりして。うーん、なんかそんな気もする。つーか、私の場合単なる中毒かもね。ギャンブル中毒、それがパチンコだの競馬だのに行かないで、勝利か敗北かの二択、自分の努力が全てを決める戦場に行っただけ、なのかも。
それでも、未来を獲得するための戦いは、もう終わり。現役は、もう、戻らない。
松尾山に再び籠った私は、今度はどの陣営に対して裏切るのか、それとも裏切らないのか。……多分、本当は絶対やっちゃいけないんだけど、3月まで悩み続けるだろうなぁ……。
こういう声が上司から聞こえるようになると、ああ秋だなぁと季節を感じる。出世、賃金も増え責任も増えるがその分やりたいことがより出来る処遇。勿論それが幸せを担保するものでは必ずしもないけれど、誰しもが基本憧れるシチュエイション。しかし、私のいる巣でこれを望む人間はただの一人もいやしない。理由は簡単、ここの巣で出世するとその分ここの巣で上司にならなければならない、要するに「この巣にとどまる地獄の時間」が延長されてしまうからだ。
これだけ書いてしまうと単なる臆病者揃い、と思われるかもしれない。ただ例えば妻帯者にとってこの職場は本当に危険、「なーんか咳でるなぁと思ってたら結核でした、てへ♪」とか普通にいる為、一日でも長くいるとそれだけ死の運命がやってきてしまう。私もまだこの巣に托卵されて3年もたってないけど、首絞められてイきかけたり(あれ本当に頭が白くなるんですね。苦しいというのは初めの数秒だけでした……だから相当やばかったんですが)、鉄製の観音像で額を割られたり(手の中に入るサイズの像で思いっきりやられました。理由は知りません)、ドアを開けるなり鉄球を膝に投げつけられ砕かれたりと、本当に毎日戦場を生きているような状態である。しかもこれに対してこちら側に防御手段がない……刑法39条はまさに嘆きの壁のようなシロモノで、以前頸動脈やられて大出血、という事例があった時も結局措置は何もできなかった、という事がある。
それに病気。医者にかかりたくないという心は痛いほどわかるが、明らかな感染症は本当に勘弁してくれと思う。自分はこのまま死ぬからいい…いや、でも周辺の人は…いやそりゃ死ぬんだから周辺の人のことなんて知ったこっちゃないというのもわかりますけど…、といったやり取りが普通にある。人権を否定する気はないけど、嫌がる人間を病院に連れて行くのは本当に大変で、それこそ保健所に依頼をかけても成功するのはかなり稀。措置入院も出来るっていえば出来るが…最近はいろんな意味で権利が認められつつあって、余程のことがない限り成功することもないしなぁ…。
そんなわけで、ここにいるということは「いつ死んでも不思議ではない」、ということになる。一日命があるのが奇跡、たとえば最近殺されそうになったのは確か出刃包丁を額に突き付けられて「穂先を見ろ」と迫られ、勿論そんなもんに近づけるはずもなくお茶を濁していると「もっとにじり寄れ!!」とやられ、「ええいあの荒木村重でさえも刀から饅頭を食ったではないか!」、とあぐらをかいてにじり寄ったなんてことがある。だからそういうところにあたると、死ぬ。その時は何とか事なきを得て今があるが、あの時のようにいつもうまくいくとは限らない。スタンガンで武装して周辺住民を襲うもんだから病院に入院した人がいるけど、あの人「退院したらお前を殺す」とか言ってるみたいだしなぁ……。いや、エアガンで通行人を狙撃し始めたらさすがに私も動きますって…。
だから、誰一人として一日たりともこの職場にいたくない。同期に出世を越されても後輩の後塵を仰いでも知ったことか。命あっての物種、とにかくこの職場から逃げたいんじゃーー!!、という思いを皆が持っている。その為誰一人出世の申し出を受けようとしない、去年も一昨年もそうだったし、今年はもっとひどかった。その話になると、皆逃げるか黙ってしまう。愛想レベルでも絶対にうなづかない。本当にそこはシビアで、皆がどれほどこの巣を嫌っているかがこの時期になるとよくわかるのだ。
ただ一方で、出世しろという上司の方も必死である。何故ならこの巣、後任を決めない限り上司自身も出られないからだ。いや他の巣から誰かをひっぱてきて後任にする、という事も出来なくないのだが、それをするとその後任から間違いなく祟られてしまう。その上後任ということは同じランクの人だから最悪、後で様々な集中砲火を受けるのが明らかという状況になるらしい。なので自分が逃げるには部下を何としてでも出世させるしかない…だからこそ、毎年必死になって部下に出世してくれ(=そいでもって俺をここから出してくれ!)と懇請をかける。で、部下は部下で絶対嫌だ、俺は来年出るんだと思っているから話にならない。何せどちらもかかっているのは「命」、殺されないという幸運が続いている間に逃げる、それが無理なら本当に死ぬ。だからこの時期は互いにけん制しあうことすさまじいのだ。
それにしても、改めてこの巣ってすごいなぁと思う。出世してくれ、絶対嫌だ、これが毎年の状況だからなぁ……。まぁ、妻帯者と病弱者を優先的に出してほしいとは思うが…ってここは難破船かよっ! と、そんな常識外のやりとりで秋を感じる今日この頃でした。
で。そんな”出所”をめぐる熱いバトルが繰り広げられるその後ろで、裏門出所という裏技を確保し、といってそれを発動させるかどうか迷っている私でありました。正式出所まで命が持つはずがない、だったらそんな狭き門の正式出所を狙った競争をするより、とっとと放棄して裏門出所を狙ったほうがどれだけ良いか。それが、私の根本的な考えだったりします。だから正式出所につながるような行為は一切してませんが(その分裏門出所の方に力を注いだので)、ただこの裏技、発動時期を誤ると正式出所の人数を減らすことになるから、正式出所の人が決まるまで表に出せないんだよなぁ……。はてさて、どうなることやら。私の裏門出所で正式出所の枠が削られた、なんてことになったら殺されたって文句言えんぞ……。
というよりも、今年の松尾山はかなりきついぞ。はっきりいって、この状況で寝返りをするか、と言われると……。それ書くと暗くなるんで、またいつか。はい。
でも、夢を本気で追いかけて失敗した人間の末路は、最後まで聞いたことがなかった。私自身勝手にあて推量していた部分もあって、たとえはたから見たら不幸でも、その人にとってはどういう境遇でも本望……そう思っていたけど、果たしてそれが本当なのだろうかと思う。普通に暮らしていても、昔の夢を思い、その夢を追及できなかった自分を悔やんでいる人を大勢みる。でもそれは今の自分が衣食住足りているから見れる夢なんじゃないかな、と考えてしまう。「人生はお金じゃない」、成程それは勿論そう、でも「それがない生活をずっと続ける日々を送ることが幸せか?」、となると、今の私はそう簡単には納得できない。昔は当たり前だ、って簡単に納得できたんだけどねぇ。
完全に職業病だわ、これ(笑)。
そういう人ばかりを見てきたから、その末路がどれだけ悲惨で苦しいものか知っている。敗れたけれど夢は追いかけた、成程その名目は確かにきれいかもしれない、しかしその先に待っているのは一家離散であったり病であったり、とてつもなく不幸なものばかりだった。金がなくなれば喧嘩もし、そして身内の間も冷えていく。情愛だけで何とかなる事はあり得ないな、という事を今の職場で骨身に沁みた。やっぱり日々の職に困れば人間イラつくし、そしてそれは人間関係を壊してしまうし、人間関係が壊れればやがて体も壊れていく。
そして、負は連鎖する。一度負のスパイラルに入ったらもう抜け出すことは絶対に無理。勿論本当に無理です、なんて口に出したりはしないけど、でも実際はそう甘くないことはひよっこの自分でもある程度分かる。派遣、日雇い、そしてその生活の中で人間の感性は摩耗していく。夢を持ち続ける心は生活の余裕がなければ持ちえない、体にも栄養を与えなければ心もささくれて死んでいくんだ、という事をいつも痛感している。今こうして再び松尾山に陣取って、自分の人生を当初の予定図に戻す最後のチャンスを手に入れた。だからこのまま勢いにのって突撃、今度こそ裏切るぞハハハー、と思ってみても、家賃契約とかそういう事を考えるとどうしても手が止まる自分がいる。自分って実は飛び切りのアホなんじゃないかな、なんて思ってもいたりする。(まぁ、逆に言うともうそんなこと考えているのか、という事でもあるんですが)。
そこを乗り越えた人間こそ夢に届く、と、世の中の人は言うかもしれない。でも、それは違う。ぎりぎりの線を未練で突っ走った人間の99,999パーセントは破滅で終わる。突っ切る前に考えた、今のままとどまれば緩やかな死、どころの騒ぎではない。直接命の危機が迫るのだ。その時、過去に夢を持っていてそれを奉じていたという事実が何になろう。束の間の居酒屋の自慢話のネタになったとしても、その道すがら2・3万円の家賃の家に帰るその身は落ちぶれ果てていて、厳然とした寂寥がそこにある。社会から外れた疎外感、二度と戻らない過去の自分、たとえそれが夢をあきらめて安定を選んだ情けない自分でも今よりはるかにましな自分……、その時まだ夢を抱えられるほど人は強くないことを、この職について話を聞き、思い知った。
ひょっとすると、これってマリッジブルーみたいなもんか? 要するに物件探して地の利調べて、いつ切り出すかと考えているうちにこういう思考に到ったわけで。でもこの思考がそんな冗談で済まされない現実であることを、私は本当に思い知っている。ハッピーエンドがないんよ、この仕事場。結局かならず破滅で終わる、そしてそこから立ち直れる人間なんていやしない。立ち直らせろ、と言われても正直言ってほぼ無理だ。すでに勝負は決まっている…いや勿論そうじゃない人もいるけど、でも大抵が努力が何も意味をなさない人ばかり。実は応援したり叱咤している自分が一番白けている、なんてことは口にとても出せたりはしないことだけど。仕事だから言っている面もあるんだよ、可能性のあるなし位は、私でも少しは分かるから。
果たして私にその覚悟はあるか? 積年の夢に区切りをつけるか、それともあくまで心中の道を選ぶか。私の選択は? 秋の夜中、そんなことを考えておりましたとさ。ほんと、食ってくっていうのが重要なんだよなぁ世の中って……つくづくこの職場で思い知らされた。家があって、食べるものも用意できて、自分の布団で眠ることが出来て着るものもあって。それが最低限ではなくて最大幸福であるという事に、最近になって気づいた。これが当たり前じゃない、ってこと。ああ、もう完全に職業病だよこれはさぁ。
ただ私は、何があっても見ず知らずの人間を家の奥まで入れる気はない。
自分の生活、考え、行動を他人に報告するつもりもない。
一昨年、現職継続か教職復帰かで散々日和見を企て、内通した挙句結局実際の謀反には踏み切らずに旗を降ろした、というあの暴挙。それ以来当然現職でもそれなりの扱いを受け、それを何とか打開したいと思っても一度内通を企てた上にその約束を反故にしたという事実が重すぎて、内通を申し出た相手にはずっと振られ続けてきた。いや実際はいくつかあったんだけどその条件は…というものばかりで実質松尾山に戻る事は出来ず、ただ唯々諾々と目の前の仕事をこなしてばかりいた。しかし……神はいた! いや、阿呆な私のバカ踊りをもっと嘲笑したいと願う、気まぐれな悪魔の仕業か? とうとう一昨年ぶりに松尾山の奪還に成功!! しかも前回と違って自分の主要エリアである社会科で、一応きちんとした雇用体系でもあるときた。
苦戦の連続だったけれどとりあえずようやく報われたわけで……いやほんともう、しんどかったです。有給休暇の理由が全部これ、という実質的無休状態(いや好きでやってるんだから休みの範疇に入るんだろうけど)の中、本当に疲労困憊の中、ようやく再び獲得。通算で12勝目? いや、正確な数は分からないけど、とにかく今回は本当に疲れた。まさかここまでズタボロにならなければ松尾山の奪還が出来ないとは…一体何度、どうして自分はあの頂を放棄したのかと嘆いたことか…。
ただ。松尾山松尾山と言っているけれど、今回は前回と違ってぶれるつもりはあんまりない。理由は至極簡単、未来の自分が自分の姿に耐えられなくなるのが目に見えているからと、自分だけの宝・武器を見つけることが出来たから。今の私なら、昔よりもずっと真実を伝えることができると思う。そして悲惨な運命の再生産を少しでも食い止めることができると思う。実例をいっぱい見てきた、様々な末路に触れてきた。同じ轍は決して踏ませたくない、そういうまともな思いもあるし、私が訴えてきたのはこの一念だった。若くないのは分かるし、何この履歴、という反応もわかる。ただ今の自分に出来ることを見てほしい、というかなり感情に偏った戦いを続けてきたこと、そしてそれが本気だったことが勝因だったのかな、と思ってる。
さて、まずは身辺整理とこれからのことをゆっくり考えますか。前回の松尾山の時は散々迷って狂った挙句、母校に散歩に出かけて内通を決意、踏み切ろうとして先輩の忠告で土壇場で踏みとどまったという極めて危ない経緯がある。だってあの時本当に悩み尽くして街中さまよった挙句、電話で決めるという状態だったからなぁ。でも、あのまま英語で突っ走ってたらどうなっていたことか…、なので今回は今からじっくり考えるつもり。現職継続の選択もあるけど、ただそれには私の中での絶対条件があって、それが実行されればいいけど(いいんかい!)可能性はゼロに近いんだよなぁ……。再び都落ちするというのが結構痛いけど、もう都は十分楽しんだからいいです。
ほんと、でも疲れた。しかし……結局私はどっちを選択するだろう。内通するならこれがラスト。もう次の機会はないと肌身で感じているから、ここで内通しないなら今の状態が確定になる。ただ内通して挙兵した場合、今度はそっちで一生やっていくことになってくる。もう今までのような都再奪還とかいうバカなことはできないから、そこで生涯を捧げる事が確定する。出来ずに失職すれば…次にもう私に職はあるまい。現職もいつまで雇用されるかわかったもんじゃないけれど、どちらの雇用が長続きするかを考えると、それは現職のほうが強い気がする。残念ながら、これは確か。
無職の貧困というリスクを背負って夢に賭けるか、過去を冷静に分析して夢は夢として整理して現実を優先するか。結局また悩むだろうなぁ……長く。
流行り神から始まりとにかくノベルゲームが大好きな私としては、是非ともその勢力を広げて、もっともっとそれ系のゲームを出してほしい。ということで昔からノベルゲームだけは新品で買うようにしているし、これも新品で買って、最近ようやく終わらせた次第です。前作はとても面白かったので今作にも期待しましたが……うーん、オム二バスというからそれぞれのキャラが救われるかと思いきや「はい死亡、はい死亡、結局みんな殺しまーすっ♪」というものを見させられるだけに終わった。殺人・悲劇の押し売り7連発といった感じで、途中で嫌な意味で辟易してきた。これがホラーというか怖いという意味で辟易してきたんだったらいいんだけど、あまりの殺人劇の多さにだれてきたというのがやっぱりなぁ……。
「結局死ぬんだよ」「結局死ぬんだよ」「昔こうだったよ」「結局死ぬんだよ」「結局死ぬんだよ」「結局死ぬんだよ」というオムニバスシナリオが羅列されていて、それでもノベルゲーが好きだから続けていったけれど、最後の「ブックオブシャドウズ!」で力尽きた。どうして廃校監禁ホラーでやってきて魔女狩りが出てくる。魔女狩りは何でも許される=魔女狩りだったから仕方ないじゃん、と言える免罪符じゃねーんだぞ、とプレイしていて思った。魔法陣で形代はやめようよ……なんか一気に萎えたというか、儀式用の皿一つとっても魔法陣でやるんだから西洋風にするとかさ、もうすでに魔法陣出された時点でずっこけだけど、せめてそこでの統一はとってほしかったと思う。今書いてるのって一応隠しになっている8章の話なんだけど、ここまで書いて力尽きたのかな、それとも監修が間に合わなかったとか。とにかくこの8章だけは何とかしてくれと思った。しかも終わりが「つづく」、でも前作の最終エンドで一応サチコさんは成仏したんじゃなかったんかい、だったらいったい何を続ける気なんだ、というのが私の感想だった。
あと前回も触れたけど、差別意識が強すぎるどうもなぁ。特に第八章の「ここは精神病院だったから霊が余計に集まりやすい」というセリフは、告訴されて当然の人権侵害の極みの言葉だと思って不愉快だった。どうして精神病院だと霊が余計に集まりやすいのか、どういう理屈でそうなるのか。まさか恨みつらみが余計残るとか元々霊が取りついて精神がおかしくなっていた、とか言うのではあるまいな。この手の偏見にどれだけ現役の統合失調症患者が悩まされてきたことか。それをゲームという子どもの手に渡るものに新たに安易に書き込んで、「うわぁ、怖い。精神病院ってそういうところなのね」と差別の再生産をやるつもりなのか。あまりに安易で、かつ差別的で腹が立った。これだけで会社ごと団体から告訴されて当然だと思うけどなぁ……実際の閉鎖病棟では本当に医師も看護師も全力で介護看護にあたってる。勿論相手の中には訳が分からなくなっている人もいるから患者が感謝をすることはあまりないかもしれない、でも、少なくとも恨まれるような事はしてないし、誠心誠意尽くしている姿を私は何度も閉鎖病棟に行って目にした(同時に何度も助けられた。あそこに勤めるスタッフの心の力は本当にすごいと思う)。それを「精神病院だったから霊が多い」だと? 本当にふざけるな、とノベルゲームの発展を祈る立場でありながら、相当不愉快な気持ちでやってた。
そして前回も書いておいたけれど、あの世界は確かに人間という生命種には絶望でも、ハエやら森林やら他の動植物はきちんと天寿を全うしている。蛆虫がいるということは、ハエが天寿を全うした証であり、森林があるということはこの特異空間ながらも植物の命は保障されているという事だ。これのどこが死の世界だと? 成程学校から異世界に飛ばされた命は多いかもしれない、それはほとんど死んでしまうのかもしれない。だがそれによって生まれる命、といってもハエやらゴキブリやらの話だが、それはその命に比べてはるかに多いのではないか? にも関わらず死の世界とか全てが死に絶えるとか笑わせる。あの空間はあの空間で食物連鎖が成り立っており、十分生命の世界となっているのだ。それとも何か? ハエや植物の命はモノか? 単なるギミックか? 人間のことだけが重要で、人間がいかに怖がって死ぬか、そして生き残るかだけが重要なのか? それじゃあアメリカの世界を救うぜ何故か最終決戦地がいずれもアメリカ、という自己中御都合主義と変わらないじゃないか。
いずれにせよ、白けさせるというか、「あ、これ物語だ。現実じゃない、嘘だな」と再認識させてしまう部分がかなりあった。やっぱり第八章は余計だろう…普通あれだけ死にかければそれなりの準備をして戦いに臨むのが筋じゃないか? 勿論そういった物語であるからこそのギミックもあっていいんだけど、でも一方その前の章で「結局死んだ人は死に続けます。より残酷に死んでいくんですー。解決方法? ないです、何度もただ死ぬだけでーす」とやられているから余計その手抜かりには腹が立つし、だいたい学校内で起こった事件を学校外の訳の分からない呪術で解決しようというのでは全然面白みに欠ける。惨劇の舞台から離れた山奥で魔法陣作ったらハッピーエンドっ! で誰が喜ぶというのだろう。それに命というものを簡単に扱いすぎだし。というか魔女狩りについて本当に調べたか?私の専門は日本史だけど魔女狩りって(以下強制削除)。
兎も角、操作性の極端な悪化も伴い、かなり不愉快なゲームだった。だから95点、ええ、それでもノベルゲームは好きですから高いですよ点数は。色々な人が買えばより多くのゲームが出てきますし。私も続編がもし出たら間違いなく買うでしょうし。でも…やはり赤川次郎先生が復活しなければダメだと感じだ。どうして夜想曲・月の光から撤退してしまったのだろう。かまいたちも何か新作が出るっていうけど、前回のこともあるからどうしても信用出来ない(かまいたち2は最近面白さがわかってきました。あれだけの物語を詰められれば神です)し。やはり餅は餅屋、作家として名を馳せている人しか面白いノベルゲームはできないのかな、と思ってる。勿論私はこのシリーズが発売されるなら追っていく、でも赤川次郎先生のノベルゲームの再開を望んでいるし、流行り神の復活も望んでる。その為の募金としてこのゲーム買いました。
一日も早く、ノベルゲーム界が広く認められ、多くのコンテンツが出てきますように。携帯ゲーム機に最適だし、本当に整った文章の書ける人のノベルゲームは面白いんだから。有川浩先生とかノベルゲームやってくれないかなぁ……そんなことを思いつつも、絶対に続編を出してほしい、出たら即座に予約の体制を整えている今日この頃でした。
追伸。このゲームD指定の割に死体がたくさん出てきますが、別に気持ち悪くはないです。体が溶けた死体とかもなったし。腸とか飛び出てますけど、内臓が形をとどめたまま散ってるなら何も問題なしです。本当に危険なのは半ば液体と化してるやつですが(ちなみに未だその写真照合だけは仕事として慣れることできません。溶けた顔なのに蛆だけは特定の部署にわいていて……ああそこが美味しいんだなぁ蛆にとっては、と思わせるような写真です。でもそこまでくると、もう液体に近いですからね)、そういうものはありませんでした。だから全くグロくはないです。アップになるのはせいぜい死後数時間かそれともよほど時間が経っているかのどちらかで、目を見開いて死んでいるの位ですから。はい。
たとえば某電力会社の賠償説明書等見てると、まんま大日本東洋拓殖会社のパクリである。日本が半島側と熾烈な生き残りをかけた戦争を終えて占領を開始したとき(←ここ重要。半島は決してされるがままの弱体政権ではなく、日本と生き残りをかけて何度も戦争を交えるほど強い主体だったのである。実際半島の計略は見事の一言で、この半島の計略によって中国と戦う羽目になった挙句ロシアとも戦う羽目になった。互いに生き残りをかけた戦いの結果であって、その勝敗はあくまで兵家の常でしかないのである)、半島曰く土地の強制収容を行ったという過去がある。勿論そんなことが史実であるわけではないのだが、ただ現実的にはそれに近い様相ではあった。日本が半島を占領した時改めて土地所有権の確定の為に所有者に書類の提出を要求したのだが、この書類の数がかなり膨大。しかも当時の半島は事実として文盲率が高かったのでかなりの人間が記載せず、また「記載しなくても大丈夫」という噂が流れたもんだから書類の提出をかなりが控え、結果合法的に日本が地主の権利を消滅させることができたのだ。
今回の電力会社の賠償説明書はそれを狙っているに違いない、私は妄想半分ながらも実はそう考えている。いくらなんでも説明書で100ページを超えたらいかんでしょうよ……私だって面倒だから生活が絡まなければ読まない。それに添付する書類の多いこと多いこと、そんなもん用意できないし大体手間がかかりすぎる。しかしそれをしなければ賠償はもらえないし、またそれをしない人間には賠償しなくてもいい=権利を与えたのに自ら放棄したから、となるわけでしょ。まんま拓殖会社のやり方と同じじゃないか、としか思えない。だからああいう説明書が出たときは四の五の理屈を言うのではなく尻を蹴り上げて「バカな事さ言ってねーで仕事しやがれ」といえばそれでいいと思うのだ。
あと煙草。私は煙草が大嫌いなうえこれで去年一年棒に振ったので(10分いると汗がアイアン・スエッドに変わるという地獄部屋を二連発で行って肺を盛大に壊し、その後今までずっと治療中。空気中のニコチン濃度がすごいから汗に溶けて茶色になるんだよね、窓開けろと言っても相手は全く聞かないし…)、煙草の値段が上がろうと下がろうと私の知ったことではない。しかしだからといって喫煙者が生きようと死のうとどうでもいいとまでは言わないし、さらにどうしてそれが大臣から出るのかは全くもって理解できない。これなんかも四の五の言うケースではなく、バカなことさいってねーで仕事すべぇや、と言えばそれで済むことだ。
理屈は煙幕である、と私は思っている。理屈が長い、説明が長い場合は必ず隠したい何かがあると思ってる(私がやっぱりそうだしね…)。本当に何も隠し事がないなら説明は短くなるし、それに断言もすぐできるようになる。それができない、長いというのはすでに煙幕を張っている証拠であり、かつその煙幕に付き合う必要さえ実はない。煙幕を張ってきた相手への対処法はただ一つ、その煙幕の色なんか気にしないで、それを焚いている人間に一発気合を注入すればそれでいいのだ。
それにしても今日は台風。どうして自宅に無理して戻ろうとするのかなぁ…帰宅難民になったのはついこの間だった気がするぞ…。それなのにどうしてまた同じことを…。
で、私は忙しいやら風邪を引いたやらでその画像を見てはいないんだけど…やはりというかそんな事をするんだから当然大阪の採用基準に異議申し立てがある、という。ただ漏れ聞く情報の限りだと試験に関してかなり不真面目なことをしていたと聞くし、面接でもあまり真面目な返答をしていなかったともいう。そこがどうもひっかかるというか……本当に採用基準に問題を感じ、告発をかける思いが強いのであれば、何とかして一次試験は突破しようとすると思うんだけどなぁ。各自治体の本音、それこそまぁもう書いたら私も同じ目に合いそうなどす黒い本音が飛び交うのは二次試験で、ここの状況が流出すればもっと大きな問題になった気がする。本当に黒い、というか採用側は大まじめだから。
どこの職場、どこの試験会場でもそうだけれど、試験を重ねれば重ねるほどに面接の内容は厳しくなる。和気藹々になることもない、とは言わないが、それは面接をして半分以上過ぎてから。相手にいくらかの安心感を与えてからがほとんどで、最初から優しい面接なんてお目にかかったことがない。それもそのはず、たとえば二次面接であった場合、ここで合格を出した人間を最終面接=私立であれば理事長の目の前、に送るわけだから、そりゃ生半可な人間を送り出すわけにはいかないから必死になる。そして最終面接、これは失敗すれば人事的に大損するんだから絶対に手を抜くわけにはいかない。とにかく相手の内情を知ろうとするし、そのために鋭い質問もかなり食らう。私なんてもう7年も戦ってる状態だから一体どれ程えぐい質問を食らったか(笑)。詳細はたぶん去年の同じ時期の日記に書いてあるから繰り返さないけど、本当にひどいところはひどい。私も面接官をやったことがあるから気持ちはわかるのだが、それでも腹が立つのは腹が立つのだ。
実際今年も、まぁ裁判に出たら勝てるような質問というか罵詈雑言を浴びて帰ってきた。「お前みたいな人間に関わる人が可哀そうだ! 今すぐ今の場所から失せろっ!」、まーそういう考えもわかりますが、言ってることが人間としての存在の否定であるって本当に分かっているのだろうか、と思う。勿論これは伏線というものがきちんとあって、私が発した言葉に対して相手が怒って出た言葉だけど、でもこれはやっぱりひどいと思う。それこそこの部分だけ切り取って流せば大問題になる気がする。
ただ思うのは…そうまでしないと適性ってわからない、って事だったりする。学校の先生の場合は生徒と接する訳なんだけれど、生徒がその先生を好きになるか嫌いになるかって、要するにフィーリングが第一と思う。学歴がどうだからとか努力がどうだからとかの背景も考慮しないし、それにいちいち理屈立てて私はこの先生が好きだ、嫌いだ、なんて考えもしない。パッと見て話して、フィーリングで先生の好き嫌いは決まる。そして背景がたとえどういうものでも集中的に嫌われる先生はいて、しかもそれはフィーリングだから事前に見抜くのはかなりきついのだ。
勿論嫌われる性格でもその人が教育術に優れ、かつ周囲に相談できる人格であるなら問題ない。ただフィーリングで嫌われる人間の場合そもそもそこら辺に難があるわけで、それを面接で見抜かないといけないのだから相当相手の質問もきつくなるきまってる。この人は大丈夫なのか、使えるのか。生徒の裁定はフィーリングであるのに、面接では理詰めでそれを判断しなければならない。ここに根本的な差異があるのであって、だからこそ面接では厳しい質問をしなければならないのだろうと考えている。特に現在は数値で結果を公開しなければならない…元々フィーリングで決まる要素を数値で何とかするというのは大変なことで、だからこそ質問内容は過激にならざるを得ないのだ。
そうとでも思わない限り、納得できないもんねっ! 「お前もう社会の誰とも関わるな!」とか大きなお世話じゃ! 誰がお望み通り引きこもってなぞやるものか。指摘の通り私が罪深い人間であることは認める、でも、私は一度たりとも現在の仕事の手抜きをしたことはない。教員採用に全力を注がなければならない一方で、どうして精神衛生学に手を出しているのか、一つの仕事をこなすのにどれだけ私が悩んで決めるか…それが私の答えの全て。成果のレベルはともかく、今の仕事に私の怠惰は全くない…それだけは断言できる、私の真実だから。
…とまぁこういう展開になるので、より修羅場鉄火場なのはその次だと思ってます。
例年だとだいたい12月から3月までに集中するんだけど、どういう訳か今年は夏に”旅”に出る人が増えている。旅、そう、旅なんだ。癌だの何だので苦痛まみれになった肉体を捨てて、意識だか何だかが天に昇ってゆったりまどろむ。そんな形で空に旅行に行った人が最近やっぱり多くなってる。特に今週は何人扱ったかなぁ……ほんと、節電という殺人行為はいい加減にしろと強く思う。節電で公共機関が冷房を弱くするから、一日単位で見た総合として体内の温度が上がるようになって、弱い人から死んでいく。ほんと、冷夏に助けられているとはいえひどい話だとしか思えない。
まぁ今週の場合は……ある意味で予定調和だったのかな、とも思う。私はそんな予定調和だけは絶対に嫌だったんだけど、でも医者の見立ては「三か月から六か月でしょうね」という言葉だったから、結局それが正しかったんだろうなぁという事になる。その人は下限の三か月は乗り切ったけれど、ちょうど四か月半で空に旅に出た。元々三か月は超えてみせるっていうのが目標だったから糸が切れたのかもしれないけれど、出来るなら医者が上限と判断した六か月を超えてほしかった。というよりもやはり数多くこなす医者の発言というのは慣れから来るのかとても残忍で、三か月って言ってますけどまぁその辺りじゃ死なないでしょ、でも六か月は絶対生きてないです、と調査に行って言われた時は、いったい医者という職業の人間はどれほど<自主規制>な連中なのかと心底思った。
だからこの<自主規制>共を見返す意味でも頑張ってほしかったんだけど、でも三か月過ぎた時に会いに行った姿を見たら、そんな事言えんわ。詳細は書けないけれど、もう本当に無残な状況になってた。元々時間が残り少ないのは分かっていたから私は何としても行きたくなかったんだけど(私が行けばそれだけ人生の時間を私ごときに裂くことになるから)、それをやり続けてとうとう発覚しての面談。何というかもう絶句というか……どうしてこんなに死ぬのに苦しまなければならないんだろう、としか思えないような状態だった。私は安楽死論者じゃないけど、もし「死なせてほしい」とあのときあの人に言われたら私は一体どう思っただろう。勿論私に出来ることは何もない。でも、あの時私は明確に、もう頑張らなくてもいいんじゃないですか、とはっきり思ったし言いそうにもなった。
だから空に旅だったと聞いたとき、これで良かったのかな、とふと思った。勿論良くはない、良くはないけど…現実との妥協の中で、これが一番の形なのかなとは思ってる。ま、しばらく日本も乱れてますので、転生はもう少し後にして、今はのんびりと青空を漂っていてくださいな。病苦に長い間苦しんだんだから、それ位する権利は誰も止められないんだから。
お疲れ様でした。よい、旅を。
……私が今の仕事で一番嫌なのは、暴力や伝染病よりも、こういう言葉を吐かれる事だ。胸にズシリと落ちて、記憶の中から消えてくれない。というのも私は、相手のその言葉を否定したりはしないから。
だって、余命はもう一年ないんだから。
そんな人の現実認識を糺したところで何になるだろう、私はただその人が一日でも穏やかな時間を過ごしてくれることだけを願って、ただ、楽しい話をして帰る。仕事は仕事としてきちんとやってはいるけれど、でも、私はせめてわずかでもその人が死に向かうときに穏やかであってほしいと願う。これはとても本質的なもので、利害も何も存在しない。ただ死に向かう命に対して苦しまないで欲しい、妄想でも宗教でも何でもいいから、救われる何かを持って欲しい。それは仕事ではないかもしれないけど、人間として、出会うことは縁だから、当然やるべきことだと思ってる。
ただこれが、正直キツイ。
「もうモルヒネも効かないんですよ」。その状況を知っていたから、私は家族との大事な最期の時間を潰したくなかった。それがたとえ5分、10分でも嫌だった。実際、この人に関する私の揉み消しはかなりのもので、実に半年以上会いに行ってはいなかった。だって、他人を家に上げるの嫌でしょ。だからずっと行かないでいたけど、それが今回は仇になった。結果的に防ぎきれず最末期の時に行く羽目になり、そして黄色い肌、シャツの下にバスケットボールでも入れているのかと思える程腫れた腹部の相手に出会った。本当に、あの時は後悔した。やはり私は行くべきではなかった。何とかしてごまかし続けるべきだった。私が、その場面に立って、一体何を語れると?何も語れない……それは私が宗教を全く信じてないから、だと思う。楽観的な見方というものを持たないから、というのもあるかな。それに何を語っても薄っぺらくなるのが分かっていたから、だから私は何も言わず、ただ時が過ぎるのを待っていた。「まだ私は頑張りますよ」と消えそうな声で言われて、私に返せる言葉があるかっ……!
この巣に来て、本当に沢山の人の死に携わった。長患いによる死・溺死・凍死・自殺・心不全・癌……結構仕事始めて経つけど、未だに死んだ人の名前と命日とその人の経歴は全て覚えている。何ていうかな、耐え切れなかったんだよ。このまま誰にも知られずに終わる命がある、という現実に。死に物狂いで身内を探しても見舞いどころか興味もない、電話をすれば怒られ、あるいは「で、遺産はあるのか」と言われる始末。だから私がたった一人で看取るようなこともあった。そして私の仕事が終わればこの人の人生は誰にも知られる事もなく倉庫にしまわれ、やがて廃棄されるけど……それがどうしても耐えられなかった。だから本当に馬鹿な事だけど、死んだ相手に関しては記録の全てを最初から読んで記憶するようにしている。その人がどういう人生を歩んで、どう生きたのか。私が覚えていても何にもならないことは分かっているけれども、でも誰か一人だけでもその最期を知っている人がいてもいいではないか。人間は微笑みの中に生まれて、家族の涙に囲まれて死んでいくものではないのか?違うのか?現実は違うんだろうさでも私はそんなの認めない。少なくとも私が見えている範囲に関しては絶対ダメだ。
だからこの夏、実はとても憂鬱だったりする。ああ、もうすぐあの人の一周忌が来るなぁと思ったり、多分節電で誰かまた死ぬんだろうなと思ったり。前述の人も医者の余命宣告は過ぎているから、もう……なんて思ったり。死ぬことを止めることは出来ないし私が思っていても何も変わらないけど、でも私の心の中に確実に澱のように、故人の記憶は溜まっていく。私がこの仕事に向いていない決定的な点、それはその溜まった澱を捨てられないこと。医者じゃないからね、私は。そう簡単に死を割り切れない。でも次々と天寿は来るから、このまま抱えていけばオーバーフローになるのは確実だと思ってる。何というか、意外とそういう部分で私はやわだったみたいだ。色々変なことを話しておきながら、結局土壇場でこういう発想をする。捨てきれないんだよね、やっぱり。そういうことがあった時に飲みになんて行けないし、故人のことを職場で軽々に話す風潮に我慢が出来ない。
命に格差はない。富める者も貧しいものも、全ては天のめぐり合わせ。努力だ何だと言ってるけれど、結局それも天の巡り合わせなのだ。それに私は、こういう結末が待っているのを知っているから、他の人に比べて相当甘い。今どれだけ暴虐であっても、滅茶苦茶であっても、やがて遠からず孤独のうちの死がどんな相手にも襲い掛かる。多少暴れて自分の得を得たとしても、そのちっぽけな得が一体何になる。制度に守られているということはある程度の幸せを確保することでもあるけど、それ以上の幸せを手に入れられなくなることも意味する。だから細かいことをやってごねている人を見ていると、怒りより先に悲しくなる。それでいいの、と。貴方の人生はそれでいいの、と。臨終の床で後悔しない?涙で枕を濡らさない? 親は貴方にどういう希望をこめて名前を与えたか考えたことはまったくないの? 細かい得を積み重ねて金を得る、それをしたきゃすればいいよ。でもその先に何が残るの? 家に帰れば一人、部屋の中で誰とも交友のない生活が続く。本当にそれでいいの? と、私はまずそれを思うから、だから誰よりも甘いし、また一方で制度適用に関しては厳しい。苦しいのは分かるけれど、こっちにはこないで、そっちでどうか踏ん張って。そうどうしても思うからだ。
だから私は、基礎的知識の完全習得を教育の場で目指したい。学歴は絶対軽視させない。何があっても高校は出てもらう。その後大学に行かないというのなら、絶対に手に職を得られる資格を取ってもらう。そして人と人との絆を大切にする心を、強制的にでも育てたい。絶対不変の絆はない、どんな絆も大切にしなければいずれ必ず消えてしまう。だから有無を言わさずに協調性は学んで貰う。そして基礎的な関心・意欲・知識・分析力、これも絶対に持って貰う。もうこれ以上、毎日仕事で見ているような人たち、その悲惨な人生を世の中に出してたまるものか。私が現場に届けるのは現実の過酷さと、すでに人生を終えてしまった人間の無念。見ていて本当に嫌になる。貴方達は年上だろう? たとえどんな人生を送ってきたとしても、人間としては先輩のはずだ。それがどうしてあんな態度に……まぁこのことに対して私が本気で怒っているのはむしろ巣の同僚の方なんだけど、大学ぽっと出の人間にへーこらする人間を見たくはない。そして、高圧的な同僚を見てると心の底から反吐が出る。それは人生の先輩に対する態度ではない。偶然サイコロの目がよくてここにいるだけなのに、一体何様のつもりなのか、と。
だから私は、徹底的になんと言われようとも教えるべきことは教え込む。そしてその覚悟ある限り、若い奴には絶対負けない。負けられない。なんとしてでも、この現場で培った経験を教育現場に届けたい。その為だったら何だってする。最早手段を選ぶつもりはないんだ。
通算7年目となるこの戦い、今年は最初から飛ばしていきます。
アメリカ・イギリス・ロシア・中国・インド、どの国の人に対してでもいい。その国の人の国旗に敬意を払わないという態度を仮に取ったとすれば、それは完全な手切れを意味する。貴方達と仲良くしたいですでも国旗は尊重しません……こんな選択肢は絶対に通らない。相手の国旗を尊重しない=相手との完全な手切れ、それが世界の常識であり、尊重しないという選択肢は始めからない(断絶したければ別だが)。相手と友好的にやっていきたいと思うなら、そこに国旗に対する選択の余地などないのだ。
それを教えなければ、国際社会で困るのは生徒の方な気がする。国旗とは言え別に無理に尊重しなくてもいいんだ、内心の自由があるんだ、などというノリでアメリカ行ったら無茶苦茶なことになる。言うまでもなくアメリカの星条旗に対する思い入れは強く、たとえば何かの席で星条旗を素通りしたり貶すようなことをしたなら、もうそれだけで非常識と思われ、商談があっても全くダメになる。国旗は国そのものであり、それに敬意を払わないということは相手を全否定すること。それをしっかり教えなければ、国際社会でとんでもない目に会うだろう。
あともう一つ。そう単純な問題ではないのは分かるのだが、雇い主の旗を尊重しないのは別に構わないのか? 日本社会の一般常識でも、普通自分の会社の社旗に敵意を払ったら追放もんだと思うのだが。成る程その行為が立派だったとしよう。しかしそれを子供が社会で真似たらどうする? そんな行為が通じるのは学校の時だけ、会社や国際社会でそんな事をすれば袋叩きにあう。そのようなことを防ぐ意味でも、国旗や国家に対しては選択の余地はないのだ、という事は教えるべきだと思う。
日本は誰が政権を取っても「日の丸」のまま。でも他国は政権によって国旗が変わる場合が多い。国旗は自分達が苦労して奪取した政権そのものであり、そんなものを踏みにじることは絶対的に許されない。まぁ何というか……アメリカで同じことやったら絶対に干されるんじゃない、ということだ。
かっこう生活3年目。どーにかこーにか時間の都合を強引につけ、いよいよ戦いを開始する。今年はもう取ったら即行動に出る予定で、一昨年度のような日和見はしない。昨年度の体調不良も何とかクリアできる所まで回復した。自費でレントゲンを撮って見せてもらったが、ようやくクリア、問題なし。それにそもそも去年の話も、ぐずぐず引き伸ばそうとしたからこじれたものもあったわけで、だからそんな自分自身の未練を断ち切るためにも即座に行動をとるつもり。今のところ今まで唯一受験したことのなかった四国も挑戦してみるつもりで(他の地方は多分一度はやってる。北海道、九州、山陽もやってるしなぁ……)、ここも成立すれば即行動。
流石に3年目になって1年目と同じ仕事しか出来ません、しません、というのは通用しなくなっている。ただこのまま仕事が増えていけば増えていくほど本職に注ぐ時間は減るので、そんな本末転倒な事態は何としてもここで終わらせたい。全ての力を、夢に注ぐ。阿呆と言われても馬鹿と言われても、突進して全てのしがらみを切る。その為には、まず目前の戦いを勝利で納めること!
では、はじめましょう。内通野郎はどんな働きかけを受けようが最後までずっと内通野郎。外道の道を貫きます。
身分保障のあるなしは、人間の根底を大きく揺さぶってくる。たとえ将来の破滅が見えていたとしても、だからといって目前の身分保障は切れない。今の身分保障を切ればより 広いチャンスが見えてくる、それが分かっていても、今のままいってもいずれ滅亡すると分かっていても、それでも目前の身分保障は切れない。それだけ安泰、という立場は甘美なものであって、人間の自由を奪い、夢を狂わせる。全てを捨ててでも、というのが出来るのは挑戦者、即ち安泰な立場にいないものだけの特権的力。逆に安泰を一度味わってしまうと、全てを捨てても、という選択肢は未来が見えていても取れない。それほど利益の力は人間を大きく縛るのだ。
そして、万が一内閣不信任案が可決されたら、ほぼ間違いなく解散に打って出る。
組織の中で一番恐ろしいのはキレ者とか流言使いなどではない。自分はもうどうなってもいい、と完全に割り切ってるタイプの人間だ。自分がどうなってもいいと思っているから、周囲からどう思われようとも知ったことではない。上司の命令だろうが部下の都合だろうが関係ない、命令をスルーしてやりたいようにやる。これが少しでもこの場所に未練のある人間ならば知らないが、そうでなければもう上司が命令しようが周囲から圧力をかけようがその人間は動かない。というより、圧力をかけられれば逆上して爆弾抱えて突っ込んでいく。元々爆死上等でいて、自爆の道ずれを探しているんだから、圧力なんて渡りに船。そしてこういう人物が一番、極限に恐ろしいのだ。
ま、明日は何事もなく終わるだろうと思ってる。公明党にしてみれば選挙区全敗という大惨事だった以上、このまま終わるわけには行かないだろうし、次の選挙は選挙区全て取り返さないといけない。まぁこのまま行っても大丈夫な気はするのだが、それでもここで更に弾みをつけたいのだろう。ただ、それだけ。人間の身分保障に対する免疫の弱さ、そうそう変えることは無理です。80人でしょ、しかも。
食料が足りないから皆で分け合いましょう。足りない分は個人の努力で補いましょう。そんな綺麗な掛け声のもと、ここは皆で頑張って耐えるとき、自分一人の我侭を言ってはいけない、皆一緒にガンバロウ!という掛け声が広報の上では溢れていた。しかしそこで
「そもそもどーして食料ないんじゃ!どーしてこんな苦労せにゃならんのだ、誰のせいだ!」
という声は、ついぞ評価されなかった。配給制度なんてものになったのは当時の政府が訳の分からない食料政策をやって戦争をした結果だが、それ自体が攻められることは全くといっていいほどなく、逆にこういう素直な本音を言うと「どれだけ空気読めないんだ! 非国民」と言われていた。そしてその結果戦争が続き……大本営発表にだまされ……最後は最悪の結末を迎えてしまった。あの時もし、周囲からの「頑張りましょう!」の上っ面を跳ね除けて本音をぶちまけていたら、それが多数だったなら、きっと歴史は変わっていた。しかしそれが史実にならなかった最大の理由は、政府がそうならないように、苦しい時は皆で助け合うのが人間の優しさでしょ、と、「そもそもどーしてそんな苦しい思いをせにゃならんのじゃ!」という根本問題から目を逸らしたから。
それと今沸き起こっている節電の動き、戦時体制の配給制度と一体どこが違うというのか。
電気をおおっぴらに使うと人の目が気になる、うちも精一杯電気を使わないようにしなければ……これ、戦前の隣組と一体何が違うのだろう。争って節約に走る、でも本当に必要なのは節約そのものではなく、節約を強いた連中のつるし上げではないのだろうか。少なくともそれが出来なかったから、太平洋戦争は止められなかった。食糧配給制度が始まったとき、「ふざけんなこの野郎! 食料に不自由させるって何考えとんのじゃ!」という人が大半であったなら、日本は泥沼の戦争に足を踏み入れなかった、というよりも踏み入れることが出来なかったはずなのだ。
今一番必要なのは、節電ではない。それを強いた連中のつるし上げである。それをしないで節電をするなんて、やっていることは戦前のまんまではないか。あの時も食料が足りないという事実は変わらないからといって、配給制を唯々諾々と受け入れ、結果何一つ世の中を変えることが出来なかった。今全くそれと現象は同じ、節電に目を向けるのは結構かもしれないが、その前に断罪がなければ、あの時と同じ過ちを繰り返すことにならないだろうか。
節電をしない勇気。問題点のすり替え、及び風化を絶対に許さない意志の力。協力の美徳に騙されるべきではない。節電を否定はしないが、世の中の風潮に逆らって一切節電せず、「こっちが生活を改める謂れはない。節電をというのなら、まず問題の根本を解決せよ。”皆で節電しましょう”キャンペーンで問題ごまかすんじゃねぇ! 責任者の断罪が先だ!」、という態度を保ち続けることもまた、勇気だと思う。
今の節電に戦前の配給制度の匂いを嗅ぐのは私がやさぐれてるからか?
少し時間が空いてしまったが、前回からの続きを書く。大震災と言えばインプリンティングか呪いかと思うくらいACのCMが流れていたが、その時に流れていた”こだま”とやらの詩はあんまり正しくないように思う。正確に言うと、あれには明確に限度がある。ありがとう、というと人間結構疲れるんだよ……少なくともありがとう、と言われたらありがとうを返す、そんな生活ばかりしていたら心身ともに疲弊する。何ていえばいいかな、これは現職の経験から実感するんだけど、お礼ばかりしているとだんだんその原因がたとえやむを得ないものであっても、どうして自分はこんなに頭を下げなければならないんだだろう、心から嫌になっていく。これは当たり前の反応で、防げないと思う。だから今回のボランティアについては、ボランティアの定義そのものを教育しなおさなければならないような気がした。理由は、体験記後半部にて。
さて。目印を探して歩いた私だったが、その目印が一向になかった。流石に被災地である以上私の装備もそれなりに万全で、きちんと地図は持っていったし、どこに何があるのかも大体把握することが出来た。だから逆に見つからないことにだんだんと焦り始めて、またそれでさまよううちに訳の分からないところにでるようになって、ちょっとまずいかな、と思い始めた。この時既に私はガラスまみれの道を飛び越えようとしたらその着地点が沼地、足首を思いっきり痛めていたので本気でどうしようか考えてもいた。で、そんな時私は、もうこれで終わりかな、と思ってふっと、本当に何気なくふっとあたりを見渡した。そこは私が一度も見たことのない方角、何故ならそこは目印となった建物とは無関係な場所だったからだ。
しかし、そこに、あった。
10階建ての建物、が。
地面ごとえぐられて津波で流されていた。まさかここまでとは、と思って近づこうとしたが、その周辺はもう道すらなく、海水を半ば泳ぐような形で進まなければならなかった。勿論、そんなことは出来ない。私はその本当に用のあった場所に行くのを断念し、そのまま海岸に出た。そして、街を改めて見渡す。全て、瓦礫。宅地だった場所、そこにあった建物の残骸が全てその場所に”残って”いる。大空襲の跡、なんて話も聞いたけどとんでもない。建物は瓦礫として残り、明らかに再建の妨げとなってそこにあった。見渡す限りの瓦礫、そして直後に山。この瓦礫の凄まじさは多分一生忘れないと思うし、政府がアホだと何が起こるかも、永遠に忘れないと思う。その後海岸に出て、海を眺める。海は、本当にきれいだった。憎たらしいくらいに。海岸に近づけば砂の匂いで瓦礫の悪臭は消え、普通の海そのものだった。
ただし、そこの中には。
そう思った私は、その場で黙祷をして、そして途中様々な道を通っては失敗し、ずたぼろになりながら元の場所へと戻ったのだった。
そうして元の場所に戻ってみると、最初来た時出来た人だかりがものすごく増えているのが見えてきた。どうやら並んでいるようだが……最初に並んでいる人を見てから、もう3時間も経過している。それまでずっと並んでいたのか、と思って少し様子を見ると、どうやらそこで物資の配布があるらしい。その配布はどうやら正午からと決められていたようで、それに向かって人々は並んでいたらしい。でも正午と時間が決まっているのならどうして整理券を配らないのだろう。朝から並ぶのは相当に疲れる仕事、たとえそれが無償で物資を受けとるとしても、だ。本当に相手のことを思って炊き出しやるなら、それ位の事はして、相手が並ぶ時間を少しでも少なくすることは出来なかったのだろうか。
そんな風に思っていると、いきなり耳を疑うようなスピーチ。なんと「先着100人様にカニ汁サービス」という言葉が耳に入ってきたのだ。
なんだそれは! そんな並ぶことをあおるような真似を、わざわざ炊き出しでどうしてやるのだ! 他のもの何か特典的なものは先着何人と決められているようだったが、そんな事をすればどれだけ疲れていても並ばざるを得なくなり、結果負担を強いるだけじゃないか。あまつさえ物資を配るときには何か胡弓のショーがあるとか何とかで、その舞台セッティングで少し手間取っているからお待ちくださいとのアナウンスも。これは……そりゃ、物資を提供する側は体力も金も余っているだろうし自分のプランをきっちりやって自己陶酔に溺れたいのだろうが、やられた側にとっては苦痛以外の何者でもない。
その上正午直前になると、その場で小競り合いが発生した。どうやら横入りした人間がいるらしい。飛び交う怒号、ざわめく人々。それに対する炊き出し側の対応、被災者同士が騒ぎを起こしている最中だ……なんと、胡弓の演奏を先に始めます、といって楽器の演奏を始めたのだ。その「これを聞いて心を和ませてね」という雰囲気、なんという上から目線だろう。もし私が被災して何時間も並ばざるを得なくなって、その上こんな上から目線で演奏なんぞやられたら我慢できない。物資を渡すと言うだけなら、整理券を配ればいい、別に演奏もわざわざ予告してやることもない。当然その場は余計に悪くなり、なし崩しに物資を渡すということから始まることになってしまった。
この一連の状況を見て、私はボランティアってなんだろうなぁ、と強く疑問に思ってしまった。やっぱり宗教的土台がない日本には馴染まないのだろうか。欧米が掲げる拡大的戦争肯定宗教、キリスト教には無償の愛という概念があって、それをしたものは救われるとされている。一方防衛的宗教、イスラム教にもザガートという概念がある。その概念の最大の役目は「相手の施しを遠慮なく受け取ることが出来ること」で、相手は宗教的利益を得、自分は物資を得ることが出来る。言わばそれが土台にあることで奉仕がWIN−WINの関係になるのであって、だから必要以上に相手に膝を折ることはない。
ただし日本は違う。やったからといって何かが約束されているわけではなく、ただ譲り合いとかそういう義務的な事でしか相手への奉仕の利益がない。だから受ける側にしても、どうしても感謝せざるを得ない。向こうにも宗教的利益がある、という認識があれば普通に支援を受けられるが、日本の場合それがない。貰う時に相手が受け取る利益が存在しないから、その利益を自分で作らなければならない。それが感謝の姿勢、ありがたがる姿勢なのだが、これが本当に疲れる。そりゃ数日で疲れたら人でなしだが、数ヶ月も見ず知らずの人間、しかも良いことしたと言いたい、言いたいっ! と顔に書いてある上から目線の人間に挨拶し続けたら、そりゃイライラするに決まってる。
私がボランティアを「今ボランティアに行くのは当然、皆で行こうよっ!!(=あー、いい事してる俺サイコっ!! ああ、いい、いいぃぃぃ)」とボロクソに表現するのは、そのせい。それが見え見えだから絶対相手はイライラする。そもそも相手に好意の返礼を求める時点で無償ではない、バリバリの有償ではないか。逆の立場になって考えて欲しい、自分が家を失って本当に疲れた中、そんな手柄顔に挨拶し続けたら鬱屈はたまらないだろうか。私が見た限り、あれは本当に相手にとっては嫌だろうな、と強く思った。本当に無償性を求めるなら、物資を置いて、そのまま帰る。話したければ話してもいいが、相手の好意を期待しない。でも一番いいのは多分募金のみ、前から「ボランティアは雇用を破壊する」と考えていたが、今回にしても募金で作業員を雇って派遣したほうが雇用にも役立つし、被災者もその相手には”利益が発生している”と分かって接することが出来るから、かえって楽になったはず。そんな風に私は思うのだ。
やっぱり、現職でそういう人を見続けているから、今回のボランティアはとても残酷に見えた。貰う方も辛い、タダで貰うという行為もすっごく辛いの(実際は私が渡している訳ではないが、仕事を進めていると”ああ今自分は相手の尊厳を踏みにじっているんだなぁ”、という実感がして嫌になる。雰囲気が伝わってくる、って言うのかな)。そう強く思った今回の日程でした。
追伸:この日記を書くにあたって、かなり削除した部分があります。なので分かりにくいかも知れないですが、ご容赦下さい。原文は大分前に作ってあったんですが、まぁ自主規制ばっかりで読めるもんじゃなかったんで……。あと、この後に行ったもう一つの場所は全カット。散々な目にあわされたけど、今更風評を流したくもないので。
さて。途中まで夜行バスに乗ってそれからバスに乗ること2時間。ようやく目的地に辿り着いたが、バスを降りた途端いきなり車酔いのような気持ち悪さに襲われた。重ねマスクに防塵マスクと万全な状況で行ったにも関わらず、得もいえぬ匂いが脳みそを直撃して吐瀉物のないゲップを胃腸に対して強要してくる。兎に角、臭い。数分経ったあとで一体どんな匂いだったのか考えてみると、生ごみの腐った匂いと海水の腐った匂いの混ざった、およそ今までかいだことのない空気だった。「これが被災地の空気か」、事情が私の現在の住所と違うことは分かっていたが空気までとは……この時初めて私は自分が被災地にやって来たことを痛感した。「こんな淀んだ空気の中で暮らさなければならないのか……」私が一番最初に思ったのは、実はこんなことだった。
それからちょっと用があって市役所の方を見た後、横の広場に何人かの人だかりがあるのを見つけた。この時は特に何もなかったので放置していざ街の中へと進んだが、そこで先ほどの腐臭の原因を発見した。道のあちこちに大量のゴミ袋が放置されているのだ。どうやら撤去作業のほうは進んでも回収業の方は全く進んでない、商店街の天井は崩れ、天井から鉄骨がぶら下がっているような建物はざら。横にひん曲がってたり1階部分の支えが露骨に見えた鉄骨4本だったりと、その地震の酷さはよく分かった。成る程これでは、荷物を出すことも出来ないだろう。多分私が押しただけでも家は崩れるだろうし、いまだそんな危ないものが残っているとは、政府は何をしているのだろう、なんて思いながら海岸沿いへ。
海岸沿い。今回の地震で一番被害を受けたところで、事前情報ではほぼ全滅という話を聞いた。実際海岸線に辿り着くために乗り越える障害が道に乗り上げたボートとかびっしり敷き詰められたガラス片とか尋常なものではなく、また海に近づけば近づくほど、水溜りの水から塩の匂いを感じるようになった。大震災からもう2ヶ月、おそらくこの水溜りはあの時の残り香ではなく地殻変動で海から出るようになったに違いない。こんなところの復旧が果たして出来るのか、と思いながら歩を進める。海岸沿いにいたのは自衛隊のみで、通行人は誰もいない。私は抜け道に抜け道を潜り抜け、そしてようやく海岸沿いへと辿り着いた。そしてそこで見たものは。
「瓦礫の山」、ただそれだけだった。
360度視界全てが瓦礫の山。住宅地のスペース全てに瓦礫がどっさりおかれていると考えてくれたらいいと思う。荒野ではある、しかし、空襲後、原爆後とは全く違う。全ての住宅地に、その住宅の残骸が全て残っているのだ。そして広大な街にも関わらず、建物としての残ったのは数件、しかしそれでさえ全てのガラスが割られ、中は完全なカラだった。勿論いつ何が起こってきても不思議ではないし犯罪なので中には入らなかったが、コンクリートは階段のように段差が出来、あちこちに塩水の水溜りが出来ている。どこを見ても瓦礫、瓦礫、瓦礫。あいているスペースは全くといって良いほど存在せず、また住めそうな家も一つもなかった。
そして各家に張ってあった捜索済の紙切れが、ここで何があったかを物語っていた。省みられることのない人形、おちていた卒業アルバム、でもこの持ち主は果たして無事なのだろうか。そして一切手の加えられていない瓦礫の山。車が立てになって下の車の天井をぶちやぶっているのそのまま、というひどいもの。奥に入れば入る程、沼地と釘が邪魔をする。もしも怪我でもしたらそれで終わり、私の打つ手はなくなってしまうのだ。それでも私は前に進んだ、それは私が今回訪れる際のメルマークにしていたものがどうしても見つからなかったからだ。
次回日記に続く。
これに対して著名人の本などを見ていると、トラウマの暴走というまことしやかな解説が多くある。しかし実際は全然違うと思う、本当のところは「人間というのはそういうもの」なのだと私は思っている。いじめられている側も「いじめられている側の役割」が嫌なだけで、その実いじめは肯定している。そんな訳はない、と言われるかもしれないしそれにどんな根拠がある、と言われても、私はただ数多ある事実を示すしかない。どんなところでもいじめは起こりえるという現実。たとえそれがいじめ経験を受けた生徒のみを集めたコミュニティでも、だ。
特に今の職場は、「性善説は自己責任」というかなり厳しい状況にある。相手に同情して接しようとするならそこでの事故は自分の責任というやつで、実際私も刃こぼれした包丁で出迎えられた為に撤退をしたり、嘘の証言を警察にやられた為に他機関と警察の間を奔走したということも度々ある。観音像で頭蓋を割られ、鉄球で左膝を割られたこともある。それでも性善説を信じて右頬を殴られたら左頬を差し出す……絶対そんな事できはしないと思うがもしそんなことをすれば、腹部に刃物を突き立てられるだけの話だ。慈悲も真心も通じやしない。もしもそれに違和感があるというのなら、この仕事をすればすぐに吹っ飛ぶと思う。人間の本性は悪であり、利己主義である。善を標榜するのはそれが自分の利益、金銭的利益及び精神的利益(ああ、僕はこんなにいいことをしているぅぅぅ……ああ、素晴らしい僕っ! ああっ、いいいっっ!!!あああっ……といった精神的快楽を求めるだけの類。ボランティアも半分以上がこれに類する。だから受けた人間の一部はキレる、そういう自己陶酔の要素に本当の被害者は敏感だから)に繋がっているからであり、それがきえれば後は悪しか残らないのだ。
そこら辺がある程度分かっているから、私の巣ではあまりそういう活動が起こらない。実際その読みはあまり間違っていないようで、自然の流れとはいえモンスター化が始まっているとも聞いた。何と言えばいいのかなぁ、「1を渡せば有難がりながら2を求め、2を渡せば普通の表情で4を求め、そして4を渡せば当然の権利として16を求める」というのが、私の体感する人間の本性。そして、何もせずに物が貰える状況が続くと、大抵の人間は<自主規制>。もう徹底的に<自主規制>しまい、自分で何かしようとする気が起きなくなるばかりか、何かしてもらうことが当たり前になっていく。こうなってしまうと、も真心もへったくれもない。そういう人には本当に何をやっても通じない、もちろん10000人のうち1人位は改心させられるかもしれないが、それ以外は無理な話。ニュージーランドがどうなっているか、オーストラリアがどうなっているかを考えれば、答えはおのずから出ると思う。
だから、現地に行ってみようと思った。それも一番危ない所。理由は至極明確で、最早私も年老いた身、最前線に身を晒しでもしなければ次の戦いの勝利は取れないという判断があるからだ。だから行く、という利己的な目的を始めから私は理解しているし、それに私の行動に相手からの感謝という報いが来ないのは知っているし、そもそもそんな事は「慣れている」。私は私の本年度の戦いを有利に展開させるため、相手はそれによって実利を得るため。そういう割り切りでいいじゃないかと。下手に妄想で夢見るよりは、こういうドライな方がずっといい。そうでなければ互いに身体が持たない……感謝の意を表し続ける=下手であり続けるのは、そもそも簡単なことじゃない。一ヶ月、自分がひたすら他人に感謝し続ける生活を送ると考えてみて欲しい。それは快適か? 理屈では分かっていても、それを続けられるか?
本当のボランティアは、「究極の無償」。即ち、「相手からの好意も期待しない=相手に石をぶつけられても行うこと」にあると思う。だから今のボランティアはそもそもボランティアじゃないと思うし、定義自体を分かっているのかも正直謎だ。何かしてあげたい、という思いを抱くのは結構だが、そこに無事であるわが身の驕りはないだろうか。士農工商、人間というのものは自分より下がいると安心するというもので、江戸時代はこの身分制度が経済発展により歪になった社会を支えてきたとも言われている。そのような思いが、果たして全くゼロなのだろうか。しない偽善より、する偽善。最近そんな言葉を耳にしているが、ならば石を投げられるのも覚悟すべきだ。偽善なのだから。利己主義が人間から切り離せない以上如何なる好意も偽善であり、それをあえてしようというなら何をされても文句を言うべきではない、と思うのだ。
人間の堕落は凄まじく早い。それはこの巣にいて猛烈に痛感する。それにいじめの立場変換まで発動すれば、もう手のつけようはないだろう。でもそこに突っ込んでこそのボランティアなんだけどねぇ……。好意の返礼を心のどこかで求めている時点で、それは我欲の行為であって、ボランティアじゃないっていうのに。好意の返礼をしない人もいる、平気で手のひらを返す人間もいる、そしてそれは「当たり前」。それが人間、至極当然。
慣れとは本当に怖いもの。ただ、私も往きます。しかしここまで老骨に鞭打たなければならないとは……。
大抵物事はシンプルに考えたほうが、結局は真相に辿り着けることが多い。次の解散総選挙は、例え誰がやっても絶対に民主党が負ける。震災での支援、またここからの仮設住宅の設置、農作物の輸入などで「アジアの愛」をでっち上げて外国人参政権を仮に成立させたとしても、次の選挙は必ず負ける。外国人参政権に公明党の連立を加えて戦ったとしても、多分次の選挙は余程のギミックを出さない限り投票率が上がる。そして投票率が上がったとき、現在の風ではどうやったって自民党の方が強くなる。それが明々白々であるなら、もう取るべき手段は一つ。次の選挙はあえて落として自民に内閣をやらせ、その時徹底的に攻撃し、その次の解散で勝利を得るしか方法がないのだ。
その為には、今のうちになるべく後で発芽して大悪化する種をまいておいたほうがよい。また今回の被災地は、残念ながら現首相にとっては「普通にやったら絶対に攻略できない敵地そのもの」であって、今天災によってようやく攻略できそうな場所なのである。そこに塩など、誰が絶対に送るものか。今ここで援助をどんどん絞っていけば、小沢王国は崩壊する。また王国の崩壊だけではなく、東北の人間が寄せていた信頼を小沢氏が失うからいい事ずくめであり、それにたとえ東北がそうなったとしても首相の選挙区は都心だから、マスコミ対策をやっていれば勝てる(いや今の首相はやったら負けるか。比例にいくか?)。念願の小沢殺しがようやく出来る上、ここで怠れば怠るほど、次の次の総選挙で完勝が出来る。こうなった時、誰が真面目に東北を支援するのか。東北は首相にとってそもそも山口やら石川やらよりも潰したい場所であり、現政権が真面目にやるということはそういう戦略上からもありえないのだ。
また忘れてはならないのは、たとえ次の衆議院で負けても、「参議院の第一党は民主党」という事実。自民党はどうやったって安定政権たりえないのだ。成立直後は公明党と組んだりして何とかするだろうが、その内現内閣が埋め込んだ爆弾が次々と破裂し、ズタボロになった時に公明党を引っぺがす。そうすれば再びねじれに持ち込めるわけで、即ち解散で衆議院を失ってもカードがなくなる訳ではない。むしろここは一旦引いて小沢系の人間を「支持者もろとも殺して」、次を待った方が得策なのだ。
そう考えるなら、今の戦略・戦術、数年後に絶対に破裂する放射能という爆弾を集中的に埋め込む状態は、とても素晴らしいと思う。多分、「どうせすぐに問題にならないからどうでもいい。それに問題になるころ、どうせ自分らは野党だ。その時に逆にその問題を追及して、もう一度与党になればいい」とでも思っているのだと考える。まぁそういう思いになったのは、民主党が選挙互助会であるといううわさに基づいて今の政策を考えるとそれしか解釈の余地がないからだが……ただ、この手には一つだけ絶対的に危険な課題が残っている。それは「衆議院の”自分の”選挙区をどうやって維持するか」の方策を練って乗り越える必要があるのだが、現在の主要メンバーではこの達成が絶望的という点。果たして何人がこの課題を切り抜けられるのだろうか。
確かに岡田氏あたりはどこの政党でも勝てるだろう。前原氏も現在の政権と距離を置いた上に選挙区地盤があの問題に同情的な雰囲気になる場所だから、次の選挙も勝ってくる。しかし他の人間はどうか? 海江田氏はライバルが錯乱したといっても厳しいだろうし、首相はかの鳩山弟に絞め殺されそうになった過去がある。四国の情勢もぐちゃぐちゃで、あの影の総理とやらも生き残れまい。小沢氏の岩盤は崩れないだろうが、鳩山氏は北海道という追い風を受けても小選挙区では負けるだろう(引退云々言わなければ問題はまた違っただろうが)。特に問題は首相、相当権力欲をお持ちのようだが、次の選挙をどうやって乗り切るつもりなのだろうか。前述の方策をやった場合、確かに次の次の選挙は勝てる。しかしその布石を打てば打つほど、自分の選挙が危なくなる。勿論「一日たりとも国政に空白を生じさせてはいけない」と言って首相任務に専念するためにも選挙区では戦えない、比例に逃げる、という手も使えなくもないが、その勇気が果たしてあるかどうか。比例になれば確実に勝てるが、そこまで踏み込めるかどうか。その覚悟があるかどうかが、本当に未知数なのだ。
ただ今後、第1次補正予算案が可決したら内閣不信任案という話も出ているが、それは絶対に可決しないだろう。理由は皮肉にも、国民の民主党に対する不信感と怒りが強すぎるから。要するに、確かに次民主党の看板で立ったら即死という議員はいるが、ここまで不信感が強い現状ではたとえ裏切ったとしても許してはくれない、有権者に「今更何をほざくか」と言われるのがオチであるため、内応をしてもメリットはないのだ。その上、現在の総理は総辞職よりも解散を選ぶという憶測が強い。これについてはもう真実かどうかは関係なく、憶測があればそれで良い。負ければ無職のこの世界、寝返ったところで許されるはずもなく万が一にも可決されたら総選挙で失職する、と分かっていて転ぶ議員は絶無である。しかも80名となると、これはもう絶対不可能。誰かの影響力云々ではなくて、もうこれは物理的に無理なのだ。多分民主党の中でももう生理的に嫌悪している人間はかなりいるだろうし、心の中では賛成したい人も大勢いるだろうと思う。が、嫌悪すればすればするほど、相手の事は信じられなくなる。そして考える、「この人は後先がどうなっても解散するのでは」と。
勿論解散は、いずれすると思う。ただその時期は、問題がもう誰がやっても止められなくなったと判断したその時になるだろう。当然、民主党は負ける。しかし負けても良い。政権の座を明け渡した時その政権は誰がやっても失敗するようになっているから、今度は野党として攻撃を重ねて、次の選挙で勝てばよいからだ。またこの方法であれば、わざわざ脱小沢なんていわなくとも、自然と小沢勢力は壊滅する。だからもし今の政策が天然でないとするなら、本当にどんな策士がいるのだろうと恐れおののいてしまう今日この頃でした。
天然でないとするなら、ね。
最初は3人で始めたサークル。そのうち2人は教員世界に行ったが、彼だけはそうやって人生をきっちりと決めてきた。当時の私、そして今の私も教員という仕事に目が行っているので羨ましいとは思わなかったが、それでも「上手くやりやがったなぁ」という思いはあった。遊ぶところは遊びつつ、抑えるところはしっかりと。まぁ元々私が知り合った中で群を抜いて真人間だったから(それこそどうして私の知人にこういう人がいるの、と首を傾げるほどに)そういう結果になったのかもしれないけど、でも、かなり努力をしていたのは知っているし、本当に企業が取りたくなるような人間だったのも覚えている。勿論、私如きには分からない苦労も沢山あったに違いない。
ただまさか、その努力の褒章がこうも簡単に崩れるとは。
私は計画停電の始め方は完全に人災だと思っているので、東京電力は完全に責任を負う必要があると思う。何か最近は少し収まったかのように思えるバッシングも、”準公務員”と呼ばれるということが一体何を示すのかを、ちっとも分かってないとしか見えない。準公務員ということは、公務員のように叩かれるということ。しかも今度の夏のボーナス、額を減らしても「何をやっても」絶対高いと批判される。何かする中身はどうでもよくて、もう「息をしてても・停めても叩く」という状態となるだろう。特に6月になれば企業倒産数が徐々に明らかになっていくので、益々東京電力に対する批判は強まる。
また東京電力が決定的に忘れているのは、「人間暑いとイライラする」こと。冷房を控えて、節電をというのは勿論必要だが、これをやるとストレスが毎日毎日溜まっていく。最初は天災だ仕方ないと協力する姿勢を見せても、人間自分に利害が降りかかると豹変する。恐らくその暑くて疲れる日が続けば、やがて東京電力に対する怒りが満ちてくるように思えてならない。冬の寒さは気温低下なだけに、不満にはなってもイライラ、爆発をもたらすようなことにはならない。しかし夏の暑さは……その時に多分関東人の怒りは頂点に達すると思うのだ。
ただその一方で。少しだけ諸行無常を感じた。勿論今度も独占企業としてウハウハな生活が永遠に続くのだろうとは思うけど、でも少し、ね。あの昔の努力は何だったんだろうなぁ……。
更にうがった見方をすれば、場所が東北だった事も災いしているのではないだろうか。岩手の民主党勢力を殲滅させたいなら、あの鉄板区、これくらいの暴政をしなければ切り崩す事は不可能と思う。恐らく次の総選挙では、岩手は4区以外滅びるに違いない。しかしこのような状況は大震災の被害を故意に放置していたからこそ発生したもので、普通にやったら絶対に岩手王国は潰せなかった。そう考えると、今の民主党にとっては願ったり叶ったりというものではないのだろうか。かつての田中角栄氏は被告人になっても有罪になっても選挙にはひたすら勝ち続けていたわけだから……。
あと、後半の地方統一選挙も敗北すると見たのだろう。だから今は非常時だという宣言をした。今までの民主党だと投票率が高ければ高いほど強いのだが、こんな宣言をかけて 非常時を演出すれば投票率は下がり、組織票が強いところが勝つに決まっている。にもかかわらずこんなことを仕掛けるというのは、もう勝負を諦めたからとしか思えない。私自身もそうなのだが、「勝負しなければ敗北は無い」という考えは確かにあって、今回の衆議院選逃亡もその考え方からすれば理解できる。しかし一方で、勝負を逃げて逃げて逃げ続けて、万が一逆転の一打が打てないと間違いなく滅びてしまう。ここでいう逆転の一打、それは外国人参政権法案を可決して公明党を味方に付けて投票率を強引に下げる、これ位しか思いつかないが、これをやったところで今の民主では厳しい。要するに公明党にしてみれば「勝てるかどうか」が重要なのだから(相変わらずこの党の票割りは神様クラスです。)、外国人参政権法案で好感触となっても、タッグを組んで選挙で負けると思われたらそれで死んでしまう。地域政党も静岡市長選挙で勝っていればまた違ったのかもしれない……今地域政党とやらが話題をさらうには、「その地域以外で勝って見せること」だと思ったのだが、今回はあまりそういう話がなかった。
更に言えば、次の選挙では間違いなく東北の議員が造反する。理由は簡単、現地で怨敵となっている民主党の看板を背負って戦えば、勝てるはずが無いからだ。本当に物理的な問題で、「民主党の旗を持って選挙区を練り歩けるか?」ということさえかなり危ない。当選するには絶対に与党を攻める側になっていなければならないが、その為にはもう造反しかない。勿論党内に残るという選択肢もあるにはあるだろうが、やったが最後間違いなく小選挙区では滅亡する。比例も今回望み薄だから、議員であることさえ出来なくなる。
そう考えると、今後の政局は益々不安定になる気がする。選挙が近づけば東北の議員は自分の死滅が理解できるから、政権批判をせざるを得ない。また今回の地震の影響が長引いたのは、民主党がひそかに潰したいと願っていた東北地方だったからともどうしても思えてしまう。
原発はともかく、避難生活が長すぎる。
例えば自分自身が被害者であったとして。そしてテレビをつけた時期待するのは、まず地震そのものの全体像ではやはりある。しかしそれは多分最初の10分で、その後はでは自分はどこに行けば良いのか、どこに行けば安全でどこに行けば物資があるのか、その詳細な情報である。救出劇も結構だし、原発の問題も深刻かもしれない。しかしもし私が被災者であるなら、そんな数年数十年のスパンの問題なんて考えている余裕はなく、まずどこに避難をすればいいのかを教えてくれ、と思う。しかも○○市などという漠然とした情報ではなく、○○市のどこでそこに行くにはどういう交通手段があるのか、そういう事をまず一時的に欲しいと思う。
ただこんな情報を延々と流し続ければ、勿論視聴率は取れない。何と言っても地味だから。また救出劇だろうが何だろうが震災のニュースであることには変化がないので、助かったなら震災が忘れられるような痛快なドラマでも見たい。戦場でも有名な話だが、人間が死にかけたとき、そのまま死ぬか生きるかは「笑えるかどうか」であるという。笑う、というと極端だけれど、未来を思い描いて希望を語る人間は生きて、もうダメだ自分は死ぬと語る人間は本当に死ぬ。特に震災の後は絶望自殺が激増するといわれているのだから、少なくとも一瞬だけは今の生活を笑い飛ばせる映像が必要なのだと思う。
例えば水戸黄門・男はつらいよ・全員集合など、国民的人気のあるものをエンドレスで流すとか。全員集合は物議をかもすかもしれないけど、こういう時は笑える人間こそが勝つ。年がら年中しみったれた話なんて聞きたくもないし、といって現在のドラマを見ていると「どうして自分が苦しんでいるのに数百キロ先は」と思えてくるので多分ダメ。だから”過去”に放送されて”国民的に”親しまれているものがいい。そういう被災者を励ますメッセージ性の強い番組編成が今一番必要なのではないかと思う。やっぱり避難所の生活は気持ちがとげとげになってしまうし、それが悪だと分かっていてもイラつくものはイラついてしまう。だからそれを解消するため、その為にバラエティがあるのではと私は思う。
でも今の報道はほぼ、原発とその風評被害のみである。勿論原発も重要であることは間違いないが、数年数十年のスパンで病気になるかならないかの話が、翌日翌々日に餓死するか否かの話に優先するとは思えない。風評被害自体誰がもたらしたのか、その情報を津々浦々に知らしめたのは誰なんだとも思うが、それだって直ぐに餓死する事はない。ただ現地の状況は違う、本当に明日、もしくは明後日餓死する人だって出るかもしれない。そんな中、数年先の話をしていても仕方が無いのではと強く思う。まぁ私の推測だと、現地の報道をすれば政府の無能ぶりが分かるから報道はせず、餓死した遺体は疫病蔓延防止の元に土葬して証拠を隠滅する。ただしこの証拠隠滅をする為には誰の目にも触れずに土葬しなければならない、そうである以上現地の報道は出来ないがといって何も報道しないと怪しまれる……だから原発ばかりになっているのではないだろうか。
それと、もしどーしても現地情報以外で危機を煽って脳味噌を麻痺させたいなら、ネットカフェ難民の特集を組むと良いと思う。計画停電で24時間営業に影響が出る上、派遣先は仕事が猛烈に不安定となり、派遣や日雇の人間どころか正社員にさえ仕事をさせられない時期が続くはずだ。正社員を自宅待機させなければならない状況に、派遣の入る余地はない。しかも今回の場合地震がある意味絶対的な神格を持ってしまっている為、派遣切りを食らっても表立って文句は言えない。たとえ実際は単なる便乗でも、震災は事実なのだから、その為に切ったと言われては反論が出来ないのだ。しかし反論が出来る出来ないはどうでもよい。問題は派遣や日雇などの人間の雇用に加えて住処までもが危なくなっている事で、これこそが今回の震災に置いて都内について報道すべきことだと私は思うのだ。
数年、数十年の話をしても意味が無い。どうしても政府の無策を隠したい、現地の情報を隠蔽したいのなら、せめて現地外で翌日翌々日の生活に窮する人の特集をやって欲しい。計画停電でいつ工場が動くか分かりません、では、当然日雇の人を使うような判断は出ない。その分確実に仕事口は減っているはずなのだが、それを報道すべきだろう。勿論最も大事なのは現地の報道を詰まらないかもしれないがやる一方、心を爽快にさせるような娯楽を提供することだとは思う。しかしそれをしたくないなら、せめて国内の問題位は報道してよ、と思うのだ。
統一地方選挙についても全然報道はされないから、責任論は出ないだろう。恐らく民主は大敗するが、その現実を隠す事が出来る。普通こういう場面、例えばもし民主のリーダーがかの小泉氏であったならば支持率は凄まじい上昇をするはずなのだが、その気配もあまり見えてこない。次の衆議院選挙ではぺんぺん草一本残らない程ボロボロになるだろうが、それまでこれが続くというのは本当に不幸だ。まぁ、東京電力の計画停電も、やるならもっと計画的にしてくれよは思うけどなぁ。今度は25グループって、いい加減にして欲しいんだけど。それとこれ、絶対に守られる?同じグループなのに停電するところとしないところがあった、何てことになるとまた混乱するんだけど。
あと、開店休業でも飢えないのは東京電力みたいな独占企業しかないこともお忘れなく。
厳重に管理されて放出されるレントゲン・CTの放射線と原発事故の放射線を同列に扱っていい根拠は何だろう? ただこうやって書いていて思うのは、そもそも同列という事はありえないのではないかということ。というのももし同列、即ち比べられる対象だとするのなら……日頃レントゲンで浴びてる放射能はあの原発事故の放射能と全く同じという事になる。そこまで病院は無管理なのか? つまりもしもレントゲン何回分、CT何回分と比較してアピールするというのなら、「病院での放射能も原発事故の放射能と同ようなものでーす」という事を証明しなければならない。そしてこれは、どちらに転んでも最悪な話。同列に比較できるとすれば医療現場の放射能管理はどれ程杜撰か、という事になるし、出来ないとすれば今の報道は完全に誤ったものになるからだ。
ただそもそもいおいて、今の報道が正しいことを言う可能性は極めて<以下検閲により>。というのも逆に自分自身が総理大臣だったと仮定して考えてみたとき、上がってきた情報が「もうダメです。皆死にます」というものであったとしたら、果たしてそれをそのまま言うだろうか。当然、言わない。原発単体が事故を起こして皆が即時に逃げられるならばともかく、道路が寸断されてそう簡単には逃げられない状況にある中、そんな事を言えば大パニックになるだけだ。だからマスコミの体制はどうあれ、真実はまず報道されないと考えておいた方が良く、報道内容に関してもそもそも真実を言う事が最善ではない局面である以上、嘘である事が当たり前として考える必要があると思う。
そういう道筋で考えてみると、現在のやり方は実に理に適っていると思う。避難させなければいけないが、いきなり百キロ圏内から逃げろ等とは絶対にいえない(パニックになるから)。それなら少しずつ、まずは半径3キロ、五キロとこまめにこまめに距離を広げ、そして避難の感覚を麻痺させるのだ。丁度、蛙を熱湯につけるときのように。蛙は熱湯に自ら飛び込むことは決してしないが、自分が入っている容器を徐々に熱せられても気付かないという。それと同じで、3・5・20と範囲を徐々に広げてそして一気に大きくする事こそが一番パニックを防ぐ方法なのではないだろうか。
また報道が善意であるからこそ真実を絶対に語らないであろうと考えるもう一つの根拠としては、もしもこれが本当に危ない状況であるなどと語れば、原発を修復する人間を送る事が出来なくなる。原発周囲100キロがもうダメです、と報道してしまったらもう最後。それをやってしまえば、そこに誰かを差し向ける事は決して出来なくなってしまう。だって、それを決断すると言う事は「私の判断で死ねと作業員に命じました」と発言するのと同義だから。命令を受ける人間はゼロであるとは思わないが、ただこれは命令する人間の責任は凄まじく重くなる。それに命令していいのかどうかという道義的な問題も、必ず出て来てしまうということだ。
即ち、作業員に作業を続けさせなければならないという現状にあっては、たとえ真実がどうであろうとも、絶対に「もうダメ」という事は報道されはしないのだ。それをやれば、作業員を送れなくなり本当に世界が死んでしまう。だから必ず原発関連のニュースは安全を強調したものになるに決まっている。それは数値がどう、とか放射能的学問からどう、とかではなく、論理的な必然に過ぎない。だから報道を聞いていて気付くのは「今の情報正しければ」という前置きがやたら多いこと、レントゲン10回分だから気にしなくても大丈夫だと思いますよ、という”放射能の質は全く違うけれど量としては”レントゲン10回分だから、”そのレントゲンで考えるなら”大丈夫だと思いますよ、という表現が多いことだ。
別に私は、不用意にあれこれ変な情報を流す気はない。実際文系一本である私にとって原子力なんてものに専門的な知識はないし、今書いている放射能の質の違いについても多分的外れなんだと思う。ただ論理的必然として、作業員を現場に投入する必要があるという問題がある以上、事態が悪化したという報道は絶対にされない。100キロ圏内皆避難、でも作業員は突撃せよ……これが言える状態なら分からないが、それが出来ない以上報道の内容は真実に関わらず固定される。大丈夫、というものに固定されるのだ。
だから報道の内容そのものを検討することそのものが、私は大きな無駄だと思う。その場で繰り広げられている現実がどうであれ、報道に乗る事実は絶対に変わらないんだから。勿論そんなはずはと思われる人もいるとおもうけれど、そういう人に聞いてみたいこととしては、では100キロ圏内絶対危険という事実が明らかになっていたとして、それを告げるのが正義なのでしょうか、ということ。それを今やることと段々距離を伸ばしておいて一気に、ということと、どちらがより犠牲が少ないのでしょうか、と。報道は真実であるべき、ただしそれが一律に適用されるかどうかは分からないわけですからね。
尚。私は原子力の事は全然分かりません。アメリカが言っている事が正しい、とも全然思っておりません。ただ、事実がどうであろうが報道はこの形で落ち着くと、だから報道の真偽を論じる必要はなく間違いなく真実ではないだろうと、ただそう思っているだけです。勿論、原発が静まるのが一番。百キロ圏内となれば、私は逃げ切れないでしょうしね……。
一度目の揺れの後の指示は極めて単純でかつ、命がけなものだった。パラパラと崩れる壁、落ちる看板……まるでトランポリンの上を歩いているかのような不安定な足場の中、砂塵舞う建物の中で必死に鍵を動かした。部隊長の指令は要するに(後から聞いた話によると)、「火事場泥棒が出るのはもう仕方がない。ただここのデータだけは誰にも渡すわけにはいかない」という事らしい。確かにカネなら後から幾らでも何とかなるし回復出来るが、ここには一旦外に出たら最後、場合によっては致命的になる情報がかなりあるからとのこと。その号令の元一つ一つを丹念に保全、または潰していく……そうしているうちに二度目の揺れ。「全部ぶち込め! 早く!」、最後は厳重にロックのかかる部屋に投げ込むようにして、その後直ぐ緊急避難となった。トランポリンと違って実際の階段は固く、足元が不安定なのでまともに歩く事も出来ない……しかし歩けなければ死ぬのだ。当然「託卵先で死ねるかーーー!!」という結論になる私は、何とか建物の外に出たわけで。
ただ実際の地獄はそっから先だった。結論から言うと完徹になったんだけど、まず避難所に移動。そこでの作業となったはいいが……真っ暗な野外の泥沼の中央。昼間でも立ち入るのが難しそうな場所に”それ”があるのには訳があった。関係者だけでそこに向かって、扉をあけると、中には<検閲によって以下の記述は削除されました>。特に致命的だったのがみ<検閲によって…以下略>、また一体どの季節を想定してこれが造られたのかは分からんが、中には<検閲によって……以下略>が一つしかなかった。兎に角これはまずいと、でも今回は何もなく乗り切れたけれど、次回は一体どうなることやら。
その後、建物に戻って再び待機。とりあえず安全と呼ばれる場所に行ってそこで何もせず何かあったとき用にいたのだけれど、まぁ揺れる揺れる。寝るわけにもいかないので情報を得ていると、数分の単位で余震が起こる。長野で強烈なのが夜中にきたけど、あの時も普通に起きてたしなぁ。で、疲労の極地になってその後解放されると、グチャグチャになった自室の片付け。もうこれだけで先週は力を使い果たしました。はぁ。
うーん、風説の流布をしないという前提で書くと、あんまり事実が書けないなぁ、とつくづく思う。次は東○電力のやり方がいかにいい加減でどれ程迷惑したかの現場を書こうかなとも思うけど、果たしてどこまで出来るやら。あれのどこが計画停電だ。コールセンターの回線、絶対5か6位しかないだろ……。
ところで、です。あくまでも、あくまでも私の自説ですが、「分かりにくい説明をする奴は大抵何かを隠している」というのがある。率直にはい・いいえ、と言えば済むところをやたら言葉を濁したり、あと専門用語を使って紛れさせるのも常套手段で、これがある時点でかなりクロだと思っている。専門用語を使う事の最大の利点は「嘘を吐かずとも相手が勝手に誤解するので、実際に嘘をついたのと同じ効果が得られる」ということ。大局的な事と局地的な事を一部だけ混ぜこぜで話すというのもよく使われる騙しの手口。話の中身全てにおいて混ぜこぜをやられれば判別もつくのだが、これを一部でやられるとどうしようもない。中身は結局分からず、致命的な誤解を勝手にやってしまう。この”勝手”がミソで、そもそも相手を騙そうとするとき、というよりもそういう事をする奴ら程、嘘をつくというリスクを冒したがらない。相手が勝手に誤解するようにしむける、ただし正確に話をしている……相手の棋譜が全て読める人間にとってのみそれが分かるという形でだが、そういう風に話をするのだ。
また逆算して考えてみると、今の情報内容に落ち着くのは必然なのである。もしも<以下、風説の流布に相当するということで検閲対象となりました>
つまり何が言いたいかというと、ぶっちゃけ一言「ケセラセラ」。要するに無縁で最後を送った方が幸せになるか家族と一緒に送った方が幸せになるか、なんて運次第だという事だ。何と言っても相手は子どもになるわけだから。自分がどれだけ愛を籠めても子どもが自分に尽くすとは限らないし、むしろ逆、親から大事にされない子ほど親を大事にするようにも見える。つまり因果応報の理論すら通じない、そういう意味で家族の居る晩年であっても地獄になるような事もあるし、一人で生きていく方が幸せな事もある。全ては天の為すがまま、何が幸せで何が不幸せかなんて分かるものではないのだ。
そしてこの結論に辿り着けたのは、「両方見たから」という経験談。仕事柄孤独死の家庭を結構な数扱うし、また逆に老親虐待をやってる家庭も同じほど見る。一体どちらが幸せなのか……天秤にかけると、私は前者のような気が凄くする。罪の意識がない分ひどいからなぁ後者の方は。だとしたら私はやっぱり前者を選びたいなぁと最近思う。勿論前者の末路のひどいのもあるけど、でもその末路の場合は自分のやりたいことの末だから、自業自得と言いたければ言えばいいけど、でも私は満足な死に方だろうなと思うのだ。
そんな中で無縁社会を救う(いや、救われるべき存在でもないんだけど、これ)ものがあるとすれば、やはりインターネットだと思う。ネットには三つのレスがある、それは「ボーダレス」・「フェイスレス」・「エイジレス」の三つだ。ネットという環境は世界に広がるものだから国境なんてないし、またカメラでも使わない限りは特に自分を晒さなくてもいい。そして何よりも面白いのはエイジレス、社会構造が構築されている世界において絶対にありえない、年齢階層の違う人間と同じ立場で触れ合えること。つまりネットであるならば、たとえ高齢になっても中学生として紛れることも出来れば、大学生として紛れる事も出来るのだ。
その意味でネットには時空を超える力がある、と私は特集を見ていて思う。本来の社会において、人間は常に一方通行を強いられる。子どもには子どもの役割、楽しみがあり、大人には大人の役割、楽しみがある。これは一見自由なことのように見えるけれども実は違って、子どもの楽しみを大人が楽しみ続ける事は出来ないし、またその逆、大人の楽しみを子どもが楽しむ事は出来ない。社会構造がそれを許さないのであり、そしてこの変化は不可逆的であり、かつ絶対である。子どもは大人になり、やがて老人になっていく。それによって社会に占める役割は変わるが、それは半ば強制であり、戻る事は許されない。そういう意味で社会的にこれまでは時間の流れが一つだった。私が時空、と書いたのはこの意味であり、子どもから大人、そして老人へという流れを変える事は出来ない。それを変えた、子どもから老人へ、老人から子どもへという「時空逆転」を可能にしたのがネットなのだと私は思うのだ。
こんな事を書くと大抵言われるのは現実逃避、という言葉だろう。そりゃー、毎日現実逃避したいことばっかですがな(笑)。でも現実から逃げることともう一つの世界を持つ事は似て非なる事だと私は思う。別に現実以外にも世界があるならそっちに行っても構わないし、それに現実では戦えない人を強引に現実に持っていくのは酷すぎる。というかこれが一番残酷だと思う……よく知識人とかそういう人は「ネットばかりでは良くない。外に出よ! 頑張れよ、諦めるなよ」とか言うけれど、じゃああんたらはそういう人達の就職支援を最後までするのか、と。それを成功させられるか、と。なまじ本人をやる気にさせるだけ残酷、社会はそう甘くはないからズタボロにされるだけ……それが明らかな人間をどうして現実の荒波に晒そうとする? そして荒波に出るよう促したなら、何故最後まで責任を取らない? 寝た子をばかばか起こされても、それが幸せと思えない。勘弁してくれ、というのが私の本当の思いなのだ。
現実以外の時空があるなら、そこで楽しめばそれで良い。何を楽しいと思うかの価値観は人それぞれだから、自分で日銭を稼いでいるなら何をやっても自由だと思う。無縁社会、結構なことじゃないですか。無縁だろうが有縁だろうが、老後が幸せかどうかは運次第。介護サービスもあれば宅配業者もいる。ネットもある。何だって出来る。だから……どうか無縁社会だからどうこう、という事で焦るのは止めて欲しい。もしそれで苦しんでいる人がいるなら、多分そっちの方が幸せ。まなじっか有縁になるとね、多分、そっちの方が不幸だから。
全ては天の配剤による……としか思えない地獄で暮らす人間の妙な呟きでした。ほんと、ハッパかけるなら最後までやれよ……。どうしてそっとしてやらないんだ、もぅ。
そんな私だったから普通の就職活動という事にはとんと無縁であったのだけれど、最近何だか「学生は選り好みしている。大企業だけではなく中小企業にも良さが有る」、と物凄く給料のいい報道会社の人間がほざいているのを耳にした。お前の立場だったらそれもいえるだろうねぇ、と斜に構えるような形で思うし、それにこの言葉は絶対に間違いだと思う。確かに中小企業の良さがあるのは認める、認めるが……昇給や福利厚生はいわずもがな、というよりもこれを抜いたとしても、「雇用の確実性」が全く違うから絶対大企業を選ぶべきだと思う。
要するに大企業の場合、そう簡単には解雇出来ないし突拍子もない理由で解雇ということもしないし、出来ない。また解雇するにしてもその後のケア、離職票だとか雇用保険だとかが一応整っているから、されたとしてもその後の再起はまだ容易なほうになってくる。だが中小は違う。全てがそう、とは言わないが、「その解雇理由って単なる思い付きじゃないか?」、と耳を疑うような事で簡単に解雇される。なんと言うか解雇は難しいと世間では言われているけれど、それはある程度人目を憚るような世界での話であって、そうでない世界であるといとも簡単に首は飛ぶ。正社員だから安定、派遣よりも安定というのは中小企業では到底ありえない考え方で、かつ、仮に企業の業績を上げて貢献して大きくなると、「それでは一流の人材を」となって首が飛ぶ。とにかく解雇が簡単にされて理由が滅茶苦茶、常識外。それがありえるというのが中小企業最大のリスクだと私は考えている。
やりたい事がしたい、企業に好感をもった。それは確かにいい事だけれど、まずどの企業でも就職してすぐやりたいことなんか出来ないし、それに話をしてとても共感できたといってもその上司がずっとその会社にいるわけでもない。よく「企業の人間性に惚れて」とか聞くけれど、元々人事は社交力のプロフェッショナルだから話半分と見ておかなければならないし、それにその人間が変わったとしたら一体どうするのだろうか。またさっきは留保したけど、中小の場合兎に角基本的な福利厚生が危ない。年金は厚生年金か、健康保険はやってくれるか、雇用保険があるか、これらをいちいち調べておかなければならない程危ない。そして自分が大病した時どれだけ欠勤が可能か……そういう有給状態も判断材料となる。大企業だと鬱病で休職する人が多いから、という話を聞くが、それは裏を返すと「休職という制度が認められている」ということ。それが多いというわけでから、やっぱり大企業は体力がある。一方中小企業の場合、人数規模で考えれば直ぐにピンとくると思うが、果たして休職を認めてくれるかどうか。大企業であれば補填は出来るが中小での補填はほぼ不可能に近い。そうなった時果たして……、という事は考える必要があるだろう。
何と言うかその、中小企業を貶めるつもりはないんだけど、無責任にそれも選択肢だと煽るの本当に辞めてほしいと思う。退職理由のまぁ凄まじいこと凄まじいこと、年金記録を見れば「入ってない」、健康保険は「最後は国保」、解雇予告は「やってない」。到底オススメ出来ない材料がてんこ盛りで、もしも業種に惚れて入るというのなら止めはしないが、こういうリスクが飛躍的に高まるという事も同時に知っておいてほしいし、それを推奨するならこのリスクについても伝えてほしい。チャレンジを煽るなら、リスクも示すべき。そもそも人を雇う体制にないというところが沢山有る、という事も分かってほしいと思うのだ。
大企業に行っても苦しい事は苦しいし、辛い事は辛い。しかし「苦しいと感じていられる、辛いと感じていられる」余裕と保障があるからそれが生まれるのだという事をお忘れなきよう……。ちなみに今私がいるところみたいに、首絞められても鉄製の仏像で脳天から出血する羽目になっても病気をうつされても全て自腹で対処している人間もいます。でも、これも私はまだいい方。確かこの前バールで殴られかけたとか何とかされた人がいたが、何か「訴えられる(=訴える、ではなく)」という話になってるし。
あと追伸。介護職だけは……あれだけは本当に、本当に……、賃金が高い分(まぁこっちも地獄だが)看護師の方がまだもまし……。介護や福祉に人気が集まらないのは、先人が無知だからではなく、それなりに理由があるので……。
祖父がお金を捧げた相手は、自分が入院している病院の看護師と医者だった。
おためごかしも何もない、祖父には本当の現実が見えていたんだな、と私は思う。勿論病院には付け届け禁止という張り紙が大抵張ってあって、実際医者はそんなもんで治療は変えない、と話す。しかしそれが真っ赤な嘘であることを最近になってようやく知った。積極的な行為は確かにしないだろうと思う、でも、消極的な行為ならいくらでもやりたい放題に出来る。看護師側は「ナースコールに気付きませんでした」、「頻繁にコールする方なのでいつものことかと思いまして……」という返事も出来るし、医師の側は”自分の恣意”で病名をつける事が出来る。「認知症だと判断したので、鎮静剤を投与しました」、鎮静剤って要するに脳の精神活動を抑えるもので、こんなもん高齢でぶち込まれたら”認知症でなくてもやがて本当に認知症に”なってしまう。つまり後追いで直ぐに事実を造る事は出来るし、もっと具体的にいえば「傷の治りが悪いので当面リハビリはしません」といって寝たきりにすることだって出来る。しかもこれらは全て、積極的な行動ではない。一応は医療行為であり、何ら責められるものではないのだ。
で、何でこんな事が書けるかと言えば、……全部実際に見たから、だ。
この短期間にここまで多様なものを見られるとは何か背筋が凍る思いだけれど、治療方針を伝えられて”そりゃいくらなんでもないわ……”と思う事は多々ある。一番酷かったのは、食欲不振の衰弱が激しいと言われたので見に行ってみると昼飯が焼肉弁当(高齢老人です、相手は)だった、というような事で、およそまともな行為ではない。しかし外部の人間には四六時中いる事が出来ない以上、そこで何があっても知りえないのだ。ナースコールボタンが鳴った時職員がどう反応するか、いつどこで何が鳴ったのかの履歴をデータベースとして持っているか否か、それを公表するか否か、全ては病院の匙加減。私がこの話、昼飯を目撃できたのは誰にも言わずに入ったからで、それがなければあの光景も見えなかっただろう。で、もし見てなければ食欲不振で出されても、私は何も疑問視しないし出来なかったに違いない。この他、入院して3ヶ月で糖尿病とか、癌ですが治療行為はしませんけど何か?とか、入院三日で鎮静剤とか(家で倒れて眼が覚めていきなり病院だったら誰でも焦って色々言うだろ……)、最後入院で死ぬとこうなるのかと本当に背筋が寒くなった。
だからこそ、祖父は金をばら撒いていたんだな、と思う。祖父は元気な頃結構な事業家で、ある程度成功したと聞いている。だから自分が死の病になった時、一番現実にそった手を打ったんだろうなと今にして思う。勿論これに対して、そんな事はしてはいけない、私は真っ直ぐ普通に入院する、という人も当然いるだろうとは思ってる。でも、現実にそんな話は通用しない。その事を身を持って知ったのが、私のこの2年間だった。
「他人の家に土足で上がるのは失礼だ」、これをやってウィルス性胃腸炎を食らい、
「清潔感は人それぞれ。その人の家に入ってじっくりと話すべきだ」、これをやって肺炎になり。
「ゆっくりと虚心坦懐に言うべきことを言って説明すれば」、と期待した結果鉄製の観音像を投げつけられて頭から出血したり。
現実世界で理想的行動を取るという事には勇気と代償が必要なんだな、となんでか知らないけれど成人式の日に書いておきたい私でした。体もたんたて、マジで。あと、一切労災が出ないのは何でだろう……一つ目と三つ目は病院送りになったんだけど……。
働くという事はお金を得るためだけではない、社会の中で生きていく為に、そして自分自身の人生の為に絶対に必要なのだと痛感した。……これだけ読んだ人がもしいたら”ふざけんな”と思われるかもしれないけれど、私は今まで色々な人達と出会い、そして訪問をしたけれど、ただの一度も「幸せ」をそこに見た事はなかった。働いたら負けかなと思ってる……そんな俗謡が昔はやったような気がするが、もしそれが本当ならばどうして私は一度も幸せな人達にめぐり合う事がないのだろうか。
勿論、就労を止めた直後はかなり上機嫌だったりする。辛い職場、厳しい現実、もうそれに関わらなくていいんだという思いがひしひしと伝わってくるから、その時点では幸せなのかもしれない。でも、それがずっと続く人達を私は今まで見た事がない。ある時点から、澱んでくる。まだ私はその澱みを形容する言葉を持たないけれども、本当にある時を境に、その人の気配が澱んでいく気がする。無気力になる、というパターンが比較的多いかな。いや無気力というか呆然というか、寂寥感というのか。私は仕事上まだまだこれからです、人生何があるか分かりませんよと話はするが、でも一方で今の雇用情勢がどうなっているかは分かってる。やってやれない事はない。ただほぼ社会復帰はむりだろう、と思いながら話をするのが殆どだ。
詐欺、と言われればそうなのかな。でもそんな小さな事で人を騙したり掠めたりして何が楽しいんだろう、どうしてこんな事に喜びを見出すような人生になってしまったのだろう、と思うから……私のやり方は甘くなってる。当然出てくれば取り締まりはするけど、あえて追う、という事はしない。他の人からすると強かだ、許せないと思うような事例でも、私は寂しさしか覚えない。それが、あなた? それで、満足? どこで、狂った? と。たった一度しかない人生が不可逆的に狂っていく姿を見るのは正直辛い、しかも本人がしてやったり顔だと余計だ。そういう対応をされたときの私の本心はただただ心に突きささる悲しみ、人間というものの哀れさ弱さ、それを思い知らされて嫌になるのだ。
それに、若い担当相手に老いた人間が頭を下げている姿を見てると、正直いらっと来るものがある。確かに立場上はそういう関係になるかもしれないが、相手は人生という意味では大先輩(勿論とても見習えない過去だけど)。その相手に対して20年そこそこしか生きていない人間が説教なんてしていいのだろうか、そしてそれに違和感をどうして覚えないのか、更に私はその姿に強烈な憐れみを覚える。どうして子ども、下手をすれば孫のような年齢の人間にそんな態度をとらなければならないのか。もしこれが働いたら負けの末だとするのなら……私は、その言葉を全否定したいと思う。たまたま運が悪く(自業自得の人も沢山います、これは事実です)そういうめぐり合わせになっただけで、どうしてここまで立場が逆転するのか。私はいつもそんな事を考えて仕事をしてる。
だから教壇に戻ったら、働くことの喜びを伝えられる授業をしたいと思ってる。働くことの喜びは正直まだ分からないけど、でも、働かない事の辛さだけは骨身に染みて分かったから。してやったりの笑顔は、決して長く続かない。若い体は永遠じゃない。いくら自分の心の時を止めたところで、体は時間を刻むのを辞めないし、周囲の時間も止まらない。だから気付いたときには、もう戻れない。そう思っているから、私は引き篭もり対策について正直思うところがあるよ。引き篭もりは悪い事で社会に出るよう促す、それはそれでいいけど、じゃあその後どうするの? 悪いことです、社会に出しました、ではそれを言った人間はその人が来たら採用する? 他に経歴が全部埋まっている人が来たときにでも、人物本意で採用する? 私は人物本意と言っている人間程人物を見ていないと思っていて、社会的支援で脱出させてもその先がないのは一番分かっているくせに何を、というのが私のホントの思いだ。
ずっと自分が造った夢の世界の中にいて欲しい。でもそれが幸せだと思えないから、そういう状況に陥らないように、若いときから働くことの大切さを教えたい。これが今年の目標であり、私の考える理想の姿だ。2011年、昨年の健康診断「2」連敗の失敗を忘れず兎に角体をいたわり、それでも全ての戦いに打って出る姿勢を変えずに頑張っていこうと思う。今年は正念場。笑顔でこの場を去れるよう、まずは出る先を確保するんだっ!
というよりも逆に、これをやるなら今しかないような気がしてならない。そもそもこれがこの前の衆議院選挙後に成立を見なかったのは、民主党の中で反対論があったから。下手をすると党が分裂する……そんな事を言われていたからだが、今そんな事は絶対ありえない。支持率の急落、地方選挙での連敗、そして次の統一地方選挙での大敗北。特に統一地方選挙と地獄の衆議院選挙が控えている今、要するに「自分が明日無職になる」という危機が現実になっているこの今、確実な票田の誘惑に勝てるとはとても思えないのだ。それによしんばその政治家が気骨のある人間でも、自分はともかく自分の地区の県会議員・市議会議員から猛烈な突き上げを食らうに違いない。自分の無職化、支持者の突き上げ……そんな中でも耐えられる人間なんて、まずもってそうそういないのではないだろうか。
それに、造反・反対をするにも物理的にもう不可能だ。
この法案が厄介なのは、公明党が絶対に賛成側に廻ること。共産党はある意味徹底的だから”被参政権がないからダメ”とやるかもしれないし、社民党は”気の毒な人達”だから土壇場で何を言い出すか分からない。が、元々政策によって無党派を引き付けるという選挙戦術が一切取れない(自民か民主か、民主か社民か、社民か共産かと悩んで政策を聞いて決める人はいても、自民か公明か、民主か公明かを政策で聞いて判断しよう、なんて人はいないでしょう)、即ち「絶対に投票してくれる母体数を増やすしかない」公明党にしてみれば、これに賛成しないという戦術が多分ありえない。元々参政権付与を訴え続けてきたのだから抵抗もないだろうし、通しても公明党の場合は議員が増えるだけで減る事はない。だから公明党の賛成は恐らく間違いないところ。
だからこそ、今は物理的抵抗も不可能なのだ。この法案を潰そうと思うと最低衆議院で15以上、参議院でも15以上、計30人が「同時に造反」しなければならないが(衆議院の採決で止める事は不可能。だから参議院に送って否決させて続いて衆議院の再可決を防ぐしかないが、その為には衆議院・参議院の両院で議員を得ていなければダメ)、それだけの人間が付いてくるだろう政治家に反対派が一人もいない。30を超える派閥を持っている政治家の顔を思い浮かべると、大体が参政権賛成派であるし、そもそもこの状態で反対なんて言っていられない。
来年の国会の演説で「アジアと一体となった云々」と首相に言わせて外国人参政権法案を通して選挙に備える、これしか民主党に勝ちの目はない。例えばたとえ支持率が2割であったとしても、日本人の投票率が五割であれば100人いても実際に得票に反映されるのは50人で、そのうち民主に入るのは10票となる。しかし外国人参政権法案を通してかつ投票率を10割にすれば、たとえ10人しかいなくてもその10人が全員投票し、かつ全員が民主党に投票するから結果的に、日本人100人で得られる数と同じ10票が得られることになる。しかもそれは新規の票田で、恐らく民主と公明にプラスされるから、それが大きな上げ底になる。要するに「たった10人の外国人に働きかけるだけで、100人の日本人に働きかけるのと同じ」になるのだ。
勿論こんな法案は絶対通してはいけないのだけれど、だからこそ今しか通せる時はない。今ならば民主党内でも反対論は起こらない。仮に起こったとしても公明党の数を上回るだけの造反を衆参両院から出して束ねられる人間がいない以上、造反は単発的に終わり法案は確実に通過させる事が出来る。しかしこれはあまりにも露骨な売国行為である為、いくら民主党といえども非常時でなければ通じない。だからこそ今、この時を狙って法案を提出しなければ永遠に通らないだろうと思うのだ。
次の選挙において、民主党は間違いなく大敗する。イチかバチかで自称ファッションモデル(笑)を全面に立てて選挙することも出来なくはないが、地方のメタメタ具合を考えるとそれをやっても負けるだろう。党員としての勝利を考えるならみんなの党にでも逃げ込むか新党を作るかしかないが、民主党として勝つ方策というのは今では考えられない。そりゃ、ターミネーターを出して「マニフェスト……正直、すまんかった」をやらせればそりゃ幾分かは持ち直すかもしれないが、それでも今の数は維持出来ない。勝つための方策は一つ、ここで外国人参政権法案を通して移民政策を進めて3年間ギリギリまで待って待っての総選挙。
ただ今となっては、そういう選択を民主党がしない事を祈るだけだ……はぁ。
私の本心、そんなんじゃないって、ホント。それに言ってる事違うじゃないか相手側だって(笑)。
私は日々、自己否定から始まっている。今の自分は全然ダメで、教員復帰に向けて全力を尽くす事がその駄目さを消す唯一の方法だと思っているから、そもそも前提が他の人とは全く違う。それに自己否定というのは結構疲れる作業で、しかもそれがもうそろそろ2年になるから、いい加減私も疲れてきている。解放に飢えている、とでも言えばいいのかな。だから相手側がどう自己陶酔してもはっきり言って私は知ったこっちゃない。そりゃ相手側にはそこにいたる何かがあったのかもしれないけれど、でも、今の私はそこまで斟酌している余裕はない。また、同情する気にもなれない。体調を崩した? 片肺機能不全状態で採用試験受けまくってた人間だっているんだぞ目の前には、って思っていたし。
事実この日記が結構停滞していたのは、この治療にかなり時間がかかったことによる。この病が発覚したとき……それはようやく最終面接を終え、あとは健康診断のみというという時点で……しかもその病の罹患理由が容易に特定出来てその発生源を突き止めたとき。
私の対応は、そこから一ヶ月物凄く丁寧になりました。勿論、噴火のように爆発し続ける心のマグマを抑えるために、です。
正直に書けば、頭の血管切れるかなー、と思うくらいキレた。それで私の努力は殺されるのか、と。こんな理不尽があってたまるか、と本気で思ったよ。しかしレントゲンを見ると確かにそうで、とりあえず結核・癌の類ではない事は確認したけど、その後ここまで腫れ上がるってあんたどこに行ってるんだ仕事で、と医者に言われた。どこって、そんなんあそこしかない。あそこの為に私の夢は潰えるのか、そんな馬鹿な事があってたまるか、どうしてもがくように努力している側に被害がより強く出てしまうのか、と。
でも仕事場ではそんな思いを封じ込んで仕事をしている。だから目の前で自己陶酔をやられても全く動かないんだよ、心が。そりゃ相手側も辛かっただろうし相当の理由もあるだろう、自分で悲劇の主人公を演じたければそれでいい。しかしそれならそれで勝手に一人でやってくれ他人を巻き込むな、というのがあの時の正しい本音。こっちは身体を命を張って戦っているわけで、離脱した人まで構う余裕はないんです。だから言葉が私の心に響かなかったのは私が鈍感だったからではなく、それどころではなかったから。まだ空想の世界に耽溺するような状態ではなかったから、だ。
本当に、真実は奥深いものだと思う。これが正真正銘、あの時の私の本心だ。人は戦いをやめたときに老いる。熱があったら水を被り、息苦しければ耐え、気分が乗ろうが乗るまいが絶対に戦場には出る。あー、なんか根性論、とか言われそうだけど、やっぱりこれが私の本心だよ。差別はしてない。ただ病は撤退の絶対的理由ではなく、
撤退したいと望む自分を肯定するための単なる”口実”、”嘘”なんだよ?
ようやく肺が完治した(一時期は夜になると喋れなくなる程だったから、本当に長かった)。さて、勝負再開です!
だからもう好き放題に暴れ狂っているし、上司の顔色を窺うという事もない。その一方、仕事は真面目にきちんとやってる。それは兵糧供給拠点がここである事は間違いないので、どうしても失えないしその意味での恩義はあるからだが、だからこそ仕事は真面目になる。要するに、周囲の状況、全体を考えての修正などはしないで、本物の生のままの調査結果を素直にそのまま上げるのだ。
これは勿論プラスなのだけれど、最近大きな問題になった。私の上げる報告書はかなり細かい上に事実をそのまま書くため、例えば、あくまで例えばで実際の例とは違うけれども「家庭訪問をしたところ、家の奥に子どもがいた。ミニカーで遊んでいるらしい。その為その子どもについて尋ねようとすると子どもがそれに気づいてこっちに来たが、それを身内が大声で怒鳴りつけた。するとその子どもはその場でまるで人形のように固まったが、右手には青あざが幾つかあった。その後話の途中絨毯に血液じみたものを見つけたので、これは何か、と尋ねたところ、ペットのインコの血だ、との返答だった」という内容になる。
そいでもって、これが問題に何故なるのか。
理由は至極簡単。「もしこの家庭で今後問題が起こったとき、こんな報告書が残っていたなら”事実を認識してませんでした”という弁明が全く通じず、責任を問われる羽目になる。一体それについて貴方達はどう考えているのか! 危機管理能力がなさ過ぎるぞ」という事らしい。
らしい、というのは最初にそう指摘されたのは私の上官だったから。私の報告書は沢山の上司の決裁の下で成立する、で、まず罪に問われたのはその報告書を承認した責任だった為、私はその場にいなかった。しかしその後、本当は上同士の話だから私は呼ばれないはずだったのだが、特別にその場に召還された。そして相手は子どもを宥める大人のような柔らかい口調で
「高梨くん、これ、本当に見た話? 見間違いとかじゃなくて」
と言ってきた。……いくら私でも見間違いでこんな際どい報告書は上げない。血がこびりついていたのは複数個所だったし、子どもが怒鳴られた後に硬直したのも事実。何よりも自分はその場にいたのだから誰よりもよく知っている……といった話をすると、相手が次に言ってきたのは
「この文書がここにある、って事はもしこの家で何かあったとき知りませんでしたって言えなくて、徹底的に追及されることになるよ? その事は分かっている?」
ということ。……別に、追及するならすればいいし、それに私がこれを上げたのは「援軍要請」。こういう事態が起こっているが有効な手段が取れない、困ってる、どうしましょう。という伺いでもある。勿論相手の言いたいこともわかるし、それが一番私にとっては安全なのかもしれないけれど、生憎私はここで”安全”を得る気がない。兵糧供給地として取れればそれでいいと思っているから、だから報告書を撤回します、なんてことをするつもりもない。睨もうが何しようが知ったことか、それが響いてくるような年数の頃には私はとっくに教壇だよ(……と、思う、思いたい。鋭意努力中)。
ただこの時初めて、よく会見で見られる「そういう事実があったとは認識していませんでした」という発言の意味が分かった。例えば今の状態だと、私が報告書を上げて上がそれを承認したから、”事実があった事を認識している”状態になる。しかしもしここで私がはい分かりましたと報告書を撤回すれば、上が承認をしたという事実もなくなり、結果”事実があった事を認識していない”ことになる。つまりどういうことかと言えば、事実のあるなしの認識とやらは
「見た人間がそれを報告書にまとめ、上がそれを報告書として認めた」
時に発生するもので
「見た人間が知らん振りを決め込んだ。また、上がそれを報告書として認めなかった」
時には、”たとえそこに事実があっても”、事実があったという認識にならないという事になるのだ。
出世するという概念もなく、また長期的に職を守るという考えもからっきし持ち合わせいない。だからこそ、今回の事が生まれたんだろうし、そしてそれはプラスの副作用だと思ってる。ここに一生骨を埋める、出世の為に上司の靴も舐める、という考えだったら、こんな波風が立つに決まってる報告書なんて上げやしない。全く逆の考え、ここから必ず這い上がる、何があっても必ず復帰する、という思いだったからこそこういう報告書もかけるというわけだ。
ただ……私の場合はやたらそういう案件が多いそうで。うーん、正直すぎるのも問題かなぁ……。それに報告にあげる場合は私の手には負いきれません、っていう意図を含んでいる場合もかなりあるんで、正直危険な度合いは高いと思ってる。ただ私の場合援軍を呼んでも誰も来ない、たとえどんな状況でも助けが来る事が絶対にないもんだから、結局孤軍奮闘しなければならず、こういう横ではなく上への援軍要請になる。それが問題になるとなると……うーん、もう八方ふさがりだ。
ちなみに、横から援軍が来ないのは仕方ない事と理解してます。私が私の信念で動いてるんだと強気に出るなら、相手だって同じ事をしてもいいわけで、だから助けが来るとも思っていません。ただそれだとやっぱり難しいなぁ……と思う今日この頃でした。
この問題、たとえ犯人が検察でも一般国民でもダメだったんだ。というのもその内容が正式には裁かれなくても、どうやったって海上保安庁の不満は昂ぶり続けるし、その方向は政府に向いてしまうから。しかし、神戸がやったと石垣に突きつけたら一体どうなるか。組織というのは例えどれ程崇高な目的を抱えていても、内部対立は必ずある。今回のケース、敵の内部分裂を誘って初めて効果が出る。こうでなければ海上保安庁の団結は崩せないし、逆にこうしてしまえば後は勝手に消耗してくれる。その上これで長官を変えられるから、事実として「長官を更迭すること」・「日本が謝罪すること」という条件を受諾する事が出来る。普通だったら絶対成し遂げられないこの条件を全部成し遂げて土下座した、……つくづく、本当のドMは凄いと思う。
この事件で、結果的に海上保安庁は長官をクビにされ一致団結を崩され、ボロボロにされただけで終わっているような気がする。得をするのは誰? 「ああ、いい、もっと責めて。もっと謝るから、ああ、ああ」と勝手に喜んでいるドMの方々?
で、さっきからドMと言っているのはどういう事かと言うと、私が歴史系の研究室にいた時左派の人達と話していて感じたのが「この人達はマゾなのか?」というところに由来する。いや、謝罪するなら謝罪するでもいいんだけど、謝罪のネタを自分で開拓するのは一体どうしてなのだろう。歴史に埋もれて誰も気付けなかった罪悪を拾ってきては、「ほら、私達が悪いんです、非難して、非難してぇ」と叫んでよがって何が楽しいんだろう……。というより、この人達にとって歴史学は未来を建設的に考えるものじゃなくて精神的快楽を被虐によって得る為のツールなんじゃないか? とさえ思った事がある。それでそう思って初めて左派の人達を理解する事が出来た、そんな経験があったからなのだ。
何というか、こう言葉にするのは難しいのだけど、貴方達が侮辱しているのは自分の祖先なんだけど、と思ってた。いや、そうすると祖先だから守るという発想が保守的なんだろうと思われるのかもしれないけれど、でも、左派の人達は罪は罪、それでも祖先だ愛は愛、というこの後者が本当になかった気がする。いつだったか、「戦没者の墓を暴いて、その死体に向かって”貴方に戦争責任はなかったのか!”と厳しく問いただすべき時である」とかいう論文を引用して来られた事もあったけど、たとえそれが真の正義でも私はそんな事絶対にしない。だって祖先だから、相手は。そりゃ正義の実現を本当にやりたければそれが必要になるかもしれない、けれど、人の祖先捕まえて墓を暴いて罪を問えとは言語道断にも程がある、”誰しもが貴方みたいなドMの趣味を持ってるんじゃないぞっ!”とあの時どれ程思ったことか。
ただ一方で、どんな情報やツールであっても、マゾプレイの道具に変えるプロのドMは凄かった。犠牲者の手記・遺族の手記から謝罪の必要性を訴えるとか平気でするからなぁ……、あんたら取材対象の人に何ていってそれ貰ってきたんだよ、なんて当時も思っていたけど、どんな些細な事でも本当に彼等は見逃さない。そしてなければ造ってしまう。
しかしこのネタでそんなプレイを思いつくとは……最早脱帽。論理ではなく心がムチを求めているなら、これは極めて厄介。はてさてこのビデオ問題、中国に謝罪して海上保安庁を征伐して、そのドサクサに色々な法案を通して、マゾ達のおぞましい饗宴が始まるといったところでしょうか。もしも本当に愛国者、というより「お前ら現場の人間殺す気か、ふざけんなっ!」という方々が出したものだとすると、このビデオかなり中途半端なんだよなぁ。やっぱり、これはリスカか。
これは刑事事件での大原則であり、土壇場でこの悪用を思いつく事が出来るのは、本当に真っ赤で、自分の正義の為ならどんな屁理屈も捏ねる赤い弁護士ならではと思う。証拠を提出しないという事を維持出来ない、その上、証拠を改竄する事も発覚するから出来ない……ならば、「内容はそのままで明らかにはするが、その内容に関わらず証拠能力を失わせればいい」のである。争点ずらし。……左翼が日常茶飯的によくやる手法で、この状態だとビデオの中身がどうこうではなく「証拠能力の有無」に論点をずらす事が出来る。つまり「このビデオは何だ!」と相手に叫ばれても、「そもそもこのビデオには証拠能力がない。内容は関係ない、とにかくまず出所を探り、その追及からすべきだ」という主帳が出来るのだ。そしてその主張は内容を議論する主張と絶対にかみ合わないから平行線になるし、一番最初に書いた前提は確かに間違っていないから、民主党政権は正義を主張したままこの問題を消す事が出来るのだ。
そもそも、人間は隠されたものを知りたいと思う欲求がある。それを潰すのは土台無理な話で、もし公開を妨害すれば自分達が隠蔽していると悪の側に立たされる。じゃあ公開できるか、となるとそれをやってしまえばどうして釈放したのかと責められ、どちらに転んでも民主党政権は悪の側に立たざるを得ない。これを打開するには隠蔽しきる政治力で乗り切るしかないのだが、それがもしないのなら、今回のように「違法に」公開してしまって、それをもって「その違法性を追及する」という善の立場に廻った方がよっぽど良い。実際恐らくこれから、民主党は正義の立場で誰が漏らしたか探るだろう。正式な公開となった時だったら起こったであろう民主党絶対悪の立場には、もうならない。「何だあのビデオは」という追及を、「証拠能力がないから無効。誰だあんなことした奴は、正義の我等が成敗してくれる」という形になるのだ。
アカだなぁ……と本当に思う。大学院時代に討論したアカも本当に、討論だけは強かった。極論を平気で言うんだもん。「じゃあ貴方は紀元前5000年前に檀君がいなかったと証明できるのか」って出来るかそんな事! 文献資料が何もなく元寇以降にならないと現れない語り部の物語なんてあるか、って言っても全然聞きやしない。結局は、紀元前5000年前を証明しろ、って話になる。議論がかみ合っていないのではなく、議論をかみ合わせない。これが左派の強さの理由で、どれだけ頓珍漢な事を言っても言っている行為に関しては正義だから、問題が起きようもないのだ。
今回のビデオ、ばらしたのは誰か。誰が一番得をするのか。というより、こういう発想を出す奴は誰か。そしてそれは、ビデオが「完全版ではない」事が如実に示している。本当に義憤にかられた愛国者なら、全ての映像をさらけ出すはずだ。どうして四十数分にとどめたのか。それは……全部出したら証拠能力追及も何も吹っ飛んでしまうから。本当の愛国者ならばアカの事は考えないから全部公表してしまうが、それで証拠能力追及が吹っ飛ぶと困る連中は、絶対に全部を出したりしない。あくまでも一部分で、それでいて証拠能力を問えるほどリアリティがなければダメなのだ。だから今回の映像は公表されてもなお、40数分なのだ。
考えた人間の智謀は、はっきり言って凄いと思う。正しく人権派弁護師(笑)の詐欺の手口そのもの、って、あれ? 現政権にそんな弁護士出身のアカがいたような……。
「休日」の「朝五時」。どういう訳か「自宅に直接」かかってきた電話の相手は出るなり怒り心頭だった。対応が遅いって何だこの人、というより今何時だと……と思っていると、「朝四時に一報を入れたのに出なかった! いったいどういうつもりっ」との話。なる程、”そっち系”の人ね……。どうやって私の電話番号を知ったのかは大体想像がつくが、出なかったのは寝ていたから、といって通じるはずもない。それに電話の相手はすぐに「いいですか、とっても迷惑してるんですっ!!」と別の人に変わった。で、その人も怒鳴り声でいきなりキレ始めた。この世界の人らしく、当然前後の説明はなしで。
「どうなってんだここの施設は!! おい貴様っ!! 責任とりやがれっ!!」
……あーなる程、今年のハロウィンはDQN祭りか。わかった、うん、お菓子あげるから帰ってくれない?
……とも言えず、朝っぱらから強引に仕事モードに戻された私はそのまま事情を聞くことに。要するにその施設の関係の人が亡くなったので身内が呼び出されたものの、その施設の人の対応が悪くて腹が立つ、という事らしい。ちなみにこの話を引き出すまでに20分かかってます……キレてる人にいきなり事情を聞くのは愚の骨頂、兎に角鬱憤があるのは事実だからそれをはらさせないと……というのが私のやり方なので。
ただこの事情だと、どうして私の自宅に電話が来たのかが分からない。私はその施設の経営者でもなければ理事でもない。そりゃ施設に対して激怒しているのは分かるが、私が関わる理由がないのだ。そしてようやく怒りが静まったかな、と思った時にそっと尋ねると。
「俺は四親等だ!」
という素敵なお答え。……ごめんなさい。エスパーではないので四親等では分からないです。
ただ想像が全く出来ないわけではなくて、これで大体の話は分かった。後から聞いた話とも照らし合わせると、どうもこの人の四親等に当る人間が制度適用を受けているらしく、揉めてキレた施設がよりにもよって身内にその人がいる事を発見、「あいつに責任がある!」という事になったらしい。どうして死ぬ事を予想して葬儀屋の手配をしなかったのか、という文脈。いや、いくら何でもそんな遠い親戚のことなんて知りませんって。逆に病状を知ってた方が恐ろしいとは思わないか? という反論は勿論あるが、無意味なのでそんな事はしない。最近痛感したのだけれど、情の世界に生きている人には「利」しか通用しない。同じ「情」で訴えてもダメ、だって情って要するに自分の良いようにならないから出てくるもんだから。理屈や情はどうでもいいの。要するに自分の利が得られればいいんだから。
で、結局朝っぱらから葬儀屋の手配を自宅でするハメに。身内で誰かやってくれる人はいませんか、と尋ねると「誰がやるかっ! 一銭も出さないからなっ!」というナイスな答えと逆ギレ。頼むから逡巡の振り位してくれ、と思うがそこまで言われると仕方ない。手配をして相手を何とか納得させると、今度は私の反撃の番だ。電話を施設の人間に戻してもらい、今回の経緯をこっちから聞いた。それで出てきたのがさっきの四親等の話だったのだが、私としては「何故電話を変わる前にその経緯を先に言わなかったのか、今何時だと思っているのか、もめそうだと思うならどうして事前に連絡を寄越さなかったのか、というより誰から自宅の番号を聞いた!」ということを何とか感情を抑えてやんわり告げると、相手は一言。
「今後同じような事態になった時の為に、携帯電話番号を教えてください」
とだけの返答。私の質問、ええ、何も答えませんよ。この人も「情」の人ですから。当然そんなもん教えませんよ。そんな事したら何されるか……。
……で。あーもうやってられん、寝よ寝よ、と思って丁度寝付いたところに、今度は葬儀屋から電話。もう内容はばっちり分かる。エスパーじゃなくても想像出来るよ……
「四親等と名乗る男性がタダだと言ってこっちに来てるが一体これは……」
で、ハロウィン特有の妖精ですから御菓子を上げて帰ってもらってください、という本音を押し殺して、また同じ説明をやった私でありましたとさ。ちなみに私は葬儀屋に行くときにはこう説明してください、と予め説明をしておきました。その断片も、覚えてくれてはいなかったのね……
それで、ですが。
ハロウィンのイタズラは今年で定員を超えましたので、翌年からは来ないで下さい。イタズラしたいなら構いませんが、その代わりその時点で此方は迎撃を開始します。
でもそれで、評価してくれる? そんなものもって来るなんて、って逆に引いたりしない ? それとも、辞めた後の方がいい? だったら直ぐに辞めて来るよ。
……私が一番嫌なのは、私がこんな卑職と教員を天秤にかける人間だと思われていること。生活の安定さえある程度保証してくれるなら、きちんと生徒に向き合ってくれるところなら、私はどこにでも行く。都も、もういい。今はただ、一刻も早く元の道に戻りたいだけ。
それを邪魔するのが、こんな卑職であるという事実であるという事が眠れないほど腹立たしい。それが一番嫌。こんな職に価値を見出している奴なんているわけないじゃないか。今の職場、そして連中が上手く行こうが失敗しようが、そんな事知るか。勝手にやっていればいい。
その当たり前が理解されないのが、今一番辛い。そして、それ以外に必死に就職活動をしてハローワークに通っても、今と少し下がる程度で職を見つける事が出来ない自分も、また。「冷やかしですか?」とか馬鹿いうな。今の立場でこんな危ない橋渡る目的が冷やかしなんてやつなんているわけないだろうに。
真剣なんだよ、私も。
どうしてこの世界の人はこう言葉に無頓着なのか……。これを私が「上司からパワハラ受けた」って言って訴えたらどうする気なのだろう。どう聞いても自殺誘導じゃねぇか、大体これで首くくったら一体どう言い訳するつもりなんだろう、私の部隊長様は。
ただ私が落ち込んでいるのはどうやら本当のようで、仮面先に知られるくらいだから私の力も衰えたよなぁと嫌になる一方、それだけ悩みが大きくなったのかもしれない。相談しろ、って言われてもなぁ……「このままだと潜伏先で生涯を終えることになる」なんてどの面で言えというのだろう(笑)。社会勉強・教育実習の為に入った場所のはずなのにそこから教員復帰に失敗して、こんな所で人生終わったらどうしよう……要するにここに帰結するんだけど、こんな事話せないしなぁ。
それともう一つ、私の心に圧し掛かるのは「誰にも信じてもらえない」ということ。職場の方はどうでもいいです、私が職場に対して完全に無関心なので何を言ってもらっても構いません。職場の人達に何か言われても興味のない私は「あれ、カラスが囀ってる?」としか思わないのでそれはいいんです。問題は面接官が私の言葉を信じてくれない、ということ。要するに、どれだけ頑張って決勝戦までコマを進めても
「今の職を捨てて本当に来る気があるの?」
で潰されてしまうのだ。
勿論これは口実というだけなのかもしれない。元々落としたいからそうやって聞かれるのかもしれない。しかし私が強く思うのは「当たり前だろう」という強い気持ち。そもそも、どこの世界に今の職業と教員天秤にかけて現職に振れる人間がいる? そんなに私は穢れた人間に見える? こんなの天秤に載せられないよ塵みたいなもんだから。……でも、それを誰も信じてはくれない。一度あんまりにも疑われたので、「今ここで電話して辞めると言っても構いません」とやった事があるが、それをすればしたで過激と思われて落される。
でも一番嫌なのは、教員と今の職を天秤にかけて迷う人間だと思われること。一つ採用試験を受けるたびに私はかなりの苦労とリスクを背負ってやってきている。しかしそんな事まるで意に介されずに、本当は行く気がないのでしょう、と言われて潰される。だからもうはっきり言う、今私は現職が邪魔で邪魔で仕方ない。履歴書出して就職活動するたびに必ずそこを突っ込まれる。といって辞めたら辞めたで、通常この職を辞めるってことはないし辞めるとしたらほぼ不祥事だから、もう相手にもしてもらえなくなる。でも世の中には現職を塵芥としか見ない人間もいるって、どうやったら信じてもらえるのだろう。
それがない限り、私はここに留まらなければならないのだろうか。このまま、ずっと? 冗談じゃない。冗談じゃないけど、正直手詰まりでどうしようもない。私にとっての最大の悪夢は、このままここに勤め続けて人生を終えること。だから現職が本当に邪魔なんだけど、といって辞めてしまうと元々半死半生の履歴書が完全に死んでしまう。しかし辞めなければ相手には信じてもらえない。
……石川数正という徳川家の重臣がいた。この人物は智謀に優れた武将だったんだけれども豊臣家に寝返ってしまう、でもそれがもしも「将来豊臣家と決戦するときの為に」家康が送り込んだ間諜だったらどうだっただろう。徳川家が豊臣家に臣下の礼をとってしまったが為に、石川数正は本当に豊臣の家臣になってしまわざるを得なかった。こんなはずではなかった、どうして自分はこんな所で、対岸で主家を見なければならないのか……こんな事を思っていたのではないだろうか。
と、まぁこれが多分職場で暗くなった私の悩みのほぼ全てだけど、流石にこれは言えんよ(笑)。首云々の前に、多分殴られるからさ。
最近とみに、そう思うようになってきた。待遇は恵まれすぎている、保証も完璧という思いが本当に主流なら大量に集まるのが当然の流れなんだけど、応募者は果たしてどれ位いるのだろうか。3K、という仕事がキツイ仕事の代名詞であったけれど、この仕事は重労働に耐えられなくなってくるとか精神的に参ってくるとか、そういう事もあるけれど直接的に殴られたり刺されたり、そういう事が日常茶飯事で起こってくる。といっても警察権力を持っているわけではないから此方としては手の打ちようがなく、以前日本刀で訪問した人間の首筋を切り刻んで金を脅し取ってきた時も、裁判と言う話にはならなかったという話だ。
危険手当は出る。出るが、250円。それでも積み重ねればかなりの額と思われるかも知れないが、病院に行けばそんなもん直ぐに吹っ飛ぶ。詳細は後日に廻すけど、第一チェックポイント決勝後の健康診断で驚いた。「もう一度息を吸ってもらえる?」と言われ指示通り息を吸うと、本当は健康診断で言うことじゃないんだけどね、と言われつつも「直ぐ病院に行ったほうがいいよ」と言われ、そのまま病院へ急行した。ここの過程はあとでゆっくり書こうかなと思うけど、まぁレントゲンをみて驚いた、右肺真っ白(笑)。本当に夏空の散り雲のように真っ白で、医者曰く「一体お仕事はなんですか?」との事。ここまで肺がやられて自覚症状がないってことは癌だの結核ではないんでしょうが、このまま左肺までやられると死にますよ、というお話。
まぁこの原因は「アイアン・スエッド」ことあのお家、訪問5分で自分の汗が茶色になる(部屋のニコチンを汗が吸い取って色が変わるから)か、もしくは「30年間無清掃」(部屋のあちこちに蜘蛛の巣があるが、蜘蛛が干からびて死んでる。ガチャガチャ式のテレビに埃が油でこびりついている。害虫の死体もかなりあるが、殆ど干からびている)のどちらかだろう。どちらも20分を過ぎるとニコチンと埃で目が空けられなくなってくるので、ほぼ盲目状態で記録をとるからその時間帯は英語に変わる。日本語で崩し文字を使うと種類が多い分何を書いたか不明になるので、まだ英語の方があとで区分しやすいという理由からだ。出るときも手探り。目は涙で滲む上激痛が走るからまともに見えないし、その後公園で咽こんでいるから本当に時間もかかる。もし肺がやられたならここしかない、とだから私は思っている。
結局感染症ではなかったから勤務は続行できたが、他の人のように玄関先でお茶を濁していればこんな事にはならなかったかもしれない。ただこういう話は全く他の巣に住んでいる人間には脅威であるようで、たまにここがどういうところか、来ないためにはどうすればいいかを怯えながら聞いてくる同期がいる。本当に顔が不安に満ちていて、それを当人である私に言うってどうよ、とは思いつつも、本当に不安で仕方ないらしい。で、その不安は全てのほかの部署の人が抱えている。善悪の問題ではない、死が目の前にある場所なのだから、皆厭うのはよく分かる。
『蟹工船』、船板一枚先は地獄。癒着だの接待だの横柄な態度だの指揮監督だので居丈高な人間も、一つ命令が下ればいつこの地獄世界に来るかわかったものではない。それを知っているから、楽な部署と呼ばれている人間程異動に関しては怯える。全年齢に可能性がある為、身分がどれだけ高かろうと意味が無い。一見偉そうな人も、そんな不安の中で戦っている……そう思ってくれたらいいな、と船板一枚下の地獄で療養中の私は思うのだ。営業でもなんでも、いきなり扉を開けたら鉄製の文鎮ぶん投げられて出血、とかはないでしょう?そしてそこに毎月行かなければならない、なんてことはないでしょう?
なりたければ、なればいいと思う。でも、ここは本当にキツイぞぉ(笑)。病気になったが保証はあるのか、と聞いて、「払ってんじゃん危険手当、250円」と言われてみ。仏陀だって鉄パイプ握って襲い掛かるわ、そんなん。
のっけから凄く危ないタイトルだと思うけど、昔からそして今もこの”性差別”については割り切れないものを抱えている。男女平等は強力に推し進めていくべきだと思うし、また平等とはいっても肉体的な違いには配慮した上での所謂”実質的平等”でなければならないとは思う。しかしそれを進めるというなら、それまで保有していた特権も同時に手放すべきではないのだろうか? そしてそれを求める事こそが、本当の男女平等を推進する立場の人間が行うべきことなのではないかと思えてならないのだ。
ただ私も、全てが排除しなければならない特権だと思っているわけではない。例えば、女性専用車両。これはもう犯罪統計がアレなので、認める事は必要悪だと思ってる。男性が女性を痴漢する件数は確かに多いし、いやこれが多かろうが少なかろうが、逆パターンなんて殆ど存在しないから反論のしようがない。事の道義はともかく、件数として圧倒的一方的に女性が被害者になっているのだからやはり女性専用車両は必要だと思うし、またこれを排除する事は前述した実質的平等とはかけ離れた形式的平等に過ぎないと思っている。私自身そういう事を求めた事はないし、またこれからも求める事はないと思う。それは、実質的平等の実現こそが重要だと位は思っているからだ。
だが一方で、「それはあり?」という現象も存在する。具体的にはやったら相手にセクハラされるからこの仕事は出来ない、担当を変更して欲しい、という発言は本当に通用するのだろうか、ということ。少なくとも女性にはこの発言は可能で、男性には不可能なものである。セクハラされるから代わって欲しい、という私には出来ない逃げ道を相手が持っていて、更にそれを他人に向けて行使して他人に責任を転嫁する……これが本当に正しいセクハラの考え方なのだろうか。第一これを通されてしまったら、どれだけ頑張っても仕事は立ち行かなくなってしまう。断固阻止、しかしそれをやったら多分セクハラと私が訴えられてしまうのだろうなぁとも、弱気にも思えてくるから情けない。ただ私はどうしても認められない、いやどうせ上からの命令で「セクハラと訴えられると問題が出るので」と早晩言っては来るんだろうけど、それでも私はタダでは受けない。「私もこの仕事が苦手なので代わって欲しいと思っておりました。相手の事情は知りませんが、交換には応じます」といって話を受けるつもりだ。
あくまでも、セクハラだからという理由にはしない。セクハラを印籠代わりにして自分の欲得をかなえようとする行為は男女平等に対する冒涜でしかないと思っているし、男女平等を真剣に考える人間こそ、こういう行為にはハッキリとNO! と言わなければならないと思う。交代しない、という選択をするわけではない。ただしセクハラがどうのという理由には絶対にしないというだけのことだ。ちっぽけな意地と思われるかもしれないが、セクハラと言えば何でも通ると思ったら大間違いだ、という事だけは訴えたいと思う。
というよりも……うーん、どうしても解せないのが、この世界は性的嫌がらせよりもキツイ事が幾らでもあるんだけどどうしてこれが嫌なのかなぁ、という点。話をしていたらいきなり殴ってきた、会話中終始楽しそうに笑いながら刃物を持っていた、家に入ったら全裸だった、ドアを開けたら文鎮(鉄製)が飛んできた、何でそうなったのか分からないが鉄製の観音像を頭にぶつけられて出血した、既に一升単位で酒を呑んでいた為話をしようにも全く出来なかった、などなど、これ等よりも重いものなのかなぁ。普通の仕事であればセクハラは何よりも重い、それは他人には分からない事だ、ということで割り切りも出来るんだけど……何の脈絡もなく首絞められる職場でもやっぱりそうなのだろうか?
それについては分からない。でも一つ分かる事は、その仕事がもうすぐ廻ってくるという事だ。あともう一つ……セクハラ絡みになったから担当変更の話になって、こっちに来ているという背景も付け加えておく。私は現在対価となる仕事を探していてそれとの交換とするつもりだが……どう考えても釣り合わない(笑)。その相手は別にセクハラしようがしまいが強烈に厄介だからすっごくリスクが高いし、といってそのリスクに合わせようとテーブルの上に包丁置いて笑いながら話す相手をこっちから出すわけにもいかないし。
それに6月に食らった孤立無援籠城地獄以降、私がなりふり構わずやってきた「二度とそういう事の起こらない環境作り」が大不評という背景もある。誰も援軍を出してくれないと分かったから、そもそもそういう場合は手を出さないことにした。ただこれが今この時になって断りきれない圧力となって圧し掛かっている……特に結果的に私が被っていた重圧の大半を受けることになった相手の「恨」はやっぱり凄まじいものがあるわけで……。って、結局そういう原因があるんじゃないか、というところで今日はおしまいです。
本当は……、いや、そこまで書くのはやめておきましょう。あんな手紙を送りつけられたら誰だって……、だからあれはセクハラではなく……げふんげふん(笑)。
大家からの電話に、私は二の句が告げられなかった。……この世界はそういう世界。1の恩が平気で1兆の仇となって返される世界。ここで誠意を見せるということは、匕首を渡しているのと同じなんです、というのが私の経験上の本音だが、それを言ってみても仕方ない。本当に僅かな情が、大きな不幸となって平気で戻ってくる世界。大家が別に経営している店に押しかけての営業妨害、通路の不法占拠、窓からのゴミ捨て、注意するとすぐ警察……本当に御苦労をされたと心の底から今も思うのだ。人道に尽くすのは簡単ではない。だって尽くした結果は、自分で負わなければならないんだから……。差別をなくすために行動した、でもその結果を負うのは個人。なんだかねぇ。
ただ実際のところ一番厄介なのは事故物件、要するに自殺者が出た物件を抱えた大家だろうと思う。自殺者が出た場合その次に借りる人間にはその事を知らせなければならないし、家賃も大幅に値下げすることになってしまう。しかし家賃を大幅に下げたところで、その噂が残っているうちはその不動産は空いたままだろうし、周辺住民も否応なく転居してしまうことだろう。だから大家にとって部屋での自殺は大損害で即刻賠償金を請求したいところだろうが、最近は何だかそれが非人道的な事のように表現されるようになっている。そりゃ、自殺者が出た身内にとっていきなり賠償金突きつけられたら困るだろうが、大家にしてみれば固定資産税も払わなければならない身、また”連絡がつかなくなってドロンする”人間もかなり多い為、早めに言わなければならないというのに、だ。
勿論、大家だけを擁護するつもりはない。先述の大家にしても、後で契約書を読ませてもらったが、正直あの連帯保証人の人選はミスだったと指摘されても仕方ないと思っている。私は一応誰がどこまで動いてくれるか把握しているから、この人物が動くか動かないかはだいたい分かる。あの大家の訴えに対しても、私は元々連帯保証人の選定を間違えたのが原因だと思っていて、どこまで身内と丹念に話をしたのかが実は疑問だった。そりゃあそうだよ、私はその人物を頼って、十日連続の居留守を食らって地獄をみたからねぇ。だから一言相談があれば絶対に止めたのに、と思うなど、大家過失が零ということはあまりないな、と思っていたりはする。
ただ一方で、自殺に関しては身内も気付けなかったのかな、と思う節もある。伏線なし一発成功の場合はそりゃ仕方ないにしても、伏線アリ未遂アリの場合における自殺は、これはもう身内の責任を問われても仕方がないように思える。自殺未遂にも色々あって、中にはこれは絶対に既遂にならないと思える方法もあるが、でも、やってるうちに体力衰えて死ぬって事が本当にあるから始末におえない。例えばリスト○ットについても、あれ単品で一回だけなら先ず死なないが、何回かやってたり変な偶然があると本当に死んでしまう。だからもう未遂の時点でアウト、身内がきちんと管理しなければならないし、管理するのが嫌だというなら連帯保証人になるなとも思う。
病院も余程酷ければ入院させるが、いきなり閉鎖というのは余程の事でないとありえない。多分通院処置になるだろうし、本当に死に向かって一直線の場合は通院なんて絶対にしない。だから連帯保証人になりました、で、自殺の気配があったので病院に付き添いました、だけでは何の解決にもならない。だって、そこで終わる可能性の方が高いのだから。年配者とか手帳取得者ならば服薬管理の通所もあるかもしれないが、若い人間だとそれはないだろうし、となるとそういった事があった時は同居するなり病院の日は必ず一緒に行くなりしていって初めて、連帯保証人の義務が遂行されると思うのだ。
部屋自殺の現場は凄絶で、総取替えというのも納得だし、というよりも入れ替えても消えないんじゃないかとさえ思うほどに酷くなる。周辺住民も警察が来る、私のような人間が来る、等で直ぐにピンと来るし、だいたい匂いというものがこれまた凄まじく、空気が砂に感じる、と言えばいいのか、空気に石を感じるといえばいいのか、とにかく筆舌に尽くしがたい。だから隣人が家賃下げろというのは納得、転居するもの納得、だから損害賠償はそれなりの額がやっぱり求められるだろうなと思う。
もしも損害賠償が殆ど認められなかったら。恐らく今以上に不動産の審査は厳しくなるに決まってる。厳しくなれば住宅にあぶれる人間が続出し、そして結果的にホームレスがまた増えることになる。これ、正社員待遇改善と全く構造は同じ。正社員が奴隷のように働かされている、改善すべきだ、改善すべきだ、と叫びまくって総攻撃をかけた結果、正社員の待遇は改善されたものの企業が正社員をとらなくなって、結果仕事に炙れるか扱いの悪い派遣が増えるかという事になった。
物事を訴える場合はやはり全体を見なければならないな、と思う今日この頃でした。これで大家の権利がごっそり削られれば、また不動産にあぶれる人が増えて、それはそれで苦しみが増えるんだろうなぁ……。
それはともかくとして。
日々の仕事の中で語る言葉が「伝わってないんだろうなぁ」というのが分かるから悔しい、という思いはある。「探せば求人はまだ沢山ある」とか「多分労働市場で需要がある」という私の言葉も、相手は”そりゃアンタはそういう立場だからそういうんでしょうよ。でも実際そんなのあるわけないだろうがっ!”としか思われてないと分かってる。でも、違う、私は本当にそう思っているから言っているのだ。若いということ、手に職を持っているということ、それだけで本当に財産なんだから。
若い。それだけで価値がある。別に言葉巧みに騙しているわけでもなんでもない、探せば必ず職は見つかる……一体私がどれだけの求人をこの年齢制限で諦めたと思っているんだ……、もしもその思いが伝わったなら。
手に職。それだけで価値はある。経験を正当に積んだ人間は強い、これは募集要項を見れば直ぐに分かる。そしてその経験を積めるステージは大体過去に終わった場面だから、今更どうこうできるものではない……、もしもその思いが伝わったなら。
私は厳しいのでもしつこいのでもない。純粋に「羨ましい」だけなのだ。私にないものを持っている方々が、だからその力をせめて生かして欲しいと思う。その為にも、こっちには来ないで欲しい、こっちにきたら戻れないから。だから頑張って欲しいと本当に思う。それに私は……いつも厳しいわけではなくて、ある条件が揃った時はあっけなく通してしまう事がある。それは、もう就職は無理だろうな、と思ったとき。逆に言えば私が固い時はまだ希望が相手にある時で、私は本気でそれを思っている、うらやんでいるような時だけ。
まだまだ希望は残ってる。駆け引きとかじゃなくて本当にそう思うから私はそう言うんだけど、それが理解される日は多分ずっと来ないだろうなぁ。私から見たら皆様宝玉の原石ですよ。……何なら、私の履歴を抱えて最前線に出てみます? 見れるよ、本物の地獄(笑)。
そろそろ虫の音も涼しげになってきた。当分は求人よりも能力向上を重視して、そいでもって、決戦!秋の陣、……やるか!
……はい、久々復活のこのコーナーですが、見事に職業病入ってます。この職業にいると、人間だからって無条件に命が尊いって思えなくなってくるんですよ(他の存在の命と比較したときの話です、あくまで)。先月も「過去で現在を推定するの良くないっ! 心を入れ替えるってことだってあるかもしれないじゃないか! 履歴書差別反対!!」と強引に私が制度適用を成立させた方、あっさり司法に御用となりました……。がくーっ、と来ました、あれは。将に先方の読み通り。ない頭絞って必死に法の道を探って間隙から成立させたというのに……まぁそういう事が重なっているため、人間の命=他よりも尊い、という事に疑問を抱かざるを得ないわけです。はい。
さて、このPSP用ゲーム「コープスパー○ィー」は俗に言うSIREN商法(ただしこっちは合法)で爆発的に話題になったゲームで、確かにやってて面白かった。それは間違いなくてだからこそ久々にレビューを書きたくなったのだけれど、ただなんと言うか、楽しくてのめりこんだが故に物足りなさというか、「え、これで終わり?」という所謂”あら”がとても目に付いた。本当に面白かっただけにもう少し時間をかけられなかったのか、そういうのが最終的な感想です。
では、まず簡単に内容を説明します。要するに「文化祭が終わった夜、仲のいい学生5人とそのうちの妹一人、それに先生と合わせて7人で”幸せのサ○コさん”という、成功したらいずれ必ず皆再会できる、という儀式をする。しかしその儀式は失敗に終わってしまい、哀れその7人は天神○学校という呪いの廃校へと飛ばされてしまう。ばらばらになった挙句外にも出られず、廊下や教室には死体の山。その中で7人はめいめいの方法でこの学校からの脱出を目指すのだった」というところ。
それであの恐怖映像が始まるわけですが、しかし最大の疑問は最初も最初、その”幸せの○チコさん”という儀式そのものにあったりする。これゲーム中では7人が再び再会出来るように、っていうおまじないとして描かれていますが、やってることは
「人型紙製の方代を七人で同時に引きちぎる」
です。えっと……これのどこが幸せのおまじないなんだと(笑)。しかもその前に皆が「サチ○さんお願いします」と祈ってから同時に引きちぎってるから、この方代、多分サチ○さんの霊か何かが宿っているんでしょう。それを7人同時にぶっちぎったら、そりゃー天罰も来るわな。だから最初ゲームをやって7人が廃校に連れ去られた時、「そりゃまぁそうだろうな」と妙に納得してしまい、逆に「どうしてこんな事になってしまったの?」というキャラ達のトーンには首をずっと傾げていた。どうしてって、頭・右手・右足・左足・左手・腹・腹の七箇所を同時にぶった切るなんて真似したら逆鱗に触れて当然な気がするんですが……はい。
だから私は当初、このゲームの真犯人はこの占いを持ってきたオカルトマニアの委員長だと鉄板で信じていた。仮にもオカルトマニアを名乗る以上、この儀式の胡散臭さは当然知っているはずで、こいつがわざとやったんだろうと本気で最初は思っていた。ところがゲームを進めていくと、本当にこの人知らなかった様子。オカルトマニアを名乗っていてこの儀式の危なさに気付かないってそれはいくらカマトトぶってもばれるって、と思っていたが本当に知らなかったようで、終盤この方法をネットに載せ、間接的に委員長へその方法を知らしめたキャラに対して
「貴方はこの方法をブログに書いて何の罪もない人をこの学校に集めようとした。なんて酷いの!」
と委員長が罵るのですが、いやそれは逆ギレだろうと(笑)。そんなのHP見てたらポップアップ広告で「一千万円当りました」と出たのでクリックしたらウィルスだった、と抗議するのと同じレベルではないかと。何というかこれを全く知らないキャラが出してきたならともかく、オカルトマニアがというのが最後まで、というか今でも引っかかってる。だいたいこれ、幸せのおまじないというより呪術に近いものだしなぁ。
次にホラー度について。基本的にはグロ画像と呼べるものはなく、死体系のCGも死後直後か白骨のどちらかなので、別に特にどうというものはありませんでした。一番見たくない「色つきの死体」(環境の悪いところで死後数週間経つと身体には色がつきます、カラフルな。しかもそれが一色ならばいいんですが二色三色の場合もあります)とか、「溶けてる死体」(死後長いこと経ってしまった為液状化した死体です。ちなみにこの場合葬祭業者は棺を使いません、特殊な「袋」を使います)はないので、その点は問題ないかなと。白目を剥いて死んでいるやつとか内臓ぶちまけている奴とかあるけど、じゃあそれがホラークラスかと言われると別にそういうわけでもないので、怖いという感覚は全然ありませんでした。
いや、全然…というわけではないんですが。個人的には黒化という「壁にその人の身体の形がそのまま黒くシミとして残る」というシーンが怖かったのですが、それはそのシーンに行く度、初めて首吊り死体の室内現場に立ち入ったことを何度も思い出す、という個人的な理由だもんですから……。部屋の中で首をつって時間が経って首がもげてそのまま床に倒れこみそれが絨毯に溶けて、結果私が立ち入った時はその人間の形のまんま絨毯にシミが残ってましたからねぇ。黒化を見るたびあれがフラッシュバックするので私は怖かったですが、普通に見るとただのドット絵なのでそうでもないとは思いますけど。
キャラクターは……裁判になったら一番責任の重そうな人以外は、まともだし感情移入も出来るかなという出来でした。父子・母子家庭の二人はいい人過ぎるのと通常の人間の反応だったし、主人公も適度な勇気度合いで面白かった。死体写真を集めていた某キャラにしてもまぁ、ああいう非常事態になると頭が混乱する事はあるからいいんですが、どうして演劇一筋のあの状態からそういう転換をしたのかは見てみたかったです。というより、彼がいた事がこのゲームの「消化不良」というか「もっとやらせろ」感をもたらしたというところで、この死体写真愛好家の彼がこよなく愛する同学年の彼女ともしも一緒に漂着していたら、というIFの世界にはとても興味が持てました。
反対に、オカルトマニアと言いながらあんな儀式を持ち込んだ委員長は最低でした。要するにこの委員長、「どうしてこんな事になったの、誰のせいよ、もういやぁぁぁ!!」という発想から抜け出ないんですが、そりゃどう考えてもお前のせいだろう、と何度突っ込みたかったことか。怪しいとは思わんかったんか、と。他の六人は被害者かもしれないがアンタは加害者違うんか、と。しかもそれでいて最後この人<自主規制>だしなぁ。どうして? それと当然私的であってもこの委員長は裁かれなければならないんだけど、それがないのはどうしてでしょう? 何というか一番の悪人がどうしてのうのうと、というのが一番納得いかないところでもあり、またここもIF、一人だけ入れられたらどうなっていたか、を見てみたい人でもありました。
総じて……この天神○学校の世界はとっても面白くて色々なキャラで色々な角度で是非何度も見てみたいもっと沢山、と思うんだけど、作りが兎に角雑すぎて。続編というかパワーアップバージョンでいいから、その死んでいった先代の学生達の奮闘をもっと掘り下げるとか、折角多重空間なんだからもっともっと他の学校の生徒とすれ違うとか、で、すれ違った相手が実は既に死んでいたのをさっき死体で確認したんだけどそれは自分達が未来の時空にさっきまでいたからで、それでその後の行動で未来を変えられる、とか。もうやりようはいっくらでもあるとても面白い世界なのにどうしてこんなに雑なの。あと戦争と精神障害だった何があっても許されると思うなよ……です。心を病んで人を襲う方は確かにいるが、あんなに巧緻に動けないですって。
とにかく、続編というよりも拡張版希望。できればメンバ−変更あり、で。それとどう考えても委員長が迂闊すぎるので、それなりの天誅が下されることを祈ってます。だって、そんな儀式ネットで拾ってきて、そりゃやった奴が悪いだろう。「キラキラのビーズを集めて花型のブローチ作って」とか何とか書いてあるならそりゃやったかもしれないけれど、「紙製人形を集団で引きちぎる」なんておまじないを普通やるか? その上自責の念よりもどうして自分が、という思いになるって一体何なんだよこの人。
……以上、やさぐれゲームレビュー久々の復活でした。このゲーム本当に面白いです。ただ、面白いからこそあんまりに雑で最後は嫌になります。あと次もしこのコーナーをやるなら「流行○神3」ですが、これは私が本当に大好きなので雑だろうがあらだろうが気にならないので多分無理です。セガの忌火○草はPS3で最初出しておきながらあろうことが真相を別ハードで出すという不誠実で論外。ナナシノゲェムはタッチパネル操作で酔ったのでパス。来年のディスガイア4に期待、といったところですか。零がWiiに行ったのが本当に惜しいですが、ま、もうこれは縁がないと思って諦めています。
あ、そうそう。昔やってたやさぐれ映画レビューの復活は未定、です。一度「A.I」の感想(これ正直に思った事だったんですが)として、「要するに黒人を差別したくて差別したくてもうたまらない白人が、新たに合法的差別対象としてロボットという対象、具体的には”人間になろうとしてなれない対象”を作り上げ、その足掻きを見てほくそ笑んでいるというだけの、白色人種特有のいやらしい西洋文明堕落の象徴」とやってリアルに「ちょっとおかしい」と言われた事があって、そのショックが今も続いているので。でもほんと、素で私にはそう見えたんだけどなぁ、あの映画。Please make me a real boy、でしたっけ? あのrealの後に省略されているWから始まる単語はないですか? とか本当に思ったんだけど。
あれ、ひょっとして職業病じゃなくて昔から私こんなだったかも。
どうせ公的な場になればこれがなかったことになるんだろうけど、相手側の交換に名前を覚えられるほどしつこくかけた。「折り返し返答します」の答えを4回聞いて、その度に折り返しがなく、その為に私の方からかけるということを4回した。でも、相手は一切電話に出てこない。しかも「一度電話したのにお前出なかったじゃないか」と言われて調べると、相手からの折り返しは夜10時。事前に連絡でもあれば残る手もあったが、そうでなければ当然出ることなど不可能。それでもめげずに……何度も電話をかけ続けた。それがあって最後
「分かりました。”返答をしない”ということは、現段階ではこの人を普通の方として扱います。構いませんね?」
という言葉、及び結論となった。相手側の反応は”差し支えない”というものだった為、私は本当に普通に進めて、制度適用の決定を出した。この制度は暴力で物事を解決しようとする集団を徹底的に嫌う為、幾重もの制限が相談した時点からその方面の人間にはかけられる。ただしこれには唯一抜け穴みたいなものがあって、適用を申し出た時点でその道の疑いのある人間に関しては○察の調査を仰がねばならず、その結果がアウトだと自動的に申し出を退けることになるのだが、逆に調査を仰いだもののその結果が出る”前”に決定を下してしまうと「その結果がアウトであっても自動的に退ける事にはならない」。扱いが「決定を下した後に知りえた事実」になる為、此方としてどうするか相談者と話し合って対応していくことになり、その間に書類のやりとりを重ねて間違いなく最終的にはダメという事になるものの、その間は制度適用者として扱い続ける事が可能になるのだ。
こんな法の間隙を突くような真似に到ったのは、どうせ誰も信じないだろうが、相手の病気があったからで、断じてそういう集団に好意的というわけではない。というのも、普通の人の場合医療機関には3割負担でかかれるけれど、申し出を受けて調査開始から終了までの間は、その3割負担制度が使えなくなる。基本、10割負担となるなのだ。勿論此方から”いずれ成立するから今は本人負担なしで診察してください”という依頼を病院にする事はするが、それが通るのは成立した時にはその時の分此方が全て払いますから、という前提と、もしも成立しなかったときは充分余力がある時なのでご本人に請求してください、と言える前提があるから。しかし今回に限ってはそれが出来ない。余力があるから退けるわけではないから不成立でも医療費は取れないし、此方から支払う事が出来ない。だからその間医療機関にはかかれない、という事になるのだ。
だから私は、不成立なら不成立でなるべく早く調査を終え、相手を3割負担で病院にかかれる状態に戻したかった。しかし、待てど暮らせど相手の答えは来ない。いや、待てど暮らせどなんかしてない。それが冒頭にあった催促の話で、何度も何度も事情を聞いた。特に今回は最初の答えが1時間で戻ってきていた為(結果はアウト。しかしその書類は保留にしてくれと言われた後、○察が来て持ち去られた。それがこの前あった事)、どうしてここまで引き延ばすのか理解が出来なかった。その間にも、それが自作自演なのかどうかは知らないが、自ら命を絶つような真似を相手が起こしている。だから速やかに医療を、と考えたが一向に相手が動かないためとうとう、此方でさっきのような間隙を突く方法を取らざるを得なかったのだ。
なんと言えばいいのか、どこまで自業自得で片付けられるのか、というのも私が今回決定をした理由でもある。お薬を過去に違法に使ったから苦しんでる、現在も苦しんでる、だけどそれは自業自得だから放置しろ、という考えは分からなくもない。そこまでは私も何とか理解は出来るのだ、しかし私にはその後に続く、たとえそれで死んでも自業自得、というところまではついていけない。苦しむ事は自業自得で片付けて放置、でもいいかもしれないが、死が迫っているのにそれまで自業自得で片付けるべきことなのだろうか。
勿論それは自作自演かもしれないし、そこまで到っても救われないほど、薬に携わった事は悪いことかもしれない。しかし死んでも自業自得、という考えには同意できない。自殺未遂は放置出来ない。過去の発端がどうであれ、現在の状況が酷ければそれは配慮されねばならず、今はその配慮の時……という思いが私にあったのだ。
これから結果が出た後、○察からの厳しい追及が多分私にあるだろう。去年もそうだった。同じように死に瀕している状態だからと私が○察の要求を退け続けた時も私は出頭を命じられ、釈明に行ったら取調室に連行された。「それだけ庇うってことは、お前も一味か?」という心外極まりない尋問も食らったし、どれだけこっちが死に瀕しているか説明しても「でもそれはそういう道に走った自業自得だよな。そういう道に走らなければ今の状態にはなってなかったんだから」の一言で返される。最終的に黙殺という手段で事を収めようとしたが失敗、最後は○察から「ここいら近辺の人達からは全員協力を頂いている。この近辺であんただけだよ、協力しないのは」と言われるというとんでもない経験を味わう羽目になってしまった。
しかし、私は思う。「過去でいつまで未来を縛り続ければ気が済むのか」と。過去にやった事は確かに悪いこと、しかしだからといって全ての未来を閉ざされる謂れは何もない。勿論法的に問題があってずっと閉じ込めろ、とか言われたのなら別だが、そうでないなら、過去は過去、未来は未来と割り切って接するべきではないのか。過去によって、不当に未来を縛り付けるべきではない。まして、命がかかっている時にまで過去を持ち出すべきではない。私は何度か日記で書いてきたように、履歴書にするとぐっちゃぐちゃで、この過去の為に相当苦労してきたし今もしてる。だから過去に不当に苦しめられる痛みが自分の事として分かるという面もどうしてもあって、それが命がかかっているとなれば、もう私にはこの決定しかなかったのだ。
これが吉と出るか凶と出るか。間違いなく凶だと思う。ただ過去のせいで命まで失うという現状を認める事が出来なかっただけ。
ほんと、私も思うよ。いくらなんでも裏切りすぎたってさ……過去の自分。
人事の方は既に後釜を考えているみたいで、その布石みたいな事は打たれていたらしい。でも思う。どんな仕事でも死ぬ可能性はあるけど、この仕事は家族を殺める可能性がある。しかも幼い子どもや老いた母など、抵抗力のない相手をだ。そういう仕事としては病院も同じかもしれないが、あそこは消毒薬が豊富にあるし、一般以上の病院ならばそれなりに衛生にも気を使っているだろうし、使おうと思えば使う事が出来る。しかし、この仕事は違う。ゴ○ブリがハエのようにあたりを飛ぶので鬱陶しくて払い落とすとか、そういう場所で話しこまなければいけない。訪問は制度適用者を縛るルールかもしれないけれど、逆に此方を縛るルールでもある。部屋に入ること、というのはこっちにだって相当辛いってこともあるんだし。
自分には幼い子供がいる、という話をその指名を受けたと思しき相手から直接聞いたけど、それなら本当に何が何でも人事に抵抗した方がいいと思う。私はまだ独り者だから、私一人のことで済む。仏像投げつけられて出血したりしても、たとえ○物持ってそこらじゅううろうろしているあの人物がこっちにそれを向けてきても、はっきり言って自分のことだけで済むのだから。でも、病気だけは防げない。家族だろうと何だろうと伝染してしまう。そんな事を思うなんて、と思われるかもしれないけれど、そういってそれを行動に移した人はかなり死んでる。すぐに発病、という訳じゃないけど、実は感染症でそれが爆発、なんて事は良く聞く話だ。勿論自業自得、という事もあるのかもしれないけれど、そうそう人に命令なんて出したくないし、医者に行きたくない、このまま生涯を終えたい、という気持ちも分からなくはない。
ただそれだと、訪問した人間が食らってしまうことになるわけで。仕事者にも色々なタイプがいるけど、私はあんまり病院に行ってください命令は出したくないタイプだから余計だろうと思う。だから本当に申し訳ないと相手には思うが、ただもう賽は投げられた。次の民○委員の全体会合で最期だろう。……本当に、申し訳ありませでした。
そんな泣きが入ったのが昨日の夕方。その返して欲しい書類と言うのは……代表者の角印が朱印で押された、どこからどうみても正式な書類。実際私はこの書類を相手に請求する際に正式な請求方法をしているので、当然それにしたがって帰って来た書類を疑う事はしない。印鑑は押してあるし、私も正式なやり方で書類を求めたし。だから当然その書類が戻ってきたら、こっちはそれを前提に事務作業を進めることになるのに……これだ。
「……許可、出てるんですか?」
私が最初に聞いたのは、まずそんな言葉だった。もし私が同じ事をしたとなると、それは遥か高位の人間が決めた事実宣告を自分一人で覆す、という事になるから絶対しない。というよりも、元々高位者の決定を得るためには関門がかなり多いため、回収しなければならないようなものは出せない、というだけなんだけど。だから一体何なんだろうって思っていて……そして、そういえばこの書類、30分で出てきたよな。普通最高位の印章を得ようとすると普通に数日はかかるはずだし(私の場合は10人の審査が入るので、まぁ時間は相当かかります)、あれ、これひょっとして……。まさか……。
ただ、私は何も言わずにそのまま返した。親切、というよりも同じフィールドの人間ではないので、別に係わり合いになりたくないという事が一番大きかったかな。で、私が許可を出すと直接やってきて机の上から分捕って帰っていった。少し席を留守にして戻ってきたらもうない、で、聞いたら「持ってったよ」との返事。よっぽど焦ってたんだろうなぁ、と思いつつもまぁどうでもいいや、と思っていた次の瞬間。
「身内から承諾をとってください。ただし身内の住所は教えられません。今日中に取って下さい」
という電話が、その相手先からかかってきた。要するに身内の承諾がなければ動けない案件が先方に出来たんだけど、その身内の住所を渡すのは個人情報保護の規定に背くから不可能、しかし時間が迫っているから今日私の側が承諾を取ってくれとの話。当然私からは「交渉するにもどこの誰かが分からなければ無理ですよ。住所と電話番号、これだけは下さい」と話をするものの、相手は「教えられません。また、これは私達の仕事ではないと慣例で決まっています。貴方が交渉して下さい」と全く耳を傾けない。この相手の願いを叶える為には……私が即座に全ての予定を空け、その人の本籍地がある役所に出向いては戸籍を取り、そして転籍していれば別の役所に出向いて取って、それで調べるしかないのだが、そんなものは絶対に不可能だ。しかも相手が交渉して面倒だから、と言う事は相手は相当嫌がっている。それを名前は教えない、しかも一日だけで、とは……。
「無理ですよ、そんな事♪」
はい、それで電話はお終いです。出来ないものは出来ないんですから。しかしここまで掌くるりをやられるとはなぁ……まぁ別にいいんだけど、貰った文章を返す段になった時、私も結構な上司に許可を貰ったんだけどねぇ……。相手側が使者の独断で上位者の文書を分捕る事が出来ないように、私が上位者の名前を使って得た文書を勝手に処分できるはずもない。だから一人一人に事情を説明してなんとか返却を納得させてはいたんですけど、それはチャラですか。
ま、でもそんな話はとりあえず終わり。次のチェックポイントが私を待つ!
そういう思いを身につまされているから、明日の決定は気が乗らない。以前同じような事があったとき、「もう二度と絶対にそういう道に走らないことを証明せよ」と言われ、必死になって色々証拠を集めたけれど警察は相手にしなかった。それでやり直しの二度目、もう一度警察に新たな証拠を持参したら「取調室」にぶち込まれた。でてきた刑事の話を聞いていると、どうやら私があまりに熱心に証拠集めをし、かつ警察の指示に「無回答」を貫いてきた為に私もその一味なのではと疑ったらしい。あの時取調室で食らった尋問は、生涯忘れない。まぁ……それはともかく。私は別にその人単体を庇ったわけじゃなくて、過去にあった事で未来の全てを否定されるのを目撃するのが、同じく別の意味で過去に何度も追放されている私には見ていて辛いし傍観できない、というのが動機の全てだった。
それで、三度目だったかな。「分かりました。しかし私達はこの人の該当を消しませんから、どうやったって認めません。まぁ貴方は確かに○○○に関して、この人がもう関与していない事実を証明したかもしれませんが、”他の組織のどの組織にも関わっていない”という証明は出来ないでしょう。つまり他のどこかの組織に関わっている可能性はあるわけですから、該当なし、という結論には絶対にならないんです」と食らったのは。
要するに日本中全ての組織に関して、もう関与していないという証明が出来ない限り、関与可能性がゼロであるという「該当なし」の判断は出せないという話。こんなの、出来るはずがない。結論としては、過去にそういう事があった人間はどんな御託を並べても絶対に許さないという事だ。私はそれが間違っているとは思わない、この事例に限って言えば、その通りだろうと思ってもいる。しかし「過去がそこまで未来を縛る」という抽象的な表現になってしまうと、私はどうしても我慢が出来ない。
だからあの時は結局半年位持久戦に持ち込んで、無回答を続けた。簡単に言えば、「そっちが全ての証明がなければアウト、という暴論を使うなら、こっちは”決して拒否しておりません。必ず指導には従います。しかし何分、結論を出すのに時間がかかるものでして……はい、すみません、私は本当に無能なのです。もっともそうですね、……期限を明確に区切って命令できる権限や法令がある、というなら話は別ですけれど。法律の名前を仰っていただければ此方で調べますが、何か?”」という態度で半年間黙り続けたのだ。(だから明日の決定通告にここからの援軍は来ません。一対一のガチ勝負です)。
また、それが繰り返される。いくら証明したってあんな事言われるから無駄なのだ。過去は過去、未来は未来。たとえいずれは清算をしなければならないとしても、当面の間は、例えば半年位は普通にやっていいのではないか。一宿一飯の振る舞いもダメとなると、もうあと死ぬしかないんじゃないか?過去はそれ程重いのか?過去が全て未来を決定するのか?過去が悪いと未来は見ないのか?……ふざけるな!
そう思っているだけに、明日の決定通告は気が重い。絶対に相手は信じないと思うが、全員が反対票を投じた中で、ただ一人賛成票を投じた上強引に成立を目論んで”お前ええ加減にせぇよ”とやられたのは、それを手渡す私。だから私を責められても本当に困るんだ、だって私は賛成の側に廻っていたんだから。
でもま、結論的に敗北したのだから当人にとっては同じか。はぁ……。
ただ、だったらせめて訴える相手を考えて欲しいとは思った。この話を聞いた時人間的な組織だったら心配という発想になるが、そうでない場合は「人事管理の不行き届きの外部指摘」と処理される。で、今回解釈を受けたのは後者の方で、女性の上司の方からはよりにもよって一番客層が重なっている時間に
「辛ければいつでも辞めていいからね」
とぶちまけられた。しかもこの女性の上司は地声がデカイから周囲に聞こえるんだよなぁ……これが狙いだったのか何だか知らないが、受付に来ている人からは当然ざわめきが起きる。そりゃそうだろう、そんなもんいきなり見せ付けられたら私だって同じ反応をするよ。私の答えは「お心配りに感謝します」とにっこり。間違っても「こんな公衆の面前で罵倒したけりゃしてもいいけど、いざ私が退職となった時に逆襲の口実にされるのが分からないのかなぁ」という本音は口にしない。でもそれすら理解出来ないって本当に馬鹿だよなぁ、とは思っていたりする。コーナーの隅でやるならともかく、私がパワハラといって訴えを起こした場合、目撃証言どうやって潰すつもりなんだろう。別に私は羽虫がどんな羽音で鳴こうが知ったことではないけど、ああ、こういう人間と同じ空気を吸っているのかぁと思うと確かに嫌にはなる。
うーん、表情に出ているとすればそれか。思えば第四チェックポイント決勝戦の時、意気を高めるために前職復帰を強烈に誓いまくったのがいけなかった。あの時「前職復帰こそが正義であり、人生」と決めたため、今まで何とか自分の心のなかで帳尻を合わせていた今の自分と理想の自分の乖離が一気に、現実として突きつけられる羽目になったんだよなぁ。心に固く前職復帰を誓ったのなら、今の自分は悪なわけでしょ? 本当はそんなに極端にならないけど、悪、とでも思わない限り気迫は篭もらない。面接の勝負点は気迫、というのが私の座右の銘で、勝てる、と思って戦わなければ絶対に勝てない。だからそれを強烈にやって、今そのリターンに苦しんでいるというのが本当。
仕事? 教員以外だったら何でも同じだよそんなん。宣戦布告の一件は、本当に相手に申し訳ないと思ってる。相手は相当苦しむだろうなぁ……何せ、支援してくれるかもしれない血のつながった人物を全て暴力で潰していった人だからなぁ。私が殆ど身内支援の可能性を探らなかった(だから決定が異様に早かった)のは、その相手を次から次へとぶちのめして警察呼ばれてるからだよ。その事実を知って、「あ、こういうやり方があったのか」って私は思ったほどだもん。確かにそうやれば身内の援助可能性を完全に否定出来る、そりゃ自業自得だろと思っても、このままでは誰の支援も受けられずに死んでしまう、というのは紛れもなく「事実になる」んだから。でも相手様はそれに納得せず、身内の呼び出しをやるらしい。辞めておいた方がいい、とは言ったんだけどなぁ……。
あ、それと。不信心とかそういう事関係なく仏像投げつけられるとリアルに痛いわ。
私がこんな事を考える分岐点になったのは、来年で教員免許状の期限が切れ、かつ、そのまま免許状を失効させるという考えが全く頭になかったから。来年になればなんと言われようが更新講習に出るし、私がこの夏の決戦で一番欲しかったのは、更新講習を受ける上で必須になる「教員になる可能性を有している証明」。要するに来年講習を受けるためには自分が将来教員に戻る可能性があって、しかもペーパーではない事を証明しなければならず、といって今の立場でそれを言っても何の説得力もないという事情があったから。だから相手を納得させるために、何としてでも最終じゃなくてもいいから合格通知が欲しかった。今回の夏の陣、結果的にそれには成功しているので私にとって成果はあった。
で、翌年に免許状更新講習に出ると表明をすれば、あとはもうどう言い繕っても「あ、こいつは逃げる気だ」と思われるのは避けられない。だったら翌年でも今年でも同じじゃないか、という思いが私にはあった。だから今年の段階から無茶をして戦いに挑んだわけで、本当であればのらりくらりと回避して来年度までは居座るつもりだった。それが面接官に民○委員が混じっていた事で全てご破算。流石の私も、ここから誤魔化すすべは浮かばない。まさかそんな偶然があるなんてなぁ……その人の前で私は散々言っちゃったからなぁ、どうして今の職を選んだのかの本当の理由、今後この職をどうするつもりかの偽らざる気持ち。書類だけならともかくこんな状態では、もう保つ事も難しいと思ってる。
何というかなぁ、英語でも何でも教員に戻っておけば良かった。心の底から後悔してる。あの時私は英語科の準備をある程度はこなしていて、中学レベルなら何とかなるように整えていた。発音の勉強もしたし、家の中で模擬授業を何度やった事か。だから私をとどめたのは英語科、という門外漢という理由ではなくて、門外漢がファーストステップを邪魔していいのかなという罪悪感と、誠意を受け入れてくれるかどうかの自信がなかったこと。実力がなければ捨ててくれて構わないけど、実力があれば評価してくれる……そんな所だという確信が最後までもてなかった。逆にそれさえくれれば、私は3月の上旬だろうが中旬だろうが転居の準備は出来てたんだけどなぁ。新しい物件と、あと引越屋に見積もりも獲ってもらっていたし。仕事の都合がつかないなんて大嘘、3月の仕事は1日にで終わったよ。11月から前倒しで全部やってたから。ただ私があえて無理難題を吹っかけたとき、相手は誠意ある回答をくれなかった。私も無理難題だと分かっているから、相手が承諾したり考えるという答えをしたらそれを遮って、そのまま引っ越すつもりでいたよ。だから、家具の整理中止とかで結構あの時もお金がいった。
それでも、突撃するべきだったなと今は思う。
還らない夢だけど、こんな事になるなら素直に一年目の内通でそのまま裏切ればよかった。二年目の今、中々内通先も決まらない。その上根拠となる砦がもう保てない。
なんであの日の私は大学になんて行ったのかなぁ。そのまま家で悶々としていれば、迷う事無く引っ越して英語科の先生として全てを賭けていたのに。懲戒免はこまるから動きが出次第こっちから出すけど、こんな事になるとはねぇ。
さて、と。あとは残された仕事をぱっぱぱっぱと片付けて、身奇麗にして使途不明金の一件をやるか(笑)。……最期に、私が確かにそこにいたという事を刻み付ける意味でもね。
『隣の巣に宣戦布告をするよ♪ その使者として一人で乗り込んでね♪』
普通なら何人かでやるんだが、今回使者に立つのは私一人。ああ、乗り込むのはいいけど生きて帰って来れるかなぁ。今回の場合特に暴行罪3件が絡んでるから、送り出したらさぞや恨まれることでありましょう。で、誰も送り出す使者には立ちたくない、はい、その事情は良く分かります私が逆の立場でも絶対嫌ですし、受ける側としても受けたくないですから。警察が出て来て取り押さえた、って記述が記録に3回ある時点でそんなのやっぱり嫌だって受けるのは。で、だからこそ「後腐れない」私が使者に立つことに。
はてさて、上手くいくかいな。せめて警察沙汰が1回だったら若気の至りとか説明も出来るんだが……。ま、これは以後詳細を少し書いていこうかな。多分これが私の、最期の仕事になるだろうから。
民○委員の事で詰んだというものもあるし、教員採用試験を受けるということは当然、教員熱を最大限に燃やした状態で挑むわけだから、必然的に他の仕事は嫌になるわけなんですよねぇこれが。面接の前は教員しか眼中になし、なんとしてもここでっ! と自分で思い込んで、つまり「思い込みで武装」してから挑むから、その時に思った事が後々まで残ると辛いんすよ。なんで私はこんなところで時間を潰しているのか、なんて思えてきてね。いやー、私にとっての聖書を使ってない段階でこれなんだから、使ったらもう即座に辞めるだろうな。……色々茶化して書いてるけど、現職を持った状況で勉強して法律やら要領やら勉強して挑むって、結構根性いるからね。それと、心の中にどうしても叶えたいという動機の力。
言い逃れの余地消滅。それは止められない崩壊の始まり。
そういう訳で、籠城準備に取り掛かった。要するに来るべき村八分に備えるということで、まだ情報が来ていない今のうちに仕事を一通りこなせる最低限の知識をかき集めるのが目下の緊急課題。この場所で一番困るのは知的包攻で、知識の干し殺しが一番堪える。やるべき仕事はきても、やり方を教えてもらえない。これが一番辛い話で、勿論全部出来ませんでしたと報告して「教えてくれないもの出来るか!」とやってもいいのだけど、それは単なる自爆に過ぎない。それをやるのは次の居場所が見つかった後のこと。今はひたすら耐え忍んで、次のところを探すしかない。次のところが見つかれば……あとは大将首目がけて突撃するのみ。討ち取るべき相手は分かっているから、そこの退路が確保できればあとは楽、と言えばそうなんだけど。
ただ今は、そんな事を言っている場合ではない。最悪なのは問答無用でばっさりやられる事で、何としても持久戦に持ち込まないとえらいことになる。持久戦に持ち込んで一年班耐え切って、その間に次を見つける。それまで籠城が出来るか分からないけれど、しかし、もうやるしかない。……塾講師にまで選択の幅を広げるか……、うーん、何だか自滅への道を暴走しているブレーキのないスーパーカーみたいな気がする……。
態々遠いところで戦ったのに、面接官の中に”私の”地元の民○委員が面接官として混じってるなんて思わないじゃんか、ふつーさぁ……。
そりゃー、猛り狂うわな。ご尤も至極ですよ。どうして転職を決意したか、なんて事を私が堂々と話しているのを聞けば、そりゃ誰だってキレますわな。うーん、「そんなに、今の場所には魅力がないですか?」と聞かれたときに気付けばよかった。でも、そんな事全く想定して無いし、気付けないよ流石に。その上相手は私の役職と号棒も知ってた……これ知ってるのって、多分私の組織のボスと人事課だけだと思う。あの人が民○委員やってる地区って、そういえばボスが何かやってるNGOの主な展開地区だもんなぁ……。
ふざけてんじゃねーよ、と思いながら聞いてただろうなぁ。容易に想像がつくよ。これはもう完全に致命傷。しかもこの人の正体が分かったの面接の最後の最後だから、志望動機から職歴の説明から全てやったあとだもの。私は基本的に、他人が聞いて誤解するかもしれないと知りながら分かりにくい表現をあえて使う事はしても、嘘をつくことはしない。それにしても今回の面接は真正面で戦った。だから、あれ全部本音なんだよ。で、多分それは通じてるはずなんだよ。だから、激怒するはずなんだよなぁ……。なまじっか、手抜きをせずにしかも誠実・正直にやったのがキツイ。チャラいことばかり言っていたならまだ逃げられたものを……。
さて。最早俎板の上の鯉。志望動機やら何やら全てを聞かれた今となっては、言い訳することも適わない。しかしまさかそう来るとはね……天網恢恢粗にして漏らさず。来たか、天誅が……。
何というか、私は今の職についてから理想と現実のギャップというものに半ば嫌気がさしている。力ずくでいかないと解決しない事もあるんだよ……言葉でどうにもならない事、常識何それ美味しいの、とか、家の中で実は家族死んでましたてへっ、とか本気でいるんだから。いじめの現実を交渉で解決しましょう、成程それは素晴らしい。で、その交渉が妥結するまでの間、その生徒に課せられるいじめはどうやって止めるわけ? 仮に交渉妥結まで30日かかったとすると、その間は耐えろという話? それと先輩教員が気を悪くするという理由で適切な処置を見送れという、それが出来るならそもそも日程を血の滲むような苦労でつけたりしませんって。生徒対応がなんぼの世界じゃないの、ここって。
うーん、こういう時は反省する為にも自分の悪い材料を見つけなければならないんだけど、まだあんまり冷静じゃないのかな。最初に聞かれた「周辺の自治体、そして貴方が住む自治体はどうしようもない程駄目なのですか?」、にしても、普通に「遠方から来ているようですが、近隣を選ばなかったのは何故ですか?」と聞けばいい話だと思う。どうしようもない程駄目って、そりゃ、私の住んでる自治体はどうしようもなく駄目だよ(笑)。あの人事はないよなぁ、と今でも思ってるし、ここだけは死んでも受けないと思っているからその通り。だから別に同じなんだけど、でも、言葉に悪意のトゲがあるというかさ……これが単に住んでる自治体というだけだったらまだ良かったかもしれないけど、私の場合その言葉って……ねぇ。いや、どうしようもなく駄目なのは認めるけど、認めるけどさぁ。
「どうしてそんなに生徒を大切にするんですか?」という質問もどうかと思う。これは先輩教員の面子を潰す気か、と怒鳴られた後に別の面接官から聞かれた質問だが、それが教員採用試験で”疑問”になるっておかしくないか? いや、心の中で思っても良いけど人に言う言葉じゃないだろそれって。生徒を大切にする事がwhyになるなら貴方は何故今そこにいる? と思うし、正直絶句して一瞬詰まった。どうしてって、それがやりたい人が集う場所じゃなかったのか、ここは。上司のヨイショがしたいだけなら、何も危険を冒してこんな所に来ないって。半端じゃなく危ないんだから、こっちは。
勿論、相手にしたって「こいつ何だよ」と思った事は理解する。経歴から言ってる事から五里霧中で、本気で相手をするのなら何としてでもここを暴いておかないと危険というのは分かる。しかし最初から最後まであんなトーンで質問されたら、しかもあんな内容を問われたら……やっぱり直後の日記はああなるわ。というよりあの後実はもう一幕あって、この人達の正気を疑った私が他の受験生に聞いたですよ。どうだったのか、って。するとまぁ「カッコイイ人が面接官で照れちゃった」という返答で、模擬授業も「どのテーマがいいか選ばせてあげる。キミの専攻は日本史、じゃあ古代・中世・近世・近代、どれがいい?」と選択の余地があったとの話。私の場合は専攻が日本史で模擬授業は「この面接では模擬授業をしてもらいます。CBD、はい。立って」だったんだが……。CBDの何をしゃべれと? それと、考える時間ゼロの折檻はいいとしても何分やればいいのかは教えてくれ。というより、唐突にそんな単語ぶつけられたから反応する言葉もなかったわ。しかし、他の人は違うんだなぁホント。選ばせろ、とは言わないけど、せめて単語をぶつけるだけとか勘弁して欲しかった。その後別の課題もあったんだけど、その時面接官は「あ、ゴメン。これ貴方に出す課題じゃないわ。でもいいや、やって」だったし。
総じて、この第三チェックポイントは不快なだけだったなぁ。第二チェックポイントは単なる都市伝説に踊らされただけだったし、第四チェックポイントは試験会場に入った時点でどん引きだったからなぁ。あんまり詳しく書けないけど、青森の奥地を歩いていたら国会議事堂を見た、という印象。あの校庭の中庭にある「松下○塾」というでっかい看板は辞めた方がいいと思うけどなぁ、すっごくパチモンの匂いがするんですけど。試験会場の中は中でいきなり訓示とか始まるし、今は一応関係者じゃないのに一体私は何を聞いているんだろう、とずっと思ってた。まぁ試験前に偉い人が出て来て訓辞をするのは珍しくないし、「お前ら○○○に○○した奴はこの試験がどんな成績でも絶対落すから覚悟しろ!!」と言い放った伝説の猛者のいる学校も「実在」するからねぇ(あそこは本当に凄かった。何年か前だけど、あそこは今もあんなことをしてるのだろうか、謎)。第五チェックポイントは致命傷が大きすぎてパス。絶対に勝てるブツがあるにはあったのだが、それだけに自爆したときの破壊力が致命傷だった。で、今後は第六・第七と進めていく。
だいたいこの世界は9月10月が中堅どころの主決戦期になるけど(大手と”俺はブラックだ文句はあるか”は時期構わずやってくるからねぇ)、今年は不作かもしれない。見る限り平年作よりも下というか、全体的に勢いがない。確かに私学の場合は団塊の世代の退職とかあんまり関係ないのかもしれないけれど、でも求人数が減った上に待遇が滅茶苦茶なのが増えたよなぁというのが印象的。「予定」とは「ゼロ」の事。一番最悪なのは、「予定」と書かれたことを暗黙の了解として相手が出していると思い込んで試験に挑む事で、「予定」は「未定」であり「決定」じゃないから。だいたい本気でやるつもりならそんな有利な条件、予定なんて書かないし。実際まぁ私の場合はこの予定の部分がどこまで確固たる事実に基づいているか、とやってしまって、先方との話が潰れたんだけどさ……。
さてさて、それでは次の決戦の準備をしますか。
どのみち、もう今の場所には残れんだろうしなぁ……。だからもう年金かけるの辞めて欲しいんだけど、申し出たらそれで一発だろうし。でも一発でもいいか、掛け金高すぎるしもらえる事はどうせないんだから。うーん、でも流石に拙速の感は否めないからまだしないけど、時期が来ればすることになるかな。兎に角交通費と休みと教材を工面するのに精一杯、相変わらず苦しい立場が続く今日この頃でした。
この7月に入ってから、土日が決戦以外で費やされたことないっす。休暇も全部それっす。つまり休みゼロで戦ってるんで……ほんと、ヤバイかも。
でも。
その教育県とやらが何を考えているか知らないが、文書を受け取る=収受したらそれは公文書という物ではないか? それに「ぺっ」とツバをはきかけるなんて、もし私達がやったら多分戒告クラスの話になると思うぞ。なると思うぞ、という答えなのは、そんな事やる人が出るなんて考えないから。私も大量の文書を扱うけど、人が書いてきたもの放り投げたりつば吐きかけたりなんかしない。それは
「人間だから」
……圧迫させようとしたのかもしれないけど、私の場合怒りよりもスイッチが侮蔑に入った。ほんとうに品性下劣な人が教員をしているんだなぁ……お部屋の中でツバを吐いてはいけませんよ、って学校で習いまちぇんでちたかにゃぁ? 三人の面接官が一人一人質問して、願書はコピーしてなかったみたいだから廻すんだけど、そういう時に放り投げてはいけません。「公文書の扱い」は基本中の基本で一年目に必ず習うんだけど、そういうことは忘れちゃったのかな。面接の前に、県としての資質の問題になっちゃうよ。
「先輩教員の面目を潰す気か!」(いじめが他の教員のクラスで起こっていて生徒が相談してきた、どうする? の私の答えに対して)、「でもいじめが実際に起こっているという設定ですよね。だったら」「それがその先生なりの教育方法かもしれんだろっ!」……えーっと、それを口にするのは流石にまずいかと……。心に思っているのかもしれないけど、それPTAにばれたら貴方の首が危ない言葉だぞ。いじめが教育方法ですか、素晴らしいですね、さすが教育県(笑)。今まで受けた自治体の中で群を抜いて職員の対応が悪かったのも納得です。いやぁ素晴らしい。腐った芸術ですな、こりゃ。
そいでもって最後。「で、お前に道徳はあるか?」という質問。「少なくとも人の文書にツバ吐きかけない程度にはありますが何か?」と余程言ってやろうと思ったがそこはもう、同じ人類に属する相手と想定して喋るのがバカらしくなっていたので「ある、と断言するのは口はぼったいかもしれませんが」というと「ねぇよ」と断言。「いや貴方に言われたくないというより、多分貴方は道徳を理解できないのではないですか」と思いつつ相手の話を聞いてると、「なんだこのボウフラみたいな職歴は、ふらふらしやがってこのクソ野郎。大体お前如き余所者風情には逆立ちしたって地元の教育なんて出来るわけがねぇだろうが。そんな事も分からないでのこのこ試験受けに来やがってよぉ。帰れこの野郎!!」
んで、再びツバ吐きかけられて面接は即終了(帰れこの野郎!!と怒鳴られた直後に、それでは面接を終了します、という言葉で終わった)。
うーん、面接はもうどうでもいいからちょっと出るトコ出てくれるかな♪ 自治体に今回あったこと全部手紙に書いて送って、それで駄目なら正式にやるから。それと
『いいでちゅか。おへやのなかで、そんなにつばをペッペしてはいけまちぇん。もう50歳は過ぎてるんでちょう。だめでちゅよ、そういうことしちゃ。めっ』
素晴らしきかな教育県(笑)。暴力肯定教育県(爆)に幸あれっ!!
まず同情的な部分。はい、この世界は新卒以外は死ねといっていると思います。ハローワークが使えないのは……私自身が失業給付を受けた際によくよく存じ上げてます。求人のまぁ<自主規制>なこと<自主規制>なこと。書類で落ちまくるって、私の場合最早通す方がきついし、履歴にしたって、何だかんだ言って正規採用2回短期で辞めてるだけに他の人より物凄い不利。だから多分「心にも思ってない事言うな! この嫌味バカ」と思われているんだろうけど、でも「今の貴方ならきっと出来る」というのは本心なんだよ。少なくとも私に比べれば。今回の決戦にしても束縛が多すぎて心身共に衰弱してる、だから本当に今しかないと思うし、私にないものを持っているとも本気で思ってる。相手は自分に対してマイナス評価しかしてないみたいだけど、ところがどっこい。私の方がずっとマイナスは多いわけ。そんな中でまだ戦っている私だから、本当に羨ましいと思うことだって普通にあり、だ。
ただしそれを伝えるためには、私がハロワ通いをやった事があるとか、現在も現役兵であるとか、そういう事を明かさないといけないから当然結果はNGになる。相手は多分、安定職に就いている傲慢としか見ないだろう。だから私の呼びかけはむしろ逆効果、嫌味になってしまうんだよなぁ。ただ実際のところは、私程その境遇を理解出来る人間は多分いないと思う。だって……全部経験してるから。若いこと至上主義でやられるのがどれだけきついか、社会と接点がなくなって長いこと時間が経ち始めると、どんな心理になってくるか。承認欲求が満たされず孤独化し、やがて心は荒んでくる。それ知ってるもん、伊達に長いこと都落ち生活やってないんだからこっちは。
ただ一方、だからこそ私よりも資源を持っているのに使わないのはどうして、と個人的に思う部分もある。おためごかしでも嫌味でもなく本気で思う、はい、「嫉妬」するくらいに。私のもっと自由な時間があれば、就職活動に使える自由な金があればと何時でも思うし、もっと若ければとも痛烈に思う。勿論私にも若い時期はあって、その時それなりに採用はされて、その上で今があるんだから私に文句を言う権利はないけどさ。でもそういう資源を持っているなら、人間として活用してほしいと願う。使えないはずがないんだから。
就職は「運」だと私は思っている。一定以上の能力を身につけたら、あとはひたすら出すしかない。分からないんだから、どこが自分の特性を欲しがっているかなんて。私は採用する側の内部にいた時に聞いたし実際内部からだとこういう感性になるよな、と思うのは、実際に欲しい人って例えば教員であれば「○○先生が部活の担当やめたがってるから、後任になれそうな人がいいなぁ」とか、そんな絶対分からないものでしかないから。だから自分の能力がどれだけ高くても、そんな身内の事情に適合しなければアウトだし、逆にどれ程低くても適合すれば採用は得られる。そういう意味で、やはり総じて「運」なのだ。「ゲンが悪いから○○は採用しない」とかもあるしね、実際の話をすれば。
勝負は、戦ってみなければ分からない。少なくとも戦場には立って欲しいと願ってる。そりゃそうそう勝てる戦いばかりではないし敗戦の連続は地獄だけど、それでも勝つしか救いはないんだから、戦っていくしかない。でもそれが分かっていても辛いんだよ、苦しんだよ、撥ねられ続けるっていうのは。そりゃ理屈ではそーでしょーよ、でもこっちだって辛いんだよ! 好きでこんな足踏みしてるわけじゃないんだよっ!! そりゃ、過去に色々あった。空白もある、でもそんな事一々掘り返されたって何もいう事なんかないよっ!!……なーんて思いを誰よりも自分がしている、と言えば少しは好転するのかな。
多分一番履歴書出して採用試験を受けているのは、私だと思う。休暇も金も、それにしか使ってない。切迫感は同じ、でも信じてはくれないんだろうなぁ。余裕の立場からする高見の発言じゃないんだよ、私は。同じだから、言ってる。社会的接点を完全に断たれた時、最初は良くてもその後からじわじわくるあれを知っているから。だから明日からも言い続け、そして何時か殴られんのか(笑)。とてもバカらしく因果応報だけれど、仕方ないわなぁ。今持っている決勝戦は一つ、まぁここが決まると至極厄介な事にはなるけれど、それでも全力で戦う。もう、こういうところしかないんだから。
私は、行動至上主義者だったりする。考えるという事は脳内で電波をあっちこっちさせるだけの行為でしかないから基本具体的事物は生み出さず、だとするならば、自分にとって客観的に何が一番利をもたらすかだけを計算して、あとはそこに向けて突っ込む。反省 は、その利に資するものだけする。後悔はしない、時間の無駄だから。終わったことを繰言のように呟いて何か利益をもたらすならやるが、そうでなければしない。考えるという行為は、基本的に全てが終わった後にすべきこと。負けたら次、それが一番大切なんだろうけどね。
まぁ、それ自体は仕方のない事だと思うけど。歴代の総大将や武将の若かりし頃の記録を読んでると、流石にこの世界で上に行こうというだけあって、「家に入ったらいきなり日本刀で喉仏を刺された。流血した上金品を要求されたため、とりあえず置いて逃げた」とかザラで、それでも普通にその人の家行き続けてるしなぁ。流血の惨事というと私の場合は文鎮投げつけられた時位か? あと刃物系だと家に行ったときその横の墓場で「キェー、キェー」言いながら鉈で箪笥を割っていた、という家にはそのまま入ったな。日程が立て込んでたというのもあったけど、まぁこの仕事やっぱり危機感が薄れてくるのだろうか。そういう趣味の人もいる、と割り切って入っていったっけ。
ただそんな中でも、もう手の付けられない人、というのはいる。で、私達一兵卒は下働きな代わりに、こういう自分の力ではなんともしえない人の対処を武将に懇願する事が認められていて、そして武将はそれを拒否できない。だから必然的に武将は一兵卒がもう駄目です、といった人間だけを担当することになるわけで、といって一兵卒だってそう誰も彼も送るわけじゃないので、厳選した人間だけが来る事になる。前述の箪笥鉈割りも送ってない。というより、この状態ではまだとてもとても送れる段階ではないし、これよりもこれは危ないわ、という場合はいっくらでもあるから。即ち
武将になる、ということは、そういう人間を相手にするということなのだ。
言葉はまず通じない(通じていれば一兵卒が放棄しない)。訳の分からない団体が後ろから攻めてくる。勤務人の実家をどうやってか調べ、そして襲撃する。帰宅際に叫び声と誰かが走ってくる声がしたらだいたい私らの管轄。で、そういう人を相手にする上その仕事をずっとやる、という事になるのだ昇進するということは。
なので、皆が嫌がる。当然だ、命に関わってくるんだから。そりゃ出世すればやりたい事も出来るようになるかもしれないが、そもそもここでやりたい事は限られてるし、危なくて勤務を続けられるなんてもんじゃない。一兵卒になって痛感した事は……いざとなったら援軍が来る、という状況がどれだけありがたいか、ということ。世間では偉い人が新聞読んで笑ってると怒るらしいが、逆にもし四六時中一生懸命に仕事をされたならそっちの方が強烈に困る。それだと援軍を呼ぶ事が出来ないのだから。いつでもフリーでいてくれるならばすぐに援軍を呼べるから、そっちの方がずっといいのだ。
上の人は何をやっていてもいい。ゲームしてようが新聞読んでようが雑談していようが構わない。ただ、援軍が必要な時に駆けつけてくれればそれでいい……逆に言えば、一兵卒で対処できなくなった時に忙しいから無理、と言われる方がずっと困る。だったら何もしないでのんびりしていてもいい、と思う。でもその武将も多分もう成り手はいなだろうなぁ、そういえば今年はどうなるんだろ。昨年は結局出たみたいだけど、今年は誰が羊になるのか。うーん、でも羊になったところでその人が武将になる戦いを真剣にはやらないと思うんだけどね。
で、そういう現場の視点から見て思うのは、そういう虐待をする人間の戦闘力の強さを分かってないなぁという事。虐待をする親はどこかしら心の傷を抱えてて云々……冗談じゃない、あの連中の格闘能力がどれ程強いか。あの連中は自分が暴れても罪にはならないと知っているから本気で命を獲りに来る。首絞められて昇天、意識が消えかけた瞬間に闇雲に放った一撃が当ったから助かったり、羽交い絞めにされてニトログリセリンを大量に飲まされそうになったり(心臓の薬ですが、当然大量に飲んだら死にます)、そういう事平気でするんだから。こっちも常識の頚木を破っていいというのなら対処できるが、それがある以上対処なんて絶対出来ない。虐待をやっている親の戦闘力がどれ程高いか、それを知って欲しいと強く思う。
「テメェ俺を舐めてんのか。殺してやる! 表出やがれ」と言われて何年ぶりかの肉弾戦ニアミスをやったのは今日の今日だしなぁ(汗)。殺してやると言われて表に出る人間はいないが、といって放置するわけにもいかないから受けて立つしかない。他の家族が身体で仲裁に入ってくれたから事は収まったが、それがなければ多分あの時はどっちかが死んでただろうしねぇ、いや、ホント。
まぁ……舐めてるのかも何も家行って挨拶してそれだから意味不明。敬礼しなければ駄目ってことなのか? でもそんな事出来るわけもなく、それで家の中で格闘戦っていうんだから私にしてみれば報われないにも程がある。結局部屋の中で互いに立ち上がって構えて、にらみ合いながら対峙。相手が本気で殴りかかって来たのでこっちが<自主規制>で体制を整えたら、身内が代わりにその拳を受けて鎮めようとした。でも相手はキレてるからその身内を裏拳でぶちのめして第二撃を私に。もうこうなると正当防衛の部類に入るからこっちだってむざむざ死ぬわけにはいかない。ただ、その時に拳なんて絶対繰り出さない。命がかかっている以上手加減なんて出来るもんじゃない。となれば拳での攻撃なんて無駄そのもの。だって拳で応戦したら負けるから。だから<自主規制>で応戦、ただ相手が強すぎて一瞬遅れてこのままだと撲殺されるか、と思った時にその身内が出て来てボロボロになりながら拳を止めた。
要するに、そういう世界なわけですよ、ここは。
だから虐待に対して警備を強化しろと言われても、ならばどんな手段をとってもいいという許可がなければ意味が無い。虐待している相手は強いんだから。どんな手段でも使えるんだから。私はたまたま、他の同業者よりも選択肢の幅が広いから(同業他者はそういう場合必ず逃げるようにしている、との事。でも、そんな恥ずかしい真似が出来るかっ! それで死ぬっていうんならそっちの方を選ぶわっ!)何とか……いや、うーん、あの拳の勢いでは駄目だったかもしれないけど、対抗手段は打てた訳だし。それにこれから先、廃止の手続きをするからまた大暴れされるのは必至の情勢。で、この話を先輩にすると「どうして殴られて来なかった! どうして警察沙汰にしなかったっ!!」と怒られる始末。私は警察とあんまり関係が良くないから警察入れてもどっちに味方するか分からない、というのが真相なのだが、それはあんまり届かなかった。
ま、そういう世界なわけです。本当の底辺というのは。でも一番辛かったのは、ニトリグリセリン大量強制服用だったよなぁ……拳で殴られても死なないけど、あれは死ぬもん。そう考えると相手を殺す、という絶対的で明確な目的意識を持てない状態で武力を使うあの人はまだまだ可愛い赤ん坊、って事になるのかなぁ。だとすると随分と命に関わる赤ん坊だけれどね。拳で殴るのは単なる自己満足、何も生み出さないからね。それだと相手は死なないから意味ないんだよ、弱みを握られるだけでさ。
ま、そういう世界で生きてる人間にとっては、あんなの自然現象です。何も不自然ではありません。面倒だから殺したくなった、普通でしょ。で、私は私で次、もう一度一対一でその方と話をします。一対一ですから、今度は誰も入る余地はありません。私から話したい事はいっぱいあるし、それは至極まともなことばかり。でも、それをどう判断してどう行動するかは、相手の裁量なわけですからね。でも人間というもの、心臓、首筋、横隔膜さえ守れればそうそう死なないです。ははは。死ななければこっちの勝利ですよ。
で、こうやるんです虐待その他の対処って。は、説得?
説得に応じるような殊勝な人間が虐待なんてするもんですか。わっははは。
……えーっと、本当はそれぞれのチェックポイントの話を書くつもりだったんですけど、現在絶賛戦闘中でありまして……そんな暇はないです。ブラックアウトも頻繁にあり、ああ、私の脳味噌は疲れているんだなぁという事を実感します。何といっても突っ込む先が激減してますから、倫理だろうが地理だろうが何でも戦う為、もうこっちはその対応で手一杯。せめて仕事さえ減らす事が出来ればいいんだけど……。
で、とりあえず速報。第一チェックポイントはシャレになりませんでした。いや、別にあれはあれでいいと思うんですが、流石にあの移送車はどうかと……。そりゃ昼休みにちょっと知的好奇心が芽生えましたけど、実行なんて出来ませんって。第二チェックぽんとですけど、一体誰だ5年ルールなんてデマ流した奴は(笑)! しっかり覚えられとるやんかぁ……全面的にお断りします、な反応だったぞ。そして第三チェックポイント、「おめぇ、今歳いくつだ」「に、2○歳です」(集団面接だったので、私ではなかったです)「その歳でこんな考えか。先が知れるな……おい次っ!」……えーっと、「心理的圧迫を加えた上で相手の反応を知る」というのが圧迫面接なので、それをしない場合は単なる暴言になります。最後「もういい、帰れ!」だったからねぇ……、ここは圧迫面接じゃないわ。うん。
というわけで順調にチェックポイントを消化していますが、詳細はまた折りを見て。続いての第四チェックポイント。つ、辛すぎる……。ここを乗り切ればあとは専攻が中心になるから何とかなるんだけど……。それとまぁ、展開を誤ると失職の可能性も出てきたので、こっからは慎重にやります。というより、9月を乗り切れるかなぁ。
(以下、懐かしの名番組、”アメリカ横断ウルト○クイズ”のテーマを頭に思い浮かべて読んでください)
幾多の難関乗り越えて、目指すゴールは専任教諭
三十路はとっくに迎えていても、まだまだ老兵死なずに奮起
教員を目指す若者達に、三十路の意地を見せてやれ
”老害?” 知るか!こちとら”立ち日”の支持者だわいっ!
ボロは着てても心は錦、猛暑の中を十件以上家庭訪問した後も、家に帰れば受験生
猛勉強につぐ勉強で、時折失神したりもするが(リアルで)、それは単なるご愛嬌
上司にばれても平常心 大丈夫、上司もそれを望んでいる
廻しまくった有給休暇、とてもじゃないがもう戻れない。
バカにならない交通費、残業でつくった蓄えもほぼ霧消
それでも戦う、何故に戦う。
そんな事は終わってから考えればいい。
知力・体力・時の運、今年もいくぞっ! 目指す都は、社会科教諭!
<場面が切り替わり、チェックポイントの説明になって>
さて。今回のルートを紹介していきましょう。
第一チェックポイントは<自主規制>。そこは日本にして日本にあらず、文字通り食うか食われるかの世界。強制的に詰め込まれ移動させられたバスの中から、果たして生還する事は出来るのかっ!
第二チェックポイントは<自主規制>。6年前に拭いきれない不義理をやらかした因縁の土地。本来なら門前払いで当然だが、5年経ったら全てチャラという怪しい都市伝説もアリ。果たしてそんな蜘蛛の糸が、本当に実在するのだろうかっ!
第三チェックポイントは<自主規制>。私が二度の都落ちをした時に二度共に再起を誓った場所で、今回が初のチャレンジ。「再起誓って今の場所掴んだのにどうしてここ受けるの?」という疑問は野暮というもの。繰り出される捨て台詞面接を突破する事が出来るのかっ!
第四チェックポイントは<自主規制>。私は貴方を知っている、でもその理由は言えないの。愛憎渦巻く伏魔の世界。可愛さ余って憎さ百倍、今私のささやかな逆襲撃が幕を開ける?
第五チェックポイントは<自主規制>。書類落ち99.9%の地獄。それでも私は、切り札を切ってでも挑戦しなければならない。どうしてそんな危ない戦をするのか、その心の奥に潜む闇とは……。
第六チェックポイントは<自主規制>。激戦必至、最高倍率を誇る修羅の世界。それでも戦う、チャンスある限り。たとえそれがどのような場所であろうとも……。
えーっと、はい。もうヤケです私(笑)。玄関で崩れて気付いたら夜中とか、マジ勘弁してください。昼間普通に働いた後の勉強はホント辛いですよ、それに一番願書を出しまくっているのが私っておかしくないですか? 求職活動に一番熱心なのが私って。それに「簡単に言いますけどぉ、履歴書って書くだけでも気力がなくなって作れないんですよぉ」と言われると流石に心に穏やかならざるものが生まれる。一体私はどれだけ出してると思ってるんだ、と。今の境遇から本当に抜け出したいのは貴方ではない、私だ! 一秒たりともこんな汚泥な場所にいられるかっ! とどれだけ叫びたいと思ったことか。
ま、日々体力を削られながらも、勝負です。ありとあらゆるものを使って、今回も何とかしてみせます。……ま、いつ解雇予告が発動するかは知りませんけどね。
まさかの当確の報に、思わず声を上げて驚いた。荒井広幸。郵政を掲げて衆議院選挙を戦うも落選、その後小泉氏に屈服する形で参議院比例で当選するも離党、その後は新党日本に参加するも離散集合を繰り返し……そんなあの方が、今回もまた比例で当選したというのだ。
これが一体、どれ程の偉業であることか。
恥を知れ、という言葉がある。汚い手を使った相手に対する日本には珍しい侮蔑の文句で、荒井氏の行動にこのような感想を思い・また口にした政治家は多分数多くいると思う。しかし今、そう言い放った人間のうち一体どれほど残っているか。どれ程の人が、以前と同じように政治家として活躍する事が出来ているのか。武士は食わねど高楊枝、などと言うが、そもそも武士身分を失った人間になんぞ用はないのだ。心の中で「あそこまではやらなかったぜ」と思ったところでそれは単なる自己満足。世の中やはり勝ったものの勝利、これから6年もの間政治家になれる荒井先生の方がずっとずっと凄いのだ。
考えてみれば、この方ほどサバイバルな人はいないと思えてくる。
改革クラブを作ったとき、最初は虎殺しのマゾを引き込もうとして失敗した。その醜態はまるで図ったかのようにテレビに報道され、正直「ああ、これで荒井氏も終わったかな」と私も思った。……しかし、同氏はくじけなかった。その後なんと「有罪になったから」無所属になった西村真悟議員(比例復活)を引き込み政党要件をクリア。それだけでも凄いのに、今度はその議員が衆院選で滅亡するや否や(立ち上がれ日本で出て欲しかった……)、次は「有罪になって幾星霜。まだまだ無所属元気です」の中村議員を引き込んでクリアという、もうとても庶民には思いつかない方法で要件をクリアした。
その上で、今度は自民からたたき出された桝添氏をいきなり党首に迎えた。何かこの過程はそれ程強調されてないけど、そもそもいきなり出てきた赤の他人をあんな短時間で「党首」に掲げる政党なんて、いくら党議拘束がないからって普通はない。にも関わらず、荒井議員の判断は早かった。物凄いスピードで党首に桝添氏を迎えると、まるでこの新党が桝添氏が結成したものであるかのようにアピールし(実際は桝添氏が合流した、という形になっているはず。実際それが嫌で辞めた議員もいたと聞くし)、そして選挙に臨んだのだ。
この過程が一体どれ程辛いものであったのか……それは仲間の一人がエ○・カンターレにいってしまった事からも良くわかる。ああ、頭の中はガンダーラへと旅立ってしまわれたのだなぁと、そしてそれも無理ないかなぁと。ただしその中で荒井氏だけは負けなかった。ひたすら桝添氏を担ぎまくり、改革クラブ時代は絶対ありえないと思われていた参院選を乗り切り、しかも2.01%という「それ絶対狙った数字だろ? それとも何? これが議員一人をエ○・カンターレに差し出した報恩?」比例獲得議席で、またもや政党要件をクリアしたのだ。
古来より、大物政治家と呼ばれる人物は数多い。その方々は確かに偉業を成し遂げているが、ただその一方、きちんとした元手というか、支持があってこその人物なのだ。しかし、この方は違う。前任期での参議院議員としての6年間、本当に徒手空拳、そんなのあり? の連続だった。しかし同氏は今まだ生きている。議員として、活躍する立場を保っている。この偉業をどうして、無視する事が出来ようか。恥も外聞もない、と言えばそれまでだが、逆に考えればそこまでの事を一般人が出来るか? と思ってしまう。西村氏を引き込み、中村氏を引き込み、桝添氏をあたかも結党者のように扱い、そして比例で通ってしまう。これ程しぶとい人間は他にいない、今一番運が良く、そして生き残りに長けているのは多分この方だろうと思うのだ。
私は性根が腐っているから、ベーブなんとかがホームランを打ってくれても別になんとも思わない。蠅の煩い球蹴り大会でどのような成績を日本が出そうが、知ったことではない。しかしこの荒井氏の当選は、私に勇気と力、そして希望を与えてくれた。やれば、出来る。信じれば、勝てる。徒手空拳だろうが周囲からなんと言われようが、戦えば、戦いさえ辞めなければ勝てるんだと、私に強く教えてくれた。だから私も頑張る。今の立場はかなり辛い状況に追い込まれているけど、でも荒井氏を見習って生きるために、生き残るためにがんばろうと思うのだ。
もし、この6年先の時、再び同氏が立候補していたら。そしてまだ私が生きていたら、その時は再び比例で入れます。スポーツ選手だの学者だのが政治家になったところで、私は何も感動しません。こういう荒井氏のような人物が報われる世の中だからこそ、私はまだまだ頑張れる。名声と地盤に胡坐をかいてヒーロー面している人間ではなくて、周囲から何と蔑まれてもひたすら生きていこうとした人物が報われる。そういう意味で、荒井氏が通ったと知った時が、一番嬉しい今回の参院選でした。
しかし……次は一体どの党で出るのだろう。いや、3年後の参議院選挙このままやったら桝添氏は落ちるだろ、多分。桝添氏は自民比例の出身者+除名だから、自民にも民主にも行けないし、まさかいくらなんでもガンダーラには行かないでしょう。立ち上がれは次の衆議院選挙でも多分与謝野を抜かせば躍進するけど(日韓併合100周年とやらで政府がアホな談話をだして再び某国からたかられ出すようになるのは目に見えている。その時これに真っ向から異を唱えられ、かつ従来の見解から「ぶれてない」と見られるのはここだけだから(自民は北陸の重鎮がいるし、改革派と見られている人物があの人物の長男だからこれに動くのは無理でしょう)。で、その時になれば小泉・城内・田神上・西村の四氏も入ってくれるだろうし。ただ与謝野氏は海江田氏には勝てないだろうし、比例も厳しい気がするんだよなぁ……与謝野氏の比例の順位が上がる時というのは増税路線が称賛されるときだけど、そんな状況では立ち上がれの躍進はないだろうし。そりゃ、石原氏が衆議院比例で出てくれれば知らないけど)、組織を破壊する人間はいらない。
となると荒井氏は一人代表? いや、多分だけど鳩山氏を引き込んで彼を党首にしてまた幹事長をやってそうな気がする。何かこれほど多くの種類の政党の幹事長やったのってこの人だけなんじゃ、と思う今日この頃でした。 解党宣言してくれれば自由になれるけど、
面接でどんな対応をされても、最近はそんな風に思えるようになった。採用する場合はともかく内部の事、例えば人事異動の度に必ず誰かから恨まれる。特に私の今いる巣の人間の中で人事に好意を持っている人間なんて一人もいないし、逆に露骨に嫌悪を表している人間ばかり。しかもそればっかりではなくて、結局人事は別のところからも、誰かしらの恨みを多く買うので、実は一番出世できない立場だったりする。一度人事を経験すると、いずれ巡り巡って昇進の際に必ず足かせとなる。昇格試験の最後の最後で、自分、若しくは配下が人事異動で恨みを抱いた事がある、という経験が大抵ある為、上役から失格の判定を食らうのだ。
で、面接自体もこれが本当に難しい、というか疲れる。私も去年面接官を別の場所でやったが、それまでは「一人5分とか10分とかふざけんな。それで人間分かるはずがないだろう」と思っていたけど、実際朝9時から午後5時までやった感想、だいたい20人か30人くらいやったけど、
”疲れたもう嫌だ家帰って寝たい”
”5分で充分。大体分かるもん……10分いらないよぉ……”
というものだった。1人や2人なら10分では分からないけど、立て続けに20人もやれば比較で分かってくるものだったりする。あと点数の付け方。これ書いたら守秘義務違反なので詳しくは書けないけど、結局集計の為には数値化しなければならないため(例えば一人一人に「○○は××である」なんて文章を書いていたら、いつまでたっても面接は終わりません。大抵色々な項目に数字が振ってあって五段階で丸を付けます。そーじゃないと死ぬ。あれは)、どうしても数値判断に特化する質問になってしまう。いや、いいところを聞いてあげたいというのは分かるんだけど、地獄のように疲れるんです面接って。前の人の情報と混ぜちゃいけないから一々クリアするけど、溜まるよあれは。
だから何というか、大変だなぁという印象を今回持った。でもやっぱり聞いて欲しいなぁと思う気持ちと、逆に私も現職の方で面接を月何十回もやっている為、「面接される側はこういう気持ちになるのか……もっと配慮しないとなぁ」とも思った。やっぱり、当たり前なんだけど面接する側は目的が何で聞く事が分かっているからリラックス出来るけど、される側は何をやられるか分からなくて来ているんだからね。それで……うん、面接が終わった直後、「今の自分の仕事のやり方は、ちょっとまずいよなぁ」という意味で軽い自己嫌悪になったりもしたんだよね。
私の仕事としては、まず何のためにどうして聞くのか、ってまず明らかにしないと駄目だよね。あともう少しリラックスの要素を入れないと。私はあんまり雑談を入れないから、今のやり方だと相手が疲れてしまう気がする。「面接もまた癒しである」、という事は前から言われているけど、私は目的に徹しすぎていた感じ。それにいくら相手の意図がわかって面接に望んでいても、やっぱり正体不明なものは不気味だしね。面接が不安で眠れなかったって人の気持ち、ようやく分かったわ、自分が面接受ける立場になってみて。
とりあえずま、現職ではそれを引き続き活かしていこうと思う。それだけでもプラスだったかなって思うし、私が進めている聴取内容の項目化も、相手を逆に安心させるような気がする。そういう意味で、無駄ではなかった、いい時間だったなんて今は思う。勿論、一番重要なのは「結果」なんだけれどね。
さて、あと30分で私が人生で一番楽しみにしている事が始まる。テレビを買い換えたのもブルーレイを入れたのも全てはこの為。やっぱり大画面・高画質で見たいじゃないですか、本当に見たいものは。はてさて、どうなるものやらねぇ……。
……というか、あれだけ衆議院で多数持っててどうしてここまで自爆を繰り返すのだろう、この人達は。ふつーに考えれば鳩山氏の段階でも何年かはやっていけるはずだし、今の菅首相なんて黙っていれば勝てたのに、なしてあのような事をのたまって自爆するんだろう。わざとなのか、ギャグなのか? それとも爆発が趣味なのか、この政党は。衆議院であんなに持っているのにどうしてこうバタバタするんだ? まぁ民主党支持者じゃないから別にいいんだけどさぁ、でもやっぱり一体なんだろう、と思ったりもするわけで。
でもって明日の投開票の予測だけれども、予想通り新聞各紙でばらついているように見える。うーん、マスコミが「民主ピンチ、民主ピンチっ!」って露骨にアナウンス効果やってるから比例票が民主に入ってこっちは強いと思うけど、選挙区はねぇ。全県区で農村となった場合、元々民主が立ち入れる要素は殆どないような気がする。自民が強いというよりも民主がまだ弱いというか、8ヶ月やって実績があれではどうしようもないと私は思う。ただマスコミのアナウンス効果による比例増幅が見込まれる事を考えれば、希望は40台前半だが50台は行くんじゃないかな。自民党は公明党と上手くやってるみたいだから選挙区は強いけど比例は弱くて、40台よくて後半かな。あのみんな、だか、ゆとり、だかしらないけどあそこはどうして強いのかさっぱり意味が分からないけど、どうも8議席取るっぽい。あれって何? どういう存在? でもそれ位とれるんだから、本当に不思議な政党というかマスコミって凄いなぁと思うよ、ほんと。
で、残り。私としては今日まで必死にハイエナ濡れ落ち葉、誰彼構わず(本当に信じられないくらい誰彼構わず)クリンチしまくってきたあの”改革クラブ”の誰かに残って欲しいなぁ。今のところゼロという話だけど、荒井氏だけは通してあげてもいいんじゃないかなー、なんて思ってる。人間、死に花を咲かせるなんて何時でも、誰でも出来るもの。むしろ人の侮蔑に耐えて頑張る、蔑みを無視しながらそれでも生きていくことの方が大変で、それを露骨なまでにやり通したこの6年は評価されてもいいと思う。勿論、お疲れ様でしたと言ってあげたい、という気持ちもなくはないけど、でもここまで来たんだから残らなきゃ。
立ち上がれ日本は……うーん、片山よりも中山をと思うのだけれど……どっちも厳しい情勢とは。そもそも石原氏が都知事辞めてこっちに出てくれれば何も問題はなかったのに、とか、西村氏や城内氏を引き込んで比例で出せばもっと上がったのにとか思うけど、今の状態では1が限度かなぁ。今回の比例候補は個人票を持っている人が結構いるから多分とれなくはないと思うんだけど、中山氏が再び議員になった方が幸先は明るい気がするんだけどなぁ。確か立ち上がれ日本はこの選挙たとえゼロでも政党要件壊れないし、参議院にも中山氏(妻)がいるから、これからいくらでも手はあるような気はするんだけどね。
あと、幸福実現党って何? いや、そりゃ幸福を実現する党なんでしょうけど、一体何が目的なんだろう。それにやたら選挙区で出まくってるけど、似たような政党の場合選挙区相当しぼってるよな。幸福実現党も大物一人に絞ってとある文句を唱えて天佑を待てば獲れるんじゃないか?何というか、勝ちにいこうとしていないのが本当に謎な政党。共産党みたいに比例票の掘り起こし、なんてことは考えられないしなぁ。あと、もうドクター中松氏はそっとしておいてあげたほうがいいと思う。
それと諸派。実はこれが結構生活に密着してきつかった。というのも職場にはテレビがあってそれがずっと映っている為、この二週間はなんと”定期的にイエス様のお声が聞こえる”という「絶対笑ってはいけない」シリーズのような状況になっていたのだ! これいつも近くにいる人は滅茶苦茶苦痛だと思うし、私も偶然その近く通りかかって堪えるのに必死だったからホント。いや、地獄の炎の中に投げ込まれましたよ。大人しくその場で待っていなければいけないのに横からは容赦なく聞こえるイエス様の演説。もーどうしろというの(笑)。で、仕方がないから勝手に戻ったら後から怒られて、でもまさか腹筋が引きつったからとか言えないし。もうほんと、頑張ってください。ただこの二週間は辛かったです。
社民党は、何だか票を減らす見込みとか。あれだけやって選挙区で沖縄取れなかったら死んでも死にきれない気がするけどそれも駄目で、一議席との話。うーん、国民新党もそうなんだけど、具体的に何したいのかが良くわからないんだよなぁ。というより、どっちも一点突破、沖縄と郵政、な気がしてどうも気がのらない。でも、社民党はあれだけやった、というかやらかしたんだからもう少し議席が増えてもいい気がする。国民新党は……うーん、ここは厳しいかなぁ。せめて綿貫とか亀井一族が出ていれば話は違ったのかもしれないが……あとは郵政票と阪神ファンの票がどれだけあるか、かなぁ。
まぁ私が考えている参議院選挙はこんなところ。民主が危ない、というアナウンス効果が吉と出るか凶と出るかで話は決まる、と思ってる。吉と出れば民主の勝利、凶と出れば民主の敗北。ただどういうわけか民主の方は火薬いじりが大層お好きで……どうしてあんな発言をしたのかなぁ。意味不明。こうなると火薬いじり、花火分解に興味がなさそうなのは……岡田氏か。あの人から失言とるのは難しいでしょうし、ま、それもこれも含めて明日を迎えるとしましょうか。
最大の誤算は教育基本法・学校教育法・学習指導要領が全面的に変わったこと。微調整かと思ったら何か教育基本法滅茶苦茶右になってない? を皮切りに、教職教養に足を取られて専門教養までやり切れなかった。一応前日までには全ての分野を揃えたけれど、しかし所詮は張子の虎。昔の私が挑む時のそれじゃない、私の場合はもっと万全に準備を整えて戦うのが常で、この決戦は惨敗やむなしと踏んでいた。
ところが。
専門教養をやっていると、すらすら解ける自分がいた。何となくだが思い出せる。問題はやたらマニアックでこんなの問われたこと一度もないけど、なものがオンパレードだったけど、気が付くと全部解く事が出来た。面接はプラスマイナスゼロといった感じだったから得点重視なら立ち上がれ日本の比例議席獲得確率位はもしかして……な手ごたえ。いや、過去があるだけに新党改革の比例議席獲得確率かな、でも少なくとも日本創新党ではないよなぁなんて思ってみたり。
やっぱり、過去は裏切らないんだなぁと初戦を終えてしみじみ思った。積んできたものは消えない、それは勿論良くも悪くもだけど、きちんと脳内で整理してあげれば、ちゃんと昔の事は出てくるのだ。この調子で第二戦、第三戦と戦っていけばもしやがあるかもしれない。私の持論として、勝つために一番手っ取り早い方法は「数をこなす」こと。失敗にめげずに兎に角数をこなす、そうして総当りでぶつかってあとは相性の問題と割り切る。これが一番の方法だと私は思うのだ。
これ程苦しんだ数ヶ月はなかった。けれど一応この日にようやく戦力は一通り完成した。昔と比べればみすぼらしくはあるけれど、長槍隊・足軽隊・鉄砲隊・騎馬隊・旗本・輜重隊、その全てを揃えられた。あとは決戦の中で鍛えていけばいい。幸いまだまだ戦いはいっぱいある、恐らく私の戦力がまともになるのが九月以降だからそこら辺で一つ、というのが今の私の算段。ちょっと厳しい日々が続くけど、でもやると決めたからにはやらなければ。幸い、こっちには発動さえ出来れば相当ポイントの高い切り札がある。それが「本当の現実を見てきた」ということ、この重さは自分自身が嘘偽りなく本当に見ているだけに、かなりのものがあると思う。何とかこの一点に話の焦点を絞り込めれば必ず勝機は見えてくる。だからこそ私は必死になって今の砦を守っているんだから。
でもま、明日明後日位は休んでもいいよね。というわけで参議院選挙、ゆっくりじっくり見させていただくとしましょうか。
となると、あの九官鳥がコケコケ騒いでいた公務員削減という事になるんだろうが……やるなら全員外部の人間にしないと全ての役所は市民サービス力をカットした数倍そがれることになる。民間のリストラと根本的に発想が違うから、不採算部署・不要部署から切るのではなく、必要部署、「忙しい=市民サービスの需要が大きい」ところから人数はごっそり減らされていくことになると思うけど、どこら辺はどう思っているのか是非とも聞いてみたいものだ。
どういう理屈か。例えば私企業で例えば100人リストラをしようと、となったとする。その時まず経営者が行い・考えるのは「今現在の不採算部門はどこで、どれが切れるか」というもの。これは経営建て直しの為に当たり前の事で、ここでまず不採算部門がリストラ候補として挙げられる。この中で必須・もしくは将来何とかなりそうというのなら残るのかもしれないが、多分大体がこの段階で駄目になって、リストラの対象となるだろう。
次に考えるのは「自分の会社は今後どのような方面をどう強めていくか」という先鋭化の理論。要するに薄く広く沢山の業種に手を出している場合、たとえ利益を出していてもそこを切って一方面に集中する、という発想が出てくる。これは会社の未来予想図がかかっているためそうおいそれと出てこないが、ここに該当すれば今度は採算部門がリストラの対象になる。
そうやって私企業の場合リストラが行われるけど……その理由は「会社が潰れると全員首くくる羽目になるから」。私企業が純粋に営利目的で、しかも倒産すると社員全員、自分を含めて死ぬからだ。だから、一番効率的なリストラをしようと動き出す。適当に、とか、嫌な奴をとか、そういうリストラは出来ない。だってそれやって失敗したら、会社全員、社長も含めてみんなパーになってしまうんだから。要するに私企業の場合死と紙一重でリストラをやるから、やるとすると効率優先、だから一応は再び蘇る事が可能となるわけだ。
そいでもって、そういう目線で公務員のリストラを考えてみると……切られるのは採算部署(この場合は激務の部署=それだけ市民サービスが多い部署)と気に食わない人物の二種類となって、結果非効率を招くだけだという結論になる。まず大前提としてリストラに失敗しようと「自分が死ぬ事は絶対ない」から、どこを切るかという時には「どこに配属されたくないか」というところから発想が始まる。例えば不夜城と呼ばれ誰一人としてそこへの配属希望を出さない地獄部署の定数を減らせば減らすほど、リストラをやった人間がそこに赴く可能性が減る。不夜城というのは翌日まで仕事してるほどキツいから不夜城と言われており、毎回定員増を要求しているようなところだから、本当は定員増をしなければまずいところだ。しかも職員の福利厚生とかをやっている場所ではないから市民のニーズは高く、普通ならもっと定員が増えてもと思うが、それは逆に言えばそこに赴く人間が増えることになる。そしてそれは「自分である」可能性が高い。
勿論私企業であれば、それでもやらなければ全員倒産で滅亡なのだから必要な事をやるだろうが、滅亡がない以上、まず自分が行きたくない場所=市民ニーズの高い場所から人数が削られていく。当然そうなれば、人数を削った分以上に役場の力は落ちていく。ただ倒産がない為そんな事は知ったことではなく逃げ切れればそれでいいから、カットの餌食になる人は真に苦労をしていてそして今一番求められている人。多分介護関係が一番危ないんじゃないかな、人数カット。
それともう一つ、私企業であれば有能な人材は残したいと思う。たとえどれだけ嫌な奴でも切り捨てて他に行かれたら大損害なわけで、人間切りの時もそのような視点が必ず残存する。しかし公務員の場合は倒産がないため、別に有能な人物がいようがいまいが困らない。その為有能、というか、その人間の役場内政治力の低い人間から切られていくだろう。
結果残るのは上層部の腰巾着のみであり、削減される部署はいずれもニーズの高いところばかりだから、役場の力はリストラ以上に激減する。だから坂本竜馬(偽)の思っているところのカットを本当にやりたいのなら、全員外部の人間を全ての団体に作って一切業務を委託せず、一方的に切るしか方法がない。もし内部に任せれば最後、倒産の危険性がないからやれ労働組合がどうの、という話が必ず絡んでくる(倒産危機でのリストラならこんな事斟酌されんでしょ、実際)。しかし実際そんな組織をどうやって作るつもりだ? それも数年の間で? 勿論切るべき場所がないとは言わないが、それを探し当てる事が出来るのか?
だから、民主党が大きく議席を割るか、坂本竜馬(偽)がボロボロになるか、立ち上がれが沢山議席を取ってくれればなぁと思う。というよりも自民党が頑張ってくれればそもそもこんな事には……。民主党はあれだけ衆議院で数を取っておきながら1年内閣が持たないっていう信じられない政党だっていうのに、その上また選挙前に消費税ぶち上げるとか「お前らスパイか?」という人たちばかりが党首なのに(というより、未だに何でそんな事したか不明だよ、ほんと)。
私が辞退届けに書いた文章、「教員として真っ先に提示すべき内容が私の解雇と英語科の教員採用のやり直しであることは分かっていたけれど、貴校に携わりたいという本心・我欲のあまりにそれを言えずにいた」というのは本心で、だから昨年度も実は本当に辛かった。勝つための方策が私を切ること、でもそれを提言すれば私の夢は消える。でも最大幸福の為には誰かが犠牲にならなければならない、私が教員として学校を見たとき、英語科を担当するもう一人の人間は若いもう一人をサポートできる女性でなければならなかった。それが分かっていたから、でも自分がようやくつかんだチャンスを捨てられなかったから3月まで話を延ばしてしまった、それが私の中で本当に苦しみとして今でも残っている。
それ以来、随分と無茶をしてきたように思える。仕事をしながら勉強という生活はかなり辛く、この7月が限界なのではないかと思っている。今でも、かなりキツイ。だったら英語科の先生で苦労していた方がまだ良かったのではないか、と思うのだ。
だからもう、講師採用でも構わないと思ってる。でも勿論狙うのは正採用、一度逃げてる前科はあるけど、それも含めて、チャレンジャーとして戦いたい。そして、卒業式で生徒を社会へ送り出したい。……私は恥ずかしながら、まだ生徒を卒業式で送り出した事がない。たったの一度もそれが出来ずに終わったのだ。本来はそれも我慢出来るかな、と思っていたけど、どうやら無理っぽい事が分かった。
戦う。今の巣に私の手の内がばれても構わない。巣から追放される決定的証拠をつかませない状態で崩壊する前に逃げる。
最終決戦、開始。狙うは無差別攻撃。
自身の決戦を間近に控えた私はいつものように不在者投票に行ったが、選挙区は当然自民党。誰が立っているのかなど知らないが、自民党がOKというのならそれで良い。比例もいつもそんな感じで……というはずだったのだけれど……死票になると分かっていても……これが悪質な策略であると分かっていても……分かっていても……私はどうしても中山元国土交通大臣に入れざるを得なかった。新党改革やらみんなの党やらは、多分自民と民主の票のどちらも食うし、少なくともその可能性はある。しかし立ち上がれ日本だけは自民党の票しか食わない……しかも自民党が何をやっても必ず投票する「極右」側の人間の票をごっそりと持っていってしまうのだ。……私のような、ね。
だからこの政党は、主張がいくらまともであっても結果的には一番の売国政党になっている。この党の奮戦は自民党にのみダメージを与える、だって元々ここに投票しようなんて人が自民以外に入れていたはずがないのだから。今現在の状況だと比例で1つで、恐らくそれは某退治された虎の手に落ちそうだけど、それでも無駄になる票はたくさんあるだろうなぁと思う。勿論、最初から公認しなかった自民党が全て悪いのだけれども、でも私は、立ち上がれ日本を応援したいだけに、冒頭の叫びを抑えられずにはいられない。党運営に関しても、選挙区ですら立ち上がれない人間を入れるよりは、自力で這い上がってきた若い人達を入れた方がどれだけ良かったか、なんて思うし……。
その一方、なんか日本人全員が記憶にとどめなければならない程のギネス級例外政党、改革クラブ残党の荒井氏が比例で当選するかも、という話が出て本気で今驚いている(はい、私が6年前の参議院選挙の比例で入れたのはこの人です)。改革クラブは恥を通り越してもう立派・お見事の賛辞に尽きる。姫を入れそこなった後はどういうパイプだったのか知らないけれど西村氏を引き込んで政党要件を満たし、その上西村氏が落ちた後はあの中村喜四郎氏を入れて政党要件を満たすという、「そこまでして生きたいかっ!」と叫びたくなり、そして叫んでも「うん」とあっさり返されそうな人達だった。人間、あそこまで開き直れるものなのか。私は中村氏を入れたときに本当にこの人達は凄いと感じ、そしてその一人がこの参議院選挙を乗り切れるかもしれないというから、何か自縛霊の怨念でも生きながらにしてもっているのでは、と今では思っている。これで当選したとするなら……多分因縁という運命性を少しだけ信じるかもしれないです。
で、その参議院選挙の特番を綺麗な画面で見たいがために、テレビを思い切って買い換えた。丁度その時期が世界中の人間がアパルトヘイト跡地に集まって玉蹴りをするという酔狂の最中であった為、電気屋からはそれを見たいんですか、と尋ねられた。しかし、時事問題で出ると厄介なので(こういうネタが出かねないからなぁ、全く)一応見てはいるものの、今回は何だかうっさい蠅がぶんぶん飛んでる場所でやっているようで、見るに耐えないというのが本音。そんな玉蹴りで勝ったところで島のひとつも獲れまいに、というのが私のげんなりしながら見ていた本音だけれど、そんなものはもうどうでもいい。私の決戦が終わった直後に、これが始まる。しかもこれから3年はやってくれはしないだろうから、完全永久保存版、ブルーレイに落して焼いておきたいと思ったのだ。
とは言っても、今こっちは自分の決戦の準備で手一杯。いやー、年休使ってるねぇ、豪快に。「何してるの」「家にずっといます」「家で? 身体でも悪いの?」「何も問題はありません。年休を認めない、というのならその決定を出せば宜しいのでは?」、というやり取りが続いているが、まさか”学習指導要領の変更に追いつかないので一日中暗誦してます”なんていえないもんなぁ。公立は元々3月上旬内定辞退の前科があるから流石に難しいとは思うけれども、でも常時戦いに身をおいていることこそが勝利の秘訣。本命は8月のやつだけど、やはり戦場の緊張感を常に浴びておくことにマイナスはない。
勿論、「今のまま黙っていれば手取りでそこそこずっと貰えて、しかも場所は都のすぐ近くで、何不自由なく過ごせているのに、どうして残業帰りに毎日法律の暗記をしているの?」と思わない時は殆どない。私がやーめた、と言えばここで生活は安泰となる。逆にやーめた、とやらないから、生活は段々危なくなっている。この前資金の補充が出来たからいよいよ遠征に乗り出すが、戻ってきたとき果たして私のデスクは残っているかなぁ。別に切るなら切るでいいんだけど、無予告解雇とかあとに傷が残るようなやり方は避けてくれればと思っているけど、あえてそこに突っ込んできそうな雰囲気がぷんぷん。というよりも、もういい加減周囲も気付いているでしょう、というよりも気付いてくれよ、と思ってる。証拠はつかめなくてもさ、それだけの怪しい事はやっているわけだし、私としては「だから放置して欲しい。それが無理なら正面から攻めてきてくれ」、というのが望みなわけで。
少なくとも証拠をつかまれて踏み込まれたときには姿形もないように、姿を消してはおくからさ。8月にどうしても勝利したい決戦が生まれた。専門分野ではないからどこまで出来るか分からないが、本気で頑張りたい。そして幻の古巣に、別の形で再び挨拶を見舞ってくれるのじゃっ!
ただし、私が次の内応先を見つけるまでの間、そしてそこに実際に内応するまでの間だけは、しっかりと勤めを果たしていく。これは倫理的要請と言うよりも私の利己的な要請であって、私自身がここを破ると支えれなくなってしまうからやるだけのことだ。要するに利己的な、自分にとって利益のある行為だからする、というだけの事。だからいよいよ決戦シーズンに突入するが、それを理由とした不利益行為をするという所業は直前で辞めることにしたのだ。
なんていうかそういう面で私は結構頑固者で、昨年度私が辞めなかった理由の一つが、かつての内応先が「3月15日」の旗返しを最後まで変えてくれなかったこと。当時の私は引越しの見積もりも終えて新しい不動産も決め、あとは辞職をするだけだった。ただ問題だったのは引継ぎのところで、私自身は11月から出来る限り頑張って3月の仕事を2月上旬で終わらせる事が出来ていたが、それでも退職となると色々やっておかなければならない事が出て来てしまう。だからせめて3月31日までは、というのが私の願いだったが、先方はそれを譲らなかった。逆に言えば、先方が「3月31日まではいいですよ」と言えば、私は喜び勇んで退職しただろうと今になると思っている。そして猛烈に後悔している。ただ……「辞表、即日退散、あと溜めた年休でサヨウナラ作戦」はいくらなんでもとれなかった。いや、考えた事もあったんだけどいくらなんでも酷いだろうと、流石にそれを強いるところは考えなければいけないんじゃないか、という算段に行き着いたわけだ。だからそれがなかったら、きっと今頃はねぇ……。
しかしもうそれも過去のこと。ようやく決戦シーズンが始まった。それに今気付いたのだけど……頑張ってこの立場を守り続けると経験者採用枠を使う事が可能になる……なんて(笑)。今私はそんな事もふくめた長期的な視野で戦いを続行しているところ、まぁ逆を言えば短期決戦を考えていないという事でもある。大きいんだよな、ダメージが。要するに昨年度やった○○通いの交通費・宿泊費の出費負担から立ち直ってない、もし動くなら動くで資金がいるが調達できない、というところ。だから今年一年じっくりと構えて金を貯め、それをもって勝負するというのも私の頭の中にある。勿論それでも決戦はする。今度勝ったら即内応。また去年一年間で何を片付けておけば「辞表、即日退散」が可能なのかが何とかおぼろげに分かってるから、今度はどんな無茶な日付でも対応する。
さて、と。決戦費用調達の事務作業と、自分自身の人生の両立、だ。ただ費用調達、要するに坑道篭もって金山掘ってるだけという感覚でしかないけれど、なるべく迷惑はかけたくない。気分は人のしがらみなど一切眼中にない、その場限りの単なる日雇労働者。でも責任は普通に取っていく。今年はそのスタンスでやっていこうと思っていたりするのでした。
よっし。ならば決戦シーズン開始っ! 全然準備出来てないけど、もう一度松尾山に登る為、全力尽くすぞ!
要するにどういう事かというと、人間、いくら何でも素寒貧になってから動くという事は普通しないため、それが適用にならない一番の原因という事実が存在するという事である。生活していけないと思ったとき、手持ちがあと数十円になるまで待つ人はいない。で、そこまで後先考えなく使う人もいない。だから大抵がここに来るときにはまだ何かしらのセーフティネットを持っていて(人間として当然だと思うが。不安だし)、だからそう簡単には話が進まないし、それを手放すのは皆不安だから結局制度の適用にはならなくなる。手持ちがなくなったら、といくら言われても、それを使い切った先が見えないんだからそんな恐ろしいこと出来るはずがない。そしてそれが出来ないと無理、という事になるのだ。
しかし議員が連れてくる人は、ほぼ大体他に術がない人達ばかりだったりする。まぁこれは逆算すれば当然、あの人はそういう話も通せないんだと地元の人に思われたら終わりだから絶対に議員としては失敗したくない、その為には失敗の有り得ない人を連れてくるしかない、という話になるのだから。だから元々単身で来ても一発というか、物凄い度胸というか、こっちが「いや、もう少し早く……」と思うような人ばかりがやってくる。そして何故か、ここに来る数日までに全財産を使っている。本当に何故か、で、理由は全然分かりません。数日前にあった数十万が一夜にして消えてる、何故なんでしょう。友人の為に使った、あ、そうですか。いや、そこは追及しませんが、そんなクソ度胸のいる事が出来るのはやっぱりバックボーンのある人達だけでしょう。それをしなければいけないのは確かなんだけど、そんな事そうそう簡単には出来ないからねぇ。
だから一発、なんて事もかなり多い。ただその後については、後ろに誰がいるからとか全く関係なかったりする。制度はその当人を守るものだし、だいたい忙し過ぎてそんなの覚えてられないもん(笑)。たとえ仲介者が誰であろうと守る必要があるからやってるわけで、そしてそれは誰に対しても等価。だから少なくとも私は同じ速度でやるし、どうしても速度に差をつけるのなら緊急度が高い順に対応していく。特に私の場合議員に睨まれてもこれ以下はないし所詮カッコウなので、全く気にせずやっている。それでも議員がいると開始が早いという傾向はあって、それは一応専門家である為かなり身内を洗ってから来てくれるから。話し合い終了から開始までの時間の長短って、実際は生存している身内の数で決まるといった方がいいからなぁ。
生存している身内の数と、本籍地の場所。議員なんか立ち入る余地はなく、これで長さは決定してしまう。天涯孤独で本籍地が近くて本籍を動かしていない一人暮らし、これは誰がやっても早くなる。が逆に、本籍地が滅茶苦茶遠くて兄妹が沢山いて、しかも女兄妹がやたら多いと誰がやってもギリギリになる(女兄妹は結婚したとき相手の戸籍に入る事が多い為、その分戸籍の取り寄せ回数が増えるから)。私の場合も一ヶ月近くかかったこともあれば、これはまずいと数日でやった場合もある。しかしこれは議員がどうこう、ではなくて、場所と家族の状態によるのだ。
ただ要素が絡まるから、議員がいると何とかなる、という話になるのではと思う。ただ議員もそうおいそれと連れてってくれないと思うんだけどなぁ、たとえ支持をしていたとしても、元々絶対に負けられない戦いになるんだから。議員からみてそうである、と判断されない限りは無理だけど、多分そっちの方がハードル高い。……連れてくる方の状態を見ると、そうとしか思えない今日この頃でした。
終わる時はあっけなかったなぁ……まぁ私がやった禁じ手のせいで強引に兵力を借り出された方々は相当激怒しているらしいが、しかしこんな短期間で問題が解決するとは。その理由はやはり周りの方の力が強かったのと、あとまぁ私の人生の場合はお決まりなんでしょうねぇ、「裏で煽っていた奴がいた」が、そいつがやっていた事が全てバレたから。要するに私は私なりに何とか施設やら抜け道やらを見つけて交渉をするんだけど、それを片っ端から泥棒していた奴がいたということ。施設を求めているのは私だけではないから、というよりもほぼ奪い合いだから。だから私が土下座とかして施設の社長の電話番号聞いて直電とかして何とか経路を構築すると、それを横から奪っていく奴がいたんだよね。
簡単に言えば、私が何とかしてつなぎを造ると、横から別の人間が電話して「あいつがなんて言っているか知らないが、あいつ担当のあの人は危険だ。代わりに私担当の人をいれてくれ」という事が度々あった、というのだ。それが、今回の外患誘致騒動で暴かれた。私が交渉をして失敗した施設と、その人物がその施設に自分の担当者を入れる事が出来た 時期がぴったりと一致する。これが一回ならばともかく複数回だったから周囲にも上にもモロバレで、批判は私だけではなくそっちの方にも行っている。どうやら他人のデータを見ているらしい、という事も判明し……そっちもそっちで、いずれ何かしらの裁きが一応降りるだろう。
それともう一つ、ここにきて薬物○売の話が出てきたという事がある。この世界に性善説はない。みなしぶとく、皆生きるために容赦がない。売春だろうがなんだろうが平気でやる、嘘の申請なんて当たり前、私達だってそれをまともに信じてなんていられない。隠し口座の見つからなかった人間の少ないことすくない事。だからこの話が突然出て来ても驚かなかったし、元々どうして突然睡眠薬が処方されたの? とはずっと思っていたことだから。それと、どうしてあれだけ酒びたりで金が尽きないのかも、ずっとずっと疑問だったし。
さて、と。
この問題が片付いたから、私は次の問題にとりかかる。「私も貴方に話したいことがある、自宅でゆっくりお待ちしていますよ」、ですか。普通こういう露骨なものには単身で乗り込まないのが通例だけど、誰とも一緒に行くつもりはない。私はもう職場の同僚を信じていないし、これはそもそも私個人の問題だ。何と言っても次の相手がこんな言い方をしたのは、私だけが最後の最後まで反対の姿勢を変えなかったから。普通は誰が賛成票を投じて誰が反対票を投じたか漏れないはずなんだけどなぁ(笑)、ただ私だけが、背景に誰がいようとこの先どうなろうと絶対反対の姿勢を崩さず、正式会議にまで持ち込ませた挙句その会議を棄権するという動きに出た。それが伝われば、そりゃ相手は怒るだろうさ。でも、私はそれが正しいと思ったからそうやっただけで、それが暴力で跳ね返ってくるならそれは仕方ないと思う。
私はそのほぼ報復措置として担当に任命された今でも、その相手の存在を認めていない。それをはっきりと告げに行く、巣の中で少なくとも一人の人間だけは貴方の事を全否定していることを伝えに行く。
いい加減、嘘にはうんざりだ。いかに暴○団で脅そうが……保身と後先しか頭にない人間以外もこの世界にはいるという事をその身をもって知るがいい。
鉄砲玉は、貴方だけではない。
堪えるのもここが限界。刀折れ、矢尽き、そして兵糧も底を尽きた。頼みの後詰は全くなし……もう期待しても無駄だろう。既に援軍を求める手紙は全ての領主に送ってあるが、まぁ誰も来ない。いや一人だけいたのだが、「うーん、そっか。じゃあ川の水に毒流して皆殺しにしよっか♪」と滅茶苦茶過激な策を出してきたため、私の方からお断りをした。それ以来、誰一人後詰に来ない。一応何があっても恨みっこなし、互いに助け合っていくっていうのが、この巣のルールのはずなのになぁ……。
そもそもの事の発端は2月上旬、同じ巣の中の別のところで発生した。その頃の私は松尾山で散々悩んでいる一方自分の任務は安定していて、担当していた領域については何とか上手く廻せていた。だからこそ松尾山を決め込んでいられたのだが、そんな時同じ巣の別の若鳥(雛、ではないです)が自分の担当領域に大問題を抱え、かつそれを一体どういう訳か私の領域に押し込む、などと言い出したのだ。
最初の私の反応は、「またまたご冗談を」というものだった。私の領域が荒れる、という事も勿論私の頭にあったが、その問題を抱えると私の領域でも連鎖大爆発が起こる可能性が多分にあり、いやもう率直に言うと、その人を受け入れると心が病みまくって大惨事を起こすだろうなあと思える人間がいたからだ。そしてその問題を引き受ければその人が発狂するであろう事は皆の共通認識に近く、反対者も最初は圧倒的に多かった。しかしこの問題を何としてでも擦り付けたかったのか、というよりも議員が出て来て逆上したのか、その若鳥はあろうことか巣の中のボスの了解を先に取ってしまった。私の報告は「あの二人を一緒にさせたら崩壊します。事故も起こるでしょう。一年前の事件だって死者が出なかったのが幸い……それはご存知のことですよね」という全否定的なものであったにも関わらず、だ。ちなみにこの人、私は頼むから家に居て下さい、と対応している。一年前の一件が事故で済んだのは奇跡に近く、確かに立件されても責任能力で無罪は確定だろうが、しかしこれ以上惨事は広げられない。だから必死になって抑えていたのに……よりにもよって、ここに「事件を実際起こしたけれど責任能力がないから無罪」な人を新たに加えたら崩壊するに決まってんだろうがっ!!
しかし、衆寡敵せず。強引に押し付けられた日から、私の苦闘は始まった。あんまりにもやり方が不当なので心底から頭に来ていたが、押し付けた側が「もうあれはあの人の担当になったから。それは認めないと駄目だよね」と半笑いで周囲に根回ししていた為、それを覆す事が遂に出来なかった。そして予想通り、本当に予想通りたった一週間で入院騒ぎになった。大慌てで家に行ってみるとたった一週間で家の中がカオス、一体何をやったんだと尋ねても、「気付いたらこうなっていた」の一点張り。どうやったら一週間で部屋の中がゴミ溜めになって、今まで住んでいた人間が入院するんだ。そう聞くと「まぁこういうご時勢だからねぇ、不況ってやつですか」との返事。一体どうして不況がゴミ屋敷と関係があるってんだ、アンタっ。
それからも、ここの荒れっぷりは続いた。まぁ互いに責任能力に疑問符が……という状態なので、当然ながら上手く行かない。家族にも連絡を取ったが、「収容しろ」の一点張り。「強制的に施設に収容すればいい」との話だったが、犯罪者でもないのにそんな事出来るか、と答えると、「それでもやるのが仕事だろうが」と怒られた。「貴方達の血は一体誰から分けてもらったか考えた事がありますか?」としつっこく説得をしたが無駄で、もう誰も動いてくれる人間がいなくなってしまった。
そして、とうとう事件が起きた。
最早私の打つ手はない。籠城四ヶ月、もう私では限界だ。誰か援軍を、後詰を……必死になって援軍要請を出したが全く返事は返ってこない。しかも私の抱えている事件はこれだけではなくて、その押し付けた人間の担当領域の人間が私の担当領域の人間を恐喝している事件もあって、しかも下手に発表すると又こっちがもみ消されるから扱いがとても難しくて、それの解決もしなければならない。そんな中必死に援軍を求めたが、とうとう誰一人として応じる事はなかった。だから私は……とっておきの、最期の手段を使用したのだ。
その必殺奥義の名は、
”がいかんゆーちーぃぃぃ(昔のドラえもんの声優風に)”
自分の担当領域を放置して他の「木」の同じ巣へと総攻撃をいきなりかけた。普通と違い、この巣の世界だけは宿木違い同士の仲が強烈に悪く、下手にしかけるとすぐ全面戦争になってしまう。しかも私の住んでいる巣の宿木はあまり強くなく、例えるならば毛利元就以前の安芸の国のようなもので、更にその一国人領主に過ぎない私が、よりにもよって経久時代の全盛の尼子家にケンカを売ったのだ。
「おらおらおらおらぁぁぁ、逃げる奴は尼子兵だ。逃げない奴はよく訓練された尼子兵だ。ほんと安芸の国人集は外道ばかりだぜフハハハハハハ!!」
私を一顧だにしない事を逆利用して、全力で尼子に攻めかかる。尼子は尼子で攻められることを猛烈に嫌う上、攻めてきた相手を徹底的につぶしにかかる本気で恐ろしい勢力だ。実際それは相手の人格を崩壊させるほどで、尼子に仕掛けたが為に個人的に心を壊される程追い込まれた人間も数知れず。だから誰も尼子には仕掛けない(年配者はともかく、若いのはそこいらのヤ○ザよりもタチがわるい。しかもそこは常に若い人間だけを揃え、しかもどーいう訳だか全員ガラが悪い……)のだが、そこに向けて私が一気呵成に攻め込んだのだ。その上私の宿木は平和主義で一切攻めかかったりはしないため、尼子の方も気が緩んでいたらしい。水面下で話を進め、いっきに尼子家に攻め込む体制を整えた。その時だ。
遥か彼方に……よーやく後詰の影が見えたよ。
しかも、ほぼ全国人領主が後詰に出てきた。そりゃそーだわな、私が一人だけ敵対したといっても、尼子は安芸全体が敵対したと見るわけだから。しかも尼子の砲撃はどこに飛んでくるか分からないから、必死。有難いと思う反面、「お前らよく今更臆面もなく出てこれたな」とも感じつつ、それでも一気にこっちから反撃に廻った。しかも今回は同じ宿木の他の巣からも続々と援軍が出てくるという予想外の事態になった。要するに私が本気で尼子と戦おうとしたため、その問題を消去しようという事になったという訳だ。
というわけで……どーにかこうにか、この問題は解決する。ただ、一つだけ分かったのは、前から謎ではあったのだが、どうしてか私の交渉は全て不備に終わっていたことの、その理由だ。もう率直に言えば……水の手を断って井戸枯らしたのは味方だったんかいっ!! まぁ今はそれもなくなって一気に反撃の機運が高まり、ある一人の国人領主の手助けで来週ようやく解決となった。これにて一件落着。
しかし外道な手段と言われているだけあって、やっぱり効果は絶大だわ。勿論問題が全て解決した後の皆の報復は恐ろしいが、しかしとりあえずこれで問題は何とかなった。あとは……土下座して許してもらえるかな。外患誘致って、確か日本の刑法では死刑しかなかったような……。あ、でも同じような事を確か最近北朝鮮がやってたよな。なる程、確かにあれは効果あるわ。名目上はどうあれ、実際は何とかなったんだから。
ま、それ以外にも問題はあるんだけどねぇ。それと今回の一件は私が他の人の援軍に一度も出ないから起きたんだって言われるけど、援軍要請なんて一度も受けてませんがね。でもとりあえずはよかったよかった。あとは事後処理と、この間に矢玉兵糧を蓄えて、身内からの襲撃に備えるだけですわ、はい。
ちなみに私は、尼子に一切恨みはありません。しかし備中の三村家の○○だけは必ず討ち取ってくれると思ってはいます。しかし三村は三村で安芸国攻めで調子乗って尼子に攻め込んだもんだから、リアルに先鋒大将が尼子によって討ち取られて(確か○○で休職してしまったって聞いたけど……もう治らないからって退職になったんだっけ。休職寸前の先鋒大将の姿はそれはもう酷かったらしい……)、今あんまり元気ないからそこに向けて攻め込んでも意味がなかったんだよなぁ。でも、備中の三村家だけは許せん。いずれ必ず目にものを……とまぁ、この世界の連携はゼロなんです。うん。
普段なら絶対有り得ない蛮勇。
しかも目の前にいるのは部長二人。……そもそもどうしてこんな事を私が言わなければならなくなったのか、その前にどうして私が二人もの超上役と個人面接を、しかも個室でしていたのか。全ては予想外の出来事から始まった事で、今考えると今日ほど長い一日はこれからないだろうな、とも思う。本当に偶然、様々な偶然が重なってこの大惨事になったわけだ。
ただ、伏線が全くなかったかと言われると、それはうそになってしまう。まず伏線その1.それは『このままだと教員決戦やりきれないだろうな』という思い。要するに教員採用試験に打って出るといっても砦は守ったままだから、家に戻るのは十時ごろになってしまう。そっから新たに教育心理・教育臨床をやり直す……はっきり言って、かなりキツイのだこれが。更に教育法規はまだ手を付けていないが私が現役だった頃からかなり変わっているものもあり、やったら多分死滅ような気がしてしまう。そして多分私は、『じゃあ今のままでいいや』と最終的には逃げるような気がしてならないのだ。そもそもこの勝負、私にとってはデメリットが多すぎる。給料は残業がなくなるので数万下がり、都を失い、正規雇用を失っての再びトライアル雇用になる。転勤も多いし、その場合どんな僻地になるか分からない。そんな戦いにどうして命を削ってやっていくのか……早晩私はそう思い撤退を決意するだろう、そんな思いがまずあった。そして、そんな自分がやっぱり嫌だったのだ。
そして、伏線その2.それはもちろん、昨年やらかした内通の一件と昇給停止処分だ。証拠を突きつければ話は早かったんだろうが、それをすると個人情報のやりとりをしたことが発覚する上にこっちにも防備は万全だから、そういう事は今までなかった。しかしだからといって、この一件が消えたわけではない。というより私が想像した以上にこういう処分がいきなり出る事自体が稀なようで、一体なんでそんなものが出てきたのか、結構話題になっているらしい。で、話題になるとそれは悲しいかな組織、私の事なんてどうでもいいけどこれをネタにアイツを潰す、みたいなタイプが現れて、不当だ何だと話を広げる奴がいる。正直私はもう終わったことなのでどうでも良かったのだが、どうやら本人を交えてもう一度、という雰囲気が出来ていたっぽい。
これら伏線を踏まえ、最後に直因。これが今回の一件が偶然の産物だと思う最大の根拠だが、その日の私は外回りで地獄のように疲れていたのだ。普通の世界の外回りではない。この世界の外回りだから、肉体的にも精神的にもボロボロになる。朝から夕方まで人の話を聞くというのは結構疲れることでもあって、それを10人以上メモを取りながらやると頭の中がぐるぐるしている。それを一人30分以上やったんだから、戻ってきた時はもうふらふら。そこに突然出頭命令が出たもんだから、もうかなり投げ槍になっていた部分もあった。そしてこれが、多分一番大きかったんだと思う
それらの前提の元、時間軸を部長から個室に呼び出されたときに戻していく。発端は部長どころかトップであるそうで、しかも「あれは一体どうなっているんだ!」と言い出したことがきっかけらしい。その為私如き雛鳥に部長二人が狩り出される事となり、個室送りになったのだ。どうやらトップの意志としては”昇給停止は構わないが、そんな人間にどうして育てたんだお前らは、というよりもどうして採用したんだ”、というところにあるようで、だから始めから部長はご機嫌斜め。その上私にしてもべろべろに疲れているので別にそんな過去を蒸し返して何がしたいんだ、という状態。要するに互いにやりたくているのではなく、私としてはとっとと済ませてほしかったのだ。
だが。
「まず、自分の悪いところを思いつく限り列挙して」
といきなり口頭で求められて絶句した。ショックとは全く別で、「この疲れてる時に何を下らないことをやってるんだこの人達は……はぁ」、という感じ。本当にどうでもよかったので、とりあえず相手が納得しそうなこと適当に言うと今度は、
「そうだよな。でも、それだけじゃないだろ。もっと言えよ、たくさんあるんだからな。お前の悪いところは」
と、まぁ随分と”黒色組織”っぷりを連想とさせる言葉を吐くお歴々。こんな事個室でやってるんだから全くどれだけ暇なんだ……と思いつつ、いっそのことヨイショのつもりで「これ録画して動画サイトに上げましょうか、部長!」とでも言ってやろうか、などとむしろ楽しく思っていた。そう思えるほどもうべろべろに疲れきっていて、だからもうどうでもいいや、という感じで「お気の済むままにはいどうぞ」適当に列挙していった。すると
「そうだな。お前は○○で△△で××だ。いいか、もう一度自分で言ってみろ。大きな声で、だ。お前は何だ、どんな人間だ! 言ってみろ!」
との素晴らしい、まるでテンプレみたいな御返答が来た。いやー、ここは軍隊か。それとも新手の風俗店か(笑)。私にそんな趣味はないぞ(笑)。それでも私の方は本当にもうどうでもよかったので(疲れるんだって外回りは。それと頭の中は教職奪還しかないから)そのまま何の感情もなく返答。すると私が顔色を一つ変えずにそれをやったことが余程詰まらなかったのか、上役は憮然とした表情で
「そうすると、お前は存在自体が誓約に反してるよな」
というお話をはじめた。私の感想は、あっそ、の一言。もともとここに導きたいんだろうなという事は分かっていたから、「前置き長いよ」位にしか思えない。しかもそこで私から哀願の言葉でもほしかったのか相手が黙るから、無為に時間がただただ流れる。すると何を狂ったのか
「誤解するなよ。俺はお前が可愛いから言ってやってるんだ」
と、部長自らサドである旨の告白が始まってくる。どれだけ私を愛しているか、心を砕いているかの自己陶酔。……いや、疲れてるから明日にしてくれない、とも言えず黙って聞いていると、また相手が黙る。何としてでも私に一言言わせたいらしいが、相手は強制になるのを恐れているから私に言わせようとしているのが丸分かりなので、当然簡単に言うはずがない。するとその沈黙に耐えかねたのか、
「仮に残るとして、ここで一体何するつもり?」
と言われたので、(既に仮かよ)と思いつつ私はよりにもよってあの腹案、「<自主規制>」と返答。すると
「お前、本当にバカなんだな」
と、本気で呆れられてしまった。まぁあんな場所で私の腹案を聞かされればそういう反応になるわな、しかしもういい加減疲れてきた。話す事が目的ではなくて言わせる事が目的なんだから、だから私はもういいや、と思い、疲れと、内応発覚確実の情勢と、そして戦いへのドラムを欲していた自分の心が重なって、冒頭の言葉を発したのだ。
ただし。
私はあえて、そこに主語を挟まなかった。何を受けなおすのか、それは明言せずに頭を下げてそのまま戻った。ただ、今後これがどうなるかまでは分からない。ただ分かったのは、内通の一件は確実にバレているという事のみだ。そうでなければ、いくらなんでもあんな迫り方はないだろうと思う。サ○金だってあんなことしないぞ今は。だいたいよくよく考えてみれば、元々その部長二人と私は面識すらないんだから。それであの罵声となると余程の何かがあったはずで、そして余程の何かをそんな超上役に与えることなど私如きでは普通出来るはずもなく、結果そうなると……あの話しかないのだ。
何かもう疲れた感覚しかないが、これも自業自得だろうか。それとも私が潜在意識で望んでいたことだろうか。しかし今日は疲れた。だからとりあえず寝て、今後の動きを見せてもらおうと思う。しかし”お里が知れる”というのは、こういう事を言うんだな、と思った。迫るにもやり方があるだろうに。
老兵は死なず、立ち去らず。通算成績11勝(非常勤・常勤・専任・他職種全て含む)23敗、記念すべき(?)35戦目、そして36戦目、それに37戦目の手続きを同時に終えた。老害なんて言葉は知らない。若い人のような記憶力はないけれど、此方には誰にも積めなかった経験がある。しかもそれは多分本当に誰も積んだ事がない……少なくとも私は教員時代、実は昔ああいう仕事をしてました、という人間を知らない。そしてもしそういう人間がいたら、それ一本でかなり授業が作れるから頼っただろうなぁと思うのだ。だからこそ、立ち上がる。もう一度、もう二度、もう三度。自分の砦は必死に守り、その守りを怠らない上での戦いを続ける。何度負けても立ち上がれる、もし大敗しても二度と戦えなくなっても、その時は砦に戻ればいい。そこで過ごしても問題はない……そういう状態での戦いという事で、今回は挙兵を決意したといういきさつだ。
ただ去年のことについて反省した時、私は教員になった時にどうやってここから逃げるか、とだけ考えていたことに気付いた。逃げる、というのは要するに消極的で、あまり推奨されることではない。追放される、これは積極的ではあるが何の利益ももたらさない。私が苦しんでいたのはそういう皆が損する方法ばかりを考えていた、少なくとも私がマイナス要因として演じる事で私がいなくなってせいせいした、という状態を作ろうとしていたから、だったのではないかと思うのだ。
その為今年からは、「余剰人員が生まれるようなシステムの大改革」を作成して提案し、その上での結果的逃亡を目指すことにした。今の職務は激烈に大変ではある、ではあるが、削れる部分がないわけではない。例えば<自主規制>の場面においては、もっと事前に選別が出来ていれば<自主規制>の時間を態々設けなくても済む事が多い。事情の聴取についても、例えばチェックシートを作って聞くべき内容を抑え、しかも全員がそれを数分で共有出来る状態にすれば、多分大分時間を削減できる。その他対病院専門、対施設専門等それぞれが特化部門を持てば、現状、即ち全員が均等にそれをやっている為それぞれが知識を身につけねばならず、その分ムダに使われている時間があるが、それを減らす事が可能になる。そうやってどんどん無駄な部分を削ぎ落としシステム化を加え、余剰人員を作り出すのだ。
そして余剰人員が生まれると誰かを追放する事が出来るから……それに私が立候補をする、そしてそれが範となれば……という筋書きを考えたのだ。
そう、これならば、誰も損はしない。私も罪悪感まるでなく、次の場所へと旅立てる。というよりも今そういう観点で仕事を見てると、なる程、そりゃこの世界、人件費がかかるよなぁとつくづく思ってしまった。仕事の効率化をもしやれば、その分クビが切られるんだから。「ここをシステム化、あそこをシステム化、これで仕事が効率的になりましたね、ということは人数が余りましたね、では貴方はクビさようなら」。この世界のクビは間違いなく、”犯罪的自業自得”と”病気”を抜かすとこれ位でしか起こり得ない。だから絶対これは進まない、しかも苦しいことなんだから。新しいシステムを作るというのはとても辛いこと、で、それをやったらどうなるか、雇用が消えるというオチだ。そんな事を一体誰がやる?
その上、だ。
賭けてもいい。もしも仕事のシステム化をやって余剰人員を造ったとしたら、クビを切られるのはその当人。苦労して作り上げたその当人こそが、評価されるどころかクビを切られて終わるはずだ。
まぁでもこの話は、私が新たなシステム化に成功すればの事になる。一体どれ位かかるか……一応のプロットは出来ているのだけれど、果たしてそれが上手く行くのだろうか。事情を聞く事はチェックシート化できるのか、それをする事で聞き漏らしてしまうこともあるのではないか。専門的特化をすれば負担がその人に行き過ぎるかもしれない、またその人が潰れたら組織が消える……しかし、ムダを省いて余剰人員を造るという目的の為には、これをやるしか術がない。そして「これをやるしか術がない」と緊迫感をもって思う人間がこの世界にはいないから、やたら人件費がかさむのだろうと私は思う。私だってもしここが終の棲家なら多分やらない……努力したら殺されることを努力するというのは、やっぱり普通では有り得ないから。
でも、それでも、立ち上がれ自分。逃げてばかりでは何も掴めない。去年は阿修羅面だったが今年は二足の草鞋。形式的本業では余剰人員作成を大目的とした業務のシステム化の提案と作成、実質的本業では無差別全方位爆撃による最終勝利の獲得、今年はこの二つの両立を目指して頑張っていきましょう! 時間も若さもない。しかし、もうやるしかない。やるしかない以上、成功するための策を練るのみ。
撤退は選択肢になし。ならば戦う!
「心の風邪」と本気で一般化しようと思っているのなら、そもそも優遇措置はおかしくないか? 治療方法として時間は必要、それはそうだが、はっきり言ってしまえばそれだけの病気=身体のそれと何ら変わりのないもの、という位置づけとしたいのではないのか? だったらそれはそれとして割り切ってあとは普通に接する、そしてその普通は相手を下に置く事は論外だが、上に置くことでもないはずだ。上に置かなければ失礼に当る、というのであれば、それは単なる一般化がされていない証拠。要するに心の中では「可哀想な人」=心理的差別の対象、となっているのが現状だろう。
ある日の事。一人の人間が気品ある微笑と共にやって来た。ここにこういう人が来るのは結構珍しいので一体なんだろう、と思って部屋へと通すと、微笑みながら一通の茶封筒を差し出し、そしてまるでお嬢様が執事に紅茶を求めるかのように「とん、とん」と机を人差し指で二回叩いた。勿論こっちは執事ではないし、お茶は多分あるんだろうが私自身が一度もそういうものに口をつけた事がないので(あとで調べた所共有スペースにそういう設備があるらしいです。私は自動販売機を使ってますが。理由はいわずもがな、でしょう)、まぁ書類を読めという意味なんだととらえた。どのみちこの人嬉しそうに佇んでいるだけで何も喋ろうとしないのでこれしかする事がないんだが、で、中を見るとそれは診断書。そいでもって書いてあったのが、「魔法の病気」の名前だった、というわけだ。
で、だ。
読み終わって封筒に戻したものの、相手はそれでも何もいわない。これだけでは此方としても何も出来ないのだが、口を開かない上もう一度「とん、とん」と机を人差し指で叩いた。まるで粗相をした執事に、別に怒ってませんわよ、と慰めの笑みを浮かべる貴婦人のように。……ただこの時点で私は、その笑みに勝ち誇ったものが含まれているのを感じ、かつ、今までの経験から一体何があったのかを悟った。その上で、である。大体昔何があったのかは悟った上で、どっからそんな情報を引っ張ってきたのかは知らないが、その上で私は敢えて尋ねた。
「それで、本日のご用件はなんでしょうか?」
……そこから先の話は個人情報なので伏せるが、お嬢様は途端に品性下劣に怒り狂い、最後は魔王のように荒々しい息遣いと視線になったことだけは書いておく。またあの時の私の最終判断は「このままやってると過呼吸になる。め、メガ○テのつもりか?」ということも付け加えておく。ただ私が何で敢えて用件をたずねたかというと、「この魔法の病気にかかれたのですか。では制度適応ですね」というのはあまりといえば余りにも失礼だから。誰に? それはその病気を抱えながらも一生懸命働いている人達に、だ。
そもそもこの病気、心の風邪という名称のとおり、適宜薬を飲んで周囲の理解を得られれば、普通に世間で生きていけるのだ。偏見の生じる余地さえない。例えば私だって朝から頭が痛ければ風邪薬を昼飯の後に飲む。気分が乗らなければやはり口調はお客様以外には億劫になる。それが単に長く続いているだけの話であり、またそれに加えて、少し長い休みを取らなければならないというだけの話だ。断じて、不治の病などではない。一生付き合っていかなければならない病かもしれないが、それで多くの制約を加えられるようなものではないし、差別を受けるようなものでもない。それにも関わらず、その病気を持っているから即制度適用なんて、どれ程差別の心に満ち溢れた対応である事か。
勿論この時、私にこの病気に対するマイナスの思いが一瞬にでも芽生えなかったか、と言われたならば答えに窮する。でも私はこの「魔法の病気」にかかると、1000人のうちの1人・2人がどういう訳か、「これで私は勝ち組になった。何をやっても許される」と思い込み、これを金看板にして全てを乗り越えようとしはじめるだけだ、と今は理解しようとしている。実際の割合はこんなもんではないが、あくまで例外ケース、たまたま、本当にたまたま私の接している相手に関してのみ10人中9人、というだけの話と考えている。目の前の人も、多分そうなのだろう。実際”どうして私が名乗らなければならないの”、から始まった話し合いは、本当に本当に苦痛だった。昔どこかの俗謡にあった「働いたならー負けかなーと思っーてーる」っていうのは本当なのではないか、といういつも抱えている私の爆弾が刺激されているのも感じた。お金は使えばなくなる、何でですか!と怒鳴られても、ものは使えばなくなるもの。勝手に決め付けないで下さい! と言われても、100円の中で30円のガムをかったら残りのお金は70円、そうとは限らないじゃないですか! と言われても私は答えられない。ここまで来ると真実の相対性の問題。というよりも要するに、相手側が真実と考える「夢幻算数」はどうやったって、私には理解できないのだから。
この病気は、「心の風邪」だと思ってる。
ただかかった人の中には、これで無敵になったと思い込む人がいる。そしてその人が暴れ狂うから、そう思わない普通の「心の風邪」をひいた人々が苦しんで、その何気ない普通の病気が「魔法の病気」になってしまう。だから私は、この病気を「魔法の病気」たらしめているのは、世間ではなく、そういうごく一部の人間のせいと思っている。だから私は特に、あんまりそういう病気の使い方をしてくる人を認めない。「ご病気ですか、それは辛いですね」までは行くが、ですから制度適用を、とまでは絶対に話をしない。それで立派にやっている人がいるんだから。もしそれで制度適用をというのなら、その病気をあくまで「きっかけ」として、その病気は単なる「心の風邪」なんだから何も出来なくなる直接的要因なんかでは全然ないんだから、何が起こったか聞かないと此方としては対応できない。
それは、差別になるから。
相手を低く見るのは当然差別だけど、謂われもなく高く見るのも差別だからね。
ま、こういう姿勢を貫くから敵が多いんだけどさ。昔から私は男女平等を遵守してるといいながら集中砲火を浴びるのは、多分このせいなんだろうと思うし。勿論肉体による機能の違い(筋力の違いは器質的なものなのでこれは勿論考えます)は認めるけれど、それ以外は本当に平等にやるべきだと思う。でもそれが通じないんだよなぁ……って、でもそれは、男女平等を本当に考えてないからじゃないの?
そういう魔法と戦いながら、実直にやっている日々でした。医事課の一件は現在進行形でトラブルが発生しているのでまた今度。発行した覚えのない書類、しかも私が発行責任を負う請求書が病院に届いている。そんな請求書出した覚えはない、というよりどうやってこの人物は私の印鑑を……。まぁ請求書そのものは取り消したけれど、一体誰がやったのやら。で、この現在進行形の問題が片付くまでは、この件は保留です。はい。一説によると、とある<自主規制>は、巣の中で働く人間全員分の<自主規制>。
さて。前回の日記のテーマであったおひとりさま、それで人生を穏やかに終えるために絶対に知っておかなければならないことは「白衣の天使などいない」という事である。別にこれは看護師を蔑んでいる言葉ではなくてむしろ当たり前の話、いかに看護に携わる人間とはいえ超人的=人間を超えた、即ち神的存在として、全ての感情を封じ込めることなど出来るはずはない。そりゃ仕事だから全面に出してこないだけの話で、内面には喜怒哀楽はきちんとあるし、それに色々変な発言をした場合その場では流してくれているように見えても絶対流れてないから、それ。だから私は患者としても穏やかな生涯を終えて欲しいと思うし、一方で天使、などといった超人的認識は看護師にとってとても辛い言葉だと思う。という意味での「白衣の天使などいない」という言葉だ。
多分ここまで書いても実感はないと思うので、少し私の話をば。いつだったかとある用事で病院に行った時のこと。病院に色々な匂いはつきものだけれど、その病室はなーんか妙な香が初めからしていた。いやまさかな、ここは病室だし……と思っていると初めからお約束していた看護師が登場、私の用件が始まった。それが始まって数十秒位経った頃かな、ベッドの毛布の中から、毛布の中からコロリと落ちてきた黒い棒。そして匂いの発生源……はい、「今しがたまで確実に燃えていたマッチ」でございます。
”病院燃やす気かあぁぁぁ!!!”
当然ながら病室内は禁煙、というより毛布のあるところでマッチを使ってはいけません(ナースステーションに半裸で入っても駄目です、それから、勝手にそこから薬をとってはいけません。隣のベッドにあるものは隣の人のものです。自分のものにしてはいけません)。病院が燃えますから。その為もうそこで用件は中止、何故か私も手伝ってのマッチ捜索が始まった。うわ、これはこの他にも迷惑かけてるんじゃ……と思って看護師の顔を見ていると、なんと笑顔。そして「だめじゃないですかぁ、そういうものを持ち込んだら。いつもいってるでしょ」と優しげに諭しながら探していたのだ。すごい、これがプロの技か……いつもってことはこんな危ない事がかなりあるってことか、それでもこんな対応が出来るなんて流石だなぁ、と思っていると、今度は匂いではなく変な気配がしてきた。病室の入り口に騒ぎを聞いて駆けつけてきた看護師が一人、……あれ、なんでこの人
”……白衣ではなく鎧まとってんだろう”
これはまずい。決定的にまずいと思った私は、用件が終わるや否やとりあえず出直すことにした。が、病室の扉が閉まった将に直後、「話あるから、ナースステーションに来て」と別人というより素の人間、厳密に言うと怒りの戦士が私を強引に連れて行った。そしてナースステーションの奥にある用具室へ。あれ、この展開一度だけ経験した事がある。確かあれは……そうあれは公立の採用を3月でドタキャンして、取調室のようなところに連行されたときだっけ。あの時の末路は確か……げ。これは本当に危ない展開だから逃げ
「今から連れ帰ってください、あの人」
「今から? いえ、私も今自転車で」
「だったらおぶってでも連れて行ってください。これ以上あの人の面倒は見切れません」
……その後の事は良く覚えておりませんが、少なくとも白衣の天使なぞこの世にはいないんだなぁと知りました。勿論それは患者さんと、それからその患者さんの入院手配をした私の責任なんですが、それはもう数人のナースが出たり入ったりで罵倒地獄。あ、少しでもここで卑猥なものを感じた方、老後は暗いですので今から現実を見てください。ああ、ナースとは言え人間なんだよなぁ、そりゃ根に持つよなぁ、それだけ鬱憤ためててあの笑顔か、どれだけ心偽ってたらそれが出来るんだろうなぁ……飛び交う罵言の前に最後にはなんかブッダのような境地になって、”これは将来絶対に看護師にだけは丁重でいよう”と心の中で強く誓ったのでした。
誓った理由は、もう一つ。多分ここまで書いても、「それでも仕事に影響があるわけじゃないんだろ?」と思う方がいると思うので付け加えておくと、確かにそうですが”積極性”が失われる事は確かです。例えば普段やるべき医療行為をしない、これは犯罪ですが、いつも気にかけてくれていれば気付くことの可能な兆候に気付かない、これは犯罪ではありません。大丈夫かな、大丈夫かなと思うから気付くことが世の中にはあって、そしてそれはやはり感情によって支配されます。ここは義務ではないのですから。心配と言う人間的感情行為があって初めて出来る事で、超人的な天使では無理な事なのです(ちなみにこの段落、相当マイルドに書いてます。最初実際の医療行為の実例を交えてかいたところまぁ自主規制ばかりで意味不明でしたので、相当マイルドになってます)。
だから、白衣の天使なんて言葉は捨てた方がいい。長生きしたければ。けたたましくなるナースコール、たった一つだけついたのならば別だけど、複数いっぺんについたとしたらどうします? 当然発生するのは優先順位の問題。それで<すんませんやっぱりここは自主規制です>。
病院というのは、命にダイレクトに響く究極の因果応報の世界。そう考えておくのが無難かと思います。今回は最前線で戦う白鎧の戦士たちの話をしましたが、それよりもずっと強い、時には鬼神の如き恐ろしさを見せる白鎧の戦士達の保護者兼病院を赤字の魔の手から守る「金の悪鬼」、医事課の話が書ければと思います。その後に余裕があればリアル白い巨頭の話でも。しかしこの世界に1年いて思った、その昔いた鳥居み○きとかいう芸人、あれは完全に正常だわ。本当にそういう病気になった方とじっくり30分話を聞きましたが、だんだん気持ち悪くなってきて(ゲシュタルト崩壊の論理版、とでも言うのでしょうか。言っている事が全て矛盾しており時系列もバラバラ、話は飛ぶし主語も変わる)芸どころの騒ぎではないです。ぱっと見てこれはおかしい、と思う人って殆どいないんだよねこの世界。むしろいたら余程酷いか偽っているかのどちらか。大抵がおやっ、と思う程度でまともだからね、通りすがっても分からないくらい。私としてはむしろこの「閉鎖病棟」の話の方が参考になるかなと思うけど、こっちは危ないので検討中。
にしても昇給がないのってそんなに危ないのか……いや、他の同期は普通に全員してるから、経営危機ではないんだけど……って、やっぱりそれだと危ないか。
で、今日はおひとりさま、の話。孤独死の話は守秘義務の関係からいいのかな、なんて思うので、周辺の話題から攻めてみることにしたのでこの話題(こたつとおふろはえぬぬじーでーす。ほんと、たのむから、ね、ね、ね)。最近なんかテレビでおひとりさまの行く末について報道されたみたいだけど、私は何というか別に構わないんじゃないかなぁと思ってしまう。というのも、家族を持っても必ずしも幸せになれるわけじゃないしなぁ……私もあれっだけ親族見つけて手紙出しても、一度も「助ける」って返答が戻ってこなかったし。将来息子に養ってもらうから養育費をいっぱい出す……まぁいいけど、そういう育て方で本当に親を扶養している人を私は見たことないし、そういう親をみて育った子どもは自分の子どもに同じ事をするから養ってくれる事はないよ?
まぁ私はそのテレビを直接見た訳ではないけれど、多分年老いて家族も皆死んで一人になって社会的接点が失せて、最後は家の中で孤独死、と言う内容だったんだろうと思う。でもそれって一人で暮らしたときの最悪パターンを列挙しただけで、家族を持っていても息子に裸一貫(リアルに)にされて追い出されて行くとこなくなって野垂れ死に、とかも普通にあるし、家の中で食事を与えられず飢餓状態、なんてことも普通にある。年金があったって口座が息子の所にあればおしまい、とか諸々。だからひとりだからそれが直ぐ不幸っていうのは間違っていると私は思う。というよりも、家族がいた方が怖いし、私は。そりゃ卒中でも起こした時に家族がいなければ死ぬだろうけど、そんなの通報ベルを普段より首からぶら下げておけばいいんだし。あとその為に民生委員もいるんだから(まぁ民生委員が全て善人というわけでは……おっと、自主規制、自主規制っと)普段から見回りを頼んでおくとか、あとはデイケアでも使えば自然と話す機会はあるだろうし。
要するに何が言いたいのかというと、「どんな生き方をしたって幸せになる奴もいれば不幸になる奴もいる。おひとりさまだろうと家族様だろうとおれは関係ない。不幸になる可能性は多分どちらも同じだろう」という事だ。だからおひとりさまを貫きたければそれをすればいいし、嫌なら家族をもてばいい。というより、元々おひとりさまを選ぶ人間って他人と話をしたいのか? 私の場合別に他人と話したくない、という訳ではないが、家族を持ちたいとはこの一年で思わなくなったけどなぁ。子どもに金を費やした末路、ローンで家を買った末路、転職を試みた末路、離婚裁判食らったあとの末路、それを見てると別におひとりさまでもいい、というか家族は正直持ちたくないわ。
総じて不安っていうのは知らないからこそ起こるもの、だと思う。もしも不安ならばそういうおひとりさまが活用出来る社会的資源を調べておいて、それを活用する方法を頭がはっきりしているうちに用意すればいいと思う。そうすれば多分その過程で……家族様がそれ程安泰を保障しない、って気づくから。寂しい、というのは多分不幸数値としてはゼロ。だけど虐待ってマイナスだしなぁ……抵抗力なくなってから若い家族にフルボッコとか絶対きついと思うけど……。それに夜毎別の部屋で殺される相談されるとかたまらんぞ。それに孤独死を仮に迎えても、無責任な事を言うのは分かっているしそれをされるとすっごく困るんだけど、その死んだ人当人の世界はそこで終焉を迎えるわけだから、気にする必要ないと思うぞ。私は。
ま、そういう「無常」を普通と考えるのがこの世界ってわけで。あとそういう時に御世話になる看護師とヘルパーは神。ただし今の私には単なる悪鬼。「白衣の天使」が「白鎧の戦士」に変わるんだよ舞台裏だと……。ああ恐ろしい。ナースキャップやらエプロンやら一件きらびやかではあるけれど、今の私には兵装具にしか見えんわ。だいたい何人の私みたいな立場の人間の血を吸ってんだあの大鎧は(笑)。「どうしようもない、今から連れて帰れ」「え、おぶって帰れと?」「5分で退院の準備をさせる」とかもうねぇ……というわけで、次回は病院の話を少しします。
そうそう、最近結核が流行ってるっていう話をご存知ですか?あれはどうしてかといいま……ん? 電話? 「その他」の私に何か用事でも……あれ? 音が聞こえにくいでですね……もしもし、もしも−
その一つとしてまず思い浮かんだのが、表題のこれ。出発点は「認知症ってなんだろう?」というもので、これはガンだのエイズだのといった病気とは全く違うのではないか、という結論を持っているものだ。認知症の定義……例えば物忘れが激しくなったとか昨日の事を覚えていないとか、多分そういう事になるんだろうけど、でも普通の病気と違ってそれが及ぼすマイナスは社会的要素で大きく変わってしまう。
例えばガンと比べると分かるが、仮に肺ガン転移となれば誰にとっても苦しく、多分誰にとっても生活は成り立たなくなるだろう。しかし認知症の場合、たとえ認知症が中期になっていても、一人暮らしで金もないという人とある程度金があって身内が居る人では、蒙る不利益に天地ほどの差が生じるのだ。つまりガンだの心臓病だのは絶対的な病気である一方、認知症は相対的な病気とも言え、同じ状態でもある人にとっては生活を破壊するものでも、別の人にとっては病気ですらないという事態が普通に起こりえるのだ。考えてみればすぐ分かる。生活が破綻していない場合、どれだけ認知症状態の脳味噌になっても、認知症の診断はされない。なぜなら不自由がないため、病院に行かないから。脳死判定がされるされない、とこの点は似ているような気もするけれど(社会的要請で病気であるかどうかの判定がなされるという点)、とにかくここに病状と病名の等号が崩れる事態が発生するのだ。
その意味において認知症は身体症状としてよりも社会的資源の問題と位置づける事が出来る。で、何でこんな事を思うかというと……認知症を持っているかどうかというのは、介護現場で凄まじく大きな要素になっているのが現状で、その為認知症とは思えないのにも関わらず周囲から「認知症だよ。認知症だよね。だから施設に入った方がいいよ。認知症だもの」と刷り込まれ、結局本人がそれを信じて本当に認知症になる人間が結構いる、という事が残念ながら多々あるからだ。
よくあるケースは身内が口をそろえて認知症と言う一方、実際に話すととてもそうは思えない、というものがある。身内の方としては認知症が入ると施設入所が有利になると考えているのか、はたまた家からたたき出す罪悪感が減ると思っているのか、だいたい認知かどうかという選択の時は認知です、という主張をする場合が多い。実際のところは認知症が入ると入所の場合該当施設が変わるため(介護老人保健施設等色々な施設はあるのだが、単なる高齢者・身体障害者・認知症等受け入れる先は異なる)必ずしも家から叩き出しやすくなるわけではないのだが、認知系施設しか空きがない時はとにかく認知という形で攻めてくる。そうすれば家族の負担は減る……そう考えているんだろうなぁ、と思わざるを得ないケースを今まで本当に沢山見てきた。
ただ認知症というのは社会的には最恐の病気だと、私は怯え、震えている。それは認知症だと判断されたらそれまで、何を言っても「だって認知だから」と信用してはもらえなくなるからだ。確かに本当に重度の人、例えば閉鎖病棟の奥にいかなければ会えない人なんかだと納得せざるを得ない(話を聞こうと20分頑張りました。結果、私が壊れて死にそうでした)のだが、境界線上にいると思われる人も通じない。どんな弁解も、どんな説明も聞く耳をもってもらえない。一度認知ほぼ確定だろうという状況で会いに行った事があるが、実際は全然違っていて、説明も納得できるし裏づけも普通にとれるものだった。にもかかわらず周囲からは認知とされそうになっていた……その事実に驚くと共に、その後の事を連想すると本当にこの身が震えてくる。認知症で施設に入って改善した人を……見た事がない。いや元々不可逆的な変化なんだから当然だ、と言われるかもしれないが、正直にいって入所即急速に悪化するケースしか知らないんだよなぁ。
こっからはあくまで私の想像だけれど、社会的要因によって周囲から認知と言われ、自分自身でもそうなのかなぁ、と思い込まされてしまう。すると本当にそんなような気がしてきて、単なる物忘れをまるで認知のせいのように自分自身で思い込んでしまう。そういう事を言っていると放り出したい家族(勿論それが嫌で逆に重度の認知症を隠す人もいると思います……私のいる世界ではたったの一人もいないけど。比喩ではなくリアルで)によって施設に入れられてしまい、そしてそこで初めて、自分がもう二度と戻れない監獄に叩き込まれたことに気付く。だからそこで暴れるんだけど、既に周囲は認知症だと認定をしているものだから、認知特有のものとして処理され、どんな主張も耳を貸してもらえない。しかも自分が認知だと思い込んだ辺りから本当に脳味噌がやられてきているので確かに言動もあやふやで、説得力を持つ説明が全く出来なくなるのだ。
「施設に入れられもう二度と出られないと知ったとき、本能が絶対的な恐怖を感じて脳味噌を刺激する。しかし当人はその絶対的な恐怖があまりにも強いのでそれを言語化出来ず、暴れ狂ったりどなってしまう。しかしそういう事をするとだいたい××されるので段々そのような行動がなくなり、いつしかその本能さえも危機信号を出してもムダとばかりに消えてしまう。結果、本能からの刺激もなく、またそれを無理に言語化しようとして余計悪くなった脳味噌の御蔭で、施設にとって一番都合のいい患者が出来上がる」
はい、大事な事なので二回書きます。この部分は私の想像の産物です。決して<自主規制>とか<自主規制>に出くわし、その後入所となった施設の方から「うちは皆和やかですから一回来てみて下さい」と言われて訪問して仰天、それは和やかというのではなくて単なる<自主規制>だろ! という経験を積んだわけではありません。はい、すっごく大事な事なので三回書きます。これは私の想像の産物です。
……やっぱりやめよっかな、このテの日記の復活。内容がすっげー際どいし。ただ実際、認知としない限りどうしようもない場合というのもあるんだよなぁ……。でも、×××様も××書に軽々しく××と書くのはまずいだろうとも一方で思うし。じゃあこれも付けときますね、って、定食の味噌汁サービスみたいなノリは少なくともやめてくれないかなぁ。話を聞いている私自身が絶対的な××不安に陥って、死んでも認知の鑑定はうけないと思ってしまうから。昔の言葉に×は仁術、っていうものがあったけど、いつのまに仁術が「暗殺拳」に変わったん? いや、だからといって「じゃあ全員健康と書きますよ、どんなときでも」と言われたらそれはそれで困るんで。そういう風に事実はともかく思われる人を無理に家庭に置き続けると、家庭崩壊が起こる危険もまた出てくるからなぁ……。
こんな際どい中で、本年度も一年頑張ります。次は気が向いたら虫の話でも……いや、これは一応未定だ。思い出すだけであれはなぁ……。それとも、最近は無縁死とやらが流行っているそうなので、行旅死○人の話でも書こうか。でも無縁で死んでいく場合は行旅○亡人には該当しない方が多いから(これは文字の通り”どっか行ってそこで”の死亡になるので、例えば身寄りもなく自宅で、という場合は”どっか行ってそこで”ではないため行旅○亡人にはならない。適用法律も違うので、遺骨の行方も全く違う)、あんまり参考にはならないかも。私の場合どういうわけか後者について経験があるものの、これって結構事務的な話になるからなぁ。でも、末路として考えると行旅の方がいい、と言えばいいのかなぁ。うーん、ただ何かこういう事を書いていくと日記が暗くなっていくというか、死臭にまみれる気がするのは私だけだろうか。
でも一応、便所の落書きだろうと何だろうと書いておくことに意義はゼロとは思わないので。はい。こーいう世界で、修行してます。
校門の近くに綺麗な桜があるんだ。この桜が花開いた頃、ここに新しい生徒が来るんだなぁと、何度か幹をさすったっけ。多分綺麗に咲いているだろうなぁ……そして明日かな、夢と希望に満ち溢れた生徒達がその門を潜る。良い事だけじゃない、勿論悪い事もあるけれど、人生の中で一番貴重な時間をそこで過ごす元気一杯の命たちが集まってくる。どんな子かは大体知ってる……そりゃそうだ、私は面接をやったんだから。全員が全員ってわけじゃないけど、きっと楽しい学校になるだろうなぁと思う子ども達がいっぱいいた。そしてその子達が想像通り門を潜る……でもたった一つ想像と違うのは、そこに自分がいない、ということ。
どうして、自分は拠点を得てしまったのだろう。
素寒貧であったなら、私は否応なくだけれどそこにいる事が出来た。未来がどうなるか分からないけれど、もう一度教壇に戻る事が出来た。でも年月が経った私は、素寒貧ではなくなっていた。……守る価値のあるものが出来てしまった。いや、価値なんてものはまるでない、要するに生活していける術を手に入れただけのことだ。勿論それでも年齢を考えれば稀有な事。でも、それさえなかったら私は桜の下にいた。いや違う、それを振り切る私の意志の力があれば、拠点を得ていようが何しようが合流する事は出来ていたのだ。
要するに、私の意志の力が悲惨なほど衰亡していたというだけの話。
絶対に揺るがないと思っていた私の「核」となる部分が、もうボロボロになっていたというだけのこと。
それ以外に、理由はない。色々算段はあるけれど、結局は意志の力が弱くなっていたからこうなっただけ。昔の自分なら絶対に突っ込んでいた、そして突っ込んだ中に勝算を見出していた。でも今回は違った、色々思うところはあるけれど、結局私は戦わない道を選んだんだ。それはただ一つ、弱いから。バカだから。能力がないから。この3月本当に何となく地獄な気分だったけど、その正体はこれだったと野暮用に行って気付いた。水面下で、潜在意識の中で理解していたんだ、自分が斜陽に入ったって。それが辛くて、しかも戦死ではなくて逃亡という形で認識した事が苦しくて。
……来年度の戦いを始める。
もう、どこでもいい。公立もやる。全部やる。どんなところだろうが行って、そこで果てて死んでくれる。教壇が枕なら本懐だ、少なくとも今の立場で一分一秒ともいたくない。仕事の内容はどうでもいい、そうではなくて、教壇にいない事が辛いんだ。だから今はただ静かに、静かに準備を進めている。対象を見つけたらあとは飢狼、ありとあらゆる手段を使って奪いに行くつもりだ。その果てに何が待っているかなんて知らん。そもそもそんな事を考え始めたのが間違い、私が私である為にはそれだけはやってはいけなかったんだ。
ようやく、来年度決戦の幕が開く。
どんなことをしてでも、勝つ。
勝って、それで終わりだ。何もかも。
ただ……そういう特殊事情で争っている人以外にとっては、この巣に居続けるという事は地獄以外の何者でもないわけで。
それが露骨に分かったのは、今回の発表でこの巣にやってくる事になった方々の表情。……えーっと、別にここは地獄門ではないので、入ってくるのに一切の希望を捨てる必要はないんですけど……亡者?いや、そりゃはたから見れば精神的な激務だけど、そんな露骨に嘆かれることばかりやっているわけでは……あ、聞いてないですか。その、そこまで嫌そうな顔をされると、じゃあ私達はなんなんだってことになっちゃうんですが……うーん、一体ここは何だと思われているんでしょうか。やっぱり地獄の底の底、魔女の大鍋といったところなんでしょうか。
まぁ「こんなんだったら一日中ドブ浚いして死んだ方がましだ」という人もいるので、外部だけではなく、内部からも普通にそういうイメージなんだとは思う。私の方はもう頭が来年度の戦略のことしかないからどうでもいいというか、これで大砲を確保できたからあとはどれだけ腕を磨くかにかかってるんだけど。ただ今回、出る予定だった人が出られないという事があって、その姿を見るのはすっごく辛かった。行きたくても行けなかった……まんま私だからね、本当に。どうしてあんな変更をしたのだろうと本気で思う。それと、確か昨年何があっても新人だけはやめてくださいかわいそうですから、と身の程を弁えずに色々文書を送ったのに、また新人が来るとの話。うーん、職業に貴賎なしというのは確かにそうなんだけど……私の場合はいきなり排泄物御殿に連れて行かれて二日後に救急搬送だったからなぁ……。
今でこそ私もある程度は何とか対処できるというか、目の前をゴキブリが「飛んで」ても(どういう訳か人間を警戒しない、逃げない。昆虫?も学習をするのだろうか)動じなくはなったし、畳に足がめり込んで小虫登場、とかも何とかなるようにはなった。でもこれ、慣れるまでは相当苦しい思いをしたよ、やっぱり。勿論こういうケースはこっちだけではなくて別の部署も担当はするけどさ、最後の最後に担当するのがこっちだから、一番重いのは全部ウチなわけで。そこに頑張る自分をイメージした新人を入れるのは本当にどうかなぁと思うけど……。ちなみに今年の場合入った新人2人は退職こそしなかったけど、それは一人が下心丸出しの裏切り者で、もう一人は規格外のバケモノだったから。正直、そのもう一人が私と同じ土俵で争う相手でなくて本当に良かったと思ってる。認めたくはないけれど、あれはもう人間力が段違い。だから何とかなったのであって、果たして来年度はうまくいくのか分からない。私から送れるメッセージは、とにかく体調を整えて、という事だけだ。
というわけで本年度が終わり、来年度がまた始まる。私の方の準備は既にOK、授業案の構築も順調だ。兎に角年齢が年齢だけに書類で跳ねられまくるだろうから、面接となったら絶対に逃がさない……それこそ此方は、誰もしたことのない経験を引っさげ勝負するんだし、それに今年一年、就労指導で面接のやり方を私自身も学んだし。
勝負あるのみ! ……ただし今までのように、留守の守備兵も全て駆り集めて全力侵攻、というのはないけど、ね。留守を守りつつ戦う、最低ラインは死守する、そういう戦いを考えています。はやく来い来い来年度、公立も再び勝負だ。3月辞退の一件も、もうそろそろ時効になっているでしょう。戦って戦って、来年度こそ栄冠を勝ち取る。そんな自分の努力によって、異動は勝ち取るだけだ。
さて、その前に少しだけ、野暮用を片付けてくるかねぇ。
……先々週辺りからにわかに、言葉の端々にそんな魂の声が聞こえてくるようになりました。いやぁ、ここの団結力の秘密が分かりましたよ。要するに、原始共産制社会だったんですね、あれ。日頃は団結してないとやっていけないから友好ムードが満載だったものが見るも無残、3月に入ってからは互いに交わされる牽制の目つきの鋭いのなんの。誰が異動できる、誰が異動できない、そんな噂が入ってはざわつくことがかなりあるのだが……そのくせ、誰が昇任するかということにはてんで関心がない。そういえば確か今年の前半、該当者全員が昇任人事を拒絶したような事があった気がする。昇任するということは今の部署にずっといるという事を意味するもんだからね。だからここは今昇任人事には見向きもせず、ただ異動できるかどうかに全てが注がれている日々だったりします。
一方の私はというと、実はこの動きで九死に一生を得ていたりする。今私が抱えている最大の問題、今年いっぱいで逐電する予定だった為に仕事を全て終わらせていて3月はやることがない、というこれを、”異動を目指した若造の浅知恵”として誤魔化す事が出来ているからだ。「そんな程度では異動できないよ。今まで異動した人はね」と苦笑しながら語ってくれた先輩の話によると、ここの異動はほぼ全員が”力づく”で、しかもその手段も生半可なものではないらしい。聞いているとどのエピソードも、この人異動出来なかったら死ぬんじゃないか? と思ってしまうものばかり。そういえば部屋の隅の壁が削られてるのって確かに一体なんだろうとずっと思っていたけれど、まさか壁に<自主規制>だったとは。って、ここは牢獄で、私らは無期懲役の囚人か! 岩牢じゃないんだぞ、ここ(笑)。そりゃまー、そんなところに<自主規制>されれば、もう異動するしかないわなぁ。
で、私の本心はと言うと。多分一番異動しやすい状況にいるのは私なんだけど(予定では3月10日に退職する、って動きだったんだから身支度は完璧です)、それだけは困る、絶対に困るというもの。もしここで今のポジションを失ったら、来年度の戦略が立てられない。……前回の決戦時、”この年齢では社会科のキャリアだけを主張しても意味が無い”という方針のもと「他教科の力も充分です!」という方針で戦いを続けたが、結果は見事にそれが功を奏したものの逆にドツボにはまるハメになった。なので今回は他教科の力ではなく、「学問として地歴を、経験として公民を」という柱で攻めていこうと考えている。その中で最も重要になってくるのがこの経験部分なのだが、自分の主張をリアルに展開するには、それに相手が耳を傾ける状態、つまり実際にそういう場にいるという肩書きがどうしても必要なのだ。要は稲川淳二と同じ。経験を武器にする以上私は「だって見たんですから!」で周囲を納得させる必要があるが、その事実があまりにも想像を絶していて絶対に嘘だと思われるものばかり。となるとどうしてもその裏づけがいる……だからもしも今の立場を失えばこの一年の経験が、実質的に消えるのだ。
だから私は何としてでも異動したくない。異動を求める姿勢を一番鮮明にしているのは、それをやったら絶対に異動にならないと知っているから。理屈は簡単、もし安易にそれを認めたら皆がそれをやってしまうからだ。だいたい壁に<自主規制>やった人の場合、その前年度にやった事も凄まじかった(というより、周囲はどうして心のケアに話を廻さなかったのだろう……)。それでも異動にならないっていうんだから、この程度の小暴れでは絶対に異動させざるを得ないという結論にはなるまい。だからこそそう振舞っているが、内心はドキドキものだ。ここで他の部署に飛ばされたら最後、私が今密かに作っている模擬授業案と教材例が全て跳ぶ。戦略も練り直さなければならないけれど、多分かなり不利になる。だから私の振る舞いは本心と真逆、異動はそれこそ先輩にならって力づくで勝ち取るから構わない。異動先がちょっとぶっ飛んでいるだけで同じだから、と私は密かに思っているのだ。
全員が異動願いを出し、そして虎視眈々と狙っている。私はその中で最も鮮明にそれを出しているが、実は異動が一番困る。まぁ今回の一件はそもそも異動云々よりも首を飛ばされなかっただけありがたく思わなければいけないから全ての覚悟はしてるけど、異動枠2つのうち一つは前年度の「壁に<自主規制>」に勝るとも劣らない強引な力技で確定(いや、そこまでして……ならどうぞ、という気持ちですよホント。いくら私でも、あんなこと出来ませんもん)、もう一つも一応、<自主規制>で確定している。既にこの人は”勝利宣言”を出しているが、この人の動きも凄かった。一体何人賛同者もってるんだあの人は。ホント、皆の異動にかける思いは凄まじいです。あと、ほぼ異動はないだろう、という方の心のささくれ方も。私は今でも疑問なんだが、どうしてここは新卒が来るのだろう。私のような中古ロートルならば一発目でも分かるんだけど、すっごくかわいそうだと思うし、心理的にも良くないから本当に何とかして欲しい。
やっぱり、聞いてて嫌になるくらい切実だから。異動への重いが。
まぁ私のところは春夏秋冬意味不明な人達がわんさかやってくるんですけど。この前だったかな、電話の交換台から「釧路の小姑から組織についてお電話です」と食らったの(笑)。こっちに廻ってくる電話って大体こんなのだから余程の事がない限り交換台の人に質問はしないんだけど、これは流石にきつかった。突っ込みどころ満載というか、まず小姑は間柄ではない(と思う……)。それと組織についてといわれても、私はそんなもん知らん。ただ交換台の人を困らせるわけにもいかないからそのまま電話を取ったんだけど、……まぁ交換台の人も嘘を付く必要はないわけだから当然電話は、「釧路の小姑だけんどぉ、組織の入りかたばぁ……」と続くわけで。あと何か言ってるみたいだけど、あれは訛りか?なんか恐山の巫女の呪文じゃねえか、と思うほど意味不明。それもその筈、開始2分で肥料の話になっていたのだから。こういう脱線系はよくある事だけど、それにてもあぁ、春だなぁと思う。受付にはもっと凄い人が来てるけど、これは流石に書けない。しかし凄いよな、あの香ばしさ。
この春、私は大切な物を失った。自分の核になるものを、現実を直視して切り捨てた。でもそれは、今後の私の展開をより確かな者にするため。事象の全ては相対的、一ヶ月前の決断は今の私にとっては失敗でも、未来の私ならば成功、と価値付ける事は充分有り得る。今後の私の努力次第で、失敗を成功に変えられるんだ。だから、4月から全力で戦う。そして今度松尾山を決め込んだらもう迷わない。ただし、今度はそうそう生半可な条件では動かない、きちんとやれると見定めてから戦う。
色々あったけど、もう思い出にする。少子高齢化、高校無償化、学習院問題、私立に吹く逆風は台風並で、特に学習院問題の露呈は私立はいじめないだろう幻想を完全に打ち破った。まぁ元々そんな考え自体が事実無根で、特に学習院と言えばはるか昔から名うての<自主規制>で、あんな事は日常茶飯だったように思うんだけど、この「学習院ショック」は私立志向にトドメを刺したね。教員経験者から話を聞いた事があるけど……何と言うか相手は元貴族で教員の側は平民だからね。概要を聞いて、あそこでは絶対に教えたくないと思った。何というかなぁ、職業エリートや資産家エリートはまだなんとかなるんだけど、血筋エリートだけは多分<以下強制削除>。
でも、そんな暗い話はどこ吹く風で、来年、私は勝負です。そしてあそこの学校さんも、これからどんどん伸びることを切に願っています。私はもう二度と会う事はないでしょうが、どうか私が最期に送った文章に書いてある「行間」を(字面を読んでそれが全て、と思うのは本当にやめてくださいマジで。私はそれで本当に苦労したので……元々、あの書面の字面になんて意味ないです。だってあれは後々会議にかけられたときに上手く通る、全面的に非が相手側にあると全員が認めるような文章になるように、考えて作ったものですから。本心ではないですよ。私の本心は、行間と、僅か1・2行にしかありません。ただそれがどれだけ重いかを知ってください)読み取り、二度とこのようなことのないようお計らい下さい。
ありがとうございました。そして、さようなら。
それこそ一分一秒。ふと外に建物を見ればああ、あそこもこんな造りだったなぁと思い、ふと学生にすれ違えば、そこに関われる機会があったのになぁと思う。何よりも私の脳裏に浮かぶのは、逆境の中でも共に教育に向けて頑張っていける人間の和。そして、私の夢。私の切なる願い、「大人になったら世界は残酷で地獄であることを嫌でも思い知らされる。だったら、そうならば、せめて子どものうちは七色の夢を見させてあげたい。その3年で一生分の喜びを、心の糧を、いっぱいいっぱいに出来るような機会を与えてあげたい」、これを叶えてもいいと言われていたから、だから私は力を尽くしたわけで。私は今までこれをやろうとして、失敗に失敗を重ねてきた。単なる夢野久作ではない。現実に対する冷徹な思いと絶望、それに事象に対する正確な分析があるから、だから浪漫を全面に打ち出しているのだ。その背景にあるのは拭えない絶望、でもそれでも、せめて幼い間は夢を、玉彩色の虹を見て何が悪いというのだ。成績?そんなもんは1年でなんとかなる。中学生の時に一番重視すべきは、しつけでも勉強でもない。不思議への異世界の存在を感じた上での理解だ。それがあれば、やさしい思いで大人になれる。計算式で全てを片付ける大人にはならなくなる。小ざかしい物理法則が世の中の不思議を全て論理で殺してしまった。その結果、誰も夢を現実にもてなくなった。だから皆安定を失い壊れていった……人間は全てが方程式で解明された、論理の世界では不安で生きていられないのだ。だから私は、不思議を全面に押し出した授業をしたかった。で、その準備も出来ていた。真実を探究することに意味があるとは限らない。不思議を不思議のままで維持してこそ、心豊かな大人になれる。だから私は、そんな部活を作りたかった……だからこそ、今年一年あんなに無理をしたわけで。
それを捨てるに充分な理由はあった。あった? 不思議を全面に押し出す人間に理由がが? 本当に不思議を信じているなら、どうしてそんな論理に走った?どうしてそんな打算に走った? そういうのが嫌だから、不思議を全面に出しているんでしょ。だったらどうしてそれに殉じなかったの? あれこれ私は言っているけど、結局は現実の毒に抗し切れなかったんじゃないの?そうでなければ、どうして私は直前でやめたの?目の前にあったのに、どうしてそれに乗らなかったの?
そんな思いが、日々自分を苛み、命と精神を削っていく。一億人が右と言っても、私だけは左と言わなければならなかったんだ。でもそれに耐え切れなかった、抗し切れなかった……そんな自分があまりにも情けなく惨めで、本当に本当に嫌になる。
だから……早く4月になってくれないかなぁと思う。4月になれば、私の最期の決戦が始まる。もう公立でも私立でものべつまくなし大勝負。絶対に来年こそは獲る。私には留まる事も、ましてや歩みを止める事も許されない。今時点での決断への評価は間違い、というもの。でも、来年頑張って関東平野で専任を取れれば、それは間違いではなくなる。そう。今の私は決断を、プラスに逆転する可能性があるのだ。
今は兜を脱いだ。無条件降伏をした。でも、松尾山は何度でも蘇る。戦力の温存に成功した限り、来年こそは勝利を得る。そしてそこで、絶対にもういちど返り咲く。三度目の就職仮面浪人、開始。絶対に、次は負けない。どれ程死に際が見苦しいといわれても戦う。それが今の私の決意。
でも今は、4月までは、ちょっと休ませて欲しいと思う今日この頃、でした。
同じというのは……今年、このまま今の場所に残るか別の場所に行くかを悩んでいたという意味での同じという事で、その相手と今日、恐らく生涯最後となるであろうお茶会に行ってきた。付き合いは古くて、中学からの友人。そして様々な人が郷里に帰ってしまう中で、ただ一人この関東平野にずっとい続けてくれた存在だった。この場所への思いは人一倍だろう、でも彼の出した結論は……勝負だった。この関東を捨てて勝負に出るというもので、明日引越。一旦地元に戻って、これからに備えるのだという。
なんか、くっきり別れてしまった気がする。
残る、と決めた私と、戦う、と決めた彼。二人の間の違いはなんだったんだろう。やっぱり勇気、なのだろうと思う。蛮勇かどうかなんて実は判定する意味はなくて、本人にそれを後悔する時期が来ない限り、別に客観的評価なんてどうでもいいと思う。特に全てが決まった今となっては、だ。屹立とする彼に対し、一方の私は自分のやった「裏切り」の重さに耐え切れないかもしれない。裏切って怯え、恐怖しているのは西軍ではない、浪漫倶楽部だ。それを実現する機会を得ながら放棄した自分、その絶対に許されない裏切りに拠って立つ地歩を失ったかのような感じがする。それに勝てるのだろうか、なんて思う。でも思うと直ぐに結論が出る。
勝てる、訳がない。
私は自分の決断を、正直言えば悔いている。いや、悔いているのとは違うんだ。客観的に見ればこの決断の方が圧倒的に正しかったのだから。百人の将棋のプロがいれば、百人同じ手を打つ局面。その局面で私は、その誰もが打つ一手を打ったに過ぎない。今まで散々奇抜な手を打って地獄を見てきた私だ。だから今回は正しいと思う。だから……悔いているのとは違って、単に情けなかっただけだ。
雨の中、じっと空を見ていた。
私にとってこの空は、何としてでも守りたいものだった。ここに来たくて、一体何度暴れただろう。そう思って都奪還戦を今まで何回やったかと数えると、5回だよ(笑)。それぞれ都を離れた境遇になって、それを挽回しようと5回も戦ったわけだよ。就職仮面浪人を二回、追放されて捲土重来をやった事が二回、それに同じ関東でも大学院仮面浪人を一回。そんな何度も干戈を交えるほどに、ここは私にとって奪取したい場所だった。そしてそれが、今回とても大きな決断要素になった事は否めない。この空を失えば私は六回目の奪還戦をやったに決まっているだろうし、そんな事をすれば破滅するに決まっていた。そして次の破滅の後に未来はない……一方で破滅しなければならない博打に出る必要はまったくない。どうしてもやりたければ、自重して次の機会を待てばいい。
それはわかる。分かるんだけど……ねぇ。
雨の日も、晴れの日も好き。でも出来るならこの空を、教員として奪還したかった今日この頃だ……。
実際のところ、あとは2日程出ればもう終わる。全ての仕事の段取りは終えたので、それで話は終わるのだ。そして予定では今日が、内応の日もしくは、脱退宣言の日だった。ここまで、私はここまで準備をして待っていたんだよ、サビ残しまくって周囲の目線無視して仕事を一人進めていって、ようやくここまで辿り着いたんだよ……なんて思うけど、多分そのメッセージは届かないかなと思ってる。そのメッセージが分からない人達がメインだったから、私は内応を止めたわけで。多分私が内応をしても相手の反応は「それが当然だろう」というものじゃなかったかな。人間を、結局のところ数値としてしか判断しないところだった気がする。先生も生徒も、その両方に対して。別に、それぞれが抱えている事情に配慮する「ふり」なんていらない、ただ一人の人間として迎えると、その一言さえあったなら、と、今でも強く強く思う。仕事は終わった、でももう意味はないんだよね。むしろこれから先何をしようか、という位で。
そう考えると、この2年間は何だったんだろうと少しだけ虚しくなる。他に正職を抱えながら全て自弁で10回以上も西進する事がどれだけ負担だったか、またそんな事をするということはどれ程ここに賭けていたのか、そういう事について多分一瞥もくれていないと思う。別にそういうところにドライなのはいいんだ、外資系とかそういうところ多いしね。でもそういうところにドライなくせに……契約の時にだけ条件を一切明文化しないで「俺を信じろ、作りたいんだろ。俺を信じろ!」とか口約束でごり押しするのは駄目ですよ。せめて、どっちか片方にしないと。だから私は貴方達を信じられなかったんですから。
そして、私は自身の採用だけではなく、私の最終判断が「色々綺麗な御託をぶちまけてはいるが、結局人間を数値としてしか見ていない」だった事が今回の動きに大きくしていることを知って欲しいと、今は切に願っている。
今頃相手は、単に裏切られたとだけ思っているんでしょう。でも、今回は違う。私は自分自身の保身や教育に関する思いの他に、冷徹な目で、ここは「沈み行く泥舟」だと判断したという側面もある(それでも構わなかったんだよ、私は)。内部機密なので書きはしないけれど、本当に選考の時は酷かった。伸びしろも少ない……私の調査と相手の報告はかなり食い違っていたけれど、多分相手が全て正しいということはないと思う。
それでも私は、相手が正しくて私が全面的に間違っていることを願っている。「アイツはバカだ。そんな事も分からないなんて、なぁ」といいながら所属する先生皆が専任となり、酒を酌み交わす日が来ること、そして強制したお仕着せのものではなく本当の笑顔が学校に溢れる場所になることを、心の底から願ってる。それは本当。でもその一方、今の状態ではその可能性はほぼないだろうと思っていたのは確かだ。他人は従うのが当然でその対価を受けるのが高貴なる者の義務、そんな態度を崩さない限り、平和が訪れる事はないです。
でも、それでも。私は成功を願っています。奇跡が、起きることを。嫌いでやめた場所じゃないから、本当に成功してくれることを願ってる。もう二度と関わる事はできないけれど、それでも笑顔が満ち溢れることを願っている。ただ、知って。悟って。私が最期の文章に綴った思い。文面だけ読む、なんてバカのな事はしないで。行間に籠めた思いを、しっかりと読み込んで欲しい。心ある人にはそれが分かるようには、結構露骨に書いたから。
私が合流しなかったのは、貴方達の心根を信じかねた、というのがかなりあったのですよ。<自主規制>さん。
そして今孔明に等しき先輩の読み通り、詫びを入れた事で結果、何とか放逐を免れた。私の持っている砦は、指摘の通り相当堅いものらしい。そして許しを得た私は来年の公募に備え、そしてその公募に挑む際の地歩として守る為に、今いる砦を強化しようと思う。金がないのは、首がないのと同じ。もっともっと資金力をつけ、際限ない策を展開するのだ。そしてどこかで専任が取れればよし、取れなければ……ずっとここにいるだけの話だ。ずっとここにいるという選択肢は私にとっては最悪に近いが、といってここにいる限り飢える事はない。何よりももう一つの夢、都を失う事がない。一つの夢は失うかもしれないが、残りは全て確保できる。少なくとも今の条件で内応し、雪隠詰めを食らって一年で路頭に迷うよりはずっと正しい選択だ。
ただ一方私が内応を叩き破った西軍の側は、そんな私に一瞥もくれなかった。だから私は確信すると共に……西軍に私の本当の気持ちをぶつけてやりたかった。私はね、別に採用条件がどうこうっていうわけじゃなかったんだよ。ただ一言、労働力としてではなく人材として欲しいと、その一言さえ言ってくれれば、私は貴方についたんだよ、と。少なくとも2月の中旬まではそっちの方向でいた、だからいつでも其方に駆けつけられる準備をしていた。引越し費用の金策も終えていたんだよ? でも貴方は、貴方達は、最後までその一言を私に向けてはくれなかった。私は貴方から話を受けて以来2年の間、ずっと貴方の要望に応じ続けてきた。こんな時間のかかる雑務よく採用前の人間にやらせるよな、と言う事も全部やってきた。しかし貴方の私を見る目は吊り上げた魚を見るそれから、何一つ変化しなかった。それが当然、自然のことといわんばかりに。更にどれほど私が金を捨てても時間を捨てても、貴方はその目を変える事はなかった。だから私は、2月に一度止めたんだよ、動きを。あれは他でも何でもない、私からの”貴方は私をどう思ってるの?”という質問だったんだよ。本当に私を必要ならば、何らかのアクションがあると思った。そしてそれを待っていた、2月の間ずっとだよ。それでも戻って来たのは怠慢とでも言わんばかりの叱責のみ……私はもう、その時は素寒貧じゃなかったんだよ? 取りえる別の選択をもっていたんだよ? それでも貴方はその目を変える事はなかった……だから、私はためらったんだよ、と。
私の今の決断が将来の私にどう見られるかは分からない。でも「それ以上でもそれ以下でもない生活」というものがどれだけ貴重かは、書いておきたいと思う。だってそれは「それ以下にはならない」という事をあらわしているのだから。それ以下にはならない絶対の保障がある、っていうわけだから。
それが何よりも貴重。
それを、今の職場で学んだ。
西軍の不幸を願う気持ちはないむしろ、西軍が盛大に勝って私を後悔の渦に叩き落すことを期待している。でも……教員の中に一人も専任がいない、というのは駄目だよ。しかも3年間かけて実力を見る、なんて言っているけど、そんな状況で自由闊達に動ける教員なんていないよ。皆、そこに人生を賭けるんだから。気骨がある先生がいれば大丈夫、なんて思うかもしれないけど、貧困は絶対的。数人は反骨を見せるかもしれないけど現に萎縮している教員も既にいるもん。だから私は、松尾山という絶対有利の砦から出る事はなかったんだから。貴方達に命運を預けたら殺される、私の中での最終判断はそうなっていたんだよ。それを根性の足りない奴と無視するのもいいさ、でもね、それは如実に現れてくるよ。
今になってはもう過去の話、私の及ぶ話ではないけど……せめて今回の私の所業の理由を知って欲しいと思う。私は誰よりも、貴方に味方をしたかった。しかしそれが出来ない程、貴方の所業は酷すぎた。それだけを、どうかそれだけを学んで、他の先生には優遇措置を講じて下さい。人を人としてみてあげてください。生徒一人一人を大切にするというスローガンを掲げるなら、まず仲間である教員を人間としてみてあげてください。それが私の、裏切り者の最後の願いです。
自軍で這い蹲っている今も……私の心は、貴方達の幸せを願っていますよ。
両方に向けて大物見を出してみよう、と考えたのが2月初旬。現在属している側と内応を誓っている側、双方に疑念を持たせるような行動をとり、どのような反応をするのかを見てみようと思いついたのだ。『厩火事』ではないが、条件を変えてくるのか、それとも逆に攻勢を強めてくるのか。いずれにせよそれが一つの判断材料となるだろうと思い、よせばいいのに双方にそれぞれ大物見を出してみた。その結果は……何もなし。どちらの側も私の放った大物見に対して何一つ反応をしなかったのだ。これは私にとって予想外の結果で、かつもっとも恐れていた事態だった。ひょっとしてもう、どちらからも相手にされてはいないのでは……と。
それに焦り狂い、松尾山の小早川秀秋に例えるなら西軍東軍両方に更なる大物見を放ったのが2月の中旬の始め頃だったかな。これに対しては、現在属している側から猛烈な反撃が来た。一体どういう事だこれは、元々こちらの軍に加わるときにその話はもうなくなっているという事ではなかったのか、それを今更何を言っているんだお前は、と、一気に事態は悪化。しかし一方、私がこの2年間守り続けた内応の約束、そしてそれを私に仕掛けた側からは、何一つ反応がなかった。ほんと、何一つ。露骨に鉄砲をぶっ放して見せたが全く反応はなかった。私を信じているのか、裏切るはずはないとたかをくくっているのか、それとも裏切りが想定済みなのか……この頃から私の視界は霧の中に閉じ込められた。現在属している側からの鉄炮は際限なく、一方で内通していた側からの反応は全くない。
この事態を私はどう読めばいいのか……私はそれが全く分からず、最早鉄砲を撃ちかけてきているのが誰なのかさえ分からなくなり始めた。そしてもたげたのは、このまま座していは何もかもを失ってしまうのではないか、という思い。内応したとて最早手遅れ、そうかもしれないがここで内応をやめたらそれこそ全てを失ってしまうのではないか。だとするなら万分の一の可能性にでも賭けるしかないのでは、という焦りだ。期限は刻々と迫り、内応側からもごく簡潔な表現で「3月1日までに態度を明確にせよ」という最期通牒がやってきた。もうどうすればいいのか分からない、自分が大切にしている場所、逆にトラウマになっている場所、その殆ど全てを巡ったけれど、そういう時に私の心に決まって差し込んでくる天啓のような、胸のすく清々しい決断が降りてくる事はなかった。都狂いの私にとっての聖地、東京タワーに行った時はかなり天啓はあったのだが、それでも私の視界の霧は再び両目を覆い、ついに私は全く周囲が見え開くなってしまった。
だから、かな。私が一番大事にしていて、大事すぎるからトラウマも作りたくない場所にまで足を踏み入れたのは。
それが、今日。既に視界がぐちゃぐちゃになっていた私は、最早内応の約束を果たすしかないと思っていた。冷静に考えると、この内応側、かなり怪しい。私は2年間ずっとここの為に動いてきたが、ただの一度も書面で採用に関するものを受け取った覚えがない。全てが口約束で、しかもそれがころころ変わる。ただ一つ明らかにされたこと……非常勤で週6日拘束するとは、私も本気で驚いた。しかもそれさえ、書面で出してはこなかった。あくまでも口約束で、その前にやれ年金手帳だの戸籍謄本だの提出しろと迫ってくる。これははっきり言って、現職の経験からするとあからさまにブ○ック企業のやり方だ。そういう企業であればある程、契約前は「俺を信じろ! 信じられないというのか!」と根性論で迫りながら、いざ契約を結ぶと恐ろしい程に契約の文言しか守らない。そういうのを見てきたから、私は本気で躊躇した。これではどんな時間割になっても私は何も言えない、文章に何もなっていないのだから。それでも……私は信じるしかなかった。そうしなければこのままうずもれてしまう、だからここで踏みとどまる為にはどんな犠牲を払っても、素寒貧になってでも挙兵しなければ……そう、思っていたのだ。
そんな追い詰められた思いを抱いて、とうとう私は常に紺碧の威風を抱いている講堂の前に辿り着いた。闇夜の中でも凛として、変わらずにあるその講堂。下からぼーっと眺めていた、雨がぱらついていたから星は見えないけどとても綺麗で、まるで私が学生に戻った時のようで、懐かしくて落ち着いて何だかぽーっとして……そしてその時だ。ほぼ全ての人に相談したつもりだった私が、私の知る中で最も知性を持ち、かつ、冷静な判断力を有する先輩にだけはまだ話をしていなかった、その事に気が付いたのは。携帯を開いたとき、こんな私事であの方の智恵を借りていいのだろうか、という躊躇が浮かぶ。しかし今はそのような事を言っている場合ではない、明日、私は判断を下すのだ。そう思い、私は電話を開いた。いつもならもっと滑らかに喋れるはずなのに、今回ばかりは私の思いが先立って仕方ない。それでも先輩はいつものようにじっくりと話を聞き、そしておもむろに言葉を紡いでくれた。
「視界の霧を払い、状況をよく確認せよ。貴方が現在持っている地の利は堅く、また貴方の意志に反して消される類のものではない」
私の持っている地の利、身分は、容易な事では陥落しない。たとえどのような疑惑を持たれようともこの世界、一旦固めてしまえば容易な事では落ちないのだ。冷静になって考えてみれば、だからこそ現在属している側は、鉄炮を打ってくるだけで攻めてくる事がない。今までだったら攻め込まれて敗走に追い込まれていたかもしれないが、それでも今回は攻めてこない。それは攻める気がないのではなく、単に攻められないだけなのだ。私は何と言っても、ただの一度も法を破った事がない。内応行動は全て無償で行い(自主返納ではなく、元々無償でなければ応じない、と話をしていた)、かつそれは全て有給休暇で行った。だからこの件は要するに「変人が休日にアホな事してました……何か?」で強引に押し通す事が出来る。どう追及されても、私には弁明すべき点がどこにもないのだ。
そして、先輩は続ける。
「今貴方が内応をすれば、貴方は今後先方からどれ程貴方の意にそぐわないことを言われても、その下知に従わなければならない。何故ならもし内応の挙に及んで見放されれば、全てが終わってしまうからだ。その覚悟があるか? そしてもう一つ、先方は貴方を専任とする余地を持っていると判断出来る状況か?」
……もし私が今内応をかけたとしたならば。私は内応先で非常勤として働くわけだけれど、そこでの私は絶対服従、何を言われても盲従だ。なぜなら今はまだ選択肢があるから自由にやれるけれど、そこに行くと言う事は、あの身分の堅い職業さえも一年で切ったという最悪の履歴を抱える羽目になるという事なのだから。もしその履歴を抱えた上で先方から一年で切られでもしたら、……どうなるか。そんな履歴書の人間を、一体誰が雇うのか。先輩は、語る。先方の筋目にもやがかかっていてはっきり事態が見えないと。何故徹頭徹尾社会科で生きてきた貴方を英語科で取ろうと考えたのか、英語科になり手がいないというわけでもないのに一体狙いは何なのか。しかも貴方は一度も英語科の試験を受けようとした事も、そもそも英語科で応募をした事もない、という。その状況で英語科に起用する先方の手筋、そしてその先方が繰り出す非常勤の常勤化、専任化の約束、しかしその一方で内定書のようなものさえ一枚も相手は出してこないという現状。問題は先方が約束を守るかどうかだが、先方の打ち手がここまで分からない以上、妄信するのは危険すぎる。だいたい貴方が今内応すれば全てを失って先方の意志のままに動かなければ、その場で死んでいくしなくなる、しかも先方の意志に従ったところで未来があるかは先方の意志次第で決まる−というのはリスクが高すぎる、というのだ。
「貴方は目先の浪漫倶楽部に捉われ過ぎて、完全に冷静さを失い、自分の地の利を見失っている。うろたえるな、軽々に動くな。地の利を得、それを抑えている限り、貴方は何も失なわない」
先輩は最後に、こう締めくくった。そんな危険極まりない、回復不能のリスクを背負い込む必要はない、という。私が自ら敗走しない限り、地の利を失う事はない。元々地の利は万全な上、私も万が一に備えてつじつまはきちんと合わせてある。だからそこが陥落する心配はなく、たとえ今回内応の話を見送ったところで、貴方に失うものは何もないというのだ。もしどうしても復帰したければ、来年、社会科として絨毯爆撃を行い、専任を獲得すればいい。今焦って英語科でしかも非常勤で、かつ、絶対に戻れず先方の意志次第でどうにでもされるようなリスクを追い込む必要はどこにもない。地の利を確保したままどっしりと構え、英語ではなく本来の教科である社会で勝負すればいいだけのことで、むしろ内応をやった方が全てを失ってしまい、逆にそれをしないでいても、何も失うものはないというのだ。
今日ほど、この学校の卒業生で良かったと思った日はなかった。もし私が今日ここに来ていなければ、多分内応をしていたに違いない。そういう判断で、多分いたのだ。そして戻れない戦いを挑んで、多分あえなく沈んでいっただろう。しかし今日ここに来る事が出来て、そして縁ある先輩が電話に出てくれて初めて、自分も納得した上で最上の決断をする事が出来た。
私は、踏みとどまる。
内応は見送る。そして来年社会科として正々堂々戦う。地の利は死守する。死守するからにはそちらも全力で奉職する。本年度だって英語科でそれをやってきたのだ、来年度だってきっと出来る。考えてみれば、今の私は全てをなげうたなければならない程追い詰められてはいない。あの契約を結んだときと今では、状況は天と地程も違うのだ。そして、非常勤であるのなら、別に今のところでなくとも確保することは出来る。だとすれば、地の利を確保したまま勝負した方がずっといい。内応の約束を叩き破られた先方が何を言い出すかは知らないが、先方が違法行為に出ない限り私の地の利は崩れない。無償化によって発生した数十万の支出ははっきり言って痛かったが、その万が一に備えての行為がここに来て生きてきた。これがある限り、先方に打つ手はない。
久しぶりに、軽い気持ちで家に戻った。そういえば私、同じ職場で2年目って一度もなかった気がする(笑)。先輩になった事が一度もないって何? と自分でも思うが、生まれて初めて先輩になるというわけか。そして私が大切にしたいもう一つの地の利、地理的条件も維持出来る。私はもうあの場所が好きで好きで、現在の勤務場所に地理的には異論が全くありゃしません。だからこのまま、2年目を迎えましょう。そして焦る事無く、じっくりとやっていきましょう。
天啓は全て英語科突撃の不利を示してばかりだった(身内が倒れたりとか、色々あったんですよ2月は)。けど、私自身で納得する事は出来なかった。むしろそうであればある程、今突撃しなければ全てを失うのではないか、と錯覚するようになってしまった。その為焦って視界を失ってしまっていたけれど、最後の最後で救われた。流石先輩、貴方を凌駕する事が私の大きな目標なのですが、これはどうも無理そうです(笑)。この一晩があっただけでも、大学院仮面浪人なんて馬鹿な事をしてまで舞い戻ってきた事が決して間違いではなかったと確信できます(考えてみると、大学3・4年の頃とあの2年間が一番楽しかったですし)。ですので私は浪漫倶楽部に惑わされる事なく、地に足をつけ、地の利を守りながら慎重に戦ってまいります。いつか、先輩を凌駕できる日が来る事を願って(結局それかいな……全く)。
本当に、有難うございました。あと少しで、闇雲に突撃して全てを失うところでした。あと久しぶりに会話をして思い出した言葉を書いておきます。私の誕生日占いに書いてあった、将に私そのものをあらわすとしか思えない表現。そう、あれです。
「最大の敵は、自分自身」
職場はお休みして、ベランダに出てずっと雨を見ていた。予報では途中から雪になるって言っていたから楽しみにして待っていたけど、出ている間はずっと雨。何もせずにじっと耳を澄ましていると、雨って生き物のように変化するんだなぁって分かった。強いとき、弱いとき、硬いとき、柔らかいとき。近くのトタン屋根を叩く音が急に柔らかくなったかと思えば風が吹いて、それで風が止むとまた硬い音が聞こえて。それはまるで潮騒のように同じ音に見えて同じ音じゃなくて、雲はどんよりと漂いながらも少しずつ動いていって。こういう時はきまっていく場所があるんだけど、そこは雨や曇りだと魅力が半減してしまう。それにあそこはとっておき。全ての始まりであり、川向こうでの再起を誓った場所であり、そして都落ちの度に必ず寄った場所。あそこにいくときは、全ての整理を終えてからにしたい、そんな風に思ってる。
思えば私の人生は、こんな事ばっかりだった気がする。大抵岐路に立たされて、そして必ず間違える。よせばいいのに、と周りから思われるようなことばかりする。それでも私はたいした傷は負ってないと誤認して、それでも一方で客観的にこれは危ないと思って一生懸命努力して。で、努力して何とか再起を成功させても性根は全く変わらないから、どこでも同じような危機に見舞われて。
正直、疲れた。
星を映さない空を見ながら、ふと思い出した事がある。つい先日とある家を訪問したとき聞かされた、天空に伸びる幽霊列車の話だ。何でもその人によると天空を走る幽霊列車というものがあるそうで、ぱっと見は真っ暗、行き先は書いてあっても人間には読めなくて発音も出来ない、でもそれぞれの停車駅には人間界では見た事もないような景色が見えるという。ただ最後まで乗ってしまうと死んでしまうから、先日その人はその列車に乗りながらも、最後の最後で降りたらしい。その風景が忘れられないんだろうな……ずーっとそんな事を話し続けていた。その人、前回は確か人間の転生の話で、話によると千年のうち人間は3回生まれ変われるそうで、自分はもう新たな肉体での再スタートが決まっているって話。一応断っておくけどこれを相手は夢で見たとかではなく「全く疑う事無く現実として」語っているから、正直仕事中にこれを聞くと一体どうやって報告書をまとめればいいのか困ってしまう。でも今にして思えば、その人がその妄想のなかで幸せならばそれでいいのかな、なんて考える。私は医者に行くように何度も何度も勧めているけど、それが受け入れられたことは一度もない。その頭痛は先祖霊の仕業じゃなくて高血圧、関節の痛みは身体が再生に向けて蘇っているんじゃなくて多分痛風かリウマチ、そんな事を何度も言ったけど、聞き入れてはもらえなかった。
でもこうして雨だれをじっとみてると、それもいいのかな、なんて思う。天空から幽霊列車が来てくれて、最期にとても綺麗なものを見せてくれる。だったらそれでいいかな、なんて事さえ思った。それでもこれ以上体調悪くしたら相手が嫌がろうと何だろうと救急車呼ぶけど、でも、一方でそれも野暮なのかな、と思う自分もいる。見捨てるとかそういうつもりじゃなくて、ただ、幸せな妄想なら妄想のまま死なせてあげたほうがいいような気がする。現実に引き戻す事が果たしていいことなのかどうか、最近はじっと考えるんだ。
私がどちらを選んでも、それで私の人生は終わる。多分選んでいるうちが花、考えてみれば私は万が一の選択肢なしで勤めた事が一度もない。いや、大学院時代からずーっとそうだった。万が一事が起きたときの為に常に別のところを用意していて、それを維持するために精魂使いはたして。だから今回も、多分どっちを選んでも不幸な結果に終わる気がする。このままの人生を貫くなら、私は平凡に何もなく塵になる。でも、逆に言えば平凡に生きる事は許される。着る物があり住むところがあり食べるものがある。そんな生活がどれ程稀でありがたいことか、この一年で嫌になる程学んだ。平凡な人生というのは幸せな人生なのだ。だって日本の中流階級の暮らしで一生を終えられるわけだから、それが幸せなはずがない。そんな人生なら意味が無い、確かにそういう思いも分かるけど、でも現実はそういうチャレンジャーに対して残酷なまでに容赦がない。私は仕事柄、そういう人達をいっぱい見てきた。だから知ってしまった、ああもう、私はここが限界点なんだって。二度も戦い敗れた私が尚も求めうる最高の生活水準がこれなんだって、分かってしまったから。それでも、私は今決断をしないことを後で一生後悔し続けるだろう。平凡な生活のありがたさは、それを失う恐怖がなければ分からない。だから私が選択の余地をなくして平凡のありがたさを忘れたら、私は自分を責め続ける。何であの時あんな選択をしたんだろう。これじゃあ何のために生まれてきたのか、もし、もし、と責め立てるに違いない。でもそれは実は違う。それは平凡な生活を確保できた上で初めて言える、単なる我侭でしかない。その時の決断には大きなリスクがあったこと、負ければ全てを失う賭けである事、二度と正道には戻れない事を忘れて、きっと私はあれこれとモノを考えてしまうだろう。
今私は、多分格差社会の最前線に立っている。今私が決断をするということは、その最前線の向こう側にいくという事にほぼ直結している。そして行ったら戻れない事、人生はいつ何が起こるか分かったものではなく、そして何か起これば二度と戻れない貧困の坂を転がり落ちることを身を持って知っている。お金は本当に突発的に入用になる。その人にとっては信じられない事が本当に現実になる。私はもうそれに対応出来なくなる……私の個人としての力量は、自分が一番良く分かってる。人と楽しむ時間、バカ騒ぎをする時間を贄にしてようやく知識を得たのだ、そんな私に社交力なんてあるはずがない。それを育てない、その分の時間を学問に費やしてようやく、ここまで来たのが私だから。
最近、思う事がある。
どのみち決断を下せば後悔するというのなら、一番幸せなのはいつなのか、と。今もし時間がいきなり止まれば、どちらの道を選ぶにしろ待っている破滅を見ずに済む事が出来たなら……なんて妄想が、多分その答えになる。でも、時間が流れる。刻々と、刻々と。だから私はどちらかに進まなければならない……考えてみればこれがはじめて、他の選択肢のなくなった自分としての生の始まりなんだ。そしてそれが当たり前で、どちらにせよそれを選んで生きていなければならないわけで。
決断日はギリギリ遅くして2月22日。この20日で全てを決める。その果てにあるものが何なのか私も分からないが、今はただその道が一瞬でも私に幸せと誤解を与えてくれるものだと願うばかりだ。
相手を本当に拘束したければ、質を、しかも相手が絶対に手放せない質を取るしかない。しかしよりにもよって”年金手帳”をこの時期にとは……最悪の一手を打たれた気分だ。道を変えないなら免許状はいくら質に取られても意味はなさない、むしろこっちの方が危険、再発行も出来なくはないが、そんな事をあそこで手続きするのか? 出来るはずがない。しかもそれ以外に送られてきた書類も正直褒められたものではなかった。誓紙血判、保証人、戸籍謄本はまぁいいとしても、そこまで求めておきながら勤務体系と時間と社会保険に一切触れていないというのはどういうつもりだ。こんな状態でそんなもん出したら、相手側が滅茶苦茶な条件を出しても拘束されてしまうではないか。それに「契約の折は待遇をきちんと示さなければならない」……まさかとは思うが、労働基準法を知らないのではあるまいな。どんな企業でも、たとえ内容が虚偽であってもそれは一応やるのに、ここはそれすらないのか。というよりも私に寝返りを打たせる材はこんなものか。これで本当に旗を返す奴がいるとでも?
とにかく。
……こんな状態で虎の子を質になんぞ出せん。
私は今その地獄、夢も希望もないリアルな現実を毎日毎日巡っている。本当に奇跡も何も起こらない世界を、ずっとずっと歩いている。そして私の職場は、そういう事に関しては図書館だ。制度適応の場合その相手の生まれてから今に至るまで全て調べるから、結果的に「一か八か」の賭けに出て大失敗、というものが集まることになるのだ(もちろんだらだら……というのもあるけど)。だから見る資料見る資料全て、人生の分岐点で上手く行かなかったものばかり。第三者である私はどうしてそのような決断をしたのだろうかと思う、思うけど……多分今の私、そしてしようとしている決断もそんな風に見られるのかなと最近は強く思ってしまう。
あんまり書きたくないが、昨今の雇用情勢は地獄だ。仕事だから支援はするけど、とにかく仕事そのものがない。あるとするとそれは大抵真っ黒企業が介護系、前者は論外としても後者は更にキツイ、昔某容疑者が介護の道にとか行った時はじゃあ行けば言いと本気で思った。私の今の職も相当きついが、介護ほど辛い職業はない。どれだけ尽くしても報われる事はほぼなく(そりゃー、介護の募集の人はそんな事ないって言うけどさ。病院に見舞いにいったらいきなりタンツバ吐かれたからなぁ……)、そして過酷な肉体労働である。それは実際の仕事を見ていれば分かるし、交渉相手として考えるとヤ○ザすら比較にならない程の恐喝をしかけてくることからも明らかだ。
そして何より私は、負のスパイラルの恐怖を身を持って知ってしまっている。一度スパイラルに嵌ったらまず出られない、これは私自身が見てきての感想だけど、多分商業目的以外の人なら大抵同意してくれると思う。光の差さない世界。地獄ばかりが続く世界。就労指導をしても、でも就労してもあの世界でずっとやっていくんだよなぁと思うと、正直指導していいのかどうかも分からなくなる時がある。最早一度ドロップアウトしたら、いや、もうドロップアウトしていてもしていなくても、終身雇用制度は死んでしまっているだろう。貧困格差の最前線で戦って、その事は本当に痛感している。
あえてその世界にいく可能性を大幅に拡大する自分を、アホかと罵りたくなる位に。
このまま私が残ったとするなら、板の下の世界に行く事はまずない。だがもし約束を守るなら……その世界に落ちる可能性は極めて高い。そうなればどうなるか……考えるまでもない毎日毎日見ている現実じゃないか。その中に自分が行って、耐えられるか、まぁ耐えないといけないけれどそれが本当にベストなのか、それはどうしても考えてしまう。
決断しないことを決断した、なんていう名言が最近あった。だから私もそうしようかなと思ってる。確かあの人の言った最終決断は五月だっけ。じゃあ私も、その時まで伸ばそっか。……最後の策略を弄して。
そろそろ山を降りなければ、と思う。それはとても強くて、何としてでももう一度教壇に戻って立場を確立し、そして宿願であった浪漫倶楽部の創設を果たしたい、とは考えている。それにこの時期に到るまで関わった以上責任は重大だと思うし、こういう状況だから極力提案は避けたかったのだが「私が育てたいから是非ここは」と押し切ったという事実もある。諸処の問題はあるかもしれないけれど、私に任せて欲しい。そうやって”判断を行った”以上、この期に及んでまだ動かないというのは本当に問題だと自分でも思う。
ただ、今いる場所の待遇があまりにも良すぎて、これを振り払って果たしてどうなるのか、という思いも凄い。そして就労指導をやり続けた御蔭で、現在の本当の雇用情勢を知ってしまったため、踏み出せないという点がやはりあるのだ。
今私がやっている仕事……色々あったけれども総じて、楽。
それに待遇。私は未だに理解が出来ない、というかよくそんな事臆面もなく出来るよな、と思っているが、一年目だろうと何だろうと兎に角残業表を出しまくっている、やっても良いという環境がある。それで実際夜遅くまで仕事をやっている人をみかけるが……それがベテランならばいいとしても、そうでないならその残業は単なる能力不足では?と思えてならない。勿論私も能力不足だから仕事がどうしても溜まる、だから今まで相当残業しているが、ただの一度も残業表を出した事はないし、それは銭金の問題よりも人間としての羞恥心の問題ではないか、と思っている。にも関わらず、先日上層部からとうとう呼び出しを食らい、きちんと残業表を出して残業代を請求するように、と訓告を食らった。その時、「は?」、と思ったのは多分一生忘れられないと思う。上層部が態々動いてそんな指導って、今時有り得るか? と、返り忠を考える身としてはある意味憤慨と共に感じてしまう。仮にこれから再び戻って勤務するとして、こんな金の使い方されてたまるか、と怒りすら覚える。その他手当ても充実しているし、余程の事がなければ昇給もされる。年金も高い。休暇もやたら多いし……教員をやっていた頃有給を使ったことなんて殆どなかったけど、ここでは簡単に取る事が出来る。
まぁ私の場合は本来そういう高待遇でも、いつものとおりそれを享受することは出来なかったりはするけれど(笑)。昇給についても、昨年度「荒唐無稽」な報告書を何度も何度も挙げた(それがどんなものかは……ねぇ)責で謹慎を食らい、その上今度は一度も残業表を出さなかった事で上層部から正式に叱責を食らった。出世する気もないから人脈も作ってないし、階級の昇進も生涯ないだろうと思ってる。それでも居ようと思えば居続ける事は出来そうだし、左遷も何も今いる部署が内部で一番敬遠されている場所だから、これ以上流されようがない。そして何より、私にとってここの地理的条件は最高だ。前回と同じ、その気になれば明日にでも、本当に明日にでもあの場所へ復帰する事が出来るのだ。
それを捨てて、再び遠ざかる。しかも次の場所は、待遇だけで言えば制度適用になる程落ちる。雇い止めの心配もしなければならないから現地のハローワークも見てるけど、あそこの求人の質がどんなもので、今の雇用情勢がどんなものかは嫌という程分かっている。現在の雇用情勢ははっきり言って最悪の二文字、何より解雇・昇給止め・雇い止めが乱れ飛んでいる。しかもその理由が能力由来というよりも、二十代であれば単価が安く済むから、という一点で行われている気配があるからたまったものではない。単なる就労というのなら出来るかもしれないが、もとより企業側に長期雇用をする気がない。恐らく今私がその世界に放り出されたところで、仮に上手くいっても労働力の負のデフレスパイラルに入って終わりだ。
そして終わった先に待っているものが何なのか……それはもう、ほぼ毎日聞かされているからよくよく分かってる。金の切れ目が縁の切れ目、金はある意味人間関係を成立させるための潤滑油。しかし仕事の占める社会的地位の大きさも無視できない……一体どれ程の悲惨劇が待っているかを、多分これ程知っているのも珍しいのではないかと思う。そしてそこに向かって突っ込もうとする……多分私がどれだけ頑張っても9割方はその結果に陥るだろうが……事が、果たしてこの年齢で正しいのかどうかに日々悩んでいる。私がその世界に順応し素直に残業代を請求し手に入れれば、何の問題も起こらない。そしてその上で教員の世界を完全に消して今の仕事に精勤していれば、まぁ、食いっぱぐれはないだろうと思っている。ただ私はそれが絶対に嫌というか、人間の品性として、労働に見合わぬ対価を貰うということが生理的に嫌でどうしようもない。そりゃ、勤続が十年を超えていて尚且つ仕事が残る、っていうのなら残業代を請求しても正当かもしれないけど……。
その中で、それでも私は裏切るか。それとも現実に屈するか。それとも……幻想を夢見て真の現実から一時的に逃避し、その結果格差社会の底辺というこの世の地獄とも言える現実に叩き落されて死んでいくのか。
多分今が、人生最期で最大の分岐点の時。どちらに行くか、日々結論が変わり続けている。これが一つにまとまったとき、そこで私の一生は決まる。
もう、後はない。
また、同病院についての噂を聴取。同病院は別名<以下削除>
<結論>
今回の不幸は天災ではなく人災である。
搬送された相手側は恐らく再び病院で暴れ、まずは鎮静剤の投与となったものと思われる。しかしながらそれでも全く落ち着かなかった為、同病院はベッドの四方を鉄柵で囲い、腹部中央に大きなバンドをして拘束するようになった(これについては同病院も認めている)。そして治療として施されたのは栄養点滴のみ、同病院の昼食はどこからか取り寄せた弁当をただ分けているだけなのか××で、しかも相手はそれを一向に食べようとしなかった為に、最終的には与えられもしなかったとのことである(これについても同病院は認めている)。
最期に相手側に会った際の発言について、相手側の訴えが本当だったのかどうかは確認できない。相手が自分自身が過去にやった事を末期の際にフラッシュバックとして訴えた可能性も高く、これについては相手側の発言をそのまま鵜呑みにする事は出来ない。しかしながら相手側に対する看護師の恨みは強く、何が起こってもおかしくない状況であった。実際今回は様々な事があったが大半は「痴呆が進んでいるからだ」、という説明によって済まされている。
既に相手側は故人となり、その身体も煙となり天へと還った。これ以上の追及をしても意味のない事と思われるので、これにて報告を終える。しかしながら此方としては、これは天命・天災の類であるとは到底言えず、人災と呼ばざるを得ない状況が相当あった事を断言したい。
あの密室空間では消極的××が行われていた、と駄文・かつ此方の拙い妄想であるとは言え、それを文章化することが此方に出来るせめてもの供養と思われる。故にこれを作成し、また、この件についてはこれをもって終了とする。
最後に。此方に医学知識がもう少しあって、もっと早く、かつ迅速に転院処置が取れていればと思うと、悔やんでも悔やみきれず、憎んでも憎みきれないのが今の率直な重いである。
□月※+7日
相手側死亡の報が入ってきた。死因は不明で、転院先病院は此方が手配しようとした業者を拒絶、独自に処理を行ったとの話である。転院先から病状について再び聴取するも話を聞く事は出来ず、全てが済んだ後に死因等を改めて報告するとの事となった。
「状況考察追加」
相手側の病状について、入院当初は退院まで数週間という状態だった。その為当方も受け入れ体制を勧めており、医者側はそれを待つ、というスタンスで話は進んでいた。それにも関わらず一ヶ月でこの結果になったことについて、此方としては重大な疑義を抱いている。前回の報告書のとおり相手側に時間的余裕なく命を終わらせるような疾患はなく、死の数日前に此方が調査に行った時には肉付きも良く、とても衰弱しているようには見えなかった。その死因が病気によるものであればともかく、あの状態で衰弱による死亡という事はとてもではないが考えにくい。消化器系の病気についての報告は一切なかった以上、栄養補給についても点滴以外の方法はいくらでもとれたはずであり、また同病院の食事はとても×××で、病人には食べられないだろうと推察するに足るものであった。
また同病院に入院させる際、看護師がしきりに「この患者は社会的入院、受け入れ先がないからという判断でいいか」と、まるで当方に言質を求めるような発言をしていた事も追記する。あの時はその意図について図りかねていたが、少なくとも病院側に社会的入院であるか否かが大きな要素となる状態があったのだろうと推察される。また此方は病院がそのような状態だった為何度か足を運んでいるが、看護師の不機嫌状態は尋常ではなかった。看護師の話を聞き、かつ相手側の行動を聞くと無理からぬ話と思っていたが、××××された後の相手側はむしろ怯えた様になっており、あの時既に攻守逆転していたのではないかとも推測される。
いずれにせよ明白なのは、死因は病気に由来しない衰弱死、という事である。衰弱の理由は相手側が食物を摂取せず、かつ、病院側がそれを点滴処置のみで放置したことではないかと考える。更にこれは憶測の域を出ないが、死の数日前に実際に相手側を見、病院の反応を聞いた一個人として考えると、たとえ点滴処置のみであってもすぐに衰弱死するような状態だったとは到底思えない。入院棟は廃墟のように無人で、此方が面会に訪れても誰一人看護師を見かける事はなかった。ただ個室の中にベッドがあるという感じであり、一人一人に目をかける事が出来なかった状態は容易に推測が可能ではある。だからこそ栄養点滴のみで放置、という非人道的行為に出ざるを得なかったのであろうが、それだけが原因とはとても思えないのが此方の最終的見解である。即ち今回の一見は単なる病死ではなく、好意的に見たとしても病院の人手不足による医療行為の徹底放棄、そして此方が真実と思うのは、相手側の叫び声とそれを宥める看護師の対応、その他前後諸々の仕草や様子などから導き出される、「×××××の患者への対応として、病院側が××××××を施した」というものである。
ただしいずれにせよ本件は全て終わってしまった話であり、今から真偽を追求する事は不可能である。また甚だ不本意かつ意味不明ではあるが、病院側から責任の所在は当方にある旨の主張がなされている件、聞き及んでいる。それについては粛々と対応し、出来るならば真実を明らかにしたいと望むものである。
……ま、そういう落書きがあった、ということで。
「事実報告」
○月×日
相手の状態が芳しくないとの周辺の報告あり。臨時で調査に赴くも、周囲には真新しい酒瓶がゴロゴロ転がっており、中に入り状態を聞くも興奮。周辺の物体を投げつけられ、それが鉄製の何かだと判明し、一時撤収。周辺の状況に留意し、慎重に様子を見極めていくこととする。
△月×日
再び相手の状態が芳しくないとの報告あり。再び調査に赴くも応じてもらえず、玄関ではなく窓越しに会話する。窓は玄関の反対方向にあるが周辺は蠅・腐敗物、及び腐敗臭で満ちており、地面は有機物が液化したと思われる濃灰色の水溜りがあった。窓越しで会話するも話にならず、また相手の再びの行動によって再び撤収。
同日
状況を総合するに、最早現状での生活は不可能であると判断する。よって翌日入院手続きを取るべく動くも、消防及び病院の許諾が得られず。苦慮の末に消防を口説き、病院も一件だけ説得に成功。よって翌日、判断による入院手続きをとるものとする。
△月×+1日
相手の所に行き、救急搬送による入院手続きを行う。相手は激昂するも了承し、つつがなく入院手続きは終了。病状について後日調査することを依頼し、病院を後にした。
△月×+5日
病状判明の報を受け、病院へと赴く。病状必ずしも良からずといえど、即座に生命の維持を脅かす病原はなく、退院見込みも数週間程度との話。ただし一人での生活は困難という話であったため、介護の手続きを開始する事とする。
同日
病室に赴き、相手と話をする。相手は相変わらず激昂していたが、何を言っているか不明である。看護師曰くここに来てよりずっとそう、ということで、認識に問題があるのではないかとの話。身体的な問題も多く、徘徊等によって危険な場面が多々見受けられる件、苦情と共に報告あり。その為相手に対して周囲との調和を考え、大人しくするように伝えたが、相手の反応は罵声だった。
□月※日
相手が入院して一週間が過ぎた。その為同病院に赴くと、相手の肉付きや顔色は大分回復し、前よりも幾分か元気そうに見えた。しかしベッドの周囲には××の×があり、腹部の中央には×××××の一部と思われる×××が見受けられた。その為看護師に理由を尋ねると、徘徊が酷く最早手がつけられないから、との話。また事実認識能力についての欠如も酷く、早晩万が一があり得る事も告げられた。ただ、事実認識能力と生命維持の因果関係が不明であった為尋ねたが、これに対する看護師の返答はなかった。
尚、この時相手から奇妙な話を聞いている。
□月※+3日
相手側容態急変の知らせを受けた。しかしながら3日前に相手側の状況を確認しており、にわかには信じがたい話である。その為事情を尋ねたが、相手は殆ど食事を受けつけず、その為点滴にての栄養補給状態ばかりが続き、結果極度の衰弱に陥ったとの事だった。何故点滴なのか、流動食等の選択はなかったのか、3日前に見た限りでは衰弱状態ではなかったが等尋ねたが、これに対する返答はなかった。
同日
相手側に即座に命の危険をもたらす疾患は存在しない。にも関わらずこの状況を招いた原因について、結論としては医療行為の不足があったのではないかと思料する。その為転院に関する手続きを進めることとする。
□月※+4日
相手側容態急変の知らせと共に、既に転院をさせたとの連絡が入った。相手側の状態は数日の猶予もないとの話で、あらかじめ準備をするよう話あり。転院先の病院とも連絡を取るも同様の回答で、最早明日があるかも分からないとの状況であった。
事実報告は、以上である。
「経過思索」
極度の衰弱状態に到ったというのが最後の報告であるが、その4日前に面会した限りでは、そのような様子は全くなかった。相手側の食物不摂取は今に始まったことではなく、かつ、昔より存在していたと思しき状況が多々見受けられる。その旨は入院時に伝達済みであり、また治療も何故あれだけしか行われなかったのか、更に言えば転院を模索した翌日に何故脳疾患及び心疾患等急変する病状ではなく衰弱で意識混濁となったのか、全く理解不能である。
ただし□月※日に、相手側から奇妙な話を聞いている。看護師は事実認識の混濁によるものと述べているが、去り際相手が怒鳴った×××××××××という言葉がもしも真実によるものであるとするなら、更にその罵声に振り返ったものの病室の扉を閉められ中へと戻れなかったという状況を考察に加えれば、一つの道筋を立てる事が出来る。もしも此方が任意に転院をかければ、××の事実が否応なく明らかになるわけであり、それが病院にとって利益になるとは思えない。だ<以下、強制削除>
まぁ、そういうこと。未承認だから落書き創作、ただのフィクション。ただ私にとって、私が感じた世界として何があったのかは書いておこうと思った。ま、馬鹿な私には分からない何かがあったんでしょう。多分。
そんな心構えで臨んだけれど、残念ながらそういう類の子は居なかった。不真面目に聞こえるかもしれないから少しだけ詳しく書くと、要するに”周囲が当たり前・もしくは気にしていない(私にとっては”気にできない、その能力がない”という事になるのだけど)事に興味を持てる子”が欲しかった。今現在の能力はあんまり気にしない、要するにこれからのこと。どういう事に興味をもってどういう方面へ進んでいくのか、私は日常にあるもの、身近にあるものに正直に不思議を感じて欲しいし、それを普通に言えるようになって欲しいと思った。別にこれには文系も理系もない。液体と液体を混ぜたらどうして爆発するのか、どうして良い物語は何度読んでも感動するのか、そういう事でもそこに不思議を感じて探究できる子がいたならなぁ、というのが正直な気持ちだ。夜空を見上げると星がある、それに何かを感じて欲しい。冬になれば霜柱が出来る。それに科学的な解釈は勿論、幻想的な何かも感じて欲しい。そういう知的好奇心のある子が欲しかったけど、残念ながらそれはいなかったとしか言いようがない。
勿論ジャッジ自体はルールに則って公平にやったけど、でも何というか、現実の毒気にやられて幻想の世界に入り込めそうもない子達が多かったなぁと思う。現実の論理はそれとして認めて、その上で幻想を認める、となれば文句はないんだけど、果たしてそれが出来るかどうかというと正直疑問に思ってる。どうなんだろう。たとえ幻想に興味がなくたって、現実的に物事を突き詰め続けるとどうして世の中に幻想があるのか、不思議な事件と称される事が起こるのか分かるんだけど、それを求めるのはやっぱり酷なのだろうか。どうして科学万能の世で新興宗教が生まれるのか。宗教の形を取らなくてもやれ星占いだオーラだのといったわけの分からないものが生まれるのか、そこにこそ幻想が人間にとってどれ程大事かという事が示されていると思うのだけれど、それはやっぱり難しいのかな、と思う。
現実路線を悪いとは言わない。でも身近にもっと不思議があるような気はしない?と問いかけたくなる気持ちはあった。そりゃ博打を打てるような場所じゃないから穏当な一打をというのは分かるけど、でも私は穏当な一打は正直あまり興味がなかった。本当にそれが夢ならこんな寂しい事はないし、だったら別に方法があるだろうと正直思ってた。いくら何でも今からそれは疲れない?とも感じた。未来は無限なんだからもっと大きな視野でものを見て欲しい、こう書いては悪いけどどの道付け焼刃は通用しないんだから(介護福祉系とも言える職についている私には、そっち系の事は分かるので嘘は通じません。あれの辛さときたらもう……)、いっそはっちゃけて欲しかった。そしてその子が不思議を愛する子だったら、多分私以外の誰でも引き上げてくれたと思うのに。
……ともあれ。
私が大金と時間を費やしてまで求めていた「伏せられた情報カード」のほぼ全てがこれで出揃った。まだ結果の分からない、表になってないカードはあと一枚、それが分かれば私の判断材料は全て揃う。ようやくか、と思うし、全ての情報カードを手にするまで保留状態で居続けるためにどれだけの労力と金をつぎ込んだかと思うと疲労感も覚えるけど、あと一枚が表になればあとは決断するだけだ。東と西、それぞれの提示する条件と置かれている状況はほぼこれで分かった。そしてなんとか、私はどちらについてもやりきれる立場を保持している。東に味方しても西に味方してもやっていけるように、私は三つの立場を同時に成立させるように今まで頑張ってきたのだから。
どちらに味方をしてもやっていける。悪い意味で言えばこの期に及んでもどちらも運命共同体にはなっておらず、別の選択肢を今も持っている。あとはこの、最後に一枚伏せられたカード。これが表になった時私は行動を決めるけど、果たしてどうなるものやら。でも浪漫倶楽部が居なかったのは正直、痛いかな。ま、それも仕方ないといえば仕方ないのかもしれないけど、ね。
私は……人を思いやる心を伝えたいと思う。
それは理想論に終始するものではなくて。病院の経営という大きな使命に立たされても尚、人を思いやる気持ちを伝えられたらと思う。多分、生徒も先生も、今の本当の病院の姿なんて知らない。経営を黒字にするために病院が一体今何をしているか、それに向けて医者がどれ程苦しんでいるか看護師がどれ程苦しんでいるか、それについて多分データでしか知らないんじゃないかなと思ってる。黒字にしなければならないという周囲からの圧力の中で、悪魔になっている医者を今の仕事で何人も見てきた。守秘義務さえなければいくらでも書けるけど、本当に鬼畜としか思えないような所業を繰り返す医者が本当に多い。勿論商売だし周囲から孤立すれば人生に望みはないけど、でも、それでも良心に恥じない人生を送って欲しいと思う。
多数が支持する事は、まず疑ってかかる。
多分その事を実体験を交えて語れるのは、私だけなんじゃないかなと思う。勿論、自惚れでしかないのかもしれない。でも私は、今まで沢山のケースを見てきた。これが人間のやることか、と思えることににも何度も遭遇した。だから私の医学に対する不信は強烈で、本音を言えば医者は鬼畜外道の群れなのではないかと思ってる。でも一方で、そうならなければならない医者の事情も知ってる。でもだからこそ……医者を目指す子どもにはそうなって欲しくはない。そりゃ多分、世の中を渡っていく上でそうならざるを得ない人も出るだろう。でもその人をたった一人でも減らす事ができたなら、この裏切り塗れの人生にも、生きた価値が出るのだろうと思ってる。
私は医療の現実を、本当に裏側から嫌と言うほど見てきた。ここには書けないけど、本当に人の心をそもそも失っているのではないか、という医者を沢山見てきた。閉鎖病棟や身体拘束室の光景は忘れられるものではない、そして、その人達について語る医者の残酷というよりも人外という形容が似合う高飛車な物言いには、本当にこの人達には赤い血が通っているのかと本気で憤った事がある。勿論一人一人に感情移入していては疲れて自滅する、というのは分かっている。でもそれを割り引いても、今まで聞いてきた話はあまりにも酷すぎた。だから私は、心の教育を強力にやっていきたいと思う。多分生徒も教員も、医者に関しては漠然としたイメージしかないと思う。現場の泥臭いやりとり、金を今すぐ持って来い持ってこなければ<自主規制>、今すぐ医事課に来いこれは担当が土下座を全員しなければ強制退院だ、等など、医者の本音の側面をずっと見てきた。
そしてこれは、誰かがフィードバックしなければ永遠に続くと思っている。教員は普通教育界のみにいるから、本当の医療の現場を知らずに終わる。よしんば知っていても、それはあくまでも教育者としての傍観者としての観察結果で、私のように実地で周囲からボコられながらやってきた結果ではない。だから、もしこの経験を子ども達に話す事が出来て、一人でも素晴らしい医者を作る事が出来たとするなら、私の人生もそれ程無駄ではなかったと思えると思う。そして私の切り口は、多分他の教員には無理だろうと思う。そりゃそうだ、私のような意味不明の転職履歴をもった教員なんているはずないんだから。だから私は現実に即して話をし、そして一人でもそういう医者を減らしたいと思ってる。
それが出来るなら……たとえ一年で崩壊しても、意味のある人生だと胸を誇れる気がするよ。
状況的はかなり微妙。ここで入院措置を取るか否か……私は当初、この判断にかなり迷っていた。勿論大事になった場合私の本当の夢まで云々、という事はあった。それは認めるけど……でもその可能性を考慮に入れても尚、今動くべきかどうかどうしても判断が出来なかった。かき集めた情報を全部上に挙げればどうなるかは分かっていたけど、それをすべきときなのかも分からなかった。
そんな時だ。4月の最初の訪問の時の記憶が蘇ったのは。
正直に言えば。私はあの一件について死ぬ思いもしたし実際病気にかかって数ヶ月間地獄を見たが、それでももっと他にやりようがあったのではないか、と心の中で思っている。あの一件、私が正式に引き継いだのは6月で、しかしその頃にはもう……という状況だった。その後私は出来る限り最優先でやったけど、結局は既に局面が終了した後の処置だから最終的には……だった。だからなのか、あの時首に縄引っ張ってでも病院に連れて行けば或いは、という思いが未だにある。勿論そこまでが私の職責ではないし、というよりもあの時家の中に踏み込んでいれば死んでいた。二日後に倒れて病院に搬送された時に「あんた一体どこに行った?」と医者に言われたほど奇異な病気を食らったのだから、あそこで動いたらリアルにまずかっただろうとは思う。
ただそれでも、あの時の事は今も心に残っている。
だから……頭の中に過ぎったんだろうと思う。
そこから先は、もう突貫作業だった。かき集めた情報を全て伝えてセッティングして。そして頼むからもう問題は起こさないで、と祈りながら病院に入れて。そして結果は、ギリギリのラインだった。はっきり書いてしまえば、この状態が放置され続けていれば万が一は充分にありえたのだ。今まではずっと嘘ばかり言っていた相手だが、今回に限り本当だったのだ。しかし周囲は誰も信じない(嘘をついた回数が10を超えるから)し、私も判断に迷った。そんな私の背中を押したのは、あの日の記憶。そして、あの人の姿。だから途中から何かに急きたてられるように急いで進めて、今のところは何とか大丈夫、というところまでもっていくことが出来た。勿論これからの問題はあるんだけど、ひとまずは何とかなりそうだ。
そうなって今、考える。
何も残さないように見えて、どんな人でも何かしらの思いを残して逝くんだなぁ、という事を。私がもし過去に出会わなければ、きっと今回、動いていなかったと思う。そして相手は、そのまま死んでいた可能性が高い。そう考えてみると……今回の一件、救われたのは二人、だ。一人はまず入院すら出来なかった相手方、そういう経験を積んでなければ此方が消防署に土下座という挙には出なかったのだから、多分そのまま部屋の中で逝っていただろう。そしてもう一人は、私。あのまま部屋で逝かれてしまえば、否応なく私の判断ミスが問われる。ただでさえ色々あるというのにこれ以上ネタを周囲に提供すれば多分炎上では済まなくなる。ただそれを、間一髪で防ぐ事が出来た。そしてそれが出来たのは、4月のあの日に、在りし日のあの人に出会ったからだ。
人間は死ぬけど、どこかしらで思いは引き継がれる。そして引き継がれた思いが、時に生き残っている人間を救いもし、殺しもする。今回は前者のパターン、間接的ではあってもあの記憶があったからこの動きがあったわけで、そういう意味では思いだけは消えないんだなぁと痛感する。そして多分思いは複雑に絡み合って、何かしら絶対に他人に影響を与えるものだし私も与えているのだろうなぁ、などと思うのだ。
だから……色々、考える。どちらに行くべきか。正直、どちらに行くにしてももう出血は避けられないけど、実は逃げられないわけではない。物凄く苦しい思いをしたけれど、この期に及んでもまだ日和見が出来るような状況で私はあり続けているのだ。このまま行くか?、それとも再び戻るか?。まだ私はどちらの選択肢も切ってない、傾向はあっても、確定ではない。そして今回ばかりは私自身も決めきれずに今かなりキツイ状況にある。
私は未来ある命たちの心にさざ波を与える事が出来るのだろうか。
ある一定程度以上の幸せはありえない世界、それでも良いというのなら……働いたら負けと言うのは本当の事だと思ってる。別に青臭い抽象論で言っているわけではなく現場的な具体論として、最近の雇用情勢、というよりもハローワーク経由の申請が増えているという事から”なんつー自己矛盾……”と思わざるを得ない。あそこって仕事を紹介するところじゃなかったのだろうか。何故そこがあんなにわんさか……しかもそのハローワークがある場所の自治体ではなく何故ここに……まぁその話をすると話題が二つになるので、今日はそこら辺はやめておく。一言だけ加えると、多分今私のいる世界は自治体間競争が一番熾烈なところ、ということ。悪徳業者がやって来た、隣の自治体からの紹介で(その隣の自治体は”一定程度認めるからあとは隣の、あそこの自治体ででやってください”と相手に言ったらしい。まぁここはボンボン砲撃する割に、反撃されると10倍返しだからなぁ)……なんて事が普通にある世界なのだから。
話が逸れた。別にそれを扇動するわけではないけれど、今は本当にそんな世の中になってしまったなぁと思う。まず、ハローワークの実質求人倍率がとてつもなく低い。実質、というのは「何度も何度も求人を出さない会社、試用期間が終わっても採用する会社のみ」ではじき出した場合のことで、これを弾くと他はないんじゃないか、と言う位に仕事がない。福祉介護系の職業はあるにはあるが、時間と労働と給与のバランスのまぁ取れていないこと取れていないこと。あと最近は管理者責任とか問われるのが嫌らしく、年齢制限がきつかったり資格制限がきつかったりで、そうやって考えると普通にやれる仕事の倍率なんて物凄く低いと思ってる。
んで、窓口に相談すると何故か制度の方へ案内するトンデモがいるのだが(確かに事情を聞くとまず就労の前に身辺整理だよな、というケースばっかりだったりするけど)、この制度に入ると生活費はともかく年金・税金・何よりも医療費が免除されるという特典がついてくる。年金は無条件で納付免除になるし、税金はゼロ。たとえそれまで滞納を重ねていても<自主規制>になるから<自主規制>。そして病院はかかり放題……勿論それを防ぐ為に此方も何重ものチェックはしているけど(病院から送られてくる書類を読んでますが……医者にはお疲れ様という心と、絶対に親しくなりたくないという心がわきますな)、病院の側も制度適応者の方をより多く受け入れたいというのがみえみえである為、どうやったって防げない。基本的に医者にこの治療は必要だ、と言われたらこっちとしても反論のしようがないし、医者の側も「何があってもとりっぱぐれがない」、「問題があったら電話して担当職員に全てやらせればそれで済む」方々を歓迎するから増える一方だ。この短い間でも色々言われたなぁ……手術に立ち合え、遺体を引き取れ、喪主をやれ、家族が煩いから何とかしろ、散歩したいと言っているから付き添いをやれ……等など。まぁ最後の一つは流石に頭に来て「介助は医療行為だと考えていますが、まぁ、其方の病院では違うのですか?」と返してしまったけれど。
孤独死も、基本的にはない。周辺病院7つから受け入れを拒否され救急車もスルーする人物であっても(病院内で他の患者に喧嘩を売った・患者の金を盗んだ・看護師に暴力を働いた・酒を持ち込んで酒宴を開いた・待合室のソファーを占領して一日動かなかった等などの前科が多すぎるため)、必要だと判断すれば病院を此方で探す。救急車はもう土下座で出してもらうしかない。まぁ土下座で済む分救急車の方が楽といえば楽だが、こういう場合でもしらみつぶしに病院をあたるから結局は一つくらい引き受けてくれる。この一件についてはいずれまたここで書くこともあるだろうけど、本当に色々辛いことばかりの仕事だった。……私この人に生ゴミを顔面にぶつけられた事があるんですけど……。それも嫌われた、とかではなくて、ノックしてドア開けて速攻でやられたんだけど……。
そして最近は、例の加算のせいでまぁ母子家庭を見ない日はないような気もするし、就労促進費(働くと1万円加算するよー、という制度)が廃止されたせいで、まぁ仕事を辞める世帯が多いのなんの。でも勿論それはいいことではないけど、内心はそりゃそうだよな、と思ってしまう。結局働いたら一万円、が消し飛んで何もしなくても二万円、になったのなら、なら今まで働いた自分は一体なんだったんだと当然思うだろうし、それが自然だと私も思う。まぁ中には働かないで家の中で療養してくれ頼むから、という世帯もないわけじゃないけど(会社に呼び出されたからなぁ……でも本人が働きたいって言ってるのに駄目だなんて言えんし……いや、危ないのは承知してるけどさぁ)、基本的にこっちの就労支援は壊滅。というよりももう、誰も本気でやらないかな。二万円の加算はともかく、一万円の削除は意味不明だし。
で、だ。勤労感謝の日にこんな事を書いてもあれなんだけど、最近は若い人達もかなりこっちに流れてきている。それはそれで生きていけないのなら仕方ないのだけれど、一番怒声を聞くのはこの世代な気が凄くする。通常相手側からの暴力というのは電話かさもなくば訪問時、さっきやられた生ゴミもそうだし、帰り際首を絞めてくる奴も居れば野犬をけしかける奴もいる、なのだが、こういう人達は窓口で物凄く騒ぐような気がする。勿論家に言っても大騒ぎだけど、逆に窓口ほどは騒がない気がするんだよなぁ……まぁ家に行く時はこっちも腹を括るので雰囲気ががらりと変わるんだろうけど。私はまだ体験してないけど、剥き出しの注射針(肝○患者)が一面敷き詰められた部屋で「入って来いよ」とか言ってくる奴もいるみたいだしなぁ……まぁこれは噂だと信じたいけど。
生き甲斐や夢を捨てていいなら、働いたら負け。一定以上の幸せが絶対にこない世界でも構わないなら、働いたら負け。そして自分の人生の中で大切にしなければならない友人関係や親族関係がなければ……働いたら負け、だ。でもそれは逆に言うと、「生き甲斐や夢を捨て、一定以上の幸せを諦め、人間関係を全て捨ててもいいという考え方にならない限り働いたら負け、にはならない」ということだ。
なので、働きましょう。はい。
日和ったのは……その現職の次の世界を壊されそうになったから。現職の不利に直面する事態は平気で流せたのに、これだけはどうしても流す事が出来なかった。勿論、必要な判断である事も事実。でも私を突き動かした本当の思いは……次の世界を失いたくない、というもの。その時初めて、私は現職にいる人達が抱いている思いを知った気がする。
大切にしているもの。あの人達は安定で、私は夢。
だから、するべきことをする。無駄だとは分かってる。上手く行かないだろうということも、やったとしてもそれは後で糾弾された時の為の言い訳作りにしか過ぎない事も分かってる。周囲はそれを分かっていないのでは、と思っているようだけれど、私もそこまでバカじゃない。でもどんな悪人にだって最期にもう一度チャンスは、いやいくらでもチャンスは与えられていいはずで、どれだけそれまで悪行を積み重ねていたって、チャンスを得られる機会があったっていいじゃないか。それを、私は差し伸べたい。でもそれは単なる善意ではなく、世の中の定理を既成事実を作って曲げようとしているだけの話。私は運気尽きた人が、悪人がチャンスを与えられないまま終わっていくのを看破できない。
だから、やる。チャンスは無限であるという事実を作るために。
暴○団関係のをやったし、最近またそっち系の一件に関わることにもなったけど(今のうちに宣言しておくと、どれ程問題になってもいいからこの件は絶対に通さないつもり。逆にもしこんなやり方が認められるなら、私は今すぐそれで起業してもいい)、それよりもタチがわるいかもしれないなぁ……。
で、この医者関係エピソードは本当に数限りないんだけど、まずポケットにお金がないとそれだけで制度で守ってくれと申請が来る。しかもそれが最近の不景気を反映してかもう何も調べないまま、反射的に制度で守れとやってくる。だから例えば……救急車で運び込まれて即申請、のケースの場合後で調べたら数十万の金があった、なんてことさえある。ある、なんて言うと簡単に見つかったように思うかもしれないが、そこまで事実を突き止めるのに一体どれだけ調査をしたか。でも本当に病院は、金を取ることには容赦がない。
そして金が絡まないとなると、病院は途端に冷たくなるから信じられない。今までで一番酷いケースだと、ホームレスが搬送されたからという事で医療費出せと申請をされ、その上翌日そのホームレスをたたき出したという件がある。「昨日の一件について調査を勧めたいのですが御本人様は」、「出て行かれました、行き先は知りません」……これである。「その方はお家がない、と話を聞いておりました。退院されるとき、どこに行くか聞いてなかったのですか。それにそういう状況でいきなり退院を認めたのは何故ですか?」と聞くと「それはウチの関するところではないです」との答え。ホームレスだからと申請して来たのに、翌日病院から出して後どこ言ったか知らね、って一体何?で、医療費の請求はこっちに来る。それで私が何をやったかと言えば……自転車で野原を駆け巡りましたよこっちは。ただどれ程探しても見つからず、結局は成立しなかったけれども、それでも医療費は普通にとられた。まぁこの人については数ヵ月後思わぬところで再会するからいいんですけど……。
で、そんな私が最近、心の風邪をこじらせた方の病棟、閉鎖病棟に行って来た。病院の端の外階段からしか出入りが出来ず、そこを上がっていくが中は電気がなければ真っ暗け。私が入ったのは六階だったが、その入り口に「防火扉?」と思えるような凄まじい頑丈な扉が一つ。で、中に入るとまた狭い部屋があって、そこにもさっきと同じような防火扉。どうやら二重扉になっているようで、その二つの扉を開けてようやく中に入れるという仕組みらしい。そして中に入ってみると、えーっと、こっからは秘密に抵触するもの以外しか書けないけど、はい、以前老人ホームでかいだ糞尿の混ざった匂いの数十倍きっついのが漂って参りました。窓は全部鉄格子。何か特別あるわけではないのにうめき声やら叫び声やらが常に聞こえ、一体何があったんだか一度だけ聞こえた金切り声。しかし何よりも<自主規制>だったのは、いきなり襲<自主規制>。それをなんとか振り切って病室に入ると、そこは<自主規制>。まるで<自主規制>のような部屋の中、話をする目標の人物のところにいくと突然その方が<自主規制>。話しが難しいというのは分かっていたがここまでとは……。というよりもその横にいる人物がさっきから明らかにこっちにむけて<自主規制>してるんですけど。そういう時、看護師さんって止めてくれないんだよね……。
まぁこっちも、お家に行って首絞められてイイ気分になって危うく逃げ出したこととか、顔面から生ゴミ投げつけられたこととか、あと「次来たら絶対殺す!」と宣言されてたりもするから、まぁ慣れたといえば慣れたけど。しかし、何があっても心の風邪をこじらせたくないと思った一日でした。あと医師関係だと薬の話があるんだけど、これはまたいつか。でも、どー考えても多いよな、あれ。
他の同僚は外堀一つで守ろうとしたからこれを破られただけで滅亡した。しかし私の場合は内堀もあれば三の丸、二の丸もある。漠然と事実だけを予想してみたところで、それで潰せるのは外堀のみで、私自身はびくともしない。如何なる証拠を突きつけられても対応出来る体制は既に出来ているし、そもそも相手側が突きつけてきた「犯罪的行為」に及んでいる面は何一つない。どれ程調査をかけたところで、その事実が本当にないのだから私の方は痛くもかゆくもない。ここからが、本番。3回も仮面浪人をやった私の要塞はそう簡単には崩れません、なんてね。
でも私は、今回攻め込んできた人にこそ自分の首を預けたいと思ってる。少なくとも私の本意を知ったとき「あの人」がどう思うのか、これについては物凄く興味がある。だって、同じ教員としてフィールドに立とうとした同士、なのだから。どれだけ人生が破滅しようとも教育界を目指す私が、人生を教育から外して、その代償として安定させた彼にどう映るのか見てみたいから。私の本心を知ったとき、彼の心は揺れ動くのだろうか。それともに私を馬鹿だと笑うのだろうか。本当に教育に賭ける心があるのなら、ある程度共感はしてくれると思っているけど、それは私の買いかぶりなのだろうか。
本丸で彼が攻め来るのを、ひたすら待っている。待っているのに疲れて、最近はヒミツの攻略経路を教えた程だ(笑)。同じ教育を目指しながら行動が真っ二つに分かれた二人、私の愚挙をみて彼は教育に賭ける私の心をうらやんでくれるだろうか。それとも安定した地位を捨てる馬鹿野郎が、と嘲るだろうか。それに興味があるから、あの人をあえて迎え入れた。下手をすると外堀内堀以外ではなくヒミツの抜け道まで落されかねないけど、私はどうしてもあの人に聞いてみたかった。
「貴方の人生、それで終焉を迎える事になるけど、それで満足?」
と。
多分彼は当たり前のように頷くと思う。でも教員の志がそう軽いものではないことを信じている自分もいる。だからその意味では期待している。まぁ期待通りだったら滅ぼされるんだけど、でもそう簡単に教員の道を諦められないという事が真実である事は確認したい。
外堀は滅んだ。後は立証できるかだけど……そう簡単には詰まないよ♪
「休職者が職場で出るとどれだけ苦労するか知ってますから、たとえどれ程仕事が辛くても年度途中に職場を離れる事は絶対にありません」
これは”仕事の辛さ”について聞かれたときの私の答えだけど、この文章の言っている事は年度途中に職場を離れる事はないというだけで、それ以外の事は誓ってない。いや、誓ってないという受動的な行為ではなく能動的な行為として、”年度後の事は誓わない”という意志の元に発した言葉だ。というよりも、あえてこのような言い方をしたということは年度後は別の思惑があるということで、これが実質的に初めて見せた私側からの宣言だったりする。
勿論、相手がそれをどう解釈するかは分からない。ただ、相手の解釈能力まで私は面倒見切れない。ひょっとすると相手はこの言葉について私が意欲的であるという事を表明するために言った発言ととるかもしれないが、そんな解釈は相手の自由であり、私の知ったことではないのだ。私の意図はこの言葉通り。態々年度途中と言ったんだから、それは裏を返せばあとは違うと明言しているようなものであり、ここまで明確に言った以上理解できなければ相手の責任だと私は密かに思っている。勿論その場で「じゃあ年度後は」と聞かれても、「その後も勿論ずっと働いていける、そんな自分になれればいいと思っています」としか答えないけど。なれればいいと思っているというのは、つまり「そういう自分になれれば良いと、今現在の私は空想しています」というだけの話で、つまるところ自分の持つ空想を紹介しただけの言葉に過ぎない。そういう空想をもっている自分がいる事は否定できない事実だし、といってその空想をもって手形のように迫られても所詮それは空想だから私に責任はない、というレトリックだ。
普段の私がもってまわった言い回しを好み敬語を使い直言をしないのは、ここに理由がある。短い言葉で直言をすると、どう足掻いても自分の意志が明確になってしまう。やる・やらない、好き・嫌い。明言すればそれを翻した時嘘として責められるが、明言さえしなければそのぼかした言い方で相手がどう解釈しようがそれは相手の勝手であり、私の責任ではない。ただそれを切所でのみやるとバレバレなので普段からやっている、普段からそういう言い回しばかりをし続けることでその時の発言が不自然なものと思われないようにしている、という面があって、その延長線上でこういう事を言うからスルーされるのだ。
伏線は終わった。あとは戦うのみ。
そんな誰が作ったんだか良く分からない言い伝えのあるこの巣の中で、最近そのうちの三分の一をクリアするかもしれない、という事態に遭遇した。遭遇したといっても私がまわっていた時にそうなったのではなくて、別の場所に行って戻ってみると”どうもそうなんじゃないか”という案件が持ち込まれていて、その担当が私だったので赴くことになったのだ。
そしてその時、様々な事を言い含められた。まず「”ほどよく自然に戻ろうとしている”場合、人間なら必ず匂いで気付く。その時は絶対に救急車を呼ばないこと。それと時間が経過している場合は110番ではなくここ(自主規制)に電話をすること」と、最悪な事態について説明を受けた。「部屋に近づいたり中に入る時は必ず専門の作業服で、絶対に素手でものを触らないこと。身体にも触れてはダメ、触れるとあとで警察に呼ばれる上身体にも悪い。ええかっこしいするのは勝手だけど、そこで病気を貰うと周囲全員に広まることだけは考えておいて」と、その説明は続く。要するに英雄的な行為は絶対にするなという事だが、これについては雛鳥ながら分かっていた。昔このテの扱いや説明に反発を抱いて行動した結果、後日昏倒・救急搬送という地獄を見ているので、もう一度同じ過ちを繰り返すつもりはない。
また、人間なら必ず気付く、という事にも同意だ。少なくとも部屋の中に入れば……私は以前、部屋の中で自死を選び、程よくとろけた人の住んでいたアパートの中に遺留品探しに入った事がある。というのも事件性がないとなるとまぁ警察の捜査はかなりおざなりなものになってしまう為、警察の持ってきた情報では遺留金品なし、という判定が出来なかったのだ。既に捜査は終わっているし部屋も綺麗に片付いているしにおいもない……はずなのだが……部屋の雰囲気はまるで見えないナイフがそこら中に浮いているような感触だった。台所には食糧が普通においてあり、それが何故だか「腐ってない」。部屋の中は異常に綺麗で、まるで昨日まで誰か住んでいたかのように埃一つない。ほどよくとろけたのはかなり前で、で、捜査が終了したのも結構前にも関わらず。……食パンって、確か一ヶ月以上するとかびる気が……。
私は無宗教・無神論者だが、流石にそれが行われた現場に入って、しかも家捜しするとなると心意気はまるで違った。まるでそこにまだ主がいるかのような部屋の中で、まずは仏壇に手を合わせる。するとその仏壇に……早くも手を突っ込んでいる上司の姿。何やってるんですか、という私の言葉に「お前一体ここに何しにきたんだ?」との言葉。でもちょっと待って下さい、他のところで見つかればそれでいい訳ですからそこは最後に……と私が言っても聞かず、それも道理上司はそこが一番怪しいと睨んでいて、しかも一発で<自主規制>を探し当てたのだ。「次、隣」。そのあっけらかんとした態度に度肝を抜かれたが、その隣というのは将に人間が自然に帰った場所で、カーペットには明らかにそれ由来と思われるシミがあり、明らかに不自然に設置されている家具にこれが使用されたのかといやでも分かってしまう。そしてその中を何の抵抗もなく探す上司、流石……二ケタの経験を持つ人間は違う……というような事が、実は過去にもあったのだ。
少し話が逸れた。で、まぁそういう万が一の対策をして出撃することになったのだけれど、その時の私は特に気負いもなく、普通に命令を聞けたような気がする。というのも既に今書いた経験や墓を開けての骨壷磨きなど色々そのテの事はしているので、私の方にもいい加減慣れというものがあるというのが一つ。そして天運的に……まだ私は現物発見にいく運気じゃないだろう、といういつもの運気を中心とした考えがあった。勿論これには根拠もあって、何と言っても相手は私が担当している人だ。その人の事は良く知ってるし、前回行った時はすっごく元気だった(怒鳴られた上に生ゴミ顔面に投げつけられたからねぇ……)。どうやって生活しているのかも聞いているから、私はこの人が危険な状況になっているとはどうしても思えなかったのだ。
そして結局、突撃したものの普通に相手は生きていた。勿論怒鳴り散らした上死ねだの殺すだの言っているのは相変わらずだが、まぁこれもまた生きてこそ。とりあえず今は覚悟が空振りに終わったことを祝おう、と思っていたが、帰り道、ふと疑問に思った事があった。それは
「あれ……どうしてスクランブルがかかったんだ?」
ということ。案件が持ち込まれていて、というが、そんな持込はいくらでもあるのでそう簡単には動いたりしない。それに大体どうして他の人がこの人の周囲の状況まで知っているのだろう……そう思って何気なく後で調べてみると、これがまた面白い事実が明らかになった。私のところだけ、巣の構成メンバーのほぼ全員が数件担当を持っていたのだ。この仕事は大体エリア担当制なので、一つのエリアには一人の担当者がついて仕事を進める。にも関わらず私のエリアにだけは全員がいくつか担当を持っていた……そして情報を的確につかんでいた上、今日の今日まで私は全くそれを知らずにいた……。
なるほどね、そういうことか。
信用されないことは今に始まった事ではない事だし、まぁ相手さんも馬鹿ではないということか。でも、心配しなくても、たとえ内通していても仕事の手抜きなんて絶対しないのになぁ。それと、以前から私の仕事が筒抜けだった事もこれで納得がいく。……なる程ねぇ、でもそんなに監視が必要だと思うなら、証拠突きつけて自白を迫ればいいものを。まぁ、自白なんて絶対にしないと思うけど。
どこでも同じ、秋の夕暮れだねぇ。
しかしハローワークで制度の申請が出来るように、かぁ……。ハローワークの求人ってはっきり言ってみんな滅茶苦茶だから(同じ内容の募集広告を出す会社の多いのなんのって。私も失業保険を貰った経験があるのでハローワークを使った事がありましたが、まぁあれをやると……絶望で死ねますな)、間違いなく激増するでしょう。職種を選ばなければ就職先は沢山ある、確かにそうですが……介護系の職がどれ程辛いかは私は体験上嫌になる程知ってますし(あれは介護を人生の生き甲斐にする、と意気込んだ人間程早く死にます。むしろ”介護、それって仕事でやってるだけだしぃー、明日は彼とデートだしぃー”という人物の方が長持ちします。そういう場所です)、営業の仕事やらなんやら色々あるけど、そのまま上手くいった話なんて聞いた事ないからなぁ。だいたい今の私に「職種を選ばず」なんて口が裂けても言えないですよ。こっちはその職種に戻りたくて戻りたくて、絶対安泰な雇用を切る準備をしてるわけですから。懲戒免職でもどんとこい、です。それであの世界に戻れるなら安いもの……私にとって職種はそれ程意味があるので、正直この指導は元々辛かったです。まぁ、余談ですけど。
少し話がそれましたが……ハローワークで申請となると、その申請書類が届くのが数日後ですか。そっから調査をかけるとなると、多分相当な時間がかかるでしょう。それに、この制度は厳然としたデメリットもあるのですが、それを理解出来るかどうかも怪しいといった所です。例えば私も普通に調査とかしますが、「私みたいな若造がこんな事聞いて本当にいいんだろうか、いや、絶対に良くないだろう。だって相手は単に運が悪かっただけじゃないか(まぁ、そう思えない人が大半なので救われてはいますが)」、という質問を嫌という程浴びせます。生まれた場所から小学校まで聞いて、親族から本籍から金から根掘り葉掘り聞くのが”義務”です。聞かれる側は相当嫌なもんだと思いますよ。それから、それをあえて聞いて書類にまとめるこっちもすっごく嫌だし。でもその後の就労支援の資料になるからどうしても職歴、特に途絶えたときとか退職したときの理由とか聞きますけど、私がもし逆の立場でそれ聞かれたら絶対に答えたくないですもん。私だって専任教員を二度ほどすぐに辞めてますけど、その理由はなんですか、って聞かれたら間違いなく「帰れ!」ですよそんなん(笑)。あまつさえ部屋を全部見せろって、これは見られる側にとっては相当な苦痛ですよ。私だってそんなもん見たくないですって。どんな家具が何個あってって、そんなの調べられるの絶対に嫌ですって、ホント(ただこれをしないとその人が生活していけるかどうか、資産がどれ位あるのかが分からない為、どうしても必要になってきてしまいます。例えば家具が異様に少ない場合は”別に本宅がある?”と考えるか、今すぐ緊急援助をしなきゃならないんじゃないか、という考えに到ります。……部屋を見るのは食料品やそれを料理する道具がどれ程あるかを見るという意味も兼ねていて、その残量を見定めるのも仕事のうちです。部屋を見た結果食糧もからっきし、料理器具もないとなれば、とりあえず決定までの間しのぐための貸付金を用意しないと餓死の危険性があるので)。
だから私は、それらを全て受け入れる覚悟で全ての人が申請をするとは思えないんですよね。別にどこ経由であろうが申請が来れば調査はしますけど、この調査、本当にある意味残酷ですよ。相手の生育歴から掘り崩して、兄弟姉妹親息子娘、全て洗わなければならないのですから。で、そこに連絡をする事もまた”義務”。こっちだって好きで連絡している訳ではないんですけどねぇ……よく「死ね!」とか電話口で言われますよ。「既に結婚した娘に扶養照会なんぞ送りやがって! これで娘が肩身の狭い思いをしたらどう責任とってくれるんだ! 死ね、死ね! お前が今すぐ首つって死ね!」とか、 普通に電話が来ますからねぇ。こちとら再び教壇に戻る夢を抱えているのに死ぬわけないだろう全く、と受け流してますけど、実際そういう事をしなければならないので。こっちだって90歳を過ぎた母親に息子さんが申請してますけど扶養できますか、っていう手紙を出す時、平静でいられるわけないじゃないですか。こんな手紙を送られて、相手は傷つくだろうなぁって。そう分かりながらも義務ですから一通一通送ってますけど、それを更に拡大しようというのですか。本人にその覚悟があるのならばいいです。でも、本当にその覚悟を正した上での事なのですか。
今何か制度を使えば楽に暮らせる、という妄想があるみたいですけど、やる私の方はとてもそれが幸せに結びつくとは思えません。ここにだけは来てはいけない、私は正直そう思いますよ。聞いてるこっちだってすっごく嫌ですもん。どうしてここまでプライベートを他人に言わなければならない環境になったのか、って。正直聞きたくないですよそんなプライベートな話。見たくないですよそんな私的な話を赤の他人のしかも歳が一回りも二回りも違う若造にする姿なんて。それを推進しようって、それで幸せが訪れるとでも? 私は新規を調査する度に嫌になりますよ。ここまで他人に自分の思惑を話さなければならないなんて、ね。
ま、そういう訳でアホな提案は無視すべきでしょう。きついですよ、この制度。活用するなら、全てを丸裸にする覚悟は絶対不可欠です。そしてなるべくなら、そんな人見たくないです。書類をまとめるのが面倒、とかいう話ではなくて、辛いんです。人間、ここまで尊厳を捨てなければ生きていけなくなるのかと思うと。
私は多分、どれだけ苦しんでも制度の適用を求めません。それが、全てです。
離脱の決意が、とうとう覆らないほど固まった。今度の呼び出しの時にその旨を語り、全てを話す必要はないにしてもある程度は話をしてしまい、後の活動に支障が出ないようにする。巣立ちは出来れば全ての有給を使って時間を稼ぎたいので3月初旬、引越しは3月にやると料金がかかるから2月の下旬にやってしまう。当地の物件については既にいくつか手頃なものを調べてあるから(しかし都周辺と違ってここの物件の安いこと安いこと。信じられませんな……)、そこから3月1日付けで契約して入居。ただし3月冒頭にやる最後の処理については人任せに出来ないからそこは私がやる。いつもの私であれば3月にやるノルマの分も、と言うかもしれないけれど今回はそこまで時間が無い。というよりも、私が全ての有給を根こそぎ使うと宣言した時点で、多分機密関係からはシャットアウトされるだろうと思うし。それはそれで構わない……3月は当分ホテル暮らしになるけれど、それに関しては一件なじみの場所があるのでそこを使う。多少の出費は出るが、それは仕方ないから我慢しよう。
で、それが固まった決定的な理由だけど……最近本当に久々に、授業をやったんだよなぁ。そんなに準備時間もなくて本格的ではなかったけど、でも、本当に楽しかった。今やっている仕事での自分とは比較にならない位頭のあちこちから様々なアイディアが出て来て、それが信じられないスピードで一つの形を成していく。そして相手とのコミュニケーション、今までの仕事で得られたものは単なる作業の達成感、いわばドリルの達成感だったけれども、こっちは全く違った。やって疲れはしたけれど、心から楽しかったと、充実できたと思えた。この差はとても大きくて、私に巣立ちを決心させるのに充分すぎた。たとえどれだけ鉄壁の本領安堵を持っていても、ここまで満足度が違うのあれば、もうそれは何の意味もない。楽しかった、充実していた。
んで、気付いたよ。……やっぱり私は、こっちの世界の住人なんだなぁって。レベルはどうか知りませんよ(笑)。でもやっぱり、私の居場所はここにはなくて、あそこにあるんだと気が付いた。
というわけで、私は巣から逃げる支度を開始します。この巣の居心地も悪いのもではなかった……勿論仕事の内容が凄まじいので楽なものではなかったが、それなりにいい経験が出来たと思う。ただ私にとって一番きつかったのは、同僚かな。別にハメを外すなとは言わないけど、勤め先から二百メートルも離れていない店で乱痴気騒ぎをやって、「乳首触ってください」はなしです。一気強制も余興でありコミュニケーションの大事な手段、それについてはわかりますが、3杯もそれをさせるのは人間の思考ではありません。お猿さんのやる事です。確かに実際3杯やらせる場合もありますが、その時は大抵ビールで、かつ注ぐ量を徐々に減らすものです。ただ時折そういう細かいところを見ないお馬鹿さんが悪ノリするから事故が起こる……アルコール度20はあるであろうカクテルだか何だかをコップに注がれ、それを3杯連続全く同じ量について一気強制をやらされました。その時はこれも仕事だと割り切ってやらせていただきましたが、一方で本当にここは動物園だなぁと思いました(その上その後家に帰って私がどれ程体調を崩したか……)。
それと、酔ったからといって店の中でまぐあうのは駄目ですよ。といって公園に向かったりしたりするのもいけません。もう大人なんですから、まぐわうならホテルでもどこでも、お部屋の中でやりましょう。言われなければ分からないのは問題ですし、また指摘した人間を野暮だなんだというのも筋違いです。別に私はまぐわう事をやめろといったわけではなく、せめて野外はやめてくれ、と言っただけですから。
それ以降私の頭の中から同僚という存在は消失していて、名前も覚えていないしその気もないし、だからその生死は私の知ったことではないです。それが徐々に響いてくる、そういわれても私は動物園の檻の中に入ってお猿さんと一緒にバナナを奪い合う趣味はありません。巣立ちに未練がないのは、そういう事も関係しているかな。巣の中はそれ程悪くなかったけど、同僚に関しては無関心、嫌悪の対象にすらならない”道端を流れる風”でしかない存在でしかなかった。ホント、私は今の同僚を嫌いと思った事はないです。そもそも誰か知らないですし、好きとか嫌いとか、そんな事を考える対象でもないので。
ま、そんな訳で、まずは物件探しから開始だ。どれだけ時間が割けるかなぁ。 だから、速やかに撤退の準備にかかる。
「本領安堵状なるものを貰った。種別は○○で、発行元は××。しかし当方は早期離職を模索中である」
その日のうちに、私が来年から戦おうとしている側にこの旨をメールにして書き送った。疑われるのが嫌だったし、これを受け取る事で西軍側に疑心暗鬼になられても困るから。事実相手側にはその気配がすっごく見える……まぁその理由も分からなくはなくて、「どうしてあんな本領安堵状を正式に貰っても裏切るつもりなの? こっちではあれ以上のものなんて出せないよ? それなのに何故?」という懸念はもっともだろうと思う。その懸念を払拭したいというのが私の思いだけど……多分無理。それを理解してもらうには、私にとって「好きな部活を主催しても良い」と言われる事がどれ程の意味を持つか、ひいては私の人生にとって「不思議」や「浪漫」や「ノスタルジー」の類がどれ程重要なものか、を知って貰わないといけないから。でも絶対に理解出来ないと思う。だから色々こじれて、それが結構面倒であるんだけど……待遇がどう変わろうと、その条件さえ覆さなければ私は必ず寝返りますって。元々、私が食い下がったのはその条件だけだったじゃないですか、話をまとめたとき。
ただ一方で、頭の中を「これで終わったな、お前の人生」という言葉が流れないわけじゃない。もう私もかなりの年齢だ。その段階でこれを捨てて打って出る事がどれだけ無謀か、そしてそれをやらかしたあと、世間が私をどう見るか……それを考えれば、次のところでしくじったあとの社会復帰は無理だろう。それでも、私は僅かなチャンスに賭けてみたい。たとえどれ程難しくても、来年寝返りさえすれば部活創設の目は残るのだ。だから私は己の理性を抑制してでも、この道を選ぶことにした。何といっても、呪われてますから、私は夢に。その上その夢の力を今まで徹底的に借り尽くしたので、今更反故にする事もできませんし、完璧に呪われているのでそういう判断も出来ません。呪いってそういうもの。でもこの呪いの御蔭でとても充実した高校生活から今までを過ごす事は出来た。だから、悔いはない。私のような愚物には本来ありえない程の楽しく充実した時間がずっと今まで流れてきた……単に今は、その代償を支払う時期がきただけのことだ。ただ勿論私は、その中での成功を目指して戦いますけどね。
さて。あとは何時頃、どうやって旗を翻すか、か……。
一番初めは……花火大会の時。仕事で行ったんだけどなんと言うか、こんな人達と一緒に仕事をしてる自分が本当に情けなくて悔しくて馬鹿らしくて、打ち上がる花火に思わず呟いた本音。そして次は、魏延と罵られた後に露天で日本酒かっくらって出た本音。私がどうして阿修羅面なんてやったのか、疲弊するのが分かりきっているのに三面同時奉公をやっているのか、その理由。本当に恥ずかしい話だけど……やっぱり好きで、嬉しいんだよな、教壇にたって授業をするのは。理屈じゃなくて、完全に感情。だからどれ程金がかかっても体力が削られてもそっちに行ってしまう。私は私自身を利でしか動かないと思っていたけれどどうしてどうして、実際は剥き出しの感情に理屈付けをしているだけなんだなぁって気付いた。だからだよ、あんな遠方に毎週のように通うのはさ……。流石の私も、もう貯金が尽きるよ、全く。でも行くんだから、本当にアホだと思うよ。でもそれが自分で、それが好きだから本当に馬鹿。ああもう、どうしようもないってことだね、こりゃ。
だから残りの半年は、更に自分に鞭を入れる。まず阿修羅面のうち教育に無関係なほうは徹底的に切り捨てる。これは今までこっちにも同じように力を注いで地獄を見ているから、もうこれしか手がないという選択理由。そして出来る限り、産休代理でもいいからこの阿修羅面の一方は一日も早く退職する。12月まで踏ん張ればボーナスがもらえるが、これ以上腕をなまらせるわけにも、心を惰弱で怠惰な思いに汚されてもたまらない。どんな悪条件でもいいから兎に角こっちを一日でも早く辞めること。今はそれが何よりもの目的で、後々の金銭面の事を考えれば12月末の退職がベストだけど、それを自発的にこっちからやると追っ手がかかる可能性がある。でも追っ手が来るならたたき返すのみという思いがあって、だってこっちだって暴露されたら炎上するようなネタを大量に抱え込んでいるし。伊達や酔狂。それと拭えない罪悪感のみで「サビ残王」をやってるわけじゃないってね♪どうして毎日何時間も未申告で残るのか、それはサビ残ということはお金が出ない一方で、此方の手の内を一切相手に晒す必要がない事を意味するってわけ。何時まで残るか、どういう仕事があって残るかという手の内を明かさなくて残れるわけだから、その閑散とした空間の中で私が何をやるか、何を目的で残るかはフリーハンドなわけで(まぁ実際フリーハンドになれたのは2日しかないんだけど。私以上に残業する人がいるのと、ならばと休日出勤を自発的にやると大抵駆けつけてきたと思しき先輩に捕縛されるので上手くはいってないけれど)。
そこら辺を上手く使って、最後の半年勝負をつける。本心は分かった。もうこれはどうしようもない。高校時代にあの漫画に出会ったのはもう運命だ。夢は呪い。でもその呪いはどうやったって解けそうにもない。だってその呪いの力で、ここまでやってこれたんだから。高校三年の時に三ヶ月でとある教科の偏差値を倍に上げられたのも、大学院試験にしくじった際に別の大学院へと仮面とはいえ合格したのも、そしてそこから元の大学院へと一年後に戻れたのも、全てあの本の御蔭なのだから。「多分この本に書かれている事は夢物語だろう。でもだったら私が修練を積んで積んで……現実にしてみせる!」、この思いがなければ、二度も追放されてもう一度返り咲くなんて絶対に出来なかった。そして今、待遇なんぞどうでもいいけど上手くいった暁には一つだけ部活を作らせて欲しい、という条件で戦っているのも、全てこの夢=呪いのせいなのだから。ここで頑張れば、私の夢はそのまま叶う。だって私がこの話を受けた時に提示した唯一の条件がこれなんだから、相手側がこれを履行すると約束したから、私は鉄壁の安定性を捨てますよ、という返事をしたんだから。相手ははっきり言って意味不明、といった対応だったし周辺の人達も皆そうだけど、私には人生を賭けるだけの意味がある。だってそれで、ここまでやってこれたんだもの。私が信じるものはこれだけ、そしてこれだけの為に私はいて、そしてそう信望出来る程たくさんのものを私はここから貰った。
努力で粉砕できない才能などこの世の中には存在しない。
また、絶対に存在してはならない。
その思いを籠め、残りの半年頑張るとしますか。ああもう夢は呪いだよ、でも……この夢にだったら呪われてもいいかな。呪いと仲良しで生きていくのも、それ程悪いことじゃないと思いません?
……仕事整理の途中で何とか、部隊の混乱を鎮められた。そうだ、こんな所で無駄に参戦を急いでズタボロになる必要はそもそもない。私が松尾山を降りるのは、元々今現在まだ未確定な要素、つまりXとなっている数値が全て明らかになってからだったんだ。まだこの時点では想像も出来ないこの数値、今後の勝敗を決めるその数値の結果が可能な限り見えるまでは松尾山にいよう、私はそう思ったのだ。そのXがトンでもない数値であったときに巻き添えを食って滅亡しないで済むように、目論見が外れたときに選択の余地を残すために、私は別の仕官先から本領安堵状を受け取っていたのだ。未確定な要素Xはまだ一番大きなものが開かれていない。そうである以上松尾山から動く必要は全くないわけで、”三”股膏薬をやっているのが辛いから山を降りる、では本末転倒も甚だしかったんだ。
誠実に、そして、したたかに。
三方から求められる出兵には素直に応じつつ、未確定な要素Xがオープンになるのを待つ。全てがオープンにはならないだろうけど、でもどうしても必要な要素はある一定の時期に一斉に明らかになる。私が山を降りるとすれば、まさにその時。その数値を見てから動く、これが既定方針。その数値が万が一滅茶苦茶だった時に備えて、別のところから安堵状を取っておく。一応そんな計画で進めていたのに、一時の激情で潰してたまるものか。
そして再び松尾山に戻り、情勢を見極める日々が続く……。
三国志の武将の中で誰が好き? という話なった時、私は率直に司馬仲達と答えた。理由は周囲の裏切り疑惑の視線に耐えて耐え抜いて、そして本当に裏切って大成をした人だからなのだが……だから私も仲達目指して頑張っていく、と私がまとめると、友人がこう投げかけてきた。
そして友人の言葉の刃は尚も続いた。
「おめーにそんな力なんてあるわけねーだろーが。お前は所詮武力があるからそれだけを利用されるだけ利用されて、最後は裏切り者として処刑されて、挙句後世までずっと反骨と罵られる魏延だ魏延。そうだ、お前風に言うなら”仲達になりそこなった魏延”だ。うん、そうだおめーは。自覚しやがれ」
……それを食らって私は、怒りのあまり頭の中が真っ白になった。
色んな言葉が頭の中を駆け巡った。それこそ、友人の放った言葉の刃の何万倍も強烈なヤツ。決して口にはしないけれど、それを言われたときに咄嗟に思った私の本音が渦のように頭の中を支配したけれど……何よりもそれで憤激した私自身が物凄く嫌だった。私が憤激すると言う事は、図星ということ。思い当たる節があるから笑って流せない、というよりもそんな事は始めっから分かってて悩んでるんだ、だいたいお前はそんな事も分からないと思うほど俺を馬鹿だと思ってやがるのか!、なーんて思いもした。まぁ要するにそういう思いもある一方で、図星で動けなくなった自分がとても情けなくて悔しかったというわけだ。
自分が利用するだけ利用されて捨てられる可能性……これが99%だと私は本音では思ってる。だって私がそうしてきたから。今まで一体幾つ仮面浪人をやらかし、そして逃げるようにして逃亡生活をやっただろう。だから私は世の中がそんなに甘くない事、どれ程やったって巡り会わせがわるければ魏延になるに決まっていることを知っている。それでも夢を諦めきれないから苦しんでいるのにわざわざこっちにやって来てまでこの野郎は……。私も人の事はいえないけれど、でも苦しんでいる相手に塩投げに来る行為には少し悲しくなった。言葉を選ぶって発想がないんだなぁ……でもそうなったのは私が落ち目になったからか。栄枯盛衰は世の習いとはいえ、なんとも寂しいお話だ。多分相手には、この時間を作るために私が裏でどれ程手を廻して準備したか、全然分かってないんだろうなぁ……。
そっから先のこと……神社の境内で清酒を煽りながらちょっくら大声大会の巻、はまたいつかの機会に。まぁ酒とツマミが売っていたのは境内だったし、秋祭りの真っ最中だったから別に問題はないと思うんだけどさ。でもあんな酒の呑み方したのは始めてだったなぁ。そしてそこで本音も出たし。それに「だったら何で9月に出ない?限界に挑戦してるんだろ? だったらなんで9月に辞めないんだよ」との言葉を受け、まぁ普通はそれを流すんだけれども、こっちはその準備を始めてしまったわけで。魏延か仲達か、事実としてそれを示せばそれで問題はないわけで、もうこれ以上我慢できないというのが心情だ。
ただ、問題はそれが間に合うかどうか、だなぁ。実は4月の下旬に話が舞い込んだ時「今すぐ辞めてこっちにきてくれ。あとは何とかするから」と先方から言われ、仕事を一生懸命まとめた事がある。しかしまぁ当時は入りたてでまだそれ程経過していない状態だったから仕事をさばけるはずもなく、結局どうしようもなかったわけだけど。今回もなんとか昨日少しだけ仕事をまとめたけれど、とってもまとまる量じゃない……自分が最後までやらなければならないことだけやって、あとは現状報告書と手順を書いておく、という形にでもしないと不可能か。でもそれでも絶対片付かないだろうなぁ……。
夢とは呪い。
諦めない為には、人生を破綻させる事も必要になる。今度の戦いで私が賭けるのは「人生の破綻」。今度こそ絶対に這い上がれない。でも夢の放棄を厭うならそれでも戦うしかない。夢があるから苦しみ、悩み、そして人生が破綻していく。
夢とは呪い。……でも、大好き。
だから、わたしはほんとにおおばか。
休暇を取る度にボロボロになって出てくるんだからそりゃ相手だって「?」と思うし、一方でこっちはこっちで三つの事を同時にやっているからそりゃガタもくる。しかもそのうちの二つは今まで一度もやったことのないことばかり……この年齢でそんな事を二つ抱えて尚且つ今までの事とはいえもう一つやる事をかかえ、かつこの状態を最後の最後まで知られないままいなければならない。でも現実的にずっと内応者として同じ場所にいるのはかなり辛くて、例えば私は内応してるから楽しげに会話をしていてもそこに入りたいとは思わないし、また絶対に入ってはいけないとも考えている。そして、それで蒙る不利益は全て私の自業自得だから構わない。
ただ体力だけは、それはそれは恐ろしい程磨り減っていく。しかしそれと反比例して、阿修羅三面全てがどんどん加速してきている。正直、松尾山をきめこむのもかなり限界に来ている。今はどちらの出兵要請にも応じているけれど、そのうち物理的に不可能となる時が来るかもしれない。その時は……あんまり遠くじゃないかも。それとも、その前にかっこう先から討伐されるか。まぁ、それならそれでも別にいい。袋叩きは免れないにしても、やるんだったら変なカマかけとかしないで証拠を固めて一気に攻撃をかければよいものを。こういう事をしたのは初めてじゃないからカマかけにはかからない。でも最近はやばいなぁと思う時がかなりある。
それでも。
やらなければならないから、私はやる。たとえそれで潰れて死んだとしても、前のめりに死ねたらまだましだと思うから。……しかし、内応に内応を重ねた私の人生、ついにこんな苦境にまで追い込まれるとは……。
ただその割に、訴えられたり警察が来たりする回数が多いんだよなぁ。この前なんか取調室にぶち込まれたりもしたし。その前も用があって相手の自宅に行ったら玄関封鎖された上でボコボコに殴られたし、蛆虫をぶん投げられたこともあったなぁ……。で、それを親鳥に話すと「きっと、寂しいんだよ。だってここまで来ちゃったら、もうまともに相手をしてくれて、かつ絶対に見捨てないのって私達しかいないでしょ? そういう電話、そういう行為が真の悪意から出ているのか、単に寂しいからか、それを見ないと駄目だよね。ま、悪意であっても相手にするのが我々の仕事だけどね。そう、悪意があっても。大変だけど、やるしかないでしょ」と笑う。で、この親鳥は私の20倍辛い状況を抱えている計算になる。私は特に雛鳥だからそうなんだけど、どうしてもやりきれないものは親鳥に助けを求めることになるけど、それをもっても尚まだこんな事が言えるとは。
そしてこの親鳥すら、ここのヌシではない。ここのヌシは猛烈に頭が良く、多分誰よりも修羅場を潜っている。「日本刀で切りつけられて本当に殺されかけた」なんて経験をリアルでやっている人なんて、多分そうそういないだろうし。でも頑張れば頑張るほど警察の事情聴取が増える……暴○団の一件はあれ程「殺す気か」と主張してもまだ「それでも過去は変えられん、潰せ」とか言って、でっかい角印の通告書とか送ってくるし。まぁそれでも、やらなければならないんだろうけどね。
誰にでも穏やかな時を。これが教員としての矜持だから。
でも……それは表面的な部分だけかもしれない。今回の一件で大きく西へと舵を切った以上、私は裏でかなりのものを西側に流していたりする。だから体力の削減は大きく、巣の中では「ころんだ」という事にしてあるが、よろけることのなんと多いことか。そりゃ睡眠時間削りに削って毎日毎日専門外のことをやり続ければそうなるに決まっているが、このままだと自壊してしまいそうなくらい、結構危なかったりする。私が以前阿修羅面と書いたように、私が手を出しているのは3つ。でもそれぞれに全力を出しているから、流石にもう力が残ってないというのが本当のところ。まぁ記憶力の減退の凄いこと凄いこと。「覚えてないのはその力が残ってないかメモ書きを頑張る事で全部忘れるようにしてるからだよ」、なんてねぇ。
この状態から楽になる方法は、本当に掃いて捨てる程ある。一番の方法は松尾山から降りること。どの道西軍への従軍を決めているのなら他へ奉仕する必要はなく、奉仕すればする程此方の体力が削られてとんでもないことになっていく。だったらもう完全に西軍に入ってしまえばいい。むしろその方が未来は楽になるはずなのだ。
そして、もう一つ。こっちはすっごく簡単でもう何の心配もないんだけど、西軍に行くのを「やーめた」と一言言う、ただそれだけ。これだけでも実は全てが解決したりするのだ。今の仕事がきついなら配置転換までひたすら耐えればいいんだし、その頃にはもう既に鉄壁の地位保障を得ているはずなので、絶対に飢える心配はありえない。それが出来ればいいのかもしれないし、実際世の中一万人いれば30歳過ぎている今、雇用定かならなざる西軍へ身を投じるよりはやめたと一言言って終わるこっちを、恐らく9999人が選ぶに違いないと思う。「西軍? そんなものは知らん。私はここで忠実に頑張っていくよ」、これだけで全てが解決する。私の人生はここで確定し、以後安定した生活が続いていくことになる。
ま、そんな選択肢を選ぶ可能性はゼロ、なんだけどさ(笑)。
病床で死を向かえ走馬灯を見る自分が、絶対にそれを許さないことを分かっているから。果敢に夢に立ち向かっての討ち死に、それを望んでいることを知っているから。この世でいくら蓄財したところで何になる。今のこの時、生きている過程が大切だと知っているから……だから私は戦う。いつでも、いつまででも。普通ならこの年齢であんな手堅い職を得ておきながら就職前からずっと最初から内通、なんてありえない選択肢で、もしありえるとしたら単なる馬鹿かもしれないけど、でも私は”好き”なんだ。そしてそれは、この前の本格的参戦でようやく気付いた。理屈も外聞もなく、好きなんだよな、教育という世界が。何で?どうして?そんなの分からない。でも好き、大好き。すっごく好き。適性の有るなし関係ない。私はここで討ち死にをしたい。ただそれだけが、私の今のシンプルな気持ちだったりするんだよな。
その為だから、今現在どれ程辛くても耐えて行っていると私は思っている。それ以外に松尾山で阿修羅面をやっている理由が思い浮かばない。やっぱり好き、なんだよね。そして恋は盲目、じゃないけど、それをかなえるためなら他はどうなってもいいんだよね。だから……頑張る。自分の夢の為に、そして夢の為に社会人経験を積んでおく事は必要であると判断した、その過去の自分の決断に責任を持つために。立ちくらみで倒れそうになろうが意識が飛ぼうが知ったことではない。こっちはその為に緻密にメモをとっているわけであって、そしてそうなる事も折込積みで戦っているわけだから。
ま、こういう訳でこれからもっと厳しくなっていくとは思うけれど、病床で走馬灯を見る自分に恥じぬように頑張って生きたい。平たく言えば、命を燃やして生きていきたい。なんというかなぁ……この職種について、私は走馬灯を元に見させられた気分だよ。正確には走馬灯を見ている人の心情を一足飛びに知った、とでも言うべきなのかな。だからその意味で私のこの1年は決して無駄ではないはず、日々のかっこう生活で得られる知識や思いも必ず教壇に生かせるはず。だから……今日も明日も当分は、かっこうの雛を続けるつもり。どれだけそれが身体的に辛くても。それを経験して教育界に復帰したときに初めて、私の宿願である「浪○倶楽部」の再現(こんな事宿願にしてるから人生滅茶苦茶になる気もするけど)が叶うような気がする。
しかも既に先方には、このような要望は実はもう伝えてあったりする。貴方のところが幸せに満ち、前途に不安がなくなるまでは貴方の方針に従っての全力での奉仕をする。でももし多少の逸脱が許されるようになったら……私に「浪○倶楽部」を作らせて欲しい、と。私の望んでいる放課後の時間は、大学進学の為の勉強ではなく、際限なく続く下らないおしゃべりと夕焼けの織り成す飴色の時間。それを保障し、更に不思議とぽっかぽかの温かさで補完する場所を造ることをどうか認めて欲しい……これが私が裏切りの代償として提示した唯一の条件で、それを相手が呑んだから私は西軍につくことに決めたのだ
周囲は「その待遇でいいの? あまりにも貴方の捨てる部分が強くない?」と言うが、そもそも私は待遇なんて問題にしていないし、ただの一度も交渉しようと思った事がない。私が問題にしているのはただ一点、いずれ軌道に乗ったら部活として浪○倶楽部を作らせてくれるか、ただ一点なのだ。流石に名称をそのままやると違和感があるので多少名称は変えるが、その許可は既に得ている。本当に待遇とかそういう問題ではない、それが出来るかどうか、その余地があるかどうかだけが私には重要で、それさえあるなら如何なるものも捨てていい、と私は思っていたりするのだ。不景気だろうがそんな事、知ったことではない。私は私の夢の為、ただ全力を注ぐだけだ。
好きである事がある。その為に命をかけてもいい、と思える事がある。辛くても苦しくても、それに向かって戦える自分は幸せだと思う今日この頃でした。でもまぁしかし……相手側もこの条件があったから私が絶対に寝返らない、というのは分からないだろうなぁ……。待遇がどうの、とか言ってるけど、別に待遇をどれだけ良くしてもらったって、天秤の片方が「絶対安全生涯安泰」なんだから変わらないって。私はそんなものでは動かないけど、やっぱり……ねぇ。あと自分が育った中学校への恩返しかな。次のプレゼンで私がやるのは私が昔やった行事を私なりに改変したもの。分家、というわけではないけど、私が御世話になった中学校の血脈を少しでもそうやって広げる事が出来たなら……と思っていたりするわけで。
ま、結論としては「馬鹿は死ななきゃ治らない」ですな。それと「馬鹿相手に常識は通用しない」ということかな。浪○倶楽部の一言で今持っている全ての待遇捨てる馬鹿がこの世にいるとは、多分思わないだろうしね。ま、でも捨てる奴もいるんですよ。その約束が反故にならない限り、私はどんな事でもやっていくつもりです。
松尾山を降りて、西軍として正々堂々参戦した。
元々私の場合、「余程の時期が来るまで表に出るような事は出来ない」という条件を互いに結んでいて(保険の為)、今までも後方支援はしても全面に出るような事はしてこなかった。でも今回突然表舞台に出てくるよう、ようするに西軍の一員として戦場に旗を出せ顔を出せと言われ、私は遂に参戦した。別にそれこそ小早川秀秋のように誤魔化す事も充分可能で、実際今回の参戦は数日前急に通達されたもので準備期間がゼロだった。だからその面からも充分断れるはずだったが、どういう訳だか山を降りた。その山にいさえすれば、自分の平和は崩れないっていうのに。
そして山を降りた私は、ただただ全力で戦った。持っている全ての力と、もう顔出しどころか大声挙げて呼び込みまでやり、更に今まで蓄積してきた全てのコレクションを使って、一応考古から古代・中世・近世・近代・現代まで全ての実物教材を揃えて臨んだ。何としてでもこれ以上の戦況悪化は防がなければ、本当は私の担当方面ではないけれど、とにかく少しでも挽回の一助となれば。あの日私は徹夜三日目で、鉛筆を持つと手が震えるほど疲れていた。でも兎に角歴史を探る面白さを知って欲しい、きっかけはなんでもいいから、日一日と変わる現在進行形の過去の世界を楽しんで欲しい。そんな本音を丸のままぶつけて、結局私の担当は5時間だったと思うが体感時間としては僅か30分。やるだけやって電車の中で失神、気付いたらここ、どこ? という有様だ。
……その時、既に西軍として参加している武将から言われたよ。「どうしてここに来たの?」って。得意分野を封じ込められた状況で、しかも貴方にはそのままいるだけでずっとずっと貴方を、貧困や病気から守ってくれる場所が既に手の中にあるのに、どうしてそれを捨ててここに来るの?って、そんな事。その理由は、多少は言ったんだけど多分分分からないだろうななぁ……いまのかっこうの巣の仕事内容が大きな要因の一つとは言ったけど、それは別に辛いという点じゃないんだよね。ただ単に辛かったら数年耐えて、別の場所へと逃げればいい。そうではなくて何というか……ほら、あんまりフランクに言いたくないけど、人間って死ぬじゃない? いずれ。
だったら安定なんて何の意味もない、なんて思えてきちゃってさ。
私の今のかっこうの巣の仕事では、まるで朝の挨拶のように訃報が届く。そしてその訃報が届いた場合かなり忙しくなるんだけど、私達の場合はその人の生い立ちから今に至るまでの状況を全て知る事が出来るというか、知る事が実は義務に近かったりする。そして私はそれを全て読んでいるけど、その度に「この人はどうしてこんな形になったんだろう」、「この人はこの世に生まれてきて、まだやれることがいっぱいだったはずなのにどうしてこんな終わり方なんだろう」と切なくなって、死に際に見ているであろうその人達の走馬灯を見ていると本当に悲しくなってしまう。
それと同時に、私も思う。いずれ来る私の走馬灯は、本当に笑顔で終われるのかなって。
このままかっこうの巣の中に居続けても多分普通の人生、いや、今までの事を考えれば奇跡的な人生だ。でも、多分走馬灯を見ている私は悔しくて悔しくてたまらないだろう。どうしてこうなってしまったのか。私の人生の望みはそんなところになかったのに。……間違いなく、そんな事を思っている。まぁ走馬灯なんて気にして人生を棒に振ったり他人に迷惑をかけるなんて既に狂っているのかもしれなけど、でも、せめて走馬灯の中で笑う事は無理でも、自分の馬鹿らしさでもいいし、無謀な挑戦でもいい、……苦笑いの出来る自分でいたいよ。
だから、私は西軍の側にたった。担当方面も待遇も全く気にしないのはそのせい、だって、どうやって死に花を綺麗に咲かせるかしか頭にないからだ。絶滅危惧種というかそんな生徒はいないだろうけどさ、もしも走馬灯の中に「先生、不○議事件だよ」って駆け込んでくる生徒の姿があったならやっぱり最高じゃん(結局いい年こいてこれが選択理由の肝かよ!)。
だからもう、表に出ちゃったけど後悔はしてない。それに万が一表に出ても大丈夫なように色々と準備も書類も積み重ねてあるし。でも……今は二言、まずは「疲れた」。あれだけ徹夜して突然の出兵命令だったからなぁ……電車のなかで失神だよ。それと……ごめんなさい、やっぱり私はかっこうの成鳥にはなれないわ。
一歩引いてみているからこそ分かる。私も他の人と同じように或いは先鋒として敵軍と実際に矛を交え、或いは遊軍として敵の隙を虎視眈々と狙っていたのなら、恐らく現状は分からなかっただろう。しかし私はいわば「松尾山」という戦場から遠く離れた場所に布陣していて、しかもどちらにもつく事がまだ可能な立場だ。だから情勢があたかも鳥瞰しているかのようにはっきり見えてしまい、状況の優劣がはっきりと分かるのだ。
何と言えば、いいのだろうか。別に私は敗北を期待したわけではないので策は出したが採用されず、結果、3月の決戦と同じ愚を冒してしまった。あの時も私は1月に「その案は愚策だから絶対にやめろ。そんな事やって勝てるわけがないだろう」と書面でも書いたし口でも言ったのに、また同じ。この8月決戦でも同じような事をやり、そして結果全く同じような事態に到ってしまった。二度同じ作戦をやって二度同じ失敗を繰り返し、一体何を考えているのだろうと流石に私も思ったが、どうも……何も考えてはいないようだった。むしろ意気込んでいるというか、「この難関を乗り切った者だけが辿り着ける! 苦しくてもそれを示すときだから今はっ!」、との事だが、肝心の「どうしてそっちに行くのにそこまでの難関を通り抜けよう、と考える人が多いというのが前提なの?」の答えには「それでもやるんです」しか帰ってこない。
ああ……敗軍の匂いがぷんぷんする……。負ける側の将領って大抵こういう「とにかくやるんです」とか、何も言ってないのにとにかくとかまとめたがるんだよなぁ……。
ちなみに私が諫言した内容というのは、簡単に言うと「難しすぎるからやめろ。というより、難易度にも”種類”がある事を知って」というものだったりする。どういう事か。例えば難易度の全く同じ問題を二つAとBを出して、これを生徒に解かせようと考えたとする。この時、問題にかける時間量をXとし、その分得られる成果をYと表現するものし、かつ、AとBは同じ難易度という前提なのでかかる時間は同じで、X=10の時にその問題を特に充分な成果が得られるとする。
が。
この時、問題の中には
・Y=X
の正比例のグラフで突き進んでくれるものもあれば、
・0≦X≦9の範囲についてはY=0.1X
・9≦X≦10の範囲についてはY=9.1X
という、「最終的な難易度は同じかもしれんけど初期投資が地獄」ものもあるのだ。要するに、確かに時間的にはそれ程かからないかもしれないが兎に角やる気を起こさせるのが地獄のように辛い分野、そういうものがあるからそれも配慮してくれ、ということだ。それとどれだけの要望があろうとも「他人に自分の文章を読んでもらおうという気持ち」だけは忘れてはいけない、その謙虚というか当然の気持ちがなければ絶対に相手は納得しない、とも書いたのだ。
しかしそれは受け入れられず再びそのまま猛進し、結果鳥瞰するといやーな状況になりつつある。最後の最後で、貧乏籤をひいたなぁ……と今はしきりにそれだけを思う。それでも、ま、仕方ないか。ここまで来て旗色をどうこう、ってわけにもいかないし。しかし、厄介な事になったもんだ。
まず私の一番楽しかった大学時代の大半を共に過ごしてくれた、先輩との再会があった。そういう話があるとは聞いていたけどまさかこの日になるとはあまり予想もつかなくて、でも特に構えなくてもあの時のまま普通に話せて。「時には昔の話を」だったっけ。昔どっかの映画でそんな歌を聴いたけれど、まさしくそんな感じで、「あれ、ひょっとして大学院時代に戻ってる? 私?」と何度も思ってた。そしてまたあの人は今でも……私の目標でいてくれている(まぁ勝手に私が付けねらってしかも自爆してるだけなんだけど)。立ち止まろうとするか、もうここでいいか、なんて思う時、颯爽と現れてその甘ったれた考えを粉砕してくれるのがその人だった。その度に私は戦備を整えて決戦を挑むから大変だけど、そうやって努力をしたからこそ今があって、たとえ今がどうであろうとも「充実した過程」を過ごせたわけで。一つの目標に向かっての戦いはその戦果そのものに価値があるんじゃなくて、戦いに出向いたこと、戦いに向けて準備をしたその時間に価値がある。だからこれからも私は、後ろ指をさされ追撃を受ける事は間違いないけれど、それでもまた楽しい人生を過ごす事が出来るのだろうと思っている。戦いは、楽しい。そして人生の楽しみは、結果ではなくて過程の中にある。私は今でもそう思っています。
そしてそのあと直ぐ、実家へと帰った。久しぶりの家族との再会、何でも実家は一度リフォームにかけるとのことで、今の家がそのまま残っているのはこれが最後と言われた。最近あまり手入れをしていないということで庭の木は伸びきり、数本植えた桐の木は隣の家を完全に包んでいた。そんな日の夜、私は今までしてきたこと、そしてこれからやらかす暴挙、その全てを親に話した。私は清算があるからこそその暴挙に全てを賭けるんだけど、それを聞いた親は一言、「部屋を作っといてやるからそこで一生を暮らせ」とだけ答えた。多分逃げる段階で追っ手に捕まる、で、逃げたところでそこでやっていけるとは思えない。そんな親の人生経験を踏まえた言葉を受け、そしてそのまま私は中学時代を過ごした場所へと移動した。
全員が元気、というわけじゃなかった。会いたい人全てに会えたわけじゃなかったけれど、それでも少しだけでもその時の空気を味わえて本当に良かったと思う。月並みだけの、皆苦労している。多分皆、自分は苦労をしていると思っているんじゃないかな、なんて思った。私もそう。どっからこういう苦労を背負わなければならなくなったのかな、それが大人になる事なのかな……なんてしみじみ思っていると、「単にテメェがバカだからじゃねぇか! このご時勢に狂ってるにも程あんぞ!」と殴られた。それもまた、昔なじみならでは、か。
そして。
私が恋焦がれる本当の帰るべき場所へと行ってきた。場所は着々と完成して夢は広がるばかり……と言いたいところだけど、それほど楽観視出来る状況ではないんだなと私は思った。私が今かっこうをやっている巣は教員の世界にはないから、一応今は外部の人間となる。だから会議のやり方、報告に対する反応、データをどう見るか等等、本当に大丈夫かと思えて思えて仕方ない。私もそれ程長いこと居るわけではないけれど、世間はそれ程甘くない。そして失敗していいときと悪いときがある。大博打に出ていいときと駄目な時、それがかならず勝負事にはあるのに……と思ってた。
「厄介な主君に仕えちゃったかな」なんてだから思ったけど、でもそこで戦うと決めた以上、私はやるべきことをきちんとやった。要するにどこまで手の内を明かすか。ここで私がもしも今現在の立場、やっていることを全て話すと、私が万に一つ寝返りを中断したときに「寝返ろうとした痕跡」を密告される恐れがある。私はそのつもりはないけれど、今私は旗を翻しても翻さなくてもいい立場にいる……もし私が何らかの力で寝返りをやめようとしたら。それが出来るのが現在だ。でもここで動けばそれを失ってしまう……だからどうしようかと思った。日和見をしようかな、なんて思った。けど結局……まぁ仕事から住所から所属から地位から全部喋っちゃったわいな(笑)。相手にとって一番困るのは向背定かならない味方だからね。そう思われたくなかったし、まぁこれで私の未来は決まったでしょう。もう、残る事はできない。背水の陣を引かなければ、私は多分また負けてしまうからそのつもりも含めて、ね。
そんなこんなで、この一週間かなりの人と会ってきた。多分私が面識があって会いたいと望む人達の殆どに会えたんじゃないかな。そしてそれは……こっから先の局面が余りにも酷いから、だと思う。今私が抱えている厄介ごとは2件。一つは詐欺行為を働いたお客様への対応で、このお客様は昔一度それを指摘され「先端の鋭利なもの」を此方だけでなく周囲の客に向けて振り回した。で、その人の詐欺行為は一度じゃなくて二度目もあり、その時はポケットから<自主規制>を取り出して<自主規制>をしたんでとうとう契約打ち切り、となった。その人が再び戻ってきてどういう訳だか再契約をし、そして再び詐欺行為を働いた。
今度、その自宅に一人で警告文と詐取分の取立てに行く。
「いっそ刺されてください」、と結構な人から言われる。これは私の性格が嫌だから、ということもあるのかもしれないが、相手方にしてみれば「私が刺されて死ねばその刺した人間は当然刑務所に行く。そうしたらここにそいつは二度と戻れなくなる」、という事が相当切実なようで(その切実さは充分理解してます)、「いっそ貴方が殺されでもしてくれればねぇ。若いんだから、骨の一本や二本くらいいいだろ?」とわざわざ面会を求められて言われた事もある。実際一度殴りかかられ、何とか逃げ出したという事があったが、その時言われたのは「立件していますぐ告発してください!」というものだった。そういう場面というのが結構あって、その延長線上として一人で取り立てに行って来る。それが終わってもしも生存出来るなら(記録を見る限り武器として使っているものがそれ程致命傷を負わせるものではないので、多分大丈夫だとは思いますが)、今度は6月の裏日記の全てに登場したあの人物の詐欺行為の追及だ。私はあの時「裁判沙汰にして貴様ら一家、二度と日本にいられなくしてやるからな!」と言われ、それに対して「構いません。公の場で決着をつけましょう」と返してそのまま裁判の流れにもっていったため、上司に全てを取り上げられた事がある。私としては本当に裁判になっても構わなかった、悪いことをした覚えはないしもししているのであれば裁かれるべきだと思っていたからなのだが、しかし私はそれ以降そのお客様に対して一切の接触を禁じられた。一度報告書を読もうとしたらこっぴどく怒られた記憶がある。
その担当を、もう一度私が取戻す。
その勝負が、最後かな。最期になるか分からないけど。ま、最期の活躍になろうがこれだけは譲れないんで、またここでも勝負です。
以前5月に求められたのが「Show the flag」、そして今求められているのが……「Boots on the ground」。「本当に来年来るつもりなら腹を括れ、日和見は許さない」、そんな向こうの意図が透けて見えるかのような出陣要請が今週の始めにやって来た。要するに「この日に参加する、という形で」本格的に活動に加われということなのだが、5月の時は、”今兵を出してそっちに向かえば現在の勤め先に悟られて滅亡する”といって蹴っていた。それが、今回は二度目の出陣要請と相成った。しかも正式な出陣要請の前に予定を聞かれたとき、「余程の事がなければ、やはり私が出陣してそれが万が一盛れると困るので辞めて欲しい」と言ったにも関わらず、それでもといった来た、結構マジな出陣要請だ。
そして一方……私の手元には現在の仕官先から届いた命令書が一通ある。しかもそれはかなり本格的なもので、発信者の名前の横に真四角でデカデカとした公印がついた、正真正銘の”命令書”だった。中身は要するに出陣要請……しかもその要請日は、その来年の仕官先が出兵を求めるその日と全く同じ。二つの仕官先、その二つが同日に、此方側に参陣するよう促すものだった。
一体私は、どうすればいい?
そのことばかり、私は考えていた。今の仕官先から出ているものは公印付の正式文書だから、この原本を送って来年の仕官先に詫びればそれが嘘ではない事は証明できる。しかしその証明は単に「そこから命令書が来たのは嘘ではありませんよ」というものに過ぎず、またそれを元に出兵依頼を断れば、逆に「貴方はそっちの命令を優先したのか」と思われたって仕方ない。またたとえそう思われる事がなくても、来年の仕官先の重要な活動に兵を送れなかった事実は事実として残るから、たとえそれが不可抗力と判定され不問に付されても私自身が大切な情報、そこで見える相手側の実情や共に戦う人達との交流等を一切、得る事が出来なくなってしまう。しかし今回の現在の仕官先からの動員命令は公印つきのもの。果たしてそれを破り捨てる事が許されるのか。無視する事が許されるのか。では私は、一体どういう返事を出せばいいんだ……。
そんな事を思って、もう毎週金曜日の恒例となっている故郷巡りを行った。こっちにきてからはいつも、この日の夜はここに数時間入り浸るようにしている。それこそ現在の仕官先との飲み会があろうがなんだろうが、全てシカトしてでも来るというというレベルで、この数ヶ月を振りかえっても金曜日の夜にここに居なかった事は一度もない程けだったりする。だから、悩みに悩んだ末、ここでなら結論が出るかもしれない。今回のダブルブッキング、一体私はどう対処すればいいのかの答えが出るかもしれない。そんな風に思ってこの場所に来て……
……そして行きつけの店でしこたま飲んだ後、携帯を開いて、答えが出た。
酒が入っていて少々郷愁に浸っていた事もあったのかもしれない、私にとって一番大切な場所だから、ある程度心が昔に戻っていた事もあるかもしれない。でも私は、携帯を見て心の底から気が付いたのだ。思い出したのだ
昔から変わらない、私の原点にあるものを。
そして、私の最大の欠点も同時に。私は今まで負けっぱなしで過ごしてきたけど、それは……私がいつも退路を心配しながら戦っていたから、要するに今ここ、ここでやらなければ破滅という状況に身をおいた事がないからだ。負けても大丈夫、負けても万が一がある……戦った回数は多いが、なんだかんだ言ったって私はそんな戦いしか実はしていない。万が一もなく負けたら即滅亡、なんて戦いはしてないし、今だってそうなるのが嫌だから悩んでいるのだ。だからこそ、そもそも勝てる状況ではなかったんだろうし、いつまでたっても昔の私、何としてでも戦い抜きたいという私の気持ちに踏ん切りがつかないんだと思う。
それと、分かった。
もしこのままの状態で現職に残ったら、一生を後悔に悶絶して過ごす事になるっていう事実。
自分でも馬鹿な事だとは思うけど。でも、たとえ月を掴もうとする童のような愚行でも、やっぱりやってなければ気が済まないんだ、私は。私は、たとえどれ程実力に差があるにせよ、やはり象徴とは戦っていたいと思ってる。負けてもいいんだ、どのみち私は相手の不幸を臨んで戦いを挑むつもりはかけらもないから。でも、同じフィールドで争えない自分に……私は絶対に耐えられない。しかもきっとその思いは、同じフィールドに立つ機会が完全に消えた来年度以降、私の心を破滅させる程強くしかも一度に襲い掛かってくるに決まってる。だってそうでしょう。携帯の画面を何気なく開いただけで、今まで悩んでいた出兵要請をどうするかって悩みの答えが、一発で決まってしまったんだから。
(本当に私、どうしようもないバカ野郎だな)
空を見上げると、雲間から僅かに月が見え隠れしていた。私がいまからやろうとすることは、あの月を自分の手につかもうというほど、非現実的でありえないことなんだろうと思う。でも、どうやらそれをしていないと、私はすぐにダメになってしまうみたいなんだ。結果はともかく、神様と同じフィールドで語り合える自分でいたい。その隠しようのない本心が分かったとき、私は日和見を辞め、全てをかけてもう一度戦おうと誓った。それからの私は家に帰って掃除をすると、盛大に命令書を破り捨てた。更に命令書をタテに出兵を拒否する、という戦術を捨て、今の段階から全てをかけて勝負に出る旨を伝えた。
まさしく、公然の反逆罪。謀叛と言われても、仕方ない
でもそれでもいい、と私は思う。このまま後悔して死ぬよりはずっとましだ。しかも今回は以前のような燃え狂う嫉妬のような思いでそうなったのではなく、むしろ同じフィールドで勝負したいという前向きな思いの方が私には強いのだ。まぁそうやって綺麗ごとを言っては見ても……あれだけ悩んでいたのに一発解決って、どれ程含むところが大きいんや私は。それにはもう自分自身でも苦笑してしまうレベル、でも、でもそれが自分だからもうこりゃ仕方ないわ。あれこれ言い訳してみても、一週間悩み続けた事が数秒で霧鐘してしまったのだから、もうこうなると「ああ私はこういう人間なんだな……うん、最大の敵は自分自身だね♪」と苦笑しながら過ごすしかないではないか(笑)。
結論として、現行先からの命令書は完全に無視。またどちらにも行かない、という日和見的態度ではなく、今度は完全に来年の仕官先に味方する。そして味方する際は、もてる全てを捧げつくす。そして再び、同じフィールドに立つ。退路のない戦いをやってみせ、勿論狙うは勝利の二文字だ。これ失敗したら滅亡、という戦いをやって、乗り切ってみせる。それが出来て初めて、たとえ結論が勝利でも敗北でもどちらでも、私は前に進めるような気がする。ゆっくりと「時には昔の話を」を聞きながら笑える気がする。
私が積み重ねた経験全てを賭けて、いざいざいざ、勝負ですっ! 確かに今はフィールドが違うけど、私だってそれなりに、昔と比べて学も人生経験も積んだつもりだから。今度こそは絶対に、後悔のない戦いをしたい。その為に、今は退路を捨てて、ただ前へと進むだけを考える。そして今度こそ全力で戦って、全てを思い出に出来るようにするんだ。その為に……今は同じフィールドに戻ることに全力を注ぐぜぇ!
とはいえ、私が大志を遂げるためにはここしかないのだから仕方ない。それでも策を練るとするなら……まず勝手にライバルとのたまっている織田信長については無視するしかない。言いたくないが、実力も勢いも違い過ぎる。織田家最大の強みに太刀打ちできる武器がない……いや、一つだけあるはあるのだが、その武器を磨いたとしても織田家には絶対に勝てはしないだろう。というのもそれが、要するに「飛騨のあっちこっちに要塞を築いて攻めてきたら勝てる、という体制は造れてもこっちからは打って出れない」、即ち自領の防衛が出来るというだけだからだ。まぁそれでもかなり凄いと思うのだが、恥ずかしいからライバル宣言はやめてくれと思う。今の勢いを止める事は絶対に出来ない、弱点はあるにはあるが、そこを衝こうとすると多分家臣が過労で死ぬだろう。
一方越中までやってきた上杉家。ここは昔からの名族で嫌われもするが慕う人間も多く、そして伝統の重みのもたらす重厚な強さは鉄壁である。ここを崩せと……いや、その、姉小路で軍神と戦えと? それ自体どう考えても無理であるし、そもそも戦えなどとは伝統の重みの恐ろしさを知らなすぎるにも程がある。というのも、私も昔このテの場所にいた経験があり、そこで育った人間が一体どういう思考回路をしているかが自分のこととして分かるからだ。誰が他家のことなど考えるか。そりゃ他家が頑張っていれば評価はする、でものんびりとそれが出来るのは、選択肢として上がってくる相手じゃないからではないか。それを評価されているから云々と言われても……相手にしてないからそういう発言が出るわけで、ここを切り崩すなんてこれもまた不可能だ。
信濃の武田勝頼は何とかなりそうだが……ここを潰したところで先がない。そもそもここにちょっかいを出そうとしたら自分のところまで織田家に取られるだけだと思う。だからこそ地道に、恥ずかしい事は言わず手堅くやっていくほかないように思うが、そうやってしまうと地味と思われるかなぁとも考えてしまう。私が考える策は実はとても地味なもので、まずどこの誰が攻めてきても勝てる体制を作ること。派手な宣伝材料、例えば勢いがどうだとか官位がどうだとかは狙わず、ひたすら地元密着で勝負をする事。幸い金山が領内にあるのでどれだけ領地が減っても滅亡はしないから、それを強みとしてじわじわと戦っていくこと。カエルが腹を膨らまして破裂して死亡、なんてことよりはずっとましだと思う、でも地味なんだよなぁ、なんて一人で思っているところだ。
ただ、それでも。再び戻れるというのはやはり幸せだよなぁと思う自分がいる。畳の上で死にたくない、といった武士がいたように、私はやっぱりあの場所でないと生きて池なのだと気付いた。気付くまで相当時間がかかり、その間に沢山のミスをして全身に大怪我を負ってしまったけれど、それでもまだ、そこまで傷だらけの自分でも出陣できる戦場がある。今はそれを幸せに思い、ただ勝つための策を練るだけだ。勝ちそうなところに味方する……今まではそんな考えていたけれど、もう違う。私が頑張って、勝たせるのだ。多分どちらに転んでも終焉の場所、そこでの最後の決戦に向けて、今はただ頑張るのみだ。
そんな事を思いながら、今週一週間も仕事に励んだ。もう同じ日時は戻ってこないんだなぁと思うと、月が替わって、もうこの場所で7月を迎えることはないんだ、と思うと少しだけ寂しくもある。しかしもうそんな事を言っている場合ではない。自分の技を鍛錬し、ただ勝利を。最後の戦いを麗しく飾って、それでおしまいだ。やはり今の巣から逃げるとなると追っ手が相当厳しく、逃げ切ることは出来ても追跡されるからロクな事にはならないだろう。だから来年が勝負、ただただ勝ち抜くだけだ。
だから方針を、次のように変換する。仕事を任されている以上それをおざなりにする事はしないが、それ以上の部分については自分にとって血肉になる鍛錬であると判断しない限り絶対に動かない。それと、今やっている「ああ、この状態なら直ぐに辞めても仕方ないなぁ」と思われるための数々の伏線張りやギミック、そういったものも全て辞める。これをやらないと辞めるときに大騒動になる上追撃を食らう確率もかなり上がるのだが、そのリスクは所詮数ヶ月。そのリスクを避けるために未来への投資を少なくするのは愚の骨頂であるので、何も準備をせず来年になっていきなり旗を揚げる。まぁ、要するに「仕方ないなぁと思われることによって穏便追放を目指す」という方針を捨てて懲戒上等で上役に突然辞職通告を叩き付ける決意を固めたということで、かつ、仕事として任された以外の事については、自己鍛錬に繋がるもの以外は全てやらないということだ。
その上で残りの二面について、更に時間と労力を注ぐ。今まであまりにも危険なので控えていた昼休みの読書を開始し、また資力の全てをこちらの二面に集中させる。基本的に課外の誘いはもうこじつけとしか思えない理由を並べ立ててなんとかしのぐ、裏を返せば相手に仕方ないと思わせる状況を作って逃げる事で最悪の分かれ方はしない、というような小細工もやらない。元々それをやろうとしたせいで猛烈に時間がかかってしまってこじれたり(まぁそんな話は聞いてない、の一点張りをやった時はかえって険悪になった気が……)、病気理由をやろうとしたところ本当に病気が再発してしまい(これは元々実際に病気になって倒れてしまい、救急搬送された事が根幹にある話なんだけど。それの再発、というシナリオを作ったはいいものの本当にぶり返して死ぬかと思った)、まぁこれも手間がかかるのでやらないことにする。要するに「動員をもしも望むのならば、剣を首元に突きつけるか命令書をもってすべし」というスタンスだ。……ただこれやると死ぬんだけどなぁリアルに。これを昔やり通してリアルに竹林でリンチされた事もあるし、あんまりいい選択肢ではないけど、やはり力の分散をするべきではないと私自身も思うしなぁ……。
とにかく、もう恩義だの良心だの、ここにいたら一生涯安定するかもーなんて下らない事は考えない。どうやったって、教壇に居ない限りいずれ後悔に身を焦がすんだから。今はまだ、ギリギリのところで大丈夫。しかし三十代後半になった時もし今のままだとなるとすれば、私は多分後悔で焼け死ぬ。自分の人生への後悔で潰れて、まず生きてはいられないだろう。今までは忙しくてその未来の確実な状況が、私の中でぼやけていた。このままでもひょっとするといいのでは、なんて思いがやはり無意識の中にあったんだ。
しかしそれは大きな間違いで、自分として生きるためにもやはり四度目の仮面浪人、さしずめ今度は”仮面浪人阿修羅面”をやらなければと確信した。だいたい多分私は今回のことについて、一度も仮面浪人と表現した事はない気がする。それ自体が多分甘え、もう戦えないのではないかという弱音、もうここに残っても仕方ないかなという諦念だったのではないか……。
冗談ではない。というわけで、ここに宣言したりする。
四回目の仮面浪人を開始する。円満退社は一切求めず、懲戒も上等の姿勢で臨む。そして追撃兵を出されたら、私がせっせと溜め込んでいる秘密のブツを使い攻撃的に対抗。そしてその後、真の主の元で自分の理想とする夢の世界、私が求めて求めて止まない、理想とする教育の姿を具現化する。その為の人格的鍛錬場、この場所にいなければ得ることの出来ない知識の収拾、そして兵糧供給所としてのみ現在のところでは戦っていく。仕事としての手抜きはしないが、それ以上は一切求めない。勝負、勝負、勝負。やはり戦闘でしか私は輝けないのかもしれない。戦闘ってやっぱりいいよね(笑)。なんかこれやってる限り、私はいつまででも長生きしそうだよ。うん。
まぁそんな事はともかく、こうなれば全ての時間を教育面に集中だ。戦いはまだ終わっていない。まだ私は槍も矛も捨ててはいない。さぁ勝負だ。監視の目を盗んで仮面行為が出来るかどうか、追撃兵を撃退できるかどうか。そして翌年、私の人生全てをつぎ込んだ(恐らく)最後の教育への挑戦が上手くいくかどうか。全てを捨てて全てをかけて、良心を当分捨てた状態で勝負だっ!
この今現在潜入している巣というのは、はっきりいって今までのどのところよりも楽だったりする(除く精神的苦痛)。何と言ってもそう、頭を殆ど使わない。一連の作業がある程度出来ればやれる仕事であるし、やはり巣の性質上、失敗が即個人の危機に繋がるようなことはない。しくじったからといって即解雇、なんて事は絶対なくて、やはり切迫感というものがどうしても感じられないでいる。特に私の巣の場合、やるべき事がない状態の方がずっと世の中的にはいい場所なので、日々の業務をこなしてさえいればこちらからアプローチを、という必要はまるでないのだ。
だからこそ自分で自分を追い込む体制を作ってはいたのだけれど……ただ一方で、ココロのどこか、無意識のかたすみに「もうここらで、ねぇ」と思っていた自分がいたことに今日気付いた。今いる場所ならば、地理的に言えば及第点。このまま黙ってほっかむりさえすれば全ては丸く収まる。第一阿修羅面とか言って日々三つの仕事を同時並行でこなす必要もなくなるし、元々金銭の心配からはかなり遠い場所だから……このままでも死ぬ事はないというのは事実なのだ。
……そういう恐れを感じていたから、身分証明書から何から全てを本当の親鳥に見せて、その上でこの巣に入り込む理由を話して就業許可まで頂いていたのに(笑)。それでもいつの間にか私は、安逸に逃げることを無意識に考えていたのかもしれない。戦いに疲れた(大体大学院仮面浪人から始まって、これで一体何度目だよ……、よ、四回目!……い、一体私の人生ってなんぞー)。というよりもこの年齢でチャレンジして失敗したらもう後なんか絶対にないぞ、そう思っていたのだけれど……。
でも、元々後のことなんて考える必要はなかったんだよな。
人間死ねば土だから、やれるだけの事を生きている間にやってしまう。時間は過去と未来しかなくて、現在は直ぐに過去になり、ほんの一瞬も止まってくれない。まぁ今更そんな青臭いことを言うつもりはないけれど……ま、やっぱり私の本業は別にあるよ。というより、教壇に立てない自分が嫌で嫌で仕方ない事が今の一番辛いことなんだし。ま、アホだよアホ。今のままでいればそれで人生は安泰なのに、でも阿修羅面をやめるつもりはないし、脱走の伏線張りも一切やめない。やっぱり、私はこの道しかないから。確かに日々の仕事は多いけど、この仕事特有の無から造るという試みはやっぱり血沸き肉踊る。こんな経験は滅多に出来ることじゃないだろう、と思うから、全てを賭けてみたくなる。今はその為の研修期間で、私が最後の挑戦をするうえで、その成功率を少しでも上げるための訓練の時間なのだ。その根本を、忘れていたつもりはなかったけど今日改めて思い知った。
その意味でもありがとうだし、本当に良かったと思ってる。まぁ脱走の伏線張りは今のレベルでいいと思ってるけど……私が絶対に残れないように、いっそ宣言をかけてやるか? それともどっか別の場所に突然宣戦布告をかけてしまう(笑)? 丁度今現在、私の巣に執拗に攻撃を仕掛けてきているところが二つもある上、そのうちの一つへは反撃弾を打ち込む準備が整っていたりする。私はやはり執念深いのか攻撃を食らって即反撃を考えかつ整えていて、あとは上司の許可さえあれば何時でも戦端は開けるけれど、一兵卒の私が奇襲をかけても組織全体が対立状態になったと見なされてしまう。でも突撃、かけてみようかなぁ(笑)……ま、そんな事したら最後、包囲網の相手側から無数の砲弾を打ち込まれて即日滅ぼされる気もするけどね。
でも、どのみち私は最後の勝負をかけるんだし、そこの行く為の通過点に気をつかうなんて、私は本当にどうかしてた。別に退路なんて作る必要はどこにもない、とっとと宣言して追っ手をかけたら反撃に出る、と宣言すればいいだけなんだ。勿論追っ手が私の逃亡先を突き止めるとなれば、正直困る。何と言っても次の場所には人生の経験ほぼ全てを投資してるんだから、手を引けといわれても絶対に引かない。一番手っ取り早く確実な、理想の具現化方法。私の唯一の本心、夢の世界を具現化したいという事をかなえる、最もシンプルかつ簡単な手段。
なければ自分で、作ればいいんだ。
それがやりたいから、こんな無謀な策を選んだ。その根本を思い出し、今自分が何をすべきかを改めて認識した。
よーし、では戦端を開いて、絶対に残れないように退路に火矢を放つか。まず奇襲すべき相手の陣地は……。
そんな私にとっては、どんな事でも餌になる。極端な話、いやこれは真面目にそう思ってメモも作ってるから本当なのだが、「説教される」のも極上の餌だ。私はどういうわけだか今まで5人程に既に怒られているのだけれど(笑)、話の内容は別にどうでもいいとしても、その話し方とか怒る理由とかがとても参考になってくれる。例えば
・ある立場の人はどういう事に怒るのか
・怒る際にどういう言い回しをするのか。そして言われた方はそれをどう感じるのか。
・説教をどのタイミングで繰り出してくるか。やらかした時点か、その後か。
ということが主な収穫ポイントとなる。だから説教されながら「ああ、この立場の人はこう考えていて、こういう事をされるとまずいと思うんだ」と思うと共に、自分自身の感想として「あ、この説教の仕方って上手だな。聞いた方に反省とやる気を与えるし」と思ったり、逆に「この説教の仕方だと相手は嫌悪を増すだけで、やる気なんか出ないよなぁ。それに、どこをどう反省すればいいのかも分からないし」等と思ったりする。今までも勿論、説教自身は受けてきた。けれどそこはいつも主戦場で、認められたいと思いもすれば成果を挙げたいと思いもし、かつ負けたくない場所、居られるならばそれはそれで構わないと思える場所だった。だからどうしても客観視は出来なかったけれど、ここは違う。そもそもにして居付く気はないし、それにここの人に認められなくても全然構わないというか、ここの人達の基準で馬鹿にされても「……だから?」と全く困らないので、今まで出来なかった完全な客観視が出来るというわけだ。
質問をする時もそう。仕事で分からない事があった場合に質問をするけど、相手がそれにどう対応してどう返すのか、その口調や仕草などが本当に私には参考になる。質問する側の気持ちも分かる……私は今まで教壇で質問を受ける側だったのでどうしてもこれに鈍感だったが、今は質問する側だからその気持ちがよく分かる。質問する側が質問をする時、どういう言葉のまとめ方をしようとするか。勿論私は仕事で手を抜くつもりはないので真剣に質問するのだが、一方でどうやって情報をまとめているかと自分を客観視したりする。で、相手が質問をうけてどう答えるか。その答え方、前置きのつくりから、話の運び方、指導のやり方。そのやり方自体がとても参考になるし、また「そのやり方で説明をされたときに質問者がどう感じるのか」も自分で分かる。だから私がまとめているデータの中には職務に関する事だけではなく、誰がどういう説教の仕方をし、その仕方でやったときに相手(=私)はどう感じるのかだから改善点があるとすればどこか。また質問を答えてもらった時にも、相手はどういう質問の答え方をしたのか、そして質問をした側(=私)がそれにどう感じたのか。今後教壇に戻るにあたって参考に出来る点はどれか。そういう事を、日々まとめていたりするのだ。
そうしてようやく三ヶ月。だんだんと仕事も厳しくなり厄介な事も増えてきたが、少しずつ少しずつ、人間として成長している気がする。今自分は山菜豊富な山の中にいる。そして山菜は取り放題。下山する時の為に取れるだけとって、その後街に戻って素晴らしい料理屋をひらくばかりだ。
まぁ問題は……山菜泥棒をやらかして山を降りるときに銃撃される危険性が、どーもかなり高いということかな。既に、無傷での下山は諦めてます(笑)。今考えているのは銃撃の中をひたすら低姿勢で逃げ回るか、それとも発砲してくる打ち手のたった一人だけを目がけて突撃して無理心中をかけるか、そのどちらかしかない。前者の場合銃撃は確実に食らうけれども一方で生き延びる可能性は高く、後者の場合その一人以外の打ち手が逃げてくれれば(無理心中に巻き込まれるのはごめんだ、と思って)多分無傷で下山できるが、誰も逃げずに集団で銃撃されたり、もしくは無理心中をかけた相手の反撃が凄まじければ……恐らく死んでしまうだろう。いくら私でも罪の自覚はあって、だからこそ無傷の下山は捨てている。そう改めて誓いつつ、また明日から山菜収拾……もとい、勝負ですっ!
最近はそんな気が凄くする。私は一刻も早く、出来うる限りの事をこの場所で学ばなければいけないから当然やるべき事は多い。その一方で翌年度の準備も裏でやっているわけだから、勿論身体は悲鳴を上げる。既に年老いたこの身体、昔のように馬力は効かないし既に身体はボロボロだ。悟られまいとして耐えていた時期もあったけれど、最近とうとうふらふらになりながら壁にもたれかかっているところを他人に見られてしまった。両面だけでも辛いのに、今度の私は三面だ。支えきれるはずはない。カッコウとしてぴぃぴぃ鳴きながら日々過ごしつつ、良心の呵責と「ここ出て行くとき私は殺されるかも……」という恐怖に苛まれながら、家に帰れば必死になって学問に向き合う。給料の全てをこっちにつぎ込んだから教材については充実したけど、あまりにも時間が無さ過ぎる。でその時間を作ろうとして睡眠時間を削りまくるから当然疲れはとれないわけで。でも私はなるべく沢山経験を積んで短期間で得られるもの全てここで得ないといけないから、必死になってくらい付いて。まー、どれだけ滅茶苦茶でも戦っているわけですよ、私は。正直に言えばこっちの方が仕事は楽かな、と思っているけれど、かといってこの仕事を続けるつもりはいつも絶無で。でも興味がないわけじゃない、ただそれは自分にとって最上級の餌だと知っているから。その餌に興味があるのではなく、それを食べれば自分がより強くなれると知っているからだ。
そんなあんまりにも外道な発想の元身体を酷使すれば、当然直ぐにボロボロになる。でもなんていうかな……目標というか、夢があるから生きていられるっていうのかな。そこに向かって戦うと思っているから踏ん張れる、それを食べて生きている。そんな自分に改めて気付いた。まぁ有体に言えば気力のみが支え。身体は既にボロボロで実際四月にいきなり倒れたりもしたけど、それでもまだ何とか頑張っている。
ここを通過すれば、多分私は人間が経験できるスキルの大半を見た事になる。
だから、頑張る。どれくらい<自主規制>
でも……やっぱりどんな努力でも血肉になるんだよなぁ。
出張先で、それを感じた。昔の私には多分出来なかった芸当が、普通に出来るようになっていた……。それはもちろん、この巣の中で鍛えられた御蔭。とはいってもまだまだ不安定でそれ程頼りになるものではないけれど、もっともっとこの巣の中で鍛えられ列付ければ、きっと来年は雄雄しく巣立つ事が出来るような気持ちに初めてなれた。忠実に、忠実に頑張っていこう。日々の業務をこなしながら来年の準備をしている為常に過労状態だけれど、そうやっているからこそ手に入れられるものも確かにあるんだ。その手ごたえを得て、今日はほんの少し幸せな一日でした。
この調子でどんどん経験を食べて、強くなって復帰だわいっ!だからあと少し、あと少しだけもってくれ……私の心と私の身体。残業も目一杯、来年の準備も目一杯、厄介な状況も目一杯。金銭面の移転費の算段は何とかついた、先方の内通受け入れ状はもう無条件で信じる。あとは私が壊れずに旅立ちの日を迎えることだけだ、それをやれずに死ねるか! なるべく穏便に、でも確実に移転しないと。ただそれまで私は身体はもつんだろうかなぁ……。
となると……いずれ来る修羅場をそろそろ覚悟しなければならない。いや、修羅場を避けるためにええかっこしいを続ける事は可能ではあるんだ。でも……ただでさえ汚銭で生きている事が苦しいっていうのにこれ以上をとなれば私の心が死んでしまうし、媚びる事は出来てもそれをやると反動が大きくて、多分最期の時にリアル血の雨が降る。私も一時期は仕事場に来た相手に仕事を教える立場だったから、聞いてくる奴のうざさは良く分かる、その相手が悪態ついて逃げたと知ったらまぁ……許さんわな。だからそろそろ私としても巣立ち、いや、巣からの逃亡を考えなければならないだろう。
なによりもその準備をしなければ、巣から逃げた後の事が成り立たないのだ。今も毎日毎日それこそ死ぬ思いで時間を作ってやっているけど、やっぱりまだまだ足りないと思う。その時間を増やす事は出来る、出来るが……それをやるとデッドラインを超える可能性がかなり高い。合間を縫えばまだまだ時間は稼げるけれど、そんな事をすればまず間違いなく疑われてしまうだろう。その覚悟をしなければ、とそれでも今の私は思う。何せ次が最後の決戦なわけだから。いつもは必ずシャチハタ印をあえて使ってる私が、持ってませんと嘯いている印鑑証明付きのやつをわざわざ持ち出して使ったんだから、それに答える自分にならなければならない。でも今の自分には実力が足りない。だから養う……たとえ鳥類に啄ばまれたとしても。まぁその経験すらも、覚悟さえ決めていれば餌になってしまうのが恐ろしいところなんだけどね。
うーん。六月は雨は雨でも血の雨か?
「シュレッダーにかけちゃえば?」
確かに苦労はした。部屋に入って作業をするのは正直言って辛かった。でも、たとえ看取る人がいなくたってそれはその人の生きた証で、この世にその人が生きていたことを留める大事な品で、一緒に天に送るならともかくどうして、どうして……そんな扱いをされなければならないのだろう。私がどうして遅くまで残って細かく記録を作ったか、それは無駄だとは思うけれど、最後の最後、その人がこの世に生きていた証を何らかの形で残したかったからだ。死ねば土、そんな事は分かっているけれど、でもほんの僅か、残り香位この世に残したっていいじゃないか。そりゃ確かに生前はあまり良い行いをしなかったのかもしれない。私自身だっ、相当ここまでこぎつけるのに苦労はした。でもそんな事最期にのみ携わった私には関係ない、裁くべき人は別にいるかもしれないが別にそれはその人が裁けばいい、私はただ、あの人が生きていたという証をほんの少しでもいいから残したかった。
悲しすぎるだろ、普通。何も感じないのか、他の人は。その人が残した最期の証が消える、死によって全てを消してしまうことを、どうして普通に出来るのか。そりゃ勿論、そんなもの抱え続けたらいずれパンクすることは分かってる。でも、人の生きた最期の証をそう簡単に消してたまるものか。ましてやそんなところにぶち込んで全て解決……ありえない、発想からしてありえない。気持ち悪い。ついていけない。冗談も大概しろそんな事出来るわけないだろうが。出来ないから……どうすればいいのか困ってるんだし。
この人だけじゃない。私は別の人の最期にも関わったけれど、その人についてもかなり詳細に記録を残した。だって寂しすぎるだろ、何も無く消えていくなんて。そりゃ消えるよ、死ねば終わりだよ人間は。だからって人間はゴミじゃないんだ。生きた証をそう簡単に撤去されてたまるかっ! 確かに部屋での作業は辛かったよああもうこれは地獄だった。でもそれとこれは全然別だろ? 違う? 何私が単に甘いだけなの? それに帳尻は全部あっただろ。別にそれに関して金を請求したわけじゃないんだし、だいたい最終的にどうしても足が出てしまうから自分で病院に行って事務処理したけど、別にそれについての手当ても何も求めてないぞ。親鳥の命令に逆らってまで、そんな不慣れな事を自分でしてまでそこにこだわった理由は、親鳥の命令に従うと何の苦労も無い代わりに複数の人とごちゃまぜにされるからだよ。それが嫌だったから、だから値段の高いところを強引にやって、その代わりにということでこっちで色々やったんだよ。
そんな事をしても意味がない? ああそうかもしれないね。でも悪かったな、私はバカだから「奇跡」ってもんを信じてんだよ。どんな人生も必ず幸福裡に終わるって、心のどこかで信じてんだよ。勿論そんなのほとんどなくてありえない妄想なんだろうけどさ、それを信じるのが人間じゃないの?降り注ぐ奇跡の為に準備をする、それが人間ってもんじゃないの? 奇跡が舞い降りて引き取り手が見つかったときの為に最大限の努力をする、それが人知を尽くして天命を待つ、じゃないの?
あーもう、うざい。いいよもう私が保管しておくから。聞いた私がバカだった。ロッカーの邪魔になる? 大きなお世話だそんな事貴方の知ったことじゃないだろう! 魂なんてものがこの世になくても、でもせめて、誰か一人だけでもその人の事を心に留める人間がこの世にいたって問題ないだろ! あの世も転生も信じてないけど、どっかでひょっこり赤ん坊として人生をやり直してりゃもうそれでいいよ。で、別に他人からどう評価されてもそんな事は関係ないからさ、自分が楽しい人生を送ればそれでいいじゃん。楽しくやれよ。重宝されっぞ、今は少子高齢化だからな。時期的には今頃産婦人科を退院して家の中か? その保育ベッドの上は、安心して眠れるところか? あんな苦しい眠りなんて考えなくていい程暖かい場所か? 両親は優しいか……?
あーもうダメだ、この職業への適性、私はゼロだわ。
……まぁ、親鳥達の考えが荒唐無稽だとは思わない。でも私は絶対に認めないし、耳を傾ける気もない。ただ、自分を飾るような評価をするつもりはない。単に私に適性がないんだ。私が普通に振舞っているように見えて不思議だというのなら、私にしてみれば擬態を見破れない周囲の方が不思議だよ。
教員に戻る前に、とてもいい経験をさせてもらった。今日はこれまで、もう寝るわ。
予想通り聞かれた質問に前回の日記の趣旨を踏まえ、そして答えた。安定しているといってもそれで永遠の命が得られるという訳ではないし、大体それが一体何になるのだろう。まぁ私自身ここまで悟るのにかなり時間を使ってはいるけど……だから私はこの問に対して絶対の確信を持って答える事ができた。それに忠誠を示すべく細川忠興作戦、要するに人質を出して相手の信用を得ようとしていた矢先に連判状が届いたから、もう絶対に内応をやめるつもりはないし(笑)。多分相手側にそんな連判状みたいな意図はなかっただろうけど、一方の私は「これを他人にもたれ、所有を暴露されたら破滅する」ものを現地にもっていこうとしたからねぇ。今の私が破滅するもの、それを差し出して忠誠を……なーんてやろうとした矢先にあっちから来たから。この恩は忘れないです、はい。
それに、だ。……この日本に住む人間の中で、一体どれだけの数があんな体験が出来ると思っているのだろう。条件はさておき、その一員になれるというのが今回の話。そんな話を、一体誰が蹴るものか。こんな面白い人生他にないじゃないか。そんな体験の出来る機会を誰が手放すものか。そう思って、今日も今日とて未来の為に毎日毎日仕事に励む。ここで励めば励むほど、様々な注意を受けて自分の行動が他人にどう見えるか知りそれを矯正すればする程、未来の私に役に立つ。だから仕事も上等、やればやるほど経験が上がり、人間として益々成長していくというわけだ。
ただ、まぁこれは巣の中の同じ立場の人に思うことだけど、私の巣の近くの巣にいる同じ時期に孵化した雛鳥達からは、よく親鳥の注意が云々研修が云々という話を聞いたりする。要するに親鳥の指導と研修が嫌だという事らしいが、私にはこの感覚が全然分からなない。社会人としてのマナーや自分も分からない至らない点をタダで、いや、その日だって給料出てるんだから「金くれつつ」教えてくれる、こんないい話他には絶対に転がっていないっていつも思うのだ。普通ならこっちが金払って当然の事なのに、あろうことか向こうが金を払って私達雛鳥に叩き込んでくれる。これのどれ程貴重な事か。だから私はそういう話が楽しみで仕方ない、それを体験すればする程、今の私にはない能力が身につけられる。そうしたらまだまだ私の力は伸びるかもしれない、自分の望んだ道を再び取戻せるかもしれない。そう思っているから……だから私はそういう話は大好きだし、かなり熱心に取り組んでいる。自分への糧。それが分かっているから尚更だ。
……なーんか書いてたら巣の中紹介の内容がなくなったのでまた明日。親鳥はみんな強力だからねぇ……ここ。役職が上になればなる程正比例して強くなるというトンでもない場所だからここは。いやーもう、私は絶対昇進したくないわ。ここでは(笑)
私はこの二ヶ月で、リアルに人のデスマスクを何度か見ている。死後直ぐのものもあれば一日、二日、一番で三日。流石にそれ以上はないけれど、だから人間が死んだらどうなるかはかなり分かっているつもり。死んだら何もないし、それまで。病院の床で死ぬ間際「こうすればよかった」と思っても人生は覆らないし、「嘘だ、こんなのが俺の人生なんて、俺のじんせい、な……」なんて呟いて意識を失って、ふっと目覚めるとそこは殺風景な病院ではなく自宅、しかも自分は高校時代の身体になっていた……なんて奇跡はまず起こらない。人は老いれば死ぬし、それに関しての奇跡はない。後世に名を残したところで、それが一体何になる。いくら未来の人間が自分の事を覚えていても、当の自分がいないのでは意味が無いではないか。
だから私は、常に今の自分がプラスであることを願って生きている。現在進行形の「今、ここ」を重んじていて、未来についても近未来、翌年とかその翌年とかかなり近い未来しか見ていない。だって人間、いつ死ぬかわかんないし。死の枕辺に札束が置いてあって楽しいか? 葬式に沢山の有名人が花を添えてくれたら嬉しいか? ……なんて書くと刹那的だなと言われるかもしれないし確かにそうなのかもしれないけれど、私はもしそういわれたら一言こう言い返してやりたいと思う。「死ぬという現実を、貴方は自分のものとしてみてないんじゃないですか?」と。
要するに、今の自分が楽しければそれでいいわけで。だから別に私は家族を持とうがボランティアに命を注ごうが、生きていく形は否定する気はない。そう、それで脳内が快楽物質に包まれるというのなら構わない。他人の為に尽くすと自分が楽しい、そう思うならやればいい。家族をもって子どもを育てるといい気持ちになれる癒される、そう思うなら思う存分家族を育てればいい。ただ私はそんな事をしても楽しくはなれない、私が心から楽しいと思い充実できるのは教壇にいることだけ、だから今の所業にしても傍目からはアホそのものと思われるかもしれないけれど、私にしてみれば自分の人生を生ききるために余分なものを切り捨ててるだけだったりするのだ。
心が揺らぐとき、私の脳裏に過ぎるのは今まで見てきたデスマスク。ああなるまであと私にはどれくらいの時間がある? いや、そんな事は無意味なんだ有限なのは間違いないから。だからこそ卑怯卑劣な事でもやる。生きているのは自分自身、自分なんだから。まぁ、短期間でああまで死に触れ続けると決意も固くなるもんさねー。その点は感謝だね、ホント。人生の有限を心の底から実感として思い知らせてくれた。そしてそれによって、私の人生に喝を入れてくれた。
ありがとう。
ほぼ全てのものが餌になる。羽ばたけない自分に憤りと怒りはあるけど、でもそれはそれ。今考えたところで血の惨劇ない限り羽ばたけないから、ならばその時までひたすら餌を食べ続ける。悪人には悪人の意地がある。……っていうよりもこの程度の呵責で外面が壊れるようならこんな悪行重ねられないしなぁ……。
今はただ、膨大な量運ばれてくる餌を食べるのみ。いつか羽ばたけるその日を目指して……ただどうも、産み落とされた巣って文鳥じゃなくてコンドルなんじゃないか?と最近思ってはいるのだけれど。まぁいずれ書くかもしれないけど、ここの親鳥強すぎ。果たして巣立てるのか……。
こんなに教職以外につくのが苦しいのなら、いっそ別の高校の話を受けてしまえばよかった。でも今のままの私だと通じないっていうのは分かっているからどうしても今までにない経験を積まなければならず、それをくれるのはここしかないとも思っている。だから来たけど、今は教職以外に就いている自分に穢れを感じて仕方ない。汚い、穢れている。まさかそんな思いを持っていて毎日地獄の苦しみを味わっているなんて言えないから、先方には適当な言い訳を並べ立てる。でもその言い訳は適当だから相手に通用するはずもなく、結構無限ループにはまりつつある。
相手方に私の問題を解決することは出来ない。だから相手方は私を無視するしかないのだけれど、まさか私が文鳥の雛ではなくカッコウなどとは思いもしないから無視も出来ず、そして構われれば構われるほど私の良心が更に私を苛む。穢れ感に加え、良心の呵責にも苦しむのだ。それでも……無理に笑顔を造り、上司に媚を売り、挙兵命令が来るまでなんとしてもここに残ろうと必死に雛を演じている。無理が出ているのは分かってる。でも、ここはなんとしてもカッコウの雛をやり通す。それが出来なければ、多分教壇に戻っても同じだから。
家に帰れば阿修羅面、三面の準備をそれぞれ一人前以上しなければならない。今月私って、どれ位眠っただろう(笑)。でも「手抜きをすればこの穢れの中に永遠にいる羽目になる」という気持ちが私を支えてくれる……って、カッコイイ表現するのはやめるか。
頭の中を教壇だの教室だのの風景がちらついてしょうがねーんですよっ!
この期に及んでもそんな事言っている自分に一番腹を立てているのは自分だからホント殴りたくなるけど、でも日に日にちらつく時間が増えるんだからしゃーねーだろっ!くそっ。こんなに苦しいんだったら、でもここにいなければ結局教壇に戻っても同じ、だからここで修行を……分かってる。頭では分かっていても全然気持ちがついてこねぇ。あーもう、酒だ酒。って、飲んだら勉強できない、か……。はぁ……。
ま、感情的にならずに粛々と謀叛の、籠城の準備を進めますか。今日は3時間は睡眠時間を確保できるといいなぁ……
形式は違うけれど、今の私にとっては充分すぎる程だ。しかし不思議と、爆発するような喜びはなくて逆に、すっごく自分自身が冷静になっていくのが分かった。私はこっちを取る。約束通り蹶起する。ただしそれまでは逆に今の陣営に留まらなければならず、それでありながら最後は集中砲火の中を籠城し続けなければならない。
……何とも難儀な仕事であることよ。
そんな風に思いもしたが、それでも自分がこの安堵を取ることに変更はないから、予定通りやるべき事を粛々と進める。まずは蹶起までの間に謀叛発覚、もしくは別の理由で包囲殲滅されないように……ひたすら媚を売り始める。私は今までどこへ行っても叛骨でおよそこういう事とは無縁だけれど、先方が○年間しっかり<自主規制>、と言ってきてるんだから仕方ない。それが望みならばいくらでもする……手始めにすっごく上司に都合のいい報告書を作ってみた。まぁあの私がここまで媚びへつらう文章を書けるのかと思うほど酷いものだけれど、もう仕方がない。一定期間はここに残らなければならないのだから。
発覚後の包囲殲滅戦への備えも行う。それとまだまだ目処はたたないが、現在の陣営での役割から少しずつ逃げ、謀叛の準備に備えようとも思う。勿論包囲殲滅されては意味が無いのでそんなに急激にはやらないが、徐々に徐々に逃げていく。逃亡にかかる追撃戦については、もう、覚悟した。通常だと「あいつがいなくなって清々した、クソバカ野郎っ!」と思われるように振舞うのだけれど、それをやると一定期間の籠城すら叶わなくなる恐れが出てくる。だから友好的に接して土壇場で血祭りに挙げるという一番やりたくない、もう良心のかけらもないようなやり方に、今回はもう切り替えようと思ったのだ。これやると後々まで心がぼろぼろになるけど、仕方ない。
そんなだから感動は、あんまりしなかった。ただ冷静になって、いや、冷酷になった自分がいるのには気付いた。必要な事を、ただただ粛々と。邪魔するものは倒す、だけ。
しかも私は、先輩達が私に与える餌を選んでいることを知っている。「この案件が来たけど……まだ高梨さんには辛いだろう。俺が代わりにやるよ、高梨さんにはこの事黙って次に廻しちゃって」……そんな会話を実は私は耳にしていた。それは能力の面もあるし、精神的な事でもある。ただ兎に角、そうやって先輩たちは私に単に餌を与えるだけではなく、何をどう与えるかまできっちり考えてくれているのが現状なのだ。
その上私が直属で指導を仰いでいる方は、優しくても決して甘やかしてはくれない。やるべきことはやれと絶対に譲らないし、それを逃げる術を絶対に認めてはくれない。だから私は幼鳥に相応しい餌ばかりを与えられ、徐々に固い餌を与えられているという状況だ。ぴぃぴぃ鳴けば餌が来る、自分の夢をかなえるためにただただ今はがんばるぞい!……消えろ、私の良心(笑)
……まーデフォルメこそしましたが、こういうやりとりがあったんだと思ってください。阿修羅先から出兵を求められて即座にそれに応じようとしたら、カッコウ先から待った、というよりも「ふざけんなよ、おめぇ」という強制を食らって身動きが取れなくなった。それでも何としてでも忠誠を示したくて強引に欠席願いを出したところ(ああまで無言の強制を受けながら私が強引に書類提出に踏み切ったことに、周囲は相当驚いていたようだが)……現在の君主から呼び出されてこうやって叱責されたというわけだ。
今決起すれば謀叛と見なされ誅される。勿論いずれは挙兵するのだから早いか遅いかの違いしかないけれど、今謀叛するともれなく兵糧線が断たれてしまう。だから何としてでも今は謀叛をすべきでない……だけれども阿修羅先からの出兵要請はどうすればいいのだろう……私はそう思い悩み結局阿修羅先に「出兵要請には応じられない」と答えたのだけれど、それに対して阿修羅先は凄く寛容だった。私がその理由を説明した、ということもあるのかもしれないけれど、「分かりました。大丈夫ですから頑張ってください」との返書が戻ってきて……まぁ籠城兵の士気が一挙に上がったわけですよ。もう信じられないくらい上がりましたからね。天井知らず。士気が一挙に高まったわけですよ。
其方の為ならば死ねる。
単純なのかそう私は思って、まぁそれからは再びカッコウのごとくピーピー鳴いて餌の収拾ですよ。普通なら私を見限ってもいいはずなのに、それを阿修羅先はしなかった。出兵要請を断っておきながら、それでも私の内応を信じてくれた。それに対して……まぁ私は一人で勝手に感動し、そして何食わぬ顔でカッコウの雛に戻ったわけですよ。勿論、力を充分蓄えるためです。頑張りますよ、私は。まさか私が人の言葉でここまで心を動かされるとは、本当に思いもしませんでした。……やりましょう。悪鬼羅刹になったとしても、最後までカッコウをやり抜こう。もー騙されててもいいです。ええ、私が勝手に信じたんですから、最後の責任も私が被ります。いいです、全てをbetします。
そんな思いで……今日もカッコウ先から絶好の餌を与えてもらいつつ遠くの空を眺める私でした。……絶対に相手の期待に答えられる私になってくれる。ただそれだけを願い、今日の夜もまた暮れるのでした。
しかしあの書簡……家老、宿老までは強引に説得して通したんだけどなぁ……。
私の場合、実はそういう意味では嘘は全くついていない。根掘り葉掘り聞かれないから答えないだけで、相手が「当然そういう事だろう」とどういう前提を作っていても、それは相手の勝手な話だ。私がそれを保有していなければならない理由はそもそもないし、共有していると相手が勝手に思い込んだところで私に関係が全くない。多分こっちの方が悪質だとは思うけれど、そういう意味で私は結構考えて言葉を使っているし、完全な嘘というものを今年になってついたことはほぼ一度もなかったりする。それ程実は気を使う……大嘘つきほど実は、嘘に対してその反動の大きさに敏感だったりするのだ。
だから、無用な場面であからさまな嘘をつく人を見るといらっと来る。そこは嘘をつく場面ではない、そもそも嘘はそう簡単に切っていい札ではないのだ。神聖、とまではいかないが嘘をつく以上それ相応のものを賭ける必要がそもそもあって、それがなく嘘をつくのは軽挙妄動以外の何者でもないのだ。
でも流石に……嘘の道を行く人間としてその使い方は乱暴だ、なんて言えないしなぁ……。でももっといいやり方を考えようよ……ねぇ。嘘は一度、やるなら土壇場。土壇場に全てをひっくり返す威力が無い限り使えない切り札。というよりもそういう制限をしないと……私みたいに何も信じられない人間になるよ? 私が一々細かく確認しないと全然動けない性分なのは、果たして一体何故かしら? 真面目だから? いいえ、そんなこと無関係です。そりゃだって、嘘はかなり強い武器だもん。使い続ければその反作用でボロボロになっちゃうよ。ははは……。
勿論私には、これを理由に休むという選択肢はあった。しかしそれを出してみたところで「え、でも休日出勤なんてして無いでしょ? 休みの日は何してるの?」の一言で終わりである。炊事洗濯掃除全てを日曜にやってあとの余りの時間は全て阿修羅面、しかも現在奉公先から帰って即座に風呂入ってすぐにそっちにとりかかるからボロボロなのであって、普通にやっていれば多分体調はそれ程崩れなかったはずなのだ。しかし今現在、そんな事気にせずにスケジュールを推し進めているから身体も何もかもボロボロである。そもそも二股膏薬ですら無理だったのに阿修羅面って一体何を考えているんだ私は……なんて思うが、最早それも仕方ない。決断した道だからやろうと今は思うのだ。
……というよりも。
多分今の奉公先だけだったら私は五月病で死んでる。それに何だかんだいっても、今の私は一生懸命生きていると思うし、日々充実して生きているという気もしている。なんというか、自分に恥じるところが無い(こんな事やっといてそれを言える私自身も凄いが……)。自分は自分の人生の為に精一杯やっている、打つべき手はすべて打っている、全力完全燃焼しているという充実感は確かにあるのだ。この年齢になっても、どれだけ記憶力が衰えても、新しい能力を得る事が出来ると分かった事は幸せだ。昔のような爆発力は無いけれど、昔作った大伽藍を修築しながら少しずつ技能を回復させていく。視界は開け視野は広がり、今まで見えてこなかったもの、いつの間にか見えなくなっていたものまでもが見えてくる。夢、希望、そしてそれに続けるための努力。状況は苦しいけれどもかえってそれが努力の価値を際立たせる。生きているという意味を教えてくれるのだ。
端から見れば、多分私は馬鹿である。折角この歳になって拾った奉公先を捨ててまでもう一度挑戦するなど、最早常世の人になってしまったのかもしれない。でもそう思われてもいい、と私は思う。このまま安定だけを求めて死んで腐っていくよりも、最期にもう一度戦いを挑んだ方がずっといい。新しい力、新しい経験が多すぎて今少しだけ吸収に時間がかかってるけれど、それらも全て生かして最期の夢に張り込む。結構身に付いたもんなぁ、いろんな技能。人間やれば出来る、まぁそれだけ四月は時間が取れたというのが大きいのだけれど。
まだ終わってない。
それだけが私の支えだ。内通先の後詰が来るかどうかは定かではないけれど、それはそれで構わない。私はたとえ何があっても、予定の時間には挙兵する。そして人生の最期の勝負をかける……だからこれからも頑張って「カッコウ」をするぞっ! 己の夢の為希望の為、幸せな人生の為。何よりも死ぬ間際になって「やりたい事はやれた……」と呟ける人生。病院のベッドの上で「あの時こうしていれば……」なんて思って死んでたまるものか。
そんな思いの元、今日も必死に柵を作り堀を深める一日でした。天運は努力によって引き込む。努力を続ける限り、天運は決して消えはしない。最期の頑張りをこの五月以降も続けて、見事謀叛を成功させてみせるぞいっ!
先に戦国武将の話をすれば。件の例で言うなら京極高次等が挙げられるだろう。関ヶ原の合戦で東軍に呼応し、西軍が周囲を完全に囲む中たった一武将で大津城に籠城、攻めかかる西軍に立ち向かいながらひたすら東軍の援軍を待ったという事例だ。この時結果から言えば……東軍の後詰は間に合わなかった。実際のところは京極家はその由来にしてはよく頑張ったといえる戦果で必ずしも軽視されていたわけではないのだが、それでも後詰が来なかったことに変わりは無い。あの時の絶望感はどうだっただろう、なんてやっぱり思ったりもしたりする。
松永久秀に到っては……まぁ上杉謙信と内通して挙兵したわけではないから自業自得としか言いようが無いが、挙兵したものの謙信はとっとと領国へ帰ってしまった。あれをやられたら、もう内通した側は絶望以外の何者も心に抱かない。内通に応じて挙兵したものの見捨てられ後詰もなく落城、そんな例は戦国では数多ある。それが今になったら必ずなくなっているか、なくなっていると断言できるか……当然そんなのありえないとしか思えないのだ。
もしここで後詰を断られたら。そう考えただけでも寒気がしてくる。既に先程の戦国時代の比喩で表現するなら今の私は「むやみやたらに兵糧を蓄えそこらに柵を構えるわ堀を深くしているわの」状態で、一応は隠し切ってはいるけれど持っている貯蓄の全てをこの挙兵の為につぎ込んでいるのだ。当然今の奉公先との事はそれを勘案しながらの状態になるから必ずしも親密にはならないし、第一そんなものを勝ち取るよりも自分の城を修築して矢玉を蓄える方が先決になる。もしこの状態で内通を反故にされでもしたら……私は間違いなく破滅してしまう。そりゃまだこの時期だから溜め込んだ兵糧やら勝手に構えた柵やらを内緒で取っ払って知らぬ顔してりゃいいのかもしれないが、残念ながらそうそう世の中甘くない。発覚こそしていないものの着々と挙兵の準備を蓄えつつの奉公ではやはり性質は決まってきてしまうのだ。
だからこそ、内通先への奉公はもう必死の一言に尽きている。内通先が私の挙兵時に後詰をくれるかどうかは胸先三寸、相手側の心象で決まるのだ。今までのように、既に別の場所に仕官している状態でそれを明かしつつ内通したのとは訳が違うのだ。勿論、現在の仕官先は内通先へ承諾を得ての話ではあるが、ただいつこの約束を反故にされるかは本当に私には分からないのだ。だから、踏ん張る。疑い出したらキリがないから、相手が切りきれないほどの、それこそ後詰を怠れば信頼ががた落ちする程の活躍を見せるしかない。
相手の信用を得るには誠心誠意の奉公しかない。それがなければこの、ひょっとして柵を構えたり兵糧を入れるの早すぎたんじゃ……という思いはきっと消えないと思うから。もう今更内通を無かったことに、なんて出来ないしなぁ。それにされてもたまらない。内通先には「現在の仕官先がどうしても不都合ならば対処する」とまで言っているんだが。ああ立場弱きは内通者。はぁ。
とはいえ、私はカッコウであると同時に阿修羅面もある。裁量の余地が与えられたら、当然その阿修羅面が影響するに決まっている。どうするも何も、話を持ちかけられた時点で答えは決まっている。学校生活は子どもにとって絶対不可侵。そんなものを奪うような決断を私が出す余地は全くない。徹底的に調べ上げ、生き残らせる策を見つけた。反対する人もいるだろうが、恨まれてもそれはそれで仕方ない。手段の為に目的を犠牲にするような馬鹿な真似をするつもりはないから。
恨むなら<自主規制>。
それに、だれがそんな真似をするものか。学校生活の保障はこの世の全てに優先されるのが全世界の常識なのだ(笑)。でも、少なくとも私はそう信じて生きているし、だから泥も矢も今回は全て被るつもりでいる。ここだけはぴーぴー鳴くだけのカッコウではいられない。私の決定は覆らないし、それにいーよ別に職場で無視されるようになったとしてもこれ以降。それ以外の理由で居づらくなるのは嫌だけど、阿修羅面を犠牲にするなんて考えにないもん。
さて、理論武装を整えるかねぇ。
だから……真の上司が求めた「こちらに付くという証を見せよ」に、とうとう応じることにした。証を見せれば最悪カッコウ先に全てが発覚するかもしれないが、それを先方がどうしても求めるのならば、最早私に打つ手は無い。発覚しても構わん、何としてでも自分の人生の軌道修正を成功させてみせる……そう思い至ったのだ。だから今日もとっとと家に帰って、ひたすら勉強の毎日。それがどれだけ真剣かと言えば、遊びの時間を設定しその時間は絶対にやらないと誓っているほどだったりする。それを設定するということは一見不真面目に見えるかもしれないが最も効率的にやろうという計算で、実際この一ヶ月でかなりの力を得られたと思っている。勿論内心はヘロヘロで死にそうでこそあるのだが。
カッコウ側、というよりそれを育てるムクドリだか文鳥だかの思惑は思惑としてあるだろう。それは知ってる。でもこっちはこっちでカッコウやっているのは人生を賭けているからで、申し訳ないと土下座をすることは出来るが邪魔をするなら戦うしかない。実はそう割り切ると私の方としては今かなり楽な場所であり、最悪攻撃者のうち一人を絞って心中に持ち込む=揃って<自主規制>、だって出来るのだ。絶対にそうならないようにと日頃から色々調べ上げてはいるが、今の場合気分でそれを出される可能性が捨てきれない。だからそういう事も念頭に置き、もしも私が<自主規制>になるなら誰と刺し違えることになるのかな……なんて考えていたりもする。これをカッコウとしての良心の呵責の中で出来るのだから、私は相当な悪人だ。
ここが勝負処。
確実に最後の勝負点。
他人の事など知ったことか、が正直な気持ちだ。夢の争奪戦を自分で諦めるような奴にはもはや用はない、というよりもとっとと退いてくれ邪魔だから。私はそんなに人の面倒をみる余力は無いし、むしろ万が一もあるのでどうぞ脱落してくださいと思っている。人生を賭けた最後の勝負、ライバルなんて少ないほうがいいに決まってるでしょう。正々堂々? 人生賭けた勝負にそんなの求める暇があるとでも? 謀多きは勝ち少なきは負ける、それだけのことだ。
そう決意して、とうとう旗色を明らかにする事になる「証を見せよ」に諾と答えた。そうとわかれば、背負ってる物の大きさが違うことを見せ付けてくれる。逃げ場のない人間の最後の力を総動員。裏切り寝返り内通が常態化しているとはいえ、一方でだからこそ、各場所でそこでしか伝えられていない秘伝の数々を身につける事が出来た。あとはそれをもって戦うのみ。さて、準備だ準備。れっつ、ごー。
しかも餌をくれる上にお金までくれるというのだから、巣の中でぴーぴー言ってるだけの私にとっては天国以外の何者でもない。餌の質は極上、だから私には何の文句も無く、また今の現場でも餌の味はかなりきついけどそれでも栄養満点なのは間違いなく、きっと巣立つ頃には立派になっているだろうなと思っている。
そんな最中、本当の親鳥より出兵命令が来た。
勿論答えは諾、である。いまや全てを知っているのは本当の親鳥で、その親鳥から兵を出すように言われた。その為今はひな鳥を辞めて阿修羅面のもう二つの方へと変貌を遂げたばかりである。もちろん、餌くれるほうの親鳥の前では相変わらずぴーぴー鳴くだけのひな鳥だが、裏では出兵の準備を着々と始めているのだ。
と、そんな準備の間にふと、思った事があった。カッコウの場合巣立ちは親鳥が餌をとりに行ったところを見計らって逃げるが、私はいつ巣立てばいいのだろう。もし巣立つところを見られたとき、親鳥は一体どうなるだろう。勿論その対策も打ってはいるけど、出される餌が極上なだけにどうしようかと本当に悩む。でも今は本物の親鳥からきた出兵命令を、ひな鳥としての自分の作業効率を一切送れずにやらなければならない。
難しいけど、がんばるぞいっ!
だからこそ……こっちも辛いんだよなぁ、もう。
私だって苦労はしてる。家に帰ったあとは残りの阿修羅面の準備の為にそれこそ寝る時間も惜しんで猛特訓の毎日だ。ただ一方で、私はこの世界での人脈作りに全く興味を持ってはいない。だって、すぐに消えるんだから。私にとってここはうたかたの夢、決定的に違うのは、一生ここにいなければならないという切迫感を持っていないことだ。持っていないからこそ、私の気分はかなり軽い。毎日毎日学習の日々と思えるのは、それをいずれ役立てる日があるからこそであり、もしそれが主な話だとすれば私もあんまり持たないだろう。だからこそ、すごく悪いことをしているように思う。いや実際悪いことなんだろうし、今までも何回もやったことなんだけど、でもやっぱり今回は辛い。すんごく。
特に同じ部署に配属になった相手には、もういくら土下座しても足りないくらいの罪悪感がリアルにある。苦しみを分かち合える相手では私はありえない、私は同じ立場で同じ目線に立っているように見えて、実は見ているものが違うのだ。だからせめて、私の出来る限りの事はしてあげたいと思っているし、それを仮にしたとしても、挙兵の段階での襲撃は免れ得ないと思う。それでも何とか、出来る限りの事を。こんなに他人の事を思ったのは、多分初めてじゃないかなと思うくらいに考えている。
挙兵を諦めるつもりが寸分もない上、本当の主と逐一私が赴くとき、即ち未来の話をしている現状があるのだから尚更だ。既に金の殆どをそっちにつぎ込んだ、自作のプランも私の夢も、全てそっちにつぎ込み済みだ。今回は今までとは違い、既に先方に旗色を明らかにしてある。私はそちらで勝負するし、それは寸分も歪まない。だから悪人、でもそれでも何とかしたい、なんてやっぱりずうずうしいことを思う今日この頃でした。
懇切丁寧に色々教えてくれる上、ここの人はみんな優しいんだよなぁ……。しかも個人個人が忙しいのが見ていて凄く分かるのに、私が質問に行くとすぐに答えてくれる。間違っても「俺もそんな間違いしたよ」とか励ましてくれるし、っていうかこんな温かい場所にいたのって初めてな気がする。みんなアットホームで、でも勿論私に懇切丁寧仕事を教えてくれるのは、「この後も」私がここでやっていくという前提があるからで。だからこそ時間を割いて教える、だって後続なんだから。これも一種の引継ぎなんだから……。
でもさ。だから死にそうなんですよ、私。何か人間として大切な者を日々えぐられてる気がすごくする。
きっついわ……マジで。今までも阿修羅面(まぁ三面はやったことないけど)をやったことはあるけど、大抵職場がアレだったから知ったこっちゃないと思ったけど、ここはなぁ……皆忙しいのが分かってて、それでも教えてくれるから辛過ぎる……。「そんなに固くならなくてもいいよ、緊張しなくてもいいんだって」と皆が言う。いや緊張してるんじゃなくて良心の呵責でマジで死にそうなんです、私。既に内通の腹を固めて準備を着々と進め、というよりももう戻れないラインまで来ているんです。それにやっぱり、戻るのを辞める気もないですし。
だから自業自得というのは分かってるけど、もう居るだけで苦しいわ。しかもこの苦しみ、当然ながら周囲にはいえない。そりゃそうだこんな事言ったら袋叩きにされてしまう。でも周囲からすれば私が緊張している理由が分からないから聞きたがる、でも私はそれを一言も言えないから更にかしこまる羽目になる。私だって人間、あんなに毎日毎日懇切丁寧に教えられて、内通するけどねなんて思って平気なわけが無い。仕事は確かに辛い。辛いけど、教えてもらうたびに「ああこの人はとても忙しいのに、私の為に時間を割いてくれるんだな。そして私は……その人達を根こそぎ裏切るんだな」と自責の念で潰れそうになる。裏切った後、この人達はどう思うだろう。また一から別の人に教える……そんな手間をかけさせてしまうことになるのか……。後ろ足で砂をかけるような真似をする自分。また一から教え直すことの怒りと手間を考えると、とても皆を正視出来ない……。
なんかここでの暮らし、そういう意味で乗り切れないかもしれないわ。辛いよホント。ここで技能を身につけたらカッコウの雛は、いずれ巣立ってしまうんだから。その上巣立ち先も、もう決まってるんだから。
あー駄目だ。これは本気でヤバイかも。多分潰れるなら良心の呵責という精神面だわ、ここは。
為にやる、試練。そしてこの試練をやり切れればその報酬は物凄くデカイ、いかに年齢を重ねようとも教員就職戦線において絶対勝利を期す事もできる。他を圧倒する決定打を、ここで得る事ができるのだ。そう思えば、むしろここに感謝したい。ここがこの任務をくれたことで、私の教員への道が更に大きなものになったからだ。
ただしそれを本当に会得するには、とりあえずはここの任務をやりきらなければならない。やりきれればあとはこっちのもの、私は一切忠誠先を変える事はしない。全ての準備は既に終わったので、最早内応ですらない(既に一方には全ての事実を通知してしまっているので、日和見をする可能性が弱い為)。あとは時間が経つのをなんとか待てばよい。待てばそれで全ては終わる。それまで……踏ん張るか。
いやこれも阿修羅面の一面、というよりも残りの二面を身体的に維持する為の作法であり、しかも二度も途中で逃げた自分への懲罰だと割り切ってはいるけど……辛ぇよ……ホント(いやマジでホント。きっついわ……リアルで吐き気がするって一体どういうことよ(笑)。同期になっている人と一言会話するたび、自分が<自主規制>気がする。<自主規制>してどろどろになって、一ヶ月もしたら原型を留めなくなる気が凄くする。懲役刑だよ、ホント。でも実際これ、私にとっては懲役刑かな。労働条件が厳しいわけじゃない、ただここに一緒に同期としているだけで……いや、その楽しみの分からない私が馬鹿なんだとは思うけど、でもダメだホント。同期に嫌われるのは屁とも思わないけど、いくらなんでもここまでとは……。
しかし、何事もやはりプラス思考。これを見せてもらったから、もう次は絶対に私から退かない。何があっても残ってやるああ足の裏だって舐めてやる何だってしてやるさ! そしてその為にはまずそっちに行かねばならず、そしてその為にはこの一年……翌年度も食っていけるだけの金を整えなければならない。追放は論外、残業もいっぱいして、兎に角来年教育に専念できる状況を作らなければ。
全ては、教育に戻るための苦行。今自分がいるのは今まで罪を犯しすぎた事で行くことになった牢獄、懲役、血の池地獄。そしてこの一年をクリアしてはじめて、私はもう一度教育の最前線に戻る事が出来るのだ。
ただゴメンなさい。本音を書くと……こんなんだったら非常勤のダブルを選んだ方がましだった……。いくらなんでもありゃダメだ……本当に相手には悪いと思うがリアルの吐き気はどうしようもない。臥薪嘗胆。今は来年の私の為に金を貯める時。その為には、どんなことだってしなければっ!全ては来年の為、くそっ、ここまでだと知っていたら間違いなく非常勤ダブルの方にしたのに……まぁそっちだと金銭が貯まらないからどの道ダメなんだけど。はぁ……。
で、今日はその阿修羅面の一つの事をやってきたのだけれど……その過程でやはり人間は客観的にはなりきれない、どうしても自分の主観を捨てる事が出来ないんだなぁという事を嫌になる程痛感した。例えば水泳が大好きで大好きでたまらない人は、「水に入ったらみんな楽しくなるに決まってる」とどうしても思ってしまう。そしてもしも教える立場になればその発想の元に水泳を教えることになるから、「水入れば大丈夫。だって水泳だよ、楽しいに決まってるよ」というノリでやってしまい、大体が失敗に終わってしまう。っていうかそれを社会科で私がやらかして、あっさりと滅亡した事も実はあるし(笑)。
で、今日会った方との話をした感想は将にそれだった。「いや、それは貴方がその科目が好きで好きでたまらないから”それでいける”と判断しているだけで、逆にその科目が嫌いで嫌いでたまらない人(というか私)にとっては地獄絵図以外の何者でもないっすよ」という一言で済むような話だったけれど、当然そんな事面と向かって言えるわけが無い。というよりも言ったって、当人は絶対に気付くことなんて出来やしない。私だって社会科は誰がやったって面白くない筈がない、料理で言うなら社会科は最高級松坂牛だからどんな料理をやったって絶対に美味しいと信じていたし、それが嘘なんてありえないと確信的に思ってた。同僚予定者の作ったプランは将にそれで、その科目が好きで好きでたまらない人が「好きになるよね、だって絶対的に面白いもん」というもので、……正直、その科目で中学高校苦しめられ続けた私にとってははっきり言って不愉快ですらあったりする。
じゃあ私のプランはどうだったのか。実はこれも主観的な部分から全く抜け出ていなくて、「こんな教科つまらないに決まってる。ヘドロなんて料理したって絶対美味しくなんてならねぇよ!」、という立場そのもので造ったものだった。だから私は相手にそういう意志を感じたため自分のプランは明かさなかったが、実は二人で全く正反対だった。私には相手のプランがその科目を好きになれない生徒には地獄のようなものに見え、そして「この人は多分先天的に、それこそ理由は分からないけど嫌い嫌い大嫌いっ! ってその教科を思う人の気持ちは絶対に分からないんだろうな」とその性格に対して感想を持った。って、そんな偉そうな事は本当は言えないんだけどね。というのも、これが社会だったら立場は確実に逆転していただろうし。もし社会科だったら「とにかく嫌いな生徒を作りたくない。毎日苦しむ生徒の姿は見たくない、だってこの教科ヘドロだし」という発想は絶対しない。多分今日会った相手以上の攻めのプランを作ってくる。だからこそ、嫌になる程分かってしまう。今の相手に忠告しても、絶対に理解はされない、と。多分先天的に分からないんだ。苦手で苦しむ人の気持ちが。
とはいえやってる事が阿修羅面である以上、この事ばかりに関わっているわけにもいかない。別の科目の話もそろそろというところだし、また別の、これは全く分野違いの話もそろそろ本格的になり始めた。でもなんというか、あの相手に私と同じ過ちを繰り返させないであげたい、とそんな事は強く思う。嫌いな人もいる、やればやるほど嫌になる人もいる……それを理解しないと多分授業なんて出来ない……「どこが分かんないの?」と聞いたら逆上する生徒の気持ちなんて多分分からない。分からないところが分からないから腹立たしいのに、と言っても多分、「じゃあ○○○○から復習していこうか」と言うだけだろうし……。
今日はそれで終わったけど、明日は阿修羅面の三つ目の事で一日出ずっぱりだ。三月でこれなのだから四月になったら一体私はどうなってしまうのだろう。衰える体力と記憶力、それにも関わらずまだ燃え滾る野心。その野心にやられて全てが壊れてしまう可能性が一番高いように思うが、まぁ来年度は最後の勝負。ただせめて、私と同じ過ちを犯させることだけはないようにしたいし、同僚予定者と戦争になってもいいからそれだけは折を見て忠告するつもりだ。
本当の嫌いに理由なんてものは存在しない。
その心境にさせたら最後、如何なる言葉も通じない。
ほんと、キツイからなぁ……一旦嫌いになってしまうと、あれは。
そういう時に役に立つのが省略の極意というか、今年一年間の勉強で身につけた範例学習のやり方だ。公式を全て覚える事など出来ないから、公式をその場で導き出せる定理だけを筋で覚えてしまう。言うなればデータを普通の容量では持ち歩けないからZIP凍結のままにしておき、使うときだけそれを展開してその場で使い、そして終わればそれを消去してZIPに戻すという感じ。昔はZIPにする必要なんてなかったからそのまま覚えていたけれど、今はこのZIPへの圧縮率がどれ位高く出来るかが全てを分けると言っていい。
その為に必要なもの、それはやはり探究心なのだなぁと思う。少なくとも、そっちに向けて必死にやっていく決意。私は片一方に力を入れ続ける事は出来ないからそれがどうしても出来ず、といって中途半端にやると最悪双方からたたき出される可能性もある。しかし今までやってきたとおり、心が別の所に確実にある状態での戦いでは恐らく他者は出し抜けないだろう。基より出し抜くつもりなど毛頭なく、他者は他者で勝手にやってくれればいいし、別に攻撃もしないしされてもどうでもいいので知らないのだが、それでも選抜を食らったら多分生き残れないだろうなぁとも思う。
それでも私が選んだ道。前回、前々回と違って今回はかなり危険な道を歩んでいる。最悪、人生が終わる可能性も今回の場合はリアルに孕んでいる。それを防ぐために予め探りを入れ調整をしているが、果たしてどうなることやら。ただそんな無茶をしてでも本領安堵を捨てたいのか、と問われると答えは決まっているからどうしようもない。ま、そんなこんなで日を過ごす昨今です。
……いや、正直言えばかなり迷った。迷って、しかも、その状態を継続していく勇気も力もまるでなかった。昔のように旗色をぼかしたまま動くなんてもう出来ない。旗色を鮮明にし、そして「寝返りを止める」という選択がやりえないところまで自分を追い込まなければ負けてしまうに違いない。前回の都奪還戦の時も「都まであと300mの所に自宅を構えて自らが”都落ちの劣敗者”である事を毎日痛感する状態にし、私の最大の武器であり力の源である”劣等感”を高める」という乾坤一擲の勝負に出たはいいものの、三足の草鞋作戦の末結局私の体力がもたずに滅んでしまったわけだし。
それに、実を言えばこのような挙に出ているのは私だけではない。それはそれは数多くの人が自分の夢の具現を目指して各地で多かれ少なかれ、同じような事をやっているのだ。皆今、危険を冒している。夢は叶うがそれは一方冒険でもあり、たとえどんな立場の人間でもそれに乗っかっての安泰はない。しかし逆を言えばだからこそ夢、自分の意志さえあればいくらでも変えられる世界に身をおけるわけであって、私自身、その危険を嫌って夢を叶えられる場だけを求めるような卑屈なやり方はもう取らないと、心に決めたのだ。
ただそれはある意味、自分の限界を悟ったとも言える。私はかの梟雄、松永久秀公のように表面上は笑顔で接しながら平気で毒を盛ったり暗殺するような真似は出来ない。これは私が人でなしではないから、ではなく単に勇気がないだけの話。悪になることは楽でも、外道になるのはかなりキツイ。自分の信じる悪の為に如何なる手段も辞さない、というところに精神状態をもっていくのは相当な力がないと無理で、私の今までの失敗は全てこれが出来なかったことによるのだ。それは私にも人情があるから、ではなく単に弱いというだけ。悪なら悪と自らを割り切り、笑って人を騙せる勇気さえ私に備わっていたならば今のような状態には決してなっていないに違いない。つまりこれは私の善悪の問題ではなく、それはもう悪確定で、要するに決断力のあるなしの問題でしかないということだ。
ただこの点については……もう諦めた。私は悪でも小物だから、多分最後の最後で日和見を決め込むに違いない。要するに裏切りの采を振る決断力がないわけで、これに関してはもう妥協する。その為に前回は自分が動かざるを得ない状況にするという手を使ったが、それがあまりにも辛くて失敗してしまった。だからやり方は変えるが、それでも根本的には同じ事をやっていくつもり。決断力がないなら、そしてそれを補う何かもないなら、別の力で自然と私がそうなるように追いやればいい。その意味で、まだ正式ではないけれど旗色を決める最初のステップを踏む事はで来たと思う。
期すべき明日に備え、それぞれがそれぞれの最終準備を進めている。私がその参集に応じる際に持ち帰るものは、多分他の誰のものとも被らないはず。皆と同じものを持ち帰ってその中で一番よいものは出来ないけれど、違うものなら価値が出る。ただその時にそれが評価されるかどうかは……私次第。相応しい兜首を用意できるかどうかは私の努力にかかっているのだ。だからとりあえず、頑張ってみる。帰参の日までほんの僅か本来の道から外れるけれど、それでも必死になって頑張っていきたいと思う。
たとえ何があっても。
実際、私自身もそのタイプである。内定取り消しが3回。そのうちの2回は健康診断の連続失敗で、これに関しては本当に毎回死ぬ思いをさせられている。もう1回の理由は経歴証明の失敗、過去自分がどこでどういう事をやっていたのか、履歴書に書いた事が事実である事を最後まで証明し切れなかったのだ。勿論私は手を尽くした。しかし、これは冒頭の内定辞退とそれを乱発した際の報いの話しに繋がるのだけれど、見事に古巣に逆襲を食らってしまい、とうとうその書類を揃えられなかったのだ。今日はその時実際にあった事について書いてみよう、と思う。
何年前だったか。ようやく次の場所が見つかって後は経歴証明をするだけ、という段階まで行った時、私は相手側から履歴書に書かれた経歴を証明するものの提出を求められた。初任給換算で使うのだろうか。まぁ私としては履歴書に嘘を書くことはないので最初は普通に、過去勤めた職場に「という訳なので経歴証明になるものをくれ」と手紙で書き送った。この時送った職場の数は三つ、そのうち二つは数日のうちに返答が来て書類手続きなどを含めても二週間で整ったが、もう一つだけがなしのつぶて。普通郵便だから不着もあったのかと思い、二週間後再び速達で送ったが又もやなしのつぶてで、切羽詰った私はあまりやりたくなかったが事務に電話をかけたのだ。
すると。
「そんな手紙は届いていません」という返事が返ってきた。そんなはずはない。私はきちんと手紙を書いたし住所も確認したのに……、と思う気持ちはあったものの今の問題はそれじゃない。経歴証明さえ出来ればいいので「分かりました。ではこの電話で証明の申し込みをしたいのですが」と話したのだが、何故か相手は「そういう事は手紙でお願いします。口頭では一切受付できません」とのこと。何だそれ?と先程に続いてまた疑問に思ったが、相手がそういうのならば仕方ない。今度の手紙は翌朝十時便、出した翌朝の十時までに郵便物が届く上配達経過をインターネット上で追える郵便局のサービスを使って、相手に確実に届くようにと手配をしたのだ。
しかし相手からの返答は皆無だった。流石にこれはまずい、期限も迫っているし何とかしなければと電話を再びかけたところ、今度は「今事務は人事システムの更新の時期で、昔の記録を引っ張り出すには半年かかる」という何ともあからさまな答えが帰ってきた。郵便の不着、口頭での受付不可、そしてありえない半年という言葉。ここまで来れば鈍感な私だって相手の意図くらい分かる。私はそれでも「正式なものでなくても構わないので何とか証明を出してくれ。というよりそれ義務でしょ?」と、後半は口には出さないものの行間ではしっかり匂わせつつ交渉したが、相手が既にこの挙に出るときに覚悟を完全に決めていたらしい。私のこの申し出に対しての相手の答えは、「今システムの更新期にあたるので一切発行できない。ただその代わりこの事情を私達から直接話すので
貴方の勤めようとしている人事課の電話番号を教えてもらえますか」
というものだった。……冗談ではない。こんな対応されている状況でどうやって次の勤め先を教えられるものか。それに私は、ここまで酷い対応をされる覚えがバリバリにあり、冷静に考えてみれば「そりゃ邪魔したくもなるよなぁ」という結論に自分でさえなっていた。教えたら何を言われるか分かったもんじゃない、いや、分かってる。教えたら間違いなく、私が最後っ屁でやらかした一件を通知するつもりなのだろう。その一件は事務にとって相当腹立たしいことだったようで、絶対に許すつもりがないらしい。確かに役所に駆け込み訴えをやって、結果結構な大事になったのは申し訳ないと思っているが……それにしてもここでそういうことをやってくるとは。
話し合いは平行線で、とうとう私は必要書類をそろえる事が出来なかった。先方は当初それを気にしていなかったのだが、その際の先方が発した「じゃあ入職前に出してね」という気軽な言葉にさえ私が頷けなかったことを不審に思ったらしい。いや、最初はそんな重いことすら考えてなかった。単に私の事務手続きが下手だったという観点でものを見ているようで、「とりあえずこっちで証明出来るようにしてみるよ」と満面の好意で言ってくれたものだ。私は最早何も居えず、まさか「やめてください」などと口走ることさえできはしない。結局その場はそれで終わったものの、恐らく好意いっぱいの相手が私に代わって証明を求めるような電話をしたのでしょう。
それから十日。私は粛々と内定取り消しの連絡を受けた、というわけです。
恨まれる覚えは充分にあるので、あの時の事はしょうがないと今までは思っていた。しかしこういう事を書いているということは、今の今、また「同じ問題」が起こっているという事だ。今度はこっちは絶対に引かない。前回のような事をされたらたまらん、どんな手を使ってでも証明を引き出してみせるつもりではあるが、とにかくこじれにこじれて仕方ない。一体どうなるのか。遠い昔のことと赦免が出るか、それとも戦犯は永久に戦犯なのか。というわけで内定を全く信用する事が出来ない、今日この頃でした。
勿論あの心理テストがどこまで信用できるかどうかは謎、という事はある。実際私は二度目の挑戦では”いつものように”テストを受け、82%をたたき出すことに成功した。いくら私がこのテの事に長けていても、流石に2%が82%になることはないだろうから、やっぱりこのテスト自体の信用性がないのだろうか。だとすればまだ私にとっては救いだけれど、でも素でやった時の数値は確かにあれで、それが現実として降りかかっている気がする。今回で二回目。実は双方共私の側の事情は同じ……内通先への寝返りを効率よく行うために深い関与は絶対に避けたいという事情が共にあったとはいえ、両方が同じ結果に陥るとは……。
それともう一つ。さぞかし専門家がじっくり造ったに違いないと思われるものも、実際は信じられない製作体制で造られている事もあるという事を今回のプロジェクトで痛感した。こんな超絶いい加減な態勢でそんなもん造んなよ……というのが本音、という事を書いて今日の日記はおしまいだ。
「いずれ旗色を鮮明にするにしても今中立を破るわけにはいかないからなるべく関与はしたくない」という私。
こんなに相性のいいコンビはないだろうな、と私は最初思っていた。前回の日記にもあるように確かに不愉快ではあったのだが、しかし相手が自分ひとりでやりたいという思いは私にとっては一番の理想でもある。それでも報告書は書かなければいけないから手放しで喜べる、とまではいかなかったが、互いが本音を暴露しあうことさえすればこれ程上手く行く二人はないだろうとも思っていた。実際互いが互いの行間でこの主張を出し合ったせいか表面上は上手くいき、相手は自分の意志を押し通し、私は極度の介入をしないという中立スタンス維持に必要な絶対条件を守る事が出来た。これでこの話は終わり……なんだ予想よりもあっけなく終わったなと思っていたのがつい数日前。しかしそうそう事があっけなく終わらないのが私のいつもと言うべきか、業とでもいうものなのか。この良好な関係は、最高責任者からのメールで一気に崩壊、結局いつもの通り、決裂かつ修羅場を迎えなければならなくなった。
一言で言うと、最高責任者がそのプロジェクトを一人でやりたいと思っている相手がその最高責任者宛に送ったメールを、どういう訳だかよりにもよって……私の所に送ってきたからだ。
簡単に補足すると、今携わっているプロジェクトは私が補佐役で相手が主担当、そして主担当の相手が最高責任者に完成品を渡すと言う形式なのだが、主担当である相手はこまねに最高責任者にメールを送っていたらしい。私はというとあくまで私は主担当の補佐であって最高責任者に直接の差配を受けているわけではないので、メールなどは一切していなかった。それにも関わらず最高責任者から数日前突如メールが来て、そのメールには本当にどういう訳か相手が最高責任者に送ったメールの中身が記されていたのだ。
でもって、問題はその中身。
まぁ何というか……愁訴というのはああいうのを言うんだろうな、というものだった。それこそ落城寸前の城の城主が必死に救援を求める手紙のような、もう切迫感ありありの「救援しなかったらひょっとして祟られるんじゃないか?」とさえ思えるような文面だった。しかもその助力依頼の中身は本来ならば私に送られるべきもので(その為に私が補佐役にさせられていたので)、しかも私に送ったメールの行間に書いてあった「全部大丈夫。私一人で出来るから」というメッセージとは全く逆のシロモノ。要するに「このままでは立ち行かない。援軍を」というのがその長いメールの全てで、これによって実際はかなり苦しんでいるという事が私にも分かってしまったのだ。
いくら私が鈍感でも、このメールをわざわざ送ってきた意図はすぐに分かる。半分は現状を知らせることと、もう半分は叱責。「補佐役として一体何をやってるんだ」という事なのだろうし、それは疑いのない事だろうと考えた。だがそれでも私はすぐに動く事はなく、その送ってきた最高責任者に確認のメールを出した。「どのような役割を私に求めるのか」というのがその趣旨で、理由は自分の権限の範囲を確認してからでないとどう逆恨みされるか分からないからというのが一つと、万に一つ私が中立の旗を違う方に向けたとき、このある意味利敵行為ともとられかねない所業を弁明するための余地(命令されて仕方なく)が欲しいと思っていたからだ。
果たして最高責任者から戻ってきたメールの中身は、「補佐役の任を果たすべし」ということで、具体的に何をするかも細かく書いてあった。で、私は当然任務である以上この命令書に従って作業を開始したのだが……その途端、相手が突然ブチ切れた。今まで私の好き勝手にさせてくれるというスタンスだったのに、いきなりこの対案提示は何なのか。どうしてこの期に及んで口出しをしはじめたのか……まぁそんな雰囲気がありありと相手から伝わってきて、そして相手が心底嫌な思いをしている事がよく分かった。
一言で言えば「一体何様?どうしてこんなに口を出すの?」というのが相手からの返事で、嫌悪感というか憎悪にも似た嫌な感情を向けてきた。しかしこれに関しては、私の側にも言い分がある。「貴方があんな縋るような救援依頼を出したから、こうしなければならなくなったんじゃないか」と。私だって本意ではない。相手の気持ちは良く分かっているし、また相手がその気持ちのままに行動した方が私にはずっと利益だったんだ。私はこのスタンスを守ろうとしていたし、最高責任者からメールが来ても尚、命令確認という形で抗い、貴方への介入を避けようとした。大体ここで深く介入しようものならこっちの中立の旗が危なくなるんだぞどうしてくれるっ! と本当に反論してやりたい気分でいっぱいだったが、残念ながらそれは出来ない事だった。それをするには「貴方が最高責任者に送ったメールは全て読んだ」という事を暴露した上、その最高責任者から私に改めて直接命令が来た事を告げなければならなくなる。しかしそんな事をすれば最高責任者と相手の関係は間違いなくこじれるし、相手の面子も丸つぶれになる。だから私は文句を言いたいのをぐっと堪え、何とか冷静さを装い続けたのだ。
だがそうとは恐らく知らないだろう相手は納得がいかない、というか許せないという発想のようで、今現在なんとプロジェクトから降りる、とのたまっている有様だ。但しこれに関しては私も絶対に認められない話で、私はこの通告に対して、こういう通告が来た事とそれを受ける気が全くない事を既に最高責任者に伝えてある。今更私に振られても困るし、それに私はこういう経緯でプロジェクトを引き受けた経験がその昔あって、その末路が一体どうなるかということも知り抜いている(あの時は私がプロジェクトを引き継いだものの、その後その元の担当者が私のやり方に切れてプロジェクト成果の無効を要求。要求と言うよりも無効になるように実力行使に出た為、私はお詫び行脚に奔走されつつその元のプロジェクト担当相手を説得する羽目になったというのが本当のところ。あの出来事は多分生涯忘れないです)。だから絶対にそれは嫌、それにそんな事をしようものなら旗を万が一返したときに言い訳が出来なくなる。では一体それがどうなるのか……というのが今の状況だ。
何か貧乏くじだよなぁ、という気が凄くする。対案作りだって相当時間がかかったし、それでも相手の主張したいことを丸々受け入れてそれを作っただけ。だから頼むから私の意図を察して欲しい、と強く思う。私は介入する気などさらさらない。責任者が自らの意図のままに動くのが当然の話で、ましてそれを望むなら私は諸手を挙げて大歓迎だ。ただそれなら……その状況を覆されるような真似はしないで欲しい。私が動いたのは命令が来たからでそれ以外の何物でもない、はっきり言えば命令さえこなければ私は絶対に動いたりはしなかった。という明文化できない真実を分かってほしいと切に願う今日この頃でした。
あともう一つ言えば、私は個人的な理由から結構気分を害している。私は昔っから、そして今でも物語を書く事が大好きで、特に最近は「いかに相手に読んで貰うか。最初の十行で放り出されない物語をいかにつくるか」に物凄く神経を使っているつもり。だからそういう気配のかけらもない、読んでもらおう分かってもらおうという意志を全く感じられない文章を読まされるのはとても不快で、私が積極的に関わろうとしないのは単に見るのも嫌だから。がさつな言葉遣いにも嫌悪を覚える。一言一句を脳髄搾り出すように格闘している一方、ああも放漫な言葉遣いを出されてしまうと本当に気が滅入る。聞く気がないのなら自分ひとりで突っ込んで爆発すればいいだけの話で、そこまでつきあう必要はないと強く強く思っているのだ。
というわけで今、「どんな内容でも必ず相手がキレる報告書」というものを書いている。褒めようが貶そうが意見を言われたというだけでキレるんだから、書いてるこっちは全くもって甲斐がない。どんどん意見が欲しいといわれたが、それが単なる建前に過ぎないのは経験上分かってる。だから私は実は一切意見を書いてない、意見書提出には応じたものの実際の中身は見聞した事実を私というフィルターなしでただ羅列しただけで、あれを普通に読めば私が口出しを避けたがっている事がすぐ分かるように書いたにも関わらず、もう一度意見をという展開になってしまった。正直に書いて欲しい、という事だが、そんな事すると戦乱が起こる。どれだけ言葉を弄ろうが私の感想は「不快」の一言なので、長ったらしくしても嫌味っぽくなるだけだし、それに言葉に対する感受性の違いもあるだろうから平行線に決まってる。それでも、そんな意味のない報告書を書かなければならないとは。
さてさて。一体どうやってこれを書けばいいのか。別にどんな内容でも提言を食らった時点でキレるのだから開き直り的な意味で悩む必要はないけれど、それでもこっちとしても意見を書く以上それに責任を持たなければならない。体験として分かってくれたらありがたいけど、褒めても嫌味と思われるし批判してもキレるという人は本当に対処に困ってしまい、私としてはどうしようもないというのが本音のところ。カルシウムでも一緒に送りつけてやろうか、なんて思っているのは内緒だが、それが私もやったことのある状態だからなんともはや。ああいう状態になった相手はもう放置するしか手はない。何言ったってキレるんだから。
触らぬ神に祟りなし。相手が責任非保有者ならば命がけでも止めるが、責任保有者なんだからそのまま突進して自爆なりなんなり勝手にすればよい。と思うのだけれど、そうも言ってられない。結構辛い立場にある今日この頃でした。
実際、今もそう。決断してからというもの以前よりもぐんと集中力も気力もあがって、往時の力をかなり取戻せた気が凄くする。つまり私が一番力を発揮できる状況と言うのは現在進行形で謀略をやらかしている時、ということで、ある種の悪行に身を染めている時こそ最強になれるという事か。本当に今自分の性根が嫌になる程絶好調で、絶対に最後になるであろう悪謀を成功させるための下準備で日々忙しく、そして一応の準備はもうこの時期に完成させた。旗色を決めたといえども示すかどうかは別問題で、示すところには示すけれども必要ないところには示さない。そのタイミング、そのやり方等など……考えれば考えるほど脳細胞が増える気がする私は、やはりどうしようもない悪人なんだろうなぁ。でも、それでもいいか。人生は一度きりなんだし。
さて、となると一つ大きな課題があるので、今はそれの習得に必死です。水軍だろうがなんだろうが、しっかとやってみせましょう。やる以上は全力、全てを捧げて準備開始だ。
勿論、やるべき事はやる。するべきことはする。しかし以前のように、それこそ内通しているという事実があるが為に余計猜疑心をかきたてないようにと過敏になった結果、必要以上にフルスロットルをやらかして滅亡という事だけはしたくない。道は見えた。どうせ今までの悪行三昧でもしもあの世があるのなら地獄確定のこの身。見えている未来に向けて突き進むのみだ。
尤も……ハードルはまだまだ山ほどあるけどね……。
そうやって今考えているのは、何とか中立状態を維持できないかという浅ましい考え。方策はないわけではないが、これをやるとなると双方に強烈な迷惑がかかる。私の側としては書類を取り交わしている訳ではない為相手もその程度に考えていたと思いきや、先日当地にいってそんな事まるで気にして無いことに気付いた。手柄次第の条件について詫びられ、それでもやっていけるかと心配された。あれが一番堪えた……ああ、やっぱり昔よりずっと心が弱くなってる。昔は大仰に「ありがとうございますっ!」と言いながら心の中でそっぽを向けたけど、あの時は一瞬絶句した。私はあまり他人を信用して無いから、そもそも手柄次第という条件自体を信じてない。人間不信こそが私の力の源、他人を信用しないから出来るだけ自分の力でやらざるを得ず、結果多方面の修練が必要になって今に至っているというのに。
何というか、「どうしてここまで他人を信じるの?」という思いが私の中にはある。ああその思いも駄目なのか。私が逆の立場なら旗色を鮮明にしない人間に機密事項など絶対に話さないが、それは私が人間不信だから?私は立場を鮮明にしないということは当然別のところと話をしてると判断するけど、他の人はそう思わないのか?うーん、駄目だループだ。昔の強さが懐かしい。というよりも最近、昔やった事の罪悪感が何となくじわじわ蘇りつつある。仮面浪人……は最終的にリンチされた上退学理由に実名入りでそれを書いたら何と退学届けが「却下」されるという顛末があったから、まだチャラと考えられても、その後の事は……。いやあの時だって、私一人が大暴走して先輩のいう事をガン無視したせいで同級生が連帯責任を取らされていて、実は私の知らないところで同級生も又激怒していたって話だったか。実際教授も、同級生を止めるのに必死だったと言ってたし……。
あーもう今日の日記はやめやめ。もし私が本領安堵を破り捨てる事が出来るなら、あんな中途半端な介入じゃなくて全力爆発でもっと良いものを造れるように全力を傾ける事も出来たのに……。
昨日から一晩明け、冷静になって事を進めた。本気合流の為に用意していた決定的な情報は全て伏せ、一文だけ読んでいると違和感こそないが、全文読むと何となく意味の掴みにくい返答へと差し替えた。私は言葉にする際かなりその内容を選ぶので、断言して有利になる状況で断言しない場合はまずもって一物あると考えてもらっていい。ただ私も流石に今回ばかりは苦しくて(本音を言えば合流したいが、諸処の事情でそれが出来ない。しかも昨日ここが沈み行く泥舟だとはっきり分かったから……)、だからこそなるべく行間から此方の本心を悟ってもらえるような書き方をしたつもりだ。
丁寧過ぎる物言いは叛骨の証。距離をとり距離をとり、万一の時に備える一策。しかし……辛いなぁ、ホントに。一体どうするよ……。ただでさえ今現在、昔やらかした今と同じような事、そしてその結果生じた大惨事についての罪の呵責に苦しんでいるっていうのにさぁ……。年をとれば取るほど、昔やらかした内通やら裏切りやらで迷惑をかけた事の罪悪感が、あの時は全くなかったのにも関わらず、次から次へともたげてくる。良心的な扱いをされればされるほど、こっちの心は死んでいく。そして芽生える。泥舟でもいいから突っ込みたいという、厄介極まりない気持ち。例え今まで陸戦ばかりをやってきて突然水軍の将にされたとしても、そこを奇跡的努力でやりぬけないかと言う思い。私は今までこのテの思いを「現実が分からぬ妄想。勝ち目のない戦で野戦に出るのは脳味噌が病気になっているだけ」と切り捨ててきたが、今回ばかりは捨てきれない。戦って散るか? いや、それをすれば別のところから追っ手がかかる。
一度裏切り行為をして失った純粋な心は、もう二度と戻ってこないんだろうなぁ。都奪還は私の積年の夢。今裏切って山を下りれば、それが確実に手に入る……。いつまで悩み苦しめばいいのか。悩み苦しめば苦しむほど、周囲が迷惑を蒙る。しかし即断すればそれが失敗したとき、いいや成功しても「あっちの方が良かったのでは」と悶え狂う。しかしその悶え狂う時間を作ろうとする行為そのものが罪なのだ。
もうどうすればいいんでしょ。私は。全てを捨てて一気呵成に挑むか……その勇気が。都を捨てて勝敗の分からぬ世界に突っ込む度胸が、果たして私にはあるのか……。しかしそれは匹夫の勇ではないのか……。
ただ見ていて、卑怯未練に取り付かれずに真っ直ぐ生きられる人は幸せだなぁと本当に思った。もしこの場に、私が内通の一件なく立つ事が出来たらどれだけよかっただろう。本当にそう思った。いや、本心では多分違う。本当にそう思うのなら、内通後の本領安堵を約した件を破談すればそれでいいのだ。それをしないのは……今日で確信したけれど、志は高いけれど多分実際は泥舟では、という考えがあるから。一歩引いてみてるから結構情勢は良くわかるつもりで、、最初は上手く行くだろうが絶対に途中でドロドロに沈むとしか思えなかった。
それを防ぐ方法は一つだけあって、多分それは私にしかできない。私が泥舟に沈むと判断した最大の理由は人事で、かつその最大の癌が残念ながら私なので、私が身を引くのが一番いいと判断した。前々から思っていたが、はっきり言ってあの人事は正直おかしいと思う。ほぼ全ての陣容が確固たる状況であるのに、私の所属部署だけが雑兵まみれ。戦国風に言うなら、将来の大器かもしれないけれど初陣の将と本来は陸の大名なのににわか水軍の指揮を取るハメになった将の二人が、この所属部署の守将なのだ。戦いに及べば、ここの陣容が真っ先に崩れるに違いないだろう。初陣の将を立てる事を絶対悪とは言わないが、それならば経験豊富なその道熟練の老将をこそすえるべきだと私は思う。仮に私が本気で指揮を取ったとしても……そもそも自分のところが櫂の漕ぎ方から学ばなければならないのに、援軍なんて出しようがない。
しかもこの初陣の将が将来の大器を予想させる人物なだけに、余計惜しいというか私では活かしきれないという思いが強くてたまらない。恐らく開始当初は上手くいくだろう。しかし私の経験上絶対に初陣の将は中盤で疲労困憊になり、ひょっとするとすぐに崩れ始めるかもしれない。そこに老練の将が入って立て直したならばともかく、今回はまず自分の陣容を整えるのがギリギリのラインがサポーターだ。援兵を出せば即刻崩壊。そしてここが崩壊すれば一気に構想は瓦解するだろう。で、最大の問題点は、この瓦解ポイントが当の部署担当者にしか分からないということだ。
……仕方あるまい。あとは時期の問題だが、空手形になったら元も子もない。一度寝返った人間は、もう二度と正道を歩く事はできんよ。おてんとう様の下堂々と決戦に及ぶ事はできんよ。そんな絶望的な気持ちになりながら人生を迷い狂うはた迷惑な今日この頃でした。
だから日和見……こう考えると、世に悪名高い小早川秀秋の気持ちがよく分かる。未来が分かるわけじゃないんだから、一度目ののろしでなんて行動するのはほぼ無理だ。内応の罪は加速度的に重くなるもので、更にそれが相手だけでなく自分の精神も凄まじい勢いで蝕んでいくのは知っている。いや……知っているなんて単純なものじゃなくて、何度も経験しているから、それは身体で分かってる。でも、それでも旗色を鮮明に出来ないからどうしようもない。それが出来れば楽になるけど、やっぱり私には出来そうもないみたい。一度目の狼煙には日和見、そうやって情勢を見極めていずれ……でもそれをやると心身共にボロボロなんだけど……。
さて……残っているのはどんな道なんでしょうねぇ……。
これも前回同様、例を出してみる。以前どこでだったか無神論者の人間と会話した事があって、その時その人は「神様はいない。人生は一度きり。来世もあの世もない」と声高に言い続けていた。私としても同じような考え方をしていたので特に抵抗があるわけではなかったが、ただ一方であまりにも自信満々にそれを言うのでこんな事をふと聞いてみた。
「というと……例えば末期の老人が”あの世はあるよね、あるよね”と言ってきても、そういう主張をするつもりですか?」
我ながら間抜けな質問だったと思うが、それについて相手は一瞬の躊躇もなくこう答えた。断っておくが、別に相手の考えは無神論者で変わらない。それでも相手はこう答えたのだ。
「あるって言うに決まってるだろう」
……まぁ例え話にすると何でもない事のように見えるが、要するに相手の思惑によって伝達される情報はたとえ善意でも歪められる、という事を考えるべきだという事だ。例えば私がこうやって必死に予め注釈を入れている理由であるところの公務員試験に関する情報だって、「可能性はありますよね」とどうも相手が「真実を教えて欲しい」という願望ではなく「嘘でもいいからあるといって慰めて欲しい」という意図を持って求めてきたとするならば、どう伝えるかは正直迷うところがある。厄介なのはこの判断があくまで情報を求められた側の恣意で行われること、つまり相手は実は事実を求めているのにもかかわらず私が願望と誤解した上、それをかなえようと善意に情報を歪める(=正確には相手に都合のいい事実のみ(真実ではない)を抽出して伝えた)という可能性があるという事だ。勇気付けてあげたいから、景気のいい話を伝えたいから。相手が本当に単なる願望を表現していたならそれでもいいが万が一真実を求めていた時、善意であっても虚言、という事実が成立するのだ。
情報分析はだから本当に難しい。どうやって体験談をまとめようかと考えると特にだ。善意でも悪意でも情報は捻じ曲がる。むしろ善意の方が本人に悪気がないだけタチが悪く、見抜く事も難しい上相手の人格や信用度で見抜く事も出来ないから(逆に言うと悪意の情報提供者はその人格や口調、人柄からその情報に嘘が混じっているかどうかが推測できるのでずっと楽)余計厄介だと私は思う。例えば公務員試験にしたって、「どれだけ年齢を重ねていても”通訳だの弁護士資格だのがあれば”合格できる可能性はあるよ」という事実について、””で囲った部分を省いて言う事は出来る訳だから。で、その事を言っている時はまぁ善意の側に立つから、相手だってそれを見抜く事は難しい。しかもこれも、””の部分を言わなくても真実ではあるんだよね。ゼロではない限り、可能性はあるわけだから。
という事も踏まえつつ、情報には接していきたいなぁと思う。ここには当然書けないけれど、私は実際に風説を流布している現場を見た事があって、その時は本当に酷かった。「ここまでいけしゃあしゃあと嘘がつけるのか!」と驚いたときもこの時で、以来私は絶対に面接の控え室では喋らないことに決めている。やっぱりそこら辺を何とかしないとこの情報化社会は乗り切っていけない、そんな風に考える今日この頃でした。
で、この話のミソはどこにあるかというと。あくまでこれは作者の見解なので真偽の程は確かではないのですが、
「拳銃の弾を座布団如きで防ぐのは絶対に無理」
というところにまずあって、更に核心としてはその事を「長老格の人間も知っていて」、かつ、「作者自身も知っていたが一切それを若い者に言わなかった」というところなのだ。
具体的にもう少し説明を加えると、作者曰く、ああいうように嘘を教えてさえおけば、いざ出所後に万一敵として遭遇した場合、その相手を確実に葬る事が出来るようになるというメリットがあるから、そういう事をするらしい。しかもそういう噂は伝播するから、一人の若い者に教えてその若い者が出所すれば、それは上手く行くと団全体に広がる事もありえる。もしそうなれば勿怪の幸い、敵に回った場合はその構成メンバーが根こそぎその方法で攻めてきてくれてくれるから、自分は簡単に生き残り勝利を得る事が出来るようになる。その可能性は高くはないがゼロではない、だから日々の積み重ねとしてこうしていつ相手が敵に廻ってもいいように核心の情報は嘘を流す……というのがこの長老格の人の意図だ、というのだ。
しかしこの話のミソは、これだけに留まらない。文章によると作者はそれが真っ赤な嘘である事を知ってはいたが、一切それを口にしなかったそうだ。理由は、長老格の人間と同じ。「その方法を実践する人間が増えれば、自分にも有利になるから」。仮に横から訂正しても、有利な点は何もない。むしろ必ず死んでしまう方法で突撃してくる人間が増えた方がずっと得で、少なくとも教えない事による損はなにもないというのがその理由らしい。こう書くと何だか悪者のようにも読めてしまうが、あの世界は相手が死ななければ自分が死ぬ世界。長老格の人の考えと同じように、わざわざ敵を強くする思考はないということだ。
私は情報に接する時は、この事を常に頭に入れておくべきだといつも思う。情報提供者の言っている情報が真実とは限らない。むしろそれは相手にとってのみ都合のいい、自分の将来敵になるかもしれない人間の力をなるべく弱体化させるための嘘である可能性があること。そしてそれがいくら多数の目に触れていても、真相を知っている人間が必ず訂正をしてくれるとは限らないこと。その情報の流布が自分にとって都合がいいと思ったら、その他人は必ずしも真実を教えてくれないこと。そしてそれが、勝負の世界を生きる上では卑怯でも何でもなく、普通の行いである事……私はそれを、いつも肝に銘じているのだ。
だから私は、利害関係をまだ有している人間の情報は注意すべきだと思っている。何せ、相手を自分の思い通りの状況に誘導したいだけなら、嘘を付く必要すらないからだ。事実総数を100だとすれば、相手が勝手に誤解せざるを得ないようにその中から50の事実を選んで提示すればそれでよい。提示された50は確かに事実だから嘘は付いていない事になるが、相手の誤解を誘うという目的のチョイスだからその50だけを見ると相手は必ず真相とは違った解釈をする。勿論情報提示方法としてはそれは卑怯だしこれを意識的にやる人はいないと思うけれど、でも偶然にこうなってしまう可能性だってゼロではないのだ。そしてそれを信じて突撃すると……座布団を防弾チョッキ代わりにして弾丸飛び交う中に突撃、という事と同じ憂き目を見るのだ。
その情報を晒す目的は何か? 自己顕示欲? 奉公心? 暇だから? 相手のフィルターがかかって表現されているけれど、その相手が実際に遭遇した事実は一体なんだった? そういう事をしっかり考えなければな、と思う今日この頃でした。
そもそもテレビの収入源であるCMは、企業が購買意欲を高めるために流すものである。ということは購買意欲を高めるに資する、もっと言えば購買意欲が高まる余地があると見越したからこそ流すものであって、毎日不況の話ばかりをし続けて購買意欲を冷えまくらせている状況では、そのメリットは薄まるだろう。端的に言えば、毎日派遣切りで責められている企業が仮にCMをテレビで打ったとして、それが肯定的に捉えられるだろうか。まず否定的に、お前ら派遣切っておいてなんなんだ、と取られるに違いないのではないだろうか。
今の例は特定の企業についてあげたけれど、他の企業についても、もうCMの意味は薄れていると思う。というのもマスコミが徹底的に日本の未来を暗く表現する為、消費行動を起こそうという意識がまるで盛り上がらないからだ。たとえどんな立派なCMを造っても、毎日毎日、それこそノミシラミを一匹ずつ潰すように希望を打ち砕く番組運営を続けられてしまっては、消費者の購買意欲は何をやっても上がらないだろう。そうなれば企業は当然の如く撤退し、この段階でテレビ側は企業を留意するか放逐するかを迫られることになる。ここで企業を留意するには消費者の購買意欲を高める方針に転換する事が必要だけれど、しかしその為には明るい日本を報道しなければならなくなる。ではそれが出来るか……まずそれは絶対に無理な事だと思う。
となるとどうなるか。テレビ側が「日本は絶望」という主張を変えずに生き残るためには、「日本が絶望」と思われた方が儲かる商売と手を結ぶしかない。つまり日本に希望が多いと思われた方が儲かる企業、一般的な製造業とは仲良くやっていけないのなら、逆に絶望が思われた方が儲かる集団、宗教や保険といったそういうものと手を組むのが自然というわけだ。「日本の未来は真っ暗だ」という報道の後に「○○新発売」といったって人は動かないが、「日本はもう死しかない」という報道の後に「宗教」のCMを持ってこられたらこれは動く。つまりCMがテレビ内容と連動する、テレビ内容が今の道を突っ走れば突っ走るほど広告効果が上がる、そういうところと提携しないともうやっていけないと思うのだ。
だから来年は、恐らく宗教が流行るだろうと私は思う。宗教関係のCMの位置がどうなっているのか分からないけれど、それに類する存在がかなり表に出る来ると思う。一般企業ではwin-winの関係に決してなれないが、宗教であればwin-winになれるのだ。施錠不安になればなる程宗教は増えていく、それは歴史が証明していることであり、かつ、今のように暗いニュースばかりが出されている状況が続きかつこの状況でも金儲けを考えるなら、宗教と手を組むしか生き残る術はないということだ。
ただ私は純粋に思うのだけれど……派遣切りの映像を流し、それを見る視聴者の意図は一体どこにあるのだろう。ネットカフェ難民、その手の特集が随時組まれる=つまり視聴率がかなり高いのは何故だろう。それだけ社会問題に人々が関心を持っているからだろうか。いや、果たして……それだけか? そういう素地があるから、巷間には暗い話しか流れないのかもしれない。いいや、そういう意味で言えば流れているのは暗い話ではなく、本当は……その話から視聴者が受け取っている本当の要素は……。
本当に派遣の問題が危ないと思っているのなら、政治的アピールの部分ばかりを切り張り報道するのは絶対におかしい。本当に派遣切りを食らった人が、真っ先に「自民党がどうのこうの」と言うか? 政治がどうのと言うか? その質問、問答の最後の方に連発でごり押ししただけ違うんか、と。何か昨日だか今日だかどっかの自動車メーカーが派遣切りを辞めたと決めたらしいが、その報道も「裁判で負けると読んだから」という、お前は姑か! という悪意っぷり。それもまぁ真実なのかもしれないが、人間、善行積んでも褒められないと分かったら、誰も善行なんてやりゃしない。それに教育界には「褒めて育てる」という技術がある。私はこれがかなり苦手でどうにもやりづらいんだけど、肯定感を与えなければ絶対に何も成長しないというのは確かにそうだと思う。私自身も最大の失敗は、目前の知識注入に意識が行き過ぎて肯定感とか自主性とか、そういう感情の部分を全く考えなかったことだと考えていて、そういう形成の部分が如何に重要かを最後の方に思い知ることばかりだった。だから私も人の事は言えないけど、この事は絶対に肝に銘じておきたいと思う。
自己暗示力は強い。褒めることによって得られる力はとても強いと思ってる。人間ってやっぱり精神的なものだから、実際の事実よりも思い込みの方が影響は大きい。だからその思い込みをしっかりと適性なものにすることが必要なのだ、なんて自分の過去のことからも思う今日この頃でした。
裏切る人間程、実はそれがどれだけ卑劣な行為か分かっている。裏切る為にはまず相手から信用されなければならないが、結論に裏切りがある以上その際は心を完全に偽って接することになる。しかも元々”偽りを言うのだ”と思うから、相手が言って欲しいことを忠実にトレースして発言することになるから、ことによるとそれで信用を得てしまう事もざらにある。自業自得ではあるけれど、その裏切りの中でずっと生活していくことの、これの何と辛いことか。裏切り行為をやっているうちはその罪の自覚はないけれど、それが終わり裏切りをやった対価を得た後、まるでボディーブローのように効いてくるのだ。果たして自分はこれで良かったのか、あれだけ悪いことをしたのに報いが来ない……そんな事ってあるのだろうか、と疑心暗鬼に陥っていく。
そのスパイラルに嵌ると、後ろめたさからまた裏切りたくなる。その場にいる事が裏切りの成果だと、もうそれだけで耐えられないのだ。いつ報いが来るか、いつ反撃を食らうか。裏切りで成り上がりそれを維持するのは至難、余程の精神力がなければ無理だと思っていて、そして私はその力には欠けていた。大学院で仮面浪人をやったときはまだ良かった。根本原因は仮面浪人であったけれど、最後のきっかけは先輩院生三人による竹林でのリンチにあった。制裁を受けているから気分的に楽……あの時竹林で口の中を切るわ打撲はするわ、挙句教授に訴えても誣告扱いされるわとんでもない目にあったから、もう報いは来ないだろうと思えたのだ。
ただその後の就職仮面浪人は、まぁ本当にキツかった。私のやった事も滅茶苦茶だったし、言ってる事も滅茶苦茶だった。元々私にはそこで残る気がないからかなり自由で、相手の望むままの言葉を言い続けていた時期もある。しかしその度に私は他人を騙しているわけであって、例えばそれぞれの場所では正規採用の人にしか教えない秘密というのがあるのだけれど、それを教えられたとき本気で引いた。「他に持っていかれたら困るから」と言われて教えてもらったけれど、私は元々他へ行くつもり。その時言われたデータは全部頭の中とパソコンにあって使うつもりはないけれど、その時それを打ち明けている相手を見ながら「ああ、騙してるんだなぁ」とずっと思っていた。また「心配しなくてもいい。ここは絶対に潰れないから、一生安泰だよ」と言われた事もあったが、その時も良心はぎゅうぎゅうに締め付けられた。私は「生きていけさえすれば待遇は別にどうでも良くて、それよりも日一日を努力したい」と答えたけれど、それは単にここにいる気が全くなかったから。更に言えば日一日努力したいと相手に感心されるような殊勝な事を言ったのは、「日一日努力して積み重ねる事で、次の採用試験に有利になる材料を造るため」だった。だから嘘ではないけれど、明らかに相手の求めているものとは違う……そういう発言をするたびに、心の力は減っていく。相手の好意を無碍にする行為は、やればやるほど自分の心を壊すのだ。
どうすればいいんだろう……今私の頭にあるのはそれのみだ。内通状態を保つ為の精神力は莫大で、今の私にそんなものは全くない。じゃあ内通勧誘を蹴る事ができるのかと言われるとそれも辛く、だからただただ今は迷っているのだ。いや答えは決まっているけど、その答えに基づいて動いた時に私の精神がどうなるかの自信がないというのが本当のところか。人生に一度、一度でいいから本気で○○○をやってみたい。今までずっと○○○をやってた時は内通者だったけど、たった一度、一度でいいから本気で、言い訳無しで○○○に従事したいのだ。その思いはどうしても止められなくて、でも一方で私は別のことにも興味がある。今年一年の戦いは、本当に皆に幸せになってほしいから(というよりも私のような裏切りの連続で地獄を見る人生を歩む人を減らしたいから)志望したわけで、その思いには嘘はないのだ。
ただ正直な所……あまりにも今まで嘘を付きすぎてしまい、私自身もうどれが本当でどれが嘘なのか、全くわからないのだ。嘘を付く時に一番大切なのは、それを相手に見抜かれないこと。だから私は嘘を言う時、「如何に嘘をうまくつくか」ではなく「どうやってそれを本当のことだと思い込んで自分の記憶を改竄するか」に焦点をあてた。その結果……自分でももう嘘と本当の区別が難しくなってしまった。嘘をそのまま真実と認識するシステムが出来てしまったので、一体どれが本当でどれが嘘なのか、私自身もわからないのだ。勿論嘘であってもそれは私の感情の表出ではあるのかもしれないけれど、でも、どれが本当の思いか自分でもよく分からない。まぁこれが裏切りの報いか……と思うと納得するところもあるけれど、でも、このままでいたら来年の今頃はとんでもないことになっているような気がする。
救えない人は救えない。クリスマスの夜にその事実を再認識した今日この頃でした。たとえ悪人正機でも私は全く救われないだろうな……時間が経てば経つほど、過去やらかした内通の罪の重さがのしかかる。まぁ、それを背負って業突張りに生きなければならないか。もう過去は全く変えられないんだから。
ただ習熟度を上げるという面だけから見るとするならば、英語に触れる時間が長ければ長いほど、やはり英語は上達すると思う。何と言っても、言語だから。言語の習得過程は「まず耳で聞いて発音し、それがどういう表記になるのかを本などで読んで書いてみる」というものだから、確かに耳で聞くという過程抜きでの上達なんて無理だろう。それに本当に英会話をやりたいと思うなら、やはり英語でインプットされたものをそのまま英語で分析して英語でアウトプットする、というシステムが必要になる。途中で日本語を介在させる、例えば聞いた英語を一度脳内で日本語に訳し、そして日本語で考えて喋るときに英語に変える、ということをやっていたとするなら、恐らくは会話なんか出来ないだろうと思う。
そういう意味では必要なんだけれど……じゃあ理屈なしで本能で覚えきれるか、というのは謎なのだ。文法や言語の配列等は全て生得出来るもので、それらは形成された言語を後付的に補完するために造られたものでしかないのか。そうであるならば聞いているだけでも覚えられるとは思うけれど、私としてはどうしてもそうは思えない。しかもそれは英語文化圏の人間でさえそうという話で、日本人ならな文法知識は必須であろうと考える。英語文化圏のように意識無意識に関わらず英語ばかりの生活をしていれば、脳内にサンプルとなる会話例がもう有り余るほどあるわけだから、僅かな説明でも納得し得る。感覚としての理解が出来る。しかし、だ。日本人の場合頭の中にあるサンプルは当然日本語で、英語での会話サンプル、英語での表示サンプルが決定的に足りない。だから粗雑な説明でも理解出来るような英語文化圏の人間と根本的に事情が異なっていて、その条件で学ぶ、つまり脳内サンプルが少ないという条件をショートカットして英語習得に到るためには、そのツールとして文法の勉強は不可欠だと思うのだ。
ただ先程も書いたとおり、日本語を介在して英語を理解していては会話にならない。そこで考えるのが、日本人の英語習得は耳が先か、頭が先か、ということだ。耳で聞いて感覚で覚える事がまず先にあるのか、それとも脳内サンプルが少ないという条件があるのでまず理屈から覚えていく事が必要なのか。結論としては何ら面白みのない中間、という事にはなるのだけれど、しかしそれをやったら虻蜂取らずになるような気がしてならない。確かに現在完了やら過去分詞やらの概念を日本語の言語体系を元に説明するのは辛いのだけれど、しかしそれを英語の言語体系から説明しても、脳内サンプルがない状況では絶対に理解はされないだろう。英語に関する脳内サンプルがあれば説明を受けても「あーそういえばそうだった。こんな言い方してたっけ、こういう時は」と思うだろうけど、それがなければ説明の感想は「どうしてこんな時になるとingになるんだ!」になるだけだ。
だからもし出来るとすれば……アメリカ人の映っているビデオを流しまくって、その状況について英語で解説しまくって表現を理解させるしかないだろう。しかも、”この映像のどの部分を伝えたいか”を知らしめた上で。映像をぱっと見てこの人の単なる過去を伝えたいならどうなるか、今現在頑張っていることを伝えたいならどうなるか、昔の一定期間やり続けたことを紹介したいならどうなるか、というような形でひたすらやり続けていくしかない。これを毎時間続けて、とにかく脳内サンプルを増やしていく。それと視覚情報と聴覚情報をなんとしてでもドッキングさせたい。そうでなければ……確かに文法書とにらめっこしながら覚えたところで、何の役にも立ちはしない。走っている映像をみて「ing!ing!」とほざき続ければ嫌でも将来、外国に行って走っている人を表現しようと思ったらそれが浮かぶ一方、文法書にある現在進行形の概念だけを必死に覚えていたのでは、走っている人間を見たところでingが浮かんでくるはずないからだ。
……などと偉そうに書いては見ても、高校時代の私であればこれすら受け入れなかったと思う。嫌い嫌い大嫌いふざけるな、もうその事ばかり考えていた私にとって、英語の授業を英語でなんて悪夢でしかない。だいたい受験英語の文法を英語で説明されて、理解なんでそもそも出来るものか。受験英語で聞かれるようなものは殆ど特殊例、普通の生活ではまずお目にかかれない状況での特異な例外の山だから、英語的日常を追求すればする程その説明は至難になる。受験が今の態勢から変わらない限り、英語を使用した英語の授業はまず間違いなく学級崩壊になるだけだ。
もしならないなら、今頃予備校は英語専門授業ばかりで花盛りのはず。もしも英語での英語授業に本当にニーズがあるのなら、生き残りに必死である予備校にそれがつかめないはずはない。更に言えば、予備校が本腰入れてやっていない一方、生き残りに必死にならなくてもいい文部科学省がそれをつかめるとはどうしても思えないのだ。ただ思う、ああ私は早く生まれてよかった、と。英語の授業を英語で、なんて拷問以外の何者でもないです。
勿論これに加え、「友好を深める為の贈答儀式の決行を正当化する理由」としても、これは役立つと思われているのだろう。端的に言えばいくら自分にとって相手が恋しい場合でも、何のきっかけもなくプレゼントを贈るのは、まず憚られる。勿論やれなくはないが、突然プレゼントを贈られた側は「一体何故この人はプレゼントを贈るの?」とまず訝しむに可能性が極めて高く、続いて「何か裏があるのかしら」と疑うのではないだろうか。これは先程の「贈答儀式は人間不信の末の行動」という自分の仮説を補完することにもなるのだけれど、日本人がいきなり何の脈絡もなくプレゼントを貰う事に戸惑うのは、人間不信という性質が底流に流れているからだと思うのだ。
そういう日本人だからこそ、「相手に人間不信をもたれないで贈答儀式が出来る契機」を大切にするのだと思っている。裏がないことを「そういう祭りだから」という大義名分で保証する。いきなりプレゼントを贈ることによる、不信感を払拭する為に。しかも日本人について厄介なところは、そうでもしないとプレゼント一つ出来ないほどの不信感が底流にあるのに、その不信感のせいでどうしても贈答儀式は必須という矛盾した状況が常に突きつけられている点だ。贈答儀式は必須、しかしやたらにやると不信感を招く。それを払拭する為に……その為にこそ祭りは求められるのだと思っている。
その文脈で考えていくと……何故クリスマスやバレンタインといった外国の風習が定着したかが見えてくる。というのも日本の行事の中には、目下が目上に、またはその逆にやられる行事はあっても、対等関係における友好儀式がほぼ存在しないのだ。考えてみれば日本社会において対等関係という事が意識される場面はほぼ稀、と言ってもいいものであり、村の中には家の家格が、家の中には家の序列が歴然として存在している。そんな”一億層順位保有者”状態の社会の中では上と下の関係形成こそが重要で、対等関係の確認儀式なぞは求められてこなかった。勿論茶寄合はそこを補完するものであったのであり、千利休が追求した茶の道はこの対等関係に関する儀式の一連としても捉えることもできるかも知れないが、それでもやはり対等関係の儀式は少なかったのではないだろうか。だからこそ、上下関係の儀式しかなかった日本の中で、外来文化が根付いた。対等関係の友好が求められていたという要望と、伝統的にそのようなものがなかったという欠陥の中で、その補填として外来文化を日本人が求めたのであろう。だからこそ、日本ではキリストも神も仏も対等に拝まれる。何と言うか日本人はそこに神秘性を抱いているというよりもそれをかなり実利的に見ている、というかダシに使おうと考える側面があって、キリストでも神でも仏でもカカオでも友好関係確認の儀式に資するものならば何でも可、という発想をしているのではないか、と思うのだ。
そういう文脈で私は日本人の行事の多様性を認識しているが、さて……何故そんなことを、不意に私が思ったのか。それはこの季節になるととある出来事を、いつも思い出すからだったりする。教員時代に贈った歳暮、確かボーナスの10%をつぎ込んでかなりのものを結構な人間の教員に送ったのだが、それらが全て”着信拒否”という状態で自宅に返って来てしまった。まるで私の歳暮を拒否する事が儀礼とでも言わんばかりに、まぁ綺麗に横並びに着信拒否の山、山、山。私としてみればそんな事されると思ってなかったので、送った歳暮は全て食料品……まぁそのお陰で二月まで、私はデザートに日々の食にと、贅沢の限りを尽くしましたよ(笑)。ああハムもある酒もある肉もある、ははははは、酒池肉林だこんちくしょう、と。既にこの時は内応行動ばかりではなく私の思想的特徴も発覚しており、にっちもさっちもいかなかったというのが現状ではあるけれど、しかしいくらなんでも許せない。この季節になるたびにあの惨状を思い出し、教員の持つあまりにも偏狭な心に憤る。確かに私の側にも落ち度はあったし、元々内通を始めたのは私の方が早かった。明確な警告を三つ受けたが、それを全部無視して唯我独尊を歩んだ事も認める。しかし歳暮拒否とか、やってることが幼すぎ……その事を私は、この季節になるといつも思い出すのだ。
そして長じて、来年の私は何をしているのだろうと考える。今の私の状況がそのまま続いたとするならば、来年の私はとんでもない状況に追い込まれているに違いない。その為に思う。この時に備えて来年の私は、果たして私を庇ってくれる仲間を何人作れているのだろうか、と。私の心は決まっている、でもそれを理解してもらう事は至難の業で、私はその心を隠しながら、相手の友好を得なければならない。果たしてそれが出来るか……来年のこの時期、私にとってはギリギリの勝負の時期だが、私は一体どんな決断を下すのか……またもや悪い病が発病している、いつも通りの成長しない私のたわごとでした。
そうならない最大の原因は、「全力で戦い、全力で負けた。全力で見てもらえた、悔いはない」という感想で終わった選考が殆どなかった、という事だったりする。しかもそれが「自分の成績が話にならないレベルだから」というのならまだ納得出来もするのだが、明らかに元々その気がないとしか判断し得ない対応をされてしまうと、なんと言うか勝負に負けた格闘家が「有難う御座いました」と頭を下げる、そんな気分にすらなれないのだ。しかもそれが私の僻みであると考えられる余地があるものならばいいのだが、前も書いたけれど選考時間が五分とか「この論文は字数制限いっぱいまで書いてあるけど、きっちり論文を字数以内に収めるにはどうすればいいの」の質問で小論文に関する面接が終わるとか、流石にこれは元々……としか思えないものばかりだった。採用するつもりがなくてももう少し見て欲しい、と思っても、多分バチはあたらないだろう、そう思う選考が本当に本当に多かった。
だから書いたらかなり辛口の文章になるだろうし、審査した側にしてみれば一方的に発言を暴露されるわけだから気持ちいいはずがない。しかしそうやって考えてみると、ネットの情報というのは常に一方的なものでしかないんだな、と気付く。もし私がここで体験記を書いたとすれば、それは「最高齢のハンディでボコボコにされた……し、死んでも死にきれん」という大前提の元から書かれてしまうので、あった出来事に対して全て批判的なスタンスで接していくことになる。しかし裏を返せばその前提無しで事実を記載する、例えば採用担当の側が冷静に事実を陳述するというやり方も当然ありえるわけで、結局私の体験記では事実を表しきる事はできないのではないか、と思うのだ。
ネットの情報はやはり、平面視というか、「多角形の立体の一平面から見たに過ぎない情報」が多くなるのだと思う。書き方によっては視点の平面数を増やす事はできるかもしれないが、それでも体験者という前提がある以上、その増加数には限界がある。だからどうしよう……果たして誹謗中傷ではない真性の情報になりえるのかどうか、今そんな事を考えている。裏を返すと……私から見た、私と言う人間の状況から見た現実をそのまま書くと、その類になりえるということ。辛かった……本当にこれほどオススメできない戦いもないですわ。ただその戦いを経験した人間として、同じ道を歩んで四方八方から攻撃される人をあまり見たくない、という思いもあって、だからとりあえずは前回の日記と同じ結論、「合格人数とか年齢制限とかではなく、高齢者を取りそうな自治体を探し出す」事が一番だと書いておきます。勿論、そのやり方に定かなるものはありません。あくまでも私の基準、それは私の分析力及び私の立場で出来る情報収集能力の前提の上でということですが、それで良いとするなら、「HPが整っていて人事構成の高齢者部分が少し減っているところ」でしょうか。これでも取る気があるかどうかなんて全然分からないのですが、でも一応0.0001%の可能性を0.0003%までは上げられるかなと思っています。
本当に、物を語るのは難しいです。
ただ予定として書いたという事なので、まずは速報的に少しだけ情報をば。まぁいないとおもいますが、もしも教員採用試験関連でこのHPを見た人の為にその部分を走り書きすると、私学も公立も採用辞退は物理的に三月中旬までは可能です。しかし三月中旬に辞退に行くと、もれなくこの世の地獄が見られます。保証人云々の話(義務はないので押し切れば自分ひとりの問題に集約する事は可能。但し至難)になるのでご注意をば。他の学校に情報が行くかどうかは、辞退の時の態度次第。相手の態度として穏便に済ましてくれるかブチ切れるかは、これは学校さん次第です。それに私はどちらも経験してますが、結局どっちも辛いことには変わりありません。2時間密室で怒鳴り散らされた事もあれば、三十分ひたすら嫌味を言われ続けた事もあります。が、どちらが良いかと言われてもはっきり言ってどちらも嫌です。ただそれが後々尾を引くかについては……基本的に他私学に悪い噂を流した場合まず噂を流した学校の方の品性が確実に疑われるので、しかも内定辞退程度ではまず”ない”と思います。
それと日大英語について。私は馬鹿なので全文訳をしましたが、英語を日本語に変換して理解している状態だと一年は厳しいと思います。英語を英語で理解して英語でアウトプットする、それが出来ないとキツイと思います。ただ厄介なのは英語で専門知識を持っていること前提の文章を書かれると意味不明、ということと、日大通信の英語の中にはテキストの英語があまりにも古く悪文まみれ、という事があると思います。特に後者についてはどれ程力を入れても分からないので、捨てるかそういうものかということで丸覚えした方がいいと思います。またどうしても手掛かりがないというのなら、一度機械翻訳にかけ、「参考程度」にその翻訳文を参照すればいいと思います(機械翻訳ではまず日本語にはならないので、本当に参考程度ですが)。手順は
1.パソコンショップに行ってなるべく性能の高いスキャナーを購入する
2.パソコンショップに行ってなるべく性能のいい翻訳プログラムを購入する。
3.スキャナーに付属していなければ、読み込んだ画像の文字をtxt化するツールを購入する。
4.テキストをスキャナーで読み込んでtxt化ツールで文字化、しかし読み込みは不十分なので出来たtxtファイルにある間違った英単語を直す。
5.それを翻訳ソフトに入れて、機械翻訳を得る。
です。私がHPに挙げているのは機械翻訳を経由したものではありませんが(あれははっきり言って使い物にならないので、本物としては)、私は最初これでやりました。なんといっても「英語をこれから学習しようってのにテキストが英語じゃ勉強できないじゃないか! 詐欺だ詐欺!」と英文科の分際で本気でクーリングオフを考えた輩でありますので。こうやって手順を書いていると、ああ、当時の私は本当に英語が大嫌いだったんだなぁと感じます。テキストが殆ど英語だと分かってから、パソコンショップに行く決断をするまで一日とかからなかったからなぁ……。
まぁこのコンテンツはいずれ充実させるとして、次のHPの改革の目玉は公務員試験と考えています。既に私の公務員試験は受験資格共々終わっており勝敗も明らかになっているのですが、こればっかりは全てが終わるまでは公開できません。ただ、「最高齢」「コネなし」「他府県」で挑むとどうなるのか、筆記や論文の入り込む余地はあるのか、については書いてみたいと思います。というのも多分高齢受験の方は「たとえどれだけ厳しくても、筆記や論文、面接で圧倒できれば勝機はある」と思われる方が多いと思われますが(はい私もそうでした。……最高齢の分際で)、そして私の今年の経験上それは「物理的に不可能な場所が殆ど」という結論に達しているからです。勿論私が馬鹿という事は否定しませんが、例えば面接時間が5分では論陣の張りようが御座いません。面接カードを提出しても一切触れられず、論文についても字が綺麗とか字数がどうのとか、そんな事しか聞かれなければ打つ手無し。挙句の果てに面接冒頭から「無理だと思うけど何故来たの?」と聞かれるところもある始末で、結論としてはやるならまず「採用する気のある自治体をあらゆる手を使ってでも見つけ出す」ことが必要ということに私の中ではなっております。ただ多分、こう書いても実感はそう簡単にはわかないと思うので、その根拠として何を聞かれたか、何をしてきたかを羅列していくつもりではいます。
公務員試験に関しては従来のメモ魔という事もあり全てデータはとってあるのですが、今のところどこまで出していいか分からないので保留、という形です。正直、キツかったですが……まぁ一つだけ。それでも神は、おられます。この日記の最大の目標、「とにかく何をテーマにしてでも文章を書きまくる事で、良くも悪くも文字との親和性とタイピング能力を維持・向上させる」、これを掲げて十年間。日記をやり続けて本当に良かったとこれほど深く思った事はなかったというのが正直な所です。
小説については今本腰で書き始めているのでむしろアップできない、という事がありますが、こういう軸でHPの改革が出来たらと思っています。特に来年は公務員試験へシフトする人が多そうですし……でも高齢受験は危ないと思うので辞めた方がいいと思います。やるならやるで、人数の多さではなく、高齢受験者を取る気がありそうな自治体を探し出すことをまずやることが必要かと。相手の判断基準は自治体で本当にまちまちですから、それと相手側の情報能力もまちまちでまぁある場所ではそれ誤ってボコボコに……。まぁこういう形でHPを改変していけたらなと思います。
英語で日記を書いたら、英語能力は鍛えられるのかな……まぁ無理だとは思うけど。
まず私の場合、健康診断があると必ず身体を壊す。網膜剥離(まぁこれは大学院仮面浪人が発覚した為に研究室にいられなくなり、仕方なく大学院の実験用竹林に逃げ込んで休み時間を潰していたところ、教授の命によって追いかけてきた大学院の先輩三人に見つかってしまいその場でリンチされたから、というのもあるのだが……)から始まって、授業中倒れた事もあるし熱射病になった事もあるし、変な健康食品に手を出して肝臓を壊した事もあるし、筋組織崩壊で精密検査まで行った事もあれば、ケトン体のありえない密度によって入院まで行きかけたことさえあった(真夏に断食しながらジャージを重ね着して登山とマラソンを繰り返し、身体が最終手段としてあまり良くない燃焼方法をやったためらしい。私は最初こそ躊躇ったが後になって正直にこう説明したのだが、医者は「そんな事する馬鹿いるか」の一点張り。だから本気で健康診断が嫌いな奴は、死んだ方がましだと思うからこれ位は普通にやるんですって……)。私の身体が壊れるのは、きまって健康診断があるときだ。健康診断を境に、私の身体は確実に病魔に蝕まれていく。勿論私の過剰反応が悪いという事もあるかもしれないが、私にとって健康診断はそれ程嫌なのだ。それこそ、健康診断があるという理由で採用を蹴ってしまうほどだ。
何故それ程健康診断が嫌なのか。本当に嫌な事に理由なんぞない、というのが私の主張でだから理由なんぞないのだが、あえて上げるならば「麻酔の類が効きにくい」という特徴がある。これは親知らずを抜いたときに明らかになったのだが、私の場合は麻酔への耐性が猛烈に強く、普通の麻酔では全く変化が起きないのだ。だから親知らずを抜いた時は地獄。実際普通の病院では取りきれず、総合病院に行って初めて手術という事になったのだ。「感覚がなくなったら言ってくださいね」と言われたが、本当に感覚がなくなったのは”三本”注射を打たれたあとだった。ただこれでさえ実は嘘で感覚はまだかなりあったのだが、これ以上粘ると何をされるかわからないので耐えた、というのが現状だ。
だから耳鼻科等も、当然の如く地獄と化す。肌が過敏だか粘膜が過敏だか知らないが、この鼻から通す管に対しても麻酔が効かない効かない。というよりもその管を通した時点で粘膜がやられるほど弱いので、喉を見たあと鼻がやられるというのがいつものパターンだった。といっても検査はしなければならないので仕方なく全て受けはするが、まぁいつもいつも耐えながらの日々で、本当に嫌だった覚えがあるのだ。
健康診断があるというだけで、私は精神的にも肉体的にも強烈なストレスがかかってしまう。確か人間が感じるストレスを数値化したデータというものがあって、そこでは両親の死が100という奴があった気がするが、私にとって健康診断は50はあるだろうと思う。流石に肉親や家族、友人の死よりは低いが、その他のデータ、例えば離婚や離職に比べれば屁みたいなものだ。離婚のストレスや離職のストレスなんて、健康診断を受けなければならないと知ったときのストレスに比べたら本当に微々たるもの。この二つが天秤にかかったら私は離職を決断する可能性の方が極めて高いし、結婚していないから分からないけれど離婚後感じるストレスについて、どう考えても健康診断が決まったストレスに上回る可能性はゼロだろう。健康診断を受けなければ離婚、というのが動かないならまぁ何のためらいもなく離婚に、何の後悔も未練もなく思考が到ってしまう。それ程世の中には、健康診断を嫌う人間がいるということだ。
私はだから、健康診断で致命的な異常が出る前に健康診断に殺されるんじゃないかと思っている。実際のところ今年の夏、ジャージ重ね着断食登山をやっていた時頂上で猪に遭遇し、危うくエサになるところだった。授業中倒れた時も速攻で病院に運ばれ病室のベッド行きだったし、ケトン体の一件はそれこそシャレにならないところまでいってしまった。怪しげな健康食品に手を出して壊した肝臓は何とか治ったものの、次健康診断があるとなったらもう身体は持たないかもしれない。それこそ私は、試験前であるとかそういう時に一睡も出来ない等と言う事はないにも関わらず、健康診断の前は三日前から殆ど寝ることも出来やしないクラスなのだ。身体はボロボロ、精神の疲弊は著しい。打つ手打つ手は全て裏目で、今まで健康診断で極端な引っかかり方をしなかったことの方が少ないほどだ。
そんなマイノリティの側から見ると、本当に酷い番組だと思った。どれだけこっちがそれで苦しんでいるのか。健康診断嫌いの初発は実は8歳の頃で、それから延々二十年以上その中でずっと苦しみぬいてきた。小学校の頃から、体育祭よりもマラソン大会よりも健康診断が大嫌いだった。運動が苦手であっても体育祭やマラソン大会をサボりたいとは別に思わなかったが、健康診断だけは仮病を使ってもサボりたかったという実に奇妙な人生だ。実際健康診断が原因で、何度も何度も身体を壊してきた。そんな苦しみの中で生きている人間の心なんて、この番組の製作者は絶対に分からないんだろうなぁ……なんて思った今日この頃でした。